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検索対象: 法学セミナー2016年11月号
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1. 法学セミナー2016年11月号

応用刑法 I ー総論 101 迫不正の侵害が継続中になされた過剰な反撃行為が質的過 剰防衛、急迫不正の侵害が終了した後になされた過剰な反 撃行為が量的過剰防衛である。これは、 36 条 2 項の適用を 基準とした区別であり、前者に 36 条 2 項が適用されること については異論はないが、後者については 36 条 2 項が適用 されるか争いがある。 これに対し、急迫不正の侵害が終了したか否かではなく、 反撃行為が最初から過剰だった場合を質的過剰防衛、反撃 行為の途中から過剰となった場合を量的過剰防衛とする見 解もある。これは行為の一体性の検討の要否による区別で、 前者は 1 個の過剰行為であるが、後者は過剰になる前の行 為と過剰になった後の行為の一体性が認められるかを検討 するか必要がある。 量的過剰防衛の場合、そもそも 36 条 2 項が適用さ れるか否かが問題となる。なぜなら、反撃行為の途 中から急迫不正の侵害が存在しなくなったからであ る。 ここで、反撃行為を急迫不正の侵害が存在してい た段階の反撃行為 ( 第 1 行為 ) 、急迫不正の侵害が 終了した段階の反撃行為 ( 第 2 行為 ) に 2 分してみ ると、第 1 行為は正当防衛行為、第 2 行為は ( 過剰 防衛にすらならない ) 完全な違法行為である。そこで、 法的評価の異なる反撃行為を 2 つに分けて評価すれ ば ( 分断的評価 ) 、第 1 行為は正当防衛として違法性 が阻却されるが、第 2 行為は完全な犯罪行為である から可罰的であり、 36 条 2 項を適用する余地はない。 そこで、 2 つの行為を「一連の行為」として評価 することにより ( 全体的評価 ) 、防衛行為の途中から 防衛行為が相当でなくなったので全体としてみれば 36 条 2 項が適用できるのではないかという点が問題 となる。 この点、違法性減少説からは ( さらには違法性減 少を不可欠とする重畳的併用説を厳格に貫いた場合 も ) 、途中からとはいえ急迫不正の侵害が終了して いる以上、正当防衛状況が存在せず違法性の減少は 認められないから過剰防衛は成立しない。この立場 からは、量的過剰防衛は「過剰防衛」には含まれず、 過剰防衛とは質的過剰防衛だけを意味することにな る。 これに対して、過剰防衛の刑の減免根拠を急迫不 正の侵害という緊急状態下における心理的動揺 ( 恐 怖、驚愕、興奮、狼狽 ) から責任が減少するという 責任減少説や択一的併用説によれば、途中から急迫 不正の侵害が終了していても、緊急状態下で心理的 に動揺しているという状況を考慮すれば、量的過剰 の類型も過剰防衛の規定の適用が認められることに なる。 正の侵害終了の前後を通して、分断的評価をすべき 質的過剰防衛であれ量的過剰防衛であれ、急迫不 ある。 るという意味でも、両者の区別自体微妙なところが 緩やかに判断するか厳格に判断するかで結論が変わ 慮して判断されるが ( 11 講 101 頁 ) 、侵害の継続性を 度の攻撃の可能性、主観的には加害意欲の存続を考 わけではない。侵害の継続の有無は、客観的には再 ある「急迫不正の侵害の継続」の有無も常に明確な また、質的過剰防衛と量的過剰防衛の区別基準で る。 評価するか全体的に評価するかが決定的に重要であ はあまり重要ではない。 2 つの反撃行為を分断的に 事例では、質的過剰防衛と量的過剰防衛の区別自体 このように考えると、 2 つの反撃行為が存在する が異なることに注意する必要がある。 ら法益侵害結果が発生したような場合は両者で罪名 に含まれるか否かに違いがあり、特に、第 1 行為か に違いがないようにみえるが、第 1 行為が犯罪事実 過剰防衛となる。いすれも過剰防衛になるので両者 2 行為を一連の行為とみて犯罪の成立を認めた上で となるのに対し、全体的評価をすれば第 1 行為と第 衛となり、第 2 行為だけに犯罪が成立して過剰防衛 すなわち、分断的評価をすれば第 1 行為は正当防 るからである。 るか全体的評価をするかで結論が分かれる場合があ した行為の範囲を超えていた場合、分断的評価をす ていたが、第 2 の反撃行為の時点ではやむをえずに 為の時点ではやむをえずにした行為の要件を満たし 害が継続中の 2 つの反撃行為のうち、第 1 の反撃行 衛においても、同様の問題が生する。急迫不正の侵 ところが、急迫不正の侵害が継続中の質的過剰防 一体的に評価するのかが論点となる。 析的に評価するのか、分断せすに全体的に考察して 終了前の反撃行為と終了後の反撃行為を分断して分 このように、量的過剰防衛では、急迫不正の侵害 [ 2 ] 分断的評価か全体的評価か 含まれることになる。 質的過剰防衛だけではなく、量的過剰防衛もそれに 定を適用している。この立場からは、過剰防衛とは、 了後の一連の行為を全体として考察し過剰防衛の規 判例は、後述のように、侵害現在時および侵害終

