ウシ 3 4 3 泉である水などと一体の結合を示す い乳牛ができる。後者の例としては , はとくになく , 妊娠期間は約 285 日 , ようになった ヘレフォード種あるいはホルスタイ 1 産 1 子が多いが , まれに 2 子のこ 〔日本におけるウシの民俗〕縄文う ン種の雌に , アメリカヤギュウの雄 ともある。 2 卵性双生児で雌雄がで を交配してできた雑種 ( キャッタロ ) 時代晩期から , また弥生ツ時代の遣 きると , フリーマーチンといって雌 跡からウシの骨の出土することもあ がある。これは体質強健で , 抗病性 に生殖不能のものの現われることが るが , その数は多くない。家畜化の に富み , 粗放な飼養管理に耐える。 ある。 程度もわからない。く魏志倭人 2 〔利用〕ウシの用途はいろいろある なお累進交雑といって , 優良な個体 伝 > には「その地は牛馬なし」と書か が , おもなものをあげると , つぎの ( 主として雄 ) を未改良群に代々交配 れているが , たとえ家畜化されてい ようになる。乳は市乳として利用さ して改良していく方法をとることも たとしてもわすかな数であろうと思 ある。 / 畜産業 / 酪農〔長沢〕 れるほか , バター , チーズ , 粉乳 , われる。役畜としての利用はおそら 〔ウシの文化史〕現在家畜化されて 練乳 , アイスクリーム , カルピス , く古墳時代から始まったものであろ いるウシの先祖である原牛は , バイ ョーグルトなどの原料となる。 ノヾタ う。延喜式にはからすきによる牛耕 ー 1 ポンド ( 454 g ) を作るために , ホ 氷河時代人の狩りの ソンとともに のことがみえている。現在役畜とし 対象になっていた。そしてすでにそ ルスタイン種の乳なら約 12.5 / , ジ ての牛馬は , ウマにくらべてみると のころ , ウシの角には多産と生成の ャージー種なら約 9 / を要する。役 き圧倒的にウシが多く用いられてい 力がやどるという信仰があったので 用としては持久力にすぐれ , 日本の る。上代以降ウシは仏教の影響から はないかと考えられている。ウシの ように区画の小さい田畑の作業には 食用にすることを強くきらわれ , も 家畜化も牧畜そのものも , 農耕とと 欠くことのできないものとされてい つばら役畜として農耕や運搬に使わ もに前 5 ( ) 00 年あるいはそれ以前のオ る。作業能率は畑の耕起ではウマの れてきた。人間の住居に接して牛舎 リエントの原始農村に始まったとい % 倍 , 人の 1 ( ) 倍で , 作業可能傾斜は がつくられ , 日常の生活にもウシと う公算が大きい。家畜化したウシの トラクターの 18 。に対し 2 ( ) 。といわれ 交渉をもっことが多いために , 家族 骨で最も古いのは , イラクのジャル る。肉は牛肉 , 皮は皮革として用途 モから発見されている骨で , はは、前 の一員のようにあっかわれ , 正月に ひろく , 脂肪はヘットとしておもに は牛正月といって , もちゃだんごを 5000 年紀の前半と推定されるつ前 料理用に使われ , 骨は粉にして飼料 3 ( ) ( ) ( ) 年ごろまでに , 古代オリエント 与え , 5 月中はウシを使役しないこ や肥料に , 毛は織物やフェルトとな とにして , 牛神をまつる地方が多く , 全体にわたってウシは宗教や神話の り , 脳下垂体 , 卵巣 , 血液などから 近畿 , 中国 , 四国地方はことに盛ん なかで重要な役割を占めているばか はホルモンか・取れる。 である。夏越瓮の日にはウシを海や 〔育種〕種畜の選択は , その用途に りではなく , 運搬 , 打穀 , 犂耕 ! うな 川で遊ばせる習俗が多く , 牛角カ社ぅ 応した体型 , 能力および血統の 3 者 どに使われ , 乳や肉なども利用され た。古代オリエントではしまった牧 などか・行なわれている。ウシは、大 を総合してすぐれているものを選び , 神様の使者とされているが , 太秦 畜の知識は , やがて旧大陸の各地に それらどうしをかけ合わせる。かけ の牛祭をはしめとして , ウシに関す ひろまった。中国では前 20 ( ) 0 年紀の 合せの方法は , 優良な形質の遺伝性 末ごろになると , ウシは重要な家畜 る信仰は水に関係あるもの , 稲作に をさらに確実にするためには , 系統 として尊重され , 国家の祭りにも最 関係あるものが多い。牛角力は伊豆 交配や近親交配が行なわれ , またそ 大の犠牲獣となった。ウシの供犠は 八丈島や青が島を東限として , 愛媛 れぞれの系統や品種の特徴をかね合 またキ、リシア , ローマの時代を通し 県の宇和島や島根県隠岐諸島など わせた個体を得るためには , 品種間 に分布しているが , その発生は神事 てひろく行なわれたが , 同時にウシ 交配や系統間交配が行なわれる。 に関係があるらしい。ウシは毛色や を他の家畜といっしょに貨幣に使う の場合にその両親のいすれよりもす 旋毛 , 角 , 尾などによって性質を見 慣習も東西にひろくみられた。 ぐれた個体の現われることがあり , 分けることができ , 牛市場における ウシに関する信仰 , 儀礼は古代の これを雑種強勢という。また目的に 馬喰の用語も多彩である。海岸や 農耕文化のなかにその端を発する。 よっては種間交配や属間交配を行な 島ではウシの放牧が盛んであり , 飼 ウンは多産豊作の力をもつものとし う。たとえば前者の例として , イン い主を区別するためにウシの耳の毛 て神聖化され , やがて生殖力のシン ド系の乳用種であるシンド種の雌に ポルである地母神 , 信仰上この女神 をそったり , 耳を切ったりする耳 ホルスタイン種の雄をかけてできた 印しがあるが , これも各地はは、共 と不可分の関係にある月 , 生命の源 雑種は , ホルシンという耐熱性の強 通している。中国地方にはウシが死 牛肉の部位ごその適する料理 ぬと , 各戸から金を出しあって新し 適するおもな料理 等級 牛肉の部位 く買い求めてやる万人講が散見さ シャトープリアン ( フランス風ビーフステーキ ) , ビフテ 〔小池・郷田〕 れる。 キ・ア・ラ・タルタン ( 生肉料理 ) , トルネード ( べコ 〔牛肉〕ウシの体位による肉の区分 ン巻き ) , すき焼き は各国の風習 , 商習慣によって相違 はあるが , だいたい 2() 部分内外に分 サーロインステーキ ( 英国風ビーフステーキ ) , 外ロ ス , ローストビーフ , すき焼き ム ビーフステーキ , コールドビーフ , すき焼き フ ポイルドビーフ , プレーゼビーフ , すき焼き イ チ ポ も も カツレッ , ソテー シチュー , 煮込み , コンビーフ , かん詰 , ひき肉 ( ハンバ ばら , 肩など ール ) ーグステーキ , メンチボ わ スープ , かん詰 くびつる っくだ煮 , かん詰 6 シチュー グラタン , フライ スープ , シチュー ヒ レ ( 内ロース ) 1 牛の食肉区分 ( 日本の 商習慣によるもの ) ノヾーーのくキ・ 肩ロース カらし ヒ レ 2 尾 彳ーしきんば しんたま ロース 3 や ら 4 なかに フランケ す ね す 舌 尾
ば , 欧州の旧石ー暑時代の洞窟にの壁 面に手がたか、残されている。これは 外界に自己を刻印しようとする最も 原始的な行為であるが , 近代絵画も , その本質においてほ同様の性格をも っている。一見 , なんらの自己表現 とも無関係にみえる装飾文様ですら も , すぐれた作品は , その作家の , あるいはその時代や民族の個性を明 確に示している。また絵画は , 形象 による感覚的な自己表現であると同 時に , それとちょうど裏がえしの意 味で , 形象による感覚的な外界認知 の方法でもある。すでに先史時代 , まだ文字をもたなかった人類は , 形 象によって外界を認知していた。自 想像力の世界 , 超 然界だけでなく , 越的な世界さえ , 人間は , 形象によ ってそれらを再現する。ルネサンス 期の L. アルベルチやレオナルド・ダ・ ビンチの信念によれば , 絵画は自然 界の客観的な認識 , すなわち科学を みちびくものとさえ考えられた。絵 画は , すべての人々が現実に目にし , あるいは空想のうちに思いうかべな がらも明確に表現しえないもの , し たがって客観的に認識しえないもの を , すぐれた個性の目と想像力によ って , 客体化したものともいえよう。 他のあらゆる芸術と同様 , 絵画は , 非実利的な性格 , いわば感覚の遊戯 ともいいうる性質をもっているが 同時に , 人類の社会的な要求 , 精神 的な要求にもきわめて密接な関連を もっている。欧屮 l'l に残る旧石器時代 表現欲のあらわれであったと同時に 呪術っ的な性格をもそなえている。 先史人たちは壁画上の動物たちに矢 を射かけ , やりを投げ , あるいは , そ の前でなんらかの儀式を行なうこと によって , あすの狩猟の豊かになる ことを祈った。