098 法学セミナー 2016 / 05 / n0736 LAW CLASS う批判がある。しかし、計画説は、密接性や危険性 を判断する上での判断要素の 1 つに犯行計画を入れ るだけであり、計画自体 ( 主観面 ) の危険性から直 ちに実行の着手を認めるものではないのでこの批判 は当たらない。 例えば、窃盗の故意で電気器具店の店舗に侵入し た場合、犯行計画を考慮しなければ店舗に立ち入り 懐中電灯で物色を開始した時点で ( 店舗内の電気器 具が盗まれる危険性が認められるので ) 窃盗罪の実行 の着手が認められる可能性がある。しかし、行為者 が「なるべく現金を盗みたい」という計画をもって いたことを考慮すると、実行の着手時期をレジスタ ーのある煙草売場に行こうとした時点に繰り下げる ことも可能となるのであって、計画の考慮が着手時 期を常に早めるわけではない。 [ 3 ] 計画的犯行における実行の着手の判断の 考慮要素 行為者が、準備的行為 ( 第 1 行為 ) を経た上で構 成要件該当行為 ( 第 2 行為 ) におよび既遂結果を発 生させるという犯行計画を立てていた事案におい て、準備的行為を開始した時点で実行の着手が認め られるか否かを判断する際には、 ( 前述のように ) 行 為者の犯行計画を吟味する必要がある。 行為者が準備的行為 ( 第 1 行為 ) と構成要件該当 行為 ( 第 2 行為 ) という 2 段階の行為を行って結果 を惹起しようと計画している場合、行為者が頭の中 で計画していた第 1 行為と第 2 行為が、もし現実に そのとおり行われたと仮定したとき、この 2 つの行 為が 1 個の行為と評価できるかが問題となる。 そして、行為者が計画していた準備的行為が、そ の後に予定していた構成要件該当行為の直前に位置 する密接行為であり、準備的行為自体に既遂に至る 客観的危険性が認められれば、行為者は「 1 個の行 為」により結果を実現しようという計画を立ててい たと刑法的に評価できる。そこで、 1 個の行為によ り結果を惹起させるという犯行計画をも考慮すれ ば、行為者が現実に行った準備的行為 ( 第 1 行為 ) の開始時点で実行の着手を認めることができる。 このように、第 1 行為と第 2 行為の一体性が問題 となるとしても、それは行為者が現実に行った第 1 行為と第 2 行為の一体性ではなく、あくまでも行為 者の計画した、すなわち行為者が頭の中で考えた第 1 行為と第 2 行為の一体性が問題となっていること に注意する必要がある。 問題は、計画上の準備的行為と計画上の構成要件 該当行為が 1 個の行為と評価できるかを判断する際 の判断基準は何かである。この点につき、クロロホ ルム最高裁決定は次のような事情を考慮要素として 重視している。 第 1 は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) が構成要件該当 行為 ( 第 2 行為 ) を確実かっ容易に行うために必要 不可欠であるといえるかである ( 必要不可欠性 ) 。も し、構成要件該当行為を行うためには準備的行為が 必要不可欠なものであれば、準備的行為を構成要件 該当行為に密接な行為と言いやすいし、準備的行為 自体に既遂に至る客観的危険性を認めやすい。 こで既遂に至る客観的危険性とは、構成要 * なお、 件該当行為 ( 第 2 行為 ) に至る客観的危険性の意味であり、 準備的行為 ( 第 1 行為 ) 自体から既遂結果が直接発生する 危険性を問題にしているわけではない。このことは、例え ば、 ( 一般に窃盗罪の実行の着手が認められるとされてい る ) 物色行為 ( 準備的行為 ) から直接財物の占有移転とい う結果が発生するわけではないことを考えれば明らかであ ろつ。 第 2 は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) に成功すれば、 構成要件該当行為 ( 第 2 行為 ) を遂行する上で障害 となるような特段の事情がないことである ( 遂行容 易性 ) 。もし、準備的行為に成功しても、構成要件 該当行為を遂行する上で障害となるような特段の事 情が存在するならば、準備的行為を構成要件該当行 為の密接行為と言いにくいし、準備的行為自体に既 遂に至る客観的危険性を認めにくい。逆に、このよ うな特段の事情が存在しなければ、準備的行為 ( 第 1 行為 ) を完了することにより犯行計画の重要部分 を終えたと評価できる。 第 3 は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) と構成要件該当 行為 ( 第 2 行為 ) とが時間的・場所的に近接してい ることである ( 時間的・場所的近接性 ) 。両行為が時 間的・場所的に近接していれば、準備的行為が構成 要件該当行為の密接行為と言いやすいし、準備的行 為自体に既遂に至る客観的危険性を認めやすい。 クロロホルム事件最高裁決定は、以上の 3 点を考 慮要素として指摘しているが、そのほか準備的行為 ( 第 1 行為 ) 自体が成功する可能性が高いかどうか という要素 ( 準備的行為の成功可能性 ) を重視する下 級審判例もある ( 例えば、前掲・名古屋地判昭 44 ・ 6 ・ 25 ) 。たしかに、準備的行為が成功する可能性が低
