すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと云った。 「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」 子熊はまた云った。 「だから溶けないで残ったのでしよう。」 きのう しえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」 小十郎もじっとそっちを見た。 よろい しやめんすべ 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが丁度銀の鎧のように光っているのだった。 しばらくたって子熊か云った。 の 山「雪でなけあ霜だねえ。きっとそうだ。」 コキエ ( 一四こ ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃もあんなに青くふるえているし第一お め 月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。 「おかあさまはわかったよ、あれはねえ、ひきざくらの花。」 「なあんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」 え、お前まだ見たことありません。」 「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」 しえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしよう。」 「そうだろうか。」子熊はとばけたように答えました。小十郎はなせかもう胸がいつばいに なってもう一ペん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の能 ( はす ( 一四二 )
んこんこん。」 かん子か歌いました。 「狐こんこん狐の子、去年狐のこん助が、焼いた魚を取ろとしておしりに火がっききゃんき ゃんきゃん。」 キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。キック、キック、キック、キッ クトントントン。 そして三人は踊りながらだんだん林の中にはいって行きました。赤い封蝋細工のほおの木 理の芽が、風に吹かれてピッカリピッカリと光り、林の中の雪には藍色の木の影がいちめん網 料 になって落ちて日光のあたる所には銀の百合が咲いたように見えました。 多 すると子狐紺三郎が云いました。 の 文「鹿の子もよびましようか。鹿の子はそりや笛がうまいんですよ。」 四郎とかん子とは手を叩いてよろこびました。そこで三人は一緒に叫びました。 「堅雪かんこ、凍み雪しんこ、鹿の子あ嫁いほしいほしい。」 すると向うで、 糸ししし亠尸かしました。 「北風びいびい風三郎、西風どうどう又三郎」と田、、、 とが 狐の子の紺三郎がいかにもばかにしたように、ロを尖らして云いました。 「あれは鹿の子です。あいつは臆病ですからとてもこっちへ来そうにありません。けれども う一遍叫んでみましようか。」 128 ふうろう ( 七一 l) あみ
「今夜狐の幻燈会なんだね。行こうか。」 するとかん子は、 「行きましよう。行きましよう。狐こんこん狐の子、こんこん狐の紺三郎。とはねあがっ て高く叫んでしまいました。 すると二番目の兄さんの二郎が 。冀も行きたいな。」と云いました。 「お前たちは狐のとこへ遊びに行くのかい 四郎は困ってしまって肩をすくめて云いました。 理「大兄さん。だって、狐の幻燈会は十一歳までですよ、入場券に書いてあるんだもの。」 料 二郎が云いました。 多 「どれ、ちょっとお見せ、ははあ、学校生徒の父兄にあらずして十二歳以上の来賓は入場を の そろ 文お断わり申し候、狐なんて仲々うまくやってるね。僕はいけないんだね。仕方ないや。お前 もち たち行くんならお餅を持って行っておやりよ。そら、この鏡餅がいいだろう。」 ゆきぐっ 四郎とかん子はそこで小さな雪沓をはいてお餅をかついで外に出ました。 兄弟の一郎二郎三郎は戸口に並んで立って、 はや 「行っておいで。大人の狐にあったら急いで目をつぶるんだよ。そら僕ら囃してやろうか よめ 堅雪かんこ、凍み雪しんこ、狐の子あ嫁いほしいほしい。」と叫びました。 お月様は空に高く登り森は青白いけむりに包まれています。二人はもうその森の入口に来 ました。 130 おおに らいひん
