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検索対象: 長谷川伸全集〈第10巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第10巻〉

でいる、有難う。 る。は 2 の「罐詰と米兵」に出ている T2 である。医師 は二つの大きくない風呂敷包みをもって、 rn を訪ね、これ 4 憎まれ者 を預ってくれまいかといった。つまりアメリカ兵は見付け なかったが、コジ付ければ医師を投獄するに足る証拠とな 前に出ている医師とは別な医師の医院を、或る日の朝、るかも知れない、アメリカ新薬の空ッばの容器各種や、新 アメリカ兵が三台のジープでやって来て家探しをやった。 薬に関するアメリカ印刷の文献記録の類などである。 はリき , つけた。 日本人の老通訳が医師にそっと教えた、あなたがアメリ 力の新薬を闇で買い入れ、患者につかったという嫌疑で、 こうやって証拠を押収しようとしているのです、おそらく 翌日、前にたびたび出ている、日比谷公園前の建物のう の屯所へ出頭を命ぜられるでしよう。老通訳はこれだちにある、の屯所へ出頭した医師の調べ役は、老通 けのことをいうのに、十回ちかくに分けて、医師とその訳がいう、飛んでもない日本人という男であった。 夫人に知らせた。 その飛んでもない日本人は、威嚇と悪罵とに長い時間を ゝナ、こっぴどく調べられるものを悩ましておいてから、 その日、アメリカ兵が押収していったのは、アメリカのカ冫 新薬に関係のない物ばかりであった、アメリカ兵が押収しさあ泥を吐け、薬を売ったヤツはどこの何者だと、調べに たい物は、医師のところにはないのである。 かかり、調べの中途から又も威嚇となり悪罵となり、芝居 アメリカ兵は出鱈目ではないかと思うほど、手当り次第でも映画でも見たことのない憎々しさを発揮し、さあ白状 のように書類を押収し、それから明朝十時にこういうとこしろ、薬を売ったヤツは捉まっているのだから隠したって ろへ出頭して、この紙片を出せと命じ、この命令に違背すムダだ、さあ、自白しろ、というかと思うと、ここに書く るときは、厳しい軍律によって処罰される、といって引きのを憚るような穢らわしい厭がらせを連発し、さあ一時間 揚げていった。例の老通訳は医師夫人に、明朝の出頭にの猶予をやるからよくよく考えてみろ、と今度は放ってお く。といっても窓も入口も閉めてあり、空つばのその一室 は留置されるつもりで来ること、運が悪いと飛んでもない 日本人の取り調べ役にブツかるから、相当に覚悟をして出にはこわれかけの椅子がある、それだけで、窓の下にはア 頭のことと、ロ早に告げていった。 メリカ兵が絶えず往来し、入り口の外には銃を抱いたアメ 医師のところからちょっと行くとという男の家があ リカ兵が二、三人いるらしい