西欧中世の宗教美術 , あるいは東洋の宗教絵画にしても , 各種の教義 , 聖伝などの , いわば図 解としての役割を果たし , 社会の宗 教的要求にこたえた。このように 絵画は , 美の理想に対するあこがれ , 信仰への道 , あるいは同時代者とし ての共感 , こうしたさまざまな社会 や人間生活の内的な欲求を表現する。 1 点のすぐれた絵画は , その作家の , またその作家の属する世代 , 社会 , 民族 , 時代などの , 最も具体的な世 界像といえよう。 〔遠近法〕・絵画芸術の特殊な空間構 造は , 遠近表現に最もよく現われて いる。狭い意味での遠近法は , ルネ サンス期に理論化された / 透視図法 をさすが , 広い意味では , 絵画史上 , 三次元的な奧行を二次元平画に定着 するためのすべての方法 , さらに大 小の表現法までをもさす。たとえば , エジプト絵画においては , 遠景の人 物を上部に , 近景の人物を下部に描 いて前後関係を示したり , あるいは , 6 2 1 幾人かの人物を描くとき , 前景の人 物の背後に うしろの人物を輪郭線 の並列だけで表現したり , あるいは , ナイル川の図で , 舟に乗る人物たち は真横から見た姿で描かれ , 川は上 から見おろされて , 画面全体に水を 示す横線がひかれ , 植物や動物など は , 画面の四方から思い思いの方向 に描かれている。上下遠近法 , 並列 遠近法 , 累層遠近法とよばれるもの がこれである。 こうした遠近法は , メソボタミア美術などにも行なわれ ている。キ、リシアの絵画においても , 前 5 世紀の画家ポリグノトス以後 , アポロドロス , アがタルコスなど , いすれも透視図法的考え方をしたり , 陰影画法による遠近感の表現を試み たりしたといわれ , さらにデモクリ トス , アナクサゴラスらは , 一定の 視点から出る視線の放射でできる円 すいを画面に投影するために , 画面 に一定の焦点を結ばせる画法を探求 したといわれている。ヘレニズム時 代からローマ時代にかけて , 自然の 風景や建物の描写が行なわれるよう になると , ギリシア絵画のこの試み を継承して , かなり明確な透視図法 的な表現法があらわれ , たとえばポ ンべイの壁画などでは線の集中が意 識的に行なわれている。また遠景を , 簡略な筆触と淡い色彩によって表現 する空気遠近法 , 色彩遠近法も採用 されている。ローマ時代末期の印象 主義的絵画になると , 線遠近法より も空気遠近法による隋瞰的方法が 多く用いられている。中世のキリス ト教絵画は , 現実にはない世界の表 現をめざしたため , 透視図法的表現 はしだいになくなり , 抽象空間の表 現が主体となる。このことはキリス ト教美術だけでなく , 仏教美術その 他の宗教美術の情景描写につねに用 いられる方法で , たとえばインドの 壁画 , あるいは「阿弥陀来迎をう図」 などで前景と上部に描かれた遠景と は異なる次元を象徴している。また 古代オリエント以来宗教美術に用い カイガ 画の典型的例である 法を併用した中国山水 遠 , 深遠 , 平遠の三手 ( 伝 , 郭熙 , 北宋 ) 。高 下はく渓山秋霽図巻 > 急な坂をなして見える。 そのため地面がかなり まだ画面上方にあり , 絵では遠近法の焦点が ( バン・アイク ) 。この る。中はく神秘の小羊〉 広場の空間の造形であ のは一製図ではなく , 者が表わそうとしたも 的例である。ただし作 の線遠近法を示す典型 スカ派 ) 。ルネサンス ロ・テ・ラ・フランチェ 上はく透視図〉 ( ピエ が残されている る岩面彩画や , 線刻画 新石器時代文化に属す 山地中には , サノ、ラ地方のホッがノレ 現している。アフリカ , 女体をリズミカルに表 く踊る女 > 。ちぢれ毛の で発見された岩面彩画 ウェド・メルクテク谷
イッコウイ 2 2 7 保の三大改革の直前と幕末に集中し ており , 一揆が幕藩体制崩壊の一因 となっていたことがわかる。とくに 幕末の一揆は打毀しと共存して幕藩 体制解体の重要因子となった。 / 一 向一揆 〔浅沼〕 いっきゅう ー休 1394 ~ 1481 室町時代の臨済宗大徳寺派の褝僧。 名は宗純 , 号は狂雲子。京都の民家に 生まる。安国寺 , 天竜寺をへて建仁 寺にはいったカ豸当時の / 「五山」が褝 の精神を忘れているのに不満でそこ く一角獣と娘〉ドメニキーノ作 , 部分 を離れ , 謙翁宗為韜に師事し , その ( ローマ , ファルネーゼ宮の壁画 , 16 ) 後 1415 年孤高の僧大徳寺派の華叟宗 曇 3 んを近江の堅田に訪ね , 苦行 水が猛毒を去り万病をいやす力をそ してその法をついだ。 74 年勅命で一 なえるという。古代ギリシアではイ 時大徳寺の住持になった以外人生の ンドの白いロバとも , 各種混合の獣 大半を一所不住の生活で過ごし , 名 ともいわれ , 中世ではキリストの象 声利欲を離れて褝の民衆教化に尽く 徴とされ , 王侯がきそって一角獣を した。著書のく狂雲集 > は世相を風 求めた。処女のみが捕えうるという 刺した詩文集である。なお江戸時代 が , 角は各地に残る。一角獣の英語 のく一休咄 > その他に彼の逸話が un i corn は旧約聖書をギリシア訳す 伝説的に残されている。 〔浅沼〕 るときに , 大きな野生の牛 R 'e m のヘ いつくしま厳島広島県佐伯ド プライ語を一角獣 m 。 n 。 ker 。 s とし , 郡の島で , 宮島ともいう。宮島町に ラテンロロ unicornus となって , 以、彳麦 宝に指定されている。社殿は古くか 属する。本州からわすか 2 km はなれ , 誤伝したもの。実際にはサイやカモ ら日本三景の一つに数えられ , 瀬戸 南北に長い島で周囲 31km , 面積 3 ( ). 17 シカに比定され , キュビエは存在を 内海の白砂青松の潮干がたに浮かん 否定した km20 中央に 53 ( ) の弥山なん ( 御山 ) が 〔瀬田〕 だように建てられている。 6 月 17 日 し、つき そびえ北部に / 厳島神社がある。平 が例祭日であるが , 有名な管弦祭は 一揆この語はく孟子 > 旧暦 6 月 17 日に行なわれ , 午後 5 時 清盛による社殿建造以来全島が神域 にあり , 本来「揆を一にする」の意 であるが , 転して「一味同心する , ・として保護され , 現在も不浄をさけ より本殿から神輿 t こを和船 3 隻に移 結党する」の意味に用いられ , のち 墓も火葬場もない。宮島町は全島を し , 海上で管弦を奏しつつ神事を行 には団結した集団の行動をさすよう 占め , もと厳島町といったが 19 50 年 なう。祭神が海の女神であるので航 改名した。人口 4241 ( 1965 ) 。市街は になった。鎌倉時代にはおもに武士 海守護神としての信仰と , 技芸神と 神社の背後に発達し , しやくし , 盆 , が結党することを一揆といったが しての信仰があり , 末社は弁財天と 鎌倉末期 ~ 南北朝期にかけて結党し 箸かごなどの宮島細工の製造場 第を して全国各地にまつられている。 18 や旅館・が多い。交通は山陽線宮島ロ た武士の団体そのものをさすように 71 年に国幣中社 , 1911 年に官幣中社 または広島電鉄宮島口から国鉄連絡 なった。く太平記〉にその例がみられ に列せられた。 〔永畑〕 船で 1 ( ) 分。 〔伊崎〕 る。室町時代になると , 当時の社会 し、つこうし、つき ー向一揆戦国 〔厳島の戦い〕 1551 年陶晴賢 : は 時代に浄土真宗 ( 一向宗ともいう ) 本 が荘園にささえられた古代権力と幕 主君大内義隆を殺し権をほしいまま 願寺教団の門徒がおこした一揆をい 府権力の争いのときであり , いわゆる にした。義隆に属した毛利元就は 下剋上 ; の風・潮にのり , 社会的 , 経 う。応仁の乱のころ , 真宗に蓮如 天文 24 年 ( 1555 ) 9 月 30 日厳島に晴賢 済的に不安な被支配階級の支配階級 が出て , 本願寺 8 代の法主となった 2 万の大軍を迎えて全滅させた が , 叡山の圧迫をうけ加賀 , 越前 に対する反抗が強まり , それら反抗 〔前田〕 におもむき , これを契機に本願寺教 運動を一揆というようになった いつくしまじんじゃ厳島神社 団はこの地方に急速に発展した。真 れを総称して / 上一揆駲ともいうが , 広島県宮島町に鎮座し , 延喜式には 宗は坊主や有力門徒を中心に講を組 前代の武士の一揆に対して , 土一揆 安芸旁国伊都伎島神社とある。祭神 「南無阿弥陀仏」の旗 といったのであろう。く重編応仁記〉 織し , そのなかに農民を組みいれて をおしたて , とりどり にもこの事情がうかがえる。くだっ イチキシマヒメノミコトは宗像肆三神 布教にあたった。 1488 年加賀の守護 の武器をふるって突進 の一柱で , タゴリヒメノミコト , タ 富樫缸氏との間に武力衝突がおこり , て江戸時代になると , 幕藩体制下の する三河の一向一揆 ギッヒメノミコトも合わせまつる。 一揆側の勝利となった。