思っ - みる会図書館


検索対象: にんげんのおへそ
124件見つかりました。

1. にんげんのおへそ

も変らない。四十三年前のウェディングドレスはピッタリと身体にフィットした。 サヤサヤと絹すれの音を立てながら歩きまわる。白髪、シミだらけ、シワだら け、七十三歳のヨメハンは、どう見ても恍惚老女徘徊の図である。 ル四十三年前の私のウェディングドレスは爽やか嬢ちゃんにもピッタシだった。 ン大阪、帝国ホテル内の教会で行われた結婚式の、爽やか嬢ちゃんの花嫁姿はこよ , なく愛らしく、そして美しかった。 の 年 十 四 時計の針は十時をまわっている。 私はノソノソとべッドから這いおりて、雨戸を繰り、窓をいつばいに開け放っ

2. にんげんのおへそ

結婚式に、せめて上等なウェディングドレスを着せてやりたい」とおもう気持ち が母親の当然であり、家族の顔にもそう書いてある。先立つものが不足だから新 調はしよせん無理としても、貸衣裳一式で百万円に近い料金と聞いて、私はビッ クリ仰天した。 「冗談じゃないよ。百万円なんて」 そ へ 「私、あきらめますー お の 「なにを、結婚を ? ん 「ちがいます。貸衣裳をやめて、手持ちのワンピースを着ます , 「でも、着たいんでしょ ? ウェディングドレス」 「はい。 あちこち探しましたけど貸衣裳のウェディングドレスって、どれもヒラ ヒラゴテゴテしているし、せつかく着るなら : : : 」 「せつかく着るなら ? 」 「高峰サンの結婚衣裳のような、あんなのを着たいんです」

3. にんげんのおへそ

身辺整理にメドがついたころから、私たちは、今後の ( 老後の、というべきか ) へ生きかたについて話し合った。 お の ん 「生活を簡略にして、年相応に謙虚に生きよう」。それが二人の結論だった。気 ん持ちを若く持つのはいいけれど、あちこちへ出しやばってはしゃぎまわる体力は 私たちにはもう無いし、もともと趣味ではない。 わが家はこの何十年来、私たち夫婦と二人のお手伝いさん、運転手さんの五人 暮しであった。家は三階建てで九部屋ある。この家を現状のまま将来も維持して ゆく自信など到底ない。 私は生まれつき貧乏性なのか、人気女優といわれたころも、大邸宅に住んで人 230

4. にんげんのおへそ

167 食事どきにはいつも美味しそうな味噌汁の匂いがただよっていた。私が、ものほ しげにチラと台所を覗くと、ときおり彼女らのおこほれが食卓に現れることがあ ったけれど、この十数年来、老夫婦の二人暮しになってからはその楽しみもふつ つりと無くなった。 A 」し、つほ 私は、美味い味噌汁と漬けものさえあれば、他のオカズはいらない、 どこの二品を愛しているけれど、わが家の夫・ドッコイはこの二品を徹底的に嫌 悪、排斥し、味噌の煮える芳香を「クサイ ! 」という一言で切り捨て、漬けもの のすべてを「ドプ ! 」ときめつける。人間だもの、スキ、キライに理屈はない。 スキなものはスキ、キライなものはキライなんだ、という気持ちは私にも分らな

5. にんげんのおへそ

分 十 秋も深くなった或る朝、寝室のガラス窓を開け放っと、鼻にツンとくるような 時冷気が流れこんできた。 十 前昨夜から降りだした雨はやんでいたが、庭一面に落葉が散り敷かれて、一夜で 冬になっていた。灰色の雲を押しのけるようにして、弱々しい陽の光がのぞいて いる。私は押入れからスペアの羽ぶとんを出して、べッドの足もとへ置いた。 「今日の夕食はなにかあたたかい鍋ものでも : : : ちょうど運転手さんが来る日だ から夫の好きな魚スキにしよう : : : 」そう決めた私は洗面をしにバスルームに駆 けこんだ。 私の胸が、コトコトと音を立てていた。

6. にんげんのおへそ

私は宗教を持たない。が、私は私だけの「神」を自分の心の中に持っている。 〈「神サマだけが御存知よ : : : 」という歌があったけれど、私の神は常時私により お の そって、私のすべてを静かな眼でじっと瞠めている。優しいけれど超オッカナイ ん 心神だから、私は気安く願をかけたり甘えたりせずにビクビクと遠慮がちにおっき あいを願っている。私にとっての神は、ひそかな心の支えではあるがお助け爺さ んではないから、困ったときに「助けてくれ工 ! 」と叫んだこともない。叫んで みたところで、「悲しいときは悲しめばよい。死ぬときは死ぬがよろしく候」と、 褝坊主のような返事がかえってくるだけだ、ということも、私にはわかっている。 が、ピンポン玉が消えて無くなったときだけは、おもわず、神を間近に感じて、 みつ

