リンクンウ 日本の森林資源 ( 1963 ) 国有林 ( 単位面積 2 , 蓄積万 m3 ) 公私有林 5 1 0 経営林業は農閑期の余剰労力の合理 的消化に役だっこと大きく , また家 族労働によってていわいな保育管理 もできるなど , すぐれた点を有して いる。一方 , 大規模な私有林業もあ り , 地方の旧家や財閥 , 富豪 , ある いは製紙会社 , 木材会社などにより 所有されている。林業は大規模経営 が適しているとされ , これらの大規 模林業もその適切な経営による生産 性の増大が期待されている。私有林 の地域的分布をみると , 早くから文 化が発達した近畿 , 東海 , 山陽の諸 地方に多く , 東北地方に少ない。 有林業には歴史の古いものもあり , 奈良県の吉野地方 ( 杉 ) , 京都府の北 山地方 ( 杉 ) , 三重県の尾鷲第せ地方 ( ヒノキ ) , 静岡県の天竜地方 ( 杉 ) , 宮崎県の飫肥ま地方 ( 杉 ) などは , そ の特色ある技術とともに日本の代表 的優良林業地帯である。 〔林業の実際〕林木の育成について は植林と森林の項で述べたので , こでは林木の伐採を中心に説明する。 林地に生育している立木うは , ふ つうには , おの , のこぎリを用いて 伐本される ( 伐採 ) 。そして枝を払い , 皮をはぎ , 材の用途に適した長さに きられて素材とされる ( 造材 ) 。伐木 , 造材作業は重労働であるが , 最近で は 1 人用のチェーンソー ( 自動のこ ぎリ ) がとり入れられている。伐木 , 造材された木材は集積地 ( 山上場 : まで引き出され「集材 ) , さらに製材 工場や発駅 f-. 場まで運は、れる ( 運材 ) 。 集材方法は , 旧は人畜力によるか 修羅ゆ ( 山の斜面に丸太などですべ リ道を作リ , すべリ落とす方法 ) で 行なわれたが , 最近は集材機の発達 によって索道 ( 架空鉄索 ) による機械 集材が盛んになっている。連材には 陸上連材と水上連材とがある。陸上 運材施設 , 用具には , 木馬 ( 路面上に 敷設した横木の上を木馬に木材を積 んですべり降ろす ) , そり , 索道 , 車 , 森林軌道があるが , 最近では索道 , トラック運搬が多くなっている。索 道による方法は , 地形 , こう配など の制約も少なく , 最短距離を運搬で き , また張リかえによる路線移動も 簡単であるなどの有利な点をもって いる。水 E 運材は管流し ( 木材をば らばらに流す方法 ) や , いかだに編 んで流す方法があるが , 最近はあま り行なわれす , ほとんど陸運に切り かえられている。 / 森林 / 木材 / 製 四節回転連鎖 0 6 p 0 2 数 人 工 天 そ の 他 竹 注 区分 面積 蓄積量 針葉樹 広葉樹 面積 蓄積量 針葉樹 広葉樹 面積 蓄積量 針葉樹 広葉樹 面積 蓄積量 針葉樹 広葉樹 面積 総数 190291 95724 94567 7 ( ) 87 ( ) 53 ( ) 85 5144 ( ) 1645 16282 ( ) 136835 44163 92672 1464 ( ) 371 121 25 ( ) 187 ( ) 林野庁 7787 ( ) 92383 4 ( ) 80 ( ) 51583 14730 12800 11760 1 ( ) 40 55030 79212 28918 5 ( ) 294 811 ( ) 371 121 250 その他 2230 1881 555 1326 41 ( ) 3 ( ) 4 252 52 1710 1577 303 1274 11 ( ) 0 0 公有 2846 ( ) 18367 8424 9943 7830 6204 5930 274 19 ( ) 4 ( ) 12162 2494 9668 1560 私有 141640 77661 45945 31716 47900 33777 33498 279 87 ( ) 40 43884 12447 31437 4860 1840 4 めている。 く日本統計年鑑〉 ( 1964 ) による これらの森林が保持され ているのは二つの意味がある。ーっ は森林からの収入が公共団体の収入 となり , 地域内居住者の公共的施設 ( 公民館 , 病院など ) の費用に当てた り , あるいは税金の負担軽減に当て たりしているもの , 他の一つは部落 有林に多くみられるもので , 林産物 や副産物の一部を , そこで収益する 権利をもつ住民の直接供用に当てる ものである。経済的要求度の低かっ た時代には , これらの林地は採取さ れるにまかされて荒廃するものも多 く , 生産上および保安上憂慮された が , 兮日では植林が進み , 管理と経 営を合理的に行なうものが増加して いる。私有林は日本の林業生産の約 % をになっているが , 小規模の所有 者が多い。「日本」の項目の「林業」 の章に述べてあるように , 約 27 ( ) 万 戸の山林保有林家の約 91 % が 5 ヘク タール未満の零細保有者である ( 19 64 ) 。その大部分は農家であり , 農 業のかたわら副業的に経営している のがふつうである。自家用用材や燃 料材を採取したり , 家族の医療費 , 教育費 , 婚礼葬祭費などの臨時的支 転連鎖との対応を示す 文字は右上図の四節回 リンク装置 4 例。図の 出に充当したリされている。農家の 材 / 林野制度 〔筒井〕 ピストンクランク機構 ; 04 平行クランク機構 ( 球面リンク装置の一種 ) 揺動すべり子機構 ( 早もどり機構の一種 ) リンクそうちリンク装置数個 の剛性部品を回転自在のピンで適当 に結合して一定の相対運動を行なう ようにした装置で , 直線すべり運動 をする部品を含む場合は , そのピン 中心が無限遠にあると考える。リン ク装置はピストンクランク機構をは しめ各種機械の構成の基礎となるも ので , 種々のものがあるが , 四節回 リンク装置の基礎的な機構 , 四節回転連 鎖。節 D を固定し , リンク A , B, C が それぞれ ( ) ぃ ( ) 2 , ( ) 3 , ( ) 4 のまわリに回転 する。リンク A を原動節とし , ( ) 2 がな る速度で動くとき , ( ) 3 およびリンク A , B , C E の任意の 1 点 P , S , Q の速度 , すなわち物 , , , を求める作図例 転連鎖がその基礎的なものである。 上の図の四節回転連鎖において , 節 D を固定して , 最短節であるクラ ンク A を回転すると , 連結棒 B を仲 介としててこ C が往復角運動をする。 てこ C の運動をそのまま利用するこ ともあるが , 連結棒 B に固定された 点の行なう複雑な運動を利用するこ ともある。・般に , リンク装置の相 対運動と各部の速度を求めるには , 相対運動の瞬間中心を考えると便利 で , 相対速度の大きさは瞬間中心か らの半径に比例し , これに直角の方 向をもち , 同一平面上で連動する三 つのリンクの相対運動の瞬間中心は 3 個あってかならす同一直線上にあ る ( ケネディの定理 ) 。たとえは・ I-- の 図の場合 , 瞬間中心は ( ) 1 , ( ) 2 , ( ) 3 0 4 , 0 5 , 0 6 の 6 . で , ( ) 3 , P , Q , S の各点の速度は ( ) 2 の速度をむ 2 と したとき , ケネディの定理によりそ , むい物と求める れぞれ , む 3 , とができる。よく用いられるその他 のリンク装置を次にあげる。 1 ) ピス トンクランク機構四節回転連鎖に おいて最短節 ( クランク ) の接点の隣 の接点が無限遠点にある場合と考え られるもので , 内燃機関などに用い られる場合はピストンの往復運動か らクランクの回転運動を導き , ポン プなどに用いられる場合はクランク の等速回転連動からヒ。ストンの往復 運動を導く。 2 ) 早もどり機構ピス トンクランク機構のピストンピンが クランクの回転中心、からかたよった 直線上を往復する場合はクランクの 等速回転に対してピストンの行きと 帰りの速度が異なるので早もどり機 構になる。また左の図のように , 四 節回転連鎖の一つのリンクを揺動す べり子で置き替えても早もどり機構 になり , 形削り盤などに用いられる。 3 ) 平行クランク機構四節回転連鎖 のリンクが平行四辺形をなす場合の もので , クランクの等速回転に対し 対向するリンクも等速回転し , 連結 棒は平行移動するので , 回転運動の 伝達や製図器械などに用いられる。 4 ) その他変位の小さな部分を用い て大きな力を生ぜしめる倍力機構 , 運動をある期間はとんど休止するリ
ワカヤマ 6 4 4 節風を正面から受ける県の南東部に 多く , 新宮付近では 3000mm 以上を 記録する。 I 産業〕産業別有業人口では , 第一 次産業が約 34 % , 第二次産業が約 28 % , 第三次産業が 38 % である。山が ちのため耕地面積は約 9. 6 % にすぎ す , 上地利用はあまり進んでいない。 耕地面積のうち水田が 64 % で , おも に紀ノ川流域に多い。しかし可耕地 が少なく , 米麦の県内自給ができな い。そのため移民県として知られ , とくに日高郡美浜町三尾はアメリカ 村として著名である。傾斜地を利用 部と , 大和 : まとともに神仏信仰の中 組の中では年齢によって仕事がきめ 心であった県北部の / 高野山以外は したキシュウミカンの栽培が盛んで , られ , 若者頭の強い権力のもとに 有田 , 海草 , 那賀 3 郡を中心に 1560()0 畿内との交流が少なく , 発展が遅れ 統制されているところと , そうでな トン ( 196 4 ) を収穫し , 有田市箕島襷 た。中世 , 中央権力の弱体化に伴っ いところとある。若者組には集合 て寺社の権力が強大となり , 僧 , 神 湯浅町などから積み出される。ほか の中心、となる宿があるが , その宿と 徒の武装化も行なわれた。その後 , に桃 , 梅 , ムショケギク , ケシの栽 して常設の独立家屋をあてるところ 培 , 促成野菜栽培 , 熊野牛などの畜 数十の小領主が割拠したが , 戦国時 と , 他人の家の一間を借りるところ 産が行なわれる。