2. 長谷川伸全集〈第10巻〉

きス 薬屋の主人は投獄され、横浜根岸の刑務所で三カ月の禁を、見るともなしに見た。 芻錮を課せられた。 さっきのアメリカ兵が果物と肉の罐詰を一つずつ、ロを 夜やってきて泣き声で哀訴した日本人の女は、この一件あけてもってきて、食べろ、お前は営養が足りないのだ、 に於ける唯一の証人で、アメリカ軍の下士官の同棲者で、 としい、 @が感謝して食べおわると、一緒にこいという。 男の帰国を促進するのに必要な、点数稼ぎを手伝ったので連れて行かれた先はアメリカ軍のものが事務を執っている ある。 ところで、例の兵隊はに代って、この人は営養が足りな これは、という医者の話である。 いので労務に適さないから除外するがいしか、といってい るらしかった。直ちに、よろしい、となり、募集公示にあ 2 罐詰と米兵 った日当の三分の一の金がに支払われた。 そこへ二人の日本の男がアメリカ兵につれてこられ、事 次のことはという夭折した作家に絡まる話で、話の中務を執っている中での上席のものらしいアメリカ兵が、大 に出る T というのは、私のよく知っている人である。 声でいった。盗賊に日給を払う習慣がアメリカにはない、 戦後、作家として必要な条件だというので、いろいろのと同時に、お前たちを強制労働にやって、食い物をあてが 経験を進んでやったは、芝浦の素人仲仕の募集に応じうほど薄ノロではない、さあ行ってしまえ、自分の国の国 た。仕事はアメリカ貨物船の荷扱いである。は就業三時旗を侮辱する悪徒どもめが、と。 かか 間でヘタ張った。今まで短い棍棒をもって、早くしろ、怠 このがやがて病いに罹り、次第にわるくなるばかり けるな、と怒鳴ったり威嚇していたアメリカ兵の一人が、 で、収入の途が絶え、子は多し、貯えの金はなし、となっ きよきん へタ張ったを見ると飛んできて岸壁へつれ出し、有りあたとき、彼の友人たちが醵金して月々の生活費を送った。 わせのシートの上に坐らせ、待っていろ飲み物をもってき このことを彼の家の近所の人たちが知って、はじめは信じ てやると、どこかへ飛んでいった。その間には、貨物船なかった。他人の家の板塀を剥ぎとって、薪の代りに焚く の後甲板で、朝から一緒であった名も知らない仲間が二のだろう、盗んでいったヤツがあるとか、或る役所みたい 人、どこで手に入れたか罐詰を三つ四つと、次々にあけてなところの窓口では、巻煙草が五、六本のこっている箱に 食べているそこへ、一人のアメリカ兵が現れて、食べかけ金を入れて、吸いませんかと渡さないと、ワザと手間どっ の罐詰を海へ叩きこみ、どこかへ二人をひっ張って行くのて、二時間でも三時間でも待たせておくとか、郵便局でも ようせつ しろうと から たくわ

3. 長谷川伸全集〈第10巻〉

いうことである、しかもそれが毎度であるという。これは一機が、シナに着陸した。そこは上海にいる沢田茂 ( 中将 ) 安房八郎が法務少佐から聞き、私は八郎から聞いたことで軍司令官の部下が配置されていたところで、着陸機の乗員 ある。 は忽ち生け捕られ、やがて死に処された。当時、沢田将軍 指示をうけたときは教わったと思うだろうが、叱られた は出動していて上海にいなかった。 のに教わったと田 5 うということは、実にこれは〃大いなる 日本が降服してからのこと、沢田将軍は上海で拘禁さ こと〃である。 れ、きのうの敵の手で裁判されることになった。罪に問わ そうしてみると、私のおやじなるものは、失敗の履歴をれたものは沢田だけでなく、部下の多数が同時に、又は前 積みかさねて亡くなった人なのだが、国府台の兵隊屋敷後して捕えられ獄につながれた。 で、おい今まで見てきたのとは違うえらさだから、よッく沢田を審理する上海の軍事裁判は、アメリカの大佐六名 見ておけよと、私にいったところで見ると、まんざらでな から成る判士団で、検事はアメリカの花形検事といわれる かった人であったらしい ものと、それよりは少し級が下だといわれる検事と、併せ 畑さんの男つぶりばかりに、感歎していた徳さんは、やて両名である。弁護人はアメリカ人と日本人と、双方から つばり遊廓でおまンまを食べていた人らしいところがあ出たが、事実の上では、アメリカの弁護人が主力で、日本 る。この人の消息を知らざること五十余年になる。 人の弁護人はその補佐を任務としたように見受けられたと し、つ 4 五人の判士 この軍事裁判がひらかれる以前に、六名の判士のうちの 一人が、上海の英字新聞の記者に、サワダが絞首刑に処さ これから書くこれは、他日だれかが、これよりもっと正れることはいうまでもないと語った、それが記事になって の へきとう 爐確に、もっと詳細に、彼我の双方にまたがって公明正大出た。公判第一日の劈頭にアメリカ人弁護人が、この問題 許に、書くことを望む、ということを、前提とするメモ同然を提起して、その大佐の忌避を申請した。五人の判士がこ 足 のものである。 れを認めたので、六名中一名を欠き、これから後ずっと五 我昭和の大戦の末期にアメリカの空軍が、名古屋市を空襲名の判士だけで裁判をすすめることになった。 し、小学校の上空で低く飛び、機銃掃射をやって、多くの法廷に起った沢田は、「捕虜 ( アメリカ空軍機の乗員 ) を、 子供を死傷させたことがある。そのアメリカ空軍のうちの死刑に行わせたものは私である、私以外のだれもあの場

