気持 - みる会図書館


検索対象: むつかしい世の中
39件見つかりました。

1. むつかしい世の中

あるいは自殺をしているかもしれないと佐々木の妻は泣きながらいった。 「涙を流せる間はですよ、奥さん」 春彦は佐々木の妻にいった。 ある時、・ほくはそう思い決めたんです。絶望のとき 「不幸と絶望を歌ってはならない そ、愉快げに笑わなくてはいけない。だから今も・ほくは笑いますよ。誰もが笑っている・ほく宀 見て楽天的な男だというでしよう。楽天大将ーーそれこそ・ほくの切望する愛称です」 あっけ 佐々木の妻は呆気にとられて泣きゃんだ。 「さようなら、奥さん , 春彦はいっこ。 「金なんてもう、どうだっていいのです。忘れましよう ! 忘れましよう ! 」 春彦は佐々木の家を出て、ゴミゴミと建て込んだ家並の間を流れる汚れた掘割沿いに歩い 行った。暫くの間、彼はいい気持だった。 忘れましようー 金なんてもう、どうだっていいのです。忘れましようー 彦 師口に出してそういった気分は格別だった。 詐「我々は金のために生きているんじゃありませんよ。では何のために生きているか ? 」 彼はもう一一一 = ロ、佐々木の妻にそういい足せばよかったと思った。それで彼はその場面を空 ~ しばら

2. むつかしい世の中

「大井さん、わかってくれませんか」 ) ・旺 1 ど、よ、つ . にいっこ。 「悪とはいったい何たろう ? 善とはいったい何だろう ? 人を愛することは悪たろうか ? 信じることは悪でしようか ? 金の損をせぬことが善なのですか ? 損をしないために人を疑 うこと、人の苦況に目をつぶって通り過ぎることが、善なのか ? 」 初太郎の頭はだんだん霞がかかったようになって来た。春彦がしゃべりはじめると、初太郎 はいつもこうなる。気力がなくなり、自信が薄れ、快い眠気のようなものがやって来る。五百 万円の金を作って堅気になり、春彦の会社に入ろうと決心した時も丁度こんな気持だった。子 供の頃、劣等生の悪たれであった初太郎は、それでも何度か勉強して真面目な子供になろうと 考えたことがある。よし、明日からやるそ ! そう思うだけで爽やかで快い、愉快なエネルギ ーが身体に湧きひろがって行くのを感じたものた。春彦のいうことを聞いているとその時と同 し、へんに素直で快い感動が身内に湧いて来る。な・せかわからぬままに、春彦のいうことは崇 彦高で正しい、と思ってしまう。 春 「しかしね、大井さん、だといって・ほくはあなたの五百万円をそのままにしてしまう気は毛 師 詐頭ありませんよ。本当はもう・ほくは事業などやらないで、この海辺で波と風を友として生きた それをしようと思えば出来るんです。しかし、それは・ほくのエゴイズムであって、・ほくは ・ほくひとりの安穏を考えていてはいけないのです。人間としての義務を遂行するために、・ほく さわ

3. むつかしい世の中

「わア、仰山、食べるんやなあ ! 」 と思うその気持というもんは、今はもう腹が立っというのやのうて、丁度オリン。ヒックで東 洋の魔女が次々と試合に勝って行ったときみたいな、盛り上げた砂山を大波が来てどーっと崩 して行った時みたいな、何ともいえん、「やった ! 」とでもいうような気持なんです。 それからまた、。 コトンと手洗いの一尸が閉る音がする。そうすると気が散りはじめて、手洗い を見に行かんとおれんのです。そーっと手洗いを覗いてトイレットペ ハーか、これまた、わ ア、なんて仰山、使うんやなアと大声あげて感心したいほど減ってます。またゴトン、台所へ 立つ。ゴトン、手洗いを見る。そして何となく満足して縁側に戻って仕事のつづきをしますん それにしても、人間というもんは、どんな時でも何やかや楽しみを見つけて、そうして、凌 いで行くもんでございますなあ。 しの

