! コースナンノヾー 下立売通 温故知新、町家と歴史散歩には最適の通り挙寺、味 0 一 一下立売通 スタート 東は烏丸通から西は花園木辻南町で丸太町通 一と合流する、約 3 ・ 3 畑の下立売通名前の 一由来は、路の傍で物を売る「立ち売り」とも、 布を裁断する「裁ち売り」とも伝わる。本コ 京 ースは烏丸通から西大路通までを歩く。 地下鉄烏丸線①丸太町駅から北へ進む。烏 にほんせいこうかいせい 丸下立売南角に立っ②日本聖公会聖アグネス下 教会がこの通りの起点になる。教会の礼拝堂 町京 はアメリカ人設計技師ガードナーが手がけた丸系 え 備赤レンガの建物だ。平安女学院がこの教会に 分 さ 隣接する で と烏丸通から西へ 3 筋目、新町通との交差点線以 気の北側に 3 京都府庁がある。府庁の正門を烏⑧ きようとしゅごしよくやしきあと 鉄ら 入ってすぐ東側に④京都守護職屋敷址の石下か ら円 庁碑が立つ。京都守護職とは幕末の治安維持に 1862 ) 江戸幕駅の 対処するため、文久 2 年 ( 都西 府が設置した職名の一つである。会津藩主松 映だいらかたもり 平容保が就任し、翌 3 年、この地に守護職屋 △敷が造営された。正門西側には、木立に隠れ 温故知新、町家と歴史散歩には最適の通り しもたちうりどおり まるたまち 所要時間 約 2 時間 約 1 時間 歩行時間 離 0 1 丸太町駅 2 西ノ京円町ハス停 9 竹林寺 3 京都府庁 4 京都守護職屋敷址 6 山中油店 すぐ 105 大人の遠足 BOOK
特別編 こ清水坂・五条坂・年坂 清水坂五条坂」ー三年坂 京都を代表する名刹の一つ 清水寺を中心に栄えた参道 清水坂は、東大路通から清水寺へ続く約 60 0 E の坂道。その歴史は清水寺よりも古く、 清水岡と呼ばれたこのあたりの細道の一つだ ったという。五条坂も東大路通から延びる道 で、全長約 450 EO その東端は、清水坂に 合流している。その合流するあたりから、さ らに北へ延びる石段が、三年坂。ニ年坂を経車車 下下 坂駅 て、高台寺へ続く、約 350 E の道だ。 条都 五京 ごじよ - ネか ①五条坂バス停があるのは東山五条の交差 清点。ここから北東に延びる坂道が、五条坂だ。 交差点には、「こゝより東五条坂」と刻まれ統系 矼た石標が立ち、東には親鸞上人の遺骨を祭る 膰大谷本廟が立つ。また、あたりは伏見と京都 , ス を結ぶ伏見街道の起点でもあり、昔から交通【市ら 、りか 音の要所としても栄えた。 か道 緩やかな坂道を上がると、右手にまもなく ( 都清 きようととうじき 京 ? ②京都陶磁器会館が見えてくる。館内では名 国産、清水焼の展示・販売をしている。かって 行 ( 帰 △は周辺に、清水焼の窯一兀が多く立っていたが、 京都を代表する名刹の一つ清水寺を中心に栄えた参道 きよみか・ごじよ、まか・えねんざか 所要時間 約 2 時間 約 50 分 歩行時間 歩行距離 約 2.5km / 約 5000 歩 スタート 6 清水道ハス停 3 清水の舞台 2 京都陶磁器会館 5 七味家本舗 4 子安塔 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 165 大人の遠足 BOOK
智災 ) 宇 の火躪堂由 示び C に自 完た年外内 恩び 2 以境 知た政堂 宗。安本い 土院いのな 浄光遭建少 A 恵に再は 通 院 光 恵り : 知通 紋ま 0. たる若な立事名旅昔な 1 次に、聚楽第の堀跡に立っという松林寺を 祭牛も旅無が。ー まら由 しもだちうり 立を。とにのと巧わ訪ねる。歩くこと約 5 分で下立売通に当たっ : 堀い神、て、。来も創境て左に折れる。すぐ北の出水ディサービスセ のて応別がれ時祈由安今。 第つ首丸わっをの行もいンター前に説明板があり、平安宮の酒殿跡か は低 ら初の井戸を発見、中から木簡が出土したと 寺り 一林よ 記されている。