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1. 法学セミナー2016年05月号

098 法学セミナー 2016 / 05 / n0736 LAW CLASS う批判がある。しかし、計画説は、密接性や危険性 を判断する上での判断要素の 1 つに犯行計画を入れ るだけであり、計画自体 ( 主観面 ) の危険性から直 ちに実行の着手を認めるものではないのでこの批判 は当たらない。 例えば、窃盗の故意で電気器具店の店舗に侵入し た場合、犯行計画を考慮しなければ店舗に立ち入り 懐中電灯で物色を開始した時点で ( 店舗内の電気器 具が盗まれる危険性が認められるので ) 窃盗罪の実行 の着手が認められる可能性がある。しかし、行為者 が「なるべく現金を盗みたい」という計画をもって いたことを考慮すると、実行の着手時期をレジスタ ーのある煙草売場に行こうとした時点に繰り下げる ことも可能となるのであって、計画の考慮が着手時 期を常に早めるわけではない。 [ 3 ] 計画的犯行における実行の着手の判断の 考慮要素 行為者が、準備的行為 ( 第 1 行為 ) を経た上で構 成要件該当行為 ( 第 2 行為 ) におよび既遂結果を発 生させるという犯行計画を立てていた事案におい て、準備的行為を開始した時点で実行の着手が認め られるか否かを判断する際には、 ( 前述のように ) 行 為者の犯行計画を吟味する必要がある。 行為者が準備的行為 ( 第 1 行為 ) と構成要件該当 行為 ( 第 2 行為 ) という 2 段階の行為を行って結果 を惹起しようと計画している場合、行為者が頭の中 で計画していた第 1 行為と第 2 行為が、もし現実に そのとおり行われたと仮定したとき、この 2 つの行 為が 1 個の行為と評価できるかが問題となる。 そして、行為者が計画していた準備的行為が、そ の後に予定していた構成要件該当行為の直前に位置 する密接行為であり、準備的行為自体に既遂に至る 客観的危険性が認められれば、行為者は「 1 個の行 為」により結果を実現しようという計画を立ててい たと刑法的に評価できる。そこで、 1 個の行為によ り結果を惹起させるという犯行計画をも考慮すれ ば、行為者が現実に行った準備的行為 ( 第 1 行為 ) の開始時点で実行の着手を認めることができる。 このように、第 1 行為と第 2 行為の一体性が問題 となるとしても、それは行為者が現実に行った第 1 行為と第 2 行為の一体性ではなく、あくまでも行為 者の計画した、すなわち行為者が頭の中で考えた第 1 行為と第 2 行為の一体性が問題となっていること に注意する必要がある。 問題は、計画上の準備的行為と計画上の構成要件 該当行為が 1 個の行為と評価できるかを判断する際 の判断基準は何かである。この点につき、クロロホ ルム最高裁決定は次のような事情を考慮要素として 重視している。 第 1 は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) が構成要件該当 行為 ( 第 2 行為 ) を確実かっ容易に行うために必要 不可欠であるといえるかである ( 必要不可欠性 ) 。も し、構成要件該当行為を行うためには準備的行為が 必要不可欠なものであれば、準備的行為を構成要件 該当行為に密接な行為と言いやすいし、準備的行為 自体に既遂に至る客観的危険性を認めやすい。 こで既遂に至る客観的危険性とは、構成要 * なお、 件該当行為 ( 第 2 行為 ) に至る客観的危険性の意味であり、 準備的行為 ( 第 1 行為 ) 自体から既遂結果が直接発生する 危険性を問題にしているわけではない。このことは、例え ば、 ( 一般に窃盗罪の実行の着手が認められるとされてい る ) 物色行為 ( 準備的行為 ) から直接財物の占有移転とい う結果が発生するわけではないことを考えれば明らかであ ろつ。 第 2 は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) に成功すれば、 構成要件該当行為 ( 第 2 行為 ) を遂行する上で障害 となるような特段の事情がないことである ( 遂行容 易性 ) 。もし、準備的行為に成功しても、構成要件 該当行為を遂行する上で障害となるような特段の事 情が存在するならば、準備的行為を構成要件該当行 為の密接行為と言いにくいし、準備的行為自体に既 遂に至る客観的危険性を認めにくい。逆に、このよ うな特段の事情が存在しなければ、準備的行為 ( 第 1 行為 ) を完了することにより犯行計画の重要部分 を終えたと評価できる。 第 3 は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) と構成要件該当 行為 ( 第 2 行為 ) とが時間的・場所的に近接してい ることである ( 時間的・場所的近接性 ) 。両行為が時 間的・場所的に近接していれば、準備的行為が構成 要件該当行為の密接行為と言いやすいし、準備的行 為自体に既遂に至る客観的危険性を認めやすい。 クロロホルム事件最高裁決定は、以上の 3 点を考 慮要素として指摘しているが、そのほか準備的行為 ( 第 1 行為 ) 自体が成功する可能性が高いかどうか という要素 ( 準備的行為の成功可能性 ) を重視する下 級審判例もある ( 例えば、前掲・名古屋地判昭 44 ・ 6 ・ 25 ) 。たしかに、準備的行為が成功する可能性が低

2. 法学セミナー2016年05月号