4. 長谷川伸全集〈第10巻〉

この一時間を、老通訳のいう飛んでもない日本人は、ど東京街道に違いないといった。運転手が、東京の中は詳し こかへ姿を消した。。 とうやらこの時間は、彼にとって休養いが、その外はダメという人物、おまけに免許状などは持 の時間であるらしい っていない代り、運転も修理も一人前以上の若い男だけ このテで医師は、二日一晩、いじめられたが、新薬をに、 舗装道路を思いっきり突っ走った。 つかった証拠がないのだから、釈放されて帰宅した。 そのうちに二台のジープが、行く手を遮断しかけている 1 の「女の哀訴」の女は、同棲しているアメリカ兵のたのに気がっき、あれは怪しいアメリカ兵ではないか、あい め、点取り稼ぎに芝居を打 0 て、薬屋の主人を入獄させたつらに。 0 て受け取 0 てきたばかりの下げ金 ( 工事受け取り が、この調べ役の日本人は月給に忠実なのか、上役のアメ金 ) 十八万五千円を奪われてなるものか、運転手フッ飛ば リカ人の気に入る、役に立つ者でありたいためか、嫌疑をせ、左の方にいい 道路があるぞといった。 受けた日本人をびしびし悩ました、ということである。彼すると、行く手の横から、五、六台のジープが飛び出し が入獄させるのに成功した数はどのくらいあったか、知るてきて、一番早く近づいた一台が、の車の正面の方から を得ない、知りたくもない。 一文字にやって来てブッ付けた。の車はこわれて停止し た。乗っていた二人に怪我はない。ブッ付け方が熟練して いたらしい 5 ナイフ投げ アメリカ兵と将校が急に大勢あらわれ、は二人の大き 終戦後、アメリカ軍が必要で、日本人の土木業者を各地なアメリカ兵に左右から腕を捉えられ、アメリカ風にロー で起用した、その中にという怖いもの知らすの下請の親プで縛られ、或る建物の中につれ込まれ、やがて広い一室 亠刀、がい宀に に入れられた。そこには椅子どころか、何一つない。 の 爐神奈川県の何とかというところから、古いフォードで、 は出入口と窓とに遠いところへつれて行かれ、壁を背 許東京へ帰るのに、成るべく、 しい道をゆけと運転手にいっ にして立っていろと、手真似で命じられた。武装したアメ 足 乱世の形相を露骨にみせているときだけに、 都会以外リカ兵は出口に一人いるだけ、丸腰のアメリカ兵は五人い 我の道路でも、修理をながらくしていないので、大変な悪道るが、の監視を命ぜられたのは二人で、あとの三人は弥 次馬らしい。彼らは絶えず喋っていたが、にはわからな 路になっていた。 はやがて舗装道路のすばらしいのを見付け、この道は おい、日本語のわかる人をつれて来いよと、がい

