中京区 下京区 骨董・工芸の店や、の塚、井戸と物、① ⅶ岬川川Ⅷ新 . を 北は丸太町通から南は五条まで南北に延びる 堺町通途中、仏光寺通から高辻通間で中断 2 ・ 2 畑にわたる。戦国期、 されるが全長約 高倉通までしか人家がなくこの通りあたりが 「原」と「町」の境だったことから名付けら れたと江戸中期の『京町鑑』に記されている 1590 ) 、豊臣秀吉によって開 建天正年 ( 下車 設された、京都では比較的新しい通りだ。 町駅 まるたまち 太都 地下鉄烏丸線①丸太町駅から東に 300 E 丸京 ほど進めば、御所の南側、丸太町通に面して俶俶 さかいまちごもん ②堺町御門がある。散歩に来た人などがのん 町びりとくぐる静かな雰囲気からは想像できな 丸丸 1864 ) 7 月の禁門の変烏烏 いが、元治元年 ( はまぐりこもん 下下 では、蛤御門とともに、激戦地となった。こ 地地 、りら 」の時、燃え広がった火は京都の大部分を焼き かか 駅駅 尽くしたといわれる。この堺町御門から南へ 都条 一直線に五条まで延びる通りが堺町通。道々京五 で振り返っても、どこまで行ってもこの御門 戸 行帰 江は見える さかいまちどおり 所要時間 約 1 時間 50 分 約 1 時間 歩行時間 歩行距離 約 2.9km / 約 5800 歩 スタート 3 石田梅岩邸跡 4 タ顔塚 5 鉄輪の井戸 6 五条駅 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 11 210 大人の遠足 BOOK 30
・コースナン′ヾー 繁栄と衰退の歴史を刻む 太閤秀吉ゆかりの地を歩く しようめんどおり 正面通 スタート 正面通は大和大路通から東西本願寺を越え、 丹波口駅近くの揚屋町通まで続く約 4 ・ 3 の道。本コースでは秀吉ゆかりの大和大瞠 路界隈を起点に、西は西本願寺総門までを歩 . 三 く。通りをまたぐ渉成苑 ( 枳殻邸 ) や東本願三 寺近くでは南北に迂回が必要となる。 はくぶつかんさんじゅ一 :J んげんどう ①博物館三十三間堂前バス停を降り、七条、俶紛 通から大和大路通を北へ上がる。正面通へと統 統系 続く道には秀吉の痕跡が数多く残る。出発点 となる大和大路通正面には、秀吉を祭神とす とよくに 「 3 豊国神社、少しはずれるが付近にある妙 る法院や智積院も秀吉に関わるエピソードをも 0 ス はつ。豊国神社の北側に立っ 3 方広寺は、権力 ス市 の絶頂にあった秀吉が己の力を見せつけよう 市か 俗と東大寺の大仏よりもさらに大きな大仏を置 か堀 いた寺院である。しかし、方広寺を築いたこ とが結果的に豊臣家滅亡を招いてしまうのだ京 こ うから皮肉な話だ。秀吉が亡き後に力が衰えた 秀頼は、家康の命により地震で倒壊した大仏行 、味一一花 ほうこうじ 所要時間 約 2 時間 30 分 約 1 時間 歩行時間 離 0 1 博物館三十三間堂前バス停 行 1 2 豊国神社 3 方広寺 4 耳塚 5 甘春堂東店 6 渉成園 9 西本願寺前バス停 7 東本願寺 8 西本願寺 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 11 大人の遠足 BOOK 158
—第 1- コースナンアヾー 歴史と伝説が息づく 平安京の結界を散策 一一条通 スタート 東は烏丸通から、西は西大路通を越えて京都 学園高の東 2 筋目に至る約 3 ・ 2 の一条 通。『源氏物語』にも登場する大路だ。一条 室町は「一条札の辻」と呼ばれ、江戸の中頃 まで大路小路の起点だった。ここでは烏丸通 から千本通までを歩く。 戻 都⑤ 京 地下鉄烏丸線①今出川駅から南へ 5 筋目の聞 とらやくろかわ " ~ ・、 : し北角に、和菓子の老舗②虎屋黒川がある。こ , こが一条通の起点だ。閑静な住宅街を歩いて ほんだみそほんてん ゞ・、いくと、右手に 3 本田味噌本店ののれんが見 一を / 業、禁裏御用達の老舗だ。当時の商家の姿を〈 = 」みお今にとどめている。 鉄ら さらに西へ足を進め、小川通を越えると急。下か 地売 、」に道幅が広くなる。