に外ならない」と判示しており、ドイツのヘイトスピー チ規制である民衆扇動罪における「人間の尊厳への攻撃」 要件の判断と共通する部分がうかがわれ、興味深い。 8 ) アメリカにおける諸学説の主張については、奈須祐 治「ヘイト・スピーチの害悪と規制の可能性 ( 一 ) 」関 西大学法学論集 53 巻 6 号 ( 2004 年 ) 57 頁以下が詳しい。 9 ) 柑本美和「「暴行』と「傷害』」上智法学論集 50 巻 4 号 ( 2007 年 ) 105 頁以下参照。 10 ) このような視点からすれば、現行刑法で対処可能な ものはヘイトスピーチというよりへイトクライムである との見方も可能であろう。前田朗「ヘイトクライム研究 所説」 ( 三一書房、 2015 年 ) 16 頁以下参照。 (1) 集団侮辱罪については、楠本孝「集団侮辱罪と民衆 扇動罪」龍谷大学矯正・保護総合センター研究年報 2 号 ( 2012 年 ) 38 頁以下など参昭 12 ) こうした例をひきつつ、現行法でも「全員に共通す る性質が認められるのであれば、集合的名称での複数人 に対する名誉毀損は可能」とするものとして、大塚仁ほ か編「大コンメンタール刑法〔第 2 版〕 12 巻』 ( 青林書院、 2 開 3 年 ) 16 頁〔中森喜彦執筆〕。 13 ) 曽根威彦「判批」判例時報 1388 号 218 頁以下、平川宗 信「判批」警察研究 63 巻 5 号 ( 1992 年 ) 42 頁以下、君塚 正臣「扇動罪と破防法」阪大法学 41 号 ( 1992 年 ) 1283 頁 以下など。なお、先の渋谷暴動事件では、この演説の 4 日後、実際に渋谷で暴動が起き、警察官 1 人が死亡した ほか、交番等への放火、山手線の運行が止まるなどの事 態が生じている。学説から少なからぬ批判を受ける同判 決でさえ、破防法の扇動罪の成立を認めた事案にはこう した背景が存在した。扇動罪処罰の検討に関しては慎重 に慎重を重ねた検討が求められる。 14 ) 金尚均「ヘイト・スピーチ規制における「明白かっ 現在の危険』」龍谷政策学論集 4 巻 2 号 ( 2015 年 ) 79 頁 以下も参照。 15 ) 民衆扇動罪の制定過程については、拙著「ドイツに おける民衆扇動罪と過去の克服ーー一人種差別表現及び 「アウシュヴィッツの嘘』の刑事規制」 ( 福村出版、 2012 年 ) 参照。なお、その他にもヘイトスピーチと虐殺との 関連を想起させるものとしては、ルワンダ虐殺の際に「ゴ キプリどもを皆殺しにしろ」などと連日繰り返されたラ ジオ放送などがある。 16 ) したがって、口頭による表現よりも、印刷物、掲示 物およびインターネットへの書き込みなどのほうが、社 [ 特集員へイトスヒーチ / ヘイトクライムⅡーー理論と政策の架橋 法津時報 029 会に持続的に存在する点で問題が大きいとみる。なお、 ( さくらば・おさむ ) る助成の成果の一部である。 25 ) 本稿は科学研究費補助金 ( 課題番号 15K16943 ) によ ( 2015 年 ) 127 頁以下も参昭 概念の外延と内包に関する一考察」比較憲法学研究 27 号 スピーチの定義」 19 頁以下、梶原健佑「ヘイトスピーチ 前田・前掲注 10 ) 書 309 頁以下、金・前掲注 18 ) 「ヘイト また、ヘイトスピーチの類型化を試みるものとしては、 イトスピーチの法的研究』 ( 法律文化社、 2014 年 ) 121 頁。 24 ) 拙稿「刑法における表現の自由の限界」金尚均編「へ 頁以下を参照されたい。 刑罰を規定すべきか」部落解放研究 204 号 ( 2016 年 ) 179 23 ) 詳細については、拙稿「禁止規定の担保措置として 22 ) 紙幅の関係上、これに関する詳細な検討は別稿に譲る。 (1) 三井誠「判批」警察研究 61 巻 7 号 ( 1990 年 ) 54 頁。 制しないのは極論であろう」 ( 同 165 頁 ) と指摘する。 からという理由で、現実の切迫した法益侵害を放置し規 2013 年 ) 164 頁以下参照。ただし、「濫用の危険性がある 20 ) 師岡康子「ヘイトスピーチとは何か』 ( 岩波書店、 ( 尚学社、 281 年 ) 85 頁。 19 ) 戒能民江編著「ドメスティック・バイオレンス防止法』 の定義」龍谷法学 48 巻 1 号 ( 2015 年 ) 19 頁以下。 事規制を検討するものとして、金尚均「ヘイトスピーチ 18 ) ヘイトスピーチに特有の害悪に焦点をあて、その刑 : 彡い、 0 矢昭 17 ) 各国の法状況については、前田・前掲注 10 ) 書 553 頁 りわけ第 4 章および第 5 章参昭 イト・スピーチという危害」 ( みすず書房、 2015 年 ) と ジェレミ ・ウォルドロン ( 谷澤正嗣 / 川岸令和訳 ) 『へ いう意味で、むしろ環境犯罪との類縁性が想起される。 限界点に達すると取り返しのつかぬ害悪を発生させると と概念化するが、私見では、小さな害悪が蓄積し続け、 ウォルドロンはヘイトスピーチからの保護利益を「尊厳」 日東日个大震災 5 年 あの 3.11 から 5 年が経過した今、被災地の内外で、 どのような異同があるのか。被災地で顕著な事象 に着目しつつ、日本の普遍的な法的問題も視野に おいて分析する。 日本評論社 2016 年 4 月号 好評発売中 / 本体 1 , 750 円 + 税 2 被災地における法と法律家の役割・・・飯考行 / 被災地の住 宅問題と法・・・津久井進 / 被災地の雇用・労働問題と法・・・和 田肇 / 被災地の高齢消費者保護と法・・・河上正二 / 福島原 おける個人番号制度をめぐる諸問題・・・人見剛ほか 改正案における協議・合意・・・池田公博【法律時評】番号法に ツの司法取引と日本の協議・合意制度・・・辻本典央 / 刑訴法 米国の司法取引と日本の協議・合意制度・・・青木孝之 / ドイ 的検討ーーー比較法研究を踏まえて企画趣旨・・・加藤克佳 / で語る日本国憲法・・・金井光生ー小特集 : 司法取引の多角 ・・・福田健治・河﨑健一郎 / Vo 「 dem Gesetz—福島大学 発事故賠償の現段階・・・吉村良一 / 原発事故と避難の権利

3. 法学セミナー2016年05月号

