昭和三十年。当時映画女優だった私は、演出家、木下惠介の愛弟子だった松山 善三と結婚をした。松山サンも貧乏だったが、私も貧乏だったから、仲人の木下 惠介、川口松太郎のお二人から二十万円ずつの借金をし、四十万円コッキリで結 婚費用のすべてをまかなった。結婚式は、当時、アメリカ進駐軍の専用だった麻 ル布の教会で行った。花嫁が祭壇まで歩き進むための白布敷物の洗濯代百三十円の ン支出のみで、つまり安あがりだったからである。披露宴の招待客は何百人という , 数から四十人足らずのギリギリまでしばりこみ、銀座の小さなレストランでささ の やかに済ませた。とはいうものの、いくらケチっても、あれやこれやと出銭が多 年 四十万円の借金はみるみる内に消えてゆく。結婚式のハイライト、ウェディ 四 ングドレスの予算など考えているヒマもない。 当時、アメリカでは「ナイロン、という安価な化学繊維が大流行と聞いた私は、 ワシントン在住、日系二世の女友達に手紙を書いた。 「シンプルナデザインデ、一番安イナイロン製ノウェディングドレスヲ送ッテク
プラシをかけ終った毛皮を、今度は柔らかい布で撫でるように拭く。毛皮は生 き返ったように美しく輝いてくる。 「今年もまた、お世話になりますー と呟いてガラス戸を閉めようとしたとき、木枯しがピュウ ! と声を立てて庭 への中を走っていった。 お の あの毛皮のお針子さんは元気だろうか。 ん ん 146 つむじ風 朝刊を開いたら、アメリカのどこやらで「大竜巻の発生で民家の屋根が吹き飛
馬 111 知っているから、坂道を右か左の斜面ぞいに走りおりる。 人間だって同じことで、急坂を全速力で走りおりれば頭からでんぐりがえる。 馬にだけ「一直線に駆けおりろ」と強要するなどは、ないものねだりもいいと こで、無智、アホウというものである。 アメリカ映画の西部劇などを見ていると、カッコいいガンマンやインディアン が、そそり立っ断崖絶壁をものともせす、自由自在に馬をあやつってドンパチや っている場面があるけれど、出演している馬たちはサーカスの曲芸馬のような特 訓を受けた馬だから、人間でいえばスタントマンのようなもので、日本国には残 念ながらあの手の馬は一頭も存在しない。 スタントマンといえば、映画「馬」の一場面に、裸馬に乗った「いね」が、
部でもよかった。ギクシャクと息のつまりそうな家を出て撮影所へ行きさえすれば、 以前にも増して私を可愛がってくれる人が大勢いた。仕事そのものは、もともと 演技の苦手な私にとって楽しいばかりとはいえないが、撮影所中のどこへもぐり こんでも、誰もが温かい笑顔で見迎えてくれるのが嬉しかったし、私の身辺をこ まごまと気遣ってくれるハツの存在もまたありがたかった。撮影所の人たちの、 へ太陽のような愛情をサンサンと浴びながら、私は十五歳になり、十六歳に、十七 お の 歳になっていった。 ん ん 敗戦後の四、五年というもの、私は人気スターという金ピカのおみこしにかっ ぎあげられて、日夜ワッショイワッショイの連続だった。運転手つきのアメリカ
Ⅷからみれば考えられぬような作業である。中国の人々の持つ、計りしれないパワ ーとねばり強い忍耐に、私は圧倒された。 「こんな人々に、本当にやる気になられたら、チンケな日本なんて、まるでお呼 びじゃない というのが、今回の中国旅行の感想だった。 ~ 白熊のような巨体をユラュラさせながら私たちを案内してくれた伍夫妻と、香 お 港で「じゃ、またネ」と別れて東京へ戻った私は、中国で受けたカルチュアショ んックに呆然となりながらも、とりあえず、『始皇帝を掘る』 ( 樋口隆康著 ) 、『兵馬 俑と始皇帝』 ( 今泉恂之介著 ) などの本にくらいっき、ついでに周恩来の生涯を書 いた『長兄』 ( ハン・スーイン著 ) を、一週間かけて読み終えた。 医師として香港で開業していたハン・スーイン女史の父親は中国人。母親はべ ルギー人。そして御主人はインド人。とい、つややこしい人で : : : というより、昔、 アメリカで映画化された「慕情」の原作者といったほうがわかりが早いかもしれ