5. 長谷川伸全集〈第10巻〉

338 うと、今度は先方さんがわからず、何だと聞き返すのが、 ったら、その名をいえ、と。はすぐ答えた、おれのこと 何のことやらにはわからない。 はアメリカ軍の土木の仕事をやっている新田新作兄キが知 そのうちに大尉らしい将校が、日本人の通訳をつれてやっている、と。将校は通訳をつれて行ってしまった。あと って来た。はこのときまで、悪いことはしていないと思 は二人のアメリカ兵が監視し、見物の弥次馬が入れ代わり おび っているので、些かの怯えもなかった。 立ちかわりやって来る。監視兵はを板壁のところへ連れ なぐ 通訳を介して調べる将校のいうことから、は気がつい てゆき、直立させておいて、蹴ると見せてやめ、殴ると見 た、こいつは大変だ、事によると、おれの命はきよう限りせてやめなどして喜んだが、それは少しの間だけのこと になるそと。ここをフッ飛ばせと運転手にいった舗装道路で、が怒ってしまい、監視兵が何を命じても、胸を張っ は道路でなく、アメリカ軍の航空基地の滑走路であった。 て応じなくなった。 あちらさんはいう、この男は標識を無視し、制止の声を監視兵の一人がナイフを五、六梃もってきて、を板壁 聞かず、警告のため空に向けてうった小銃の音をものともの前に立たせ、肩・腕・腿・頭などとスレスレに、ナイフ せず、滑走路を飛ばしてゆくので、実力で車をこわし、運を投げて板壁に突き立たした。がビグともしないので、 転不能にしたのである。の方からいうと、フッ飛ばせ、 今度はうしろ向きに立たせて、ナイフ投げをやった、は それそれと、運転手を励ましていた最中なので、標識も制やはりビクともしない。 止も警告も知ってはいない。 新田の奔走で土木関係のアメリカの中佐が、電話での 通訳が教えてくれた。運転手には問題はないらしいが、 保証をしたので、釈放となったが、一時間の後に、車を元 お気の毒だがあなたにはスパイの嫌疑が強くかかって いより良く改造してくれた上に、煙草とケーキをくれた。さ る、も一つの嫌疑はアメリカに対する侮辱、或いは対アメあ出発となった。 リカの何かしらの陰謀である。スパイ嫌疑が明らかにうち ところへ先刻のナイフ投げの兵が駈け足でやってきて日 消されないと銃殺刑かも知れない、あとの方の嫌疑だけな く、お前は度胸がいいなあ、おれがナイフ投げで名のある れば、沖繩へやられ、強制労働をさせられるだけだろう、 芸人だなンて知らないだろうに。 と。 将校が尋ねた、お前がもっとも尊敬し信頼している日本 人で、アメリカ軍と何かの縁故を現にもっているものがあ

6. 長谷川伸全集〈第10巻〉

ある、それは知っているが、見も知らない女の泣き声に負 てごわ けて、売りなど出来るものではないと、店員は手強く、そ ういう新薬の手持ちがございません、という一点張りで断 っこ 0 そこへ主人が出てきて、女の哀訴を聞き、判断に迷って いたが、とうとう決心して、その女にペニシリンを売っ た。闇値で買ったのだから闇値で売った。女は喜んで帰っ て行った。 女の哀訴 てつかぶと ところが、数日たっと白い鉄甲をかぶり、の腕章を 終戦後の夜のことである。日本橋の薬屋の表の戸を、世つけたアメリカ軍の憲兵が数人、ジープを薬屋に乗りつ ししろいろな 間を憚るようにして叩くものがある。店員が顔を出すと、 け、家宅捜索をやり、証拠品という名の下こ、、 おうしゅう 三十にはまだまだという年ごろの女で、その頃のことだか物を押収し、主人はイヤ応なしに連れてゆかれ、日比谷公 がくや ら身につけているものは粗末だし、頭髪もただ東ねてなで園前の建物 ( 旧美松百貨店 ) と帝劇の旧楽屋と二カ所で、ど つけただけ、とみえたという。女はわたくしを助けると思ちらも手軽い調べをうけ、すぐまたジープで横浜へ護送さ って、ペニシリンというアメリカの薬をどうか売ってくだれた。 さい、その薬があれば、わたくしの夫の命が助かるとお医横浜にはアメリカ軍の軍事裁判所があって、着くとすぐ 者さまがいいましたと、涙声になっていったが、店員は断法廷へつれこまれ、前にいる日本人が判決らしい申しわた っ ) 0 。 オへニシリンはそのとき、占領軍の主力であるアメリ しを受けると、薬屋の主人が入れかわって、アメリカ軍将 の 爐カ軍では盛んにつかっているそうだが、日本人にはつかわ校の判士の前に起たせられた。検事はアメリカの専門家ら 許せない、どんな症状にある患者にでもである。しかも、こしく、通訳は日本語と日本の知識にひどく欠けているアメ 足 リカの若い将校がした。弁護人がいたやらいなかったやら の新薬取り締まりは極めて厳重で、日本人で売買したもの 我は検挙され投獄される、ということであった。 薬屋の主人は記憶していない、たぶん、いることはいた 女は哀訴し歎願した、店員は困ってしまった、同情はすが、ログに発言もしなかったので、印象にのこらなかった る、そのとき、この店が闇で買いこんだペニシリンが三本のだろう。 第十九話その時の米兵 た