いる。訴えの利益が消滅するか存続するかの線引 開発許可の取消しを求める狭義の訴えの利益 きには、なお理論的にすっきりしないものが多い。 は、工事が完了し、検査済証が交付された後にお その一つが、上記争点である。学説では批判が多 いても認められるか。 いが、従来の判例は、建築物の完成後は建築確認 の取消しを求める訴えの利益が失われ、開発工事 上告棄却 完了後は開発許可の取消しを求める訴えの利益が 1 「市街化調整区域のうち、開発許可を受けた 失われるという立場をとっている ( 前者につき、 開発区域以外の区域においては、都市計画法 43 条 最判昭 59 ・ 10 ・ 26 民集 38 巻 10 号 1169 頁、後者につ 1 項により、原則として知事等の許可を受けない き、最判平 5 ・ 9 ・ 10 民集 47 巻 7 号 4955 頁 ) 。と 限り建築物の建築等が制限されるのに対し、開発 ころが、本判決は、従来の判例とは逆の結論を出 許可を受けた開発区域においては、同法 42 条 1 項 した。これは、一見、判例変更に思える。 により、開発行為に関する工事が完了し、検査済 2 従来の判例は、①開発許可は、これを受けな 証が交付されて工事完了公告がされた後は、当該 ければ適法に開発行為を行うことができないとい 開発許可に係る予定建築物等以外の建築物の建築 う法的効果を有するが、工事が完了し検査済証が 等が原則として制限されるものの、予定建築物等 交付されたときは、開発許可の法的効果は消滅す の建築等についてはこれが可能となる。そうする ること、②開発許可の存在は、違反是正命令を発 と、市街化調整区域においては、開発許可がされ、 する上での法的障害とならず、開発許可が取り消 その効力を前提とする検査済証が交付されて工事 されても、違反是正命令を発すべき法的拘束力は 完了公告がされることにより、予定建築物等の建 生じないことを理由とする。本判決は、理由①に 築等が可能となるという法的効果が生ずる」。 っき、市街化調整区域における開発許可と市街化 「以上によれば、市街化調整区域内にある土地を 区域におけるそれとを区別する。つまり、前者か 開発区域とする開発許可に関する工事が完了し、 らは、工事完了後、「予定建築物等の建築等が可 当該工事の検査済証が交付された後においても、 能となるという法的効果」が生じるので理由①は 当該開発許可の取消しを求める訴えの利益は失わ 妥当せず、後者にのみ妥当するとして、従来の判 れない」。 例の射程を狭めた。本判決が、法的効果の有無に 2 「所論引用の判例は、市街化区域内における こだわっている点で、従来の判例を維持しており、 土地を開発区域とする開発許可に関するものであ 原告適格論の法律上保護された利益説と軌を一に るところ、市街化区域においては、開発許可を取 する。 り消しても、用途地域等における建築物の制限 3 従来の判例が「 ( 工事を ) やったもん勝ち」 ・・・等に従う限り、自由に建築物の建築等を行う を容認しているのに対し、本判決は実効的権利救 ことが可能であり、市街化調整区域における場合 済の立場から軌道修正したといえる。もっとも、 とは開発許可の取消しにより排除し得る法的効果 都市計画法の仕組みはわかりにくく、市街化区域 が異なる」。 の開発許可から法的効果が生じない理由について も説明してもらいたかった。 ( 市街化区域には同 1 行政事件訴訟法 9 条 1 項の「法律上の利益」 法 42 条 1 項但書が適用され、 43 条 1 項が適用され 法学セミナー ( やました・りゅういち ) には原告適格と ( 狭義の ) 訴えの利益が含まれて ないためか ? ) 。 2016 / 05 / no. 736 119 行為に関する工事が完了し、 Y 市長は、同法 36 条 2 Y 市長は Y 市内の土地を開発区域 ( 以下、「本件 項に基づき A に検査済証を交付した ( 提訴時、工事 開発区域」という ) とし、訴外 A からの都市計画法 完了時及び検査済証交付時の前後関係は不明 ) 。 29 条 1 項に基づく開発行為の許可の申請に対し、開 第 1 審は、工事が完了し検査済証が交付された後 発許可 ( 以下、「本件許可」という ) をした。なお、 は、訴えの利益が失われるとしたが、控訴審は、訴 本件開発区域は市街化調整区域内 ( 同法 7 条参照 ) えの利益は失われないとして第 1 審判決を取り消 にある。これに対し、本件開発区域の周辺住民 X ら し、第 1 審に差し戻した。これに対し、 Y が上告し が本件許可の取消しを求めた。本件許可に係る開発 た。 [ 最ー小判平 27 ・ 12 ・ 14 LEX / DB 文献番号 25447647 ] 事実の概要 工事完了後の開発許可の取消しを求める訴えの利益 最新判例演習室ーー、行政法 裁判所の判断 北海道大学教授山下竜一

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LAWJOURNAL ロー・ジャーナル 007 の社説が、起訴を前提とした検察の捜査を「恥」と 指摘した。同年 10 月 10 日付の京郷新聞も、「大統領 府の顔色を窺った無理な起訴」と批判した。記事で は、世明大・鄭然雨教授やソウル大・曺國教授も同 様の見解を示していた。アメリカでも本件捜査・起 訴を批判する報道がなされ 9 、国務省・人権報告書 でも本件が取り上げられた 10 ) 。判決翌日には、韓国 の保守系新聞・朝鮮日報さえ「得たものは無く、損 害だけが甚大な『バカ起訴 ( 可旦幻丕 ) 』」と報じた。 検察が無理な起訴を行った背景として、次の 2 点 を指摘しておく。 ( 1 ) 李明博政権以後、検察や情報機 関出身者を政府高官に多く重用し、言論の自由に対 して強硬姿勢を採っている。 2015 年 11 月には、国連・ 自由権規約委員会が、韓国政府が政府を批判する者 を名誉毀損罪で訴追・処罰していることを挙げ、懸 念を示したほどである 11 ) 。 ( 2 ) 朴槿恵大統領は、本件 記事公表直後に怒りを露わにしたと報道されてい る。しかし、その後は処罰意思を明確にしていない。 韓国の名誉毀損罪は、反意思不罰罪である ( 刑法 312 条 2 項、情報通信網法 70 条 3 項 ) 。