従ってインフレやバブルを放任してしまわないように、という狙いだ 日銀法が改正された当時は、中央銀行の独立性がマクロ経済の安定に役立っという研究結果 も多かった。また、役人への接待スキャンダルが多く報じられてもいた。大蔵省への風当たり は強 / 、日銀に対して一 を = = ることにも抵抗できなかったのだろう。 日銀法改正には、当時の大蔵省の思惑に左右されすぎた金融政策の問題点を是正する効果 が、たしかにあった。日銀の会合や、総裁あるいは政策審議委員の講演等、金融政策のあり方 がガラスりになった点も評価できる。その代わり、今度はあまりにも日銀に権限を与え過ぎ てしまったである ほとんどの国では、金融政策の目標として、経済成長の促進と完全雇用の維持などが定めら れている。中央銀行に自主性が与えられるのは、それらの目標を達成する手段として何を選ぶ かにおいてだ。 だが新日銀法のもとでは、手段だけでなく、目的すら日銀が勝手に決めることができる。そ れが「独立性」とされているのだ。しかも、その結果について買缶を・間われ - る。一」・どもない " 。 「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民 経済の健全なる発展に資することをもって、その理念とする」 ( 改正日銀法第二条 ) つまり、目標としては物価安定が掲げられているが、成長や雇用を目標にせよとは書いてい なし「国民経済の健全なる発展ーは、あくまでも物価の安定を通じて達成されるという理屈
持っているのに、「薬は使うな」と指示しているようなものである これは、日銀とまったく同じスタンスである デフレや円高のようなとき、すなわち通貨の価値が高すぎて困っている場合には、通貨を増 しよほうせん やすのが、古今東西を通じて有効な処方箋。これは現代経済学の常識である。しかし日銀は、 「金融緩和は効きません」と言い続ける。これは、胃が痛いといってきた患者に対して、その 病院にしかない特効薬を医局の都合で出さず、呼吸器 ( 財政 ) や循環器 ( 産業政策 ) の専門医 に行ってくれといっているようなものである もちろん、私は日銀や政府の政策担当者に個人的な恨みなどない。私が東京大学時代や、イ エール大学で教えたり、指導したりした人、共同研究者だった人が、日銀、財務省、経済産業 省などにはたくさんいる。重要な地位にいる人も多い。みな、いまでも親しい友人だ。しか し、彼らのすることが国民生活に及ばす効果や弊害を考えると、「人は憎まず、されど政策の 結果 ( Ⅱ罪 ) を憎む」といわざるをえない 首相の狂気「増税すれば経済成長する」 大臣たちだけではない。菅直人首相は、信じられないことに、「増税すれば経済成長する」 えだのゆきお と語った。「利上げすれば景気が回復する」といったのは枝野幸男官房長官だ。 も、つ笑、つしかない そんな高橋氏の言葉に、私もうなずくしかなかった。 4
工 1 ル大Ⅱ早大の朝河貫一記念フェローなどである。野村證券、トヨタ自動車、ジェトロ・ニ ュ 1 ヨークなどからいただいた研究費にも感謝でいつばいだ。 これらの奨学金や援助には、自分で努力して獲得したものもある。しかし、先述した方々、 機関の善意なしには、私の研究生活は成り立たなかった。たとえばフルプライト留学生で渡米 しなかったとすると、どういう学者生活が待っていたか想像もできない だから今度は、自分が若者を援助する立場にならねばならない。「東大友の会」などを通じ て少しはしているのだが、これだけのご恩をお金でお返しするのはほとんど困難である。自分 勝手かもしれないが、本書のような形で、つまり自分の知り得た、あるいは研究の結果得た知 識を国民にお伝えするかたちでご恩返しをするしかない 二〇一二年一〇月三〇日、政策決定会合が開かれ、日銀の記者会見があったという。白川総 裁に関しては、相変わらす金融緩和を引き延ばそうとして、物価の目途も二〇一四年だったの を二〇一五年に変えているようだった。童話「猿かに合戦」に出てくる将来の柿の約東は、ま すます遠くなった。 総裁記者会見で最も気になった、いや、国民の未来を考えると怒りさえ覚えるのは、多くの 記者が緩和の効果に疑念を示していることである。「資金調達ができても貸し出しは増えな い」というのはバーナンキ等の「信用加速理論」があることをまったく知らない議論だし、 266