4. むつかしい世の中

はこの古い住宅地のどの家にもある満開の桜のためたった。松原が声をかけると、春彦はにこ にこして階段を下りて来た。そうして腰に手を当て、向いの桜の大木を見上げながら、 「やあ、満開ですなあ」 と朗らかにいった。 「桜というものは華やかな花だと思っていたが、本当は淋しい花なんだなあ : ・ 春彦はいった。 「はて、この明るさの中に沈んでいる淋しさは何たろう ? 」 松原は何となく勝手の違う気持でいった。 「先生、それで、荷物は ? 」 「荷物は昨夜、運送屋に来てもらって出しましたよ。女房と子供も昨日のうちに出してやり ましてねー 春彦はにこやかに松原を見ていった。 彦「すっかりお世話になりましたねえ。福良の方へ来られたら寄って下さい」 「はあ、ありがとうございます 師 詐松原はますます勝手の違う気持を深めながら礼をいった。 「女房の伯父に網元がいるんです。魚はビチ。ヒチ跳ねてるものを食べさせますよ。義夫の腸 の異常曜も、新鮮なものを食べて運動すれば直るでしよう さび

5. むつかしい世の中

174 物袋を下げてと・ほと・ほとお使いに行くぬい子の後姿を見ていると、なんでもっと、さっさと歩 かへんのやろと怒る気持と一緒に、なにやら可哀そうなような、虐めたらいかんのに虐めたい ような、イジイジ、ムズムズする気持が湧いて来て、何ともいえず情けのう、腹立てつつあわ れでたまらんようになるのでした。 十月の連休に、孫の謙一がひとりでひょこっと来ました。おつやさんがヨメに報告している とみえて、うちでもぬい子のことが話題になっているらしい。謙一は、 「おばあちゃん、サべッ意識はいかんで」 えらそうな顔していうのです。 「おばあちゃんはサべッ意識もってるさかい、手伝いとうまいこといかへんのや。人間、み な平等やで。皆、ひとしなみ、ちゅうこと知らなあかん」 小さい時はおばあちゃんおばあちゃんいうて、わたしに背中掻いてもろて寝るのが好きな可 愛らしい子やったのに、ちょっとの間にニキビ出してメガネかけて親の前でも平気でタ・ハコ吸 います。 「ええか、おばあちゃん、今、おばあちゃんは何もせんと、他人の労働力に頼って生きとる んや。そのことについておばあちゃんには何ら反省の色がないな。おばあちゃんは社会に対し

6. むつかしい世の中

いい家だろう ? いや家はポロたけど、眺めがさ、すばらしいだろう。夏がすてきなんた。春 しかし冬枯れの頃もまた、それなりの趣があるよなあ。ほら、陽ちゃん、ごらん。柿 ふもと の実があんなに沢山なってるよ。『柿の実や幾日ころげて麓まで』 : : : 知ってるかい、一茶だ / 生の句だ : よ。『おのれ渋しと知らでや柿の真赤なる』 : : : どうだい、ト 陽子は一緒になってオホホホと笑い 「ここは気に入りましたけど、でも私の方はべつに急いではいませんの、ですから、奥さま ともよくご協議いたたいて」 「協議って、ああ、値段のことね、それは・ほくに任せてよ。大丈夫。悪いことなんかしませ んよ。陽ちゃんを相手に、今さらそんな怖ろしいこと出来ないよ、そうだろう ? ワハ じゃ、小山、失礼するよ」 春彦は陽子を車の助手台に乗せてゆるやかに土堤を走った。 「気持のいい日だねえ。身も心も晴ればれするねえ。寒くもなく、暑くもない、丁度いい日 だ。申し分ない ! 天気がいいと何の苦労もないような気持になる。三歳の時のあの晴れやか さがやってくる。未来は開けて雲ひとつない。たとえ雲が現れてもすぐ晴れると思う。すぐに 晴れると思えるということは、すばらしいことだよ ! あっ、チクショウ ! 気をつけろ ! 」 春彦は追い越し車に向って上機嫌に声を上け、それから、

