麩屋町通 古きよき時代の京都の面影が色濃く残る味 ふやちょうどおり スタート 北は丸太町通から南は五条通まで、全長約 とみのこうじ 2 ・ 3 の屋町通。平安京では富小路に該 当し、貴族の邸宅が立ち並んでいた通りであ ったが、応仁・文明の乱の戦火で荒廃した。 1 5 9 0 天正年 ( ) 秀吉の京都大改造で通 たりは再生。豆腐屋・麩屋・麺類の店が多かっ のたことからこの名が付いたと貞享 2 年 ( 16 屋 85 ) 刊行の『京羽ニ重』に記されている。 まるたまち 地下鉄①丸太町駅で下車し、京都地裁前の太識 たけうちしきぶ 町歩道を東へ数分歩くと見えるのが②竹内式部 ぐうきょあと 寓居跡の石標。ここから右へ折れる道が麩屋 く町通だ。竹屋町から夷川通が交差するエリア 烏市 数は閑静な住宅街が続く。夷川を越えて、しば だいふくじ 鉄ら らく進むと右側に佇むのが 3 大福寺推古天下か 皇の時代に大和国で建立し、室町時代の初めら五 か町 着に京都に移った寺だ。さらに進んで、一一条通駅原 を越えると、洒落た料理店やブティックなど京 らが増えてくる。 京押小路通を渡ると左側に見えるのが、④白行 古きよき時代の京都の面影が色濃く残る御所南の通りを歩く 所要時間 約 2 時間 約 55 分 歩行時間 離 0 1 丸太町駅 歩・ 2 竹内式部寓居跡 8 河原町五条バス停 3 大福寺 4 白山神社 6 革島家住宅 7 北向不動寺 5 湯波半老舗 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 315 315 すぐ 515 21 大人の遠足 BOOK
く本能寺址の碑。同じ場 所に再建するはずだった が秀吉の命で現在の寺町 御池に変更された 南寺跡 △河原町界隈とはまた違った雰囲 気。比較的小ちんまりとした、だ がお洒落な食堂・レストラン・喫 茶の店が点在する 過きたあたりから、両側には新しいビルが並 び、洒落たバティスリーやレストランも多い。 一一室町通を過ぎた右手に 3 南蛮寺跡碑がある。 」、キリスト教の宣教師がこの地に教会を建てる ことを許したのは織田信長だった。この通り 条ス印 は、信長の時代へと思いを馳せることができ る通りでもあるのだ。烏丸から新町通にかけ 名ほ らたを かき姿 ては祇園祭の鉾町道幅も狭くなり、所々に 心 名でで のも年 溏外昔ながらの京町家が残り、京情緒を醸してい ス名ⅱ ウ町か Ⅲる。そんな町家の一軒を改築したのが西洞院 ゼうす ト E 。しわ コの 一は蕃】碑と、たノね 通に面したキッチン雑貨 occo oco の町がっカ、 跡臼たまチ 寺大っしン E ・ー レ O 蛮ただて 南つどしフ とほ消 川通にさしかかると、本能寺小学校跡地第 の角に④本能寺址の小さな碑がひっそりと立 通堂井 つ。当時の本能寺は東西約 150 E 、南北約 創薬央 300 E という大寺だったが、明智光秀に攻 堂東、 められ、信長は自害。本能寺も焼失した。さ くうやどう 風幵都六引 らに少し歩いた堀川蛸薬師の東には⑤空也堂 新 . 一ュみ 8 地・烏丸 ( 光勝寺 ) がある。鉦や太鼓をたたいて布教し、 京都 0 条 〃市の聖。と呼ばれた空也上人の創建で、上都 人の像を安置する。 条ル ョテ 大きな堀川通を渡ると、猪熊通のあたりか ア一 、 , 新をらも町家が点在。黒門通を過きたところに延 ) 創空や 命地蔵尊など地域の人がお守りする小さな地 勝のの」る 光人肥、れ 蔵さんも見られ、人々の生活の匂いが立ち込 堂月は行 - 也 1 にが めている。このあたりを抜ければゴールの⑥ " 贏空空。忌茶 A は建也献 みぷ交通局前バス停はすぐそばだ。 なんばんじ デ ⅱン 川端御 : 錦市塚