7. 長谷川伸全集〈第10巻〉

不幸なことには亡くなった。 ら日本人の典獄が日本人の職員を指揮している横浜根岸の 刑務所へ護送され、服役第一日にはいった、ということが わかった。夫人たちは根岸の刑務所にゆき、典獄や看守長 3 赦免状 に会って様子を聞いただけで、それ以上のことは何も出来 町の医者で信望のある ( 勿論、前のとは別人 ) が、往なかった。 と、有名な百貨店の社長 ( 会長か ) で、アメリカの大学を 診に出かけるところを、アメリカ兵に取り囲まれ、ジープ に乗せられて、日比谷の建物 ( 旧美松 ) へつれて行かれ、そ出た人がある。その人の同窓の友が幾人も、軍人で或いは こで氏名年齢とか、職業とかを確認のための短い質問があ軍属で日本にきている、その中に、マッカーサー最高指揮 しもんきかん っただけで、横浜へ護送された。 官の諮問機関の一員で、前職が弁護士であった人がある。 らっち @医師の夫人は人の知らせで、主人がアメリカ兵に拉致弁護士といっても一般的に考えられるそれではなく、既決 えんざい されたことを知って、非常におどろいたところへ、警察の囚で、寃罪を訴えるものの中から、十分なる調査をして、 ものがこっそり訪れて、医師は禁止されている新薬を手これは寃罪だと或る確信が掴めると、雪寃に乗り出し、一 セント に入れ、治療につかったという証拠をアメリカ側が押え、 仙の報酬もとらず、あらゆる支出を負担して、証拠と証人 そのために逮捕され、身柄は日比谷公園前のこういうとこを探し出し、法に訴えて事実と論理の両方から、雪寃を目 ろに持ってゆかれ、今夜はたぶん、そこに留置だろうと教ざして働く、という弁護士である。勿論、獄中から寃罪を えた。 うったえてくる囚人の中には、多くの嘘吐きや精神病的な しかし、夫人と付き添いのものが、教えられたところへものがいる、がしかし、そのために本当の寃罪者が振り棄 駈けつけたときは、医師はもういなかった。日本人の若てられてはならないので、本物とニセ物の検定には、念を くない通訳が、気の毒そうに教えてくれたのは、ここにい 入れ、又も念を入れるというやり方であるという。 ほんちょう たのは約三十分だけで、横浜市本町のこういう建物の中に この弁護士が前職であった人の夫人は、マッカーサー夫 いるはず、とい、つことである。 人に最も近い女性だとか。 夫人と付き添いの人たちは、すぐ横浜へ急ぎ、教えられ或る日、百貨店の社長夫妻と元弁護士夫妻とが、茶の会 た建物にいって聞きあわすと、医師は既に審問も求刑も判で一緒になり、そのあとで二人は大学生の昔にもどり、懐 決もすみ、体刑三カ月の既決囚として、アメリカ軍の側か旧談から世間話となったとき、前にいった@医師のことが

