「ところが、はやく、一つでも、見つけて、逃げたやつアいいでしようが、慾の皮の突 ちまなこ いつまで、血眼でいた連中は、そのうちに、警察署から来て、みんな、 っ張り放題に 代物を吐き出された上にふン捕まってしまったそうです」 ひとあみ 「ははは、そいつアよかった。さんざん、金時計を鵜に呑ませておいて、一網に、吐き 出させるなんて、警察も抜け目がない」 「ー ) かし、 いったいそんな高価な金属品を、どうして、あんな河の中へ捨てたのだろ う。まさか、金持の道楽じゃあるまいがね」 「それが、疑問なんですよ」 お光が、卓へ勘定をならべたので、トム公は、満腹のバンドをゆるめながら、外へ出 そして、お光を待っていると、彼女は、紙入れからべつにして来たらしい一円紙幣 を、トム公の手ににぎらせて、 「あばよ」 と、元の道へ戻りかけた。 虫 ん 「お光さん、どこへ ? 」 ん か「心配だから、もういちど、倶楽部へ帰ってみようと思うのさ」 乃「心配って、何が」 しろもの
「オイ、鋲を抜けよ。鋲を抜けよ」 そういう外の幻に、やっと、一人が眼をこすり出した。そして、ほかの者の耳を順々 に引っ張り合った。 「トム公だぞ。トム公だそ」 「えつ、帰って来たのか」 「はんとか」 「ほんとだと・も」 ねじまわ 彼らは、畳の下の捻廻しを持ち出して、たちまち一枚のガラス板を外した。トム公 」にこしながら飛び込んで来た。彼は、からだじゅうのポケットを探って、手あ たり次第に持って来たものをそこへつかみ出した。アンバン、 かみそり 煙草、洋刀、ドロップ。 「食え、食え、食え、みんな。まだあるそ、いくらでもあるぞ」 えら 唄「偉いなあ、プリンスはやつばり偉い。おいらのプリンス」 虫「約束どおり帰って来たぜ」 「持って来たぜ」 「ばんキ、い ! 」 きようえん アンバンの饗宴が初まった。煙草の曲喫みが初まった。餓えた中に物のあること ! びよ・つ きよくの ーモニカ、ピストル、
「え。え」 「青い、職工服」 「ひどいわ」 この子は」 「痛い、 「だって、あんまりだわ、私たち、かんかん虫じゃなくッてよ」 「 ) て , つ、じゃ何 ? 」 かんざし 「ーーーわたし、簪」 ししゅ一つ はんえり 「ーーわたし、刺繍の半襟がほしいわ」 がまぐち 「わたし、柳屋で見た、蟇ロ」 「お金もないくせに」 「いいのよ , つ」 「ホホホ。みんなお安値いものばかりだね。 豆さん、おまえは」 七人組のなかで、一番小さい、一番おとなしい、一番かしこそうな豆菊は、さっきか 曲ら馬車の隅に押しつけられて、淋しげに、笑っていた。 ん 「豆さんは」 ん か「わたし : と、やつばり笑っている。
「だって、島崎さんをこっちへ奪って来るにはたいへんな努力ですわ。ねえ、女将」 「そうですとも」 千歳の女将は、調子をあわせて、 「ひとつ、お客様たちへ、ご紹介してあげてくださいな、島崎さんを」 だが、その労をまたずに、島崎のすがたを見出すと、幾組かの踊りは、みんなステッ プをしずめて、島崎のまわりになだれて来た。そしてきようの見事な騎手ぶりを外人特 有な誇張さをもって賞めたたえた。芸妓たちも、客たちへの遠慮を忘れて、みんな、島 崎の注意を欲するように、そばへ寄りたがった。 「島崎君。この次の機会には、ぜひ、わしの持ち馬に乗ってくれんかな」 「あのサラのクンプウですか」 ひとむち 「そうじゃ、君が一鞭いいところを乗って優勝してくれたら、うんと呼び値があがる 「機会があったら、ぜひ、試みましよう」 「こんどのには、だめかの」 「一、二年は、私の手もとに、お預かりしてみなければ」 「はははは。気のながい商法じゃな。それじゃ、やっと、利廻りにしかっかんぞ」 くろ・うと