1 OO 法学セミナー 2016 / 05 / n0736 LAW CLASS と評価できるかを検討する。その際の判断基準は、 ( 前述のように ) 、①必要不可欠性、②遂行容易性、 ③時間的・場所的近接性の 3 つである。 まず、 V にクロロホルムを吸引させて失神させる 準備的行為 ( 第 1 行為 ) は、 V を自動車ごと海中に 転落させる構成要件該当行為 ( 第 2 行為 ) を確実か っ容易に行うためには必要不可欠である ( ① ) 。 V を失神させない限り V を運転席に乗せてそのまま海 中に転落させることカ坏可能だからである。 次に、第 1 行為に成功すれば、第 2 行為を行う上 で障害となるような特段の事情はない ( ② ) 。なぜ なら、失神した V を自動車で A 港の岸壁まで運ぶの は容易であるし、夜間であるため発見される可能性 が低く、また、もし V が目を覚ましたとしても再度 クロロホルムを吸引させることは可能であったから である。 さらに、第 1 行為の地点と第 2 行為の地点は距離 にして 2km にすぎず、移動手段は自動車であるから 数分で移動できる距離であるから時間的にも場所的 にも近接しているといえる ( ③ ) 。 こで問題となる時間的・場所的近接性は、あくまで も計画上の第 1 行為と第 2 行為の近接性である。実際には、 第 1 行為終了後第 2 行為に至るまで約 2 時間が経過してい る。もしそれが最初から予定されていたことであるなら約 2 時間経過していることをもとに時間的近接性を検討する 必要がある。その場合、 2 時間の経過があっても、乙自身 は第 1 行為の後直ちに第 2 行為の現場に到着しており、乙 が 1 人で第 2 行為を実行できるにもかかわらす甲を呼び寄 せ甲の到着を待っていたにすぎないということであれば、 この程度の時間で時間的近接性が失われることにはならな いといえよう。 以上より、計画上の第 1 行為と計画上の第 2 行為 は刑法的には 1 個の行為と評価できる。したがって、 1 個の行為によって結果を惹起しようとする乙の犯 行計画をも考慮すると、現実に行われた第 1 行為 ( ク ロロホルムを吸引させた行為 ) の開始時点で、既遂に 至る客観的危険性が認められるので、殺人罪の実行 の着手が肯定される。 クロロホルム最高裁決定も、「実行犯 3 名の殺害 計画は、クロロホルムを吸引させて V を失神させた 上、その失神状態を利用して、 v を港まで運び自動 車ごと海中に転落させてでき死させるというもので あって、第 1 行為は第 2 行為を確実かっ容易に行う ために必要不可欠なものであったといえること、第 1 行為に成功した場合、それ以降の殺害計画を遂行 する上で障害となるような特段の事情が存しなかっ たと認められることや、第 1 行為と第 2 行為との間 の時間的場所的近接性などに照らすと、第 1 行為は 第 2 行為に密接な行為であり、実行犯 3 名が第 1 行 為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性 が明らかに認められるから、その時点において殺人 罪の実行の着手があったものと解するのが相当であ る」と判示している ( 前掲・最決平 16 ・ 3 ・ 22 ) 。 4 早すぎた構成要件の実現の処理方法 以上のとおり、乙が現実に行った第 1 行為 ( クロ ロホルム吸引行為 ) は客観的には殺人罪の実行行為 であり、しかも、乙はクロロホルムを吸引させるこ とにより死亡結果が発生するとは思っていない。し たがって、【間題 2 】は、「早すぎた構成要件の実現」 の事例であることが明らかとなった。そこで、この ような「早すぎた構成要件の実現」の事例をどのよ うに解決すべきかが問題となる。 早すぎた構成要件の実現の問題の本質は、行為者 が既遂結果を発生させるために必要であると考えて いた複数の行為のすべてが終わらないうちに既遂結 果が発生していることから、既遂結果について当該 犯罪の故意責任が認められるかという点にある。 そこで、①準備的行為 ( 第 1 行為 ) の時点で当該 犯罪の故意が認められるか、②行為者に因果関係の 錯誤があることから故意が阻却されないかが問題と なる。 [ 1 ] 故意の有無 【間題 2 】において、乙が準備的行為 ( 第 1 行為 ) を開始した時点で殺人罪の故意があるといえるかが ます問題となる。なぜなら、乙は第 1 行為によって 既遂結果が発生するとは考えていないからである。 この点、学説の中には、故意には既遂罪の成立に 必要な「既遂の故意」と未遂罪の成立に必要な「未 遂の故意」があり、既遂の故意を肯定するためには、 行為者において、当該犯罪の既遂結果を惹起するた めに必要な行為をすべて行ったという認識が必要で あるとする見解も有力である。この立場からは、【間 題 2 】のように準備的行為 ( 第 1 行為 ) から既遂結 果が発生してしまった場合には、未遂の故意はある が既遂の故意はないので乙には殺人罪は成立しない ( 未遂故意説 ) 。乙には、殺人未遂罪 ( 203 条・ 199 条 )
102 法学セミナー 2016 / 05 / 8736 LAW CLASS が開始された後の結果発生に至る因果の流れに関す る錯誤の問題に過ぎない」と述べて殺人罪の成立を 認めており ( 仙台高判平 15 ・ 7 ・ 8 刑集 58 巻 3 号 225 頁 ) 、 最高裁決定も原判決の判断を是認していることか ら、最高裁決定も因果関係の錯誤について法定的符 合説の立場から故意を阻却しないという考え方に立 っていると思われる。 [ 3 ] 【問題 2 】の結論 以上より、【問題 2 】の乙の罪責は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) から死亡結果が発生したと仮定した場合は 殺人罪、構成要件該当行為 ( 第 2 行為 ) から死亡結 果が発生したと仮定した場合も殺人罪となるので、 いずれにせよ殺人罪 ( 199 条 ) が成立する。 