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1. アメリカは日本経済の復活を知っている

「良いデフレ」はあるのか また日銀のなかには、「良いデフレーと「悪いデフレ」を分けて考える者もいるという。 良いデフレとは、物価の下落が景気の悪化をともなわないもの。悪いデフレとは、物価下落 が景気の悪化をともなうものだ。「物価の下落、と「景気の停滞」を分けて考えるようになっ 国たが、今度はそれを「良い」「悪い」というモノサシで測るようになったのである る 、ノコンである。 す良いデフレの例とされるのか、ノ、 無 ハソコンは現在、数年前では考えられないほどに安価になっている。家電量販店に行けば、 を 識五万円以下で手に入る場合もあるほどだ。かっては一〇万円以上が当たり前、その前ならさら 常 の に高かったのだが、 飛躍的に購入しやすくなっている 年 〇 ソコンが安 だが、それは景気とは関係のなと。需要収縮が価格低下の原因ではない。パ 一一くなった理由、それはまず鰤に、革新と生産性の向上である 済日銀の , ・「良い・デ . フ . レ」 ... 「悪、いデフレ」】 = 論は、一つひとつのものの価格と、経済全体の価格と を ) 混同しーている ~ パソコンの値段が下がったからといって、それが物価全体の下落につなが 章 るとい、つわけではない。、 テフレとは、物価全体が継続的に下がる状態のことをいうからだ。 第 日本には、このようにデフレを容認する者が数多くいる。日銀にも、政治の世界にも。 あっても生産が落ち込んでいない限りは問題がないーというわけだ。

2. アメリカは日本経済の復活を知っている

認メルトキ」には、内閣が日銀総裁を解任することもできた。 大蔵省の監督下にあった日銀では、総裁に、しばしば大蔵省出身者が就任した。とりわけ、 物価安定と景気のどちらを取るかを決定する際の総裁は、大蔵省出身者が多かった。 すみたさとし 大蔵省出身者は、物価の安定と景気とでは、景気を重視する。たとえば、澄田智総裁 ( 一 九八四 5 八九年 ) は、 V 九八五年のプラザ合意の後遺症である円高圧力に抵抗しようとしてマ 久・・拡張政策を採り ) その行き過ぎで、土地や資産価い・高騰を置してしまった。 先述したインフレを恐れるに、澄田総裁の政策に対する反動もあって、日銀幹部は、 インフレやバブル放任になりがちな政策をより敵視するようになる。その代表格であった三重 一・のやすし 衝野康総裁 ( 一九八九 5 九四年 ) は、引き締め一途に走った。そして、その伝統を日銀は守ろ 日 うとしたのだ。だが、それもまた行き過ぎたのである。 四 デフレ状態の景気沈滞が一五年も続いた現在、みプ・レ・に・なをい記・は、・、・直近。で・はま、 - っ・たぐ 月 ゼロである。それでも、日銀はインフレを敵視するのだ。日銀は、羹に懲りて膾を吹い 年 二ているのである。 〇 日銀は法で縛るしかない 章 五 現在の新日銀法は、日銀の独立性を保障している。第三条一にいわく、「日本銀行の通貨及 第 び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない」ーー財務省の指示に嫌々ながら 17 ラ

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「美しい国」を取り戻すために あとがき 鵞第 , い : 岡第世 フィッシャ 1 は貨幣数量説の祖であるとともに、 現代的な貯物理・・彌都である。またイ エールの経済学部の創始者でもある。ト 1 ビンの記すところによれば、フィッシャ 1 は自分の 景気判断を信用し過ぎ、大恐慌のときも強気で、株に大いに投資し、それを周囲にも勧めたと いう。そして株価は暴落し、フィッシャーは自宅まで手放さなくてはならなくなりそうになっ た。看板教授は大学が助けざるをえず、大経済学者も大学の人気者ではなくなったという。 ク 1 ブマンス教授は、オランダ出身のたいへんハンサムな先生であった。私もその明晰な講 義を受けさせてもらった。線形計画法の経済学の適用で、ソ連のカントロヴィッツとともに、 のちにノーベル賞を受賞した。 そのためもあってか、教授はロシア語を勉強 一前していた。私は以前、つい、「先生のお歳で新 、所しい外国語を学ぶのはたいへんでしよう」と、 研失礼極まりないことを聞いてしまったことがあ 第一に、ルる。先生からは、「コ 1 イチ、そんなに人間の コ知的能力の射程を見くびってはいけないよ」と 学 大静かにたしなめられた。 コウルス研究所は、もともとシカゴにあっ 工 イた。クーブマンスはそこで、ミルトン・フリ 3 263

