ハンティントン - みる会図書館


検索対象: 二十世紀をどう見るか
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1. 二十世紀をどう見るか

でに相当程度まで稀薄化している。その代わりに彼の念頭を支配しているのは、想像するとこ ろ、かなりハンティントン的な世界像に近いものではないか。「文明や「中核国家」といっ た一一一口葉を用いるかどうかは別として、クリントン以後の米指導者は、世界を複数の「文明プロ ック」あるいは「帝国」が並立する状態として捉えるほかはないだろう。その上で、アメリカ の拠「て立っ西欧文明とその中核としての地位を懸命に守るうとするだろう。 そのことは、しかし、アメリカの対外姿勢がこれまでとくらべて控え目になったり穏やかに なることを必ずしも意味しない。、 ノンティントンに即して述べたように、みずからの属する文 明についての危機意識が強いだけに、防禦の姿勢が他の文明への戦闘的姿勢に一変することも ありうる。したがって、ハンティントンか描くような米中間の文明戦争の勃発といった事態も、 まったくの杞憂とは片づけがたいのである。 皇帝なき帝国 しかも、ここで忘れてならないのは、一一十世紀末のアメリカが新経済自由主義という他の国 家にたいする恐るべき破壊力を秘めた武器を手に入れたことである。すでに第一一章で述べたよ うに、この市場原理を最優先させるアメリカ型経済は、グロ ーヾル化の潮流と一体化して、世 界の到るところで多くの諸国家の枠組みを揺さぶ「ている。一これまで「ケインズ的福祉国家」 12 2

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「西欧の膨張」が終わるとき 冷戦が終わった後の一一十世紀末にいたって、世界政治の上で「文明」がにわかに決定的な意 味をもち出しているーーーこのことにいち早く注目したのは、、 ーヴァード大学の政治学者サミ ン・アフェアー ュエル・ ・ハンティントンである。彼は、すでに一九九三年に『フォーリ ズ』誌上に「文明の衝突か」と題する論文を発表し、次のように論じた。 「今後の世界は、七あるいは八の主要な文明どうしの関係によって規定される。新時代におけ る紛争は、イデオロギーや経済の対立によってではなく、文明間の対立によって起こるだろう。 とりわけ、一方における西欧文明と、他方における儒教文明とイスラム文明の提携した〈儒教 Ⅱイスラム・コネクション〉との対立が深刻化し、今後の世界政治は、この対立を基軸として 展開されるだろう」 ( 大意、以下同じ ) ハンティントンは、さらに一九九六年に『文明の衝突』 ( 鈴木主税訳、集英社・原題は「文明 の衝突と世界秩序の再建」 ) と題する書物を刊行し、右の見方をいっそう敷衍し、補強して見せ た。以下においては、主としてこの書物の方の議論をもとにして、彼の説を検討してみること にする。 なぜ、一一十世紀末のポスト冷戦時代にあっては、世界の政治において文明が決定的な意味を もち出したのカノ ゝ。、ンティントンは、一九九三年の論文において、文明間の対立が先鋭化する 10 2

3. 二十世紀をどう見るか

また、ツアー帝国とソ連帝国の後継者であるロシアは、みずからを中核とした東方正教 ートランドをもち、その周囲にカザフスタンその他のイスラム諸国家が緩衝地帯として広 かる文明プロックを形成しようとしている。 このようにして、ハンティントンは、これからの世界政治を文明を単位として捉えることを 主張しながら、実は、各文明を「帝国」のようなものとして思い描いているように見える。少 なくとも、彼は、それぞれの文明の中核を形成する「コアⅡステイト」の役割を決定的なもの とみなし、各文明内部の秩序も文明相互の関係も、この中核国家によって決まってくると考え る。少し誇張していえば、ハンティントンの世界政冶観は、文明を単位としたものというより も、各文明を基盤として形成される「帝国」を単位としたものと見なすことができる。そして、 その上で、西欧文明という帝国的秩序の頂点に立つアメリカが、これも帝国的秩序を背後にも つ中国と対峙し、場合によっては戦争に突入するというシナリオを描いて見せている。このよ 、ハンティントンの姿勢は、西欧文明にかんする危機意識と戦闘的な帝国思 うな点を考えると 想が不可分に結びついているという意味でも、シュペングラーのそれとひどく似通っているこ とが分かるのである。 もちろん、ハンティントンの見方が、そのまま二十世紀末のアメリカ政府の政策を規定して しるわけではよい。 クリントン大統領の時代に入ってからも、アメリカ政府は折にふれて中国 12 0