また、乙は、甲、丙両名との共謀に基づいて殺人 行為を行ったものであるから、結局、甲、乙および 丙の 3 名に殺人罪の共同正犯 ( 60 条・ 199 条 ) が成立 する。 * 準備的行為 ( 第 1 行為 ) から死亡結果が発生したと仮 定した場合、準備的行為には殺人罪が成立する。これに対 し、現実に行った第 2 行為は、死亡している被害者を海中 に転落させたことになるので、殺人罪の不能犯の問題とな る。この場合、不能犯にはならないという結論をとると、 第 2 行為は殺人未遂罪となる。また、第 2 行為は殺人の故 意で客観的には死体遺棄を実現したことになり ( 抽象的事 実の錯誤 ) 、殺人罪と死体遺棄罪の構成要件は重なり合わ ないので故意犯は成立せず ( 第 7 講 94 頁 ) 、不可罰となる。 もっとも、殺人未遂罪は第 1 行為の殺人罪に包括して評価 されるので、乙の最終的な罪責は殺人罪となる。なお、乙 が現実に行った第 1 行為と第 2 行為を 1 個の行為とみるこ とはできない。なぜなら、第 1 行為は生命侵害に向けられ た行為であるのに対して、第 2 行為は死亡した被害者を海 中に転落させる行為であり、客観的には生命侵害に向けら れた行為ではないので、両行為に客観的な関連性が認めら れないからである。 5 早すぎた構成要件の実現の射程範囲 最後に、クロロホルム最高裁決定の考え方は、ど のような事案にまで及ぶかを検討しておこう。 [ 1 ] 準備的行為の物理的危険性の有無 クロロホルム事件は、準備的行為 ( 第 1 行為 ) 自 体が ( クロロホルムが多量であったため ) 科学的にみ れば生命侵害の物理的危険性が高かったという事案 であるが、準備的行為自体に既遂結果発生の物理的 可能性が全くなくても実行の着手を認めることは可 能である。なぜなら、判例実務において、実行の着 手は、客観的事情のみならず主観的事情をも考慮し て判断されるべきものであるから、行為者の犯行計 画上の第 1 行為と第 2 行為が一体のものといえれ ば、そのような計画を考慮することによって実行の 着手を肯定することが可能となるからである。 例えば、被害者を確実に眠らせることはできるが 死亡させる可能性が全くない睡眠薬を用いた場合で あっても、計画上の第 2 行為との一体性が認められ る限り、準備的行為を開始した時点で殺人罪の実行 の着手を肯定することができる。 [ 2 ] 第 2 行為の実行の有無 クロロホルム事件は、計画上の第 2 行為 ( 構成要 件該当行為 ) も現実に実行した事案であるが、第 2 行為が行われなくてもクロロホルム事件最高裁決定 の考え方に従って事案を処理すればよい。なぜなら、 早すぎた構成要件の実現は、準備的行為から既遂結 果が発生した点にその本質があり、計画したすべて の行為をやり切ったかどうかは関係がないからであ る。 【問題 3 】衝突後刺殺計画事件 甲は、統合失調症の影響による妄想から 0 自 らが一方的に好意を寄せていた V を殺害し自ら も死のうと考えた。甲は、 V がソフトボールの 経験を有すると聞いていたことなどから、身の こなしが速い V の動きを止めるために自動車を 衝突させて転倒させ、その上で包丁で刺すとの 計画を立てた。ある日の午後 6 時 20 分頃甲 は路上を歩いていた V を認め、 V に低速の自動 車を衝突させて転倒させた上で所携の包丁でそ の身体を突き刺して殺害するとの意図の下に、 歩行中の V の右斜め後方から甲運転の自動車前 部を時速約 20km で衝突させた。しかし、甲の 思惑と異なってぐ V は転倒することはなく、ポ ンネットに跳ね上げられて、後頭部をフロント ガラスに打ちつけた上、甲車両が停止した後、 路上に落下した。 V はその衝撃によって、加療 約 50 日間を要する頭部挫傷、右肩挫傷、右下 腿挫傷の傷害を負った。甲は、意外にも A がポ ンネットに跳ね上げられて、路上に落下し、立 ち上がろうとするその顔を見て、急に V を殺す ことはできないとの考えを生じ、犯行の継続を 中止した。甲の罪責を論じなさい。
応用刑法 I ー総論 095 早すぎた構成要件の実現という問題について、最 高裁判所としてはじめて判断を示したのがクロロホ ルム事件最高裁決定 ( 最決平 16 ・ 3 ・ 22 刑集 58 巻 3 号 187 頁 ) である。そこで、同判例をきちんと分析 して判例の考え方を正しく把握しておくことが極め て重要である。 【間題 2 】は、クロロホルム事件の事案を簡略化 したものである。早すぎた構成要件の実現の事例は、 実行の着手、因果関係、故意、因果関係の錯誤など の論点が複雑に絡み合っているため学習者にとって は難解であり、判例の考え方を正しく理解すること は必ずしも容易ではない。そこで、以下、この判例 に焦点を当て、早すぎた構成要件の実現の事例解決 の思考手順を丁寧にフォローすることにしよう。 丙は、夫 V を事故死にみせかけて殺害し生命 保険金を詐取しようと考え、甲に殺害の実行を 依頼し、甲は報酬欲しさからこれを引き受けた。 甲は、実行担当者乙と次のような犯行計画を立 てた。すなわち、乙の運転する自動車を V の運 転する自動車に衝突させ、示談交渉を装って V を乙の自動車に誘い込み、クロロホルムで V を 失神させた上で、 A 港まで運び、自動車ごと V を海中に転落させて溺死させるというものであ った。ある日、乙は、甲の指示に基づき上記計 画を実行に移し、乙車を V 車に追突させた上、 示談交渉を装って V を乙車の助手席に誘い入れ た。