そのため、被害 者の告訴が無くても公訴提起できるものの、被害者 が処罰を望まない意思を示したときは公訴提起でき ない。韓国 NGO ・参与連帯は、朴槿恵政権下で、 市民団体が政府批判を刑事告発し、直接の被害者 ( = 政府高官 ) が処罰意思を明らかにしないまま刑事訴 追が行われる事例が散見されると指摘している 12 一国の大統領が自国の刑事事件について処罰意思を 示すことは困難である。本件でも、大統領が明示的 な処罰意思を示すことも、検察がそれを確認するこ ともできなかった。また、国内外から捜査の進行自 体に批判が集まった。加えて、本件記事に先行して 同内容の報道をし、加藤氏の引用元でもある朝鮮日 報は告発されていないため、本件のみを起訴すれば 公平性を欠くことが明らかであった。検察は、起訴 した場合は国際社会から、起訴しなかった場合は大 統領ないしは大統領府から批判を受ける状況に置か れ、「大統領府の顔色を窺った無理な起訴」に至っ たと思われる 13 ) 7 おわりに 韓国では、本件起訴自体に強い批判が向けられて いる。刑事法の観点からも言論の自由の保障という 観点からも、無罪判決に疑義は示されていない。む しろ、言論の自由の保障を巡る議論の引き金として 受け止められている。周知の通り、慰安婦問題を巡 り、世宗大・朴裕河教授が刑事訴追・損害賠償請求 されたこともあり、表現・言論の自由や学問の自由 に関する議論は高まっている 14 。 1987 年の民主化以 後、国際水準への合致を目指して法整備を行ってき た韓国における議論の行く末が注目される。 ( あべ・しようた ) 1 ) 本判決原文は、韓国・高麗大の洪榮起教授・河泰勲 教授を通じて、ソウル中央地裁から入手した。この場を お借りして御礼申し上げる。本判決全訳は、安部祥太「産 経新聞社前ソウル支局長無罪判決」青山口一フォーラム 5 巻 1 号 ( 2016 年 6 月発刊予定 ) を参昭 2 ) 本件記事や朝鮮日報の記事、ニュースプロの論評や 起訴状、本件公判を含む事件の詳細 ( 判決文を除く ) は、 加藤達也「なぜ私は韓国に勝てたかー朴槿恵政権との 500 日戦争ー』 ( 産経新聞出版、 2016 年 ) を参照。 3 ) 申東雲「新刑事訴訟法〔第 5 版〕』 ( 法文社、 2014 年 ) 612-622 頁。 4 ) 李在祥・趙均錫「刑事訴訟法〔第 10 版〕」 ( 博英社、 2015 年 ) 436 頁など多数。 5 ) 同文書の邦訳は、加藤・前掲注 2 ) 20 & 209 頁。 6 ) 大久保史郎・徐勝編「現代韓国の民主化と法・政治 構造の変動』 ( 日本評論社、 2003 年 ) 137-174 頁〔韓寅燮 執筆〕。 7 ) 加藤・前掲注 2 ) 210-211 頁。 8 ) 韓国内で、本件評釈や学術論文は発表されていない ため、筆者の問い合わせに対する韓国人研究者の見解を、 承諾の下に紹介する。 9 ) See W. S. J, Sept. 12 , 2014 ; N. Y. TIMES, Nov. 19 , 2015. 10 ) U. S. DEPARTMENT OF STATE, REPUBLIC OF KOREA 2014 HUMAN RIGHTS REPORT 8-9 ( 2015 ). 11 ) CCPR/C/KOR/CO/4 ( 2015 ) , para. 46. 12 ) 参与連帯「朴槿恵政府の国民口止め事例 22 選」 ( 2015 年 9 月 ) 4 頁、 9 -10 頁。朴槿恵大統領の指示で、ウェ プ上の名誉毀損専属班が検察内に組織されたほどであ る。 13 ) 加藤・前掲注 2 ) 63-65 頁、 75 頁、 77 頁など。 14 ) ソウル東部地裁 2016 年 1 月 13 日判決は、損害賠償請 求訴訟で、元慰安婦 9 名に各 1 千万ウオンを支払うよう 朴教授に命じた。刑事裁判は、本誌発売日現在、審理中 である。

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厳学者の本棚 ] 『「空気」の研究』のすすめ 山本七平『「空気」の研究』 [ ロー・ジャーカ切 えん罪救済センターの始動 日本版イノセンス・プロジェクトの可能性 産経新聞社前ソウル支局長無罪判決 ーー刑事実体法・刑事手続法の観点から [ ロー・アングレ ] わたしの仕事、法つながり [ ひろがる法律専門家の仕事編 ] 13 あるシンクタンクのお仕事ーーそして情報法の世界への道案内 恋の法廷式 2 彼女はセックスフレンドでした [ ロー・クラス ] 公共空間を考える一一技術者として法を語る 2 辺野古基地建設問題と法律事項・地方特別法住民投票 米軍基地という公共空間を憲法 92 条・ 95 条から考える プラスアルフアについて考える基本民法 14 抵当権と時効・その 2 ーーもう一歩先の類型的考察 債権法講義 [ 各論 2 序説 ( 2 ) ーー -- 債権各論の対象と具体的契約類型 株式会社法の基礎 10 取締役の報酬等ーー確定額の金銭報酬を中心に 捜査法の思考プロセス ( 基礎編 ) 刑事訴訟法の思考プロセス 2 肝心な価値は目に見えないーー電子マネーをめぐる諸問題 財産犯バトルロイヤル 17 早すぎた構成要件の実現 応用刑法 I ー総論 8 ・桑原俊 北尾トロ ・・木村草太 ・武川幸嗣 河上正ニ ・久保田安彦 ・大塚裕史 ・内田幸隆 ・斎藤司 角紀代恵 笹倉香奈 安部祥太 008 065 088 094 104 扉 001 004 010 072 078 1 1 0 [ 最新判例演習室 ] 憲法 / 麻生多聞 118 行政法 / 山下竜ー 119 民法 / 松尾弘 120 商法 / 土岐孝宏 121 民事訴訟法 / 上田竹志 122 刑法 / 本田稔 123 刑事訴訟法 / 髙倉新喜 124 労働法 / 根本到 125 ライプラリ—] ブック・レビュー 曽我部真裕・林秀弥・栗田昌裕 = 著 『情報法概説』 大島義則 126 新刊ガイド 127 [ ロー・フォーラム ] 裁判と争点 014 立法の話題 015 [ コラム ] 司法書士の生活と意見 057 判事補メモ 074 弁護士事件ファイル 117