2. 法学セミナー2016年11月号

036 名の権利」 (right of anonymity) が憲法上一定の保 4 市民の表現活動にとってのプライバシー 護を受けることは承認されている 25 ) こまでの議論をふまえて、あらためて監視や ここで匿名性ないしプライバシーが保護されるべ 「場」の管理が市民の表現活動の妨げとなりうる場 き理由は、表現活動にコミットする ( 可能性のある ) 面において保護されるべき権利の内実について簡単 特定個人の情報・属性を公権力が露顕・収集・提供・ な検討を試みよう。公権力による監視を人権論から 利用することがもたらす、自由な表現活動を困難に する危険への配慮に求められる。これは、自己情報 検討する場合、一般にはプライバシー侵害の問題と コントロール権を前提とした本人によるコントロー ーこでの問題は、そこでの「プラ して扱われるが、 ルの強化という戦略とも結びつけうるが、プライバ イバシー」を表現活動との関わりでいかに把握すべ きかである。大垣警察市民監視事件において警察が シー保護の基礎にある複合的な諸価値 ( 民主主義的 価値も含まれる ) 26 をふまえた社会的な文脈を重視し 収集・提供した私人のプライバシーにあたる情報は、 つつ、表現主体が公権力さらには社会的権力から監 いかなる他者からの介入からも保護されるべき秘匿 視という形態での介入を受けないことによって自由 性の高いものだけではなく、他者との交流や他者へ のはたらきかけの中で積極的に開示されうる内容を な表現活動が可能となることを強調するものと理解 含んでいた。自己情報コントロール権というプライ できる。匿名性の法的保護は、文脈に応じて慎重な 考慮を要する問題であるが 27 ) 、「空気」が支配する バシーについての通説的理解 23 からは、警察によっ てその種の自己情報が自らの意思に反して収集・管 日本社会における同調圧力との関係でも、表現活動 理・利用されたことが権利侵害と把握されるだろう を行おうとする市民の匿名性を確保すべき必要性は 高いだろう。こうした理解を媒介とすることで、大 が、注目すべきは、そこでの情報提供の意図が、風 力発電事業への反対運動を当該私人が行うのではな 垣警察市民監視事件のような事案を官民一体となっ いかとの想定に基づくことである。 2014 年 4 月 11 日 た反対運動つぶしという表現活動の直接的抑圧と把 握する可能性も開けるのではなかろうか 28 ) 閣議決定のエネルギー基本計画において ( 原発をベ ースロード電源と位置づけつつ ) 風力発電を含む再生 可能エネルギーの導入加速が盛り込まれていること むすひにかえて からすると、私企業 ( 電力会社の子会社 ) による風 5 「政治的権利」の試み 力発電事業への反対運動は「国策」の是非を問う政 治的表現としての性格を濃厚に持ちうるのであり、 理論編の各論文にバトンタッチする前に、市民の 毛利論文でも検討されるように、こうした事案では、 表現活動に立ちふさがるさまざまな困難を把握し、 監視にさらされること自体が表現活動の抑止にあた 理論的に応接する際に求められる姿勢について付け 加えておこう。本特集の各論文が示すように、訴訟 ると理解できないだろうか。 こうした政治的表現活動とプライバシー保護との の場面も想定しつつ個別条項に定位した解釈論を彫 関係については、日本国憲法 21 条と異なり明文での 琢することはもちろん重要である。しかし、個別条 項の守備範囲には必すしも収まりきらない問題状況 結社の自由保障を欠くアメリカ ( 合衆国憲法修正 1 条参照 ) において、連邦最高裁の判例上結社の自由 があるとき、そのより適切な把握のために、市民の が承認された際に「結社の自由と人の結社における 政治参加を可能とする包括的かっ基底的な権利 = プライバシーとの死活的な関係」が指摘され、公民 「政治的権利」の侵害と理解し、それを個別条項の解 釈論にも反映させることがありえてよいのではない 権運動団体構成員名の強制露顕 (disclosure) がもた らす「経済的報復、職場の喪失、肉体的強制の脅威、 か。この「政治的権利」は、日本国憲法でいえば 21 その他公衆の敵意の表明」への配慮が決定的な意味 条を中心としつつ 13 条・ 15 条など複数の条項に基づ いて保障され、選挙などの制度的場面と非制度的場 を持ったことが参照に値する 24 。その後の判例の展 開ではプライバシーと結社の自由との結びつきはみ 面の双方にまたがる政治参加を包括し、かっ可能と する複合的性格を持っ権利と想定できる。萩之茶屋 えにくくなっているが、現在でも選挙・州民投票過 投票所事件は、こうした「政治的権利」が根本的に 程を含む政治過程における匿名での活動、いわば「匿

3. 法学セミナー2016年11月号

040 化した判決においても、パプリック・フォーラム論 は、表現内容規制・表現内容中立規制がどのような 場合に許されるかを中心にした「言論べースの (speech-based) 」パプリック・フォーラム論として 理解されていたことは明らかである。その結果、ロ 論べースのパプリック・フォーラム論は、内容中立 的で、特定の見解を狙い撃ちにせす、一般的に適用 される法律による規制に対しては、適切な防御壁足 りえないことになる。 しかしながら、集会の自由は、言論の自由には還 元されない独自の価値を有している。それは、①必 然的に複数人の関係する文脈で主張されること、② 複数人が外部の聴衆との関係のみならず集団内でさ まざまな意見やアイデンティティの形成に関わるこ と、③言語的コミュニケーションのみならず非言語 的コミュニケーションの表現的意味を基礎づけうる こと、④連帯を促進するだけでなく、他者とともに 社会政治的活動に関わるなかで個人による表現活動 も促進されるという個人的な利益をもたらすこと、 といった価値であり、パプリック・フォーラム論は、 これら集会の有する価値を確保するための理論とし て見直されるべきである。もちろん、集会の自由を べースにパプリック・フォーラム論を理解したとし ても、そこで行われる個々の言論が言論の自由とし て保障されなくなるというわけではない。集会べー スのパプリック・フォーラム論の最大の特徴は、「パ プリック・フォーラムにおいて時・場所・方法の規 制がなされても、言論そのものは他の時・場所・方 法で行うことができるので言論の自由は維持され る」と考えるのではなく、「パプリック・フォーラ ムにおいて集会それ自体が存続することで、個々の 言論以上のものが維持される」と考え、上記の集会 の自由独自の価値を確保するためのパプリック・フ ォーラム論として、言論に対する時・場所・方法の 規制を否認することにある。 日本の憲法学に目を転じれば、言論の自由と集会 の自由の関係については、憲法 21 条 1 項の規定する 「集会・結社」と「言論、出版その他一切の表現の 自由」とを分けて理解するべきか否かという議論が ある。この点については、「集会の自由・結社の自 由は、伝統的な言論・出版の自由とは区別される独 立の権利であるが・・・・・伝統的な言論・出版の自由 ( 狭 義の表現の自由 ) と密接に関連し、それと同じ性質の、 かっ、同じ機能を果たす権利でもある」 15 とされる など、「広義の表現の自由」の延長線上で理解され るのが一般的であな 6 。しかしその一方で、「集会 は純粋の言論活動と異なり集団による行動を伴う」 ことが強調され、「道路や公園などの他の利用者と の権利・利益」などの社会的利益や他者の人権との 調整という観点からの規制に服するものと理解され ている 17 。上記のイナズの議論は、「政府言論」の 法理によるパプリック・フォーラムの吸収という問 題に対する回答や、パプリック・フォーラムにおけ る個人での表現活動を「集会の自由」にいかに位置 づけるかなど、未だ不分明な点もあるものの、規制 の側面における集会の自由の独自性だけでなく、集 会の自由の保障それ自体の価値について再考するよ い手がかりとなろう 1 5 公共空間の役割 集会べースのパプリック・フォーラム論は、そも そもなぜパプリック・フォーラムなり公共空間が必 要とされるのかについても再考を迫るものであると いえる。 この点についてもさまざまな理解がありうるが、 たとえば、アメリカの憲法学者であるジック (Timothy Zick) によれば、公共の場 (public place) は以下のような 3 つの民主的機能を有するとい う 19 。第 1 に、人々は公共の場に物理的に集合する ことで可視化され、公共的なアイデンティティを築 いていくことができる。このことは、同性愛者や女 性、ホームレスなどが集団で行進するなどして自ら の法的アイデンティテイや尊厳を社会に示したこと を想起すれば明らかである。第 2 に、公共の場は、 表現者にとって民主的参加と自己統治のための場と なる。すなわち、公共の場は、表現者が生身の公衆 に対して物理的にアプローチし、話しかけ、説得し、 時には衝撃をも与えることのできる唯一の場であ り、民主的参加には自らの予期しない意見に晒され ることが必要である 2 。とすれば、公共の場の存在は その不可欠の条件となる。また、表現者にとっても、 他者とともに公衆の面前で集会やデモを行うこと は、参加の感覚を得ることができる。最後に、公共 の場は、民主過程に透明性を与える。すなわち、ロ ビイストによる密室での政治的取引と異なり、表現