0 ン 25 《 一寺之内通 西陣界隈を繋ぐ横糸、寺之内通 てらのうちどおり △秀吉縁の都市計画の通り。その名にふさわしく寺院が立ち並ぶ で橋千が西 亠 . だヤはら花が通 。ガ少くがあに① . 院に臣あ跡本寺は 寺福機 がよ秀つの通之廬 通寺しの チなす置る入乾 ・多る吉た礎か内山 ヤくるか。る隆 の通音 い京で所石ら通寺 ガなとれ斜と校 上にが : の都あ。は烏と通 立を一ぶ チっ機、めす前 ・が市る荒か丸呼 ヤた織清向ぐバ 売言っく : 特街。廃つ通ば東 がの々かにス かな 徴改寺してまれは と、音しい池停 寺るつ 造之た応でる烏 之。て い通がいの大で 。が丸 後内こ仁 内大く うり聞。木雅降 規にこ寺造のり で通ののコ、通 通黒る 、が地乱ー紹に 則もえ之家墓 間町と そ開をのス介至 正れて内屋でそ はを の通再ー中する 、南石 してく通の有こ 名し興番ほる約 いくるに玄名か か北 のたしのどコ 2 音る。入関なら つにの とのた激の一 は最り口浄寺 て貫続 おはの戦百どス 2 健ガ近しに光之 はくく ア浄② り秀が地々どは km 在チでばは寺内 行き京都駅から市バス 206 系統で約 40 分、乾隆校前下車 帰り今出川駅から地下鉄烏丸線で 10 分、京都駅下車。 けんりゅうこうまえ 所要時間 約 1 時間 20 分 約 40 分 歩行時間 歩行距離 約 1 .9km / 約 3800 歩 スタート ル 2 浄福寺通 3 松翠閣 4 妙蓮寺 5 百々橋跡 6 今出川駅 徒 歩 徒 歩 歩 歩 徒 歩 105 5 大人の遠足 BOOK 84
お莎一 4 町柳駅 方・」財局 科院 町八術 地局都務 ス賀 - 【、・、美 医病 行店 = げ 一不 」〕 ( 叡当言 社Ⅱ〕土町新 〔原出」寺ー . 1 ー廬通 〒村「 , ーをロ」鷓」 p 景都讐 光徳寺 心 1 〇小 , 、一印・都所 " 京一如通 E ー木研に林価 藤柳 “清 都物 冂凵冂凵凵 みくさ 寺町通 石薬師御門・ 寺町通 ~ スマート珈琲店 すまーとこ一ひーてん 昭和 7 年創業の喫茶店。毎朝自家焙煎 した豆を使うオリジナルプレンドコ 1 ヒーは 3 8 0 円。お昼のみ 2 階のレス トランでエビフライ、クリームコロッ ケなど 8 品から 2 品を選べるスマート ランチ 980 円が味わえる。 3 京都御苑 D A T A 合 075-231-6547 、 8 ~ 19 時 ( ランチは 11 時 ~ 14 時 30 分 ) 、 無休 太閤秀吉が造った寺町は芸術と文学の香り漂う大人の散歩道 ~ 寺町御門・ 食通の作家、池波正太郎がエッセイ「む かしの味」で絶賛した名物の「好事福盧」 470 円は、大き目の紀州ミカンを使 ったゼリ 1 菓子。毎年Ⅱ月から 3 月まで 万の期間限定商品で、期間を過ぎてから は写真のオレンジゼリーを販売。 むらかみかいしんとう D A T A 075-231-1058 、 10 ~ 18 時 日曜、祝日、第 3 月曜定休 亀屋良永 な焼味で店天 甘きに丹。保 味目醤念朝 3 とを油に池年 ロつを焼 ~. 中け使き のたつ上 ほ麩たげは ど焼蜜た江 , けせを煎州創 Ⅷト物具ん塗餅産業 合べりにのの はい、砂も歴 秀。亀糖ち史 逸ほ甲と米あ 。の型隠のる かのし粉名 D A T A 谷 075-231-7850 、 8 ~ 18 時。 日曜、第 1 ・ 3 水曜定休