出水通 1 筋南を西に入ると、 、」 ) 松道 しようりんじ 、一目指す 3 林寺の門前に出る。門前がすで 楼 に周囲の道より低い所にあるのだが、本堂や 一一庫裡は門から 2 〔ほど下、墓地はさらに下に ~ 石 あり、明らかに堀跡とわかる寺の立っ地は分鳥、、一 銅町だが北向かいは田村備前町で、秀吉の家 臣の屋敷跡と思われる。 通りの名の元となった④智恵光院は、一条 通を上がった左側にある。萩の咲く境内に立 上。現内樹にきが , 真 , 境は下泣説 っと虫の声が耳につくほど静かで、西陣の町 日本。松の夜伝 にこ 1 たの枕のう なかにいることを忘れてしまう。織物問屋の 代し ( つ前を供い 時創年移堂葉子と由 町開に師松とむ。自多い通りを北へ、今出川通を度る。すぐ左側 室が正地祖やくやる内 人天在の皮敷があ境こ ー⑤首途八幡宮の細い参道があり、旅の安全 を守るという神社が石段の上から町を見下ろ丘一 して立っている。五辻通を挟んで神社の北側 に立つのが⑥本隆寺 2 度の大火にも本堂 屋 が奇跡的に焼け残ったことから焼けずの寺と もんやのずし いう。寺の東側の細い道が紋屋図子で、紋織 を発明した井関家ら御寮織物師が住んだ所。 今も残る三上家の周りには、町家を工房にし て移り住む人たちが増え、新しい西陣の姿を 示している。本隆寺の北隣が西陣の聖天さん ほんりゅ一つじ ちえこういん しようてん 叫」 まつやとうべえ 出石十万石の城主前野但馬守を遠祖に 持っ菓匠。材料の吟味から手間ひまか けた菓子作りを守り続ける。白味噌を 使った紫野味噌松風川個 800 円、、 、西陣ゆかりの珠玉おり姫 100g60 0 円、など、予約した方がよい ち , 、情幸 0 0 足 五辻通を西に入った南側にある鳥料理遠 店。明治川年代、当時まだ珍しかった鳥人 の水炊きの店を祇園に開業。戦後名水大 染井の湧く当地で再開した。西陣の日那 衆の舌を魅了した水炊き 6000 円に加 え、昼には親子丼 800 円が味わえる / 亠 D A T A 谷 075-441-4004 、 12 ~ 14 時、 17 ~ 21 時 ( 入店は ~ 19 時 30 分 ) 、木曜定休 D A T A 谷 075-492-2850 、 9 ~ 18 時、 木曜定休
六角通の西側にある三井両替 店旧址 マ石田梅岩の跡を継ぎ手島堵庵が 創設した儒学の塾、明倫舎。心学 は武士社会にあって、軽視された 商人の立場に立った道徳を平易な 言葉で説いた。店の家訓にはその 教えを取り入れたものが多い 0 0 婦”をん水 0 △京菓子司・亀屋友永。半生菓子が自慢。 谷 075-231-0282 △鉾の真木に放下僧の小像を祭る 放下鉾町蔵の会所 1 松坂屋京都 本部の外観。 このような歴 史的建造物が一、、 現在も事業部 として使用さ れている 0 0 3 北には豪商④茶屋四郎次郎邸跡の碑。徳川家 康から小川通出水上ルの地を賜って移るまで この地に住居を構えた。この町内はまた祇園 きたかん 祭の南観音山を出す所で、さらに北へ⑤ のんやま 音山、八幡山と山鉾町が続く。同じ呉服関係 三の問屋街といっても室町通の大店が近代的な ビルに建て替えていくのに対し、新町通の大 庵 店は京町家の佇まいを守り続けている店が多 い。川端康成の『古都や大仏次郎の『帰郷織 に描かれる京の町のイメージに重ねて歩くに 紫 は、この新町通こそふさわしい 京町家再生研究会の事務局を務める小島家 や山鉾連合会の重鎮吉田家、さらに北には紫 おりあん 織庵旧山崎家、飾りガラスの入った窓がモダ ンで美しい平井産業の建物 ( 京都市歴史的意 茶室や能舞台も備えた京小物ショップ。 匠建造物に指定 ) など、京町家の魅力に惹か自 食風情たつぶりの町家を見学するだけで れて散策の足も止まりがち。さらにこの道筋 も楽しい。