4. 法学セミナー2016年11月号

102 法学セミナー 2016 / 11 / n0742 LAW CLASS か全体的評価をすべきかを統一的に理解しなければ 嚇しながら甲に向かってきた。甲は、後退する うち、土間の隅に追い詰められ、このままでは ならない。 殺されてしまうと考え、その場にあった鉈で V の左後頭部を斬りつけ、よろけながら屋根鋏を [ 3 ] 一体性評価の基準 落とした V の左後頭部を殴りつけその場に転倒 2 つの行為を分断的に評価するのか全体的に評価 , させた气第一暴行 ) 。甲は V の攻撃を受け甚し するのかは、刑法のさまざまな場面で問題となる。 く恐怖、驚愕、興奮かっ狼狽していたので、さ 既に、第 8 講 ( 早すぎた構成要件の実現 ) や第 10 講 ( 遅 らに鋏を落として横倒れになった V の頭部を鉈 すぎた構成要件の実現 ) でもとりあげたが、本講の で 3 、 4 回斬りつけ ( 第 2 暴行 ) 、 V を頭部切創 過剰防衛の問題でも同様に問題となる。 による左大脳損傷のため即死させた。甲の罪責 行為は客観面 ( 外部に現れた行動 ) と主観面 ( 行動 を論じなさい。 の背後にある行為者の意思 ) の統合体であるから、 2 つの行為の間に密接な関連性があるといえるために 【間題 I 】では、急迫不正の侵害が存在する時点 は、 2 つの行為の間に客観的な関連性と主観的な関 連性の双方が認められなければならない。 での第 1 暴行は正当防衛行為であるが、 V が転倒し 客観的関連性が認められるためには、それぞれの 急迫不正の侵害が終了した後の第 2 暴行は過剰防衛 行為が同一の法益侵害に向けられた行為であること にすらならない完全な犯罪行為である。しかも、第 ( 法益侵害の同一性 ) 、それらが時間的にも場所的に 2 暴行による傷が致命傷であった。そこで、分断的 も近接して行われたものであること ( 時間的・場所 評価をすれば、第 2 行為について殺人罪が成立し、 的関連性 ) が必要である。主観的関連性が認められ 36 条 2 項は適用されないことになる。 るためには、 2 つの行為が行為者の同一の意思決定 しかし、第 1 暴行と第 2 暴行を「 1 個の反撃行為」 に貫かれた行為といえること、すなわち、第 1 行為 とみることができる場合には、 1 個の反撃行為の全 を開始する時点での意思決定が第 2 行為にまで及ん 体を「過剰防衛」に当たると解することができる。 判例も、本問と類似の事案において、「被告人の本 でいることである ( 意思の連続性 過剰防衛の場面では、客観的関連性、主観的関連 件一連の行為は、それ自体が全体として、その際の 性を判断する際に、構成要件該当事実だけでなく、 情況に照らして、刑法 36 条 1 項にいわゆる『已ムコ 違法性を基礎づける事実 ( 違法性阻却に関わる事実 ) トヲ得サルニ出テタル行為』とはいえないのであっ も考慮すべきことになる点に特徴がある。 て、却って同条 2 項にいわゆる『防衛ノ程度ヲ超ェ 以下では、 4 つの最高裁判例を手がかりにしなが タル行為』に該るとして、これを有罪とした原審の ら、一体性評価の判断方法を説明することにしたい。 判断は正当である」と判示し、全体的考察により過 剰防衛の規定の適用を認めている ( 最判昭 34 ・ 2 ・ 5 刑集 13 巻 1 号 1 頁〔鉈追撃事件〕 ) 。 3 量的過剰防衛と一体性の有無 本判決は、「最初の一撃によって同人が横転し、 そのため同人の被告人に対する侵害的態勢が崩れ去 った」という控訴審 ( 東京高判昭 33 ・ 2 ・ 24 刑集 13 巻 1 号 15 頁 ) の認定を前提に過剰防衛を肯定しており、 本判決は全体的評価により量的過剰防衛を認めた先 酒の席での喧嘩の仲裁に不満を感じた V が、 駆的判例といえる。 甲宅を訪ねてきたが、甲が隠れていたため、同 本判決が、第 1 暴行と第 2 暴行の一体性を認めた 宅を立ち去った℃甲が母等を安心させるため「大 のは、甲が鉈という同一の凶器を使用し頭部等への したことはないから」と放言したところ、これ 殴打行為を行った点で共通であり ( 法益侵害態様の を戸外で聞いた V が甲宅に立ち戻り、「表に出 共通性 ) 、両行為は「一瞬」といえるほど極めて近 ろ」と怒鳴りつけると、屋根鋏を両手に持ち、 接して連続し ( 時間的・場所的近接性 ) 、しかも一貫 刃先を甲首近くに突きつけ、数回チョキチョキ して V の侵害に対応する意思で行われた ( 意思の連 と音を立てて開閉し、「殺してしまうぞ」と威 続性 ) といえるからであろう。 [ 1 ] 昭和 34 年判決 【問題 1 】鉈追撃事件