7. むつかしい世の中

は陽子みたいな変りダネもいる。彼女はね、返すとよけい機嫌の悪い顔になるんだ。普通はほ っとするだろ、しかし彼女はむっとするあの心理は考えると実に面白い。もしかしたら彼女 はいつも・ほくに対して怒りつづけていたいんだ。それが今は彼女の楽しみみたいになっている。 たから楽しみを奪われたような気持になるのかもしれないなあ」 「陽子さんにだけは迷惑をかけないで下さいよ . 、、オ子は弱々しくいう。 「お願い。私の立場も考えてよ」 「大丈夫だよ、あの女は君に悪い感情は持っていないよ。むしろ同情している。そしてね、 その同情は・ほくが金の問題を持ちこむ限りつづくと思うね ミオ子は黙 0 てしまう。そうして陽子ならばこんな時、卅腑を貫くような痛烈な一言をいう だろうと思う。そんな時、ミオ子は陽子に師事したいというような気持になるのだった。 春彦は小山の妻に会わなければならなかった。小山は後のことはオレは知らんそ、君が責任 をもって結着をつけてくれ、といった。小山の妻の和枝はこの頃、小山との夫婦仲がこじれて おだわら ノイローゼのようになっている。始終、小田原の姉のところへ行くのはそのためた。 「オレは明日あさってと二日、ゴルフへ行ってくるからな、その間に話をつけておいてく と小山は電話をして来た。小山は和枝と離婚することをハッキリ決意し、それを和枝に納得

8. むつかしい世の中

うな気持で待っている。大げさかもしれませんけど、例えば将棋の名人戦の対局に臨む、と うような緊張です。 やっと便所から出て来て、「すんません」とロの中でいいつつ、ぬい子は私の前に坐りま、 「どないやった ? とまず、静かに訊ねました。 「はあ・・ : : 」 というたまま、あとはいつもの通りです。 「えらい早いやないの、帰りが」 「権藤はん、何といわはったん ? 」 「・ : ・ : はあ・ : : ・もう、よい 「もうよい、て : : : ちゃんと直ったん ? 」 いくら私でも、猫は取れたか、とはいえませんので。 ぬい子は伏目にな「て、卓の上を見つめているたけです。 「よう働けるようになった ? 」

9. むつかしい世の中

「あの丘の下あたりです」 高桑は車を出て指をさした。草原はこの台地の裾からゆるやかに下って行き、向うの丘の真 下で急に落ち窪んでいる。その窪みのあたりに小さく人影が二つ見えた。 「あ、もう足立夫妻が来ているようだね」 春彦がいった。 「ほら、こっちに向って手を上げているよ」 「あすこなの ? 陽子はいっこ。 「あの落ち窪んだところ ? 」 春彦はそれには答えず、 と向うの人影に向って手を大きく振り、 「ああ、気持がいいなあ ! どうだい、この広さ ! 」 と歌うようにいオ 「これそまことの自然だよ。どうたい、 このうまい空気 ! 青緑の鮮やかさ ! ああ残念だ なあ、曇っているので富士が見えないねえ。本来ならあの丘の向うに、雄大な姿を現している

10. むつかしい世の中

ら」 陽子はうす紫の絹の部屋着を着ている。部屋着には刺聞がほどこしてあり、同じ色のフワフ ワのスリツ。、 ノを履いている。 「変らないのはあなたたけね」 陽子は新聞を読んでいたソフアから立ち上りながら、老眼鏡を外した。そのメガネのフレー ムもうす紫で、何やらチカチカ光るものがちりばめられている。そして陽子は、 「なんなの ? といった。その一一 = 〕葉には、もう一一度と来るなといったのを忘れたのか、という気持が籠めら れている。 「いやね、君がこの家を売って、閑静なところへ行きたいといってると聞いたんでね」 春彦はニコニコしていった。 「いい土地があるんたよ。君にはもってこいのところなんた」 ば、つぎよ 「ダメよ、あなたが = コニコすると、反射的に私には警戒の防禦シャッターが下りるんだか 待ちうけていたように春彦は笑った。 「まあそういわずに、話だけでも聞いてよ 返事をしないで郵便物の整理をはじめた陽子の前に立ったまま彼はいった。