はまたこ、ついち る。私も碁が好きで、自民党の浜田幸一議員がご存命のころ間に入る人がいて、「棋力も同じ くらいだから『ハマコー対決』をしませんか」と持ちかけてきた。場合によっては放送の ! で放映したらどうですかというのである。しかし結局、「碁を楽しむのは良いが、 スカバ 勝ち負けを人様に見せることもないだろう」という幸一先生のもっともな意向で、対局は実現 しなかった。 もちろん対局に臨むには、負けたときの覚もできていなくてはいけない。とはいえ人前で ポカなどして、ひどい負け方をしたくないと思った私は、対局の話が持ち上がると、普段は読 ズの『死活と攻合い』 ( 河出書 まない「死活」に関する本を読んでみた。木谷道場入門シリー 房新社 ) 編だ。一冊だけだが読み込んでみると、たまに行く碁会所での棋力が半目 ( 一段の半 政分 ) ほどは上がったように田 5 えた。 囲碁においては、打つ手の手順が重要となる。手順が前後してしまう 将棋でもそうだが、 と、勝てるはすの勝負も勝てなくなってしまう。 経済も同じだ。財務省の好む消費税率の引き上げを金融緩和の前に行ったら、そ ( 一オ デフレと ・手順前後。国民経済は本龍太郎内閣の、冫費見引ぎ上げど同じ経路を・たどな ' だ , ろ ) つ。 円高に苦しむ日本経済が、需要増を伴わない消費財の価格高騰で、いっそう苦しむことにな その結果、税率を上げても税収は減る可能性がある。消費税収は増えたとしても、所得税や 213
て、米連邦準備〔制度〕理事会に追随し、実質ゼロ金利政策を復活させたものの、 資産購入を増やし量的金融緩和の観点でバランスシ 1 トを拡大し始めたのはようやく最近〔二 〇一二年〕になってからだ。 、欧州中央銀行 (æopa) 、イングランド銀行 ( 英中央銀行 ) は、二〇〇八ー〇九年 の金融危機の最中にバランスシ 1 ト拡大の方向に大胆に舵を切っている。しかし、日銀は主要 中銀〔中央銀行〕の中では唯一、そうした動きに同調しなかった。その結果が、円レートの急 上昇である。 済 経 日銀はその後遅ればせながら量的緩和に踏み出し、今年〔二〇一二年〕二月には消費者物価 本 日の前年比上昇率一 % という事実上のインフレ目標を導入した。遅きに失したとまでは言わない。 齬しかし、この程度で日本経済が二〇〇八年以降の円高で被った初期のダメージを修復できるか ち といえば、答えはノ 1 だ。他の主要中銀、何よりがより積極的な量的緩和を推し進めて 者 いることを考えれば、日銀の政策は不十分としか言いようかない。 学 済 資産バブルの発生リスクなど量的緩和の副作用をめぐる懸念があることは私も理解してい 経 才る。しかし、現実の問題として、が〔二〇一二年〕九月に発表した量的緩和第三弾〔 〕は実施期間について期限を設けないという極めてアグレッシプなものだ。円高の長期ト 章 ちゅ、っちょ 一一一レンドを逆行させようとするならば、日銀に躊躇している暇はないはすだ。 むろん、ゼロ金利下での金融政策の効果を疑問視する声があるのはうなすける。だが、主要
ネディを批判したこともある。私も同じ調子で、似たような表現を使った。 だが、その評論家は、私に対し内容証明と配達証明つきの文書を送ってきた。内容は「名誉 きそん を毀損するような言論を続けると、これ以上の手段に訴える」というもの。裁判とは明記して いなかったが、「これ以上の手段」とは、それしか考えられなかった。 名誉毀損専門の弁護士が防戦に努めてくれた結果、訴訟沙汰にはならなかったが、あのとき の「学問上の批判か裁判沙汰にまでなりかねないのかーという驚きは、 いまでも忘れられな 、 0 相手は友人であり、経済学者としても尊敬できる人物だったから、こうした反応 ( 反撃 ) が来るとは夢にも思わなかった。 これもやはり、日本的空気ゅ - えのことなのだろう。 周りに合わせる。和を乱さない。そして空気を読む。そうしなければ仲間に入れてもらえな い。メディアの世界も一緒だ。いくら正しいと思っても、周囲と比べて極端に思われるような 記事は避ける。そのために、独自取材よりも「お上」に頼る。その結果、権力と癒着する だが、問題は業界内の「和」などではないはずだ。ことに経済に関しては、日本の、その国 民の将来の生活かかかっているのである。空気を読ます、和を乱してでも、分が正しいと思 ったことを、 し、つ、きとき ( ・ ) ・、 : ・ - は、。っ・」一 ~ 一レ」い、つ必要がある 0 0 246