同日午後 9 時 30 分頃、乙は多量のクロロ ホルムを染み込ませてあるタオルを V の背後か らその鼻ロ部に押し当て、クロロホルムの吸引 を続けさせて V を昏倒させた ( 以下、この行為 を「第 1 行為」という ) 。その後、乙は、 V を約 2km 離れた A 港まで運んだが、甲を呼び寄せた 上で V を海中に転落させることとし、甲に電話 をかけてその旨伝えた。同日午後 1 1 時 30 分頃、 甲が到着したので、乙は、ぐったりとして動か ない V をあらかじめ A 港にまで運んでおいた V 車の運転席に運び入れた上、同車を岸壁から海 中に転落させて沈めた ( 以下、この行為を「第 2 行為」という ) 。 V は死亡したが、その死因は 溺水に基づく窒息であるか、そうでなければ、 クロロホルム摂取に基づく呼吸停止、心停止、 【間題 2 】クロロホルム事件 窒息、。ーショックまたは肺機能不全であるが、い ずれであるかは特定できなかった。 V は、第 2 行為の前の時点で、第 1 行為により死亡してい た可能性があった。なお、甲、乙は、第 1 行為 自体によって V が死亡する可能性を認識してい なかった。甲、乙および丙の罪責を論じなさい@ すなわち、「もし第 1 行為から死亡結果が発生し かない。 る。このような場合は「場合分け」をして考えるし 基づく窒息死であるか不明であったという点であ または肺機能不全であるか、第 2 行為による溺水に ム摂取に基づく呼吸停止、心停止、窒息、ショック 問題は、 V の死因が、第 1 行為によるクロロホル 討しなければならない。 実に実行した 2 つの行為は、原則どおり、別々に検 る場合の「例外的」処理にすぎない。そこで乙が現 の行為とみるのは、その必要性と合理性が認められ 別々に検討するのが「原則」である。両行為を 1 個 そもそも、 2 つの行為が存在する以上それらは 行為といえるか自体が自明ではないからである。 といえなければならないが、両行為とも殺人の実行 というためには、いずれの行為も殺人罪の実行行為 とはできない。なぜなら、両行為を 1 個の実行行為 行った第 2 行為を当然のように 1 個の行為とみるこ しかし、乙が現実に行った第 1 行為と乙が現実に ものであるという誤解が生じやすい。 為 ) を 1 個の行為とみて殺人罪の成立を肯定したと ルム吸引行為 ) と現実に行った第 2 行為 ( 海中転落行 ら、判例は、乙が現実に行った第 1 行為 ( クロロホ て、その目的を遂げた」という判示がある。そこか と海中に転落させるという一連の殺人行為に着手し ロホルムを吸引させて V を失神させた上で自動車ご ところで、平成 16 年決定の中に、被告人は「クロ るか否かが問題となる。 199 条 ) が成立する。そこで、乙に殺人罪が成立す は共謀が認められるので殺人罪の共同正犯 ( 60 条・ 定する判例・通説の立場からは ) 、甲、乙および丙に に殺人罪 ( 199 条 ) が成立すれば、 ( 共謀共同正犯を肯 なっているが、 V 殺害の実行犯は乙であるから、乙 【間題 2 】では、甲、乙および丙の罪責が問題と 2 死因が特定できない事案の処理方法
応用刑法 I ー総論 1 01 と ( 重 ) 過失致死罪 ( 211 条ないし 210 条 ) が成立し、 後者は前者に包括されることになる。 しかし、既遂罪の構成要件と未遂罪の構成要件と は、既遂結果が発生したか否かという点だけが異な り、それ以外の面、すなわち、構成要件該当行為 ( 実 行行為 ) の点では両者の構成要件は異ならない。既 遂罪か未遂罪かは、事後的に判断し、構成要件該当 行為から既遂結果が発生した場合が既遂罪で、既遂 結果が発生しなかった場合 ( 因果関係が認められな い場合も含む ) が未遂罪である。これに対し、故意 は ( 結果が発生する前の ) 行為時の行為者の認識の 問題であるから、認識・予見の対象は、実行行為を 行うこと、その実行行為には結果を発生させる危険 があること、したがって、そのような実行行為を行 えば結果が発生することになるであろうということ である。そのような認識がなければ故意があるとは いえないのであって、それは既遂罪であろうが未遂 罪であろうが同じである。既遂罪か未遂罪かは行為 後の判断であって、行為時の故意を既遂の故意と未 遂の故意に分断することは妥当ではない。 このように考えると、【間題 2 】では、準備的行 為 ( 第 1 行為 ) 時に、当該行為によって結果を惹起 するという認識が乙に認められるかが問題となる。 そして、それは、乙の頭の中で結果を惹起するため にどのような行為を行おうと考えていたかを構成要 件の観点から評価し、それが 1 個の行為から結果を 惹起しようとしていたと評価されるのか、 2 個の ( 2 段階の ) 行為から結果を惹起しようとしていたと評 価されるのかを検討することによって判断される。 そこで、問題となるのは、乙が頭の中に描いてい た第 1 行為と第 2 行為に一体性が認められるか否か である。もし、こで一体性を否定すると、第 2 行 為によって結果を発生させると考えている以上、現 実に行った第 1 行為の時点で殺人罪の故意を認める ことができない。そのため、【間題 2 】の乙には暴 行ないし傷害の故意しか認められないので、傷害致 死罪が成立するにとどまる。 これに対し、前述のクロロホルム最高裁決定のよ うに、必要不可欠性、遂行容易性、時間的・場所的 近接性が認められることを根拠として 1 個の行為で あると評価すると、殺人罪の故意を認めることがで きる。なぜなら、行為者が認識していた事実は、構 成要件的に評価すれば、「クロロホルムを吸引させ て海中に転落させる行為」により殺害するという 1 個の構成要件該当事実であり、そのような行為から 結果を発生させるという認識が、現実に V にクロロ ホルムを吸引させるという準備的行為の開始時点で 存在したといえるからである。 [ 2 ] 因果関係の錯誤 準備的行為の当時、乙に殺人罪の故意があるとし ても、その後、行為者の認識とは異なる因果経過を たどって結果が発生しているので因果関係の錯誤が 問題となる。 因果関係の錯誤は、具体的事実の錯誤の 1 類型で あり、判例実務が採用する法定的符合説によれば、 認識した因果経過と現実の因果経過との間に齟齬 ( ズレ ) があっても両者が法的因果関係 ( 危険の現実 化 ) の範囲内で一致するのであれば、その齟齬は構 成要件的には重要でないので故意は阻却されないと される。 【間題 2 】において、乙の準備的行為 ( クロロホル ム吸引行為 ) と V の死亡の間には明らかに因果関係 が認められるし、乙が認識していた因果経過 (V に クロロホルムを吸引させた上で海中に転落させるとい う一連の行為によって死亡させる ) が現実に存在する と仮定した場合に法的因果関係が認められるので故 意は阻却されない。なぜなら、乙は、現実の因果経 過を認識していなくても、それと同じ構成要件的評 価を受ける因果経過を認識している以上、反対動機 の形成が可能であるから、発生した結果について故 意責任を問うことができるからである。 クロロホルム事件最高裁決定は、乙の故意責任に ついて、「実行犯 3 名は、クロロホルムを吸引させ て V を失神させた上自動車ごと海中に転落させると いう一連の殺人行為に着手して、その目的を遂げた のであるから、たとえ、実行犯 3 名の認識と異なり、 第 2 行為の前の時点で V が第 1 行為により死亡して いたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、 実行犯 3 名については殺人既遂の共同正犯が成立す るものと認められる」と判示し ( 前掲・最決平 16 ・ 3 ・ 22 ) 、因果関係の錯誤に直接言及はしていない。し かし、原判決は、クロロホルムを吸引させる行為が 殺人罪の実行行為に当たると認定する際、「なお、 その後、被害者を海中に転落させる殺害行為に及ん でいるが、すでにクロロホルムを吸引させる行為に より死亡していたとしても、それはすでに実行行為
応用刑法 I ー総論 103 【間題 3 】において、甲は、自動車を v に衝突さ せ V を転倒させてその場で V を刃物で刺し殺すとい う計画を立てていたところ、その計画によれば、自 動車を V に衝突させる行為は、 V に逃げられること なく刃物で刺すために必要であり ( 必要不可欠性 ) 、 甲の思惑どおりに自動車を衝突させて V を転倒させ た場合、それ以降の計画を遂行する上で障害となる ような特段の事情はなく ( 遂行容易性 ) 、自動車を衝 突させる行為と刃物による刺突行為は引き続き行わ れることになっていたのであって、同時、同所とい ってもいいほどの時間的にも場所的にも近接してい るので ( 時間的・場所的近接性 ) 、自動車を V に衝突 させる行為と刺突行為とは密接な関連を有する一連 の行為というべきであり、このような犯行計画を考 慮すれば、甲が自動車を v に衝突させた時点で殺人 に至る客観的な危険性も認められるから、その時点 で殺人罪の実行の着手があったものと認めるのが相 当である。 また、甲が頭の中で想定していた第 1 行為 ( 衝突 行為 ) と想定していた第 2 行為 ( 刺突行為 ) は「一 連の行為」であり、 1 個の構成要件該当事実である といえるので、甲は、現実に行われた第 1 行為 ( 衝 突行為 ) の際に、「自動車を衝突させて被害者を転 倒させた上で包丁で刺すという一連の殺人行為」を 行う認識があるから、殺人の故意に欠けるところは ない。したがって、甲は殺人未遂罪 ( 199 条・ 203 条 ) が成立する。本問類似の事案において、名古屋高裁 も、同様の考え方に立ち、殺人未遂罪の成立を肯定 している ( 名古屋高判平 19 ・ 2 ・ 16 判タ 1247 号 342 頁 ) 。 同様の裁判例として、ガソリンを散布し ( 第 1 行 為 ) その後に点火する ( 第 2 行為 ) という犯行計画 を立てた被告人が、ガソリンを散布した後、 ( 点火 行為をする前に ) 心を落ち着けるためにタバコを吸 おうとしてライターに火をつけたところ、ガソリン の蒸気に引火して爆発し家屋が全焼したという事案 において、現住建造物等放火罪 ( 108 条 ) の成立を 肯定したものがある ( 横浜地判昭 58 ・ 7 ・ 20 判時 1108 号 138 頁〔ガソリン散布事件〕 ) 。こでも、裁判所は 計画説に立ち、「被告人はガソリンを散布すること によって放火について企図したところの大半を終え たものといってよく、この段階において法益の侵害 即ち本件家屋の焼燬〔筆者注 : 現在では焼損〕を惹 起する切迫した危険が生じるに至ったものと認めら れるから、右行為により放火罪の実行の着手があっ たものと解するのが相当である」とした上で、被告 人の故意責任を検討しこれを肯定している。 ( おおっか・ひろし )