7. にんげんのおへそ

と多い と ひ 101 どの電話にも、いわゆるお悔やみの言葉はなく、母の死を喜ぶ ( ? ) 明るい声 の電話ばかりだった。私にとって、真実オニのようたった養母も、他人にこ、つま で言われてみると、なんとなく哀れになってくるから人間とは妙なものである。 死んでよかった、と人々に言われる母の一生とはいったいなんだったのだろ う ? 金銭以外はなにものも信じなかった母。貰い子の娘がたまたま「金の成る 木に成長したばかりに 、金に魂を奪われ、金に翻弄されて自滅してしまった母。 四歳だった私に、ひとこと多いウソを言ったばっかりに、娘の首を、そして自分 の首まで締めてしまった母を、いまはただ、哀れな人だった、とおもうのみであ る。 しかし、母自身はどうだったのか ? 終始我慾を貫き通して一生をおえた母は、 案外ケロリとして、「楽しかったサ、と言うかもしれない。人間模様は、さまざ まである。 ほんろう

8. にんげんのおへそ

と多い ひ がんで、月日の経つのをひたすら待った。どこで住所を調べたものか、母からひ らがなの航空便が届いた。文面はたた「かねをおくってくたさい」とあった。私 はいたずら心をだして、フラン紙幣を一枚送ってみようかとおもったが、そんな ジョークのわかる母ではない。大切な母親を捨てて外国へ行ってしまった親不孝 な娘、と、あちこちに触れまわるのかオチだろう。私は、日 矢らぬ顔の半兵衛をき めこむことにした。 帰国したのは十二月も半ばだった。羽田空港に出迎えてくれたのは、花束を抱 えた東宝や松竹の重役さんやプロデューサー、そして私の友人たちと大勢のカメ ラマンやジャーナリスト : ・ : もちろん、最前列には目一杯に着飾った養母がいた。 「母さん、ただいま」 と笑いかけた私に、母は大声で叫んだ。 「どうだ、親の有難みがわかったろう ! 」

9. にんげんのおへそ

わりの人々がおせつかいにも手取り足取りしてポケの進行を手伝っているような 気がしてならないのだ。第一、老人とみると、会話に妙な幼児語を使、つのが私は 気に入らない。 「さあ、よーく噛んでくださいねえ、ホイホイのホーイと : : : あーらお上手にで きましたこと、 ハイ、次はお豆腐チャンですョ」 中 「おばあちゃん、お元気でいいですねえ、きんさんぎんさんなんて顔負けですよ。 出 いつまでも頑張ってチョーダイね , 今 といった類いで、ただもう、そらぞらしくて、気味が悪くて「よせやい」であ る。老人の中にはそうした猫なで声の好きな人もいて、「ハイハイ頑張りまーす」 などと調子を合わせているものの、おなかの中では案外「このバカタレがーと、 せせら笑っているかも知れない。もっと狡猾な老人は御機嫌をとってほしいあま りにわざと駄々をこねたり、ポケたふりをするかも知れない。い や「かも知れな いーではなく、私はこの眼で実際にそういう老人を見たのだから間違いはない。

10. にんげんのおへそ

馬 113 登場するインディアンの老人で、私はかなりズッこけた。 監督の指示に、ウン、ウン、とうなずいていたインディアンは、 「ンまあ、やってみべえかー と言いざま、ひらりと裸馬に飛び乗ると、早足で所定の位置へ進んでいった。 「やってみべえかって言ったけど、どう ? 一応まわしてみる ? つぶや と、ファインダーをのぞいていた三村カメラマンが呟き、助監督がサッと振り おろした白旗を合図に、馬が全速力で走りだし、同時にカメラがまわった。 馬は、幅のせまい山の稜線を見事に突っ走り、放牧中の馬群までひきつれて、 長い道程を走り切った。もちろん、テストなしの「一発 O 」となり、スタッフ 全員から感動にも似た歓声が上がった。 「プロとは、こういうものなのか : : 私もせめて、俳優のプロの端くれぐらいに はならなければ : : : 」 それが、十六歳の少女俳優だった私の、「偉大なるインディアン」に対する、