人気なのは古布袋物 150 みついりようがえてんきゅうせき 足 六角町には、三井両替店旧址と、現在も京都 0 円、。古風呂敷 800 円、、繭と大 豆から生まれた化粧水 120 350 千 事業部として営業中の松坂屋が道を挟んで斜 0 円、クリ 1 ム g4000 円など。 めに向かいあって立っている。このすぐ近く・百 め 始に、織田信長の保護もあって南蛮寺が建てらく ち れた。 3 階建ての会堂で、オルガンティーノ トがミサを行ったという。蛸薬師通を東に入っろ ( 地た北側に跡地を示す碑が立っている。 範。再び新町通に戻り、御池通を渡る。一一条通 めいりんしゃ を上がった左側に⑥明倫舎の額を掲げた家が 明 △井目につく。明倫舎は石田梅岩が提唱した心学 こ 町通といえば新町通を指すほど京の町通の顔であった ちややしろうじろう しおりあん ち」青幸 京都市の有形文化財に指定された建物 で、武田五一が設計した迎賓館を思わ せる洋間や竹内栖鳳作の欄間を残す客 室など、歴史的な価値の高いもの。町 内は八幡山の山鉾町で、年中「屏風祭」 を公開している。見学は予約制 D A T A 谷 075-241-0215 、 10 ~ 17 時、 入館 500 円、催事時は非公開、 不定休 ぃ引第は D A T A 谷 075-256 360 、 10 ~ 18 時、 無休 41 大人の遠足 BOOK
クラシカルな内装と噴水のある空間が、 店内の落ち着きと開放感を演出する ミネラルウォーターや天然酵母のパンな ど素材を厳選。ビタミンをたつぶり含 む玉子を使ったオムライス 970 円ー、 こだわりタマゴのプリン 350 円 総 C 飛珈琲の木 山中油店 D A T A 谷 075-841-8537 、 8 時 30 分 ~ 1 7 時、日曜、祝日、第 2 ・ 4 土曜定休 立、売通 , カフェコーヒーのき やまなかあふらてん 全国でも珍しい油専門の老舗。各種食 用油・オリーブオイルのほかに、建築 用油、椿油なども揃う。ロいつばいにナ ツツの香ばしさが広がる落花生油 46 0g1800 円は、中国料理にも合、つ 玉締めしばり胡麻油 450g850 円 壟一鬥」 さ = 情幸 D A T A 谷 075-432-0111 、 7 時 ~ 18 時 30 分 ( 土・日曜、祝日は 8 ~ 17 時 ) 、第 1 ・ 3 ・ 5 土曜定休 2 温故知新、町家と歴史散歩には最適の通り れている。また境内にはキネマ殿があり、映 画関係者を祭っている。法輪寺から目と鼻の ちくりんじ 先の⑨竹林寺には、六角獄舎で殺された勤王 の志士の慰霊碑が立つ。池田屋事件などにか かわった志士たちで、明治の初期、その遺骸 がゴミ処理所となっていた地から発掘され、 この寺に改葬された。 竹林寺を出てすぐ西に紙屋川 ( 天神川 ) が 流れる。平安京造営時に開かれた運河で、当 時、堀川は「東堀川ー、紙屋川は「西堀川」 と呼ばれていた。紙屋川から西大路通は目の 前だ。西大路通を南へ行くと、市バス乗り場 にしのきようえんまち の⑩西ノ京円町バス停に着く。 京都府庁の技垂桜 京都府庁の正面に立っ旧本館は、京都府指定有 形文化財。後期ルネッサンス様式の洋館で、明治 期の都道府県庁の中で、創建当時の姿を今に残す 最古のものだ。その中庭 にある枝垂桜は、知る人 ぞ知る名桜。春になると 薄紅の花を咲かせ、洋館 の外壁に見事な花群の陰 を映す。満開の季節には、 カメラのシャッター音か 絶えない撮影スポットで もある。 △舂には洋館に彩りを添える 下立売通 L 」 ーー薔眼光寺 大雄寺 : 新 ; 松月院 弘寺 浄圓寺 川。 0 法 央書鰛を . 」一 - ー ロコ匚こコを」 児童谷コ 大人の遠足 BOOK 0 0 ・山喞由 立売邇 0 0 ー・町文イ 営 iLY 長 異巌 門跡 当休病診療「 ロ 107