5. 法学セミナー2016年11月号

応用刑法 I ー総論 107 なる。つまり、全体的評価によって、正当防衛とし て正当化された傷害結果を被告人に帰責させてしま うことになるからである。そこで、通説は、 2 つの 行為の間に客観的関連性および主観的関連性が認め られれば「原則」として一体性は肯定されるが、犯 罪の成立が否定される行為を一体的評価の中に含め ることはできないと主張する。したがって、このよ うな立場からは、甲には暴行罪が成立し 36 条 2 項が 適用されるにとどまる。 このような通説の批判には説得力があるが、それ にもかかわらず判例が一体性を肯定するのはなぜで あろうか。 一体性評価の手法は、行為を一体的に刑の減免の 対象とするという法的観点からの操作であるが、そ の結論が被告人に不利益かどうかで評価を変えるこ とは合理的ではない。たしかに、 ( 過剰防衛の場面で はないが ) 早すぎた構成要件の実現の場面において、 行為の一体性を肯定することにより準備的行為の時 点で実行の着手を認めることは、被告人には結果的 には不利益な評価であるが判例はこれを認めている ( 8 講 98 頁以下 ) 。 判例がこのように考える第 1 の理由は、「複数の 暴行を加えた事案でも、その全体が 1 個の傷害罪の 構成要件に当たるのであれば、その該当性を認めた 上で、次の違法性の判断の段階で、その全体が正当 防衛に当たるか、過剰防衛に当たるか等を判断する のが論理的に一貫している」という犯罪体系論上の 根拠にある ( 松田俊哉・最判解平成 21 年度 9 頁 ) 。 * 犯罪体系論的根拠の問題点 本問において一体性を肯定する判例の立場に対しては次 のような批判がある。すなわち、「複数の暴行を加えた事 案でも、その全体が 1 個の傷害罪の構成要件に当たるので あれば」という点も、もともと 2 個の構成要件に当たる行 為を「一定の基準」に基づいて規範的観点からあえて 1 個 の行為と評価したにすぎないのであるから、問題はその「一 定の基準」自体の当否にあるのであって、その基準自体に 修正の必要があるか否かにかかっている。そして、単独で 評価すれば適法な結果を、他の行為と合わせることによっ て違法と評価するのは妥当ではない ( 山口厚「判批」刑事 法ジャーナル 18 号〔 2009 年〕 84 頁 ) 。これを理論的に説明 すると、時間的に連続する行為を 1 個とみるかの判断は、 いかなる犯罪が成立するかの問題であるから、犯罪の実質 である違法性・責任の判断によって根拠づけられるべきで 判例が本問において一体性を肯定する背後には、 出版会、 2011 年〕 75 頁 ) 。 できないというべきであろう ( 林幹人『判例刑法』〔東大 あり、適法な行為と違法な行為を 1 個の行為とみることは 次のような実務的思考が存在する。 前掲 10 頁 ) 。 てしまい、妥当性を欠く」というのである ( 松田・ 重い結果について刑責を負う余地がないことになっ から重い結果が発生したものと取り扱われるため、 告人の利益に』の原則によれば、『正当防衛的な行為』 のかを検察官が立証し得ない場合、『疑わしきは被 たが、いすれの段階の暴行から重い結果が発生した 撃を加えたところ、これが高じて過剰な反撃になっ は少ないものの、当初は防衛手段としての相当な反 結果が発生したことが明白であるから、比較的問題 注 : 平成 21 年決定〕では第 1 暴行のみから重い傷害 果については刑責を負わないとすると、本件〔筆者 すなわち、「『正当防衛的な行為』から発生した結 生ずるという問題意識である。 いるのに、その結果を帰責できないという不合理が に」の原則により、一連の行為から結果が発生して か証明できない場合に、「疑わしきは被告人の利益 り、複数の行為のどの行為から重い結果が発生した 断すると、個々の行為と結果との関係が不明確にな めるのが常識的であり、行為を必要以上に細かく分 その態様にも大きな変化がない場合には一体性を認 変わるが、 2 つの暴行が時間的・場所的に近接し、 囲の有形力の行使を 1 つの暴行と考えるかによって 暴行が正当防衛の要件を満たすか否かは、どの範 第 : ゞ 【間題 5 】は、【間題 4 】の事実関係を修正し、い 【間題 5 】いずれの行為から結果が発生したか不明な事例 【間題 4 】において、仮に V は加療約 3 週間 を要する左中指腱断裂および左中指挫創の傷害 を負ったがいそれが甲の第 1 暴行によるものか 第 2 暴行によるものかは分からなかった場合は どうか。 ずれの暴行から傷害結果が発生したことが不明であ ったとする事例である。 この場合、第 1 暴行が正当防衛であることを根拠 に分断的評価を否定する通説の立場からは、甲には 暴行罪が成立し 36 条 2 項が適用される。なぜなら、 傷害結果がいすれの行為から発生したかが不明であ る以上、「疑わしきは被告人の利益に」の原則により、 第 1 暴行から傷害結果が発生したものと取り扱わ れ、第 1 暴行は傷害罪の構成要件に該当するものの 正当防衛で不可罰となり、第 2 暴行は暴行罪が成立