応用刑法 I ー総論 097 なる。こうして、未遂犯の処罰根拠は法益侵害の具 体的危険性に求められるので、実行の着手時期も法 益侵害の具体的危険性が発生した時点と解すべきこ とになる ( 実質的客観説 ) 。法益侵害の具体的危険性 とは、既遂に至る客観的危険性を意味する。 判例も、強姦の意図で通行中の女性をダンプカー の運転席に引きずり込む暴行を加え、 5km 離れた地 点において運転席内で姦淫したという事案におい て、「被告人が同女をダンプカーの運転席に引きず り込もうとした段階において既に強姦に至る客観的 な危険性が明らかに認められるから、その時点にお いて強姦行為の着手があったと解するのが相当」で あると判示して、強姦罪の実行の着手を認めており、 既遂に至る客観的危険性に着目して実行の着手を判 断している ( 最決昭 45 ・ 7 ・ 28 刑集 24 巻 7 号 585 頁〔ダ ンプカー強姦事件〕 ) 。 《コラム》 判例学習の注意点 初学者の中には判例の「結論」だけを記憶し ようとする傾向がある。しかし、判例の結論は、 一定の「事案」を前提になされた判断であるこ とを忘れてはならない。ダンプカー強姦事件で は、犯人が複数であったこと、ダンプカーの運 転席が高い位置にあるため被害者が容易に脱出 することが困難であることなどの事情があった からこそ実行の着手が認められたのである。そ こで、判例は「強姦罪においては自動車内に引 : きずり込んだ時点で実行の着手がある」などと 一般化することは誤りである。強姦目的で自動三 : 車内に引きずりこもうとした事案でも実行の着 : 三手が否定された裁判例もある ( 大阪地判平 15 ・ 4 ・ 1 1 判タ 1 126 号 284 頁 ) 。ある判例を学習する際に は、どのような事実関係が前提とされているか をきちんと把握することが重要である。 もっとも、既遂に至る客観的危険性という実質的 観点からの判断のみによると、危険には相当の幅が あることから、判断者如何では処罰範囲が不当に拡 大するおそれもある。そこで、密接性の観点からす る形式的限定にも合理的な理由がある。そこで、判 例実務では、実行の着手の有無は密接性と危険性と いう双方を考慮し、ある行為が当該犯罪の構成要件 該当行為に密接な行為であり、かっ、その行為を開 始した時点で既に当該犯罪の既遂に至る客観的な危 険性があると評価できるときに実行の着手を認めて いる。 [ 2 ] 実行の着手の判断資料 実行の着手の有無を判断する際の判断資料の範囲 については、客観的事情に限定する見解 ( 客観説 ) 、 客観的事情に加え行為者の故意のみを判断資料とす る見解 ( 故意限定説 ) 、客観的事情に加え犯行計画を も判断資料とする見解 ( 計画説 ) が対立している。 この点、判例実務は、伝統的に、客観的事情のみ ならず主観的事情をも考慮するという立場をとって いる。このうち、下級審裁判例の中には計画説を採 用したものも少なくないが ( 例えば、名古屋地判昭 44 ・ 6 ・ 25 判時 589 号 95 頁など ) 、従来、最高裁判例で は計画説を正面から採用するものはなかった。とこ ろが、クロロホルム事件最高裁決定は、計画的 ( 段 階的 ) 犯行の事案にあっては、実行の着手の判断資 料として犯人の計画をも考慮すべきことを最高裁と してはじめて明確に示したものとして注目される。 判例が、実行の着手の有無の判断にあたって行為 の客観面のみならず行為者の主観的事情を考慮する のは、主観面により行為の危険性が異なるからであ る。ある行為のもつ危険性は、行為者がその行為の 次にどのような行為に出ようと考えているか ( 行為 意思 ) を考慮しなければ適切に評価することはでき ない。例えば、 X が拳銃の引き金に指をかけて銃ロ を A に向ける行為であっても、それが脅すつもりか 殺害するつもりかで人の生命に対する危険性は全く 異なるといえる。 また、行為者の計画内容如何によって行為のもっ 危険性が異なることもある。特に、計画的犯行にお いては、構成要件該当行為に至る前の段階で、構成 要件該当行為を確実かっ容易に行うための準備的行 為が行われることが多く、行為者の計画を考慮しな ければ、その準備的行為の危険性を適切に評価する ことはできない。複数の行為を行うという内容の犯 行計画は、複数の行為意思の組み合わせであるから、 行為意思が危険性の判断資料に入るのであるなら ば、このような犯行計画も当然判断資料に加えられ てしかるべきであろう。 計画説に対しては、犯行計画を考慮することによ り実行の着手時期が不当に早くなり妥当でないとい
応用刑法 I ー総論 ければ、準備的行為自体に既遂に至る客観的危険性 が低いことになるので実行の着手は認められない。 クロロホルム事件最高裁決定も、夜間の自動車内に おいて 3 人がかりで被害者に襲いかかればクロロホ ルムを吸引させることは容易にできるし、多量のク ロロホルムを吸引させれば失神させることも容易で あるから、第 1 行為が成功する可能性は明らかに高 かったといえる事案であったため、特にこの点に言 及しなかったのではないかと推測される ( 平木正洋 「判解」最判解刑事篇平成 16 年度 175 頁 ) 。 099 《コラム》 行為の一体性の判断基準 ある行為と別の行為が 1 個の行為といえる ( 一体性 ) ためには、 2 つの行為の間に客観的 : にも主観的にも関連性が認められることが必要 : である。客観的な関連性が認められるためには、 : ① 2 つの行為が実質的に同一の法益侵害に向け られた行為であり ( 法益侵害の実質的同一性 ) 、 : ② 2 つの行為が時間的・場所的に近接している こと ( 時間的・場所的近接性 ) が必要である。 また、主観的な関連性が認められるためには、 ・③ 2 つの行為が 1 つの意思決定に貫かれている ! こと ( 意思の連続性 ) が必要である ( 基本的基準 ) 。 ところが、クロロホルム最高裁決定は、②時 間的・場所的近接性を挙げながら、①や③に 及していない。それは、クロロホルム事件のよ うな計画的犯行において①や③が認められるの は当然だからであろう。