間違いなくいえるのは、日銀当座預金残高の増加は、鉱工業生産にはっきりと影響を及ばし ているとい、つことだ。 しかもこの研究では、量的緩和政策が株価の動きを通じて国民経済に影響を及ばしているこ とも明らかにされている。これは私の師ジェ 1 ムズ・トービンが主張した、「貨幣量の変化が 経済主体の資産選択を通じて国民経済に影響を与えていく効果」にほかならない。 「貨幣を増やせばテフは止まる、というのは、ゼロ金利下ですら、充分に正しい真理なので ある しかも、広義の買いオペ、つまり貨幣を増やすとき諸証券を買うとその効果が拡大すること は、のバーナンキ議長のにおける抵当裏付け証券に対する介入成果が証明してい る。 広義の「買いオペ」を「包括緩和」と名付けて、実施したのは日本のほうが早い、というの が日銀の自慢だが、その規模はあまりに小さいものだった。そのため、物価、円レ 1 ト、そし て株価には、ほとんど効果が及ばなかったのである
そういう人たちが、必ずしも正しい経済学に沿った政策を信奉しているわけではない。現在 の経、、 , クス土済学の強い影響下にあった学生に正しい経済諞理を植 、ん寸け・らオカオ・本に、もあ一ると = = 恥 再度、医学にたとえてみよう。他の国では、さまざまな動物実験や臨床実験が重ねられ、そ の結果として多くのことが判明している。それにしたがって治療法、すなわち政策が決められ るのだ。 しかし日本では、古し矢識。、 、日、こ凝り固まっている医者が、最新の研究結果をまったく利用しょ 策うとせすに治療法を決めている。そして、「金利が下がると日本銀行が不利になる」、あるいは 済「税金が下がると財務省の権限が少なくなるーなどという不純な思惑のもと、中央銀行や経済 の 官庁の利害によって、経済学者が何世紀もかけて積み上げてきた経済政策の論理が歪められて め たしまっているのだ。 の 省 そんな誤った学問の、政治の内容を変えていくために、私たちの先輩、学者たちは真剣に学 務 財び、研究してきた。 AJ 銀我々は、経済学の二〇〇年あまりの歴史の積み重ねを無駄にしないために、日本だけで迷信 日 に近い学説がはびこらないように、そして何より国民の生活のために、精一杯努力しなければ 章 いけないのだ。 第 ゆが 8
ったとされているが、その規模は極めて小さかった。その結果、日本の貨幣供給量はほとんど 増えなかった。 それまで金融政策を緊縮的に行っていた日銀は、「わが国ではサププライム危機は起こらな かったーと自したものだ。たしかに、そこまでは正しかった。だが、 そのあとが最悪だっ 変動相場制下では、一国の金融拡張は当国の為替レートを切り下げ、貿易相手国の為替レに トを切り上げる。自国の金融拡張は通常、他国の景気を悪化ぎぜなのだ。 諸先進国のリ 1 マン・ショックに対応した金融拡張により、対応しなかった円の実質実効為 替レートは切グ上げられ、輸出産業の競争条件、そのハードルはきわめて高くなってしまっ 日本国内で金融危機は起こらなかったが、世界の為替市場は直結している。そのために、諸 先進の釜融拡張の衝撃が、円の独歩高というかたちで日本を直撃したのである。 これは、日銀が金融を緩めれば防げたものだ。だが、第一章の図表 2 が示すように、バラノ スシートの拡大を見ても、日銀の対応はまったく不充分であった。金融政策では保守的な欧州 中央銀行 (æon) にも及ばない緊縮の度合いであった。 その結果、第二章で触れたとおり、日本の鉱工業生産はリ 1 マン・ショック以降激減するこ とになった。鉱工業生産変化率で測ると、日本はリーマン・ショックの震源地ではなかったの 2 ラ 0
アメリカの有名教授たちが語る日本の不思議 生産性の向上で円高に太刀打ちできるか ジョルゲンソン教授の直言 日本の実質失業率は一三パーセントにも 経済学の天才たちの日本経済批判 経団連や同友会はなせ黙っているのか 為替介入で生じる財務省の利権とはち 日米の記者の経済原則理解の水準 若者にインセンテイプを与えなかった結果 第四章それでも経済学は日本を救う 「バカの壁」をつくる日本の大学 法学部のあと経済学部に移った理由 国際的だったかっての東大 巨人ト 1 ビン先生の教え 白川日銀総裁の直言 132 リ 4 128 108