オッパイ讃歌 四、五日、寝不足の日が続いた。 左のオッパイの下のピンポン玉のようなしこりが、アバラ骨を押して痛くて寝 つかれない。オッパイというものは、デカ、チビにかかわらず睡眠の邪魔になる という代物ではないのに : : と、胸をまさぐってみたけれど痛くもかゆくもなく、 ピンポン玉はやわらかいと固いのの中くらいの手ざわりでコロンと居据わってい る。カンシャクをおこした私は、ある朝、鏡に向かって左のオッパイをグイ ! オッパイ讃歌
オッパイ讃歌 を願う患者は、病気の自覚があればこそ病院へ行くのだ、病いにかかった身体に はプラス、不安、焦燥、恐怖におののく心がひつついている。その心をワシづか みにして地面に叩きつけるような < 医師の、有無を言わせぬ強弁に、私は震えあ がった。 が、考えてみれば、外科医にとって、乳ガンの手術をする以上、ガン細胞の温 床である乳腺の走る乳房は、ただの憎つくき肉のかたまりでしかないのかもしれ それにしても、乳ガンのレントゲン検査の痛いのには仰天した。オッパイの横 から、縦からを、平たい板ではさんでグイグイと締めてゆく。オッパイはノシイ カ寸前にまでペッチャンコになり、思わず「痛い ! 」と悲鳴が出る。
「そ、つよ、どうして ? 」 「私のお願いは、もう一人、別の先生に診ていただいてほしいんです。余計なこ とかもしれないけど、私、勝手に決めて明朝、診察の予約をしちゃいました。気 がすすまないでしようけど私の顔をたてて病院へいらしてください。これが私の お願い。婦長さんが病院の玄関で待っていますから、必ずいらしてくださいね」 へ全く気がすすまなかった。 お の ん どうせ無くなるオッパイのために、またもやあのオッパイ締めつけレントゲン んで悲鳴をあげるのかとおもうと、ユーウッで気がめいる。ふく子女史はそんな私 に気を使って、軽いぬきげいこ ( 私のシーンだけをまとめてけいこをすること ) だ けで帰してくれた。
四十三年目のウェディングドレス オッパイ讃歌 おへそ ひとこと多い能 丐よ 梅原龍三郎と周恩来 風の出会い 午前十時三十分 118
にんげんのおへそ 現在、ハルステッド手術はどこの病院でもほとんど行われず、「乳房温存療 法」が増えつつある、という。乳ガンと宣告された女性にと 0 て、不幸中の福音 とい、つことにろ、つカ 七十歳を越えた私のプラジャーの中には、古びて見栄えのしないオッパイだけ れど、いまもふたっ揃って鎮坐ましましている。やつばり、愛いャツである。
オッパイ讃歌 と、夫人。 「そんなことをしていたら手遅れになりますよ。いま、十二月でしよ、つ、このま ま放っておけば一月末には命を失いますよ 一月の末 : : : あまりに早急なその言葉に絶句した私のうしろに、婦長さんが いたわるようにそっと寄りそった。 「先生。私、いまテレビドラマのけいこに入っているんです。お正月のオンエア なので、十二月の半ばにはビデオ撮りが終るんですが : : : 」 「では、ビデオ撮りが終った時点で、ということで、病室を押さえましよう。ま あ、念のためにレントゲンその他の検査はしますがね。それも早いほうがいい 今日やってしまいましよう」 蛇にみいられた蛙のように立ちすくんでいる私に、医師ははじめてうっすら と笑顔をみせた。 「さあて : : : 女優さんだから水着を着ることもあるでしようし、どう切ろうかな。
オッパイ讃歌 涙ではれたまぶたはみつともなく、昨日も今日もなにも食べていないので足も とがフラフラする。私はテレビドラマのプロデューサーである石井ふく子さんに 電話を入れた。いまの心境をあらかじめ話しておいたほうがいし ) と思ったからで ある。 大勢のスタッフを抱え、次ぎ次ぎとテレビドラマを作り、舞台の演出も手掛け ているふく子女史は常に沈着冷静で、どんなことにも動じない人である。 「 : : : それで : : : 今日のけいこは六時からですけど、おいでになれますか ? 」 「行きます」 「五時半にお車をまわします。局でお待ちしていますから : : : では、のちほど 六時。ふく子女史は enco の玄関の前に立って私を待っていた。 「高峰さん、お願いがあるんですー 「なあに ? 「診察をしていただいたのは、 < 先生だけですか ? 」
オッパイ讃歌 私は「ありがとうございました。私にこんな幸せをくださって」と、叫びたいお もいだった。 人間、現金なもので、三日間のビデオ撮りの間、私は幸せいつばいでタコ踊り でもしたい心境だったが、 おさまらないのは夫人で、婦長さんに手術と病室の キャンセルを電話したついでに、 < 医師の誤診をきびしく訴えたらしく、年が明 けて早々に「 < 医師はもうこの病院にはおりませんーという報告を、私は受けた。 < 先生 : ・。ほんの二、三十分ほどのおっきあい ( ? ) ではあったけれど、彼 は彼なりに「寸時も早く患者の乳ガンを退治するのだ」という意欲と使命感にか られての日々であったろう、と私は思う。 患者にとって、誤診は許せないことだが、私がピンポン玉の経験で教えられた とい、つことだった。 ことは、医師もまた生身の人間であって、全能の神ではない、 ピンポン玉の一件は、いまから二十年も昔の話で、テレビドラマは幸田文先生 原作の「台所のおとーだった。
院長室に入り、婦長さんが私のプラウスのボタンをはずすと同時に廊下がざわ めいて、院長先生を先頭に二十人ほどの白衣の大軍が目白押しに院長室を埋めた。 「どうしましたか ? ・ : どれどれ、ちょっと拝見 色浅黒く、くりくりとした丸顔に大きく見開いた眼の色が強い。 院長先生の指さきがのびて、右のオッパイを触診した。 へ「あれ ? : なんにも無いじゃないのー お の 「先生、ちがいます。左です、左」 ん ん うしろに控えていた白衣の一人がカルテを差しだした。 「あ、そ、つか。、つん、、つん、これは : 院長先生はピンポン玉の周りを押したり左右に動かしたりし、やがて、カルテ の医師にドイツ語でなにかを指示し、私の肩を優しくボンポンと叩いた。診察は、 それで終りだった。 ・ : 私はなんとしてでも、 Z 先生の言葉を一縷の望みとして頑張ろうと いちる
ふく子女史紹介の病院は大塚にあった。 婦長さんに案内された診察室には、 z 先生が机を背にゆったりと椅子に凭って 見迎えてくれた。年のころは < 先生と同じくらいか、ふつくらとした童顔で、身 体はふつくら以上の肥満体で、細めた眼の光がなんとも優しくやわらかい。 人間の第一印象というのはふしぎなもので、私は z 先生にすすめられるままに、 讃吸いよせられるように椅子に腰をおろした。手術をするなら、この Z 先生のよう な方にお願いしたい : : そんなおもいが、チラと頭の中を走った。 「ちょっと、拝見しましよ、つか : : : 」 オ z 先生の丸っこい指さきが、左のオッパイの上からまわり、下へ、と輪をかく ようにすべって、ピンポン玉をとらえた。 「あ、これですね」 「 < 先生はすぐにも手術を、とおっしゃいました」 「 < 先生 : : : ああ、あの方は切りたがりやだから : : : でも、これはねえ、私から