8. 長谷川伸全集〈第10巻〉

も出さギ」りき。 よって曲直を明かにする風ありという、彼の三人と拳闘に よって黒白を争いたしと。彼の三人なる者の氏名を知れり やと問われ、その名を告げたるに、来る何日の何時に山形 唐人お吉出生地 駅前広場に来れとい 学生その日時に指定の場所に至りしにのジープ何台 愛知県知多郡内海町鷲津、西岸寺の門前で″唐人お吉〃 か来り、その一車より彼の三人出で来る。やがて立会 は生れたという考証を同地、東邦商業学校長尾崎氏が発にて、彼は拳闘此方は柔道にて一人対一人にて勝敗を争 表、三月二十七日 ( 昭和二十三年 ) お吉の六十周忌が同地に 一名を倒し又一名を倒し、最後の一名はチト手ごわか 行われ、〃お吉道中〃なるものありし由。 りしがこれ又倒し乗しかかって一拳をくれんとせしに、 〃お吉道中〃とは娘が島田黒紋付裾模様で朱塗りの駕籠にの一人その手を押え、おんみ勝ちたり勝ちたりといい、 のりてゆく玉泉寺通い ( 下田から柿崎の ) に擬したるもので、その他も喝采す。彼の三名はジープにのこのこと乗りて去 このときのお吉の役は、豊浜町中須の宮本たま ) にしれり。 かごや て、他に、付添い、侍、駕丁等行列をつくりてねり歩きた この勝敗を見たるはのみならず、その附近の日本人 るそうなり。 ( 昭和二十三年 ) 多く見たり。 この話を伝えしものは学生に中心を置きたるが、我らは むしろ、アメリカのその扱い方に中心を置き、大いに反省 米国人の武士道 ( 山形師範学生と三人の米兵 ) すべきなり。近事の日本人がもしこの場合のアメリカなり しとき、果してかくの如く扱うことを為し得たりや否や。 山形師範の学生某、アメリカ兵三名に侮辱さる ( 如何な ( 山岸金之助氏談・昭和二十一年三月十八日来訪 ) 抄る程度なるかは知らず ) 。学生大に憤り、意を決して進駐軍司 眼令部に至りて日く、われは敗戦日本国民なれどかくかくの ラバウルの刑死者 私侮辱を受けたり、敗戦国民はこの恥辱をも甘んじて受けて おるべきなりや教示を乞うと。 又日く、聞くならくアメリカにてはかかる場合、拳闘に ラ・ハウルにて戦犯にて囚われしもの七百人あり : 、 ( 昭和二十三年五月 )

9. 長谷川伸全集〈第10巻〉

剛 でも言文一致でも、自由自在である。だから巻き紙を左手 本こそは、わが永住の地である、欠点も他にあるだろう、 しかし、この優れたるものを失っていないというのは、偉にもち、右手の筆で、さらさらと手紙を書いて、画を誤ら 大なことである、私は永住の地を日本とし、生涯を共にすず脱字もない、とこれは前いった私の横浜時代に聞いた話 である。 る女性は日本人のうちから迎える」と。 息子さんのプリングリーさんが、終戦の直後、海軍の制 明治四年 ( 一八七一年 ) に海軍砲術学校の教頭に就任し、 五カ年在職、その間に日本文の「語学独案内』という、英服を着用し、東京のイギリス代表部に勤務しているとき、 語独学者のための名著を出している。工部大学の数学教授アメリカ側が翻訳した日本文の誤訳のため、一人の日本人 に転じ、それから後に、横浜のジャパン・メールを譲りうが死の座に送りこまれかねないことになった、これを発見 け、社主兼主筆で論陣を張った。私などその時代からはずしたプリングリーさんが、その誤訳を指摘したことから、 うッと後期にあたる明治三十六年 ( 一九〇三年 ) ごろ、臨時アメリカ側のキーナン検事長が激怒して、イギリス代表部 雇いでジャパン・メールの対抗紙ジャパン・ガゼット紙に喧嘩腰でくってかかった。そのときプリングリーさん が、自分の国の代表部の長に提案したのは、英米二カ国か で、警察廻りをやっているころ、キャプテン・プリングリ ーの名は大きな存在であった。 ら、日本文を英文に翻訳して誤りなきもの、並に英文を日 「桜陰回想録』 ( 弘岡幸作・昭和三年刊 ) によると、プリング本文に翻訳して誤りなきものを出場させ、両国代表者の司 リーは東洋美術のうち、特に陶器の鑑識にかけては屈指の会と審査によって、英米いずれが優秀なるか、競技をやろ 大家で、著書も多い、とある。「明治史話』ではプリンクう、その結果、誤訳がありがちなるものと、誤訳なきもの ーの著述のうちで特筆すべきものは、『大英百科辞典』との差が証明される、ということである。イギリス側はそ の場合、選手はただ一人のプリンクリーでよろしい、アメ の日本に関する記事と、三省堂から出た「和英大辞典』 それから表面は菊池大麓と共著になっている英文「日本歴リカ側は何人でもよろしく、日系アメリカ人も、沖繩その 史』で、そのうち「和英大辞典』は、それまで非常に売れ他からの出場にも同意する、というのである。 ていたへポンの「和英語林集成』を上廻って、世に歓迎さ この提案は非公式にだろう、キーナン検事長のところ れたという。 に、とにかく、届いたので、彼は又も怒って部下を督励し キャプテン・プリングリーは和服の着こなしなど、うまて指摘された誤訳についての調査と、米英対抗の翻訳競技 いもので、日本文字を毛筆で美しく早く書く、勿論、候文の力量予測とをやらせた、その結果、アメリカ側の翻訳カ