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038 0 連邦最高裁は、ある先例が、被告人が死刑を科さ れるかーーすなわち、もっとも過酷な刑の加重ーー を決定する際に、被害者に向けられた被告人の人種 的敵意を量刑の際に考慮することを許容しているこ とを指摘して、これまでも量刑の際に動機を考慮す ることは認められてきたと述べる。また、連邦最高 裁は、 R. A. V. 判決では、セント・ポール条例は明 確に表現に向けられているのに対し、ウイスコンシ ン州法は修正 1 条で保護されない行為に向けられて いると述べる。そして、連邦最高裁は、偏見を動機 とする行為は、個人および社会に大きな害悪をもた らすと考えられているため、このような害悪からの 救済という州の目的は、同法の必要性を肯定すると ヘイトクライム法の憲法上の問題点 このように、アメリカでは、連邦最高裁は、言論 と行為を区分して、ヘイトスピーチは前者を規制す るものであり、ヘイトクライムは後者を規制するも のであるとしている。そして、ヘイトスピーチ規制 は原則違憲であり、ヘイトクライム規制は合憲であ るとしている。このような受け止め方が一般的では あるが、しかし①言論と行為とを明確に区分するこ とは可能なのか、②言論と行為が区分できるとして も、なぜヘイトクライム規制は合憲とされるのか、 について議論がある。 言論と行為は区別できるのか ①について、連邦最高裁は、セント・ポール条例 は「言論」を規制するものであり、ウイスコンシン 州法は「行為」を規制するものであるとしている。 これに対して、両者を区別することは困難であると の批判がある。ヘイトクライムは表現的な要素を伴 うことが多く、また、脅迫など、表現行為そのもの がヘイトクライムに含まれることがある。 ッチェ ル自身は暴行に参加しておらず、彼は「ただ言葉を 発したのみ」であり、「煽動者としての責任」が問 われているのである 13 。また、「保護されない表現」 は、従来は言論の自由の保護の範囲外であると考え られており、 R. A. v. 判決で問題となった喧嘩言葉 の規制は、行為規制の問題として扱われるべきであ るとの批判もある。 R. A. V. 判決は、保護されな い言論であっても、それが選択的に規制される場合 には内容差別となるとしているが、ウイスコンシン 州法も、保護されない言論を含んでいる点にも注意 が必要である。 これらの事情を考えると、 R. A. V. 判決とミッチ ェル判決において言論と行為とを区別した連邦最高 裁の論理は説得的とはいえない 5 ) 。実際に ミッチ ェル判決において、ウイスコンシン州最高裁は、 R. A. V. 事件に依拠して、ウイスコンシン州法を違 憲であると判断している。これには、ヘイトクライ ムには表現的な要素があるとの判断がある。単なる 暴行とは異なり、人種的偏見に基づいた暴行の場合、 被害者は皆、メッセージを理解するだろうといわれ ている 16 。そのため、 R. A. V. 判決の法理に従うと、 ヘイトクライムを選択的に規制することは内容規制 となる。 [ 2 ] ヘイトクライム法が罰しているのは「行為」 なのか ②について、仮にヘイトクライム法の適用対象が 行為であるとしても、そもそもヘイトクライム法が 罰しているのは、行為ではなく、思想であるとの批 判がある。ある犯罪の害悪は、通常の刑罰で評価さ れているのであり、法定刑を引き上げるのは、人種 差別的な思想が原因である。つまり、法定刑を加重 することは、思想を罰することになるのではないか、 という指摘である。 たしかに、動機は量刑の際に考慮される 。ミッザ、 ェル判決は、通常の犯罪と比べ、ヘイトクライムの 社会的な害悪が大きいため、量刑の際にその害悪の 重大性を考慮することは正当化されると述べる。し かし、ヘイトクライムには特殊な害悪があり、その 害悪ゆえに規制されているとするならば、それはヘ イトクライムの象徴的または表現的な性質に着目し たことになるであろう 17 ) 。また、ヘイトクライム法 の場合、個々の状況に特有の事情をはるかに超えて、 被告人の精神状態を理由に刑を加重し、一般化可能 な政治的・社会的立場 - ・ - ーー特に、不快であるとされ る立場・ - ーーを有することを罰している点で、量刑の 際に動機を考慮する場合とは大きく異なると指摘さ れる 18 )

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1956 ( 昭和 31 ) 年 4 月 12 日第 3 種郵便物認可 2016 年 5 月 1 日発行 / 毎月 1 回 1 日発行通巻 736 号 本誌掲載記事の無断転載を禁じます。 編集者 = 柴田英補発行所 = 株式会社日本評論社〒 170-8474 東京都豊島区南大塚 3-12-4 / 電話 : 03-3987-8611 ( 代表 ) / 振替 : g100-3-16 く ( 社 ) 出版者著作権管理機構委託出版物〉本誌の無断複写は著作権法上での例外を除き禁じられています . 複写される場合は、そのつど事前に 定価 ( 本体 1400 円 + 税 ) JCOPY ( 社 ) 出版者著作権管理機構 ( 電話 03 ・ 3513 ・ 6969 、 FAX 03 ・ 3513 ・ 6979 、 e ・ m : i 耐0@爬opy.0切 p ) の許第を得てください . また、本第を代行 業者等の第三者に依頼してスキャニング等の行為によりデジタル化することは、個人の家庭内の利用であっても、一切認められておりません . ◎ 定評ある法律辞典の最高峰 呈 送 法律学小辞血 ′第法小 目 る典 書編集代表Ⅱ高橋和之・伊藤眞・ 箞評律高 定法 小早川光郎・能見善久・山口厚四六判 ・収録項目数約八六〇 0 四五 0 〇円 2015 年までの法改正に対応したほか、民法 ( 債権法 ) 改正 法案・刑事訴訟法改正法案などの重要な法案についても解説 ! 