「そいつはかあいそうだ。陳はわるいやつだ。なんとかおれたちは、もいちどもとの形にな らないだろ、つか。」 「それはできる。おまえはまだ、骨まで六神丸になっていないから、丸薬さえのめばもとへ 戻る。おまえのすぐ横に、その黒い丸薬の瓶がある。」 それではすぐ呑もう。しかし、おまえさんたちはのんでもだめ 「そうか。そいつはいし 四「だめだ。けれどもおまえが呑んでもとの通りになってから、おれたちをみんな水に漬けて、 男よくもんでもらいたい。それから丸薬をのめばきっとみんなもとへ戻る。」 山 「そうか。よし、引き受けた。おれはきっとおまえたちをみんなもとのようにしてやるから 理な。丸薬というのはこれだな。そしてこっちの瓶は人間が六神丸になるほうか。陳もさっき おれといっしょにこの水薬をのんだがね、どうして六神丸にならなかったろう。」 多 文「それはいっしょに丸薬を呑んだからだ。」 注 「ああ、そうか。もし陳がこの丸薬だけ呑んだらどうなるだろう。変らない人間がまたもと の人間に変るとどうも変だな。」 そのときおもてで陳が、 「支那たものよろしいか。あなた、支那たもの買うよろしい。」 と云う声がしました。 「ははあ、はじめたね。」山男はそっとこう云っておもしろがっていましたら、俄かに蓋が びん
( ははあ、六神丸というものは、みんなおれのようなぐあいに人間が薬で改良されたもんだ な。よしよし、 ) と考えて、 「おれは魚屋の前から来た。」と腹に力を入れて答えました。すると外から支那人が噛みつ ノ \ よ、つにどなり・ました。 「声あまり高い。しずかにするよろしい。」 山男はさっきから、支那人かむやみにしやくにさわっていましたので、このときはもう一 ペんにかっとしてしまいました。 理「何だと。何をぬかしやがるんだ。どろほうめ。きさまが町へはいったら、おれはすぐ、こ 料 の支那人はあやしいやつだとどなってやる。さあどうだ。」 多 支那人は、外でしんとしてしまいました。じつにしばらくの間、しいんとしていました。 の 文山男はこれは支那人が、両手を胸で重ねて泣いているのかなともおもいました。そうしてみ ると、 いままで峠や林のなかで、荷物をおろしてなにかひどく考え込んでいたような支那人 たれ は、みんなこんなことを誰かに云われたのだなと考えました。山男はもうすっかりかあいそ うになって、いまのはうそだよと云おうとしていましたら、外の支那人があわれなしわがれ た声で言いました。 「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する、 それ、あまり同情ない。」山男はもう支那人が、あんまり気の毒になってしまって、おれの じる からだなどは、支那人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりに
さんぽんぐわとうぐわ 四人の、けらを着た百姓たちが、山刀や三本鍬や唐鍬や、すべて山と野原の武器を堅くか ひうちいし ( 一六 ) らだにしばりつけて、東の稜ばった燧石の山を越えて、のつしのつしと、この森にかこまれ た小さな野原にやって来ました。よくみるとみんな大きな刀もさしていたのです。 げんとう 先頭の百姓が、そこらの幻燈のようなけしきを、みんなにあちこち指さして とこだろう。畑はすぐ起せるし、森は近いし、きれいな水もながれている。 「どうだ。いい それに日あたりもしし とうだ、俺はもう早くから、ここと決めて置いたんだ。」と云いま すと、一人の百姓は、 理「しかし地味はどうかな。」と言いながら、屈んで一本のすすきを引き抜いて、その根から てのひら 料 土を掌にふるい落して、しばらく指でこねたり、ちょっと嘗めてみたりしてから云いまし の 文「うん。地味もひどくよくはないか、またひどく悪くもないな。」 「さあ、それではいよいよここときめるか。」 も一人が、なっかしそうにあたりを見まわしながら云いました。 「よし、そう決めよう。」いままでだまって立っていた、四人目の百姓が云いました。 四人はそこでよろこんで、せなかの荷物をどしんとおろして、それから来た方へ向いて、 高く叫びました。 「おおい、おおい。ここだぞ。早く来お。早く来お。」 すると向うのすすきの中から、荷物をたくさんしよって、顔をまっかにしておかみさんた ひやくしよう おれ カカ かた