北側のガレージの一角に、 しょこう いちじようさがまっ か中 トタンに隠れて④諸侯屋敷・一条下り松遺跡駅本 と書かれた石碑がある。この近辺は、宮本武京 ? に蔵との決闘で名高い吉岡一門の道場があった を樹所。裏庭に松があり、それが下り松と呼ばれ、 いちじようどおり 史老、 1 所要時間 約 1 時間 50 分 約 40 分 歩行時間 歩行距離 約 1 .8km / 約 3600 歩 3 本田味噌本店 6 一条戻橋 4 諸侯屋敷・一条下り松遺跡 すぐ ト野小町双紙洗水遺跡 7 黒田如水邸跡 8 西陣商店街 9 千本中立売ハス停 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 ・堀川以西は通りが狭いので、車に注意が必要。 大人の遠足 BOOK 102
いを肴心に纛ー コースナンノヾー 上京区 武者小路通 武者小路通 感じさせる通り 短くても、京文化の雅と奥深さを亠 スタート 市内有数の町家スポットで知られる元誓願寺 通の南に並行する、烏丸通から小川通までの 500 E 足らずの通りが、武者路通茶道 家元・武者小路千家や、千家十職の塗師・中 村宗哲の屋敷があることで知られる。「無車 小路通」とも呼ばれる。 地下鉄烏丸線①今出川駅六番出口から約 下京 E 南へ、烏丸今出川の交差点から 1 筋目が武 者小路通だ。通りの北角に②近畿予備校が今⑥ あるので、それを目印に歩くとよい。校舎の 分統 9 系 ~ 南壁に沿って西へ進む。すぐ目につくのが 3 で 9 ワイエムシーエーこくさいふくし え >->0< 国際福祉専門学校と辰巳法律研究所 ) 線以 烏市 を京都校の建物。今出川通沿いに同志社大学が 鉄ら さ あるということもあって、この周辺には教育下 侘関連施設や学生向けの店舗が充実している か今 人 100 E ほど歩いた南側にハンドワークの店 - 駅 都堀 CW—YO X<ZOØがある。木枠にガ京 ? ラス張りを主体にした店構え。淡いルームラ 今イトに照らされた店内には、手作りの小物が 短くても、京文化の雅と奧深さを感じさせる通り いまでがわ むしゃのこうじどおり レイ 所要時間 約 1 時間 約 20 分 歩行時間 歩行距離 約れ Okm / 約 2000 歩 9 堀川今出川バス停 すぐ 7 中村宗哲家 5 福長神社 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 大人の遠足 BOOK 70 1
コースナンバー 上京区 芸太 術閤 と秀 文吉 学が の造 香つ りた 一寺町通 スタート 寺町通は北は鞍馬ロ通から南は五条通までの 全長約 4 ・ 6 。通りの原型は平安京の東端 を南北に走る東京極大路。天正年 ( 159 0 ) 豊臣秀吉が着手した京都大改造で洛中の車 いら寺院を移転させて、この通りの東側に集めた 出駅 ことから寺町の名が付いた。本コースでは今 今都 ッ花 町京 出川通から四条通までを歩く。 の市バス①河原町今出川バス停を下車して西で へ歩くと、化粧品店の前に「南かう堂九丁、セ識 三条大橋十七丁」と刻まれた石標が立つ。表で 示に従い、南へ今出川通を横断すれば寺町通孫 2 ス の旅の始まり。静寂に包まれた道をしばらく 白行けば紫式部ゆかり②廬山寺に到着する。昭 スら 、和年、この地に紫式部の邸宅があったこと 市町 しが判明。紫式部はこの場所で育ち、『源氏物 ははきき か河 語』も執筆していたという。ちなみに帚木の駅条 噬氏 京 ? , 。段に出てくる「平安京東郊中河の地」とは、 4 繝同寺がある場所のこと。道を挟むように西側 量廬観には 3 梨木神社公家の = 一条実萬と実美父子 , 行剛 、当鸞△拝 てらまちどおり かわらまちいまでがわ ろさんじ 所要時間 約 3 時間 約 1 時間 10 分 歩行時間 離 0 1 河原町今出川バス停 2 廬山寺 3 梨木神社 4 清和院御 5 新島襄旧邸 6 行願寺 ( 革堂 ) 7 本能寺 9 四条河原町バス停 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 大人の遠足 BOOK 14
