中国料理 - みる会図書館


検索対象: にんげんのおへそ
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1. にんげんのおへそ

179 な夫・ドッコイは「この味は海浜の散歩だーなどとしゃれたことを言いながら雑 炊をすすったあと、ゴロリとソフアにころがって雑誌をめくる。岩礁のトド御満 腹といった風景である。 これらの雑炊は、「お茶漬けはキライ ! 」という偏食夫のためのメニューであ って、ランチはゆっくり、たつぶり、しつかりと楽しみたい私にとっては全くお 呼びではない。そこで、ときたま夫 ・ドッコイが外出をしたり旅行中のときは 「待っていました、私のランチタイム ! 」とばかりに外へ飛び出す。さて、何を 食べよ、つか ? うなぎ、てんぶら、おすし : : : イタリー フランス、ドイツ料理 、。とはいうものの、私はと に中国料理、と心は千々に乱れてなかなか決まらなし うに七十歳を越えた御老体、それらをハシゴするほどの元気はないし行動範囲も 限られている。一流といわれるホテルには上等のコックや板さんが揃っているし、 雰囲気、サーヴィスにも安心感があるので、ついホテルへと足が向いてしまう。 その昔、ライトの設計によるあの懐かしい帝国ホテルのグリルへ行くと、古川口

2. にんげんのおへそ

この絵が画かれたのは一九三九年。ルリ色の空の「北京秋天ーは一九四一一年、と、 画伯は五十歳前後に六回も北京に滞在してたくさんの作品を残している。 画伯が愛したのは北京の風景ばかりではなく、中国料理、骨董街、京劇、と、 なにもかもが気に入り、北京語の四声のレッスンをとったり、当時の京劇の名女 メイランファン 形「梅蘭芳」に惣れこんで、 メイグアンルン 恩「ボクもね、梅原龍と名前をかえて、京劇の俳優になろうか ? と考えたこと 郎もあるサ。半分以上は本気だったな」 原 というから、中国への傾倒はハンパではなかったらしい。その情熱のすべてが、 梅 カンバスの上にみなぎり、溢れ、「雲中天壇」という絢爛豪華、強烈な作品にな ったのだ、と私はおもう。 梅原画伯との初対面は、昭和二十年の敗戦から三年がたち、銀座の焼けあとに もチラホラとバラックながら店舗らしいものも建ちはじめ、人々の心もわずかな がら落ちつきをとり戻しはじめた、そんな時、ささやかな楽しみを求めて「絵で

3. にんげんのおへそ

べられるようになったのは、生前親しくしていただいた二大グルメ、梅原龍三郎 画伯と谷崎潤一郎先生のおかげである。 鯛のおっくり、ばたん鰤、と、日本料理びいきの谷崎先生は、「中国料理って おっしゃ のは、ど、つもゴミ溜めみたいですなアと仰言り、キャビア、フォアグラには目 がなく、フカのヒレの煮込みをこよなく愛した梅原画伯は、「日本料理は、ひた すら風を喰っているようなものだな」と仰言って、頑として御自分の嗜好を押し う通されたが、 両先生の間をピンポン玉のように往復して御馳走になっていた私た ちは、超一流のゴミ溜めも風も充分に堪能させていただいてシアワセだった。 前にも書いたよ、つに、私にはスキ、キライかないから何でもありかたくいただ く、が、実をいえば、その何でものどこかに少々注文がつく。魚なら砂ずりと呼 ばれるおなかの部分。牛なら絶対に舌か尻尾。とりなら皮かキモ。豚なら豚足。 羊なら骨つきシャンク。と、あまりお上品とはいえない好みで、せつかくの梅原、 1 谷崎、両先生の優雅にして高度な食味教育の、かげも形も残っていない。夫は、

4. にんげんのおへそ

昔々のその昔、夫・ドッコイ松山善三作品の映画、「名もなく貧しく美しくー が香港で上映されたとき、香港側の招待客として映画を観てくれた若き日の伍夫 妻と知りあって、以来、三十余年もの交友が続いている。が、いまだに彼らと私 たちの間にはほとんど会話は存在しない。理由は簡単、あちらは英語と広東、北 京語、こちらは日本語オンリーで、つまり言葉が通じないからである。 〈現在、香港実業界の一大成功者である伍さんの名刺には、「廣州嶺南大学院、 名誉主席」をはじめとして、種々の役職名がズラズラと並んでいるけれど、その どれにも私たちはカンケイない。用件でもあれば通訳が必要だが利害関係は皆無 だから用件はないし、通訳に聞かれて困るナイショ話もない。私たちが香港へ行 けば美味しい中国料理を御馳走になり、彼らが日本へ来れば美味しい日本料理を 御馳走している内に、なんとなく三十余年が過ぎてしまった、という、世にもふ しぎな友人関係である。 温厚篤実の見本のような伍さんはまた、羨ましいような愛国者で、「ボクの母 120

5. にんげんのおへそ

招いて「タ食会」を開いた。ゲストは政界、財界、ジャーナリスト、画商、作家、 棋士、関取、歌舞伎役者、と、その交友は幅広く、中国料理のコックやすし屋の 親分が腕をふるったタ食のあとは、将棋や囲碁を楽しむ人、お喋りに興じる人、 と、梅原サロンはいつも明るく楽しかった。 あれは : : : 画伯が七十歳をすぎたころだったろうか、夜も十時をすぎておひら 〈きとなり、最後に残ったのは作家の川口松太郎と、長年、画伯の画集を手がけて お んいた石原求龍堂の主人の石原さん、そして私の三人だった。ふっと姿を消した梅 ん原画伯は、一枚の半紙を持って現れると、その紙をテープルの上に置き、私たち のぞ 三人は立ちあがってその紙を覗きこんだ。 「葬式無用 弔問供物 固持すること 梅原龍三郎 134