茨海小学校 203 それに運動場の入口に、あんなものをこしらえて置いて、もしお客さまに万一のことがあっ たらどうするのだ。お前は学校で禁じているのを覚えていながら、それをするというのはど う云うわけだ。」 「わかりません。」 「わからないだろう。ほんとうはわからないもんだ。それはまあそれでよろしい。お前たち はこのお方がそのわなにつますいて、お倒れなさったときはやしたそうだが、乂私もここで 聞いていたが、 どうしてそんなことをしたか。」 「わかりません。」 「わからないだろう。全くわからないもんだ。わかったらまさかお前たちはそんなことしな わび いだろうな。では今日の所は、私からよくお客さまにお詫を申しあげて置くから、これから いいか。もう決して学校で禁じてあることをしてはなら よく気をつけなくちゃいけないよ。 んぞ。」 「はい、わかりました。」 「では帰って遊んでよろしい。」校長さんは今度は私に向きました。担任の先生はきちんと まだ立っています。 むじやき たたいま 「只今のようなわけで、至って無邪気なので、決して悪気があって笑ったりしたのではない ようでございますから、どうかおゆるしをねかいとう存じます。」 私はもちろんすぐ云いました。
そしてその手の雪をはらってやりそれから、 「さあも少しだ。歩げるが。」とたずねました。 「うん」と楢夫は云っていましたがその眼はなみだで一杯になりじっと向うの方を見、ロは ゆがんで居りました。 雪がどんどん落ちて来ます。それに風が一そうはげしくなりました。二人は乂走り出しま したけれどももうつまずくばかり一郎がころび楢夫がころびそれにいまはもう二人ともみち をあるいてるのかどうか前無かった黒い大きな岩がいきなり横の方に見えたりしました。 ちり 足 風がまたやって来ました。雪は塵のよう砂のようけむりのよう楢夫はひどくせき込んでし 素 のまいました。 そこはもうみちではなかったのです。二人は大きな黒い岩につきあたりました。 一郎はふりかえって見ました。二人の通って来たあとはまるで雪の中にほりのようについ ひ ていました。 みち ( 九 0 ) 「路まちがった。戻らないばわがない。」 一郎は云っていきなり楢夫の手をとって走り出そうとしましたがもうただの一足ですぐ雪 の中に倒れてしまいました。 楢夫はひどく泣きだしました。 「泣ぐな。雪はれるうぢ此処に居るべし泣ぐな。」一郎はしつかりと楢夫を抱いて岩の下に 立って云いました。 175
はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見なが ら云いました。 もど 「ほくはも、つ戻ろ、つとおも、つ。」 「さあ、ばくもちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻ろうとおもう。」 きのう ( 一八 ) じゅうえん 「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を拾円も買って帰れ 理「兎もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」 料 っこう見当がっかなくなっ ところかどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、い 多 ていました。 の 文風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りまし 「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ほくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」 「喰べたいもんだなあ」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 ・つさき
かしわばやしの夜 清作は、さあ日暮れだぞ、日暮れだぞと云いながら、稗の根もとにせっせと土をかけてい 夜ました。 やますそぐんじよう ( 四一 ) あかがね ( 四 0 ) し そのときはもう、銅づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野は や しらかば らはヘんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いているようでした。 わ かしわ し いきなり、向うの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、 うこん ( 四一 l) ( 四三 ) 制「欝金しやつほのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。 くわ 料青作はびつくりして顔いろを変え、鍬をなげすてて、足音をたてないように、そっとそっ 多ちへ走って行きました。 文ちょうどかしわばやしの前まで来たとき、清作はふいに、うしろからえり首をつかまれま した。 ねすみ ほう ( 四四 ) びつくりして振りむいてみますと、赤いトルコ帽をかぶり、鼠いろのへんなだぶだぶの着 むやみ ものを着て、靴をはいた無暗にせいの高い眼のするどい画かきが、ぶんぶん怒って立ってい ました。 「何というざまをしてあるくんだ。まるでうようなあんばいだ。鼠のようだ。どうだ、弁 ひえ え