本書の使い方 本書のご利用にあたって 本書は、こだわりの「歩き」を楽しむための案内書です。 50 のルートを紹介しており、 ①従来の観光地巡りでは見られなかった京の町並みの雰囲気が楽しめる ②歩道がある、交通量が比較的少ないなどウォーキングに適している ③単に歩くだけでなく、寄り道スポットや老舗の名店がある の 3 つを基準に選びました。景観や歴史、みどころ、名物料理などさまざまな楽しみがあり ます。各情報を参考に、どこでも好きなコースから歩き始めてください。 工リア コースの所在地区名です。 アイコン コース内で記述した魅力や、快適に歩くため のアドバイスをアイコンで表示しています。 該当するものには色を付けています。 社寺歴史的に重要な社寺がある 史跡 . 歴史上名高い人物や事件ゆかりの場所 がある 老舗 . 創業 100 年以上の名店がある 味 . 名物料理や銘菓、その他おいしいものが 食べられる店がある 花 . 公園や社寺で花のみどころがある ( ただ し季節による ) 通りの説明 通り名の由来や歴史・総距離などを紹介しています。 所要時間 スタートからゴールまで、コースを一巡するのにかかる 目安の時間です。予定を立てる際の参考にしてください。 この時間には、歩行時間をはじめ、標準的な施設の見学 時間や休憩時間を含めています。これは個人差がありま すので、注意してください。 歩行時間 ポイント間を徒歩で移動している時間の合計です。ただ し、施設や公園の見学等での歩行は、この時間に含めて いません。 歩行距離 / 歩数 コースの歩行距離です。ただし、施設や公園内での歩行 は含めません。歩行距離に対する目安の歩数も掲載して います。施設等の見学やコース起点まで、終点からの歩 数は含めていません。歩数は男女差、個人差があるので、 あくまでも目安としてお使いください。本書では、平地 の場合の 1 畑で約 2000 歩を基準としています。 チャート コースの通過ポイントと移動距離を掲載しています。 ・ろーじを愛した人々 通りにゆかりの人物についてのコラム。散策する前に読 めば、なにげない店や石碑も趣深いものになります。 中京区 太闇吉が遣った寺町は 芸物と文学の書り漢う大人の数歩道 “ 3.5 ⅵル 7000 , ・町ーは北は馬ロ通から南は五条通までの 全長約 4 ・ 6 履。通りの原型は平安京の東端 を南北に走る東京極大路。天正浦年 ( 159 。 ) ・臣秀吉が着手した京都大改道で洛中の う寺院を移転させて、この通りの東に集めた ことから寺町の名が付いた。本コースでは今今 出川通から四条通までを歩く。 市バス・オ躡バス停を下車して西 へ歩くと、化第品店の前に「南かう堂れ丁、 三条大橋十七丁」と刻まれた石標が立っ・表で 示に従い、南へ今出川通を権断すれば寺町通 の旅の始ま 2 静寂に包まれた道をしはらく 行けは紫式部ゆかり・■此寺に到着する・昭 鰍和 3 年・この地に紫式部の邸宅があったこと が判明・紫式部はこの場所で育ち、「源氏物ら - 語一も執筆していたという。ちなみに飜和の - 段に出てくる「平安京東郊中河の地」とは、京 ? 向寺がある場所のこと。道をむように西第。ル には ・製神社公家の三条実第と実美父子 てらまちとおり 約 1 10 分 スタート 。行寺 - 堂 ) 回原町今出ー 徒 歩 徒 歩 徒 製本神社 請門 徒 歩 徒 歩 徒 歩 本薩当 徒 歩 河原町ハス等一 り旧 ーバス第 第ツ誉 大人の直星編、 ) K 14 ~ 一層・見 ( いると、まるで美術館で芸術品を第賞し ているような錯寬に第る。 