解説の根拠となる法令・判例・学説を豊富に引用。学習に、実 8 務に、資格試験に、広く利用できる。リファレンス機能も充実。 6 5 6 2 <LO 判 三七〇〇円 相続法の立法的課題 水野紀子編著 法制審議会民法 ( 相続関係 ) 部会委員・幹事も 7 含む執筆陣による研究成果。立法的課題、実務の到達点を示す。 2 町 0 消費者契約の経済分析五三 8 円 西内康人著重要性に比べ議論されていない消費者の法的保護 区 について、アメリカ法を中心に紹介し、経済的・法的に分析。 ィー C 千 〔法翕ヂイ〕 京 会社法を学ぶ ニ五〇〇円 酒井太郎著初学者に分かりやすいよう、会社一 社 5 ⑩法を、全体構造を意識しつつ解説。単行本化に あたり、平成年法改正に対応させ、大幅加筆。 は ェクササイズ刑事訴訟法一八 8 緬粟田知穂著司法試験の事例問題を意識した、 実践的でコンパクトな演習書。刑事訴訟法を一 閣 通り勉強した後、知識を再確認するのに最適。 」判 2016 年版 ニ八〇 0 円 ←斐国際条約集 ミ有 編集代表Ⅱ岩沢雄司正確かっ読みやすい翻訳 文、信頼の条約集。「原子力損害補完的補償条 約」など新たに六件を追加。総件数三六二件。 新刊案内 国際条約集 00 ( ー、バ ~ 0 ー物 工クササイス - 飛事訴法 ・・第物第 2 信頼の条約集 会社法は ますこの 1 第から . 4 0 円呈円薫円 7 円呈円円 6 0 噌 0 贈 0 6 5 4 O 録 0 田 0 OO 録 6 、政 5 0 1 6 鎌 8 2 6 0 9 0 5 ☆ 2 表 1 6 ワ 1 0 抜 税 六。法。一 ~ 法 0 格 釟六法験六権 価 員 0 委 = 亠ハ試国育修産 表 修 最範 集 可一員教蠡財 法、 = 範利務一説知 4 9 六模伊模伊デ公三解 , 買 3 2 〔編修代表〕位田隆一・最上敏樹 3 コンサイス条約集第 2 版 1 一 500 円 っ 4 別中小企業のための会社法第 2 版柴田和史〔著〕 2 、 88 円 0. 2 016 全国憲法研究会〔編〕 2 、 600 円 憲法間題 % カイドフック教育法新訂版姉崎洋一・荒收重人ほか〔編〕 田 ( はじめての憲法学第 3 版中村睦男〔編著〕 2 、 68 円 一はじめての打政法第。版畠山武道・下井史〔編著〕 田山輝明〔著〕 2 、 300 円 成年後見読本第 2 版 8 。 」」これまでとこれから 4 、 000 円 ム『選択的夫婦別氏 滝沢聿代〔著〕 堂海洋ガバナンスの国際法新 , 、。 " 杉原高嶺・酒井啓亘〔編〕 っム、つ」 OO 円 省国際法基本判例第 三省堂編修所〔編〕 1 、 CDOO 円 三ディリー法学用語辞典 平成 28 年版 雑誌 08069-05

8. 法学セミナー2016年05月号

LAW JOURNAL 口一ジャーナル えん罪救済センターの始動 001 JOURNAL ロー・ジャーナル 法学セミナー 2016 / 05 / no. 736 冤罪を訴える事件の調査や弁護の支援を無償で行 う「えん罪救済センター」 1 が、 2016 年 4 月から立 命館大学を拠点として活動を開始する。いわゆる「イ ノセンス・プロジェクト」の日本版であり、国内で は初の取り組みとなる。 1 イノセンス・プロシェクトとは 「イノセンス・プロジェクト」とは、冤罪被害者 の救済を行うための調査・弁護活動を無報酬で行う 団体のことである 2 。 1992 年、ニューヨークのカー ドーゾ・ロースクールに第 1 号のイノセンス・プロ ジェクトが誕生した 3 ) 。四半世紀を経て、現在では アメリカだけで 60 以上のプロジェクトが存在する。 各州に、少なくともひとつのプロジェクトがある。 第 1 号のイノセンス・プロジェクトは、 DNA 鑑 定を行うことで無実が明らかになる事件 ( 一部の性 犯罪や殺人罪などが典型的な事件 ) のみを受任してい る 4 。そうしたことから、 DNA 鑑定を活用すること によって冤罪支援活動を行っている団体のイメージ が強いようである。たしかに初期に立ち上がったプ ロジェクトはそうだったが、活動が円熟期を迎えた 現在、 DNA 鑑定では冤罪を晴らすことができない 事件に支援対象を広げているプロジェクトも多く存 在する。代表的な例は、放火事件である。事件直後 の火災調査によって放火であると判断され有罪を受 けたが、元の火災調査自体が科学的に見て誤ってい たという場合である。アメリカでは火災の原因を科 学的に分析するという取組みが進んできた。そのこ とによって、以前の火災調査が、実は非科学的に行 われていたことが明らかになった。このような新た な知見が、放火事件の冤罪救済活動に結びついてい る。 なお、全てのプロジェクトに共通するのが、原則 として、「無実」を主張する者の事件 ( 犯罪性・犯人 性を争う事件 ) のみを受任するという点である。 イノセンス・プロジェクトの活動形態として日本 日本版イノセンス・プロジェクトの可能性 甲南大学教授 笹倉香奈 で良く知られているのは、ロースクールをベースに したプロジェクトのモデルである。クリニック科目 ( 臨床教育科目 ) のひとっとしてロースクールの中に 実務家教員によって開講される。学生はその講義を 履修することで冤罪被害者の弁護活動に参加する。 実際の事件の弁護活動を実務家とともに行うこと は、学生にとってまたとない実践的教育の機会とな る。無償の弁護活動であるから、社会にも貢献でき る。このような形態のほかにも、公設弁護人事務所 やその他の一般の弁護士事務所の中に設置されてい るプロジェクトや、 NPO として活動するプロジェ クトも存在する。 なお、アメリカでは州ごとに大きく法制度が異な り、弁護士は自身が登録している州においてのみ弁 護活動を行うことができる。そのような理由から、 「イノセンス・プロジェクト」という同じ名前がつ いていても、一つひとつのプロジェクトはそれぞれ 独立した団体であり、個別に活動を行っている。 