林野面積は県面積 代に豊臣秀吉の全国統一で争乱は一 とがある。また若者宿につねに宿泊 応おさまった。江戸時代には徳川頼 の約 8 ( ) % に達し , 素材生産量は 1 ( ) 2 万 するところと , 冬季だけとするとこ m3 に及ぶ。シュロ皮 , 薪炭などの林 宣以降紀州家 55 万 5 千石の繁栄が続 ろがある。宿を他人の家とするとこ 産物も生産され , 熊野白炭は主とし 。 1871 年廃藩置県で和歌山 , 田 ろでは , 宿の主人夫婦と若者との間 いた て京阪神に出荷される。和歌山 , 新 辺 , 新宮の 3 蘯は県となり , 同年和 に宿親 , 宿子の関係が生し , 宿親は 宮 , 御坊などの市が木材を集散し , 歌山一県に統一された。 婚姻のとき仲人役をつとめることが これらの市を中心に製材 , 製紙工業 〔自然〕県北部を西流する紀ノ川は 多い。若者組は村内の夜警 , 消防 , が興っている。水産業は近海でのマ 地質学上の中央構造線と平行し , 地 難船救急 , 急病人の処置などのほか , グロ , カツオ , イワシ漁 , 熊野地方 祭礼のときに神輿をかつぐのが大 形上 , 県内は北境を限る和泉山脈 , きなやくめであった。また村の婚姻 紀ノ川地溝平野 , 県の大部分を占め の太地 , 古座 , 大島を中心とする捕 鯨が活発である。勝浦港は遠洋漁業 る紀伊山地 , 南西部の海岸平野の 4 についても強い発言権をもち , 若者組 の基地として知られ , 本州最南端の 地域に分けられる。中生層の和泉砂 の承知しない婚姻は結ぶことができ 漁港である串本阯港も中部太平洋漁 岩からなる地塁山地の和泉山脈は , なかった。かって若者組は村の青年 ほは、東西方向に延びて大阪府との境 業の基地である。鉱産資源では , 金 の / しつけと社会教育の重要な組織 界をなし , 南側 ( 県側 ) は急斜面で , 属資源に恵まれす , 飯盛山の銅 , 硫 で , 組の名誉をきすつけたり秩序を ふもとに多くの複合扇状地が形成さ 化鉄 , 白馬山脈の石灰石 , 白倉鉱山の みだす者には , きびしい制裁が加え れている。紀ノ川構造谷では上流部 白ケイ石 , 宮井付近の第三紀層に産 られ , 村八分とか仲間はすしとい の右岸に 3 段の堆積段丘が発達し , する良質の無煙炭 , 白浜町のと ( 砥 ) う絶交や除名がなされた。若者組の 下流部はこれが段丘状の扇状地とな 石が採掘される程度である。工業は 経済は寄付によるところが多いが , 和歌山県 ( 補ー農業県 り , その外周に広いはんらん原がひ 製材 , 製紙のほか , 和歌山市を中心に 田畑や山林をもっていて , それを運 から工業県にかわると ろがっていて , 県の主要生産地帯に 発達した綿紡 , 綿織物 , 染色工業が 営の費用とするところもある。若者 ともに , 県を紀北 , 紀 伝統産業として盛んである。また県 なっている。地質上の外帯に属する 組は娘組とともに , 文献の上では鎌 中 , 紀南の 3 地域に分 内に原料をあおぐムショケギク製品 , 紀伊山地では , 結晶質岩石から第三 倉時代以降に発生したという説もあ け , 地域ごとの開発が 紀層に至る地層が東西に並び , 北は かさ ( 傘 ) , 貝ボタン , シュロ , しょ るが , おもに未開社会にも日本と同 進められている。紀北 は和歌山市 , 海南市 , ど古く南ほど新しく , また高度も南 う油 , みそ , 高野豆腐の製造や , 家 じような年齢集団がみられるので , 有田市・下津町の 3 地 へ逓減していく。火山活動が少ない 具 , 建具 , 漆器などの木工品工業 , もっと古い起原をもつものと考えら 区が北部臨海工業地帯 ため地下資源は乏しいが , 豊かな森 由良町などのセメント工業も行なわ れる。日本の年齢集団は , 若者組と を形成し , 和歌山地区 林資源によって林業は活発である。 れる。近代工業の発展はあまりふる 娘組がとくに目だっているが , 村に は住友金属の大製鉄所 , 紀伊山地を刻み , 西流する有田川 , わないが , 県西部の下津町 , 有田市 よっては子ども組から若者 , 娘組 , 工業港 , 木材専用港を 日高川 , 南西流する冨田ん川 , 日 に石油精製 , 和歌山市に化学 , 田辺 さらに戸主 , 主婦の組から老年組へ 中心とする大工業集合 市に内燃機関工業がみられる。 地帯 , 海南地区は関西 川 , 熊野灘に注ぐ古座川 , 熊野川 と , 年齢の順序によって性別の組が 電力 , 富士興産などの の諸河川と紀ノ川が主要河川で , 紀 〔都市・交通〕人口は平野部に集中 きまっており , それぞれに村内での 重化学工業地帯となっ ノ川以外はほとんど流域平野をもた し , 山間部との密度差が大きいうえ , 役割や家族内の役割が定められてい ており , 海南港は 3 ~ この形が年齢集団 す、平野は河口周辺にかぎられる。 交通機関も紀ノ川に沿って走る国鉄 るところもある。 5 万トン級船舶の入港 しかも紀伊水道に面する海岸はリア 〔坪井〕 の原型である。 和歌山線 , 海岸を走る同紀勢線など が可能となった。有田・ ス海岸で , 岬や島は多いが平野はみ わかやま和歌山〔県〕紀伊半島 下津地区には東亜燃料 平野部に発達している。バスはかな が大石油コンビナート な狭い。海岸線中部の日ノ岬以南は の南西部を占め , 三重 , 奈良県境に飛 り山地に入りこんでいるカゞ , それで を建設する予定である。 隆起海岸で , 海岸段丘 , 海食がいが 地をもつ近畿地方の県。面積 4714.99 も山間にとり残されて散在する村落 紀中地域は石油工業 発達している。気候は北東流する黒 km2 , 人口 1026975 ( 1965 ) 。県庁所在 が多い。紀ノ川流域では , 中流の橋 と果樹栽培を主とする 潮の影響で海洋性を帯び , 気温は比 地は和歌山市。内陸部は山がちであ 本 , 河口の和歌山の 2 市 , 紀伊水道 開発、紀南地域は観光 開発 , 森林および水産 較的高く , 年較差も少ない。田辺湾 り・ , 人口は北部の紀ノ川流域 , 海岸 に面して北から海南 , 有田 , 御坊 , 資源開発 , 暖地園芸の 以南に無霜地域があり , 亜熱帯性植 田辺の 4 市 , 熊野川河口に新宮市街 平野部に集まる。 振興がはかられている。 物がみられる。年平均気温 16 ℃であ が発達している。国鉄線では , ほか 〔沿革〕かっての紀伊国にあたり先 また , 紀勢線開通以 るが , 内陸山地にはいるほど低温と 進文化地域の畿内に距離的には近か に和歌山と大阪を結ぶ阪和線があり , 後 , 紀南地域へは中京 なり , 高野山一帯では 1 月の平均気 ったが , 交通が不便な山国であった 阪和線と並行して南海電鉄線が通じ 経済圏の影響もみら、れ 温は一 2 ℃である。降水量は夏の季 ため , 海上交通が活発であった海岸 るようになった。 ており , 和歌山市では大阪の衛星都 左は , 高知県宿毛市の 若者宿の泊屋とよばれ る高床式の小屋。右は , 共同で漁具をつくろう 萩市の若者組
産物を採取することが林業とされて きたが , そのうちそれだけではまに あわなくなると , 計画的に林本を育 て , 採取し , 生産の永続をはかる 業と理解されるようになってきた 林本資源には用材と薪炭材とがあり , 昔は用材は主として住宅資材に , 薪 炭材は科材に用いられるだけであ ったが , 最近では建築用材のほか , 上本用材 , 坑木などの産業資材 , あ るいは紙やレーヨンなどのためのパ ードボード , 合板などの林 産関係諸工業原料として , 国民生活 をささえる重要な原料源となってい る。現在の日本におけるこのような 用材総需要量 ( 輸出量を含む ) は , 19 31 ~ 3 5 年平よ勺 1934 万 m3 に対し , 64 年には約 4. 1 倍の 7898.1 万 m3 に達し , なお年々増加の一・途をたどっている。 ・方 , 燃材需要は , 石炭 , 力、、ス , 電 気 , 石油などの近代的燃料の進出に 伴って著しい減退を示している。 の結果 , 生産性の低い薪炭林から生 産性の高い用材材、を育成する経済林 業への転換が急速に進められている。 ー・方 , 産業が発達し国上の利用が進 むに伴い , 国民生活や産業施設に対 する被害を未然に防ぐ森林の保安的 作用 , すなわち E 砂の流出防備 , 河 川の流量調節 , 洪水予防 , なだれ防 止 , 風害および潮害防止などを果た すための森林および林地の合理的取 扱いは , 林茎の任務の・つとしてま すます重要性を高めてきている。ま た , 国民の生活水準の向 l•. と新しい 生活意識の進展に伴って , 観尢や体 養の要求度も高まっておリ , その主 要な対象である森林や林地の合理的 5 0 9 取扱いによる厚生利用効果の維持 , 増進の要請も大きい。 〔林業の性質〕林業の技術的特質と しては , 寒冷地や急しゅん地のよう に自然的条件のきびしいところや , やせた上地でも生育できること , ま た林木は天然にもあるいは少しの労 力でも生育できることなどがあげら これらの特質が世界的に林地の 分布をひろくしている。日本のよう な工業の進んだ国においても , 以上 のような諸条件から林地面積は多く なっている ( 国上総面積の約 67 % ) 。 しかし , 林木は生育に 40 ~ 5 ( ) 年の長 期を要するという性質も無視できな この性質は , 木材の需要の増加 に応してただちに生産を増大させに くい作用をもつが , しかし最近はこ のような性質を固定的に考えること なく , 多収性や短期間に生育する性 質をもつ樹種を養成するなどの技術 が進んでいる。昔から存在する樹種 の中から選択して優良な品種を育て 日本の風上に 上げることとともに 適した外国樹種の導入も努められて いる。林業の経済的性質としては , 1 ) 林業には , 資本と労働力を投下し 栽培育成して木材を生産する育成林 茎と , 原始林のように自然財として 存在する資源を単に採取するにすぎ ない採取林業とが併存する。この両 者の生産本材が同一市場に供給され るとき , その価格競争力を異にする ので , 両者の供給量の関係に応じて 木材価格は変動しやすい。 