すなわち、準備的行為 ( 第 1 行為 ) も構成要件該当行為 ( 第 2 行為 ) も 三被害者の殺害という結果に向けられたものであ るから①法益侵害の実質的同一性が認められる し、もともと構成要件該当行為を行うために準三 三備的行為を行うのであるから③殺害の意思も連 : 続しているといえる。 それでは、クロロホルム最高裁決定が、 ( 前 三述のように ) ②以外に、④必要不可欠性、⑤遂 : 行容易性をも考慮要素にしたのはなぜであろう か。準備的行為が構成要件該当行為の直前に位 : : 置する密接行為であり、準備的行為自体に既遂三 に至る客観的危険性が認められるためには、両三 行為の間に、客観的関連性・主観的関連性が認・ められるだけでなく、富接不可分性が認められ : る必要があるからである。行為の一体性という ! のは、もともとは 2 個存在している行為を接着三 して 1 個の行為とみることを意味するが、 2 つ : ーの行為が密接不可分といえるためには、いわば : 三「より強力な接着剤」が必要であり、それに当三 : たるのが④と⑤なのである ( 付加的基準 ) 。 こうして、クロロホルム事件最高裁決定は、 三準備的行為と構成要件該当行為の一体性を検討 する際に、必要不可欠性、遂行容易性、時間的・ : 場所的近接性という 3 つの要素に注目すべきこ とを明らかにした点で重要な意義がある。 [ 4 ] クロロホルム事件における実行の着手の有無 それでは【間題 2 】で「もし乙の第 1 行為 ( クロ ロホルム吸引行為 ) により V が死亡した場合」に 乙の第 1 行為の時点で殺人罪の実行の着手が認めら れるであろうか。 これを肯定するためには、第 1 行為の時点で既遂 に至る客観的危険性が認められなければならず、そ れは ( 前述のように ) 客観的事情のみならず主観的 事情をも判断資料として判断されなければならない ( 計画説 ) 。 まず、乙の第 1 行為 ( クロロホルム吸引行為 ) は、 客観的にみれば人を死に至らしめる危険性の高い行 為であった ( 客観的事情 ) 。なぜなら、クロロホルム を多量に吸引させればその行為自体から既遂結果が 発生してしまう物理的可能性があるからである。し かし、準備的行為に既遂結果発生の物理的な可能性 があるという事情 ( 客観的事情 ) だけで直ちに実行 の着手を認めるのは適切ではない。 * 例えば、夫に毒入りウイスキーを飲ませて殺害しよう と考えた妻が毒入りウイスキーを押入れにしまっておいた ところ ( 準備的行為 ) 、妻が外出中にたまたま帰宅した夫 が押入れにウイスキーの瓶があることを偶然発見しそれを 飲んだために死亡したという事例では、準備的行為を開始 した時点で夫が死亡する物理的可能性はあったといえる が、妻は後日ウイスキーのグラスを夫に差し出して飲ませ ようと計画していたのであれば、当該準備的行為は、殺人 罪の予備にすぎないと評価すべきであろう。このように 準備的行為に既遂結果発生の物理的な可能性があっても、 常に実行の着手があるとは限らないのである。 そこで、客観的事情に加え、主観的事情、すなわ ち、行為者の犯行計画の内容を吟味する必要がある。 具体的には、計画上の第 1 行為 ( 準備的行為 ) と計 画上の第 2 行為 ( 構成要件該当行為 ) が 1 個の行為
096 法学セミナー 2016 / 05 / n0736 LAW CLASS た場合は乙に何罪が成立するか〔結論 1 〕」、「もし 第 2 行為から死亡結果が発生した場合は乙に何罪が 成立するか〔結論 2 〕」を検討する。そしてこの 2 つの〔結論 1 〕〔結論 2 〕のうち、被告人に有利な 結論を最終的な罪責と確定する。なぜなら、被告人 の罪責は〔結論 1 〕もしくは〔結論 2 〕のいすれか ではあるものの、そのいずれであるかが証明されて いない以上、「疑わしきは被告人の利益に」の原則 に従い、罪の軽い方の結論を被告人の罪責とすべき であるからである。 これを、【間題 2 】に当てはめた場合、「もし乙の 第 2 行為 ( 海中転落行為 ) により V が死亡した場合」 に乙に殺人罪が成立する〔結論 2 〕ことは明らかで ある。なぜなら、その場合、第 2 行為が死亡結果を 惹起したのであるし、 ( 乙はクロロホルムで失神させ た後海中に転落させて殺害しようと考えていた以上 ) この時点で乙に殺人の故意が認められることについ て争いはないからである。 これに対し、「もし乙の第 1 行為 ( クロロホルム吸 引行為 ) により V が死亡した場合」に乙に何罪が成 立するかについては争いがある。この点、後述のよ うに、判例は殺人罪の成立を肯定するが、学説の中 に殺人未遂罪 ( あるいは傷害致死罪 ) しか成立しな いとする見解も有力である。もし第 1 行為により死 亡した場合も殺人罪が成立する〔結論 1 ー 1 〕ので あれば、〔結論 1 ー 1 〕と〔結論 2 〕を比較し、い ずれも殺人罪が成立するのであるから、乙の罪責は 殺人罪となる。これに対し、もし第 1 行為により死 亡した場合は殺人未遂罪 ( あるいは傷害致死罪 ) し か成立しない〔結論 1 ー 2 〕のであれば、〔結論 1 ー 2 〕と〔結論 2 〕を比較し軽い罪を選択するので、 乙の罪責は殺人未遂罪 ( あるいは傷害致死罪 ) となる。 このように、【間題 2 】では、「もし乙の第 1 行為 ( クロロホルム吸引行為 ) により V が死亡した場合」 に乙に何罪が成立するかが論点となっている。この 場合、乙は第 1 行為だけで既遂結果が発生するとは 考えていないので、それが早すぎた構成要件の実現 の事例といえるためには、前述のように、乙の第 1 行為が殺人罪の実行行為といえることがせひとも必 要である。