6. 法学セミナー2016年11月号

1 OO 法学セミナー 2016 / 11 / n0742 LAW CLASS は、急迫不正の侵害に対し行われた防衛するための 行為であるという点で共通であるが、過剰防衛にお いても、被侵害者の正当な利益を守ろうとしたとい う部分が評価され、違法性が減少すると考えられる のである。 たしかに、過剰防衛が、急迫不正の侵害に対する 防衛行為を前提とするものであることは当然であ り、その意味で違法性減少の側面があることは否定 できない。しかし、過剰防衛の事例は、すべて被侵 害者の正当な利益を守ろうとしたという面が存在す る点では共通であるのに、刑が必ず減免になるわけ でもなく、また、免除になる場合もあれば減軽され る場合もあることは違法性の減少の側面だけでは説 明できない。 そこで、相手から攻撃を受けたという緊急状態で の恐怖・驚愕・興奮・狼狽という心理的動揺により 「防衛の程度を超えた」反撃行為を行ったとしても 期待可能性が減少し行為者を強く非難できないこ と、すなわち、責任が減少することを考慮して刑の 減免の可能性を認められると説明する見解が有力化 する ( 責任減少説 ) 。責任減少説は、過剰防衛に違法 減少が認められないという見解ではなく、急迫不正 の侵害に対する防衛行為であることを当然の前提と した上で、責任減少がなければ刑法 36 条 2 項は適用 できないという見解である ( 佐伯仁志『刑法総論の 考え方・楽しみ方』〔有斐閣、 2013 年〕 165 頁 ) 。 これに対し、通説は、刑の減免の根拠を違法性減 少と責任減少の両者に求め、急迫不正の侵害に対す る反撃行為によって正当な利益が維持されたことに より違法性が減少し、急迫不正の侵害という緊急状 態下における心理的動揺 ( 恐怖、驚愕、興奮、狼狽 ) から責任が減少すると考えている ( 違法・責任減少説 ) 。 もっとも、違法・責任減少説における違法性減少 と責任減少の関係については、違法性減少と責任減 少の双方が必要であるとする見解 ( 重畳的併用説 ) と違法性減少と責任減少のいすれかがあればよいと する見解 ( 択一的併用説 ) が対立している。 判例は、減免の根拠論について明示的に判断を下 したものはないが、責任減少を重視した判断 ( 責任 減少説もしくは〔違法性・責任減少説の中の〕択一的 併用説 ) に親和的であるといえる。 * 減免の根拠論と誤想過剰防衛 過剰防衛に刑の減免が認められる根拠をどのように解す るかは、誤想過剰防衛の場合に 36 条 2 項を適用できるかと いう問題の解決に影響を与えるとされている。 誤想過剰防衛とは、急迫不正の侵害が存在しないのに存 在すると誤信し、かっ、仮に行為者の認識したとおりの侵 害が存在したとしても、その防衛行為が防衛の程度を超え たと評価される場合をいう。 誤想過剰防衛は、急迫不正の侵害が存在しない場合であ るから、急迫不正の侵害に対する反撃行為によって正当な 利益が維持されたという事情がないので、違法性減少説お よび ( 違法性・責任減少説の中の ) 重畳的併用説からは 36 条 2 項は適用・準用できないことになる。 これに対し、急迫不正の侵害に欠ける誤想過剰防衛の場 合であっても、緊急状態下における心理的動揺 ( 恐怖、驚 愕、興奮、狼狽 ) から責任が減少するという事情は認めら れるので、責任減少説および ( 違法性・責任減少説の中の ) 択一的併用説からは 36 条 2 項を適用・準用できるといえる。 もっとも、違法性減少説や重畳的併用説の立場からも、 誤想過剰防衛の事例は行為者の主観が過剰防衛の場合と同 じであることを根拠に 36 条 2 項を準用できるとする見解も 主張されており、もしそのような主張が理論的に可能だと すると減免根拠論においていかなる立場をとるかは誤想過 剰防衛における 36 条 2 項の適用・準用論とは直接的な関係 はないことになる。 = 2 過剰防衛の類型と評価方法 [ 1 ] 過剰防衛の 2 類型 過剰防衛には、質的過剰防衛と量的過剰防衛の 2 つの類型がある。 質的過剰防衛とは、急迫不正の侵害に対して、「や むを得ずにした行為」の範囲を超えた場合をいう。 例えば、素手による攻撃に対して鉄棒で反撃して 相手を死亡させた場合のように、必要以上に強い反 撃を加えて防衛の程度を質的に超えた場合をいう。 質的過剰防衛になるか否かは、防衛行為の相当性の 判断 ( 13 講 88 頁以下 ) によって決まる。質的過剰は、 まさに本来的な過剰防衛である。 これに対し、量的過剰防衛とは、急迫不正の侵害 が終了したにもかかわらず、反撃行為を継続した場 ・合をいう。 量的過剰防衛は、当初は「やむを得すにした行為」 の範囲内にある反撃であったが、反撃を続けるうち に、相手方の侵害が終了したにもかかわらす、なお それまでと同様またはさらに強い反撃を続けた場合 で、反撃を継続したことによりその反撃が量的に過 の侵害が継続しているか否かで区別される。すなわち、急 質的過剰防衛と量的過剰防衛は、一般的には、急迫不正 * 質的過剰防衛と量的過剰防衛の区別 剰になった場合をいう。