2 ) 林業は 所要労働量が割合に少ない産業であ リ , また同・の場所で長期間固定的 に労働力が投下されるということも 少ないが , これらの条件の中におい ても労働の機械化が進められている。 奥地で行なわれる林業の生産を増大 するため道路を完備し , 伐採 , 集材 , 運搬の各作業において作業能率を上 げるため各種の機械を導入し , 人力 だけでは生産困難な地域をも生産に 参加せしめている。 〔林業の経営形態〕日本の森林面積 の約 % は , 次ページの表に見るよう に , 国家 , 都道府県あるいは市町村 などの公共所有となっている。国有 林は国民公共の福祉を維持すること にその存在目的があり , 日本の全林 野面積の % を占めている。巨大経営 規模であるため , 国有林は大規模経 営の長所を十分発揮することができ る。運搬施設としての森林軌道やイ ンクライン , あるいは集材機 , トラ クタなどの作業機械化がとくに進ん でいる。国有林の林産物生産量は , 用材林では全国生産量 ( 1964 年 ) の約 34 % , 薪炭材は約 33 % であるが , 用 材は秋田の杉 , 青森のヒバ , 木曽 のヒノキなどのような優良材をはし めとして長大材を産出し , 林産物生 産上重要な位置を占めている。さら に国有林は地理的に地に多く , 国 上保安上果たす任務は大きい。 ため , 国有林の経営にあたっては主 として林本生産に供する地域と , 主 として国上保安に供する地域などに 区分して , その目的に応する経営と 管理が行なわれている。都道府県有 林 , 市町村有林などの公有林や , 部 落有林など形式は私有であるが実質 的に公有に近い性質をもつ森林を合 わせると , 全森林面積の約 2 ( ) % を占 リンギョウ 林業 ( 補 ) 1964 年の日 本の立木伐採量は , 総 量 75077 千 m? , うち国 有林からは , 用材が 21489 千 m3 , 薪炭材が 3729 千 m 3 , 民 , 公有林 からは , 用材が 42421 千 m3, 薪炭材が 7438 千 m 3 となっている。 ヒノキの伐採 ( 木曽国有林 ) 上段左 , 木の 倒す側をおので刻み , 反対側からのこ ( 写 真ではチェーンソー ) でひく。のこがはさ まれないよう , また所定のち向に倒すため , 適当な長さに切られた木材は , 索道で連ば れる。右 , 運は・れた木材は , ・時的に山 場に集積される。下段左 , 山上場からトロ ッコに積み , 森林軌道で運ばれる。中 , ト ロッコは地形のこう配を利用して自走し , 山まで帰るのには , 数台を小型機関車 がひつばる。右 , 集められた木材は駅 f•_ 場 ( 写真は国鉄中央線 E 松駅 ) でしばらく放置 して乾燥させ , やがて需要地に送られる
9 7 域として知られている。北部は冬季 みうら三浦〔市〕神奈川県三浦 端まで約 2 ( ) km , 幅は中央部で約 l()km 。 三浦市 ( 補 ) 1966 年 6 月 , 市域北東部の三浦 半島南端の市。 1955 年三浦郡南下浦 , 乾噪の表日本式気候に属し , 諸産業 第三系の砂岩 , 泥岩 , 凝灰岩などを 海岸駅まで京浜急行線 三崎の 2 町と 1 村が合併して市制。 基盤とし , 複雑な地形をもつ。北部 の発達に適しているが , しばしばロ か・延長された。 人口 426 ( ) 1 ( 1965 ) 。東京 , 横須賀 , 逗 から中部にかけては低い丘陵性山地 風の害を受ける。 子などとバスで結ばれる。市街は で , 最高所は大楠響山 ( 242 rn ) , 南 〔産業〕近畿地方に属してはいるが , 三崎瀬戸にの 部は標高 7 ( ) m 以下の平たんな台地が 経済的にはとくに北部は中京経済圏 海食台地のがけ下と , 三崎瀬 ぞむ三崎港地区に発達する。 いすれも海岸までのび , 須賀 , 浦 に含まれるなど , 関西 , 中京の中間 戸には対岸の / 城ガ島と結ぶ城ガ島 賀 , 三崎などの良港がある。半島の 地帯をなすため , 人文活動一般を通 大橋がかかる。 193 ( ) 年魚市場が開設 して地域によりその形態は多様であ 東側に国鉄横須賀線 , 京浜急行線が され , 33 年漁港が整備された。京浜を 通じ , 南側と西側はバス交通に依存 る。第一次産業人口が全人口の 35 % ひかえてマグロ”カツオ遠 : 羊漁業基 を占め , 第二次産業人口が 30 % , 第 している。近郊農業 , 観光保養など , 地となリ , 水揚げ高が多く , 沿岸に 経済的には京浜地方との結びつきか 三次産業人口が 35 % となっている ( 19 魚市場 , 製氷所 , 貯汕所 , 水産加工 64 ) 。第一次産業中では農業の割合 リし、 〔松山〕 - ヨ = あふら 場が並ぶ。城ガ島 , 北の / 汕亜 - 。は , がひしように大きいが , 水産業に従 みえ三重〔県〕近畿地方東部の 東端の剣崎などは京浜の観光客が多 県。南北に細長く , 伊勢湾 , 熊野 事する人口は近畿地方第 1 である。 灘筅に面する。面積 5765. 81km2 , 人口 農業は米作中心で , 全耕地面積約 1035 い。また海食台地は三浦夕、、イコンの 1514467 ( 1965 ) 。県庁所在地は津市。 産地である。 km2 のうち水田が約 7 ( ) % を占め , 伊 〔尾留川〕 〔沿革〕かっての伊勢 , 伊賀 , 志摩 みうらあんじん 勢平野 , 上野盆地を中心に 22. 9 万ト 三浦按針 15 64 ~ 1620 徳川家康に仕えた英国人。 の 3 国と紀伊国の一部にあたり , 紀 ンの米を産する。サツマイ・モ , 麦類 , 伊以外の 3 国は大和 ? の開発ととも 本名ウィリアム・アタ、、ムズ W i lliam ナタネの産も多い。古くからの伊勢 に早くから開けた地である。平安時 茶は四日市 , 鈴鹿 , 亀山の各市で多 Adams 。 1598 年オランタ合団の航海 代に伊勢 , 志摩は伊勢神宮領 , 伊賀 く栽培され , また , 宮川流域の伊勢 長となり , 東洋に向かったが暴風に あい , 彼の乗髜 } リーフデ号のみが 16 は東大寺の荘園であったが , 平清盛 ダイコンはたくあんづけとして出荷 の全盛期に神宮領は平氏の支配下に ( ) ( ) 年豊後坐に漂着した。やがて同船 されている。県北部の工業化に伴っ の / ャン・ヨーステンとともに徳川 置かれた。南北朝 , 室町時代を通し て兼業農家は全農家の 88 % ( 1965 ) に 家康の信任を得 , 外交顧問的地位に て各豪族の割拠が続き , 豊臣秀吉が 増加し , 副業として松阪付近で肉牛 っき , とくに日英貿易の開始に大き 国内の統一を完成するまで , 北畠 , ( 松阪牛 ) 肥育 , 一志地方で伊勢表 , な貢献をした。相模国三浦郡逸見 仁木 , 一色 , 畠山などの諸氏が勢力 四日市市大矢知でそうめんの製造な ( 現横須賀市 ) に領地を与えられ , を競った。その間大湊は安南貿易な どが盛んに行なわれている。林業は , れにちなんで日本名を三浦按針 ( 按 どによって繁栄した。 16 ( ) 8 年以後伊 林野面積が県面積の 52 % に及び , 県 針とは水先案内人の意 ) と称した。 予から赴任した藤堂氏が伊勢の一部 南部には杉 , ヒノキの良材を産し , しかし家康の死後 , 幕府の方針が貿 と伊賀を所領し , その他江戸時代に 尾鷲付近では人工造林も進んでいる。 易制限へと変わって活躍の余地もな は松平 , 紀伊徳川氏の領 , 天領 , 大 水産業は , 伊勢湾のノリ , 桑名沿岸 く , 帰国の望みもかなわす , 日本で 神宮領などが交錯していた。 1871 年 のハマグリなどの貝類 , イセ工ビ の廃藩置県で , 安濃津県度ムわた 死去した。 タコ , 志摩半島の真珠養殖と海女 県ができ , 盟年安濃津県は三重県と みうらたまき 三浦環 1884 ~ 19 によるアワビ , サザェ採取 , 熊野灘の カツオ , プリ , イワシなど多様であ 改称し , 76 年度会県を合併して , 現 46 ソプラノ歌手。東京生まれ。本 る。工業では松阪もめんの伝統をひ 在の範囲となった 姓柴田。 19 ( ) 0 年東京音楽学校に入り , 〔自然〕南北に走る鈴鹿山脈 , 布引 く紡織工業が明治中期以後発達した 在学中日本人による最初のオペラ 山地と , 東西に走る紀伊山地を骨格 が , 第二次大戦後はその比重が低下 くオルフエウス > に主演 , 卒業後母 し , 一方 , 桑名から四日市 , 津にか とし , 東の海岸線は約 97 ( ) km の長さ 校の教師をへて , 10 年帝劇に招かれ をもつ。県の中央部を東流する櫛田 12 年までオペラに出演 , 以後ドイツ けて臨海工業地帯化が著しく進み , 川の谷が中央構造線とはは、一致し , に渡り , 15 年ロンドンでく蝶々 3 夫 石油化学 , 肥料 , ガラス , セメント , 輸 送機械などが紡織工業に加わった。 人 > に成功 , 以後欧米を中心、にオペ これによって内帯に属する北部 , 外 〔都市・交通〕県北部から志摩半島 ラ歌手として名をなした。日本のオ 帯に属する南部に分けられる。北部 北部にかけての平野嗇こ全人口の過 ペラ史上最初の国際的歌手で , とく は平地に富み , 東から伊勢平野 , - 丘 三重県の産業 ( 補 ) 県 半が集中し , 交通が不便で生産力の に蝶々夫人を得意とした 〔秋山〕 陵台地 , 鈴鹿山脈が南北方向に平行 北部では , 紡織工業や みうらばいえん三浦梅園 1723 低い山間部や , 人口が飽和状態にあ して並び , 県の北端に傾動地塊の養 桑名の鋳物 , 四日市の ~ 89 江戸時代の思想家。名は晋 , る上野盆地では , 人口の流出が著し 老山脈 , 鈴鹿山脈の西に上野盆地 万古焼 , 白子の伊勢紙 型などの在来工業のは ( 伊賀盆地 ) がある。丘陵台地は第三 い。桑名 , 四日市 , 鈴鹿 , 亀山 , 津 , あざなは安貞 , 梅園はその号。豊後 かに , 第二次大戦後鈴 松阪 , 伊勢 , 鳥羽各市の市街は , い 国 ( 大分県 ) 国東郡の医家に生まれ , 紀層および洪積層からなり , 畑作に 鹿市の旧海軍航空基地 若年より儒学 , 医学 , 天文 , 和算を すれも周辺に放在する農村の物資集 利用されている。