市役所横をすり抜け、広い御池通を横断す たに ると聳え立つのが・′大資搬宝物館で りわしは同寺で天下とりの夢破れた田信長の遺品 を多数第小。国池・三条問の寺町専門店断は 美術関係の店やギャラリーが多い。また、有 名作家の書や巨大カニなど凝った物板が多い ので、上を向いて歩きたい。・矢田寺 ( 矢田地 ) の本堂に安置している地蔵言第は火炎 の中に立っ 2 E の境内に第られた紅提灯 に灯りが点るタ方には独特の風情かある。 三条から四条問は寺町京極商店街。浮世絵 版画の西すき焼の老鋼三鋼學の重厚な店 ・ラな「 ) 第え人む峯物 構えに目をわれながら、アーケードをくぐ ると、新旧さまざまな業種の店がひしめく。 秀吉が通りに寺院を集めた関係で、数珠店、 仏員店が今も点在し、風格凛う店構えが当時 明に製機てまめケとり ~ た心事をしましん人 の雰囲気を伝えている・ ~ ~ 一歩を進めて六角、第薬師通、次に交差するれ物を 0 0 版そ = 〉気 る京小物や京出し巻など・おみやけにびった てりの店もある。商店山を象強する地面の望針き化書をまま一・と . 器類す ペ文の・ . る佐がい食をため 盤 ( コンバッソ ) に立っと目の前は四条通。 かの数でに品 ロ物スどの気 左析し、阪急百貨店前の・四条河原町バス停 ~ から京都駅 ~ 戻る。 、・ 0 : , にりとしに・第ア n る内・ 0 】み ~ ⅱ・田る の齪淑広 16 大人の遠足 BOOK 6
馳の場所にあった頃のことだ。ところが、秀吉 好が方広寺を建立したことで、参詣のための橋 ン バつが必要となり、五条橋は六条坊門 ( 現五条通 ) 所に移されてしまう。新しい橋は当初、大仏橋 昭和年創業のパン屋。変わらぬ人気 のコッペパンにハムを挟んだハムロ 1 ( - 盟もの名であったはずが、石橋に改修した際に旧 きら ル 13 0 円やカッロール 17 0 円は目 るか名である五条橋に改め、現在の松原橋は本家ノ 下の売れ筋商品。定番のあんばん 10 恕、 " △府であるにもかかわらず五条橋を名乗れなくな 0 円もコッペパンで作るとひと味違っ ってしまったのだ。 道路脇の植え込みが美しい川端通を過きる製 通 ( 宮川筋 ) は最近になって石畳の道へと変る わり、稽古へ向かう途中の日本髪の女性とす ま れ違うこともある。夕暮れになると三つ輪紋 様の提灯に灯が点り、花街らしい趣が感じら て 趁れるのでこの時間帯に歩くのもおすすめだ。 で 車 道はやがて緩やかな坂道の様相となる。こ の先にはお盆の精霊迎えの行事で知られる⑤ ろくどうちんのうじ 脇六道珍皇寺がある。あたりは昔、六道の辻と まよ 遡ち呼ばれ、この世とあの世の分岐点とされてい 端持 おののたか 0 っ 破た。平安時代の宮人小野篁は、境内にある井人 戸を冥界への入口として利用していたといわ れる。お盆の期間は何万もの人で賑わうから、 一平安時代の松原通を思いながら、その時期に 一度訪れてみたい。少し手前の辻を南へ下る ろくはらみつじ と西国三十三カ所第レ番の六波羅蜜寺もあ きよみずみち る。ゴールの市ハス⑥清水道バス停は、清 水道交差点からすぐだ。 六道珍皇寺は正 しくは六道珍皇 院。