これより後 , 圧政に苦しむ百姓の反抗運動が多く , く絵本拾遺信長記 > より 一説によれば推古天皇 1 年 ( 592 ) の 一揆はしつに 1200 件以上に達した 創立といわれる。平清盛が : 芸守の これを百姓一揆と総称し , 一般に都 となってから平家一門の信仰をうけ , 市で起こった / 打毀しとは区別さ 神社そのものも隆盛におもむいて安 れている。江戸時代の百姓一揆も時 代によってその性質をかなり異にす 芸ーの宮となった。清盛は社殿を建 造したが 1224 年に焼け , 41 年再建さ るが , 大体つぎの三つに分類される。 れた。その後大改築が行なわれたが , すなわち , 初期には庄屋層が指導し つねにもとの規模にもとづいている た代表越訴粐型 , 中期ごろに多いの ので , はば清盛時代の様式を伝える は一般農民層を中心とする総百姓一 と思われる。長寛 ( 1163 ~ 65 ) ころに 揆型で , ともに上部支配層を目標と 清盛が一門の繁栄を願って奉納した し , 幕末に多いのは農民層のなかで 法華経 33 巻 ( 平家納経といい , 美し 貧富の差が生し , 一般農民層が村役 い料紙を用い , 見返しには大和 ? 絵 人層を目標とした世直し一揆型であ が描かれている ) は , 壮麗な社殿 , る。これら一揆の発生度数を年代的 甲胄ぅ , 刀剣 , 絵画などとともに国 にみると , いわゆる享保 , 寛政 , 天 厳島神社上はその主 要部で中央は祓 ( はら い ) 殿 , その奥が能楽 堂 , 左へ拝殿 , 本殿の 順。右手は西回とそ り橋。下は大鳥居と回 廊。満潮時は海に浸る 一休像 大徳寺の僧墨斎筆 , イ
エジプト 4 1 2 界の穀倉 , 「東方の女王」となった 首都アレクサンドリアは学問 , 芸術 の中心となり , そのムセイオン ( 大学 と図書館を兼ねる一一一博物館の原語 となる ) にはヘレニズム世界の学者 , 芸術家が集まった。そのなかには 「幾何学に王道なし」ということばを のこしたユークリッドらもいた この王朝の末期 , 宮廷はすっかり エジプト化されてしまったが , 王朝の最後の女王が有名な / クレオ ノ、トラ ( 7 世 ) である。彼女とエジプ トの領有をめぐってカエサル , アン トニウスらのローマの実力者カゞ争っ たか、 , 結局オクタウィアヌス ( アウグ スッス ) か・前 31 年アクチウムの海戦 にアントニウスとクレオノ、トラの 合軍を破り , エジプトは以後ローマ の属州となった。アウグスッスの時 代にヘロデ王の迫害をのがれて , 幼 プト ) とナイル渓谷の南王国 ( 上エジ 79 ~ 前 1428 ) は古代エジプトのナポ 児イエスが一時エジプトに滞在した レオンとよばれ , 世界帝国の建設者 との伝えもある。エジプトはローマ プト ) に統一され , 最後にメソボタ 帝国東部の要地であったが , ローマ ミア ( ウルク期文化 ) の影響を受けて として有名である。 の東西分裂 ( 3 95 ) ののちビザンチン 全土の統一が完成した 前 14 世紀のオリエントには , / トア ( 東ローマ ) 帝国に属した。その支配 世界史の最古の固有名詞は , エジ ジアのヒッタイト , シリアと北メソ はあまり確かでなく , ササン朝ベル プトを統一して第 1 王朝の始祖とな ボタミアのミタンニ , それにアッシ ったメネス・ナノレメノレ ( 前 30()() 頃 ) シアにおびやかされ , 7 世紀にイス リア , ノヾビロニアなどカ { 分立し , 互 である。エジプトの神官マネトーの いに使節を交換し , 王たちの間に往 くエジプト誌 > ( 前 3 世紀 ) は , メネス 復書簡がかわされた。第 18 王朝のフ からアレクサンダー大王の征服まで アラオ , アメノフィス 3 ・世 , 4 - 世時 を 3 ( ) の王朝に分けている。それらは 代のこうした手紙カ { 工ル・アマルナ エジプト ( 補 ) アプ・ シンベルの神殿は古代 マネトーの分類に従って現在つぎの の遺跡から発見されたのでこれをア エジプトの岩窟神殿の ように分ける。すなわち , 初期王朝 マルナ時代とよんでいる。王たちは うち最も壮大なもので , 互いに兄弟とよびあい , 婚約したり , ( 第 1 , 2 王朝 ) , 古王国 ( 第 3 ~ 6 王朝 ) , 第 19 王朝のラメス 2 世 第 1 中間期 ( 第 7 ~ 1() 王朝 ) , 中王国 条約をむすんだり , 戦争したり同盟 によって , ナイル川の したりしている。この世界の中心、は ( 第 11 , 12 王朝 ) , 第 2 中間期 ( 第 13 ~ アスワン上流に建てら エジプトであって最古の国際主義時 17 王朝 ) , 新王国 ( 第 18 ~ 20 王朝 ) , 後 れた。大神殿は , 河岸 の斜面幅約 36m , 高さ 代とよばれている。ところが「異端 期王朝 ( 第 21 ~ 3 ( ) 王朝 ) であるが , 約 3 ( ) m を壁面にし , そ 王」アメノフィス 4 世 ( / イクナート ファユーム の王朝群の 4 番めがギゼーの三大ピ の中央入口の両側に高 ン ) が愛と平和の神 , 太陽神アトン ラミッドを築いた第 4 王朝 ( 前 2 7()() さ約 20m の巨大なラメ の一神教を創始しようとして失敗し , 頃 ) である。第 1 ヒ。ラミッドの建設者 ス 2 世座像を 2 基すっ クフ ( ケオプス ) はおそらく古イ弋 - 世界 アジア領の全部を失ってしまった 置く。砂岩層に掘りこ その後 , 第 19 王朝のラメス 2 世 ( 前 12 最大の専制王であった。第 2 ピラミ んだ内部は , 大広間や 王と神々の像のある興 9 ( ) ~ 前 1223 ) が帝国を再建し , テーーベ ッドをたてたその子力フラ ( ケフレ 陣などで , 奧行は約 55 のルクソルに多くの大建築を残して ン ) の肖像は大スフィンクスに残され rn に達する。大神殿の いる。しかし , その後はしだいに国 ている。第 6 王朝には世界最長の治世 北に小神殿がある。神 カカゞ衰えて , 前 525 年べノレシアに征 ( 90 年 ) をもつべヒ。 2 世がいる。その 殿は , アスワン・ハイ 服され , 前 330 年にはアレクサンダ 後 , 分裂と混舌しの時期か、つづいたが ダムの建設により水没 ーの領土となる。 の連命となったカ { , ュ 第 11 王朝の末には統一され , 第 12 王 ネスコの提唱により各 朝 ( 前 2 ( ) ( ) ( ) 頃 ~ 前 18 ( ) () 頃 ) の盛期を 〔ギリシア・ローマ時代〕アレクサ 国か協力して , 神殿全 ンダー大王の武力はオリエントを征 現出する。これが中王国で , エジプ 体を水没前に引き上げ ト文化の古典時代とよ。 服するのに 1 ( ) 年を要しなかったが , この王朝 て移築することになっ その古い文化は容易に征服されなか は上エジプトのテーべにおこり , ア た。」 I 」は 1964 年春力、 った。大王がその支配イを認めさせ メネムヘットをなのる 4 人の王カ { フ ら始まり , 69 年には完 了が予定されている。 ニキア , クレタと修交し , ファュ るためにはエジプトにおいてはアモ 65 年現在世界 16 カ国か ーム干拓事業を行なって国勢をイ申張 ン ( アメン ) 神を , ノヾビロニアにおい ら 15 ( ) ( ) 人力ヾサルノ、一一ジ てはマルドウク神をネし拝しなければ した。その後ふたたび混乱時代か・は 工事に参加している。 ならなかったことは両者の関係を象 しまり , 異民族ヒクソスが侵入して 移築総量は約 15 ( ) ( ) ( ) ト 徴している。大王の死後 , その部将 王朝をたてる。これを追い払って新 ン , これを 1 個 2 ( ) ~ 3 ( ) プトレマイオスがエジプトの支配者 王国 ( 帝国時代 ) をたてたのが第 18 , トンに切り , 表面にプ 、アプ・ ラスチックを吹きつけ となって , アレクサンドリアを者にと シン′くノレ 19 王朝 ( 前 158 ( ) ~ 前 115 ( ) ) であって , て崩れぬようにし , 河 する王朝をひらき , マケドニア人 , この時期のエジプトは文化と富と武 岸上に連び上げて復元 キリシア人は高官 , 将軍 , 商人とし 力において当時の世界の支配者であ 」 : は、に耳りかかってい てエジプトの支配階級となった った。ハトシエプスト大女王はテー の時代をへレニズム ( キ、リシア風文 ・べ西肉 ; にデノレ・エノレ・ノヾ / 、リの大岩 化 ) 時代とよび , エジプトは古代世 窟物神殿を営み , トトメス 3 世 ( 前 14 テーべにあるメンネ墳 墓 ( 第 18 工朝 ) に描かれ ている図。最下段では 畑を耕し , 種をまき , その E 殳では刈入れ。 E から 2 段めでは取 入れを主ノ、が見張り , うしろで書記が収穫を 記録する。最 - E 段左は 上地測量で , 主人は領 地からの船を見ている 地 中 海 ギゼー ヘリオポリス サッカラ メンフィス ナ テノレ・エノレ・アマ丿レナ イ カルナク . アビドス ・ . 主陵の谷 ・バハリレ 工ドフ ”デノい・エノレ・ 丿レクソル 古代エジプトの遺跡 フィラエ