伊勢平野は鈴鹿 , 跡に本田技研など機械 , 学び , 3 ( ) 歳にして「天地に条理ある 散を行ない , 亀山市を除いた各市は 雲出 , 櫛田などの河川による沖積作 繊維の工場ができ , 四 を知」り , 「反観合ー」という弁証法 用と , 海岸の隆起によって形成され 伊勢湾に面して多くの小漁業集落を 日市市では大協石油が 進出 , 三菱グループに 的方法を駆使して自然の法則性を追 もっている。他に上野盆地に上野 , た形の整った平野で , 県の主要な産 よる石油化学コンビナ 求し , 独自の哲学体系をうちたてた。 業活動の舞台をなし , 都市の発達も 名張の 2 市 , 熊野灘に面する尾鷲 , ートも建設されて伊勢 2 回の長崎旅行以外ほとんど一生故 著しい。県の南部は平地に乏しく 熊野の 2 市がある。県北部は , 古く 湾工業地帯が形成され 郷の寒村で著述にはげみ , 主著く玄 外帯の山地と沈降海岸に面した小さ から大阪と名古屋を結ぶ交通路の中 ている。これによって , な低地が特徴である。開忻のすすん 語〉 ( 1775 ) は 23 回も稿を改めた。ほ 間に位し , 国道 , 国鉄関西線 , 近畿 製品出荷額では石油化 「 . かにく贅語当、、 > , く敢語 > ( 以上を梅園 だ大規模な紀伊山地は森林資源に富 日本鉄道各線が通し , 伊勢湾にのぞ 学を主とする化学工業 語とよぶ ) , 経済論の <flttj 原 > など み , 隆起海食台地の志摩半島は , 水 む平野部も国鉄参宮線 , 参宮道路 , が 24 % , 機械関係 25 % , 繊維関係 20 % ( 1963 ) と 多くの著書がある。 〔長谷〕 産養殖と風景美て知られ , また熊野 三重電鉄線が発達している。これに みうらはんとう 三浦半島神奈 灘沿岸は , 典型的なリアス海岸で良 対して南部は近年の国鉄紀勢線全通 なお , 名四国道 , 名 によって中京 , 東京との距離は著し Ⅱ県南東部に突出し , 浦賀水道を隔 港に恵まれ , 水産業が盛んである。 阪国道 ( 1965 年亀山 ~ てて房総半島と相対し , 東京湾と相 気候は南部が高温多湿の南海式気候 く縮まったが , それでもなお山地に 天理間開通 ) なども整 莫湾とを分ける半島。基部から先 で , 尾鷲第せ地域は日本有数の多雨地 妨げられ , 一般に交通は不便である。 備された。 三浦按針の墓。病没の 地である平戸の三浦家 の裏に立てられたもの
けではない。 この国は 4 ~ 5 世紀ま では東西交通の要地を占めて栄えて いたが , その後は衰え , 7 世紀の半ば に玄奘うが通過したときにはまった く荒廃していた。その遺跡は 1900 年 にヘディンによって発見され , それ よりスタインや大谷探検隊の調査が 行なわれて , 多数の遺物が発見され ことに 780 通をこえる文書は楼蘭 の盛時をよく伝えている。〔山口〕 ローエング、リン Lohengrin ワ グナーのオペラ ( 3 幕 ) 。台本は中世 の聖杯伝説および白鳥騎士伝説など に基づいて作曲者自身が作成。 1850 年ワイマルでリストの指揮により初 演。ワグナーのオペラ改革の最終段 階に至る過渡期の傑作で , これまで の「番号オペラ」の型を脱して無限 碇律と示導動機が強調された。第 3 幕で歌われるく婚礼の合唱〉は , 結 婚式の音楽としてよく知られている。 / ( 別刷 ) オペラ 〔あら筋〕 10 世紀のドイツ国王ハインリヒ 1 世の宮廷が舞台。プラバント公の遺子工 ルザ姫は代官テルラムントによって , 弟殺 しの無実の罪をきせられたとき白鳥にひか せた小舟にのって現われた騎士ローエング リンに救われて結婚する。しかし工ルザ姫 が約束にそむいて彼に名と身分を問いただ したため , 彼は神としての力をもった聖杯 の騎士であることをあかして別れていく。 〔植村〕 ロカ〔岬〕 Roca リスポンの西 方約 30 にあって , ユーラシア大陸 の最西端 ( 9 。 30 ' W ) をなす。大西洋 上に突出した高さ 170m の花コウ岩 の絶壁の上に灯台があり , またポル トガル最大の詩人力モーンイスの碑 があり , 「ここに大地終わり , 大海始 まる・・ ・・」の有名な詩句が刻まれて いる。 合は液柱の高さに相当した圧力差し のが作られている。しかし , この場 細菌用などに応して種々の性能のも 性分析 , 定量分析 , 微細沈殿の分離 , / ろ紙はその使用目的 , たとえば定 紙 ( ろ材 ) と漏斗がふつう用いられる。 ぶことが重要である。実験室ではろ それぞれ適当なろ材 , ろ過方法を選 ある。したがってその目的に応して , するような場合は両者とも無価値で 必要で , 工場廃水を清浄にして廃棄 するような場合はろ液 , ろ塊ともに たふつうの塩類結品を母液から分離 製造などではろ塊が必要である。ま ため , ろ液が重要であり , 無機顔料 どの場合は清澄なろ液をうる目的の ーっである。飲料水 , 酒 , ビールな ひしように多く使われている工程の いう。ろ過は重要な操作で , 工業で といい , ろ材を通った液体をろ液と の上に残った固体をろ塊またはろ滓 この場合の多孔性物質をろ材 , ろ材 ことによって両者を分離する操作。 を通過させ , 固体の通過を阻止する 合物を , 多孔性の物質を用いて液体 ろか濾過固体粒子と液体の混 5 8 7 かないので , 微細粒や粘性の大きい 液体のろ過には時間がかかる。この ような場合には吸引ろ過が行なわれ る。吸引ろ過の場合にはふつうの漏 斗の代わりにプフナー漏斗 , グーチ るつほ , ガラス漏斗 ( ガラスの細粒を 半ば融着させたものをろ材とする ) などが用いられ , ろ紙のほかに石綿 ( アスベスト ) も用いられる。工業的 にもこの操作は鉱石泥漿よ , セメン ・ト , 結晶や塩類 , 顔料 , ワニス , ショ 糖汁の清澄など種々の場合に用いら れるが , 工業的なろ過器にはフィル タブレス ( 圧ろ器 ) , 葉状ろ過器 , 連 続ろ過器などがある。ろ材は綿布が ふつうであるが , 羊毛布 , 絹布 , 合 成ろ材 ( ポリエチレンその他の合成 繊維のろ布 ) , 金属網なども用いられ る。特殊なろ過器としては細菌のろ 過 , 汚水の飲料化に用いられる素焼 圧力ろ過器 , 薄板を多数重ねて圧搾 した堆積層でろ過のやくめをする流 線ろ過器などがある。ろ過の困難な 場合にはろ過助剤を用いることがあ る。ケイ藻土およびこれを主体にし たものが多いが , 炭粉末 , 紙バルプ , 石綿 , 酸性白上なども使われる。助 剤はろ材面に作用する場合と , ろ過 しようとする混合物に混入する場合 とがある。 〔落合〕 が最初である ( / 蓄音機 ) 。その後こ の円筒はロウ管に変わり ( ロウ管式蓄 音機 ) , しばらく一般に使用されたが , 87 年円盤式レコードが発明された。 これは円盤に音溝を刻み , これをめ っきして金型を作り , これによって プレス作業でシェラック円盤を作っ たが , 最近のものはますアセテート 盤に音溝を刻み , これをめつきして 金型を作り , ビニルをプレスして L P 盤を作っている。 / レコード 〔光学録音〕写真のフィルムに音を 光学的に録音し , これを再生するこ とは 19 ( ) 5 年に E. ルーマーがアーク灯 の光を電話電流で変調してフィルム 上に音波の波形に応した濃淡の記録 をうることに成功したのがはじまり で , その後真空管増幅器の発明とマ イクロホンの発達により映画の映像 と結合してトーキーが生まれ今日に 及んでいる。光学式録音には 2 種あ り , いすれもきわめて細いスリット の像をフィルムの上に結ばせ , その 像の光量を音の強弱に応して変化さ せるものである。スリット全体の光 量を多くしたり少なくしたりするも のを密度式とよび , スリットの全長 のうち光のあたっている部分の面積 を変えることによって光量に変化を 与えているものを面積式とよんでい る。ウェスターン・エレクトリクは 密度式を採用し , R C A は面積式を 用いている。このように光量あるい は面積が変化させられると , そこを 通って一定速度で動かされたフィル ムに像が焼き付けられる。この像を サウンドトラックとよんでいる。再 生の場合はこのサウンドトラックに スリットの像をあて , 通して出た光 が , 密度 , あるいは面積によって変 化させられるのを光電管で受けて音 にするのである。この録音も専門家 のみによって行なわれているから , 録音機はいすれも高価なもので , あ まり市販はされていない。 / 映画 〔磁気録音〕磁気的に録音をするこ とは 1898 年にデンマークの V ノヾウノレ センが鋼線を用いて行なっているが , 当時は電流の増幅が困難であったた めそのままになってしまった。第二 次大戦中 , ドイツでプラスチックテ ープに磁性鉄粉を塗りつけたものを 使用したいわゆる / テープレコーダ が発達し , 戦後米国で改良されひし ように品質のすぐれた録音が得られ るようになった いちど録音したも のが不要になれば消去してふたたび 別の録音が可能であるという便利な 性質があり , 一般の人でも自由に使 用することができる。しかしテープ レコーダは巻戻操作を必要とし , 希 望の録音場所を即座に見出せないこ と , 掛替えがめんどうなことなどの 欠点をもつので , テープのかわりに シート状の磁気録音体を使用するシ ートレコーダが日本で考案された。 ロクオン 楼蘭 ( 補 ) ヘディン以 後の楼蘭の調査は , 19 ( ) 6 年スタイン , 08 , 1 い 年大谷探検隊の橘瑞超 , 14 ~ 15 年ふたたびスタ イン , と続くが , スタ インの発見した , 古代 インドで行なわれたカ ロシティー文字でしる されたおびただしい「カ ロシティー文書」は , 大部分が木簡に書かれ , 王の命令 , 個人の書簡 , 契約書など多種豊富な 内容を誇っている。ま た橘の発掘した中で重 要なのは , 前涼の西域 長史李柏の手紙の草稿 とされる「李柏文書」 であった。そして精密 な検討の結果 , 本書の 成立年代は 328 年 5 月 7 日と断せられた。 