4. 二十世紀をどう見るか

及させる代わりに、世界各地で非西欧的な土着の文化や宗教の台頭を招いている。そして、領 土、人口、経済力などの統計的な事実から見ても、世界における西欧の相対的な地位の低下は、 いまや争いがたい。そして、それとは対照的に、 ( 少なくともハンティントンがこの書物を書 いている時点では ) アジアの経済は驚くべき成長をしめし、それにともなって「アジア文化の ルネサンス」とも呼ぶべき現象が起こっている。中国人も日本人も、自己の文化のなかに新た な価値を見出し、西欧文化にたいしてアジア文化を再評価する点では、軌を一にしている。 ここで注意を要するのは、ハンティントンが西欧文明にたいする最大の脅威を中国の台頭の なかに認めていることである。かって一九九三年の「文明の衝突か」と題する論文では、この 政治学者の最大の警戒心は、イスラム文明に向けられていた。たが、一九九六年の書物では、 彼のもっとも大きな憂慮の対象は、明らかにイスラム文明から中国文明に移っている。 シンガポールの元老的存在であるリ ・クアンユーの表現を借りながら、ハンティントンは、 いま東アジアの覇権国として浮上しつつある中国を指して「人類史の最大のプレイヤー」と呼 ぶ。そして、中国の大国としての出現は、過去五百年間にその比を見ない大きな出来事となろ うと予測する。 ハンティントンによれば、東アジアにおける中国の覇権にたいしては、 << Z 諸国は、 挑戦の意志をもたないだろう。したがって、諸国が、アメリカとともに反中国の十

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そのような文明間の共通性を探求し拡大してゆくことが、文明多一兀的世界における平和維持の ために必要である。この第三の原則は、「共通性のルール」と呼ばれる。 こうして来るべき時代の平和三原則を明らかにした後、ハンティントンは、次のような一一 = ロ葉 でその著書を閉じる。「いま到来しつつある時代においては、文明の衝突が世界平和にたいす る最大の脅威である。したがって、文明に基礎をおく国際秩序をつくることが、世界戦争を防 ぐもっとも確実な安全装置なのである」。 シュペングラーとハンティントン 右に紹介したように、一九九六年のハンティントンの書物は、その末尾の部分では、文明間 の衝突を防止するための比較的穏当な原則を提一小している。しかし、この書物全体を支配して いるのは、なんといっても、来るべき文明多元的な世界にかんするアメリカ人としてのきわめ てペシミスティックな予測である。 このペシミズムは、すでに一九九一二年の『フォーリン・アフェアーズ』誌上の彼の論文でも 認められたが、九 , ハ年の書物では、それがいっそう強められている。その背景には、少なくと もこの時点では挫折を知らないかのように思われたアジア経済の目を奪うような成長ぶりがあ り、とりわけ中国の大国としての浮上があるだろう。きわめて大胆な仕方で米中間の文明戦争 1 12

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。ハンティントン自身も、このシナリオ に大胆すぎて現実味に欠けるという読者も多いだろう が読者にとって現実味に欠けるファンタジーと見えれば、それはそれで結構なことであると断 っている。ただし、彼は、このシナリオのなかでもっとも現実味があるのは戦争の原因にかん する部分だと述べ、そこから彼なりの教訓を引き出そうとする。 新しい平和三原則 ハンティントンの文明戦争にかんするシナリオによれば、この戦争は、アメリカか中国とヴ いいかえれば、西欧文明の中核国家で エトナムとの紛争に介入したことを契機として起こる。 ある米国が、中国文明という他の文明内部の紛争に介入することが、この戦争の原因になると いうわけである ( 中国は中国文明の中核国家であり、ヴェトナムは同じ中国文明の一構成国で ある ) 。このことからも分かるように、異なる文明どうしの大きな戦争を避けるためには、そ れぞれの文明の中心的な国家が、他の文明内部の抗争に干渉することを慎むことが必要である。 くつかの文明が並存する文明多一兀的な世界にお こういう意味での「自己抑制のルール」が、い いて平和を維持するための第一の原則となる、とハンティントンは説く。 同時に、この政治学者は、文明多一兀的な世界にあっては、文明を単位として国際機構を再編 成することが不可避となる、と見なす。たとえば、国際連合の安全保障理事会なども、主要な ー 10

