ランスシートを守るためだけに : 私は日本で、しばしば原稿を頼まれたり、講演に呼ばれるわけではない。そもそも外国に住 んでいるのだから、そんなことを嘆いてみても仕方がない。しかし、その理由の一つは、私が 世間の通説、つまり日銀や財務省寄りの意見を持っていないことにあるのかもしれない。 二〇一二年六月、若田部さん、勝間さんとの本を読んでいただき、ジャパン・ソサエティの さくらいもとあっ のぶこ 本家、ニューヨークの櫻井本篤理事長からお誘いをいただいた。偶然、旧知の信子夫人が、 ニューヨークの書店で見つけられたのだという。そのときの司会者と討論者は、経済学者とし て昔から知っているポ 1 ル・シェア 1 ド博士であった。 あおきまさひこ ポ 1 ルはオーストラリア生まれの優れた経済学者であり、青木昌彦所長時代の経済産業研究 所で活躍。実務経験も豊かで、 丿ーマン・プラザーズや野村證券で要職を務め、大阪大学経済 学部国際協調寄付講座で助教授だったこともある。当然、日本経済にも詳しく、日本企業、日 本の経営に関する本も執筆している 彼の私の話に対するコメントと質問は本書のまとめとしても非常に有益だと思うので、私の 答えに多少の加筆をしたうえで、引用してみたい ( 以下、訳も筆者 ) 。 シェアード浜田さんの指摘のように、日本のマクロ経済の驚くべき現状は、それが長期的な デフレの状態を続けているということです。これは日本のように変動相場制のもとにあって、 252
アメリカで特ダネを得ようとする記者は、多くの場合、独力で取材していく。そこから、ウ オーターゲート事件のように、大統領の座さえ揺るがすような記事も生まれるのだ。 一方、日本の場合は、検察庁、財務省、日銀といった「お上ーのお墨付きのあるデ 1 タから 記事をつくろうとする。そのことで、各組織にとって都合の良い解説付きの記事ばかりか紙面 に掲載されることになる。 「生のデータから自分で経済法則を考える能力も意欲も、普通の記者は持っていません」 そういうのは、自身でエクセルを駆使して経済データを明央に記事化する、産経新聞の田村 秀男論説委員だ。 田村氏が指摘するような記者ばかりだから、経済の基本原理も勉強しないし、そのため各省 とい、つこととなる が文章にした解説を待っしかない、 特ダネに必要なのは、各省や政治家から少しでも早く情報を得ること、そのために要人と密 接な関係を保つ「夜討ち朝駆けの取材だ。そうして一部の記者は、有名政治家の側近的存 在、たとえば「田中番」「福田番ーなどを経て、実力者になっていく。 「お上ーに近づくことこそが出世への道ーーそれが日本のメディアなのである また、カメラ等で高い技術力を誇るオリンパスでは、投資の失敗を、古い経営陣が「飛ば し」という手法で隠し、粉飾決算でもみ消していた。それを外国人のマイケル・ウッド フォ】ドが会員制月刊誌の記事から気付き、社内を改革しようとしたが逆に解任されてしま 240
なお本書は、私が内閣府にいて政策経営の現状を垣間見たときの手記 ( メモアール ) もべー スの一つとなっている。そのメモアールを読んで貴重な意見を述べてくれた、故・加藤裕己氏 ( 元内閣府大臣官房審議官 ) 、岩田一政氏 ( 元日銀副総裁 ) 、わズ監査ど分梶 ) ・にも心か らお礼を申し上げたい。元内閣府の喜友名純子さん、一橋大学経済研究〒い囃ん、そ してイエール大学の研究室で仕事の傍らメモアールを読んでくださった方々にも同様に感謝し 本書と関連した研究、あるいは「法と経済、の研究の発め滞在発い神戸大学経済経営研究 あおきれいこ め 所 ( 上東貴志、高橋亘両教授 ) 、一橋大学経済研究所 ( 青木玲子教授 ) 、東京大学大学院経済 戻学研究科 ( 吉川洋、福田慎一両教授 ) 、そして早稲田大学政治経済学部 ( 藪下史郎、若田部。 取澄、原旺泰各教授 ) のみなさまにも、心からお礼を申し上げる。 自分の意見は日本の通説と離れているので、金融政策に関して意見を聞かれる機会も少なく 国 なったが、 それでも発表の機会をいろいろな方が与えてくださった。 し あかしやすし 美 国際文化会館 ( 明石康理事長 ) 、コネティカット州のフェアフィールド・ジャパン・ソサイ かんだれいこ カわいよ、つこ エティ ( 河井容子氏 ) 、 ( 牛尾治朗会長、伊藤元重理事長、神田玲子部長 ) 、監査と分 ほしたけお ( 星岳雄編集長 ) などである。ジ 析 ( 勝間和代氏、野村総合研究所 ( 井上哲也氏 ) 、 さくらいもとあつのぶこ ャパン・ソサエティ ( ニュ 1 ョ 1 ク ) の櫻井本篤・信子夫妻には、ニューヨークでの発表の っし / / し / あとがき 269