磁気シート / 録音 れたシードを再生する 転し , 円弧状に録音さ 順次 3 個のヘッドが回 のトラックを走査し , ると , 次のヘッドが次 トラックを走査し終わ ー・ - つの、ツドカぐー - ・つの シートレコーダの一例。 の磁気録音体で行なう 録音と再生をシート状 ロカルノじようやく口カルノ条 約 1925 年 10 月 16 日スイスのロカル ノ L 。 carn 。で結ばれた欧州諸国間 のいくつかの条約で , ベルサイユ条 約の確認 , 中部ョーロッパの安全保 障を内容とする。そのうちドイツ , ベルギー , フランス , 英国 , イタリ ア間で結ばれたラインラントの現状 維持に関する相互保障条約がもっと も重要で , この条約だけをロカルノ 条約とよぶ場合が多い。 これはベル サイユ条約で定められたフランス , ドイツ , ベルギー間の国境の尊重 , この 3 国間の相互の不侵略 , 不戦な どを約し , 英国とイタリアがその保 障を約束したもので , この条約実施 に伴い , 26 年ドイツの国際連盟加入 が実現した。この条約によってベル サイユ体制の安定 , 欧州の国際協調 がもたらされたが , ドイツの東方に 対する侵略の危険防止という点では 不十分だったのでソ連の不満を招い た。 36 年ヒトラーはこの条約を廃棄 , ラインラン : トを再武装した。〔斉藤〕 ローガン〔山〕 Logan カナダの 北西部 , セントエライアス山脈の最 高峰。標高 6050m でカナダの最高点 , 北米第 2. 位。 1925 年マッカーシーら が初登頂。南西 30 のセントエライ アス山 ( 標高 5489m ) と対立する。付 近は氷河の発達がみごとである。 〔戸谷〕 ろくおん録音任意のときに再 生ができるように音を記録すること を録音といい , 1877 年にエジソンが スズ箔をはった円筒に録音をしたの
五カ瀬 , 耳 ( 美々津 ) , ッ沖頁 , : 大 : 定よど たが , 近年はきわめて珍しい鳥とな 色は紫 , 桃色 , 白など。繁殖は株分 などの諸河川が , 広大な中生層の中 くちば け , さし芽によるが , 種子もできる。 った。カラスよリは・小さい。 部山地帯を刻んで東に流れ , 多雨気 しは長くて朱赤色で先のはうは黄色。 原種は九州 , 根などの山中の樹陰 候とあいまち豊かな電源地帯を形成 に自生する夏咲きのキク科の多年草 頭からくび , 背にかけてと翼の大部 している。また五カ : 頼川の谷には上 で , 高さ 3 ( ) ~ 6()cm 。走茎を出してよ 分は黒色 , 背の後方と翼の一部 , 下 く繁殖する。花色は紫または白色で 面は白色。尾も白いが先は幅広く黒 流から阿蘇火山の泥質溶岩が流入し ている。県の南端に中生界の鰐塚 色。東部ンべリアで繁殖し , 1 ( ) ~ 11 〔浅山〕 ある。 山地と第三系の鵜戸地塊がある。 月ころ飛来し , 4 ~ 5 羽の小群にな みやざ宮座宮仲間 , 宮講とも 平野は各河川の流域と海岸に発達し , いう。一般の神祭のように神社の氏 って干潟でえさをあさる。 ュリカモメは東京その他関東地方 最大の宮崎平野は洪積台地とそれに 子が神官をたて , 平等な権利義務を 続く海岸の沖積地からなる。霧島火 では昔から都鳥とよばれ , そのはう もって参与するのではなく , 氏子の 山の東ろくに都城 , 小林 , 真幸の が通りがよいくらいである。カモメ なかの一部のものが特権的に神事に 科の鳥で , カラスよリ小さい。白く あすかるしくみ。その構成員は一定 諸盆地が並び , その周辺にはシラス 台地がある。海岸は出入に乏しいが て , くちばしと脚は赤いが , 4 月こ の家格のものの世襲で , そのなかか ろから頭が黒くなる。く伊勢物語〉で 県北と県南に小屈曲があり , 細島 ( 日 ら神事をつかさどる頭屋 ( 頭屋の 向市 ) , 油津 ( 日南市 ) などの港が発達 「名にし負はばいざ事とはむ都鳥わ 戸主は頭人という ) を出す。頭屋は する。気候は黒潮の影響もあり温暖 が思ふ人はあリやなしやと」と在原業 最長老が選ばれる場合もあるが , ふ 多雨で , 年平均気温 16.6 ℃ , 年降水 つう一年神主とか年番神主ともいわ 、声ありわらの のよんだ都鳥は , このユリカ ーイーなりひら 量 2526mm に及び , 表日本式当て候を呈 れるように年々交替で , その選定は モメである。万葉集の大伴家持はの 年齢順 , 家並びの順 , みくしなどで この鳥が文 する。気温は南部海岸地帯がもっと の歌に都鳥とあるのが , 献にみえる最初とされるが , この場 決まる。ーっの宮座は経験と年齢で も高く , 青島その他に熱帯 , 亜熱帯 年寄と若衆に分かれ , また地区によ 植物が繁茂する。降水量は中部山地 合の都は , 難波翕にであるといわれて り南座 , 北座 , 職能により御幣ミぃ座 , がもっとも多い。また台風の襲来が いる。冬鳥でオホーック海北岸 , 樺 太などで繁殖し , 北海道をへて日本 御酒座などに分かれるところもある。 多く , しばしば大被害を受ける。 〔産業〕農林業が産業別人口 ( 196 ( ) ) 各地に飛来する。河口 , 入江から川 , 宮座は専門神官のいなかった時代の 掘割とだんだん奧にはいっていくの 村の祭祀こい組織のおもかげをとどめ の 51 % を占める農業県で , 全国平 るもので , 祭司の役割をになう頭屋 が特徴。 / ( 別刷 ) 鳥類 均と比べて第一次産業 ( 52.5 % ) の占 〔高島〕 みやこのじよう都城〔市〕宮崎 はきびしいタブーを守らねばならな める割合が著しく高い。したがって 都城市 ( 補 ) 1965 年 4 月 , 北諸県郡荘内町を 第二次産業 ( 16.2 % ) は低く , 工業化 県南部の市。霧島火山南東ろくの都 このしくみは 15 世紀ごろから文 編入した。 献に現われる。村の神社が同族の間 城盆地を占め , 国鉄日豊線が通し , の遅れを示している。農業は農家数 同吉都 , 志布志両線が分かれる。 で祭られていたころは , 神事から除 約 I(). 5 万 ( 1965 ) , 耕地面積 891.17km2 かれる村民はいなかったが , 15 世紀 で , 水田が畑地よりもわすかに広い 1924 年市制。人口 108220 ( 1965 ) 。市街 ごろ離村入村が激しくなり家格の変 主要農産物は全国第 2 位のサツマイ は島津氏発祥の地で , 鹿児島に本拠 を移したのちも支藩のおかれた旧城 モ 64 万トン , 米 14.4 万トン , 麦 1. 5 動が生じたため , 従来の祭祀団がそ 下町。県南部の中心都市で商工業が の伝統を保っために封鎖的な組織を 万トンで , 米麦は県内自給ができる。 発達し , また良質の米と茶の産で知 作ったものである。今も近畿 , 中国 , サツマイモは食用のはかデンプンや られる。麻紡績 , 生糸 , ハム , ソー 九州などの一部で , 直会を中心と アルコールの工業原料になる。その する神祭を行なっているが , 第二次 セーージ , かん詰などの工業が行なわ 他中部以南の海岸地帯では , 無霜に れるはか , デンプン , 木材工場が多 大戦後急速に衰えた 近い温暖気候に恵まれ , 野菜の早期 〔坪井〕 みやざき宮崎〔県〕九州の東部 , く , 特産に木工 , 土木用工具の柄木 栽培が盛んで , カボチャ , キュウリ , ( 全国一 ) やビロウうちわがある。庄 日向灘に面する県。面積 7732.51 ナス , トマト , スイカなどを北九屮 l•l km2, 人口川 8 ( ) 692 ( 1965 ) 。県庁所在 内川の甌穴鵲群 ( 天然記念物 ) と関ノ や阪神地方へ出荷する。また冬の乾 尾滝 , 母智丘の桜並木などの名所 地は宮崎市。 燥した西風を利用して切干しダイコ 〔沿革〕かっての日向国で , 日本建 があり , 近くに / 霧島国立公園をひ ンを生産し , 県外に出荷する。盆地 や山地では茶 , タノヾコ , ラミーなど かえている。 〔土井〕 国にまつわる数多くの伝説がこの地 みやこわすれアズマキ、クともい に付会されている。古墳が全県下に を産し , 霧島山ろくでは近年古くか うカヾ , 正しい名はノシュンギク。 分布しているが , 発見された多くの らの馬に代わって酪農が発展しつつ ヤマヨメナの園芸品。切り花やはち ある。台風を避けるため , 水稲の早 古墳は , そのほとんどが 5 世紀以降 大津市樹下神社の宮庫。 物としての栽培が多い。高さ 30cm , 期栽培が急速に普及しているが , 生 のものとみられる。平安時代の荘園 5 月 15 日の祭りの夜に 6 人の頭屋が並んで祭 5 月にヨメナに似た花を開くが , 花 産性や動力農具の装備は , 全国的に は , 都城 t 新のを中心とする島津庄や 儀をとり行なうところ みてかなり遅れている。森林面積は 字佐神宮領など広大なものが発達し 総面積の 73 % も占め , 林業は九州各 たが , 鎌兪時代には , 地頭職に補さ 県でもっとも盛んである。南部を中 れた上豪がその地位を得た。近世に 心に国有林が比較的多く , 有名な飫 は島津氏の鹿児島藩をはしめ , 飫肥れ 高鍋、延岡 , 佐土原 , 人吉の諸藩 肥杉をはしめ針葉樹は南部に集中す る。北部と中部は広葉樹が主である。 が分割統治した 1871 年の廃藩置県 奧地未開発林も広いが , 用材のはか , で 7 県が置かれ , 73 年統一されて宮 木炭やシイタケの産が多い。水産業 崎県となり , 一時鹿児島と合併した は県北の巾着く網と , 県南の油津 が , 83 年ふたたび分離されていまの を中心、とするカツオ , マグロ漁業が 宮崎県が成した 〔自然〕祖母山 , 国見岳 , 市房山 主で , イワシ , アジ , サバが総漁獲 高 3. 9 万トンの 79. 2 % にのは、り , また 一部火成岩か など , おもに古生層 , らなる険しい九州山地が北西部を南 カツオ , マグロ , トビウォ , タイ , 北に走り , 南西端にある韓国響岳 , プリなども漁獲する。鉱業では北部 高千穂峰などの霧島火山群に続く 山地の種峰 ( 銅 , 硫化鉄 ) , 秋元 ( / 霧島山 ) 。これらの分水れいから ( 炉材ケイ石 , マンがン ) , 嘉納 ( マン ミヤコワスレ を盟を