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プラスアルフアについて考える基本民法 077 D は本件敷金の返還を求めることができるか。 2 賃貸不動産の使用収益と賃料債務の関係 7 ) [ 1 ] 問題の所在 事例 Pa 2 ( 1 ) については、乙の使用収益が妨げら れていた期間分についてまで D が賃料を払わなけれ ばならないのはおかしい、と誰もが考えるであろう。 結論としてはその通りだが、どのような理論構成に よってこれを導けばよいのか ? 色々と考えていく と、賃貸借の終了原因および効果、危険負担との関 係、履行不能の意義、賃料債権の発生時期などに関 わる難問であることに気づく。以下に整理しよう。 [ 2 ] 本件賃貸借の終了 まず、本件賃貸借の解除は認められるか ? 解除 事由として考えられるのは、①本件賃貸借に基づく 解約申入れ、② 611 条 2 項類推適用、③修繕義務の 不履行であるが、②③が当然に認められるとはいえ ず ( 後述 ) 、そもそも解除の効果は将来効であるた め ( 620 条 ) 、本件賃貸借の終了時までに発生した賃 料債権は存続する。 また判例は、使用収益全部が確定的に不能となっ た場合、賃貸借は当然に終了すると解している 8 もっとも、これが認められるには、滅失または建物 としての効用を喪失する程度に損壊した場合でなけ ればならないところ、事例 Pa .2 において乙は、復 旧に長期間を要するとはいえ修補不能とまではいえ ず、使用収益が一時的に不能となっているにとどま るため、本件賃貸借が台風襲来時に履行不能により 終了したとして本件賃料債権の不存在を主張するこ とは困難であろう。 そうすると、本件賃貸借の終了から本件賃料債権 の不存在が導かれるわけではなく、さらなる検討を 要することになる。 [ 3 ] 賃料債権の消減 0 「不発生 D が主張すべき本件賃料債権の不存在とはどのよ うな意味なのであろうか ? 発生 + 消滅なのか、そ れとも不発生なのか ? 第一に、次のような考え方 が挙げられる。賃貸借は諾成契約 ( 601 条 ) である から、本件賃貸借の成立時に D の賃借権と C の賃料 債権が発生しており、賃料支払に関する民法 614 条 および「前月末日払い」の旨の約定は、すでに発生 している賃料債権の履行期および履行方法に関する 定めである。そして、使用収益が後発的に不能とな った場合、それが一時的な不能であれば、使用収益 が妨げられた期間における賃料債権は危険負担 ( 536 条 1 項 ) によって消滅する 9 。具体的には、 D は乙 の使用収益の提供がないことを理由として月末に翌 月分の賃料支払を拒絶することができ、その後使用 収益不能の状態が継続している間、期間経過ととも に履行不能が確定し、その対価としての賃料債権が 消滅する、という理論構成になろうか。 第二に、賃料債権は継続的な使用収益の享受にと もなって順次発生するという考え方があり得る。こ の考え方に立てば、 614 条は賃料債権の発生時期を 定めた規定であり、「前月末日払い」の約定は、将 来賃料債権の前払いを約した特別な合意と解するこ とになろう。そして、使用収益が妨げられている間 はそもそも賃料債権が発生していないことにな る 10 ) このような議論をうけてさらに、継続的契約関係 としての賃貸借の特色を重視して、賃料債権の構造 を「基本権的賃料債権」と「支分権的賃料債権」と に分けて理解すべきことを提唱する見解もある 11 ) すなわち、前者は賃貸借の成立により発生し、賃料 を請求・収受し得る賃貸人の地位を指すのに対して、 後者は前者に基づいて、使用収益の享受にともなっ て具体的・継続的に発生する個別の金銭債権を示し ており、月毎に行われる賃料請求は支分権的賃料債 権の行使を意味する。使用収益の全部が確定的不能 となった場合は基本権的賃料債権そのものが消滅 し、支分権的賃料債権もその基礎を失って以後発生 しないこととなるが、一時的不能にとどまる場合、 基本権的賃料債権は当然には消滅せず、その期間に 応じて支分権的賃料債権のみが不発生となる。この 理解に立てば、本件賃料債権は発生していないこと になる。 以上のような構成にしたがって D は、本件賃料債 権の消滅または不発生を主張することができよう。 3 賃借人の権利義務と敷金による負担の関係 [ 1 ] 問題の所在 本件賃貸借が終了した場合、敷金の清算はどうな るか ? 敷金は賃借人が賃貸人に対して負うべき債

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060 なるとその重大性を指摘して、仮命令による限定解 釈を根拠づけている。 本決定は、広範な監視が集会の自由に対する萎縮 効果を発生させることを認め、しかも、技術の発展 により公権力による監視の個人把握能力が高まって いることへの法的対処の必要性を指摘するものとし て興味深い 14 ) 。 [ 2 ] 「同調効果」の指摘 さらに、近年のアメリカにおけるある研究は、公 権力による広範な監視は、市民に対して無視できな い心理的作用を及ばし、政治活動を萎縮させるのみ ならず、個人の政治的意思形成自体にも影響を与え る、と述べている。個人の政治的意見は、他者との 意見交換を通じて形成されていく。しかし、この他 者との交流が監視されているという意識があると、 人々は少数意見との接触を避けるようになる。「監 視は諸個人を、他の人々が自分に期待していると自 分で考えるとおりに行動するように、そして拘東に とらわれす自己を発展させるのではなく、自分が感 じ取る規範に同調するように仕向ける」 15 ) 。社会心 理学の調査からも、自分が逸脱者だと見られること を恐れ、少数意見との接触を避ける人々は、自らも 社会の多数派に同調する意見をもつようになる傾向 ( 「同調効果 (conforming effect) 」 ) が示されている。 だから、「経験的調査は、プライバシーが、新しい 考えの発展、現状への挑戦、変革のために、そして 活力ある民主政のために、重要だといえるだろうと いうことを示している」 16 ) 。社会に存在する同調圧 力を考慮すれば、「匿名性は多数者の専制からの盾 ( シールド ) である。」という、合衆国最高裁がある 判決で述べた言葉の説得力は増す 17 ) 私は、以上紹介した論文と重なる趣旨を、「集団 内で強いコンフォーミズムが作用することは、決し て特殊『日本的』現象なのではない。」として述べ たことがある 18 。誰も生まれながらにして特定の社 会的地位を占めるわけではない近代社会において、 諸個人のアイデンティティは、他者との交流、他者 による評価の反省的摂取を通じて形成される。全て の個人に人権を認めることは、独立の人格としての 法的地位の承認を意味し、それにより諸個人は自律 して生きるための最低限の安定をえる。しかし、現 実の社会の中で生きる諸個人は、現実の社会的交流 の中での承認にも依存している。だからこそ、個人 はこの承認の拒絶の恐れに対して敏感に反応せざる をえない。自分の発言が自分の評価を下げる危険が ある場合には、そのような危険を避けるよう心理的 防御反応が働く。つまり、その発言を控え、社会の 多数の意見に自分の思考を合わせてしまう。このよ うに、コミュニケーション参加者のアイデンティテ イが当のコミュニケーションに依存している以上、 コミュニケーションは非常に歪みやすい脆弱な構造 なのであり、言論の説得力による合意ではない偽り の合意がなされる危険は遍在している。だからこそ、 活発な政治的議論を現実に可能にするには、自由で 活発な言論空間という理想と現実を比較し、現実の その理想からのずれに敏感に対処することが欠かせ ないのである 広範な監視により諸個人が常に「見られている」 ことを意識せざるをえなくなると、彼ら彼女らが感 じる社会的圧力は必然的に増大する。もともと政治 活動は、他者に自らの評価を委ねる営みである以上、 必然的に自己のアイデンティティにとって一定のリ スクを伴う。このリスクをさらに人為的に高める措 置は、必要最小限にとどめなければならない。 1 ) 毛利透『表現の自由』 ( 岩波書店、 2008 年 ) 。 2 ) 本稿は、近刊予定の拙稿「表現の自由と民主政ーー 萎縮効果論に着目して」『「表現の自由」の現在』 ( 阪ロ 正二郎ほか編、法律文化社 ) 所収の一部に、監視社会に ついての考察を少々付け加えたものである。理論的考察 についてより詳しくは、同論文を参照していただきたい。 3 ) カール・シュミット「憲法理論』 288 頁 ( 尾吹善人訳、 創文社、 1972 年 ) 。 4 ) 最大判昭和 61 ・ 6 ・ 11 民集 40 巻 4 号 872 頁 ( 北方ジャ ーナル事件 ) 。 5 ) 言論の説得力以外のカ、特に暴力の威嚇で他者を従 わせようとする脅迫などの行動は、保護される価値をも たない。 6 ) もちろん、法は権力の恣意的行使を防ぐために様々 の対策を施している。しかし、このことは、最終的には 自らの意思を一方的に貫徹できるという公権力の法的特 性を変えるものではない。たとえば、行政手続法は不利 益処分に理由付記を求めているが ( 14 条 ) 、この理由は 処分の相手方を納得させる内容のものである必要はない。 7 ) lmmanuel Kant, Zum ewigen Frieden ( 1796 ) , in: Werkausgabe Bd. XI (WiIheIm WeischedeI ed. 1977 ) , S. 191 , 228. カント『永遠平和のために』 74 頁 ( 宇都宮 芳明訳、岩波文庫、 1985 年 ) 。毛利前掲注 1 ) 13 頁参照 8 ) Jürgen Habermas, ReIigion in der OffentIichkeit, in: Zwischen Naturalismus und ReIigion ( 2005 ) , S. 119 , 130- 140. 毛利前掲注 1 ) 34-35 頁参昭 9 ) 毛利前掲注 1 ) 83 頁以下参昭 10 ) DanieI J. Solove, The First Amendment as Criminal 19 )