その堺屋氏は通商産業省の出身で、『油断 ! 』 ( 日本経済新聞社 ) をはじめとする多くのベス トセラーで知られる。金融論が専門ではないが、経済企画庁長官時代は、金融政策の大事な節 目のときに日本銀行の無謀な緊縮政策に反対して、日本経済のデフレ、円高に歯止めをかけよ うと努ガし、ている。当然、日銀総裁候補の一人である。 実際に経済社会総合研究所所長に赴任したのは二〇〇一年の初めであった。そのとき、担当 ーもり・よしろ、つ ぬかがふくしろう 大臣は額賀輻志郎大臣だった。一月の松の内の顔合わせで、森喜朗首相に、「あなたの大学は エールというのですか、イエールというのですか」とたすねられたのはほほえましかった。本 書に書いたようなことを額賀大臣にもして、金融政策の重要性を訴えたこともある。大臣はし つかりと聞いてくれたが、こういう意見を返されてもいる。 策 政 「浜田さん、学者としては『それが正しい』で良いが、政治家は、そしてあなたのような政策 要アドバイサーは、それがどうしたら実現できるかを考えなくては 必 対厳しくもありがたい助言であった。 あそうたろう その後すぐに、担当が麻生太郎大臣に代わった。麻生大臣は、ご自身が経営者でもあったた 税め、またプレインに金融ではなく財政による景気振興を勧める人がいたらしく、「君のいうこ 也面、歯切れのよい江戸 とは聞かなくても、私は経済が分かっている」という風情であった。イ 章 っ子風で、人懐っこい好感の持てる人柄であった。 第 ところが、また数カ月すると、今度は森内閣が小泉純一郎内閣に代わって、担当大臣は竹中 ふせい 209
1 30 120 - 1 1 0 1 OO - 90 - 80 70 60 ー 50 第二章 4 6 8 1012 2 ( 出所 ) 経済産業省「鉱工業生産統計」、 日銀と財務省のための経済政策 図表 4 先進国の実質実効為替レート ( 2008 年 9 月 = 1 OO) 通貨高 ー通貨安 - - 4 6 8 1 0 12 2 09 4 6 日本 イギリス - 8 1012 2 4 6 - ユーロ圏 アメリカ 8 1012 2 4 6 8 2 4 6 8 1012 2 2007 ( 出所 ) 国際決済銀行 (BIS) ( 2008 年 9 月 = 1 OO) 08 図表 5 : : リーマン・ショック前後の鉱工業生産指数 120 1 1 0 - 100 -- 90 - 80 70 60 2007 08 2 4 6 8 1012 2 4 6 8 1012 2 4 日本 イギリス - 6 8 10 12 2 4 6 8 10 12 2 1 0 09 FRB 、 EUROSTAT 4 6 8 12 ( 月 ) ( 年 ) アメリカ -- ユーロ圏 1012 2 4 6 8 12 ( 月 ) ( 年 )
震災復興は公債で賄うのが当然 もちろん、政府の赤字はそれなりに困ることではある。とはいえ、円の暴落を心配する必要 はまったくないし、その・よ、ナな兆候し・ない。むしろ、円相場が一〇パ 1 セント、二〇パ 1 セン トと下落することは、デフレを収め、生産拡大するのに役立つのである。 ここまで、日本経済を家族にたとえながら、震災の例も出して説明してきた。そうなると、 震災復興の費用が気になるという人もいるだろう。 復興には、当然ながら国民の努力と復興投資が必要になる。もちろん、復興のためには民間 の活動だけでは不充分。政府による救済、保健活動、復興投資も重要だ。 ところが、日本の政府は大きな負債、つまり国債残高を抱えてしまっている。借金経営が自 転車操業といわれるように、将来の納税者をあてにして現在の政府が使い込みを続ける現在の あら 財政運営 : : : 大きな災害が起きると、問題が顕わになってしまう。 とはいえ、やはり復興の主役は「貧乏父さん」、すなわち政府。「金持ち母さん」、つまり民 間のお金を政府が巻き上げて復興にあてるのがひとつのアイディアとなる。つまりそれが、消 費増税だ。 これまでたとえてきたように、家族の間柄であれば、「金持ち母さんーが「貧乏父さんに お金を渡せば済むことである。しかし、 、と間の間では、単なる譲渡ではなく、税という 206
積が厳然としてある。 不況に関していうなら、経済学においては、以下の大恐慌時代の教訓が重要とされている。 「金本位制をそのまま維持していたので、経済がさらに悪くなった」 「アメリカも、より早く金本位制を離脱していれば、そして貨幣供給を増やしていれば、大不 、冫を和らげることができたはずだ」 これらが厠缶の譓だ望ところが、私たちが若い頃に学んだマルクス経済学では、「金本位 制が壊れたために、資本主義がダメになった」と説明されていた。まったく逆の理屈になって いるのだ。 政治家たち、そして金融政策無効説を唱える学者たちには、、ーま・でも・マ・ル ' グ・み経学い影響ー が残っているのではないだろうか。少なくとも固定為替制下の既成観念にとらわれているよう つかさど に思える。若い頃に習った、つまり数十年前の知識で、現在の政治や経済を司ろうとしてい るわけだ。 これは、医者にたとえるなら、やはり「ヤプ医者ーであろう。自分が若い頃に学んだ知識だ けを頼りに患者を治療しようというのだから。 ままで面識かないと思っていた もっとも、ここで自己批判もしておかなくてはならないい 政界の実力者や日本銀行の幹部から、「実は浜田先生の法学部の『近代経済学』を受講しまし た」、あるいは、「教養課程の少人数のゼミにいました」と声をかけられることが多いのだ。 0 8