「じゃあ、お腹がへってるだろう。朝喰べたっきりだよおまえは」 「おっ母さんだって、そうだろ」 「おっ母さんは、お腹がへっていないんだからさ」 「おらだって」 今川焼一つは、いつまで、どっちの手にも取られなかった。お島は、子を見ては、涙 になり、良人を思って、分別のしようもない腹立たしさにとらわれた。 夜が明けるという事がなければどんなにいいか とお島は思った。世間の恥の中に ふびん 置かれている子ども達が不愍だった。転校になったので、次郎は三年きりで学校にもゆ けずにいる。何よりはもう屑屋に売って喰べるものにする品もない。 翌日も翌々日も、芳造は帰らなかった。 また市役所の吏員が来て、裁判所へ強制立退の手続を取ると云って怒鳴った。お島の 良人を手におえない横着者だの、人間の屑だのと云って罵った。 ・尤もで、こギ、いま すと、お島はただただあやまりぬくほかなかった。それでもさすがに、余りにロ汚く良 人を罵られると、 「ーーあれでも元は浅草で相当な商家の主人だったんですよ。遊び人仲間に交じってわ ののし
一つ年下に過ぎないし、次郎の商才や日頃のロぶりでは、いつまでこんな裏町で魚屋に : などと思いわすらえば限りもなく退け目ばかりが 甘んじているような風でもないし : 考えられ、お関ほどに苦労人で世間も知りぬいていながらも、さてその事になると改ま って次郎に口をきってみることもできないらしいのであった。 その宿題に就てかどうか、此頃、お関母娘は何となく食事の間もふさいでいることが 多かった。時には台所で物を洗っているひとり娘を見やりながら涙ぐむかのようにして いるお関の老いが見られたりすることもある。 「次郎さん。ちょっと : : 」思い余ったかのように、お三輪の留守に、お関は彼を二階 へよんで、或る日、沁んみり訊ね出した。 「なんです、小母さん。いやにあらたまって」 「へんなことを訊くと笑っておくれでないよ。ネ、次郎さん、わたしゃあほんとに思い 余って訊くんだから」 「笑いなぞするもんですか。何か、心配事が起ったなら、わたしだって、世話になって のんき どいるんだ。わたしだけが暢気にしていちやすまない。打ち明けておくんなさい」 「そうじゃないよ。お前さんのことなんだよ。次郎さん、お前この頃、吉原へよく行く 色 んだってね」 弼「え。吉原へですって」 おやこ ひ
「もうこれッきり来るんじゃないよ。お前たちのお蔭で、わたしゃあ、うちのひとに、 どんなに肩身のせまい辛いおもいをしたか知れやあしない。親類だからッて、食うや食 わずは、おたがいなんだから、どうにもしようがありゃあしないやね。二度とやって来 られても、こんどは物置にもおいとくわけにはゆかないからね。おまえもよく覚えてお いで」 お島は、死んだってもう二度と来るものかと思いはしたが、それでも世話になったこ とは事実なので、晩に、源吉さんが帰ったら、お礼も云わずに立ってすみませんーーーと 云ってくださいと姉に詫びて、さてもう持つ物とては古傘一つない母子三人の影だけ曳 いてこの穴のような路次を出て行った。 四 前の晩、芝ロのきちん宿に泊って、あくる日、母子は新橋から電車に乗った。 お島は電車が初めてだった。お詣りにでも行くらしい芸妓たちゃ、その旦那風なのや まな 官員風や、山の手の奥さん然たる人々の眼ざしに挟まれて彼女は身をちぢめていた。 が、初めは母と同じように恐怖していたお澄はすぐ雰囲気に馴れて車窓にしがみつき、 見るもの見るものヘ驚異を口走っていた。次郎は妹のよろこびが嬉しくてたまらす、一 緒に首をそろえて何かしゃべっていた。