門前には六道 の辻と刻まれた石 碑が立つ マ石畳に整備さ れた宮川筋は、 = て : ツ : 昼でも時折舞妓、 芸妓に出会える △地元の人などで年中にきわう松 原京極商店街 1 △光圓寺には浄土真宗の開祖、親 鸞聖人の石碑が立っている D A T A 谷 075-821-9683 、 6 時 30 分 ~ 20 時 ( 日曜、祝日は 7 ~ 14 時 ) 、不定休 まるきせいはんしょ , ち情報 しやさ 3 年ほど前まで住まいとして使われて いた町家を、和食器と小座布団の店と してオープン。伊賀や越前などの焼き 物は猪ロで 500 円、。小座布団 25 00 円、。築 100 年を過ぎる町家の 内部を見学できるのがうれしい 1 D A T A 容 075-351-3244 、 11 時 30 分 ~ 18 時、水・木曜定休 大人の遠足 BOOK 154
分造石 都ての 京し石 応をた 慶跡れ 校ら碑 - 广ィまは、・トを第い △京都市文化財指定のゴシック様 式の日本聖公会聖アグネス教会 △山中油店の周囲を巡る池には水車が回り、コ イが泳ぐ 通称だるま 彎ミ・寺で知られる 法輪寺。 谷 075-841- 7878 、拝観 3 開円、 9 ~ 17 時 築の重るように⑤慶應義塾京都分校跡がある。明 がき守地 時 楽た旧治 7 年 ( 1874 ) に福沢諭吉によって、東へ年た磽開で覗。 ~ で 日 館れ公町座あ円員 聚東公 カ成京の慶應義塾京都分校が開校された場所だ。 化家も疎講も時 円 文町再て一 府庁前をしばらく歩くと堀川通と接する さらに西へ進み、智恵光院通を越えてすぐに、 やまなかあぶら ⑥ 山中油店がある。文政年間 ( 181853 京諸家を予れ語、を 0 ) に店を構えた油専門の老舗だ。建物は昔 町りらくと店祝通参 な末都し ながらの町家の面影をそのまま残す。通りのる正京ら 月し化約叫曜 5 内文予金年回 向かいには「京・町家文化館」がある。紅殻知大な暮 か史 ( 7 座 1 認 を有的の 成人歴月講み確 格子、虫籠窓、通り庭など、町家の特徴を残 。の要 平都のる 生店、な した築年の建物だ。予約制で一般に公開さ 、京都いき分合は の油れ的 中さ民との京てま付場等 れていて、町家散策には欠かせないスポット民 粋ぶれ子時た容 山修 庶 生学か谷菓き内 なのでぜひ訪ねてみたい。 浄福寺通を越えた南側、住宅街の一角に⑦ へいあんきゅうだいりしようめいもん 平安宮内裏承明門跡の石碑が立つ。この場所 から基壇跡などが発掘された。周辺から北側 一帯は平安京の内裏址だ。 E ほど西へ行く と、平安宮内裏内郭回廊跡の石碑がある。昭 の 和年に回廊の東西縁の基壇の延石列が、こ るの付近で確認された。 千本通を越え、六軒町通の辻を過きて北側 今 に弘誓寺がある。その門脇に豊臣秀頼の家臣 を で、大坂夏の陣で戦死した木村長門守重成公 訪館跡を示す石碑が立つ。天神通を過ぎると南 ほうりんじ 志側に、通称だるま寺と呼ばれる⑧法輪寺があ る。寺のいたるところに大小のユーモラスな △達磨が祭られ、その数は約 8000 体といわ けいおうぎじゅく しげなり 0 コ 戸、」京都ーデン / 。レ 都法 同庁舎 御 ・京都守 ”苑 ノレス出水口 イドホテル」一 烏丸下立売 」い立売 , 、アグネ 0 、十字病 町通 境省都御 示立売、 管事務 讚車が多し 町駅凵 スーバーフレスコ 跡。 " 0 0 c 珈琲 9 大人の遠足 BOOK 106