2 イノセンス・フロシェクトの影響 アメリカでは、 DNA 鑑定によって冤罪を晴らさ れた事件は 337 件に上る ( 2016 年 3 月 25 日現在 ) 。 のうち 20 件は、死刑判決を言い渡されていた事件だ った。これらの事件の多くにイノセンス・プロジ ェクトが関わった。膨大な数の冤罪事件は、社会を 大きく揺るがせた。 1990 年代までのアメリカでは、 冤罪事件があるとの認識が一般的ではなかったので ある。このような状況の下、プロジェクトが DNA 鑑定を用いたことは、画期的だった。 DNA 鑑定は、 科学的に「完全な無実」を立証することのできる証 拠だからである。全く無実であることが明らかであ る人々が有罪を言い渡され、時には死刑を言い渡さ れていたという事実は、人々に衝撃を与えた。「無 実の人を処罰してはいけない」という命題には、ど のような立場の者も疑問を差し挟むことができな い。さらに、これらの事件を分析することによって、

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070 米軍基地の移設先・設置場所・設置条件などを決す る具体的な根拠法律がないことについて、深刻に受 け止めるべきではないか。松田議員は、次のように 述べて質疑応答を締めくくっている。 ・・・現政権にこの問題を押し付けるのをやめるという意 味合いでも、国会でしつかり審議をして、採決をして、国 全体で私は決めるべきことだと思っております。そして、 最後は住民投票にかける。このままでは、沖縄県民は、ほ かの日本国民は対岸の火事で全く無関心だと私は思ってし まっていると思いますよ。そんなところが、私は沖縄県民 の心に更に傷を付けているんじゃないかなというふうに思 います 15 ) 松田議員の言うように、現在の手続では、辺野古 基地建設問題について、国会が当事者意識を持っこ とはできないだろう。 [ 2 ] 代執行訴訟 辺野古への基地移設について十分な根拠法がない のではないか、という点は、司法の現場でも争点に なっている。 普天間基地を移設するために、政府は、辺野古沿 岸を埋め立てて滑走路を作る計画を立てている。埋 め立てのためには、公有水面埋立てに関する沖縄県 の承認が必要である ( 公有水面埋立法 ) 。 2013 年 12 月 27 日に沖縄県仲井眞弘多知事が承認処分を行った。 しかし、 2015 年 10 月 13 日、沖縄県翁長雄志知事は、 内容に瑕疵があったとして承認を取り消す処分を行 った。これに対し、国は、沖縄県に対し、取消処分 の取消を求め、代執行訴訟を提起した ( 地方自治法 245 条の 8 第 3 項 ) 。この訴訟の中で、沖縄県は、「憲 法第 92 条及び第 41 条より、米軍新基地建設には、根 拠となる法律が必要である」が、「辺野古新基地建 設は、それを定めた具体的な根拠法が存在しない」 ため、仮に埋立てを行っても、米軍基地として運用 できないのだから、埋立承認は合理性を欠き、それ を取り消す処分は適法だと主張しだ 6 ) 。 では、国側は、この主張にどのように反論したの か。米軍基地設置の法的根拠に関する政府の認識を 示すものとしても注目すべきところだ。 国側は、ます「憲法 92 条にいう『地方公共団体の 組織及び運営に関する事項』を定めた法律は、地方 自治法である」と述べる。そして、「我が国の存立 や安全保障の維持に関わる事務」は、「地方自治法 の規定をつぶさにみても、当該事務の処理を地方公 共団体の権限とする定めはなく、かえって、かかる 事務は国において重点的に担うべきものと定められ ている」から、辺野古に作られる普天間基地の代替 施設は「法律上」「の根拠に基づいて」提供される ものと言えるとした。 この反論をどう評価すべきか。 確かに、外交・防衛・安全保障は、中央政府の事 務であろう。しかし、米軍基地の設置は、純粋な外 交・防衛作用だけでなく、地元自治体の都市計画や 消防・警察、航空管理などの自主行政権を制約する 作用も含んでいる。沖縄県は、そうした権限が制約 される以上、辺野古基地の設置には、どの権限をど の範囲で制約するのか定めた法律を制定する必要が あると主張しているのだ。安全保障に関わる場合に は地元の自治権はすべて無視してよい、などという 理論 17 ) は聞いたことがなく、政府の反論は反論にな っていないだろう。 むしろ、このような反論しかできなかった、とい う事実は、却って、基地の設置に十分な法律上の根 拠がないことを示してしまっている。 以上に紹介した国会審議と訴訟上の主張を見る限 り、政府は、米軍基地設置の法的根拠について真剣 な認識を欠いている、と言わざるを得ない。井上達 夫教授や長尾龍ー教授が指摘する不正義は、そのよ うな認識の欠如の帰結だと言えるだろう。 6 おわりに 代執行訴訟の和解 最後に紹介した代執行訴訟について、福岡地裁那 覇支部は和解案を示した。 2016 年 3 月 4 日には、国 の側が和解案を受け入れる意向を示し、本稿執筆段 階 ( 2016 年 3 月 ) で、工事が一旦停止されることと なった。もっとも、この和解受け入れは、工事を停 止して話し合いをするということにすぎず、国が辺 野古基地建設を断念したわけでもないし、沖縄県が 辺野古基地建設を受け入れたわけでもない。 普天間基地は、極めて危険な状態にあり、これを 撤去ないし移設する必要があるのはよく分かる。し かし、沖縄県には、これまで非常に多くの米軍基地 が設置されてきた。にもかかわらず、新たに、普天 間基地移設に伴う負担を課すのは、いかにも不正義 に見える。 こうした決定に至ってしまったのは、単なる担当