ミ第 7 ・ コースナンパー 一押小路通 都の新旧の幹線道に換まれた静かな通りをト都味 市役所が立っ御池通と、平安京のニ条大路を 踏襲するニ条通の間を東西に走る押路通 木屋町通から千本通まで約 2 ・ 6 続くが、 ここでは、ニ条城が面する堀川通から東へ、 一高瀬川に沿う木屋町通までたどろう。都の新 ~ 「前乗 強旧のメインストリートに挟まれた静かな通り条 には、古い町家も数多く残っている 京 にじようじようまえ 5 の 起点は①ニ条城前バス停なので、一一条城も 動見学してから歩き始めるといい ( コース参 舟照 ) 。広い堀川通は、一一条通か御池通の交差孫 点で横断。京都国際ホテルと京都御池中学校 下 の間を東へ延びているのが押小路通だ。 9 ら下 す油小路通を過きれば、左手に西福寺という スか駅 《〕路寺があり、その前に京都市の史跡案内板が 2 市前京 っ並んで立っている。一つは平安初期の左大 ) ら所 ぶゆっぐ か役分 一臣藤原冬嗣の邸宅跡である②閑院跡の説明駅市 5 都都で 反。閑院はのちに里内裏としても利用された京京線 挙 - 1 当設太・ が、鎌倉初期に焼亡した。 高もう一つの案内板には「豊臣秀吉妙顕寺城 おしこうじどおり おいけ かんいん みようけんじ 所要時間 約 1 時間 約 40 分 歩行時間 歩行距離 約 2km / 約 4000 歩 スタート 3 東三条院跡 4 茨木屋 5 大江能楽堂 6 押小路橋 7 京都市役所前駅 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 ニ条城前バス停 大人の遠足 BOOK 118
みやげ物店も次々オープンするなど、すっか り様変わりした。神社の前の戻り橋も、その と 定下を音をたてて流れていたという川も変わり じ 指 興 方が激しく戸惑うばかり。 物 び 造晴明神社のすぐ北に立っ 7 階建てのビルが 舟 にしじんおり 店 紗 ⑦西陣織会館この地には豊臣秀吉によって や 史自刃させられた秀次の追悼のために母 ( 秀吉 すいりゅ一つじ 歴村 △北の姉 ) が建てた瑞竜寺があった。寺が近江八 老偲詠 、いのん、教 歴 幡市に移転した後、今出川大宮から西陣織会 のもと跡乱て期学えを 。る 庭を掲を睇 館が移転し、西陣織の展示即売や、綴織や手 史ま かわあ斎枝と江子学 の国 機の実演、着物ショーなどを行うなど、西陣 おばそ仁が印は朱義く 古を え経こ藤松目斎、古多′ 最時 植をも伊だの仁でにでヨ 京往 をはじめ伝統工芸の紹介に努めてきた。外国 「年人だん宅。者後地た 平が A 松ぶん詠邸る儒た当え 人観光客の姿も多い。ここから北へ 5 分ほどい % 、玉 の所に山名宗全屋敷跡の碑がある。応仁の乱 う遊司院干話いとでの鷺 の時、宗全の西軍 9 万余騎が本陣を置いたた い舟を頂。た担源い鷺位語 、 = め、西陣の名が起こった。 とが水灌たつを起泳く五物 た族は寺れ竸輿のが聞、の っ皇に東まを神祭鳥をえ すぐ北の寺之内通との交差点あたりは、イ あ、島は生法の園水旨与鷺 がての水も修社祗も宣を「 織秀大休も織た。境チョウのグリーンベルトの向こうに寺の屋根 は臣た利て田し谷 さし中の説の園が今て位曲 響 - 広と池池う雨祗の つの謡 聖、仕工古をがのぞく景観の美しい所。左に入ったすぐ北 伝の苑。かい祈てたにま位 信引で高高伝自側に赤い帛紗を軒先に吊した歴史的意匠建造 の倍禁うしとがたっ池畏五う 8 の いつる敏を祈た し物指定の北村徳斎帛紗店がある。寺之内通を苑 の裏といい 守鉾をつ時鷺と 越えると、臨済宗興聖寺派本山の⑧興聖寺泉在内だ。てとが散なのでた 神現大んるじ海々退く皇こっ る 躍を。建寺まーー 8 は京し祭通空人疫狭天そな 一カ・月 - っ仁 7 ′ の門前に出る。本堂はもみじの参道の奥に立 れ 活明社創願通 むらさきしきぶおののたかむら に安楽をら 、た悪醐。