したがって、国民国家が世界の大勢であった近代史の局面にうまく適応できなかった。だが、 いまや経済をはじめとして多くの事柄が国民国家の枠をこえて急速にボーダレス化しつつある 状況のもとでは、新たなタイプの「中華帝国」形成の条件が生まれつつあるように見える。少 なくとも、鄧小平以後の中国指導者たちは、「社会主義的市場経済」の名のもとに経済の開放 をおし進め、その基盤の上に新たなタイプの「中華帝国」の樹立をはかろうとしているように 思われるのである。 もちろん、ドイツのめざす「中欧帝国」と中国が志向する「中華帝国」とでは、その内容も 性格も大いに違う。しかし、重要なのは、地域の中心部における「帝国」の建設にともなって、 周辺の諸国家が深刻な影響を受けるという点では、ヨーロツ。ハも東アジアも同じだということ である。 ヨーロツ。ハの中心でのドイツによる「中欧帝国」の建設の進展にともなって、英、仏、伊な どの周辺諸国は、その波紋に否応なくもてあそばれることになる。それと同じように、東アジ アの中心地帯で中国による「帝国」の再編成が進行すれば、周辺の日本や韓国や東南アジア諸 国などは、それがひき起こす影響を免れることはできない。その意味では、現在の日本がおか れている国際的な位置は、ヨーロツ。ハにおけるドイツのそれよりも英、仏、伊といった諸国の それと比定すべきであろう。 182
される「中欧帝国」の構造は、中国がめざしている家産制的な「中華帝国」とはおのずから性 格を異にするだろう。だが、日本にとっての最大の問題は、アジア的規模でボーダレス化の流 れに棹さした家産制的な「中華帝国」の建設が進んでゆく事態に、いかに対応するかである。 それは、これまでドイツをふくむ西欧諸国をモデルとし、社会と緊密に一体化した近代国家を 作り上げ、その基盤の上に繁栄と安定を享受してきた日本人にとって、いかに難しい課題であ ることか。われわれは、いたずらにアジア回帰の心情におぼれることなく、なによりも日本の 命運がかかっているこの課題の困難さを自覚すべきであろう。 華夷秩序ふたたび ここで見逃してならないのは、こうして中国が多少とも伝統的な帝国のタイプの支配に戻る 日とともに、かって矢野が指摘した中国の「無国境」的な性格も、ふたたび頭をもたげているこ 国とである。周辺諸国との境界を一種の「邊疆」に見立て、あわよくばフロンティアの前進をは 華かろうとする中国の伝統的な傾向が、一一十世紀の末にきて意外に現実性をおびはじめているの 中 である。 章 七といって、通常の意味での国境にたいして、中国政府が無関心になったわけではない。尖閣 諸島やスプラトリー諸島の例をもち出すまでもなく、現在の中国は、国境線そのものの前進に 203
たからである。 ーバル化という世界経済のまったく新たな潮流と、帝国という中国 鄧小平の非凡さは、グロ の伝統的な統治方法との親縁性を見逃さなかった点にある。江沢民以下の後継者たちが、現在 しか のレジームのままで鄧小平の路線をどこまで発展させうるかは、予測のかぎりではない。 ヾル化の潮流に棹さした新たな中華帝 し、たとえ現在の共産党政権が断絶しようとも、グロー 国の形成という歴史の趨勢は変わらないだろう。ということは、しかし、これまで近代主権国 家の原理に寄りかかってきた日本にとっては、困難な新しい時代の到来を意味する。 しばしば指摘されるように、中国史における統一帝国の支配は、その中央集権的な官僚体制 にもかかわらず、社会の底辺まで浸透することはなかった。中央から下降する中国官僚制の支 配は、つねに、地縁的あるいは血縁的なさまざまな勢力と妥協する形でしかおこなわれなかっ 日た。そこに中国官僚制の名だたる腐敗が生ずる所以があったし、中央から派遣される官僚が地 国方の勢力と結託するという現象も生じた。要するに、中国史における国家というのは、一定の 華領土内の社会を完全に掌握し尽くすことなく、底辺の社会を、ある程度まで不定形で流動的な 中 状態においたまま、その上に覆いかぶさる形で存在してきたにすぎない。 七このように中央から下降する権力が社会の底辺まで及ばず、さまざまの地縁的、血縁的、あ るいは宗教的な勢力と妥協するという統治の形態は、なにも中華帝国だけに見られたものでは 191