藩置県で , 版籍奉還後っくられてい ろくが指定されているが , あまり進 た仙台 , 角田 , 登米 : の 3 県を合併し 展していない。林野面積は 450 ( ) km 2 で て仙台県とし , 翌年宮城県と改称し , 東北 6 県中最低であり , 広葉樹林の 割合が多く , 木炭以外は生産がふる さらに範囲をひろげて現在にいた わない。水産業・は金華山沖の漁場を 〔自然〕奥羽山脈が西側にそびえ , 東にひかえ , 漁獲高は約 25.6 万トン ( 1964 ) で東北 6 県中首位を占め , そ 北東部には北上山地南部の丘陵性山 地が南北に走り , その先端は牡鹿をか の半ばはサンマである。カツオ , マ 半島となって太平洋に突出している。 グロの水揚げも・多いが , 経営の大部 また阿武隈高地が県の南端を占め 分は零細である。漁港は塩釜 , 気 仙沼矗んなど全国的規模のものをは もな疾患としては , 中耳炎 , 内耳炎 , ている。県中部の仙台平野は , 松島 耳管閉そく , 鉛やニコチンなどの中 じめ , 女川 , 石巻 , 渡波 , 閖上 - 丘陵によって北の仙北 , 南の仙南平 毒 , 婦人科疾患 , 心臓および血管の などがある。カキ , ノリなど浅海養 野に 2 分され , 北は北上川 , 迫ざ川 , 殖も , 松島湾および三陸海岸で盛ん 疾患などがある。まれに耳鳴りを他 江合川 , 鳴瀬川の沖積平野 , 南は阿 で , 松島湾の種ガキは対米輸出品と 人が聞くことができるものがあり , 武隈川 , 名取川 , 七北田の平野で なっている。鉱業は県北西部の細倉 . これを他覚的耳鳴りといい , 内耳付 ある。仙北平野は低平で , 貝塚が内 に日本第 2 位鉛 , 亜鉛鉱山があり , 金 陸部の奧深くまで存在しており , 先 近の血流高 : や耳小筋のけいれんなど 〔河村〕 は東の北上山地の大谷鉱山 , イオウ 史時代にはその一部が海であった による。 は鳴子に産する。亜炭の埋蔵量が多 モサ、 mimosa ミモサは / オジ とを示している。仙南平野は盆地性 いが , 鉱山はいすれも小規模である。 キ、ソウなどの属名であるが , 俗称ミ で , 角田 , 白石 , 村田などの盆地が モザという / アカシアは , ハナアカ 工業面では中小企業が圧倒的に多く ひらけている。北上山地の東海岸は シア ( ギンノヾアカシア ) である。オー なかでも水産加工業がその大半を占 リアス海岸であるが , 牡鹿半島の西 ストラリア原産の高さ 15 m の常緑高 める食料品工業の工場が , 全工場の からは砂浜海岸が福島県境まで続き , 4 ( ) % を占めている。これらの水産加 木である。花は黄色をなし , 30 個の その中部に松島丘陵の先端にあたる 工工場は漁港都市に集中している。 小花が集合して球状の 1 個の花にな 沈降性の松島湾が方形にくいこんで 大規模な工業としては石巻のパルプ . る。 2 ~ 3 月に咲くので , 冬の切リ いる。気候は東北 6 県中では比較的 仙台の特殊鋼 , ビールなどがあるに 温暖で , 仙台での年平均気温は 11.2 花として , 房州や伊豆などの暖地の すぎず , 化学 , 機械 , 金属工業は立 露地に栽培されている。実生 1 年苗 ℃。西の奥羽山脈の影響で , 冬季は を定植するが , 2 年苗以上は移植し 快晴が続き雪は少ない。奥羽山脈上 ちおくれ , 工業地帯も形成されてい にくく , 種子は 15 分間煮沸してから の火山蔵王要ぅ , 船形などは雪が多く , 仙塩総合開発特定地域が指定 まけは、よく発芽する。 され , 工業立地条件の整備がはから 冬は樹氷ができる。夏は南ないし南 〔浅山〕 みやいりがい〔宮入貝〕殼の高 東の風が吹き , 山形 , 福島 , 盛岡の れているが , 港湾や工業用水の条件 さ 8 mm, 直径 3 rnm くらいの小形の淡 各市より最高気温は低く , 降水量も がととのわす , その造成は遅々とし 水産巻員。殼の表面はかっ色で各螺ら 多い海洋性気候を示している。 ている 層は丸くふくれている。茨城 , 静岡 , 〔都市・交通〕県中央部にある仙台 〔産業〕耕地面積 143 ( ) km2 で , その 山梨 , 岡山 , 広島 , 福岡などの諸県 うち水田は約 76 % を占め , 牧野およ 市は人口約 48. 1 万で東北第 1 位であ の水田ゃあせのみぞなどから知られ り , 他に塩釜 , 石巻 , 気仙沼の漁業 び林野面積が少ないので , 農業の重 ている。この員は / 日本住血吸虫の 都市と , 農村に囲まれた古川 , 白石 点は水稲栽培に置かれている。この 中間宿主で , これによる病気ははじ 名取 , 角田などの小中心都市がある 傾向は藩政時代からあり , 各河川下 め広島県の片山地方の風土病として 国鉄東北本線が白石 , 名取 , 仙台 , 流の低湿地の十拓が古くから行なわ 知られたため片山病といわれ , この 塩釜を連ねて北に抜け , 古川 , 石巻 れており , 明治以後も水田増加政策 員をカタヤマガイともいったが は県中央部を南東 , 北西に抜ける が進められてきた。仙北平野は排水 れを研究した宮入慶之助の名からミ 羽東線と石巻線の 2 国鉄線で結ば 不良地帯が多く , 無数の沼が散在し ャイリガイというようになった 仙ロ , 塩釜 , 石巻は同仙石線によっ ていたが , その多くは干拓されて消 て連ねられる。気仙沼は岩手県の 〔奥谷〕 失した。米の生産高は 482 ( ) ( ) ( ) トン ( 19 関から同大船渡線が通している。ま みやぎ宮城〔県〕東北地方中部 , 64 ) で , 東北 6 県中 , 秋田県の 56.6 万 宮城県 ( 補 ) 仙台 , 塩 た仙北には宮城 , 、スと宮城中央交 トンに次ぎ , 仙南の一部では裏作も 釜 , 石巻を中心とする 太平洋側の県。面積 7285.71km2 , 人口 仙台湾臨海地区が新産 行なわれている。畑作物では大麦 , の軌道があり , それぞれ瀬峰 ~ 登オ 1753126 ( 1965 ) 。人口密度は 24 ( ) 人で , 業都市に指定され , 発 他の東北諸県よりはるかに高い。県 間 , 石越 ~ 細會間に通じている。 小麦 , ジャカ、、イモ , サツマイモ , 大 展している。 庁所在地は仙台市。 庁所在地の仙台には国立東北大学 豆などが主である。野菜類では仙台 国鉄丸森線 ( 福島 ~ 〔沿革〕大化改新後陸奥 g 国となり , ハクサイの名が高く , また冬にはホ はしめ九つの大学があり , 東北の文 槻木間 56km ) の新設工 現在の多賀城町に陸奥国府が置かれ , 化の一中心地になっている。また叶 ウレンソウがかなりとれ , 北海道に 事が進行中。 軍政の根拠地となった。 9 世紀には 移出している。しかヒ他の野菜類は 央官庁の出先機関 , 中央商社の支 いって東北経略の拠点は北の胆沢 比較的少なく , 仙台の消費を十分に がここに集まり , 政治的 , 経済的 ( に移ったが , 多賀城は平安時代前期 まかなえす関東から移入している。 もその中心となっている。 を通じて政治の中心、であった。平安 〔観光〕日本三景の一つの松島や , 白石付近の挑 , 利府のナンのはかは 時代後期からは , 奧州藤原氏の勢力 果樹栽培も活発ではないが , 亘理 東北農民の信仰の対象であった金 山をもち , また西部の山地は南の / が強大となり , この地の東北地方に 郡の海岸 , 石巻付近の海岸の砂丘地 おける中心的地位は衰えた。源頼朝 にはリンゴ , ナシ , ブドウが栽培さ 原から北の駒ノ湯まで豊富な温泉 : の藤原氏討伐後 , 葛西気、氏が奥州総 恵まれている。蔵王国定公園をは れ , また小牛田えご付近の水田中にも 奉行として石巻に居城し , 戦国時代 め , 奥羽山ろくには冬のスキー ブドウ , ナシの栽培地が若干みられ の紅葉 , 夏の登山の適地が多く , には古川に根拠地を置く大崎氏 , 仙 る。源平時代には名馬の産地であっ 台平野南部に勢を伸ばしてきた伊 形県へぬける蔵王工コーラインは たが , 現在は牛 5. 7 万頭 , 馬 9 ( ) ( ) ( ) 頭 達 , 相馬両氏がこれに加わって争 くに利用者が多い。また , 県北部 が役用に使われ , 乳牛は 3. 4 万頭に 乱が続いたが , 1600 年以後 , 仙台の 海岸は / 陸中海岸国立公園に属し 増加した。集約酪農村区として , 北 伊達氏が政をしいた いる。桜の名所阿武隈川の槻木 1871 年の廃 西部の栗駒呂山地と南西部の蔵王山 2 を ( ハナアカシア ) ミャイリがイ
ムクドリ 1 9 3 ちらに属させるべきかはっきりしな いような物質もある。無機化学は対 象として無機物質を取り扱うが , そ れ独自の学問体系があるわけではな い。内容的には無機物の合成 ( 金属 の精練 , ヤ金なども含む ) , 構造化 学など広い意味の物性論 , 化学平衡 論 , 反応論などが含まれ , 有機化学 に比べやや理論化学的色彩が強い。 無機化学におけるいくっかの基本的 な概念は元素の周期律 , 金属と非金 むぎ〔麦〕イネ科のコムギ , オ オムギ , ライムキ、 , 工ンノヾク ( 各項参 属元素 ( 現在では典型元素と遷移元 素に分類し , 全元素の系統化が行な を神社の麦わらへビカヾ知られ , のち 照 ) を総称してムキ、類という。食料 , われている ) , 単体と化合物 , 元素の 同しく大森の麦わら細工が名物にな 飼料その他の利用面で重要な作物で 電気陰性度 , 化合物の化学結合性と った。大森ではトラなどの動物や , ある。とくにコムキ、はイネとともに 物性との関係 ( 気体 , 液体 , 固体の別 , がらがらやラッパなどのがん具をつ 人類の二大食料植物である。 イオン結品 , 半導体 , 金属 , ガラス 〔世界の麦作〕最近 5 ( ) 年間の世界総 くったり , 小箱にはったりし , 大き 質など ) , 反応の面では , イオン反 な細工をつくって見せ物にもした。 生産量の推移をみると , 小麦作の発 展が著しく , その生産量は約 2 倍に 応 , 酸 , 塩基と酸化遠元などである。 また兵庫県城崎温泉の麦わら細工 も名高い。 / 、別刷 ) がん具〔山田〕 応用分野は無機化学工業 ( 硫酸その 栽培面積は 50 ~ 6 ( ) % 増になった。