日蓮宗京都十六本山の ーっ、本法寺。日親上 、、人に深く帰依した本阿 弥家の菩提寺として建 立。光悦が造営した三 巴庭や光悦に関する什 宝を多数所蔵する 尊派のに帰鳴 本院虎第へめ を恩の楽寺た 像知宝聚、たる 尊宗寺のきい、 三土。吉と鳴都 陀浄寺秀たとの 弥る恩、れい寺 阿す報がさたの ` A との絵移り虎・ 残っている。ここから北は秀吉の都市計画に らくあ後丁、づにのその 気うそ。っ よって移転してきた寺と、茶道の両千家が醸 み働。午 1 今 によはた打 し出す雰囲気ある町並みが続く。南から⑥表 作陣きつつ、。とす娘つに うらせんけ せんけ の西て六なしこらただけ 千家家元邸裏千家家元邸が立ち、西側には ない鳴っのだ 期はれ暮と 原鐘まが嘩らしつ知た時 茶道の研修道場である茶道会館。さらに西へ、 藤のし稚喧譲正 8 をつの 本阿弥光悦ゆかりの⑦本法寺境内を抜ける鐘にこ親丁ロてがけけま夜 のロ。てとでつつだ負し除 し 9 日ので 入るし子か と、堀川通に面して裏千家センター ( 茶道資一ず のあと織ると。今分んす 、自死れ カ地が鐘い鳴っと 料館 ) が立つ。 撞墓鐘る若っ 9 こり。てか 、古げくくはる入だっ撞 さらに小川通を北へ進み、児童公園奥の⑧ 大部がたち ふるたおりべ だいおうじ 内の告働い子かにん吊は の織部した 境定をでが織わ寺こを鐘 大応寺に千利休の高弟古田織部が勧請した織 派る織請人た の指時屋鐘、ばはみ首 寺あ田勧のき 寺文に機のつれ稚頼に来う 国に古り陣部稲荷を訪ねる。ここは昔の悲田院の跡。そ 8 鳴丁に楼以い 恩重ち 相内、よ西集のまま北へ、紫明通に出るとゴールの⑨堀川 報るた時時はがた男鐘日と 済。社稲い仰 れ人る 6 稚鐘い寺夜のだ 臨寺荷見い信鞍馬ロバス停はすぐそこ。 A 応稲伏との 社京 舎 . 所教京 役都 @l - 一 ( 金京 区京 ル御 際ホ . 」都池 - 育鞍停 畿政ノー 国ル 教京ー 都属 鏡。 b 恩「 堀用・第一・一原 通京附 戻 市資 真・み】猪熊通 ~ 大リ 都古 妙蓮寺 ~ 茶道辟 體瑟一《東川 茶資 長「大宮、 くらまぐち ほりかわ おもて に明 スタート 大人の遠足 BOOK 48
個性的な若者の 店か街中に点在す る。ジーンズショ ツ・プ D n i m kyoto shopo 谷 075-257-2601 、 11 ~ 時、無休 △賑やかな四条通から数歩 で静かな示人形店に出合う 富小路通 0 をいを・ 0 △日本ハリストス正教会をバック に、大きなイチョウの木がどっし ーりと構える富小路殿公園 0 0 子に渡らせ給ふころ、ことごとしからぬ程の御 遊びあり。」と増鏡』にも記載。一一条通を 越えると、犬矢来や虫籠窓などを備えた町家 児く る響が姿を現す。 すが し 地下鉄東西線が走る御池通を横断すると、 美付 劒しっとりとした雰囲気を漂わせる料理旅館吉 花 教の く供川が目に入る。茶室をカウンターに仕立てた ラ 1 一室では料理だけでもいただける。三条通付 カ 時 近になると急に人通りが増える。ここから る にしきこうじ れ 料 錦小路通までは旅館や個性的な若者のショッ プも散らばっている。道中には昔ながらの紙 やまもとふみどう いのうえこうしようどう 屋の④山本富美堂や京人形の⑤井上光照堂が 邸 あり、この通りで見逃せない老舗だ。 あたりが一層賑やかになると、京都のメイ しが邸れで字来融が ンストリート・四条通。ここを過きると人通 が女旧、り 、ら。人 りが減り、すぐ右手には秀吉の「御陣太鼓」住 に彼るのな語くかるむ ( は、あ融に物多国す住 があることで有名な⑥徳正寺さらに進み仏レ園いで源い昔が東りは 光寺通を越えると「磔磔」と書かれた屋根看刊成誘院臣ま今話、たに モて顔う左お。くたて原 板に目がいく。駐車場奥には酒蔵を改造したのか出タいるがたてい。