% に対して、今日はそれしか答えるすべはなかった。 「始まったな」と、市吏員は一そう冷然とし らは公務だからな」 更に、また云った。 「おいおい、ペソを掻いてるまに、そこらの鍋釜や、がらくた物の一つも、外へ出して 置かんか。こちらでは責任を取らんよ。一週間も前に、宣告してあるんじやから」 監督や土工頭も云った。 「さあさあ、退いてくれ退いてくれ。仕事の邪魔になる」 物音が初まった。 や みるみるうちにわが家が潰されそうなのを見て、少年は狂気のように泣き猛った。 すると一台の人力車が軽子橋のほうからこの小田原町の市区改正地で取払われた空 - つばい 地の中の一筋道を、道の勾配にまかせて勢いよく駈けて来た。 くるまや 「あら、あら、お待ちッてば。俥屋さん行き過ぎるよ。行き過ぎるっていうのにさ」 けこみ お吉であった。蹴込の上に、お澄をかかえ、車の上から手を振っていた。 あし 行き脚ついた梶を、やっと踏み止めて、俥屋はうしろを向いた。 どちらですって ? 」 「あそこの家さ。戻っておくれよ」 がしら ど 「いかんよ、泣いて見せたって。こち たけ
め 8 上にくり展べて観て、 「ああいけないな。どれもこれも」 と、あっさり巻いて返した。 どれ一つについても、絵の鑑識にたいしては世辞ッ気もないのだった。次郎は自分の 眼が誤まっていたとする悔いよりも金銭の損害が胸にこたえていた。その零細な金はな みたいていな労力と苦心によって積まれたものではなかった。殊に幼い育ちざかりから " 銭〃というものにはのべっ深刻な脅威を生命にうけて来た彼でもある。それが水野に 云わせればみな一山いくらか紙屑のような値打にしかならないというのだった。絵にた いする彼の美術的趣味も幻想もその一言にはみじめに潰えてしまった。 「 : : : あの。何もありませんけれどって、おっ母さんが」 した そこへお三輪が階下から夜食の膳を運んで来てくれた。次郎の所へめすらしい客らし い客があったものと見て、お三輪の母のお関が気をきかして酒までつけてよこしたのだ った。で次郎が、 「あがりますか」と、銚子を取ってみせると、水野は、 「や。すまんね」と、辞退もせず盃を持った。しレ 、ナるロとみえ、水野は盃へ唇を持って 行ってうまそうに飲む。 お三輪は銚子を三度運んだ。水野は自分ばかりのんでいるようなかっこうなので次郎
しをしたことがあるのだ。 今はもう時代も変ったが、当時は、そこは一種の人間の吹き溜りのようなところで、きついが、 逆にもうこれ以上落ちょうもないというどん底の明るさもあった。 それだから、英治が、″かんかん虫は唄う〃というタイトルをつけながら、あえて作業場の場面 を入れようとしなかったことも、全体をいかにも透明な感じの、今にもジャズのリズムでも聞こえ てきそうな感じのピカレスク・ロマンに仕立てたことも、よく分かるのだ。 というわけで、ある日、かんかん虫の古里がむしように懐しくなって、私は、ハマの東横線高島 町駅に下りたった。 そこからは、小説の冒頭に出てくる造船所のモデル三菱重工が至近距離なのだ。 駅を下りたとたん、高架下にうらぶれた安食堂が二、三軒、ガードの脚のかさぶたみたいにしが 旅みついている。たちまち作品世界が目の前に迫ってくる感じだ。私は胸をふくらませた。 の が、何と、当の造船所は、時代の流れに押し切られてか廃工場。正門はがらんと開いたままだ し、広大な敷地の中は人影もほとんどない。 ん あたりには、塀にたたきつけられて割れたびんの破片が散らばっている。錆びた鎖や鋲が落ちて ん 9. 発泡スチロールの箱が一つ、風に追われて、道路の真中を走ってゆく。