と くに農業技術の進歩に伴い , 面積当 他の無機化学薬品 , 肥料 , ガラス , むくげ高さ 3 m に達するアオイ セメント , 耐火物 , 磁性材料など ) , 金 科の落葉樹で , 古く中国から渡来し , り収量が , 第二次大戦後急激に増大 庭木やいけがきに植えられている。 した。大麦は徐々にではあるが発展 属の製練や加工など。 〔落合〕 むぎこがし麦焦大麦をいり , 木は直立してよく分枝し , 木はだは しているが , ライムギ , 工ンノヾクは 灰白色を帯びる。葉は多くは 3 裂し ひきうすでひいて粉末にしたもの。 衰退の傾向にある。小麦は農作物中 て不正歯がっく。夏秋のころに葉腋 「はったい」あるいは香煎えともい 最大の栽培面積をもち , 世界耕地の に花をつけ , 花は径 5 ~ 6 で 1 日 う。砂糖を加えて食べてもよいが , 23 % を占め , これに続く稲の 13. 9 % , 熱湯を注いで , どろどろにして食べ でしばみ , 5 弁または八重咲きで , トウモロコシの 1 ( ) % , 工ンノヾクの 紅紫色 , 白色 , 底紅などの品種があ るのがふつうである。農村ではもち 3. 6 % , 大麦の 3. 7 % , ライムギの 4. 6 ろん , 都会でも , かなり近時まで普 る。白花品のつほみを干したものを % などを大きく引き離している。大 木槿花といい , 胃腸カタル , 腸出 及していたが , 現在では菓子の原料 , 麦は欧州が古くから生産の中心であ 〔大井〕 とくに麦落雁禀えのもとにされること 血 , 下痢などに用いる。 ったが , 最近はしだいに衰退の傾向 が多い。群馬県館林の「麦落雁」 , 岐 むくどり〔椋鳥〕燕雀く目ム にあり , 北米が増大傾向を示してい 阜県高山の「印譜落雁」などが知ら クドリ科の鳥。ッグミくらいの大き る。またアジアは 19 30 年以降 , 世界 れている。 / ( 別刷 ) 和菓子〔富永〕 さ。頭は黒く顔は白い。腰の白いは 最大の生産高を示し , ほとんど自給 かは全体灰かっ色で , 脚は黄色。雌 作物として作られている。ライムギ むぎちゃ麦茶麦湯ともいう。 は雄よりも淡色。日本各地にみられ オオムギやハダカムギを玄粒のまま はソ連が - 世界栽培面積の 57 % を占め る留鳥。ただし北海道と東北地方で よくいったものを煮出した , こうば ている。ェン / ヾクは北米 , ソ連 , 欧 は夏鳥。平地にすみ , 冬は大群をな しい風味のある飲料。昔は 5 ~ 6 月 州が多く栽培し , 世界の大部分を占 して暮らすが , 春になると 1 対ごと ころ , 新ムギで作り , 冷やして夏季 めている。なお , 日本の麦作の現状 に別れて繁殖する。樹洞や建築物 の飲料として用いられた。煎第茶の を 64 年生産額についてみると , 大麦 のすきまなどに営巣するので , 巣箱 ように使用のたびごとに湯を注ぐめ 約 81 万トン , 小麦約 124. 4 万トン , もよく利用する。地上や木の枝の上 んどうがなく , 一時に大量を作って ェンノヾク約 12. 1 万トン , ライムギは ではよく走る。雑食性でムクノキ , おけるので便利である。一般に夏季 きわめて少なく 1560 トンにすぎない。 ェノキ , ハゼノキ , センダンなどの の清涼飲料の代用として飲まれ , と 〔武田〕 むぎ牟岐〔町〕徳島県南部 , 海 実を食べ , またこん虫 , クモ , 淡水 くに生水の飲用不適の地方や幼少年 産巻員などをついばむが , こん虫や 部、郡の町。人口 919 ( ) ( 1965 ) 。市街 者向きのふだんの飲料として利用さ は太平洋岸にある漁港で , 沿岸 , 沖 その幼虫を食べる分量が多い。秋冬 れている。 〔川島〕 合漁業のほか , 遠洋漁業の根拠地で むぎわらざいく麦藁細工麦わ は水田でイネの刈株に潜むニカメイ もある。国鉄牟岐線の終点で , 以西 チュウを捕食したりするので , 1 年 らをさき開いて色染めなどして , 組 は室戸を経由して高知県の安芸市ま を通じて害虫退治のてがらは大きい。 んだり , はりつけたりする細工物。 でバスで連絡している。黒潮に洗わ 享保年間 ( 1716 ~ 36 ) に , 江戸駒込富 〔高島〕 れる海岸は八坂八浜の景勝地をつく り , また沖の出羽島では漁業のほ か , 観葉植物の露地栽培が試みられ 〔寺戸〕 ている。 むきかがく無機化学物質は通 常 , 便宜的に無機物質と有機物質と に分けられている。有機物質は炭素 原子を主体とする化合物 ( 一酸化炭 素 CO , 二酸化炭素 ( 炭酸ガス ) C02 , 炭化物などは除く ) で , それ以外の 金属および非金属元素およびその化 合物を無機物質といっている。しか しこの区別は明確ではなく , 有機金 属化合物 , 有機金属錯化合物などど ムクドリ ムクゲ 麦わら細工の作品例。 左は東京大森のトラ , 右は同しく駒込のヘビ
ミキモトコ 1 0 4 代表作である。 16 ~ 24 年 , 北海道ト フードミキサ ( 右 ) ラヒ。スト修道院の講師をしたことも 電気ミキサ ( 左 ) あり , しだいに神秘的宗教的境地に く小鳥の友〉 ( 1926 ) など童 はいった 謡集もある。交通故死。 みくじ神籤神意をうかがうた めの / くし。神事に関する場合はもち ろん , 人事の吉凶善悪を判断する場 合も , 公平を期するために今でもし 3 ばしば行なわれる。方法には玉くし , 引きくし , 振りくしなどいろいろな形 がある。玉くじとは神宣をしるした 小石や紙などを散らしておいて , そ の一つを手でとるか , 幣の先に付 100 ~ 28W の単相整流子モータを使 けて引き上げるかするもの , 引きくし い , 下部に冷却用ファンをつけ , 強 とはわらしべ , 紙よりなどにしるし 制通風冷却式としたものが多い。ふ をつけて , これを関係者自身に引か ミクロネンア人ャップ島の住居と石貨 つうはステンレススチール製のカッ せるもの , 振りくしとは竹筒を振っ タ ( 刃 ) を用途に応してとりかえ , 回 て , 中から神宣をしるした竹簡の 1 ミクロネシア M i c ro n e s ⅲ西太 転数も 2 段切換えとしている。空転 本を引き出すものである。〔石塚〕 平洋北部 , 北緯 1 。 ~ 2 ( ) 。 , 東経 131 。 を避け , 始動は低速からはしめて高 みくに三国〔町〕福井県北部 , 172 。にかけて広範囲に散在する小島 速に切り換える。使用後は水か湯を 坂井郡の町。人口 22135 ( 1965 ) 。京 群の総称で , 太平洋に分布する島々 入れて回転させよごれが落ちたらさ 福電鉄線が通じる。九頭竜ぅ川の の三大区分の一つである。日本の旧 かさにしてかわかす。回転源を上部 河口にある港で , 中世以来日本海岸 委任統治領である南洋群島すなわち にもちカップ内をかくはんするフー の重要な港市として知られ , 江戸時 ー ? ーーシャノレ , カロリン , ノヾラウ , ー ~ ドミキサは , かくはん軸を交換して 代には福井 , 丸岡両藩の港町として , リアナの各諸島を主体に英領ギルバ ジュースしは、り器 , 刃物とぎ , かん 越前 , 加賀両平野の米の移出などを ト諸島やオーンヤン , ナウルの孤 切り , 肉ひきなどの用途にも使用で 行なったが , 内陸に国鉄北陸線が開 島も含む。比較的小さい島が多いの きる。この上部機構だけ分離したポ 通してさびれ , 漁港となった。織物 , でミクロネシアとよばれる。しかし ータブルミキサ , ソーダ水などをか しよう油製造や水産加工 , 造船業を 地質的にはけっして一様ではなく , くはんするドリンクミキサなどあり , 営み , ナシ , スイカ , 茶 , ・ブドウの産 北部マリアナの島々は新火山島であ / ディスポーサも一種のミキサとい がある。 / 東尋坊や海水浴場があり , り , 他は古い火山島をサンゴ礁がと える。 〔奥田〕 / 芦原温泉にも近い。 りまき , とくに東部のマーシャル , 〔千葉〕 みきもとこうきち御木本幸吉 ートの各島はほとんど低平な みくにさんみやく三国山脈群 キ、ノレノヾ 1858 ~ 1954 真珠養殖家。三重県鳥 馬 , 新潟県境をなす標高約 2000m の 環礁に変化している。総面積約 3400 羽の生まれ。 21 歳で家督 ( うどん商 ) 山脈。主として花コウ岩 , セン緑岩 2 。コプラ , サトウキビのほか , ア を継ぎ , 2 3 歳で町会議員に選ばれた。 からなる地塁山地で , 関東平野と裏 ンがウル , ナウル , オーシャンでは 1888 年 , 郷里の神明浦で真珠員の養 日本をさえぎり , 気候に大きな影響 リン鉱石の産がある。比較的面積の 殖に着手し , いくたの失敗にもめげ を与え , また古来交通の難所となっ 大きい西方の島々では旧日本統治時 す , 93 年に半円真珠 , 1905 年に真円 。北には / 清水峠 , 南には標 代 , 水産 , 農産などの進歩をみたが ていた 真珠の養殖に成功した。のち東京に 高 1244m の三国峠がある。 / 谷川岳 現在ではかってのおもかげはない。 真珠店を開き , やがて世界各地に支 のはか法師 , 猿ガ、京などの温泉地が / オセアニア 店を設け , 真珠業界に活躍し , 御木 あり , / 上信越高原国立公園に含ま ミクロネシアじんミクロネシア 本真珠の真価を認められ , 真珠王の 人ミクロネシアの住民はがなり等 れている。 〔勝俣〕 名声を受けた。 / 真珠〔草下〕 みくらじま御蔵島伊豆諸島中 質の人種特徴を示し , ポリネシア人 よりも濃いかっ色の皮膚と , 直なま の火山島で , 東京都三宅島支庁御蔵 みきろふう三木露風 1889 ~ 19 たは波うつ毛髪をもつ。総じて東方 島村をなす。三宅島の南方 20 にあ 65 詩人。本名操。兵庫県生まれ。早 ではポリネシア , 西方ではメラネシ り , 面積約 20km2 , 人口 243 ( 1965 ) 。 稲田大学 , 慶応大学に学んだ。 17 歳 アの影響が強い。言語はメラネシア のとき処女詩集く夏姫〉 ( 1905 ) を出 カンラン石 , 安山岩などからなり , 諸語に近いが , 西の端ではインドネ したが , 1909 年詩集く廃園〉を出し 中央の御山から流下する細流があっ シア諸語が話されている。