注文の多い料理店 が桃を 林見 丘 ん ーー 1 重 さ いギ檎こ雪 も ま い さ さ じあなそ ゆ 狼あ童こあ の狼野 も 人 ゃあ ら よ 、れ ろ フ ど原 、ゆ こギよ な のな 。ふは も は お っ も も く 手 ら ら さ わね し、 フ はこ走 、はあ東童こよ ま と の つ ふ ん燃ばお そ つ た の子 な わ電 た て た のから そは の い 日 ら ん の メ、 さ息れ ち ま に し ら ま を あ ま は し - は いが九く て 冫月し ち ち 子と宝 ばたれが百ゆぐ雪黄疋ー の 後ら / 、りつ く は、の にお で 足 し の た ら 戸ゆ 日 癶 なな い た り よ り の狼 で て つ の る じ つ 、お っ 座第ばよ 。に をの ねだ し、 そ く 供 て 雪 な つし ) つ お 狼 れの り かてで にれ おいす光て は ま の ま で 起 し り ま から き た ます 、西 ら を て 夜 あ 。し 琥この カゞ / けオ、 珀方 が がる た る つ朝さ し、 ろ帰 け は 子 て ま た 大青 も き 手 かて ん る 行 た カゞ行 ら き やき 座 口か ばわ 風 ま あ を・ き ま ′つ つ し、 ・つ の あ が し て て 子 き 黄きオ そ た わ ど ら 金ん れ 、そ を だ よ を ま 燃 の 起 む ロ派 し つ り さ かで た な し ザ の よ は フ あ の し 冂 日 メ つ 頬 いほ光 た が 飛 餡 2 は は み
渡 雪 137 辞です。」 ソと立ちあがりました。そしてキラキラ涙 狐の生徒はみんな感動して両手をあげたりワー をこばしたのです。 紺三郎が二人の前に来て、丁寧におじぎをして云いました。 「それでは。さようなら。今夜のご恩は決して忘れません。」 二人もおじぎをしてうちの方へ帰りました。狐の生徒たちが追いかけて来て二人のふとこ ろやかくしにどんぐりだの栗だの青びかりの石だのを入れて、 「そら、あげますよ。」「そら、取って下さい。」なんて云って風の様に逃げ帰って行きます。 紺三郎は笑って見ていました。 二人は森を出て野原を行きました。 むか その青白い雪の野原のまん中で三人の黒い影が向うから来るのを見ました。それは迎いに 来た兄さん達でした。
。「雪渡り」では狐が人を欺すなん 「雪渡り」の延長上に位置する作品といえるかもしれない なっとく て偽だと小狐紺三郎が力説して、四郎もかん子も私たちも納得した ( 別役実さんのように、 ひとすじなわ どっこい 一筋縄でいかない読者もいるが ) 。こっちでは人間の「私」の方が冒頭に「狐に だまされたのとはちがいます」としきりに力説しているか、果してどうか この童話の初題は「狐小学校の参観」だったらしく、また草稿表紙に「よく酒を呑む県視 学のはなし」と書込みがあり、第一葉でも題名をいったん「茨海小学校と狐に欺された郡視 学のはなし」とした形跡がのこっている。 げんと・つ 店 つまり、「雪渡り」なら狐小学校の幻燈会に招かれる資格のなかった大人である「私」と 理 料 いう農学校教師が、とにも角にも授業参観を許されたのは、この人物がもともとは「視学 多 官」だったからで、逆にいえば、「私」に参観させるために " 狐小学校 ~ なる舞台が仕組ま の 文れた気配がある。そこの授業は当然、人間の学校授業のパロディであり、それゆえ当然、人 間文明への批評が含まれているが、ここの校長先生のお芝居の真の狙いはそこになかった。 そもそも「私」が茨海の野原へ出かけた第一の目的は「火山弾の手頃な標本」を採るためで、 それもちゃんと見つけたのに、折角のその標本は狐の校長先生にまんまとせしめられてしま うからである。 それにしても、第三学年担任が「武村」先生だったと思ったら、すこしさきで「武原久 助」先生になっていたり、時間表では「第二学年は狩猟術」のはすが、授業は食品化学をや っていたりするのは、この狐校長先生、「私」を欺すつもりでポロを出しているのだ。 の
ところがラクシャン第一子は 案外に怒り出しもしなかった。 きらきら光って大声で 笑って笑って笑ってしまった。 その笑い声の洪水は 空を流れて遥かに遥かに南へ行って かみなり ねばけた雷のようにとどろいた。 理「うん、そうだ、もうあまり、おれたちのがらにもない小理窟は止そう。おれたちのお父さ 料 んにすまない。お父さんは九つの氷河を持っていらしやったそうだ。そのころは、ここらは、 しろくまゆきぎつね 多 一面の雪と氷で白熊や雪狐や、いろいろなけものが居たそうだ。お父さんはおれが生れると の 文きなくなられたのだ。」 俄かにラクシャンの末子が叫ぶ。 ひろ 「火が燃えている。火が燃えている。大兄さん。大兄さん。ごらんなさい。だんだん拡がり ます。」 ラクシャン第一子がびつくりして叫ぶ。 ようがん 「熔岩、用意つ。仄をふらせろ、えい、畜生、何だ、野火か。」 その声にラクシャンの第二子が びつくりして眼をさまし、 め ちくしょ・つ こりくつよ