7. 二十世紀をどう見るか

の自由民主主義の理念が最後的勝利をおさめ、歴史はヘーゲル的な意味で終わった〉とするフ ランシス・フクヤマの議論が、アメリカでは驚くほど広汎な反響を見出したのである。 ところが、このフクヤマの「歴史の終わり」と題する論文が保守系の雑誌『国益』に発表さ れて僅か四年後には、ひどく悲観的な調子のハンティントンの論文「文明の衝突かーが、アメ リカの代表的な外交雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に登場した。この論文のなかで、ハン しかし、文 ティントンはトインビーのみに一一 = ロ及し、シュペングラーの名前を挙げてはいよい。 明を単位として世界を眺め、しかも西欧文明の将来についてペシミズムが目立っ点で、このハ ーヴァードの政治学者の論文は、トインビーよりもシュペングラーを想起させるものであった。 いいかえれば、第一次世界大戦を契機にヨーロツ。ハに登場したペシミスティックな文明論は、 活二十世紀末のポスト冷戦時代にいたって、ついにアメリカの知識人をも捉えることになったの である ( なお、ハンティントンは、一九九六年の書物では、何度かシュペングラーに一言及して 帝いる ) 。 と 明 文 中核国家の行動 章 四私が見るところ、ハンティントンとシュペングラーの共通点は、たんに西欧文明の将来にかク んする悲観論にとどまるものではない。 両者は、ともに西欧文明が危機に立っていることを前

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第四章文明と帝国の復活 S. ハンティントン ( 読売新聞 ) O. シュペングラー ( 共同通信 ) 、

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提としながら、一種の攻勢防御とでもいうのであろうか、他の非西欧文明にたいして戦闘的な 姿勢をとる点でも、著しい共通性をしめしているのである。 シュペングラーが説くところによれば、すべての文明は末期にいたって「帝国」という形態 をとり、カエサル的人物に率いられて帝国主義に転ずるとされる。つまり、ギリシア・ローマ 文明の末期にローマ帝国が登場したのは、けっして一回かぎりの現象ではなく、西欧文明をふ くむすべての文明において繰り返される典型的な終末状態にほかならない。ただし、シュペン グラーによれば、西欧文明のなかで帝国を建設できるのはドイツ人だけであるとされ、彼自身、 西欧文明の末期の帝国として「ゲルマン帝国」の樹立を目標に掲げるのである。しかし、実際 にヒトラーが台頭してきたとき、シュペングラーは、ヒトラーをみずからが待望する「ゲルマ ン帝国の指導者とは認めない。そして、最後は、権力についたナチスと仲違いしたまま、こ の世を去ることになる。 しかし、いずれにしても、シュペングラーの場合、西欧文明の没落にかんする危機意識と 「ゲルマン帝国」の建設という大胆な目標設定とが表裏一体の関係にあったということができ よう。そして、それと相似た考え方は、ハンティントンの議論のなかにも指摘することが可能 なのである。たしかに、ハンティントンの場合には、文明が危機に臨むと「帝国」の形態をと しオしオカ見逃してならないのは、この著名な るという見方は、直接的な形では説かれて、よ、。ご。 : ロ 8

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、い ) にハンティントンが西欧文明にたいする中国文明の脅威 の可能性にまで言及するあたり を切実なものと感じているかが窺われる。 それにしても、なぜ、ハンティントンのようなアメリカの代表的な政治学者が、一一十世紀末 に来て、文明を単位とする世界像を展開し、しかも、西欧文明の将来にかんして極度に悲観的 な見方をしめすのか。一一十世紀における文明論の展開と、アメリカという国家の変遷の双方を ースペクテイプのなかで、その理由をあらためて考えなおしてみ 見据えながら、より大きな。ハ る必要があるだろう。 まず最初に注意を促したいのは、第一次世界大戦の終わった一九一八年という年が、文明論 の上でも、また、アメリカの世界政治への姿勢という点でも、重要な意味をもっていることで 活ある。 復 なによりも、この年は、ドイツ人のオスヴァルト・シュペングラーによって著された『西洋 の 帝の没落』の第一巻が公刊された年である。この書物は、それまでの国民国家単位の歴史や直線 明的な進歩史観を排し、世界史を複数の文明が興亡を繰り返してきたドラマとして捉えようとい 文 ハビロン、中国等々の文明は、それぞ う最初の試みであった。「ギリシアⅡローマ、インド、 章 四れ一個の生物体のように生まれ育ち、青壮年期を経て老年期を迎え、最後には死滅にいたった。 それと同じように、西欧文明もまた、死滅を免れず、すでに十九世紀以降の西欧文明は老年期