コースナンノヾー 北区 上京区 4 を【お 一ききをこ = ここき、き 智恵光院通 西陣の古い町並みと古社寺を巡るト亠 第一光 = 通、 をー載第■■■ を豊ま当ー■ー スタート 豊臣秀吉による京の町改造後に開かれた智恵 光院通。北大路通からニ条城の北側まで約 2 ・ 5 続く道で、南端近くに秀吉の築いた なかだちうり 聚楽第が広がっていた。中心は中立売通あた りにあったと見られ、遺構はほとんど残らな いが、本丸町、山里町、天秤丸町などの町名 が、江戸時代の『京町鑑』に記されている。 ら聚楽第跡のかすかな名残を求め、さらには西堀京 建陣の町に点在する古社寺を巡りながら、北大 路通までを歩く。 ほりかわまるたまち ①堀川丸太町バス停から南へ 1 筋、竹屋町 ア系 通を西へ行くと見えてくる②ニ条児童公園か 見らスタートする。公園は平成年 3 月まで整 ス市 備工事中で、 ゴ側の源三位頼政の鵺退治で知 市か 健られる鵺池も壊されて原型をとどめない。鵺ら前⑧ か寺 大明神を祭る小祠は健在だ。公園のあたりは駅徳 平安京大内裏の太政官、宮内省、民部省など大 官庁が集まっていた所で、江戸時代には所司 永代下屋敷となった。 行帰 西陣の古い町並みと古社寺を巡る ちえこういんどおり にじよ一つ ぬえ 所要時間 約 3 時間 約 1 時間 15 分 歩行時間 離 0 1 堀川丸太町バス停 み 2 ニ条児童公園 9 大徳寺前バス停 3 松林寺 4 智恵光院 6 本隆寺 7 雨宝院 5 首途八幡宮 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 大人の遠足 BOOK
コースナンバー 木屋町通 木屋町通 高瀬川の畔に佇み、幕末の志士たちの呑味一一金一 スタート 木屋町通は京都市街地東部の南北路。北はニ 条通から南は七条通までの全長約 2 ・ 2 に すみのくらりようい わたる。江戸初期、時の豪商・角倉了以が高 瀬川を開削し、周辺を造成したのが繁栄の始 まり。高瀬川から運ばれる木材や薪などの木 を扱う店が多かったことが通り名の由来だ。 「を今回はニ条通から五条通を歩く。 尹を市バス①川端一一条バス停から一一条大橋を西駅 - へ渡る。ホテルフジタ京都の前を通過し、善セ四 の 当導寺前から南へ木屋町通が延びる。一一条通をク分車 横断すると右側に見えるモダンな建造物が②アで条秤 しまづそうぎようきねんしりようかん 島津創業記念資料館左側には慶長年 ( 1 瀬 611 ) 高瀬川の開削に着手し、成功に導い た角倉了以の別邸跡。巨大な石垣が了以の隆下、か 地吩条 盛を物語っている。京都銀行会館付近から高 か約町 瀬川の川面が現れる。川の全長は京都・伏見駅で原 都統河 尸 1 1 。現在、水深は浅いが当時は水量 京系 も多く師はあったという。川の西方の掘割 たかせがわいちのふないりあと 高が 3 高瀬川一之船入跡跡には酒樽や薪を積行 きやまちどおり 高瀬川の畔に佇み、幕末の志士たちの夢とロマンに想いを馳せる 所要時間 約 2 時間 30 分 約 50 分 歩行時間 行 E 9 河原町五条バス停 3 高瀬川一之船入跡 6 瑞泉寺 8 扇塚 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 川端ニ条バス停 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 70 11 大人の遠足 BOOK
, 伝統的な町家と赤レンガの洋風建築が共存ー寺、 京都の文明開化を伝える東西の主要路社 一三条通 さんじようどおり スタート 文平安京の三条大路に当たる三条通。江戸時代 には三条大橋が東海道の終起点となり、東国 京からの旅人は、その延長の三条通から洛中へ 京 印導かれた。明治時代になると、近代建築が相 とは次いで建設され、京都の文明開化をリードし 合 る g た。今も通りには、赤レンガの洋風建築と伝 「統的な町家造りの老舗が共存し、独特の景観 館を見せる。現在では、東の山科から西の嵐山 まで続く約の道を三条通と呼ぶが、本コ ースでは三条大橋から堀川通まで歩こう。 の加 さんじようけいはん 時地下駅の①三条京阪駅から地上に出ると、ア 0 ②三条大橋がある。