ずるそうに一寸笑ってこう云った。 「そんなら僕一つおどかしてやろう。」 兄のラクシャン第三子が 「よせよせいたずらするなよ」 と止めたが いたずらの弟はそれを聞かすに 光る大きな長い舌を出して 大学士の額をベろりと嘗めた。 士大学士はひどくびつくりして 大それでも笑いながら眼をさまし 寒さにがたっと顫えたのだ。 いっか空がすっかり晴れて まるで一面星が瞬き がんけ まっ黒な四つの岩頸が ただしくもとの形になり じっとならんで立っていた。 259 ちょっと ふる
さんぽんぐわとうぐわ 四人の、けらを着た百姓たちが、山刀や三本鍬や唐鍬や、すべて山と野原の武器を堅くか ひうちいし ( 一六 ) らだにしばりつけて、東の稜ばった燧石の山を越えて、のつしのつしと、この森にかこまれ た小さな野原にやって来ました。よくみるとみんな大きな刀もさしていたのです。 げんとう 先頭の百姓が、そこらの幻燈のようなけしきを、みんなにあちこち指さして とこだろう。畑はすぐ起せるし、森は近いし、きれいな水もながれている。 「どうだ。いい それに日あたりもしし とうだ、俺はもう早くから、ここと決めて置いたんだ。」と云いま すと、一人の百姓は、 理「しかし地味はどうかな。」と言いながら、屈んで一本のすすきを引き抜いて、その根から てのひら 料 土を掌にふるい落して、しばらく指でこねたり、ちょっと嘗めてみたりしてから云いまし の 文「うん。地味もひどくよくはないか、またひどく悪くもないな。」 「さあ、それではいよいよここときめるか。」 も一人が、なっかしそうにあたりを見まわしながら云いました。 「よし、そう決めよう。」いままでだまって立っていた、四人目の百姓が云いました。 四人はそこでよろこんで、せなかの荷物をどしんとおろして、それから来た方へ向いて、 高く叫びました。 「おおい、おおい。ここだぞ。早く来お。早く来お。」 すると向うのすすきの中から、荷物をたくさんしよって、顔をまっかにしておかみさんた ひやくしよう おれ カカ かた
くせ Ⅷ楢夫はばかばかしくなってしまいました。小さな小さな猿の癖に、軍服などを着て、手帳 あっか ほりよ まで出して、人間をさも捕虜か何かのように扱うのです。楢夫が申しました。 ことばていわい 「何だい。、 月猿。もっと語を丁寧にしないと僕は返事なんかしないぞ。」 月猿か顔をしかめて、どうも笑ったらしいのです。もうタ方になって、そんな小さな顔は よくわかりませんでした。 ひざ けれども小猿は、急いで手帳をしまって、今度は手を膝の上で組み合せながら云いました。 「仲々強情な子供だ。俺はもう六十になるんだぞ。そして陸軍大将だぞ。」 理楢夫は怒ってしまいました。 みこみ 「何だい。六十になっても、そんなにちいさいなら、もうさきの見込が無いやい。腰掛けの 多 まま下へ落すぞ。」 の 文 小猿が又笑ったようでした。どうも、大変、これが気にかかりました。 注 けれども小猿は急にぶらぶらさせていた足をきちんとそろえておじぎをしました。そして いやに丁寧に云いました。 「楢夫さん。いや、どうか怒らないで下さい。私はいい所へお連れしようと思って、あなた のお年までお尋ねしたのです。どうです。おいでになりませんか。いやになったらすぐお帰 りになったらいいでしよう。」 家来の二疋の小猿も、一生けん命、眼をパチパチさせて、楢夫を案内するようにまごころ ちょっと を見せましたので、楢夫も一寸行って見たくなりました。なあに、いやになったら、すぐ帰 おれ
足 ひるすぎになって谷川の音もだいぶかわりました。何だかあたたかくそしてどこかおだや 素 のかに聞えるのでした。 お父さんは小屋の入口で馬を引いて炭をおろしに来た人と話していました。すいぶん永い 、カ こと話していました。それからその人は炭俵を馬につけはじめました。二人は入口に出て見 ひ ました。 馬はもりもりかいばをたべてそのたてがみは茶色でばさばさしその眼は大きくて眼の中に はさまざまのおかしな器械が見えて大へんに気の毒に思われました。 お父さんが二人に言いました。 ならはな ( 八七 ) ( 八六 ) 「そいであうなだ、この人さ随いで家さ戻れ。この人あ楢鼻まで行がはんて。今度の土曜日 もカ に行かはんてない」 に天気あ好がったら又おれあ迎い あしたは月曜日ですから二人とも学校へ出るために家へ帰らなければならないのでした。 167 楢夫もようやく泣きじゃくるだけになりました。けむりの中で泣いて眼をこすったもんで たぬき すから眼のまわりが黒くなってちょっと小さな狸のように見えました。 お父さんはなんだか少し泣くように笑って ( 八五 ) 「さあもう一がえり面洗ないやない。」と云いながら立ちあかりました。 ひと
かしわばやしの夜 清作は、さあ日暮れだぞ、日暮れだぞと云いながら、稗の根もとにせっせと土をかけてい 夜ました。 やますそぐんじよう ( 四一 ) あかがね ( 四 0 ) し そのときはもう、銅づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野は や しらかば らはヘんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いているようでした。 わ かしわ し いきなり、向うの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、 うこん ( 四一 l) ( 四三 ) 制「欝金しやつほのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。 くわ 料青作はびつくりして顔いろを変え、鍬をなげすてて、足音をたてないように、そっとそっ 多ちへ走って行きました。 文ちょうどかしわばやしの前まで来たとき、清作はふいに、うしろからえり首をつかまれま した。 ねすみ ほう ( 四四 ) びつくりして振りむいてみますと、赤いトルコ帽をかぶり、鼠いろのへんなだぶだぶの着 むやみ ものを着て、靴をはいた無暗にせいの高い眼のするどい画かきが、ぶんぶん怒って立ってい ました。 「何というざまをしてあるくんだ。まるでうようなあんばいだ。鼠のようだ。どうだ、弁 ひえ え
きもつけず二人はどんどん雪をかぶ 風がもうまるできちかいのように吹いて来ました。い りました。 「わがない。わがない。」楢夫が泣いて云いました。その声もまるでちぎるように風が持っ て行ってしまいました。一郎は毛布をひろげてマントのまま楢夫を抱きしめました。 一郎はこのときはもうほんとうに二人とも雪と風で死んでしまうのだと考えてしまいまし どうろう ほんけ た。いろいろなことがまるでまわり燈籠のように見えて来ました。正月に二人は本家に呼ば れて行ってみんながみかんをたべたとき楢夫がすばやく一つたべてしまっても一つを取った 理ので一郎はいけないというようにひどく目で叱ったのでした、そのときの楢夫の霜やけの小 さな赤い手などがはっきり一郎に見えて来ました。いきが苦しくてまるでえらえらする毒を すわ 多のんでいるようでした。一郎はいっか雪の中に座ってしまっていました。そして一そう強く 文楢夫を抱きしめました。 三、うすあかりの国 ゅめ けれどもけれどもそんなことはまるでまるで夢のようでした。いっかつめたい針のような 雪のこなもなんだかなまぬるくなり楢夫もそばに居なくなって一郎はただひとりばんやりく やふ らい藪のようなところをあるいて居りました。 そこは黄色にばやけて夜だか昼だか夕方かもわからずよもぎのようなものがいつばいに生 176