的な " 物語論 , の一視点を提供しているといえる。 きたかみ ししおど 北上地方にいまも行われている「鹿踊り」という伝承芸能の「は 「鹿踊りのはじまり」 じまり」を、「風が、だんだん人のことばに」なって語るという、形式・設定である。そし て、この物語の主人公は、そこらがまだ原野だったころに、東から「移って」きた若者であ り、鹿たちの感動的なパフォーマンスを目撃し、ほとんど自分も同化して踊りに加わろうと した若者は、鹿たちの去ったあと、「ちょっとにが笑いをしながら」その場を立ち去ったま かじゅ・つ でが語られている。つまり、このあと嘉十が家族や近所の人たちにしたであろう目撃談から、 理鹿たちの行動を模した「踊り」が発生するまでの経緯や過程が、私たちの茫漠とした想像の 料 すぐ向こうに、ほおっとけむったまま残される。「まだ剖れない巨きな愛の感情です。す、 多 きの花の向ひ火や、きらめく赤褐の樹立のなかに、鹿が無心に遊んでゐます。ひとは自分と の 文鹿との区別を忘れ、いっしょに踊らうとさへします。と「広告ちらし」には書かれている。 「愛国婦人」大正川年肥月号・Ⅱ年 1 月号に分載したテクストに後日手入れ 「雪渡り」 を施したもの。雪がすっかり凍りついて「大理石よりも堅くなり、いつもは歩けないとこ まて ろでも「すきな方へどこ迄でも行ける」という、北国でもそんなにいつもいつも生れるとは 限らない特権的な条件の下に、二人の幼童 ( 大人の体重は雪が支えきれない可能性がある ) が森へ出かけて行って、狐の子どもたちと交歓する。この《異類交渉》のきっかけが「歌」 こんざふろう でなされている点で、これまた歌物語の一つといえよう。子どもたちと狐の紺三郎は、さら に鹿の子とも交歓しようと「歌」をさし向けるが、鹿の子は「歌」では応えながら、遠ざか
あしふ みんなは足踏みをして歌いました。 キックキックトントン、キックキック、トントン、 凍み雪しんこ、堅雪かんこ、 野原のおそばはほっほっほ、 酔ってひょろひょろ清作が 去年十三ばい喰べた。 キック、キック、キック、キック、トン、トン、トン。 ちょっと 理写真が消えて一寸やすみになりました。 きびたんこ 料 可愛らしい狐の女の子が黍団子をのせたお皿を二つ持って来ました。 多 四郎はすっかり弱ってしまいました。なせってたった今太右衛門と清作との悪いものを知 の 文らないで喰べたのを見ているのですから。 それに狐の学校生徒がみんなこっちを向いて「食うだろうか。ね。食うだろうか。」なん てひそひそ話し合っているのです。かん子ははすかしくてお皿を手に持ったまままっ赤にな ってしまいました。すると四郎が決心して云いました。 たま 「ね。喰べよう。お喰べよ。僕は紺三郎さんが僕らを欺すなんて思わないよ。」そして二人 は黍団子をみんな喰べました。そのおいしいことは頬っぺたも落ちそうです。狐の学校生徒 はもうあんまりんでみんな踊りあがってしまいました。 キックキックトントン、キックキックトントン
からすほくとし 4 っせい 烏の北斗七星 つめたいいじの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、 わか 日のあかりだか判らないようになりました。 星 とたん かんたい 七烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、しかたなくちょっとの間、亜鉛の板をひろげ たんほ 6 たような雪の田圃のうえに横にならんで仮泊ということをやりました。 ふね どの艦もすこしも動きません。 理まっ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊長もしゃんと立ったままうごきません。 たいかんとく 料 からすの大監督はなおさらうごきもゆらぎもいたしません。からすの大監督は、もうずい としょ め 多 のぶんの年老りです。眼が仄いろになってしまっていますし、啼くとまるで悪い人形のように 駐ギイギイ云います。 それですから、烏の年齢を見分ける法を知らない一人の子供が、いっか斯う云ったのでし 「おい、この町には咽喉のこわれた烏が二疋いるんだよ。おい。」 まちが これはたしかに間違いで、一疋しか居りませんでしたし、それも決してのどが壊れたので さ 空で号令したために、すっかり声が錆びたのです。それですから 貯はなく、あんまり永い間、 お お ひき こわ