人種と て詩名を得 , 象徴的な詩風で一時北 て飲料水は得られるが , 耕地は少な 語とがそうであるように , 社会構造 原白秋と並び称された。く白き手の く , 漁業も活発ではない。芋類 , 雑 においてもミクロネシアは混合文化 猟人〉 ( 1913 ) はその詩風を完成した 穀 , ュリの球根を栽培し , 豊富な天 である。東部では , 貴族 , 中間層 , 然林があって工芸用のツゲ材を産す 奴隷への社会の 3 分のような , 純粋 る。富士箱根伊豆国立公園に属する。 にポリネシア的特徴がみられる。 オオミズナギドリ生息地。〔谷口〕 方カロリン諸島の西では , メラネシ みくりや御厨栃木県足利市 ア・インドネシア的特徴を示す。貴 の 1 地区。足利郡の旧町で , 1962 年 族制や明確な階層制度が消え , 代わ 10 月足利市に編入。渡良瀬川南方 りに厳格な外婚と首長制を伴う母権 の沖積低地にあり , 東武鉄道伊勢崎 的トーテミズム的慣行が現われる。 線が通しる。例幣使街道の旧宿場町 西カロリンでは男子結社 , ノヾラウ島 で , 明治以後は足利機業の賃織地域 では女子結社さえ認められる。 となり , 鉄道開通後はますます発展 ロネシアでは狩猟はまったく行なわ した。中小規模の多くの織物工場 , れす , 漁労がおもな生業であり , 食 織物の精練 , 染色 , 機械捺染など 料の大部分を海の魚から得る。栽培 を行なう大工場がある。〔尾留川〕 カッタ 電気ミキサでは , 用途 に応したカッタをつけ , 回転数は下のつまみで 切り換える。フードミ キサでは , 2 組の刃が かみあってかくはんす るしくみのものが多い かくはん軸 御木本幸吉 神社の境内の木に結 びつけられたみくし 4
3 2 2 70 年甲斐県 , 翌 71 年山梨県となった にも恵まれて北陸の代表的温泉とさ 〔自然〕県中央の甲府盆地はフォッ れ , 設備のよい旅館が多い。わん , サマグナの一部にあたる陥没盆地で , 盆 , さらなどの漆器を生産する。ま 標高約 250 m にすぎないが , 西側に た山中節は古い盆踊甚句が民謡化し は赤石山脈 ( 南アルプス ) が 3000m の たもので , 元禄年間ごろから浴客の 標高をもってそびえ , これを越える 興をそえるためにうたわれるように 交通路はほとんどない。盆地の北東 なった。国鉄北陸線大聖寺駅から北 〔千葉〕 陸鉄道の電車が通しる。 は関東山地が 2 ( ) 0 ( ) m 以上の標高で連 なり , これも大きな障壁となってい やまなかこ山中湖山梨県南部 る。その間の地溝部が、北の八ガ岳 , にある / 富士五湖の一つ。湖面標高 982 m , 面積 6. 5 km2 , 最深 13. 2 m 。 南の新しく隆起した第三紀層の御坂 山地に境された甲府盆地で , 県の人 周囲は 13.5km で湖岸線は半円形を呈 ロの大部分は笛吹 , 釜無の二大河 し , 出入が少なく , 北西方から桂川 川か・つくったこの扇状地平野に生活 が流出する。冬季は結氷し , スケー 主。雌は淡赤かっ色で尾は雄の % く している。両川は盆地の南端で合流 トやワカサギ釣りでにぎわう。五湖 し , 富十川となって赤石 , 御坂両山 中 , 最東端に離れて位置するが , 富 らい。キジの雌より赤みが強く , 尾 地の間に峡谷をつくり , 静岡県には 士吉田市街などからのバス交通は便 羽の先端が白いので区別される。日 いる。御坂山地の南には , 富士山の 本固有の鳥で本州 , 四国 , 九州に産 利で , 南岸の旭日が丘にはキャン すそ野がひろがり , 両者の間の標高 し , 九州の中部以北のものは雄の赤 プ地があり , また湖一周のサイクリ ングも楽しめる。 / 富士箱根伊豆国 10 ( ) ()m の高原に富士五湖がある。東 みが強いのでアカヤマドリ , 九州の 部は相模が川の上流卞は川の流域で , 中部以南のものは腰の部分が光沢あ 立公園に含まれている。 〔松山〕 河岸段丘上に集落が発達して郡内地 やまなかさだお山中貞雄 1909 る白色なのでコシジロヤマドリと ~ 38 映画監督。京都に生まれ , 19 方 ( 南 , 北都留郡 ) を形成 , 国中 よばれ , それぞれ亜種として区別さ れる。留鳥で主として山地にすみ , 32 年のく抱寝の長脇差 > を監督第 1 とよばれる甲府盆地との連絡は国鉄 作として , 以後 , 外国映画の構成を 下草の密生した低木林や流れの近く 国道の両笹子トンネルによる。その とりいれた巧みな技術と新鮮な発想 ほか北東部の一隅に多摩川上流の渓 の杉 , ヒノキの林に多い。ヤマドリ により独特の時代劇映画を築く。代 谷が含まれる。気候は内陸性で , と が母衣を打っとか , ホロロ , ホロロ と鳴くというのは , 雄が地上にうす 表作にく盤嶽の一生〉 ( 1933 ) , く街の くに降水量が少なく , 春秋の農作物 入墨者〉 ( 1935 ) , く百万両の壺〉 ( 19 の結実 , 収穫期の乾燥した日射の多 くまって両翼を振ってポト , ポト , 35 ) , く国定忠治〉 ( 1935 ) , く河内山宗 い天候が水稲 , 果樹の生産に適して ポトという音を立てる動作で , これ 俊〉 ( 1936 ) などがあり , く人情紙風 いる。北部の八が岳山ろくと南部の は繁殖期に雌を , 他の時期には同類 船 > ( 1937 ) を最後に日華事変に動員 五湖地方はいすれも高冷地で , 郡内 を集めるための動作といわれる。ヤ 〔登川〕 地方はやや降水量が多い。 マドリははとんど鳴かない。植物質 されて戦病死した。 〔産業〕耕地面積は約 459km2 で , そ が主食で , こん虫もついばむ。 / ( 別 やまなかしかのすけ山中鹿之助 の 37.6 % を水田が占めるが , 県の主 刷 ) 鳥類 生没年不詳。戦国時代の武将。名は 〔高島〕 要産業は自然的条件が適することと やまなうじ山名氏室町時代の 幸盛。通称甚次郎 , のちに鹿之助。 東京市場に近接することとを利用し 守護家。一色 , 赤松 , 京極の 3 氏と 尼子氏の臣で 1566 年尼子義久が毛利 たブドウ , 桃 , カキなどの果樹栽培 交替でイ寺所身い所司となり , 四職と 氏に滅ばされてから尼子勝久を奉し であり , とくにブドウは 12 世紀末に 称せられた。本姓は清和源氏で , 新 て主家再興に奔走し , 再三出雲 , 伯 勝沼付近で自生プドウが発見された 耆うにはいったが毛利氏に敗れて京 田義重の子義範が上野 , 国多胡郡山 のにはじまるといわれ , 1875 年以後 都に走り , 織田信長にたより主家再 名を領し山名三郎と称したのに始ま 米国種 , 1941 年から岡山県のネオマ 興をはかった。 77 年豊臣秀吉の中国 る。南北朝内乱期に時氏 ( 1299 ? ~ スカット種などがとり入れられ , 栽培 征伐に従い , 勝久を奉して播磨の 1371 ) は足利給尊氏に従って軍功を 地も勝沼周辺から , 甲府 ~ 石和翳さの 上月城を守ったが , 毛利氏の攻撃に 重ね , 但馬 , 因幡 , 伯耆警う , 丹 あい落城 , 勝久は自刃し , 鹿之助は 北部斜面や低地まで拡大されて , 19 山中貞雄 波 , 美作の守護職を安堵された。 捕えられ備中合ノ渡で殺された。 64 年には栽培面積 33. 83km2 , 実収高 そののち一族で 11 カ国の守護を兼ね 〔福田〕 46436 トン ( 全国一 ) にのばった。出荷 六分一殿とよばれた。しかし , 山名 やまなし山梨〔県〕本州のほは、 量は実収の約半分で , その大半は京 氏の勢力削減を意図する足利義満の 浜市場に送られる。桃は栽培面積 挑発によって同族相争う明徳の乱と 中央 , 中部地方の東部にある県。面 23. 5km2 , 実収高 35690 トン ( 1964 ) で , 積 4463. 48km2 , 人口 763194 ( 1965 ) 。 なり , その領国を失い , 伯耆 , 因幡を 福島 , 岡山に次いでいる。扇状地は 富士山の北部にあたり , 甲府盆地を 残すのみと . なった。持豊 ( / 山名宗 果樹栽培以前は桑園が多く , いまで 除くと , ほとんどが山地の内陸県で 全 ) は嘉吉の変に功をたて , 勢力を回 も郡内地方の山腹や段丘面で栽培さ ある。県庁所在地は甲府市。 復して幕府の要職についたが , ま れ , 甲府をはしめ各地に中小の製糸 〔沿革〕かっての甲斐ま国にあたり , もなく細川勝元と対立して / 応仁の 平安時代における荘園の発達が武十 工場がみられる。山地は県面積の 74 乱をおこし , 西軍の大将となった。 % を占め , 林業は有力な財源である の興隆を促し , なかでも甲斐源氏が しかし乱後山名氏は急速に没落し , 鎌倉 , 室町時代を通して勢力を伸展 が , 奧地林や風致保安林の割合が高 やがて豊国のとき徳川家康に仕えて させた。甲斐源氏から出た武田氏は , く , 八ガ岳山ろく , 野呂川流域 , 富 但馬村岡に 6700 石を与えられ , 子孫 代々守護職となって甲斐を統治し , 士山ろくなどで活発に行なわれる程 第 ) し、一つし、オご 〔福田〕 晴信 ( 信玄 ) のとき最盛期を迎えたが , 度で , 製材 , パルプ用材が大部分で やまなか山中〔町〕石川県南部 , やがて織田信長に滅ばされ , のち徳 ある。鉱産資源も , かっては金や水 江沼郡の町。人口 13876 ( 1965 ) 。大聖 川家康の支配するところとなった。 品の産出があったが , 現在はともに 寺川中流の山地を占め , 中心市街は 江戸時代には一時柳沢氏が封しられ 衰え , 比較的多いセッコウ , ケイ石 河岸段丘上の温泉地として名高い。 たが , 金山があり , また要害の地で 温泉は行基が発見したと伝え , また のほか , マンがン , ゲノレマニウム , あったため , 幕末まで長期にわたり 硫化鉄が少量採掘されるにすぎない。 白鷺ノ湯の別名がある。泉質はイ 天領とされ , 藩は置かれなかった。 18 水力資源の面では , 桂川や富士川の オウ泉 , 苦味泉 , 泉温 45 ℃。渓谷美 ヤマナウジ ・ゑドを、 : 担をト 南西方に富士山をのぞ む山中湖。南都留郡山 中湖村に属し , 避暑地 としてにぎわっている