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[ 特集引市民の政治的表現の自由とプライバシー その活動を思いとどまらせる強い効果を有した。当 られることはまず期待できず、議論のなかで、よく 時のアメリカ連邦最高裁判所は、この「抑止効果」 ても好意的に ( 発言者からすれば ) 歪曲され、悪け に、合衆国憲法の保障する表現の自由に対する重大 れば徹底的に批判される。議論の場全体としてみれ な制約を認めた。今日いうところの厳格審査基準は、 ば、その意見はまさにそのようにして民意の形成に 公権力による調査が人々の表現の自由行使や自発的 貢献しているのであるが、こんなやっかいなことに な結社活動を抑止してしまうこと問題性を重視し 進んで参加する人が多くないのは当然ともいえる。 た、当時の最高裁の格闘から生まれてきたものであ そして、法は政治に参加しない自由をも十分に認め ているのである。そうでなければ、政治的議論の自 る 9 コンピュータの発達による情報処理能力の発達に 由は確保されず、その場での理性の働きも期待でき ともなって、公権力による監視の問題性は増大して なくなる。 いるといえよう。ダニエル・ソロプは、政府による 結局のところ、政治的議論に参加するインセンテ 情報収集が市民の政治活動を萎縮させる危険を強調 イプは、各人にとってはごく小さい。政治的議論に している 10 。政府が自分たちの活動を常にウォッチ よってこそ理性的な民意が形成されるというのに しているかもしれないとすると、自分たちの活動が その重要性とは裏腹に、各個人がそのような場に赴 勝手に「テロリスト監視リスト」に入れられている く意義を見いだすのは、容易ではない。だとすれば、 かもしれない。もちろん、そんなことは確認できな 法的制裁の予告による萎縮が、政治的言論に大変効 いし、リストに載ったらどのような不利益が生する 果的に働くことは容易に理解できるであろう。ただ のかも不明確である。それでも、このような不明確 でさえ面倒なことなのに、不利益を被るおそれまで 性こそ、表現を抑制する効果をもつ。「多くの人々 あるなら、そんなことには首を突っ込みたくない、 はリスクを引き受けようとは望まず、単に自分の行 と考えるのは当然である。しかし、萎縮の結果とし 動を変えてしまうだろう」 て不利益を被るのは、国家全体なのである。時の権 この関連では、ドイツ連邦憲法裁判所が 2009 年に 力者が自由な批判を萎縮させることによって自己の 集会の警察による監視の許容性について示した判断 権力を用いやすくなるとしたら、このことは、政治 が注目される 12 。ある州の集会法が警察によるカメ が理性から離れていくことを意味する。 ラを用いた集会観察を広く認めていたことが、集会 の自由に対する萎縮効果 (Einschüchterungswirkung, 2 監視による萎縮と同調 Einschüchterungseffekt) を発生させるとして、観察 が許されるのを公共の平穏や秩序に重大な危険が発 [ 1 ] 萎縮効果の視点から 生する根拠がある場合に限定して解釈するよう仮命 政治活動の自由は、多くの人々に対して自分たち 令が出されたのである ( その他にも、記録したデータ の主張の説得力を訴える活動である。そのためには の使用について制約を課したりしている ) 。同法は、 当然、自分たちの政治的見解を互いに交換し練り上 個人を特定できる監視にはこのような条件を付す一 げ、外部に向かってどのようにそれを発信するかを 方、俯瞰的撮影 (Ubersichtsaufnahme) を広く認 決めていく過程が必要である。そして、この過程の めていたのだが、同裁判所は、今日の技術水準から 自主性が確保されるためには、それが当事者の意向 すれば、俯瞰的撮影からでも個人を特定することは に反して外部に漏れないことも確保されなければな らない。政治活動の自由の保障は、何を公開し、何 容易であるとして、権利制約の点で両者に有意な差 を認めなかった。そして、集会への参加は政治的思 を非公開とするかについての当事者の判断の尊重を 想や世界観と関連する「センシテイプ・データ」で 求める。 あり、「集会への参加が官庁によって記録され、 特に少数意見を支持する政治団体にとって、内部 れにより個人的リスクが生じうることを考慮に入れ 情報が公権力によって収集されることは、その活動 る者は、基本権行使をやめてしまうかもしれない。」 を萎縮させる危険性が大きい。アメリカではマッカ と述べる 13 。同裁判所は、この萎縮効果は個人の自 ーシズム期に、共産主義者と疑われる人々に対して、 由な発展にとってだけでなく、公共の発言を減らす その交流関係などをめぐって強制的な調査が行われ ことによって自由で民主的な共同体に対する損失と た。このような調査は、少数意見の持ち主に対して、 059