エジプト 4 1 1 エジプス Oedipus キ、リシア言吾 えさんみさき恵山岬北海道渡 ではオイデイプス O i d ipu s 。テーベ 島ま半島東端の岬。小活火山の恵山 の王。ライオスとイオカステの子。 ( 618 m ) のすそ野が海に没する突端 わが子に殺されるというアポロンの にあたる。高い海食崖が発達して 1 ・ () ( ) m にもおよぶところがあり , 交 神託を恐れたライオスは , 生まれた エジプスを山中に捨てるが , エジプ 通上の障害となっている。岬には 18 9 ( ) 年点灯の閃白光 2 等灯台がある。 スは羊飼いに拾われ , コリントス王 岬を中心とする海上一帯は , 夏季夜 の養子となる。やや長して , 父を殺 間には地元や函館 , 銭亀沢などを根 し母と結婚するという神託を受け , コリントス王と王記を実の父母と信 拠とするイカ釣り舟でにぎわう。 じて国をのがれ , 途中で実の父と知 〔松山〕 えし壊死生体の一部の組織ま らすにライオスを殺す。テーべの町 たは細胞が死ぬことで , / 死後変化 カゞ・怪物 / スフィンクスに苦しめられ とは区別される。結核のときにみら ていたのでこれを退治し , テーべの れる乾酪化は凝固壊死であり , その 王となり , 実母イオカステを知らす ほか融解壊死 , / 壊疽をなどに分類さ に妻とした。やがて 2 男 2 女カゞ生ま に至って神経症の大きな病因になる れる。テーべを悩ませた疫病の原因 れる。壊死部が小さいときは , その とされた。しかし , 新フロイト派で を調べるうちに自分の身の上がわか まま吸収されたり , 周囲から肉芽組 は , この態度は家父長的家族制度に 織がふえてきてなおるが , 壊死部が 特有な産物であり , フロイトのよう り , イオカステは自殺し , 彼はみす 大きいときは , 周囲の健康な部分と に全人類に普遍的とは考えていない。 から目をくりぬいて , 娘アンチゴネ はっきりした境界ができて外界に排 に手をひかれて放浪するが , このと / コンプレクス 〔藤永〕 除され / 潰瘍になる。 エジプト Egypt エジプトの名 〔青山〕 き彼を助けようとしなかったむすこ はギリシア語のアイギブトス ( 暗い えしき会式ひろくは仏教で法 のポリネイケスとエテオクレスに呪 2 ろ の意 ) に由来する。古代エジプト語 会の式事をいうか、 をかける。自分の墓のある地は祝福 一般には日 蓮宗で日蓮の忌日にあたる 1() 月 12 , ではケムト ( 黒い土地 ) といった されるとの神託か、あったので , コロ 13 日に行なわれる法会をさし , 御会 エジプトはアフリカ北東音 5 に位し ノスに着いたとき , テセウスに後事 て , スェズ地峡でアジアにつなか、り , 式 , または御命講いという。日 をたくして雷鳴の中に身を隠す。彼 ヒは地中海 , 西はリビヤ砂漠 , 南は 蓮宗の信者はこの夜万灯黔をかざし のかけた呪のため , 二人のむすこは ヌビアの密林 , 東は砂漠を隔てて紅 て太鼓をたたき , お題目をとなえ 王座を争ってともに死に , 伯父に逆 海に限られる地域。そのうち本来の て参拝する。とくに日蓮のなくなっ らったアンチゴネも石ろうに生き埋 エジプトはナイル渓谷とそのデノレタ めにされる。なおソフォクレス作の た地である東京池上の本門寺と堀ノ とであり , 可耕面積は 3100()km2 , 日 くエジプス王〉はギリシア悲劇のう 内妙法寺の会式は盛大。 〔木山〕 本の九州より小さい。空中からエジ エジソン Th om as A lva E d i - ち最大の傑作とされる。 〔高津〕 プトを見ると砂漠のなかの 1 本の緑 son 1847 ~ 1931 米国の生んだ世界 の帯 ( ナイル渓谷 ) にすぎない。「歴史 的発明家。オハイオ州ミランに生ま の父」といわれるヘロドトスか、いっ れ , 12 歳のとき鉄道の新聞売り子と たように , 今も昔も「エジプトはナ なった。駅長の子どもの命を救った イルのたまもの」なのである。この お礼として電信術を習い 1869 年まで 上地はメソボタミア ( イラク ) となら 各地で電信手として働いた このと んで人類最古の文明の発祥地として きより発明家としてのオ能をあらわ 知られている。 し , 自動中継器 , 投票記録器 , 万能 エジプトの歴史 通報印刷機を発明した。それで得た エジプト 50()0 年の歴史を大きく分 資金をもとにしてニューアークに研 けると , 1 ) 古代 ( 前 30()() 頃 ~ 前 33 の , これは , 76 年メンロ 究所をたてた。 2 ) ギリシア・ローマ時代 ( 前 330 ~ 641 ) , クに , 87 年ウェスト・オレンジ 3 ) イスラム時代 ( 641 ~ 現代 ) の 3 時 こで彼は , 印字電信 に移ったが , 機 , 二重電信機 , 炭素送話機 , 蓄音 期になる。古代は純粋なエジプト文 エジプス ( 左 ) とスフィンクス 機 ( 1877 ) , 白熱電灯 ( 1879 ) , 磁力選 化の時代であり , ギリシア・ローマ エジプスコンプレクス Oedipus 鉱法 , 円盤蓄音機 , キネトグラフ ( 活 時代はアレクサンダー大王の征服以 動写真 ) , X 線透視鏡 , アルカリ蓄電 complex 精神分析学において , 親 来 , エジプトがキ、リシア ( プトレマ 子関係や / 神経症の形成を説明する 池 ( 1909 ) , コンクリート注入家屋 , イオス朝 ) , ローマ帝国 , ビザンチン キネトホン ( 蓄音機と映画とを連結 主要概念の一つ。 S. フロイトによれ 帝国などに征服された時代である。 ば , 前性器期 ( 4 , 5 歳ころ ) の段階に イスラム時代はイスラム教支配の時 したもので , トーキーのさきがけ ) ある男児は , 異性の親に性的な愛着 期であって現在にいたる。ふつうギ など多数の発明をした。彼はまた電 をいだく反面 , 同 'l 生の親に対しては リシアといえばその関心、が古代キ、リ 灯事業を確立した。すなわち 1882 年 , 嫉妬や憎しみを感するという。フ シアにあるように , エジプトもまた 世界最初の中央発電所とエジソン電 ロイトはこの態度の原型を , テーベ 世界の中心として繁栄した時期は古 灯会社を設立した。また彼の発見し の王 / エジプスの悲劇にみいだし , た熱電子放出現象 ( エジソン効果 ) は 代であったから , 以下これを主に現 エジプス・コンプレクスと名つ、けた 後の真空管の基礎となった。そのは 在までの歴史を概観する。 なお女児の場合もこれに照応する態 〔古代エジプト〕世界最古の農耕文 かにまた電気鉄道 , 無線通信 , 航空 機 , 合成化学 , ゴム代用の植物の探 度を考えているが , 根拠はやや薄弱 イ匕はヒ音 5 メソボタミアとシリアには 究など生涯に合計 1 ( ) 97 種類の発明や しまったが , ややおくれて前 60()0 年 である。またこのときはとくにエレ くふうをなしとげ , 19 世紀後半より 2 ( ) ごろナイル流域にも原始農耕文化が クトラ・コンプレクスということも これがしだいに発達して 世紀はしめにかけての主要な技術上 ある。エジプス・コンプレクスの態 おこった いくっかのノモス ( 州 ) を形成し , 前 の問題でエジソンと関係のないもの 度は前性器期をすぎると抑圧されて 3 5 () O 年ごろデルタの北王国 ( 下エジ はないはどである。 無意識のものとなるが , さらにのち 〔中山〕 会式の夜 , 池上本門寺 にくりこむ万灯の列