10. 長谷川伸全集〈第10巻〉

はだれとも知らぬ男から、夜、ある街の横丁で何万円 銀行でも窓口で、つかいかけた万年筆を手からはなしたら 、 , フようなことが、到るところで何 だかでその薬を買って、の夫人に渡し、万が一、アメリ なくなると思えとかし にも付いて廻っていたころであるから、他人が生活費をくカ側か、アメリカ側の要請で日本の警察かが、薬のことで れるなどとは、思いもよらないことであったのだろう。と調べにきたら、こういうのですよと教えたのは、妻が夫の ために禁制を犯したといえば、罪にならないそうだから、 ころが、本当のことだとわかると、今どき珍しいとだけ思 った人もあり、そういう人たちがいるところでみると、日薬は往来の隅ッこで注文し、約東の日に再び往来の隅ッこ 本は思いのほか早く立ち直ると思うといった人もあったとで金と引き換えに薬を受けとった、その新薬については、 日本の雑誌と新聞に記事が出ていたので、夫が病弱なので c-@ の診療は或る医大の教授が、縁故があったところから特に記憶していた、金は貯金から払ったといえばいい。そ やってくれていたが、この病状は、日本の現在ではどうすれから薬のカラは土中深く理めること、大や猫に掘られな ア いため、一つには水道管の掘り出し泥棒が掘り返さないた 、しかし出来ない相談だが、 ることも出来ない、といし メリカの新薬 ( 何とかいう名称をいって ) があったら、事によめ、出来れば縁の下に埋めてもらいたい、とこういった。 イヤ、もう一つ、最後のことを今のうちにいっておく。薬 ると起死回生となるかも知れないが、その新薬はペニシリ ン同様、というより、以上に入手が困難で、東京の有名な代は貯金で払ったといっても、相手が承知せず、意地わる 病院ですら使用できないでいる、その上に、ペニシリンとく問い詰められ、どうにもならなくなったそのときは、 は桁違いに高価であるから、敗戦国のこの貧しさでは、だに薬を買うためと打ち明けて金をもらったといってよろし れにもどうにもならない、といった。 いと付け加えた。 1 三い がそのころの金で何万円だか出したと、薄々ながら気 これを聞いたなる人が知りあいの医師のに、こうい の 爐う新薬を手に入れたいがと、こっそり相談した。医師がついたの友人たちが、を訪ね、あの薬の金にわれわ は、それは危険すぎることだから思い止まったらといったれの金も加えてもらいたいといったが、は断った。運わ 許 るくアメリカさんに捕えられたとき、罰せられるのは一人 がは肯かない。医師はそれでも思い止まれといったが、 我は肯かない。それでは薬をもっている男を見つけるかで沢山だというのである。 3 ら、街の横丁かなんかで夜、その男に会ってくれ、値は会幸いにしてアメリカさんの知るところとならず、 T2 は無 事であった。 う前に聞いて知らせるということになった。