のの小皿が夫の目の前に置かれるやいなや、間髪をいれずにカッさらって私のお 膳に移動させる早業なんざ、われながらほとんど神技に近い、と、自分ではおも っている。小皿の漬けもの程度なら、さっさと自分のおなかに送りこんでしまえ ば一件落着だが、自宅に到来する大量の漬けものを片っ端からバリバ リ・と們化オ .. ス レるほどの胃を、私は持っていない。御近所におすそ分けしたくても、右隣りはシ グ ンリア・アラブ共和国大使館、そのうしろがガーナ大使館で、左隣りがアメリカ副 大使公邸とあっては、「梅干一樽もらってください」というわけにもいかない。 の いまは亡き元総理大臣三木武夫氏の生まれ故郷は徳島県で、生前、盆、暮れに 年 + は必ず御自漫のひねタクワンの漬けものが到来したものだった。とにかく巨大な 大樽で、タクワンの匂いがプンプンを通りこしてガンガンにおう。送り主の御好 意を無駄にするに忍びず、もったいながりやの私はタクワンの大樟をジャガーの トランクに積みこんで知りあいのトンカッ屋さんに運びこみ、店で使ってもらっ 昭たこともあったつけ。
わたしの渡世日印 ~ 昭和を代表する大女優には、華やかな銀幕世 ( 上・下 ) 界の裏で肉親との壮絶な葛藤があった。文筆 日本エッセイスト・クラブ賞受賞家・高峰秀子の代表作ともいうべき半生記。 撮影所の魑魅魍魎たちが持つ「おへそ」とは 高峰秀子著にんげんのおへそ何か ? 人生を味わい尽くす達人が鋭い人間 観察眼で日常を切り取った珠玉のエッセイ集。 新 私の書くものはいつも、道を歩いて行く間に 出来上って行く 。本伊勢街道、宇治、比 白洲正子著一迫 最 叡山に古代人の魂を訪ねた珠玉の紀行文。 庫 二〇〇八年二月、僕は、二十四年間囚われて 文蓮池薫著半島へ、ふたたび いた北朝鮮と地続きの韓国に初めて降り立っ 新潮ドキュメント賞受賞た。ソウルで著者の胸に去来した想いとは。 朝 新 天皇には時代が凝縮されているーー " 代替り の場面から、個としての天皇、一家族として 保阪正康著崩御と即位 ー天皇の家族史ー の天皇家を捉え直したノンフィクション大作。 変見自在 はからずもアメリカ大統領が我が国を守って 高山正之著ジョージ・ブッシュが くれたかと思えば、守るべき立場の朝日新聞 日本を救ったや裁判官が国を売る。大人気コラム第三弾。 高峰秀子著
秋 尾 子 丸谷才一著完本日本語のために ワシントンハイツ終戦直後、が東京の真ん中に作った巨 大な米軍家族住宅エリア。日本の「アメリカ ーが東京に刻んた戦後ー イ」の原点を探る傑作ノンフィクション。 日本エッセイスト・クラブ賞受賞 にぎやかだった茶の間。あの「家族」たちは どこへいったのか。向田邦子、吉野源一二郎、 関川夏央著家族の昭和 幸田文からみる、もうひとつの「昭和」の姿。 身代りの少女ミサオは、後の造船王・光次郎 と船上で出会い、数奇な運命の扉が開く。日 玉岡かおる著天産の船 ( 上・下 ) 欧の近代史を駆け抜けた空前絶後の恋愛小説。 42 ( 豕」′ル日本近代の黎明期、日本一の巨大商社とな 0 た鈴木商店。そのトップに君臨し、男たちを ( 上・下 ) 織田作之助賞受賞支えた伝説の女がいたーーー感動大河小説。 徴兵を忌避して逃避の旅を続ける男の戦時中 丸谷才一著世まらの内面と、二十年後の表面的安定の裏のよる べない日常にさす暗影ーー戦争の意味を問う。 子供に詩を作らせるな。読書感想文は書かせ るな。ローマ字よりも漢字を。古典を読ませ よ、つ いまこそ読みたい決定版日本語論 / 玉岡かおる著