カイタイシ 6 4 5 かさどり , また海上戦闘にしたがう たむけて水を流し去り , もめん布で 水軍 ( 海軍 ) の意味と , 海上浮浪者群 おおい , 吸湿紙の間にはさみ , 軽く によるいわゆる海賊とふたとおりが おし石をする。ときどき吸湿紙をと あった。平安末期瀬戸内海賊のかし りかえてかわかす。台紙によくつく ら藤原純友の鎮圧には水軍が活躍 もの , 付着しにくいものなどがあり , し , 源平壇ノ浦の合戦では , 源氏は これも種類を見分ける要点となって 紀伊 , 伊予の水軍を , 平氏は山陽道 , いる。 / ( 別刷 ) 海草 〔小林〕 九州地方の水軍を主力にしたという。 かいぞく海賊船舶を本拠とし また蒙古り襲来のときには , 対馬 て海上で出会う船を略奪し , また沿 壱岐松浦 , 伊予 , 天草 , 肥後な 岸の都市村落を荒らす賊。海賊行為 どくろに 2 本の骨を配した旗しるしは , どの水軍が動員された。これら中世 は古代からあり , また世界各地の複 1 7 眄紀ごろからひろく用いられた。海 の水軍を「海賊衆」といい , 沿海地 雑な入江や島かげを根城として , す 賊旗はふつう相手に恐怖を起こさせる 方を根拠地とする豪族からなり , 港 こぶる普遍的ではあったが , その発 ような図がらが用いられ , 両手に杯と 湾 , 海上の経営にあたり , ときに略 生と形体はさまざまである。 剣を持ったがい骨の旗などもあった 奪行為を行なった。海賊衆にはみす 古代から民族勢力の拡張につれて , から「海賊大将軍」と称して朝鮮貿 海上での戦闘略奪が自発的な海賊に 組織的な海賊専業の集団が生しる。 易に出向くものもあり , さらに八幡経ん すでにコーンウォール海岸で海賊の 転した。フェニキア , ギリシア , ロ ーマなどの発展途上では , 海戦と海 船をあやつって中国 , ジャワ , マラ 栄えていたイギリスでは , ェリザベ ス朝 ( / ェリザベス 1 世 ) になると , ッカの海域で海賊行為をするものも 賊行為との区別がつけにくいことが 現われた ( / 倭寇をう ) 。倭寇は貿易商 多い。 8 世紀ごろから始まるノルマ 大国スペインを敵視し私略船が認め られ敵商船なら奪ってもよいという として乗り込み , 取引が不円滑にな 公許のもとに , J. ホーキンズ ( 1532 ると海賊に一転したりした。海賊衆 の著名なものに , 伊予国能島 , 来島 , ~ 95 ) や / F. ドレークのような有名 備後因島を根拠に , 南朝のため瀬戸 な海将も , 公然と海賊に転した。ま 内海に勢威をふるった村上氏一族 , た , 発見後の新大陸では , フロリダ 松浦一揆党を結成した肥前の上下松 から南米北東岸のいわゆるスパニシ ュ・メインにかけて , 多島的なカリ 浦氏などがある。豊臣秀吉の全国統 ーにともなって , 水軍も統一され充 ブ海に , さまざまな海賊が現われ , 実したが , いわゆる海賊はきびしい 17 , 18 世紀にどくろ旗 ( ジョリー・ロ 取締りをうけた。さらに江戸時代に ジャー ) をひるがえして , まれにみる は鎖国の影響をうけて海賊は衰えて 暴虐な英雄時代をつくった。 はしめ いった。一方 , 水軍も , 幕府は大名 は 16e 年にカリブ海の小さなトーチ 統制のため , 16 ( ) 9 年 50 ( ) 石以上の大 ュが島によったフランス植民が海へ 船の破棄を命したので , その勢力は 流れ出て , スペイン船をおそったの が , 個々の首領による大集団となり , 鼓えていった 〔瀬田〕 かいた海田〔町〕広島県安芸 H. モーガンのようにサーの称号を受 郡の町。人口 1898 ( ) ( 1965 ) 。 1956 年東 ける者 , B. ロバーツのように騎士的 悪虐で有名な海賊の首領 , 黒ひげとよば 海田町と海田市た町が合併改称。 な者 , ミッションのようにユートピ れたティーチ ( 左 ) は討伐隊のメイナード 山陽線が通し呉線が分岐する海田市 アを築こうとした者 , E. ティーチ ( 黒 中尉に討たれた。 19 世紀の木版画より は瀬野川河口の渓ロ集落で , かって ひげ ) のように悪虐な者など多数の名 山陽道の宿駅だった。現在 , 西の広 ンの民族移動も同しく , 彼らがグリ 士を輩出した。分配は全員にし , 片 島市の衛星都市になっている。瀬野 手損失には奴隷 4 人を与えるなどの ーンランド , アメリカ , イギリス , 川河口平野は近世以来の十拓地で , 欧州に伸展するあいだの行為は , 海 きまりができ , 海賊の埋宝の伝説も 埋立地に工場が進出し広島の東部工 ひろまった。 1701 年に絞首刑になっ 賊と選ぶところがなかった。ノルマ 業地帯をなす。カキ養殖など浅海漁 ン海賊を / ノヾイキング V ik in g という たキッド船長は , これら海賊のなか 業も行なわれる。 〔西村〕 が , これは海の漂泊者 , 転じて海賊 では有名のわりに小賊である。 17 世 かいたいしんしよ解体新書 17 の意である。中世紀のキリスト教対 紀末ごろ , 北米ではニューイングラ 74 年刊行された日本最初の西洋解剖 イスラム教の戦いは , 一方に十字軍 ンド沿岸 , インドでは西岸マラノヾル とサラセン軍の激闘になったが , 他 付近 , マライ , 南シナ , アラビアの 方では地中海にイスラム教徒による オルムズ海峡などで , それぞれ大き な海賊集団が栄えたが , 19 世紀の初 ノヾー . バリー海賊を生み , アフリカ北 めから中ごろにかけて , 各国の海軍 岸アルジェを根拠として , その総督 バーバロサ初代と 2 代は海賊王とし カか・掃討にあたリ , 海賊ははとんど てキリスト教諸国の商船をおびやか 七つの海から姿を消すようになった。 した。それに対してキリスト教騎士 〔日本の海賊〕四方を海にかこまれ 団も十字軍も後には海賊化し , ホス ているため , 早くから海上交通が発 ピタル騎士団はロードス島やマルタ 達していたこと , 山が海に迫り , 米 島によって , イスラムの船をおそっ 穀類の収穫が貧困であることなどが , このころから , 髜 } の財宝のみな この状態は , 海賊の発生を促した。 らす , 人質をとっては身のしろ金に 北九州の諸小島 , 耕地の狭い九州南 したり , 奴隷にしたりする習いがお 部 , 瀬戸内海沿岸一帯にいちしるし り , 1634 年アルジェには 2580 人 く , そこに多数の海賊が出没した。 の奴隸がいたと報しられている。や 海賊が活躍した時期は , 源平時代 , がて , キリスト教国の船乗リからバ 南北朝時代 , 室町末期から織田 , 豊 ーバリー海岸に移って , どの船のみ 臣氏の時代にかけてである。海賊と さかいもなくおそうことが起こり , いうことばは , 海上の交通連輸をつ く解体新書〉のとびら
工ンケキ 4 7 1 プ , 仙台長ナスなどのように特定の 地域にだけ作られるものもある。最 近は固定品種ばかりでなく雑種の研 究もすすみ , トマト , ナス , キュウ ハクサイなどは収量 , 品質の点 ではとんど雑種第 1 代 , あるいは雑 種第 2 代の品種となっている。耐病 性品種の作出も目標の一つであるが , スイカではユウがオの台につぎ木し て栽培される。なお 3 倍体スイカす なわち「たねなしスイカ」も各国に 先んして作りだされた。 〔花卉園芸〕観賞価値のある植物を 趣味的あるいは営利的に栽培したり , これに伴う装飾やいけ花 , 花壇の配 左は仮面を手にとるメ 植なども含めて花卉園芸という。古 ら , これらをごく原初的なものとみ 失われるまでに発展している。 ナンドロス ( 古代キリ くは平安時代のころからサクラ , ヤ て , 自己放棄の時期であるといって 盆栽は日本特有の栽培技術で , ア シアの浮彫りから ) 。右 いる。このような物まねの衝動と遊 マプキ , アセビなどの花木が庭に植 サがオ , キクのはち作りとともにひ は古代ローマのミムス ろく民間に浸透しており , ツッジ類 戯本能は , 十分演劇の成立ちの素因 えられ , 江戸時代にはキク , ハナシ 役者のテラコッタ像 ウメ , マツなどの逸品も多い。 / ( 別 となることができたと思われるが , ョウブ . フクジュソウ , アサガオ , サクラソウ , シャクヤク , ッノヾキ , しかしそれが一つの演劇という形式 〔浅山〕 刷 ) 園芸 にまとめられるようになったのは , サザンカ , ウメ , モモ , ボタン , サ えんげき演劇演劇はどのよう すべて宗教祭式と結びついたときか クラなどの品種改良さえも行なわれ この問いに対し にとらえられるか。 らであると考えられている。 ていた。明治時代になると外国との て一言で答えることはむすかしい。 古代社会の宗教は一般に呪術塁っ しっさいに演劇そのものは , 時代に 交流が盛んになってカーネーション , より地方により多種多様なありかた 的行為を重んした。呪術ははじめは バラなどの西洋草花が多数輸入され 群集全体が神に祈ったことからはし を示している。しかし演劇に対する て , 大正から昭和にかけてようやく まったのであろうが , やがて身ぶり 考え方には , 大別して二つの流れが 営利栽培が起こるようになった。そ や祭式のうまい特定の人物があらわ して , 冠婚葬祭 , 仏花 , いけ花 , 洋 ある。その第 1 は , ます俳優という れ , 選ばれて , 呪術的行為の代表者 風の室内装飾 , 贈答品としての消費 ものがいて , そのために脚本が書か この代表者に対し となっていった がのび , 都市の発達や生活様式の移 れ , それが舞台で上演されるのを観 て , まわりの群集は呼びかける人々 り変わりに伴って , 公園 , 広場 , 学 こういう状態で形成され 客が見る , となり , 代表者は踊りながら群集の 校 , 家庭に花壇作りが盛んになって る一つの世界を演劇という場合であ 呼びかけに答え , 群集を代弁して神 る。第 2 は , 演劇の基本に戯曲をお きた。最近ではとくにバラの栽培が これは一種の対話のはし に祈った いた考え方である。