学者、時には財務省の国際局でも「いまは決して円高でないーとの理由づけに使う実質実効為 替レートの図である。国際競争力の一つの指標である実質実効為替レートを見ると、プラザ合 意後、円高ピークの一九九五年や量的緩和を解除した年などに比べると現在は高くないという のが、日銀、時には財務省国際局をはじめとする日本経済の中枢を司る人々の言い訳なのであ る。 私は、ここまで述べたような円高の話をしたとき、二人の学者から、「浜田先生の基準のと り方はフェアではありません。日銀が主張する為替レートは、一九九五年に比べれば高くあり 済 経ませんーと反論されたことがある。それぞれ別の機会であり、また彼らは私の教え子で親しい 日間柄でもあった。彼らはジョルゲンソン・野村両氏の共同研究から、「日本経済がいちばん苦 五ロ 一三ロ しんでいた時期よりも現在はましだ」といっているわけである ち だが一九九五年は、ジョルゲンソン・野村研究によれば、日本の産業がコストと製品価格の 者間の八〇パーセント近い逆ザヤに苦しんでいたときである。「現在の企業の重荷はそれよりも 済 かすかに軽いから我慶しなさい」と、どうして学者がいえるのだろうか。私はもちろん色をな 経 才したが、同時に「これでは自分の教え方が悪かったのかな」と反省するしかなかった。 実質実効レートとは、名目為替レートを輸出入の価格で調節し、世界各国とのレートを平均 章 一一一した、日本企業の輸出競争力の指標である。企業は現在の世界の経済情勢、現在の技術で競争 している。技術や需要がいまとは違っていた二〇年前と比べても仕方がない。 113
政策が効くということが経営トップにも理解できない。 「要するに、固定相場制の時代の頭だけで、政治家もマスコミも経営者も考えていると、私は 思いますね こう高橋氏は続けるが、残念なことに、学者やエコノミストも、マクロ経済における貨幣の 役割を理解していない。 為替介入で生じる財務省の利権とは 済 経 日本銀行の世論操作がうまくいっているのだろうか、学者の方々も、日銀の責任を追及しな 本 日 い人か多い。 る 語 AJ い、つ一」 だが、その結論は、「物価が金融政策に即に反応するから実物経済か動かない 、刀 ち とになる。アメリカで博士号を取って帰ってきた実物経済の分析ではすぐれた論文を書く学者 者ですら、「貨幣は生産や雇用や過剰設備には効かないーと主張する。それでも、あなた方の論 学 済文が前提とするように物価には効くはずだが、とたすねると、「だから私は将来、超インフレ 才になるのを心配しています」と、まったく論拠のない日銀の言い訳と同じことをいう。国際的 にも有望だと思われる学者がこういう状態なのは末恐ろしい。 章 現在のようなデフレの状態から物価が上昇する段階に達するためには、どこかで物価が安定 第 する状態を経由しなければならない。「マ 1 シャルの」で知られるアルフレッド・マーシャ 123
「国内金融を緩和しても海外に資金が流れる」という意見に関しては、それで何が悪いのだと いいたい。資金が流出すれば円安 0 の、 - ・・ぞれで輸出需要が恥がをか・らである。 これらの質問は、金融、国際金融に関する学部生レベルの常識を持っていないことを示す。 すでに引用した田中正造の言葉がますます現実性を持ってくる。 安倍晋三氏の著書のように、日本に帰るたびに、私も日本は「美しい国」だと実感する。自 然の美しさにとどまらず、心の細やかさもある国である。病院で検査の採血をしてもらうだけ でも、治療の細やかさ、やさしさが伝わってくる。このような美しい日本が、金融政策を「し め よばいレベルに保っているために、毎年、若年失業率の高い、設備稼働率の低い、態を続 戻け、さらにはそれが将来への長の活ガを奪づぞ・りるのは、残念で仕方がない 取 私はホテルの周りを取り巻く長い空車タクシーの列を見るたびに、日本経済の現状に思いを を それが 馳せてしまう。円高、デフレ、空洞化を解消して、「美しい国」を取り戻してほしい。 国 私の切なる願いである。 し 美 私は二〇〇九年九月、頸部の内出血を患い、ステントを血管に入れる手術で命を取り留め き た。三年経って、ほとんど普通と変わらない生活ができるようになった。仕事ができるような と状態を授かったからには、これからは自分の経済学の知見を国民の将来のために一生懸命伝え るのが天命であるように思える。 267