とちゅう 土神はそれを見て又大きな声で笑いました。その声は又青ぞらの方まで行き途中から、 サリと燁の木の方へ落ちました。 樺の木は又はっと葉の色をかえ見えない位こまかくふるいました。 土神は自分のほこらのまわりをうろうろうろうろ何べんも歩きまわってからやっと気がし ずまったと見えてすっと形を消し融けるようにほこらの中へ入って行きました。 四 ね っ 八月のある霧のふかい晩でした。土神は何とも云えずさびしくてそれにむしやくしやして と仕方ないのでふらっと自分のを出ました。足はいつの間にかあの樺の木の方へ向っていた 神 のです。本当に土神は樺の木のことを考えるとなぜか胸がどきっとするのでした。そして大 土 へんに切なかったのです。このごろは大へんに心持が変ってよくなっていたのです。ですか らなるべく狐のことなど樺の木のことなど考えたくないと思ったのでしたがどうしてもそれ がおもえて仕方ありませんでした。おれはいやしくも神じゃないか、一本の樺の木がおれに 何のあたいがあると毎日毎日土神は繰り返して自分で自分に教えました。それでもどうして もかなしくて仕方なかったのです。殊にちょっとでもあの狐のことを思い出したらまるでか らだが灼けるくらい辛かったのです。 土神はいろいろ深く考え込みながらだんだん燁の木の近くに参りました。そのうちとうと 233
こんどはこんないい こともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走するんだぜ。 「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」 ろうか 二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になっていました。その硝子戸の 裏側には、金文字でこうなっていました。 たいかんげい ふと 「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」 二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。 「君、ほくらは大歓迎にあたっているのだ。」 理「ぼくらは両方兼ねてるから」 料 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。 多 「どうも変な家だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」 の 文「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」 そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。 「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください 「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」 「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう」 二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「注文はずいぶん多いでしようがどうか一々こらえて下さい。」 「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。 ちそう
はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見なが ら云いました。 もど 「ほくはも、つ戻ろ、つとおも、つ。」 「さあ、ばくもちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻ろうとおもう。」 きのう ( 一八 ) じゅうえん 「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を拾円も買って帰れ 理「兎もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」 料 っこう見当がっかなくなっ ところかどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、い 多 ていました。 の 文風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りまし 「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ほくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」 「喰べたいもんだなあ」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 ・つさき
一向泣ぐごとあないじゃい。泣ぐな泣ぐな。」 「泣ぐな。」一郎も横からのぞき込んでなぐさめました。 「もっと云ったか。」楢夫はまるで眼をこすってまっかにして云いました。 「何て云った。」 「それがらお母さん、おりやのごと湯さ入れで洗うて云ったか。 「ああはは、そいづあ嘘ぞ。楢夫などあいつつも一人して湯さ入るもな。風の又三郎などあ 偽こぎさ。泣ぐな、泣ぐな。」 理お父さんは何だか顔色を青くしてそれに無理に笑っているようでした。一郎もなぜか胸が 料 つまって笑えませんでした。楢夫はまだ泣きやみませんでした。 多 「さあお飯食べし泣ぐな。」 の 文楢夫は眼をこすりながら変に赤く小さくなった眼で一郎を見ながら又言いました。 「それがらみんなしておりやのごと送って行ぐて云ったか。」 「みんなして汝のごと送てぐど。そいづあなあ、うな立派になってどごさが行ぐ時あみんな ごとばがりだ。泣ぐな。な、泣ぐな。春になったら盛岡 して送ってぐづごとさ。みんないい つれ 祭見さ連でぐはんて泣ぐな。な。」 一郎はまっ青になってだまって日光に照らされたたき火を見ていましたが、この時やっと 云いました。 しつつも何だりかだりって人だますじゃい。」 「なあに風の又三郎など、布つかなぐない。、 166