河 がとい皇つ出っ載の ライブハウスがひそみ、日が暮れ始めると若氏 こ氏たて上ながきかこ 源鎹制源 0 れ多に霊抱話後 者たちの活気みなきる音楽があふれ出す。ま光条物光なさ字う幽がるの 、よの霊れそう 」五氏。くと 噬ス音たこのあたりからは応仁の乱で焼け落ちた瓦 0 院通源る亡ル後る融幽さ 0 人ハドや石垣がそのまま出てくるなど歴史を感じさの路「れてデのれにに殺でと 小はわれモそば院人にいオ し 足 富帯いわの、呼原夫鬼せつ 約イム創せる一面ももっている。 遠 がの一と襲氏りと河のがのな の く人 気蔵齔しばらく行くとコースの最終地点である五に在の」に源あ院の皇婦霊 な現で院怪光で原こ上夫幽な大 いる、う条通にぶつかり、東へ 100m ほどで⑦河原 まの物宅河は多たのい 多けは漂 か磔が 町五条バス停へたどり着く。 地裁、法律事務所が並ぶ法の道は応仁の乱の痕跡を残す歴史の通り 6 まちこじよう とくしようじ おいけ かわら
三井越後 屋京都本店 記念庭園の 入口。三国 ー稲荷大明神 を祭ってい る 2 0 △役行者、一言主神、葛城神の三体を こ神体とする役行者山会所 0 山聞。以 所ションとなり、②菊水の井跡や大黒庵旧跡を まるま名 跚記す碑が立つのみとなった。この井泉にちな 開禁町 お松体ニ 1 で 0 「む菊水鉾の会所が、マンシン 2 階に設けら園府冷三 . △田香ミ分上谷宮都 庭下幕ル一・ く京れたことは幸いといわなければならない。 ここから 100 E ほど北へ進んだ山伏山町己一置条 きようとげいじゅっ 当■町併二 の東側に 3 京都芸術センターがある。旧明店室を 本の店た 倫小学校の建物を活用し、さまざまな文化活 動を展開する文化発信基地となっている。そ京 屋年につ のの井記国と会念 の向かいの明倫幼稚園内には祗園山鉾連合 後兀りな 宝切とた三店三祠式記 会が事務所を置く。通りを北に進むと、鯉山、越延皮店し 0 在本、の株た 井はを大転年現都は神産し 黒主山、役行者山と山を出す町が続き、祇園 。京に明動立る 三屋店の移元 後服達が永と屋園大不建あ 祭の前には商売中心の町が祭りの高揚感に包 越呉用店宝こ後公荷井がが た御本はの越念稲三社碑 まれる。世紀ベルギー製のタベストリーな どの豪華な懸装品で飾られた鉾や山。一町に 1 つの山鉾を持っ町が続く室町の底力は、伺 岡営 富をー , タいしれないものがある。なかでも三条通との 家商 ン 大衣 角には江戸時代、千切屋一門軒余りが軒を の法 術 都 並べ、店の壁を 5 色に塗っていたので、五色た南凱 京 代衣 △ケ辻の名があったという。 し近条 富岡鑞純 さて、問屋町の賑わいを少し離れて、六角 通を西へ入り、最初の辻を三条に抜ける。こ 岡通田幕で術代正なこ 太、流美時大くを の小路が了頓図子。茶人広野了頓が住んだ所を富 屋 0 年。れ交国一、亡年 0 の 7 たわの帝、がに余な 「一で、秀吉や家康も訪れたという。今は碑が立 - し 。り家 , 有し 仏保れ養と 氤つだけで、了頓図子と聞いてもその由来を知 儒天まに士たな画ご、遠 や、生尼志れとた四の過の る人は少ない。 学はに冖月はら員し ( でで人 国斎家」述に知会画年ま地 室町通に戻り、御池通を北へ越えると、西 鐵む垣末も院をるの かめひろやす △側に亀廣保の風雅な店構えが見える。一一条通 0 0 0 レトロな建物や旧家が佇む室町時代より続く閑静な通り きくすい △現在は府議会議員の宿舎と して使用されている 「 1 三国稲荷大明神の鳥居