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034 すぐ上で紹介したⅡ ED について米国連邦最高裁は、 表現の自由保障との兼ね合いから、表現の対象者が パプリック・フィギュアである場合には原告は現実 の悪意の立証を求められ、表現の内容が公共の関心 事を述べる場合には特別の保護が与えられて表現者 は免責される、と判示してきたむろん筆者とて、 これらの成立要件や免責法理を日本法にそのままス ライドさせよと主張したいわけではない。とはいえ、 成立要件を明確化し、憲法の要請と適合するように 免責法理を整えていこうとする姿勢には我々も見習 うべきところがあると考えている。 差止めの可能性 最後に、ヘイトスピーチに対する民事救済という テーマを考えるとき、京都事件で学校から半径 200 m の範囲内で原告を誹謗中傷する演説やビラ配布行 為の差止めが認められたことが注目に値する。加害 行為が繰り返されており、特定人に対する将来の被 害が具体的であれば、ヘイトスピーチの差止め命令 を裁判所は発することがあるとの先例ができたわけ で、被害者側にとっては効果的な対抗手段たりうる。 ただし、裁判所は時間と場所を定めての差止めであ ったからか、示威活動の悪質性を重視したためか、 あるいは、繰り返されてきた行為をさらに継続する ことの差止めだったためか、表現の自由に配慮して の詳細な差止め要件を厳密に検討した気配がな 四 ) 。ここでは紙幅の関係から、安易な差止めが拡 大すれば表現の自由が掘り崩されることになるので 警戒の眼差しを緩めるべきではないと指摘しておく に止める 1 ) 京都地判平成 25 ・ 10 ・ 7 判時 2208 号 74 頁、大阪高判 平成 26 ・ 7 ・ 8 判時 2232 号 34 頁、最決平成 26 ・ 12 ・ 9 LEX/DB 25505638 。 2 ) 後者は同時に濫訴の危険性を胚胎していることに注 意が必要である。 3 ) 民事の場合は意見の発表でも特定の第三者への発言 でも名誉毀損の成立は否定されないので、刑事の場合よ りも責任を問われうる範囲が広い。 4 ) 奈良地判平成 24 ・ 6 ・ 25LEX / DB25482112 。 5 ) 最判昭和 41 ・ 6 ・ 23 民集 20 巻 5 号 1118 頁、最判平成元・ 12 ・ 21 民集 43 巻 12 号 2252 頁、最判平成 9 ・ 9 ・ 9 民集 51 巻 8 号 3804 頁。 6 ) 松井茂記「マスメディア法入門〔第 5 版〕」 ( 日本評 論社、 2013 年 ) 117 頁。 7 ) 一審では「公益を図る表現行為が実力行使を伴う威 圧的なものであることは通常はあり得ない」との判断も 合わせて示され、上級審でもこの点は維持されている。 8 ) 東京地判平成 17 ・ 2 ・ 24 判タ 1186 号 175 頁、東京高判 平成 17 ・ 9 ・ 28LEX / DB28131634 。 9 ) 札幌地判平成 14 ・ 6 ・ 27LEX / DB28072130 ( 〔〕内 は引用者 ) 。 10 ) 「所沢市内において野菜を生産する農家」という程度 であれば対象を特定したものとして認められる ( さいた ま地判平成 13 ・ 5 ・ 15 判タ 1063 号 277 頁 ) 。刑事ではある が、大判大正 15 ・ 3 ・ 24 刑集 5 巻 3 号 117 頁も参照。 (1) 参照、小谷順子「日本国内における憎悪表現 ( ヘイ トスピーチ ) の規制についての一考察」法学研究 87 巻 2 号 ( 2014 年 ) 394 頁。 12 ) ヘイトスピーチ被害の性質を「集団そのものの名誉」 を害することに求める見解もある。しかし、集団誹謗 (group libel, group defamation) という括り方は、特定 の個人・団体の被害救済を狙う不法行為法制のもとでは 困難というほかない。 13 ) 表現の字面は集団そのものを対象としていたとして も、その発言を取り巻くコンテクストによっては、特定 個人を対象としていると解釈する余地はあろう。 14 ) 参照、駒村圭吾「憲法の観点から一一憎悪と表現の 規制をめぐって」国際人権 24 号 ( 2013 年 ) 72 頁。被害者 の声をどのように法的言説・ Rights TaIk に変換してい くのか ( できるのか ) が法学徒に問われている。ただし、 その作業そのものに、被害者を置き去りにしてしまう陥 穽が口を広げているかもしれないことは留意されていて よい。参照、望月清世「ライットークの語れなさ」棚瀬 孝雄編「法の言説分析』 ( ミネルヴァ書房、 2001 年 ) 232 頁以下。 15 ) ジェレミー・ウォルドロン ( 谷澤正嗣・川岸令和訳 ) 『ヘイト・スピーチという危害』 ( みすず書房、 2015 年 ) 6 頁。ウォルドロンはこうした社会の成員としての基本 的な社会的地位を「尊厳 (dignity) 」と称している。 16 ) 金尚均「ヘイト・スピーチ規制の意義と特殊性」同 編『ヘイト・スピーチの法的研究』 ( 法律文化社、 2014 年 ) 155 頁。 17 ) 最判平成 11 ・ 3 ・ 25 裁時 1240 号 6 頁。 18 ) 本稿の観点からは、判決がこのほかに、「本件記事が 上告人ら個々人の内心の静穏な感情を害する意図・目的 で掲載されたというような事実関係もうかがわれない」 と述べていたことが興味をひく。 19 ) 判決は心の平穏と [ 3 ] で扱う侮辱による名誉感情の侵 害とを分けて判断している。 20 ) 集団そのものに向けられた悪辣なヘイトスピーチが、 それを否応なく直接見聞きした個々人の内心に「害悪 harm 」といえるほど深刻な打撃を与えているという社 会通念が仮に成立すれば、事情は異なってこよう。 (1) 山本敬三「差別表現・憎悪表現の禁止と民事救済の 可能性」国際人権 24 号 ( 2013 年 ) 78 頁。 22 ) 一部の民法学説は名誉毀損の中に名誉感情侵害を含 めて考えている。たとえば、川井健「民法概論 4 ( 債権 各論 ) 〔補訂版〕』 ( 有斐閣、 2010 年 ) 420 ー 21 頁。 23 ) 例として ( 実質的に同種の判断となる発信者情報開 示請求事件を含む ) 、タクシー運転手に対する「昔は駕