そこで、第 1 行為の開始時点で殺人罪の 実行の着手が認められるかが問題となる。 3 殺人罪の実行の着手時期 それでは乙の第 1 行為 ( クロロホルム吸引行為 ) の開始時に殺人罪の実行の着手が認められるであろ うか。 [ 1 ] 実行の着手時期の判断基準 刑法 43 条は、「犯罪の実行に着手してこれを遂げ なかった者」を未遂犯として処罰することを規定し ている。犯罪とは構成要件に該当する行為でなけれ ばならないから、「犯罪の実行に着手して」とは、 構成要件該当行為を開始することを意味するはずで ある ( 形式的客観説 ) 。 しかし、形式的客観的説を厳格に貫くと、実行の 着手を認める時期が遅くなりすぎ、刑法の本来の目 的である法益保護が十分に達成できなくなる。そこ で、判例は、古くから、構成要件該当行為の開始で はなくても、構成要件該当行為に密接な行為がなさ れた時点で実行の着手を認めている ( 密接行為説 ) 。 例えば、窃盗罪の実行行為は「窃取」であるが ( 235 条 ) 、窃盗犯人が住居に侵入して「金品物色のため にタンスに近寄る」行為は、占有を侵害して移転す る窃取行為そのものではないが、その直前に位置し 窃取行為に密接な行為であるから、その行為を開始 した時点で窃盗罪の実行の着手が認められる ( 大判 昭 9 ・ 10 ・ 19 刑集 13 巻 1473 頁 ) 。 このように、刑法 43 条の文言を重視する以上、実 行の着手時期は、できる限り構成要件該当行為に近 い時点、すなわち、構成要件該当行為の直前に位置 する密接行為の時点で認められるべきである ( 密接 性 ) 。 他方、実行の着手は未遂犯としての処罰を肯定す るものであるから、それは未遂犯の処罰根拠に遡っ て検討する必要がある。結果が発生していないにも かかわらず処罰が肯定されるのは、法益保護という 刑法の目的を達成するためである。すなわち、刑法 は法益保護を目的とするが、その目的を達成するた めには、法益が侵害された場合だけではなく、法益 侵害の危険があった場合をも処罰する必要がある。 しかし、法益侵害の危険が少しでもあれば処罰する ということになれば、国民の自由な行動が萎縮せざ るをえなくなる。そこで、法益保護と行動の自由の 確保の調和点として、法益侵害の具体的危険性が認 められる場合に限定して未遂犯を処罰すべきことに
094 法学セミナー 2016 / 05 / no. 736 応用刑法 I ー総論 [ 第 8 講 ] 早すぎた構成要件の実現 明治大学教授 大塚裕史 拳銃が暴発し、弾丸は壁を貫通し隣室の v に命 ◆学習のホイント◆ 中し V が死亡した。甲の罪責を論じなさい。 1 判例実務が、実行の着手の判断にあたり、 行為者の主観的事情 ( 犯行計画 ) を考慮す 早すぎた構成要件の実現は、行為者が既遂結果を 発生させるために必要であると考えていた複数の実 る理由、およひ、犯行計画の分析の仕方を 説明できるようにする。 行行為をすべて行う前に既遂結果を発生させた場合 2 早すぎた構成要件の実現とはどのような場 をいう。【間題 I 】では、甲としては拳銃の手入れ ( 第 合を指すのか、また、早すぎた構成要件の 1 行為 ) の後に隣室に立ち入って拳銃を発砲 ( 第 2 行為 ) させて V を死亡しようという計画であったが、 実現の事例では何が問題となり、それにつ 予期に反して拳銃の手入れ行為から殺害結果が発生 いてとのように見解が分かれるのかを理解 している。甲の認識より時間的に早く既遂結果が発 生してはいるが、【間題 1 】は早すぎた構成要件の 実現の事例ではない。なぜなら、第 1 行為の時点で 1 早すぎた構成要件の実現とは何か 殺人罪の実行に着手していないので、第 1 行為は殺 早すぎた構成要件の実現 ( 早すぎた結果の発生 ) 人罪の実行行為とはいえないからである。 とは、行為者が第 1 行為 ( 準備的行為 ) の後、第 2 したがって、殺害結果が殺人罪の実行行為から発 行為 ( 構成要件該当行為 ) によって結果を惹起する 生したとはいえず、行為者が計画していた殺人罪の 計画であったが、予期に反して第 1 行為から結果 ( 既 成否 ( これが早すぎた構成要件の実現の事例の検討課 題 ) を検討する必要はない。【間題 I 】の甲には、 遂結果もしくは未遂結果 ) が発生した場合をいう。 その場合、行為者が計画していた犯罪 ( 既遂罪もし 殺人予備罪 ( 201 条 ) および過失致死罪 ( 210 条 ) が くは未遂罪 ) が成立するかが問題となる。 成立する。 早すぎた構成要件の実現の問題といえるために 第 2 に、第 1 行為 ( 準備的行為 ) 自体によって結 は、次の 2 つの前提をクリアする必要がある。第 1 果を惹起する可能性があることを認識していないこ に、第 1 行為 ( 準備的行為 ) が実行行為といえるこ とが必要となる。第 1 行為から結果 ( 既遂結果もし とが必要である。早すぎた構成要件の実現が問題と くは未遂結果 ) が発生した場合、 ( 第 1 行為から結果 なるのは、行為者が当該犯罪の実行に着手した後に を発生させる意図がなくても ) 第 1 行為に結果を発生 させる危険性が高いことを認識していたのであれ 行為者の認識よりも早い時点で既遂の結果が発生し ば、第 1 行為の時点で結果惹起についての故意が認 た場合である。 められ、結果惹起について故意犯が成立することに 異論はない。したがって、早すぎた構成要件の実現 は、第 1 行為自体から結果が発生することを認識し ていない場合に問題となりうるのである。 【間題 1 】 甲が、隣室にいる V を射殺しようと企て、そ の準備として拳銃の手入れをしていたところ、