4. アメリカは日本経済の復活を知っている

長は気にする必要がない。なぜなら変動相場制のもとでは、通貨政策は国内問題であるから だ。そういわれてしまえば、胡錦濤主席も反論はできない ここで、変動相場制のもとでの各国の平価 ( 通貨の対外価値「切の下げ争が 1 世界全 - 作グ」・ 破綻を招くし一 = ル角角いておこう 一九三〇年代の大恐慌期には、各国は金本位制を採用していた。当時は国内の景気を心配し て金融を緩めると、金が流出して金平価を守れなくなるので、金融拡張を行うことができなか った。このような「金の足かせ , を嵌められて金融政策ができないのを防ごうとして、各国は 金本位制を離脱し、次々に平価切り下げと金融拡張を行ったのだ。 岩田規久男氏が明らかにしたように、日本も金本位制から離れて景気を回復した。これは当 たかはしこれきょ 時の大蔵大臣・高橋是清の業績だ。 ーナンキ議長は、この大恐慌期の世界経済についての権威である。彼が示したよう 、金本位制を離脱して平価を切り下げた国々がいち早く回復、一方、金本位制に執着した 国々の回復は遅かった。 変動相場制下では、金融緩和により一国が景気を刺激しようとすると、自国の通貨の為替レ ートは下落する。貿易相手国の通貨は切り上がり、相手国の経常収支は悪化する。そのこと が、いわば不況を輸出するかのように見える効果があるため、「近隣窮乏化」政策だという批 判か生まれることになった。 106

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ゼロ金利下でデフレが止まる条件 理論的には、ゼロ金利下では、短期国債と貨幣が産としてほば同じものになる。そのた め、長期国債オペや、株式や社債など他の証券の買いオペのほうが景気対策としては有効だ。 しかし、短期国債が資産として貨幣とほば同じになったとしても、まったく同じではない。 短期国債で買い物ができるわけではないから、貨幣と同じ流動性を持つわけではないのだ。し たがって、厳密にいうと「「 .- 、短期国債オ。もまったく効果がないわけではない。 くろきよしひろたちばなみのる 国 そこで興味深いのは、本多佑三、黒木祥弘、立花実の各氏による研究である。「量的緩和政 る す策ーー 2 0 01 年から 2 0 0 6 年にかけての日本の経験に基づく実証分析」 ( 「フィナンシャ 無 ル・レビュ 1 ー第九九号掲載 ) と題されたこの論文は、二〇〇一年三月から二〇〇六年三月ま を 識でのゼロ金利下での量的緩和政策が、景気回復に有効だったことを示している。 常 の 私がそのことを知らないうちに、二〇一〇年二月一 , ハ日の衆議院予算委員会では、学者より 〇も勉強家の五本幸一一一一衆議院議員が白川日銀総裁に、この研究について質問している。 三氏のこの研究では、マネタリー ・べース ( 現金と日銀当座預金を足したもの ) の増加が短 学 済期国債オペによるものなのか長期国債オペによるものなのかが区別されていないが、当時のオ べの大部分は短期国債および満期間近の長期国債で供給されている。満期間近の長期国債は、 章 一事実上の短期国債だ。そう考えると、短期国債オペによる量的緩和ですら、景気回復に着実な 効果を持ったことが分かる。

6. アメリカは日本経済の復活を知っている

いれば、日銀に多少なりとも情が移ることはあるだろう。内容に関しても、少なくとも連載時 は、日銀サイドのチェックが入っていたはずである。 そんな池上氏も、最近の論稿を読むと、日銀に対しての一抹の疑いが出てくるときがあるよ 、つだ。リフレ派になったとか、日銀批判派になったとまではいえないか、しかしときどき、リ フレ派の主張も両論併記の形で紹介している。 評論家のなかでは、社会に与える影響力という点でも、議論の公平さに関してガランスカ取 れている点でも、池上氏はとても尊敬できる。ただ池上氏は、日銀記者クラブに通って日銀の ことをよく知っているのは確かだが、経済や金融のメカニズムについては詳しくないのも確か 池上彰の学べるニュース」という番組 たとえば、高視聴率を記録した「そうだったのかー ので、池上氏はデフレ不況を興味深く説明したが、デフレ脱却法の結論は、「みんながお金を使 えば、その日から景気が良くなります」というものだった : 合 たしかに、みんなでお金を使えば景気はよくなるのだが、問題は「なぜ誰もがお金を使わな いのか」である。どうすれば「みんながお金を使う」ようになるのかを解説せすに「お金を使 えばいい」では、結論として不充分だ その「みんな」がどの程度いるのかも問題である。もし、この番組を見て分かった気にな り、お金をどんどん使った人がいても、そういう人は視聴者のごく一部、圧倒的な少数派だろ 22 ラ