きもつけず二人はどんどん雪をかぶ 風がもうまるできちかいのように吹いて来ました。い りました。 「わがない。わがない。」楢夫が泣いて云いました。その声もまるでちぎるように風が持っ て行ってしまいました。一郎は毛布をひろげてマントのまま楢夫を抱きしめました。 一郎はこのときはもうほんとうに二人とも雪と風で死んでしまうのだと考えてしまいまし どうろう ほんけ た。いろいろなことがまるでまわり燈籠のように見えて来ました。正月に二人は本家に呼ば れて行ってみんながみかんをたべたとき楢夫がすばやく一つたべてしまっても一つを取った 理ので一郎はいけないというようにひどく目で叱ったのでした、そのときの楢夫の霜やけの小 さな赤い手などがはっきり一郎に見えて来ました。いきが苦しくてまるでえらえらする毒を すわ 多のんでいるようでした。一郎はいっか雪の中に座ってしまっていました。そして一そう強く 文楢夫を抱きしめました。 三、うすあかりの国 ゅめ けれどもけれどもそんなことはまるでまるで夢のようでした。いっかつめたい針のような 雪のこなもなんだかなまぬるくなり楢夫もそばに居なくなって一郎はただひとりばんやりく やふ らい藪のようなところをあるいて居りました。 そこは黄色にばやけて夜だか昼だか夕方かもわからずよもぎのようなものがいつばいに生 176
「で武田金一郎をどう処罰したらいいかというのだね。お客さまの前だけれども一寸呼んで おいで。」 うやうや 三学年担任の茶いろの狐の先生は、恭しく礼をして出て行きました。間もなく青い格子縞 の短い上着を着た狐の生徒が、今の先生のうしろについてすごすごと入って参りました。 はず お・つよう 校長は鷹揚にめがねを外しました。そしてその武田金一郎という狐の生徒をじっとしばら くの間見てから云いました。 「お前があの草わなを運動場にかけるようにみんなに云いつけたんだね。」 理武田金一郎はしゃんとして返事しました。 料 「そうです。」 多 「あんなことして悪いと思わないか。」 の 文「今は悪いと思います。けれどもかける時は悪いと思いませんでした。」 「どうして悪いと思わなかった。」 たお 「お客さんを倒そうと思ったのじゃなかったからです。」 かんがえ 「どういう考でかけたのだ。」 しようがいぶつ 「みんなで障碍物競走をやろうと思ったんです。 「あのわなをかけることを、学校では禁じているのだが、お前はそれを忘れていたのか。」 「覚えていました。」 たびたび 「そんならどうしてそんなことをしたのだ。こう云うエ合にお客さまが度々おいでになる。 202
たたくのだ、あの豪気な山の中の主の小十郎は斯う云われるたびにもうまるで心配そうに顔 ひえ をしかめた。何せ小十郎のとこでは山には栗があったしうしろのまるで少しの畑からは稗が とれるのではあったが米などは少しもできず味噌もなかったから九十になるとしよりと子供 ばかりの七人家内にもって行く米はごくわずかずつでも要ったのだ。 あさ 里の方のものなら麻もっくったけれども、小十郎のとこではわすか藤つるで編む入れ物の 外に布にするようなものはなんにも出来なかったのだ。小十郎はしばらくたってからまるで しわがれたような声で云ったもんだ。 ねがい いいはんて買って呉ない。」小十郎はそう云いな 「旦那さん、お願だます。どうが何ほでも の 山がら改めておじぎさえしたもんだ。 と主人はだまってしばらくけむりを吐いてから顔の少しでにかにか笑うのをそっとかくして め 云ったもんだ。 「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ。」 すわ 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出した。小十郎はそれを押しいただく ようにしてにかにかしながら受け取った。それから主人はこんどはだんだん機嫌がよくな る。 「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ。」 小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。主人はゆっくりいろいろ談す。小 ぜん 十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。間もなく台所の方からお膳できたと 297 いつばい