外種族の侵入によるものである」 ( 大意 ) この解釈に倣っていえば、日本もまた、前世紀の末以来一世紀にわたって、初めは軍事力に よって、終わりは経済力によって、中国に刺激をあたえた夷狄の一つだったということになろ う。そして、この刺激によって中国が若返った暁には、この外種族は、東方に向かって遠く走 り去り、もはや文明的な影響力を発揮することもなく、中華帝国の末端でむなしく老衰してゆ くのだろうか。すべてに受け身の姿勢をとり、現世に程良く順応して幸せに生きようとする日 本の若者たちを見れば、気分はすでに帝国の時代の末端に位置する者のそれである。 216
/ シュペングラーとハンティントン / 中核国家の行動 / 皇帝なき帝国 第五章帝国への志向ーーーロシアの場合 あっけない幕切れ / ゴルバチョフの失敗 / ニつの民族主義運動 / 回収さ れたツアーの領土 / エリツインの新ロシア帝国 / くり返される歴史 第六章「中欧帝国」の浮上 「ミッテル・オイロー ー /r-@> の階層秩序 / ドイツ国外のドイツ人 / 不完全な民族国家 / ビスマルクの本心 / ナチスの「ゲルマン帝国」 / 追 放された千四百万人 / 遠大な戦略目標 / 鍵を握るアメリカ 第七章中華帝国と日本 「周辺」に置かれる日本 / 「中国は国家なのか」 / 日本人の優越意識 / 挫折した歴代の指導者 / 鄧小平独特の帝国支配 / ユダヤ人よりユダヤ的 / ニつの未来像 / 華夷秩序ふたたび / 浮き草のように / 東洋文化の中心 終わりに 参考文献 217 127 147 179 221
法・金融・財政等のメカニズムを指すように思われる。手つ取りばやくいえば、一一十世紀末に いたってはじめて、中国は、西欧諸国や日本並みに国民的規模の市場経済を連営しうる域につ いに到達したというのが、黄仁宇氏の判断である。 しかし、この黄氏の議論の欠陥は、あまりにも従来の近代国家のモデルにとらわれすぎてい ることだろう。この点では、たとえばジャンーマリ・ゲーノ著『民主主義の終わり』が説くよ うな、「経済のポーダレス化にともなって近代の国民国家の時代が終わり、境界も定かでない アジア型の茫漠たる〈皇帝なき帝国〉の時代が到来しつつある」といった解釈の方が、はるか ー = = 彳カかあるように田 5 われる 他方、台湾の文明史研究家の黄文雄氏は、その著書『中華帝国の解体』 ( 亜紀書房 ) におい て、改革・開放路線の進展とともに遠心力的な地方主義が台頭し、今後の中国は唐帝国が安史 日の乱以後に辿ったのと相似た運命を辿るだろうと予測する。つまり、中国の行き着く先は、唐 国帝国滅亡後の五代十国のような多国家時代と見るわけである。 華たしかに、統一と分裂を繰り返してきた長い歴史のなかで、現在の中国が毛沢東らが建設し 中 た「世界帝国」の分解の局面にさしかかっているという見解は、傾聴にあたいする。われわれ 章 七は、鄧小平後の中国が統一を保持しつづけるケースと、いくつかの地域権力に分解するケース との二つの可能性をつねに頭に入れて、用意を怠ってはなるまい 2 01
と、レーガンやサッチャーの「小さい政府」の路線は、どこかで呼応しあっていたといえるだ ろう。鄧小平たちが賢明だったのは、炯眼にもこのことを見抜き、天安門事件などの混乱にも かかわらず、さらに大胆な社会の流動化をおし進めていったことである。 グロ ーヾル化という時代背景がなければ、鄧たちの「改革・開放路線は、いたずらに社会 の底辺にアナーキに近い状態を招き、かって政治と社会が没交渉だった蒋介石以前の時代への 復帰を意味するにすぎなかっただろう。 