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法人税が減少してしまう公算が大きいからだ。 デブレ下で増税して国民経済が回復した前例は 日本経済は閉塞化し、円高、若年失業、輸出産業の崩壊、産業空渺し ) 地ガ、にどいっ た、なし崩し的縮小が起きるのは必至だ。 だが、先に金融緩不を行って、景気が回復してから増税 ( たとえば消費税の増税 ) を行え ば、円安が生じ、デフレ圧力も和らぐ。労働市場も好転することになる。株式市場も活況を呈 するだろう このことは、先述のバレンタインデーの政策変更の効果が現れたことからも明らかだ。あの ときは一バ 1 セントの「目途」だったが、アメリカ並みに二パーセントのインフレ「目標」と すれば、効果はさらに高まる 実際、野田政権が二〇一二年八月、民自公の三党合意によって半ば無理やりに通過させた消 費税引き上げ法案にも、「景気が回復したところで実施する」という条件がある。その条件を 厳密に解釈するならば、増税の前に金融緩和を行うことを、法的な正当性をもって主張できる のだ。 金融緩和によって全体のパイを増やし、国民が豊かになり、デフレと円高を解消する。そう なれば産業も潤い、 同時に財政当局も税収回復の利益を受ける。落語ではないが「三方一両 214

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ー教授から指導を受けることができたの 教授 ( 当時は准教授、後にノーベル賞受賞 ) 、クー この三人から、あるときは優しく、あるときは厳しく、約三年間、テーマの選択からモデル 構想の戦略、論文の書き方まで手取り足取り教わったのである。本当に幸運だったとしかいい よ、つ【かはい。 もちろんクーパー教授も、現在の日本の経済政策の誤りの根幹が金融政策にあることを、す ぐに理解してくれた。また彼との共一口 日経済新聞が掲載してくれた 済 経 その論文で私たちは、変動制のもとでは自国の金融拡張が自国の景気を浮揚するのはもちろ 本 日んだが、 相手国の金融拡張は自国の為替レ 1 トを通じて景気抑制的に働くことを説明した。そ る まかな 語して、地震の復興財源を現世代だけで賄おうとするのは、病気の子供に荷物を負わせるような ち ものだと論じた。 者 クーパ 1 教授は、税金が社会に充分に活かされるように、社会全体の効率性が上がる、たと 学 済えば環境が浄化される炭素税のような形でとれば、増税がプラスになることもあると強調して 才 いる 天 章 生産性の向上で円高に太刀打ちできるか 第 デ 1 ル・ジョルゲンソン教授は、投資理論、生産性の分析の大家で、アメリカ経済学会会長

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「近隣窮乏化」とは、各国が勝手に為替を切り下げようと競争すると、世界全体がインフレに なるだけで、各国は景気上昇の利益を得られす、為替切り下げ競争が国際金融の破綻を生むと いう議論である。 これは一九五〇年代の経済学の常識であった。驚いたことに日本では、いまなお大新聞の常 識となっている。しかし、現在の経済学の知見からすると、大きな間違いなのだ。この領域 は、この歳でも、時に論文を書くことのある、私の専門である。 変動制のもとでは、景気安定のために望ましい為替政策や金融政策を採ることは、自国のた 済 経めに必要であるだけでなく、実は世界の経済の安定のためにも有益なのである。 日 る 五ロ ニ = ロ 円高是正をなぜか拒む日銀 、刀 ち アイへングリーン教授とコ すでに一九八四年、カリフォルニア大学バークレイ校のバリ 1 ・ 者ロンビア大学のジェフリー・ サックス教授は、理論と歴史研究の二つの観点から、一九一一 済代に起きた平価切り下げ競争が、世界経済の破局を招くどころか、各国相互の経済回復に役立 才ったことを示した。 おかだやすし 最近では、内閣府主任研究官だった岡田靖氏と私が、平価切り下げ競争を行うことによっ 章 一一一て、各国とも最も望ましい価格上昇率 ( たとえば低いインフレ ) の状態を達成できることを示 した。 107

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引き締めに転じた日銀の魂胆 その約東を、福井氏は、総裁就任の二〇〇三年から三年ほどは守っていた。ところが中川氏 によれば、一一〇〇六年、小泉内閣の終わり近くに少し景気が持ち直してくると、約東を反故に 」〔 ) ・ン引 ) 締め・に転し・で・し引・つ・だ 6 ーまだ消費者物価指数はマイナスだったにもかかわらず、で ある。 これはおそらく、日銀マンによる内部からの突き上げを食らってのことではないだろうか 策そして白川総裁は、日銀の司令塔ともいうべき企画部のリーダーの一人だった。おそらく、当 済時の景気進行を支えていたゼロ金利政策を止めさせて、日本経済をデフレの試練に引き戻した の のは、白川氏を含む日銀幹部だったのだろう。 め 高橋洋一氏は、当時のことをこう語っている の 省 「なぜマイナスのときに引き締めができたかというと、実は当時の経済財政担当大臣だった与 財謝野さんがゴーサインを出しちゃったからなんです。総務大臣の竹中平蔵さんは反対したんで と 銀すけど、自分の所掌外ですから強くいえなかった。 日銀が引き締めに転じる二〇〇六年のことをもう少し詳しくいうと、あのとき消費者物価指 一一数は〇・五のプラスだったんです。ただし、これは統計上の上方バイアスもあって、その年の 夏に改訂される最終的な数字がマイナスになることは総務省にいた私などには明らかに分かっ