木製の欄干に擬宝珠が被線 9 丸ス 繝せられた姿が、江戸時代を偲ばせる。一帯は、 鉄。市 田かっての京の玄関口。旅籠や京みやげの店の : 下車ら - 多くは、飲食店やファッションビルなどに取 , ら駅条 か阪三 つて代わられたが、鴨川の澄んだ流れは今も駅京川 都条堀 創昔も変わらない。河原町通から寺町通までは京三 ? アーケードの商店街。そのなかの「三條本家 , 都紹 京みすや針」は、近松門左衛門の浦島年代記』 行帰 所要時間 約 2 時間 20 分 約 40 分 歩行時間 歩 2 2 三条大橋 3 旧家辺徳時計店 4 分銅屋足袋 5 京都文化博物館 6 中京郵便局 8 堀川三条バス停 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 三条京阪駅 大人の遠足 BOOK 124
中京区 車屋町通 老舗が点在し、風格ある看板や のれんウォッチングが楽しい スタート 車屋町通は全長約 800 EO 長い伝統を受け こ継ぐ老舗が点在し、風格あるのれんや看板に 2 目が止まる。新しい店や施設も歴史的な建物 に溶け込むように共存していて魅力的だ。御 所から延びるこの地を歩くと多くの歴史に出 旅会うことができる。車屋町通は天正年 ( 1 590 ) に豊臣秀吉の京都改造によって烏丸 生通と東洞院通の間に開通した。当初、北は出下車 水通から南は姉小路通まで貫通していたが、 太都 宝永 5 年 ( 1708 ) の京都の大火の後、京セ丸京 都御所の拡大が行われ、現在の丸太町通から 分分 お姉小路通間という比較的短い通りとなった。 趁車屋町という通り名は、輸送業者や車鍛冶の線線 丸丸 烏烏 人々が集まっていたことに由来している。 下下 まるたまち 、りら 地下鉄烏丸線①丸太町駅から京都御所を背 かか 一に南下すると、右手には京都新聞社が続き、 駅駅 その向かい側には昔ながらの町家がどっしり京 さざんかしやさざんか とした面持ちで並ぶ。②山茶花社山茶花美術 A A いかだや め館の西島邸や手描き友禅の名門 3 伊可田屋な行 くるまやちょうどおり 老舗が点在し、風格ある看板やのれんウォッチングが楽しい 所要時間 歩行時間 約 1 時間 約 25 分 離 0 1 丸太町駅 8 烏丸御池駅 3 伊可田屋 4 雨森敬太郎薬房 6 亀末廣 7 新風館 5 本家尾張屋 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 加 E 210 大人の遠足 BOOK
麩屋町通 古きよき時代の京都の面影が色濃く残る味 ふやちょうどおり スタート 北は丸太町通から南は五条通まで、全長約 とみのこうじ 2 ・ 3 の屋町通。平安京では富小路に該 当し、貴族の邸宅が立ち並んでいた通りであ ったが、応仁・文明の乱の戦火で荒廃した。 1 5 9 0 天正年 ( ) 秀吉の京都大改造で通 たりは再生。豆腐屋・麩屋・麺類の店が多かっ のたことからこの名が付いたと貞享 2 年 ( 16 屋 85 ) 刊行の『京羽ニ重』に記されている。 まるたまち 地下鉄①丸太町駅で下車し、京都地裁前の太識 たけうちしきぶ 町歩道を東へ数分歩くと見えるのが②竹内式部 ぐうきょあと 寓居跡の石標。ここから右へ折れる道が麩屋 く町通だ。竹屋町から夷川通が交差するエリア 烏市 数は閑静な住宅街が続く。夷川を越えて、しば だいふくじ 鉄ら らく進むと右側に佇むのが 3 大福寺推古天下か 皇の時代に大和国で建立し、室町時代の初めら五 か町 着に京都に移った寺だ。さらに進んで、一一条通駅原 を越えると、洒落た料理店やブティックなど京 らが増えてくる。 京押小路通を渡ると左側に見えるのが、④白行 古きよき時代の京都の面影が色濃く残る御所南の通りを歩く 所要時間 約 2 時間 約 55 分 歩行時間 離 0 1 丸太町駅 歩・ 2 竹内式部寓居跡 8 河原町五条バス停 3 大福寺 4 白山神社 6 革島家住宅 7 北向不動寺 5 湯波半老舗 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 315 315 すぐ 515 21 大人の遠足 BOOK