しかし、実際には、一九八〇年代から九〇年代にかけて、世界のカネとモノと企業が国境を こえて自由に動きまわる状況が到来したために、鄧以後の中国経済は、この波に乗って全体と しては驚くべき成長をしめすようになったのである。その内部に極端な格差と混乱を抱えなが らも、中国社会は、内外の人びとにとって到るところにビジネス・チャンスが開けた活力に溢 日れる社会となった。それとともに、中国は、世界の成長センターであるアジア経済の中心的な 国担い手の位置にのし上がったのである。 華そして、このことを背景として、中国特有の帝国支配への復帰の可能性も出てきたのだった。 中 現に、北京の政府は、歴史上の中華帝国の政府と同じように、社会の底辺を不定形で無政府的 章 七な状態においたまま、その上に覆いかぶさる形で統治する方向へと向かっている。多くの帝国 の支配がそうであるように、この政府が窮極的に関心をもっているのは、いまや秩序の保持と 19 )
そのことをもっとも端的にしめしたのが、一九九八年七月にサンクトペテルプルクでおこな われたロシア帝国の「最後の皇帝」ニコライ二世一家の葬儀であった。この葬儀は、ロシア政 府によって国家式典とされ、エリツイン大統領もそれに参列した。いったんは葬儀への参列を ためらったエリツイン大統領であったが、「 ( 欠席は ) 自分と同じ元の国家一兀首にたいする裏切 りである」という批判が出るにおよんで、結局は参列に踏み切った。こういう事実に照らして も、ロシアの現大統領がロシア帝国のツアーの後継者をもって任じていることがよく分かるだ ろ , つ。 それにしても、一一十世紀の大半を通じてソ連邦が存在した時代、誰が、ロシアの国家元首が こういう仕方でツアー一家の葬儀に参列する光景を想像できただろうか。この光景ほど、私が 本書のなかでくり返し触れてきた「歴史の慣性ーを如実に物語る例も少ないだろう。 「歴史の慣性」といえば、最後の章で述べたように、それは東アジアでも間違いなく作用し、 中華帝国の復活を促している。私は、中華帝国の復活に関連して、これから一一十一世紀へかけ ての日本人の将来をいささか悲観的に描きすぎたかもしれない。 しかし、それも、日本人が自 分たちのおかれた状況のきびしさをじゅうぶん自覚した上で、なおかっ広域的な発想をもっ必 要があると考えたからである。 一一十一世紀の日本人が華夷秩序の周辺であてどのない漂流を続けないためにも、東アジアに 218
第七章中華帝国と日本 孫文 (AP/WWP) 鄧小平
イギリスの場〈只長らく、ヨーロツ。ハ大陸での欧州共同体あるいは欧州連合の発展にいかに 対応するかが、この国の政治の最大の争点を形づくってきた。しかし、すでに少し触れた『サ ッチャー回顧録』の記述にも窺われるように、冷戦後のイギリスの大きな関心は、統一後のド ィッにいかに対応するかという問題にも向けられている。また、フランスの場合には、ミン ランからシラクへの大統領の交代にともなって、その外交の基本姿勢も、必ずしもヨーロソ 統合のために仏独友好関係を最優先するものではなくなっている。むしろ、核実験の再開によ ツ。ハにおけるドイツの台頭への ってフランスの存在を際立たせようとするあたりには、ヨーロ 牽制という意図もなにほどか読み取ることができよう。 いずれにしても、ドイツ中心の「中欧帝国」が浮上してくるとともに、英仏などの周辺諸国 というのも、それにうまく対応で は、それへの対応に大きなエネルギーを注がざるをえない。 日きなければ、イタリアのように地域主義が台頭して、下手をすれば国民国家としてのまとまり 国さえもが脅かされる危険性があるからである。 華こうしたヨーロツ。ハの事情を見るにつけても、これからの日本が直面する最大の問題は、新 中 たな「中華帝国」建設の影響にいかに賢明に対処するかにあることが、あらためて知られるだ 章 七ろう。しかも、中国側の市場開放の方針に呼応して、すでに日本の国家も企業も中国経済に深 くコミットしているだけに、この点についての日本の対応の仕方はきわめて困難なものになら