つまり , ます戯 一般にひろまり , 観葉植物が室内植 まりであり , また群集を代弁するも 曲があって , その文学の内容を俳優 物として取り入れられ , 各地に花い のとしての俳優の原初的な姿のあら つばい運動が起こっていることは注 が表現し , その表現されたものを観 , こに俳優を中心にお われであり , こういう順序で劇場の中 客が見る , 目に値する。花卉の種類は多いが , いてみた演劇の最も古い形式がみら 二年草 , 宿根草 , 球 に作られる一つの世界 , それを演劇 園芸的には一 れるのである。 とよぶものである。前者の俳優ー・→ 根 , 花木に分けられ , 栽培のつごう 〔演劇の歴史〕演劇が芸術の形式を 戯曲→観客という . 形は , 演劇の土 から露地花卉 , 温室およびフレーム とって最初に完成されたのは , 古代 台に演技を優先的においたもので , 花卉などとよばれる。観賞の目的か たとえは・日本になお残っている , 座 ギリシアにおいてであった らははち物 , 切り花 , 花壇用と類別 それ以前にも , たとえば古代エジプ 付作者が特定の俳優のために脚本を されるが , 兼用される場合も多い。 トにさかのは、る古い演劇の歴史を見 書いた歌舞伎の例などは , この流れ 露地栽培では一般家庭のほか , 生 いだしうるにしても , それらは宗教 に入れることができる。後者の戯曲 育に適した種類が特定の地で合理的 祭式や王の即位式典の一行事として →俳優ー→観客という考え方は , に栽培されている例は , 新潟 , 富山 おもに僧たちによって演しられたも 演劇の基本に文学をおくもので , そ のチューリップ , 九州各地のテッポ ので , 様式も固定化して芸術として カ の文学作品としての戯曲を , 俳優が ウュリ , 長野のキク , アスター の演劇にまで脱皮するには至らなか 観客の前に演技して表現するもので , ーネーション , 房州 , 伊豆 , 渥美 った。古代キ、リシアでは , 前 5 ~ 4 淡路地方の冬から春にかけて栽培さ これは近代社会が生まれてのちに初 世紀にすでに大規模の野外劇場が造 めて確立した演劇観で , こんにち演 れるストック , キンギョソウなどの 営され , 酒神ディオニソスの祭りの 劇という場合は , おおむねこの考え 草花類があげられる。いっぽう , 都 行事に由来する / 悲劇と / 喜劇とが , 会地の周辺には温室やフレームを利 方にもとづく。そして演劇ないし戯 アテネを中心に完成期に達していた 曲を意味するドラマ drama という 用した近郊花卉園芸が発達して , 暖 アクロポリスの丘近いディオニソス とばは , もと「行為」を意味し , 演 地同様に草花 , 球根の促成 , 花木の 劇場の遺跡についてみても , 低地に 劇が本来人間の行為を描くこと , す 早出しなどか、行なわれている。また 作られた円形舞台 ( オルケストラ ) と , 植物園 , 学校 , 試験場 , 遊園地など なわち , 対立 , かっとう , 矛盾など それを三方から包むように築かれた を骨子とする行為を描きだすもので の温室では , 熱帯植物の標本が栽培 観客席 ( テアトロン ) と , そこにやが され , 農家ではガラス室 , ビニルハ あることを暗示している。 てつけ加わった舞台後方の楽屋 ( ス 〔演劇の起原〕ドイツの演劇理論家 ウスなどで , ノヾラ , カーネーション , ケーネ ) とで , 古代演劇の様式は整 ーゲマンは , ノ、間は本能的に他 キクおよび球根類の促成が行なわれ C ・ノ えられ , 戯曲 , 俳優 , 観客それぞれ ている。促成および抑制の原理も明 人にふんして遊」 : 性質を備えている の場が明らかにされたのである。そ と強調した。そしてとくに子どもの らかにされ , 遮光栽培 , 電灯照明 , 冷蔵処理などによっていつでもこれ してディオニソスの祭りに由来しな ころに , ままごとなどの遊びが物ま らの花が市場に出荷され , 季節感が がらも , 古代ギリシアの文明のすべ ねの要素を多分に含んでいることか 7
イギリス しば独立を求めて暴動をおこしてい たアイルランドは , 22 年英国の手を 離れて自立した。植民地の自立の傾 向もますます進んだ。 31 年のウェス ト ~ ミンスター条令によって , 各自治 領には英本国とまったく同等な独立 が与えられ , おのおのを結ぶきすな は英国王に対する忠誠だけであると いう , 新しい国家体制がとられるよ うになった。イキ、リス連邦の成立が これである。 1929 年米国に始まって 全世界に及んだ経済恐慌は , 英国に も深刻な打撃を与えた。英国は連邦 諸国とカナダのオタワで会議を開き , 自由主義経済をすてて経済プロック をつくることによってこの恐慌を切 り抜けた。しかし一方 , 恐慌切り抜 け策を他国への進出以外にもたなか ったドイツ , イタリア , 日本などの 全体主義諸国の侵略が世界の脅威と なった。英国は戦争を回避するため 譲歩を重ねたが , 全体主義国家の進 出をおさえることはできす , 39 年っ いに第二次世界大戦がおこった。チ ャーチルのもとで挙国一致内閣をつ くった英国は , ドイツの圧倒的攻撃 のため危機に陥ったが , 不屈の精神 をもって耐え抜き , よくこの大戦に 勝利した。 第二次大戦後の英国内では労働党 が数年にわたって政権を担当し , そ の間に「揺りかごから墓場まで」と いう社会保障政策を実現した。しか し 1951 年の選挙以後は保守党が政権 を握り続けている。また有色人植民 地のインド , ノヾキスタン , ビルマな どには独立か、与えられ , それらはイ ギリス連邦の一員となった。英国の 影響力の強かった中近東では民族主 義運動が高まり , 石油をめぐるイラ ンの反英運動や , エジプトのスェズ 運河国有運動がおこり , これらの地 域では英国の支配力がしだいに後退 しつつある。国際政治でも英国は国 際連合の主要な一員であるが , 米国 とソ連の飛躍的発展のために , その 地位はさらに低下した。戦後あらわ になった米ソ両陣営の対立のなかで , 北大西洋条約に加盟する英国は , 軍 事的にも経済的にも米国にたよらざ るをえなくなっている。工リザベス ) が期待とともに 2 世 ( 在位 1952 ~ 王位についても , 西欧をうって一丸 とするヨーロッパ連邦結成への歩み があるとしても , 英国の前途にはな お険しいものがある。 〔青山〕 イギリスの文学 イギリス文学の時代区分は , 通常 中世と近世に分けられるが , 前者は さらに , 1066 年のノノレマンコンクエ ストまでの古代英語すなわちアング ロ・サクソン語の時代と , それ以後 はは、 15 ( ) ( ) 年までの中世英語の時代に 分かれる。 古代英語は , 近代英語はもちろん 中世英語ともまったく異なったもの 1 6 2 といってよいが , この時期の文学作 品としてくべオウルフ B e owu 1 f > 1 編をあげるだけで十分であろう。 3182 行からなるこの叙事詩は , 北欧 神話をもととして形成されたスエー デンの勇士ベオウルフの武勇物語で , 700 年ごろからロ誦灣うされたもの が 10 世紀末に筆録されたものと考え られる。ノルマンコンクエストの結 果 , 南欧文明が伝来し , 英語にも大 きな変化を生した。中世後期の作品 として最も重要なものはチョーサー の / くカンタベリー物語〉である。 それは単に豊かな詩的形象力を示し ただけでなく , 数多くの方言に分か れていた中世英語に一つの標準を与 え , 近代英語への道をひらいた。中 世の文学としていまーっ忘れてなら ないのは , 騎十物語を中心とする ロマンス」である。代表的なもの としては Th. マロリーか、フランス語 から散文訳しなくアーサー王の死 > ( 1485 ) がある。 15 世紀の終わりごろから英国にも ルネサンスの波がおしよせ , ギリシ ア , ラテンの文イヒが盛んに紹介される にいたった。その中心、となったのは オクスフォードやケンプリッジの学 者たちであったカヾ T h. モアのくュ トピア〉 ( 1515 ~ 16 ) もラテン語で 書かれたものである。ェリサベス女 王の時代になると , しきりに海外進 出がなされ , とくにスペインの無敵 艦隊を破ってからは国成が大いに揚 がり , それとともに文運も隆盛をき わめた。 E. スペンサーのく神仙女 王〉 ( 159 ( ) ~ 16 ( ) 9 ) はそうした国威の 象徴としての女王に対する賛歌でも あった。しかしェリサベス朝とジェ ームズ 1 世朝を代表する芸術はん といっても演劇であった。英国の演 劇はもともと教会の儀式に発したも ので , 中世すでに神秘劇 , 道徳劇さ らにはインタルードなど素朴な様式 の演劇が存在したが , この時代にな ってセネ力の悲劇などを手本とする ことによって , ようやく 5 幕形式の 本格的な悲劇 , 喜劇が書かれ , また 国家意識の高揚を反映して英国史に 取材した史劇も生み出された。