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104 法学セミナー 2016 / 11 / n0742 LAW CLASS 防衛が成立する余地はないとして、結局、第 2 暴行 について傷害罪の成立を認め、甲に懲役 2 年 6 月を 言い渡した 最高裁も、「両暴行は、時間的、場所的には連続 しているものの、 V による侵害の継続性及び被告人 の防衛の意思の有無という点で、明らかに性質を異 にし、被告人が前記発言をした上で抵抗不能の状態 にある V に対して相当に激しい態様の第 2 暴行に及 んでいることにもかんがみると、その間には断絶が あるというべきであって、急迫不正の侵害に対して 反撃を継続するうちに、その反撃が量的に過剰にな ったものとは認められない。そうすると両暴行を全 体的に考察して、 1 個の過剰防衛の成立を認めるの は相当でなく、正当防衛に当たる第 1 暴行について は、罪に問うことはできないが、第 2 暴行について は、正当防衛はもとより過剰防衛を論ずる余地もな いのであって、これにより V に負わせた傷害につき、 被告人は傷害罪の責任を負うというべきである」と 判示し上告を棄却した ( 最決平 20 ・ 6 ・ 25 刑集 62 巻 6 号 1859 頁〔灰皿投擲事件〕 ) 。 このように、第 1 暴行と第 2 暴行を全体的に評価 するか分断的に評価するかについて、第 1 審と控訴 審・上告審で見解が分かれたのは、一体性を判断す る基準が異なるからである。 第 1 審は、時間的・場所的近接性、故意の 1 個性、 行為態様の同一性、結果への寄与度を考慮要素とし、 第 1 暴行と第 2 暴行が、質的にも量的にも著しい変 化がないことを重視して一体性を肯定している。 第 1 暴行と第 2 暴行は、どちらも人の生命・身体 を侵害する危険性のある行為であり、同一の場所で 時間的にも数分間の隔たりしかなく行為態様も同一 のものといえるので客観的な関連性が認められ、い ずれも V から言いがかりをつけられたことに起因し V に暴行を加えようという意思に基づくもので実質 的にみて 1 つの意思決定に基づく行為であるといえ るので主観的関連性も認められる。したがって、第 1 暴行と第 2 暴行は 1 個の行為と評価することが可 能であるというのが第 1 審の考え方である。 これに対し、控訴審・上告審は、構成要件該当事 実 ( 実行行為の内容 ) やその認識事実 ( 故意の内容 ) に限定せす、違法性阻却事由である正当防衛の要件 事実まで考慮要素に含め、侵害の継続性と防衛の意 思の有無を重視し一体性を否定している。すなわち、 第 1 暴行時に存在した急迫不正の侵害が第 2 暴行時 には存在しないことから客観的な関連性を否定し、 第 1 暴行時に存在した防衛の意思が第 2 暴行時には 存在しないことから主観的な関連性を否定している。 たしかに、急迫不正の侵害が存在し防衛の意思も ある第 1 暴行と、急迫不正の侵害が存在せず防衛の 意思もない第 2 暴行は、明らかに性質が異なり断絶 があるので、全体的に考察して一連の行為とみるこ とはできない。したがって、甲の第 1 暴行は正当防 衛で不可罰となり、第 2 暴行には傷害罪が成立する という結論は妥当である。 このように、判例においては、第 1 暴行と第 2 暴 行の一体性を肯定できるか否かは、防衛の意思が継 続しているか否かが決定的な基準となっている。平 成 20 年決定は、全体的評価の限界を示したものとし [ 1 ] 平成 9 年判決 4 質的過剰防衛と一体性の有無 て重要な意義がある。 質的過剰防衛の成否を検討しよう。 を加えた ( 11 講 100 頁 ) 。今回は、同じ事例を使って であり、 11 講では「侵害の終了時期」について検討 号 435 頁 ( アバート鉄パイプ事件 ) を素材にしたもの である。この問題は、最判平 9 ・ 6 ・ 16 刑集 51 巻 5 【間題 3 】は、第 11 講の【間題 5 】と同一の問題 甲から鉄パイプを取り戻し、それを振り上げて 行 ) 。そして、再度もみ合いになって、。 V が、 その頭部を鉄パイプで 1 回殴打した ( 第 1 暴 が、同人が両手を前に出して向かってきたため、 ~ の直後に、甲は、 V から鉄パイプを取り上げた 大声で助けを求めたが : 誰も現れなかった。そ 同荘 2 階の通路に移動し、その間 2 回にわたり つかみかかり、同人ともみ合いになったまま、 た v に対し、甲は、それを取り上げようとして 1 回殴打された。続けて鉄パイプを振りかぶっ に長さ約 81cm 、重さ約 2kg の鉄パイプで頭部を 同便所で小用を足していた際、突然背後から V の午後 2 時 13 分頃、同荘 2 階の北側奥にある共 と日頃から折り合いが悪かったところ。ある日 たが、同荘 2 階の別室に居住する V ( 当時 56 歳 ) 甲は、文化住宅 s 荘 2 階の 1 室に居住してい 【間題 3 】アパート鉄パイプ事件