に う縮 由 に晴神 , 誓売、 代平を王かにまでる醍たう 囲基っている。ここから⑨紫式部・小野篁墓と伝 期倍明元立擲年 この 時。猟龍井折。苑れ、つよ い内「第う 中安晴間は中た規 3 し境 安苑狩女閼のる泉わがあぶ 北はつで和新 ( いえる古塚を訪ね北大路通に至る。北大路交差 平泉や善阿っ残神いるが呼 時陽す年、南だど昭とé 神びるのばもでもい姿と っ点を西へ渡れば、⑩北大路堀川バス停にたど 安陰と 4 えら内なも建 平た神弘伝か境禍殿再 1 A し祭寛と通で戦社の A てり着く 藝 0 きたおおじほりかわ 1 大人の遠足 BOOK 54
△大江能楽堂。何げない街角に能楽 堂があるところに京都の奥深さを感 じる。上演日や内部見学の問合せは、 大江能楽会谷 075-561- 22 へ 富小路通の角にある茶道具の老舗、 く釜座通の角にある東三条院 奇竹堂黒田宗傅。谷 075-23 ト 2765 、 10 跡の石標。かっては広大な邸 ~ 18 時、無休 が立っていた 使上あ大④。、ま 観 の かれ想が邸詮案が跡はのに巡内秀跡 通 新 世茨わげる正茨るのさなた像繰は子内釜ぇ往形住政近ら通吉 れ 、佇初木 らか京すり華な板座時も宅ラ 角 の 冫ノル木 くせにはと の屋てシま期屋高ま こ困都る広美どが通をなな拠、天移こ記 幹 線 大のい ヨいにで級で東難でのげをが立ま偲いど点 3 守 しのさ 道 ー。建あ京 江する 、来 へだ ら極住つでぶ がだ年を 、地れ 、は 。歩縁た建っ後上 家ぐ 。ウてるかる進 挟 。古難れめま にて 5 先 ィ蒲直。ま けとだてたにげ条あい とん ま のした 、い ン鉾さ創ほ 平いと天し条ばな れ 世に 聚た新つる で 、込 た天、つ 雪⑤ ウとたはこ間烏 安。い白 んも楽 2 姿邸方 、王 が大 の右盟房 ゕ な 、とを 、築蓮正 腰書舗肯舗広を 面に 、幸跡母はる古る閑 通 盟江 造屋 不 1 1 し、 り 板きは年とい横 しでで 3 城ち ろ院 景彡オつ 営敷たの年 冫ロ能 し商切 をたてああ東 妙 町も現すと はれ黒↑て家り 探り と妙在るい周顕 ではるる 1 大た壁 8 知が す都も優 東条 い顕の っ囲寺 ま 5 理看の 6 ら目柳 のがそ雅広 う寺あでよ ニ院 こを 8 石板風 9 れに馬 は置れな大条跡と 町城た秀り堀寺 3 がを格 % る留場 なかを宴な院の 名もり吉城を之 金色の鳥居が立つ神社は 大切なお金の守り神 西洞院押小路を少し下ると、金色の鳥居が 立っている。御金神社といい、祭神は鉱山や 鉱物の神で、すべての金属類を守るという金 山彦命。少し派手な 鳥居も納得させられ る。お金に縁深い神 様であることから、 資産運用の守り神と しても信仰されてい るという。 大人の遠足 BOOK △西福寺前に立つ閑院跡と妙 顕寺城跡の案内板 36 = ひと足のばして みかね △京かまほこの老舗として名高い茨木屋。明治天皇の東京遷都の列 が、京を出発した翌日に創業した △珍しい金色の鳥居 119
に南には陰陽師で有名な安倍晴明を祭る晴明 一一京都御苑 ! 川駅イ 地下鉄烏丸線ー立 神社がある。堀川通を過きたあたりから西一 七帯がいわゆる西陣だ。応仁の乱で、東軍の細 川勝元に対し、西軍の山名宗全が堀川上立売 。情付近に本陣を築いたことからこの名が付い「知 - った。乱後、機業家集団「大舎人座」がここに も住みつき織物の技術を競い合ったため、西陣 今 △織は広く有名になった。南北の小路を入れば 今も機織の音が響く。 平安京の南北幹線路だった朱雀大路にあた る千本通を渡り、約 100 E 歩くと、右側に 小ちんまりとした門構えの寺が立っている ちゃ 3 浄土院、別名茶くれん寺だ。