当時 の劇はもちろん詩劇であるが , その 代表作家としてはシェークスピアを はしめ , くフォースタス博七 > ( 1590 頃 ) などの悲劇を書いた Ch. マーロ くボルポーニ〉 ( 1605 ) などの風 刺喜劇を得意とした B . ジョンソンら があった。また散文文学の面では , 英国におけるェッセーの創始者とも いうべき F. べーコンの名を逸する とはできないが , それにもまして重 大な意義をもったこととしてく欽定 訳こ聖書 > の完成 ( 1611 ) をあげな けれはならない。チャールズ 1 世時 代になると絶対王政のいきづまりが 明らかとなり , ェリサベス朝のはつ らったる精神の袞えはおおうべくも ないが , 鋭い知性と感性の結合によ って独特の美を生みだした J. ダンを 中心とする「形而上詩人」たちの詩 にも , そうした時代の空気がうかが える。かくして 1642 年には清教徒の 反乱が起こり , クロンウェルの共和 制時代 ( 1649 ~ 6 のにはいるが , 時期から工政復古期にかけての代表 的詩人としては / く失楽園〉 ( 1667 刊 ) の作者ミルトンと , 詩劇の面 でも活躍した J. ドライデンがあげら れる。しかし内乱期から共和制時代 にかけて劇場がすべて閉鎖されたた め , 王政復古とともにそれが再開さ れてもエリザベス朝劇の伝統はすで にとだえ , フランス喜劇の直輸入と もいうべき散文の「風習喜劇」が流 行した。また放文ではキリスト教文 学の傑作である J. / ヾンヤンのく天路 歴程〉 ( 1678 ~ 84 ) がある。 18 世紀前半は小説の時代といえる。 もちろん古典主義の詩人 A. ポープの 活躍もあったが , J. アジソン ( 1672 ~ 1719 ) や R. スチーノレ ( 1672 ~ 1729 ) によってくタトラー〉くスペクティ ター〉などの定期刊行物がぞくぞく 発行され , それが現実の社会に対す る人々の関心を深めるとともに , 散 文文学に対する興味を一般にひろめ たことが , 小説の隆盛を招いた一因 といえるカ { / く口ビンソン・クノレ ーソー > ( 1719 ) の作者 D. デフォーも / くガリノヾー旅行言己〉 ( 1726 ) で知られ る J. スイフトも生涯ジャーナリズム を離れなかった。それだけに彼らの 小説には純粋な文学というよりも社 ム批判の要素がつよかったが , その 後の H. フィールディングのくトム・ ジョーンズ〉 ( 1749 ) をはしめ , S. リ チャードソン ( 1689 ~ 1761 ) , T. G. ス モレット ( 1721 ~ 71 ) , L. スターン ( 1713 ~ 68 ) らの作品はすでに純粋の 小説といってよく , ひろく婦人たち にも愛読された。 18 世紀後半の文壇 を支配したのは , くイギリス詩人伝〉 などで有名な S . ジョンソンであるが , J. ポズウェル ( 174 ( ) ~ 95 ) の手になる くジョンソン伝 > ( 1791 ) そのものカ { 英国伝記文学の代表作といえる。ポ ープの古典主義に反発するしらべは , Th. グレー ( 1716 ~ 71 ) , R. ノヾーンズ ( 1759 ~ 96 ) , W. プレイクらの詩にも すでに聞きとれたが , 1798 年に出た W. ワーズワースと S. T. コーノレリッ ジのく叙情歌謡集〉こそロマン主義 の宣言であったといえる。それを契 機としてノヾイロン , シェリ ッらの詩人が輩出したが , そこにみ なぎっているロマン主義は W. スコッ トの小説はもとより , くエリア随筆 集〉によって独特の分野を開拓した Ch. ラムにもつよく反映している。 しかしビクトリア女王時代になっ て , 外には大英帝国が建設され , 内 には資本主義社会が確立されるとと もに , 文学界にも安定的 , 保守的な
インド 3 0 4 デイや言語のアクセントに近いリズ ばれるリズム型をもち , インドの古 美術が行なわれた時代で , 大部分が ムをもつものが多い。宗教音楽も , 典音楽を理解し鑑賞するためには , 仏教徒の活動による。その仏教美術 多くの宗教があるため多様であるが , これらのラーガとターーラについての は仏像の制作を中心として , つぎの 深い教養を必要とする。そのため古 最も重要なものは人口の 8 ( ) % を占め クシャン朝期 ( 1 ~ 3 , 4 世紀 ) に , ガ 典音楽の一般化がきわめて困難な現 るヒンズー教のもので , 最も古いべ ンダーラ , コトラ , アンドラの 3 地 ーダの朗唱も伝承されており , 厳格 状である。 方で , 異なる様式の美術を展開して 〔小泉〕 な宗教音楽としての語り物的声楽曲 最も栄えた。グプタ朝時代 ( 4 インドの美術 世紀 ) はインド文化の最高潮に達し キールタナや , 庶民的なバジャン , インドの美術は歴史が古く , 変化 に富む展開を早い時代から示し , 中 くラーマーヤナ〉の物語歌などが有 た時期にあたり , 仏教美術は最も成 国の美術と相並んで東洋美術の二大 名である。古典音楽は , 南方派のカ 熟した , 一方 , ヒンズー教もまた造 潮流をなしてきたもので , 影響の広 形活動を活発にしはしめた重要な時 ルナータカと北方派のヒンドスター 代である。つぎの中世 ( 7 ~ 18 世紀 ) ーの両派に分かれ , それぞれ声楽 , さでは中国をしのぐものがある。イ には , 仏教美術がしだいに衰退して 器楽 , 舞踊曲の別がある。南方派の ンドの文化は著しい宗教性で特徴づ いったのと反対に , ヒンズー教美術 声楽曲として最も重要な形式は宗教 けられるが , 造形美術はこれを最も はとくにその前期において最盛期を 端的に示し , 建築も彫刻絵画もほと 音楽のキールタナから発達して独自 現出し , 次いでしだいに生気を失っ んどすべてが熱烈な宗教信仰によっ の古典形式となったクリティと , ク て堕落したが , それでも外来のイス て推進され , かっ規定されたといえ リティの主題にもとづいて即興的に る。宗教といっても多種多様である ラム美術に対抗して , インド美術の 主題を展開するバッラビとよばれる 民族的伝統を固守した。最後にイン 形式である。器楽演奏に用いられる が , 大別して仏教 , ヒンズー教、ジ ド・イスラム時代 ( 13 ~ 18 世紀 ) は , ャイナ教に分けられる。仏教美術は 楽器は , 7 弦の撥弦楽器ビーナ , 中世インドの後半と重なりあって , 最も早く造形活動を始め , インド美 欧州からとりいれたバイオリン , 竹 術史の前半をリードしたのみならす , の 7 穴の笛 , 木製の両面太鼓のムリ おもにインド北半でその独特の建築 ダンガムなどが主として使われる。 東アジア全域にひろま・つて大きな影 美術を展開し , 多くの有名な建造物 響を与えた。ヒンズー教はインドの を残した。 南方派の舞踊曲はすべてバーラタナ 国民宗教としてインド文化の根幹を 〔建築〕インドの建築史ははとんど ーテャムとよばれる古典舞踊の音楽 なすもの , その造形活動は古代末期 寺院建築の展開であった。 で , そのほかの大部分の南方派古典 ただ太 から盛んとなり , 中世に最も栄えて 古の都市遺跡の発掘により , 市民の 音楽が最高社会階級のバラモンのも のであるのに対して , 舞踊家および 造寺造像の熱狂的な宗教的インドを 生活と結びついた古い建築文化がし 形成した。ジャイナ教は前 2 宗教に その伴奏音楽家はシュードラ ( 第四 だいに明らかにされつつあり , なか 追従しながら , 局地的には芸術史上 階級 ) のものが主である。北方派の でもインダス文明のモヘンジョ・ダ 声楽では , 中世 ( 11 世紀以降 ) になっ みるべき展開を示した。さらに後世 ロおよびハラッノヾの二大都市および て北インドを支配した西方イスラム には異教のイスラム教がはいり , 建 タキシラ市の発掘が最も重要である。 築を主とする特異な宗教美術をイン 教徒の影響をうけ , 多分に西アジア レンガや石を用いる耐久建築は , 歴 ドに導入した。このように美術が宗 史時代にはいって以後 , マウリヤ帝 的であるが , ドルノヾッドとハヤール 教に奉仕したものであったところに とよは、れる形式が最も中心をなす。 国 ( 前 317 ごろ ~ 前 180 ごろ ) の出現か インド美術の一般的な特質や傾向が らあとになって普及してきた。古代 最近はパンジャプ地方の民謡から発 達したトウムリとよばれる短い形式 規定されている。すなわち平明な写 ベルシアの影響によるのかもしれな 実ではなくて , 抽象的 , 観念的 , 類 が流行している。楽器には , 7 弦の い。仏教建築には仏の遺骨をおさめ 半球状に盛りあげて築いた仏塔 ( ス 撥弦楽器シタール , サロッド ; 共鳴 型的な傾向が強く , 表現にはどぎつ インド ( 美術 ) 左はカ 。 ) , これを本尊としてまっ ジュラホにあるカンダ さやあくどさがめだち , 内容も複雑 弦を多くもっ擦弦楽器のサーランキ、 , トウ、一ノ、 リヤ・マ / 、テ・ - バ寺 , 10 った祠堂い ( チャイトヤ堂 ) , 仏像を であったり , 象徴的であったりして , 竹の 6 穴の笛 , バイオリン , 大小 1 世紀に建てられた北型 宗教に関する理解が , つねに要求さ まつる仏堂 , 僧の住む僧院 ( ビハー 対のなべ形太鼓のタブラーなどが多 建築の一つ。中は 750 ラ ) などがある。またこれらの建築 れる。 く使われる。また舞踊曲は , ほとん 年ごろ建てられたプノヾ をそのまま写して石窟寺院を開掘 インドの美術史は前 2500 年にさか どカタックとよばれるイスラム系の ネシュノくノレク ) ノヾラシュ し , その発達に貢献したのも仏教で 古典舞踊の音楽で , サーランギが旋 のは、るインダス文明から始まるが , ラメジュノヾラ寺。右は あった。顕著な仏教建築はサンチー その後不明な時期をへて , 歴史時代 律楽器として使われる。南北両派の ラジャスタン州のアー の仏塔 ( 前 2 ~ 1 世紀 ) , ブッダガャ にはいる前 5()0 年ころから , ようや 古典音楽に共通して , 音階およびリ プー山上にあるジャイ の大精舎う ( 6 世紀 ) , ナランダの ズムについての理論的体系は高度に く美術活動の史的展開が跡づけられ ナ教寺院玄関内部。 13 大寺院遺跡 ( 6 ~ 7 世紀 ) など。また 発達しており , 南北ともそれぞれ数 るようになる。以後の美術史は五つ 世紀の建築で白大理石 石窟寺院ではカールリ ( 1 世紀 ) , ア 百種のラーガ、とよばれる音階 ( また の時代に区分される。古代初期 ( 前 の美しい彫刻がすきま ジャンタ ( 前 1 ~ 後 7 世紀 ) , 5 ~ 後 1 世紀 ) は素朴な初期様式の は旋律型 ) と , 数十種のターラとよ なくはどこされている - 一噛工 4
オリオン 5 6 8 られている。三つ星の下方には , 有 名な大ガス星雲 M 42 があって , 肉眼 にもかすかに見える。ガス星雲は , またオリオン座全体にひろがってお り , オリオン座に属する青白色の星 は , いすれもこのガス星雲中で形成 され , 現在も四方八方に飛散しつつ あるという。 〔草下〕 おりかみ折り紙紙を折りたた んでいろいろな形をつくる手芸。起 原は明らかでないか・ , 紙の発明と普 を . 、砂 及にともない , 古い時代から世界各 地で自然に始まったと思われる。 して人類最古の農耕と牧畜とが始ま が , いすれも前 3 ( ) ( ) () 年ころの発明で 〔儀礼折り紙〕日本では祭政一致の ったが , これをさらに一歩進めて「文 ある。これらの表意文字はしだいに 古代すでに , 紙を折りたたんで「ま 明」という新しい段階に到達した最 表音文字へと発達していったが現 つり」に関する意思の伝達や記録に 在のような一字一音 初の人間もまたオリエントの人々で 用いられた。また信仰の対象として ク广ノレファーくッ あった。大河は毎年みのりをもたら トを作り出したのはセム系の商業民 の「象代鬱折り紙」は四角な紙に切 族であるフェニキア人であった ( 前 し , また主要な交通路となるが , とき りこみを入れて折り , 神体をかたど には洪水をおこして人畜に被害をあ ってまつったほか「ぬさ」「しで」な 1500 頃 ) 。また人類最初の唯一神の信 たえ , ときに増水が少ないために干ば 仰は前 12 0() 年ころ , 同じ砂漠の遊牧 どの祭具をつくったといわれる。そ つをおこす。大河の恵みを利用する 民ユダヤ人によって始められ ( ユダ れらのなごりとみられる手法は皇大 ためには , 人々は堤防を築き , 運河 ヤ教 ) , やがて・イエスが出てキリスト 神宮斎宮にながく伝えられた また「はらい」に用いる「かたしろ」 , やかんがい溝をひらき , 貯水池を掘 教となった。蒸気機関の発明まで長 るなど , 共同の大上木事業を行なわ ひな祭りの紙びなも切りこみ折り紙 らく人類の最も早い交通手段であっ なければならなかった。こうした努 た馬の飼育や , それに戦車 ( チャリ でつくられた。また冠婚葬祭その他 力の積み重ねの上に人類最古の文明 オット ) を引かせることも / メソボ 年中行事の儀式用 , また贈答品の包 が発生した。 タミアでインド・アーリア系の / ヒ み紙などにいろいろの折り方が武家 は伊勢流 , 一般は小笠原流などで行 〔オリエント文化〕オリエントはこ ッタイト人やミタンニ人によって発 これは今日婚礼用に , 雌 のように世界最古の文明の発祥地で なわれた。 達した。アーチやドームのような発 蝶 , 雄蝶 , のし , 目録 , たとう , あったから , 19 世紀には人類のあら 明も , 浮彫り , 透し彫りなど芸術上 などわすかに用いられ市販されてい ゆる文明はすべてオリエント起原で の手法もオリエント起原である。ま る ( / 贈答 ) 。 あるという説がおこり , 伝播説 , た多くのオリエントの神話 , 伝説は , 汎ノヾビロニア説とよばれている。 〔遊戯折り紙〕平安時代に始まった 旧約聖書に集成され今日まで伝えら 狭い意義での文化要素だけを数え れている ( 創造神話 , 楽園追放 , ノア が , 江戸時代になると「切りこみ折 ても , 古代オリエントの貢献はすこ ノヾベルの塔など ) 。〔板倉〕 り紙」に絵筆を加えたものも現われ オリオン Orion ギリシア神話 ぶる大きい。太陽暦も今から 5()00 年 た。一方 , 切りこみを入れない折り 中の巨人の猟師。父のヒリエウス ほど前 , / エジプトで発見されたも 紙は室町時代から行なわれ , 折りヅ のであるし , 時計や経緯度の計り方 は , ゼウス , ポセイドンらの神々を ル , カエル , 三宝 , 宝舟などおよそ 70 自分の小屋で歓待したとき , 子ども ( 60 進法 ) も , はは、同しころメソボタ 種が江戸時代の末までにくふうされ , ミアの / シュメル人の用いた計算法 を与えてくれと頼んだ。神々は牛の これを折り形 , たたみ紙などと称し 皮におのおの小便をいれ土にうすめ , た。この時代は紙が貴重品で , この に始まる。 1 週間を 7 日にわけ , そ これから生まれたのがオリオンであ 折り方も上層家庭のみで一般には行 れぞれの天体をあてはめたり , 天を なわれなかった。〔教育折り紙〕明 るという。オイノピオンの娘に求婚 十二宮に分けて星座を配置したりす したが , 彼はオリオンを酔わせ , 眠 治後期から大正にかけて , 折り紙が ることも , / ノヾビロニア人の長い天 文観測の結果である。世界最古の文 っているうちに盲にした。オリオン 創作折り紙の作品例。 幼稚園および小学校の教材に用いら 上左はくめい想〉 , 上右 字は , シュメル人のくさび形文字と は男の子を肩にのせて道案内とし , れるようになった。昭和にはいって ・はくゾウ〉 , 下はく . 五人 太陽ののばる方へと進み , 光で視力 児童の知的 , 情操の教育の立場から エジプト人のヒ工ログリフとである はやし > 創作吉沢章 を回復し報復を試みたが果たさなか 画一的 , 模倣的な折り方で紙を扱う った。のちェオス女神が彼を愛した 従来の折り紙から , 紙を折ることを が , オリオンか・アルテミスに恋慕し 基本とする自由な造形活動の教育価 たため , 怒った女神のよこしたサソ 値がみとめられてきた。そして現在 リに刺されて死んだ。彼は星座とな の折り紙は , 幾何学的な理論にもと り , これも星座となったサソリに追 づき児童の発達段階に応じて , 立体 われていると伝える。なおオリオン と図形の関係を直感と記憶によって は , ポセイドンの子とする伝もある。 とらえさせるなどの効果をあげてい る。〔創作折り紙〕原則として色彩 〔高津〕 は紙自体の色調だけではさみを用い オリオンざオリオン座赤道上 にあって冬の南天をかざる有名な星 すに , 紙の面と線の屈折によって造 座。 2 月 5 日午後 8 時の空に南中す 形美を創造するもので , その作品は 概して立体的である。主題によって る。サソリに刺殺された巨人猟師オ リオンの姿を形づくる。。星は / べ 用紙を自由に選び , 高さ 1 m 以上の テルキ、ウス , 星は / リゲルでとも 大きな作品には厚手の紙にしめりけ に 1 等星である。星ミンタカ , を与えて用い , めんみつな設計のも 星アルニラム , ( 星アルニタクはい とに量感のある曲面や , 紙のたちロ ずれも 2 等星で「三つ星」として知 で造形美を強調する手法なども用い 古代オリエントの世界 カフカ不 = 二海 - 山脈 / & - ご ) 0 ポガズキョイ・ スアナ年リア高原ペ太へ / - - ビフ・ロス キプロス島 - ツナイ半島 ア カ 当、高原地帯 砂漢地帯 ・メンフィス リ・ビヤ砂渙 フ . - ナ