天正物年 ( 1 菅れ 587 ) の北野大茶会の折、豊臣秀吉が立ち に並会た良き ~ Ⅱ「市資ほ [ 様祭宮辺ち茶あら湧か 寄り、茶を所望したが、庵主は下手に出せば 神が満周立大のかがう の公无のがもこく水ろ 問真野宮屋吉た古戸だ恥をかくだけ、と白湯ばかり出したので、秀 学道北満腐秀しは井の ドー ~ 原る天豆。催にのた吉は「湯沢山茶くれん寺」と呼んだ。この時 くはぶをり質出 の一言が別名になった。名水の井戸は今も境 内に残っている かみしちけん 同寺を過き約 250 E で④上七軒交差点 ここから北野天満宮東門に至る一角、真盛町 と社家長屋町、鳥居前町を含めた 3 町一帯が、 祇園などと並ぶ京都の花街の一つ、上七軒だ。、 や寺町 花街としての歴史は京都で最も古く、室町期 わ願福」 さ誓 に天満宮修造時の残った用材で茶屋 7 軒を建 」都制西元 Ⅱ関 てたのが上七軒の始まりだ。現在は軒あま りのお茶屋が営業している。 善京見 白神宮の境内 に立つ蹴鞠の碑。 撫でると球技が上 達するといわれる 秀吉が茶を所望 したという浄土院 ( 茶くれん寺 ) 。 谷 075-46 ト 0701 、 10 ~ 16 時 △千本通は平安京のメインストリ ート・朱雀大路として南北の幹線 路だった じようどいん せいめい 西陣小 徳寺 LePetitU l_ 烏丸今日 晴明神 - 第 慧光寺 智恵光完卍 「 - 。 - 西洞院務 = コロ 大人の遠足 BOOK 94 月中
創建は長保 3 年 : 、雫 ( 1001 ) という今 尊 - , 宮神社。古社の風 ゞ 0 格を示す楼門。 谷 075-49 ト 0082 、 境内自由 、はいい △今宮神社の東参道 今宮神社境内に ある神占石「阿保 賢さん」。「重軽石」 とも呼ばれ、なで ると軽くなるとい つ 舅を , 第、 ~ 町えで賑わっている る見 あが 商店街を過きるとすぐに古い町家造りの家 こん 教差馗が目立つ。古くから開けている大徳寺通との 交交差点には屋根に鍾馗さんを載せた古い町家 齔屋が見える。右手に立っ待鳳保育園の西側の道 が牛若通。今宮通北方の紫竹牛若町は源義朝 △ くるの別荘があった所といい、牛若丸誕生井や母 常磐御前にまつわる伝説を残している このあたりから左に大徳寺の土塀が続き、一百 振り返れば正面に比叡山が見える静寂に包ま一五 いまみや れた気持ちのよい一郭だ。ほどなく④今宮神 社東参道に着く。参道に向き合って立つあぶ り餅の店でひと息入れるのも楽しみの一つ。 西陣の人が氏神である今宮神社へ参拝を済ま せ、茶店で腰かけて休むのが常のコースだっ たという。末社の織姫神社は織物の祖神栲幡 千千姫命を西陣の織物関係者が祭ったもの 助 神紋や灯籠も織物に使う道具をかたどってい る。社前に立つ「紋」と刻んだ自然石の碑は不 紋織を民間の業として始めた岡本尊行を顕彰屋 して紋織業界が建立したもの。今宮神社の祭十 5 月 5 日の神幸祭が大きい。特に神幸祭には 西陣の町々から剣鉾が出る。剣鉾に付けた 5 E 余の綴織の吹散の豪華さは、西陣以外で はまねることもできない。 ⑤今宮神社の楼門前を西へと道は続くが、 ときわ いちもんしやわすけ 0 今宮神社東参道ロ南にある。漬物雑炊遠 1000 円やお茶漬け 700 円、漬物人 大 ピラフ 700 円など単品料理や一福 1 200 円、万福 2500 円といった本 格的な食事メニューもある。販売はき ざみすぐき 350 円など ち情幸 いにわ 今宮神社東参道北側の店を一文字屋和 助 ( 一和 ) 、南側をかざりやという。い ちわは創業長保 2 年 ( 1000 ) 。名物 は、竹串につけた小さな餅を炭火で焙 って甘い味噌ダレにつけて出すあぶり 餅。一人前本 500 円。 D A T A 075 ・ 493-1283 、 11 ~ 20 時、 火曜定休 ( 祝日の場合は営業 ) D A T A 谷 075-492-6852 、 10 ~ 17 時、 水曜定休