6. にんげんのおへそ

皿は日に何回もシャワーを浴び、「おしゃれをしないとジジムサイーと、とってお きのイタリー製のシャツを着たのはいいけれど、うしろから見たらポケットが ついているではないか。「今日はまた変ったシャツですねえーと言ったらさすが にギョッとして、そそくさと着なおしていたけれど。それから、ひょいと台所へ 入ったと思ったら、私が煮物用にと作っておいたコプとカツオプシのだし汁を麦 ( 茶と間違えて飲んじゃったし、眼薬と間違えて薄荷入りのうがい薬を眼に注して お の 飛び上がったし、そうそう、外出どきには片時も離さない大事大事のセカンドバ ん ッグを中国料理店の椅子の上に置き忘れてきたときはさすがにショゲかえり、デ ートに走ってコーチのショルダーバッグを買いこんで、肩からはすかいに掛け た姿は、どうしたって白髪老眼鏡にはそぐわない幼稚園スタイルだったわねえ。 ま、この私だってマウイ島の火山のてつべんにハンドバッグを置き忘れてスタ コラ帰ってきちゃったこともありますから、あまりひとのことは言えないけど。 結婚以来四十年も一緒に暮していると、夫婦はなんとなく似てくるものらしい

7. にんげんのおへそ

囲私は、自分の耳を疑った。どう考えても、母の言葉の意味がわからなかった ( いまでもわからない ) 。華やかな雰囲気に包まれていた空気が一瞬シン ! と凍 りついて、母だけがなぜか居丈高な態度であたりを見まわしていた。 羽田から、私たち母娘は今井町の家に帰った。家は料亭風に増築、改造されて、 「つばめ」という料理旅館に変貌していた。見知らぬ板前さんやおはこびさんた へちに迎えられて、私は客室に案内された。 お の 母はヘンに気取ってしなを作り、「いらっしゃいませ」と、私に頭をさげた。 ん ん気味の悪いしぐさだった。 翌日から、松竹や東宝からの出演交渉や、友人たちの訪問、インタビューなど で、あっという間に四、五日が過ぎた。ある夜、三、四人の友人たちとタ食をす ませたところへ、女中さんが小さな盆を持って入ってきた。盆の上にあったのは、 一週間分の請求書だった。宿泊代に加えて、洗濯代、電話代、来客との食事代ま でか明細に言されていた。

8. にんげんのおへそ

けど、同じようにトシをとって ( 当りまえダ ) ポケ具合まで同時進行するとは田 5 いもかけないことだった。「アホらしい、考えたってしよ、つがないことを考える より、夕食の支度支度」と、近頃とみにたてつけの悪くなった身体をガタピシさ せながら、私は台所に立った。 女にとって「台所仕事」は多分にポケ防止になる作業だと私は思っている。包 中 丁と火を使うには終始緊張感がともなうし、気をぬいて作った料理の味はちゃん 出 と気がぬけ、急いで作る料理の味は荒くて不味く、そのときの料理人の気分が即、 分 齡結果となって現れるから油断がならない。献立をきめ、頭の中で調理の手順を組 みたて、材料を手ぎわよく捌きながら、一品、また一品と料理を完成させてゆく のはなかなか気分爽快なものだけれど、例の「両手ダラリ」以来、細かい仕事を こなしてゆくかんじんの十本の指さきの動きが鈍くなり、調理のテンポが乱れて きた。冷蔵庫の扉を開けてはみたものの、「何を出すんだっけ ? ーと首をひねり ながら扉を閉めるときの、言い知れぬ空しさは経験者でなければ到底理解ができ

9. にんげんのおへそ

私が作る雑炊の中で、たとえば「もすく雑炊」は、細くて上質のもずくをハサ ミで一センチほどの長さに切り、ザルに入れて流水でヌメリを洗いながしてから 水を切っておく。鍋のだしが沸いたら冷やごはんを入れ、塩少々で味をつけたと ころへもすくを加えてサラリとかきまぜて出来上がり。生ナメコを加えるとしゃ れた感じになる。出来たてアツアツを椀に盛ったら、みつばかセリのみじんをた ~ つぶりと散らせば、ちょいと小料理屋の感じで悪くない。 お の 次は牡蠣雑炊の御紹介。 ん ん 二人前として、生牡蠣四、五個ほどを熱湯で茹で、水を切った牡蠣をこまかく 刻む。これは私の好みで、雑炊に牡蠣がべロリと入っているのは見た目も悪いし、 生臭いからである。だしが煮立ったら、塩か醤油を好みでチラリ。冷やごはんを 入れてフッフッいってきたら牡蠣を加え、ひと煮たちして出来上がり。牡蠣の匂 いが足りなければ、さっきの茹で汁を加えてもいい。椀に盛った雑炊の上から、 刻んだアサッキ、貝割れ大根などをたつぶりと散らすのをお忘れなく。海の好き 178

10. にんげんのおへそ

そ へ お の ん ん老夫婦二人きりの、わが家の夕食は小鍋仕立ての鍋料理が多い。 今タのメニューは、生うに、柿なます、叩きオクラの小鉢に長ねぎたつぶりの 鴨鍋である。鍋ものには目のない夫・ドッコイは、フッフッと音を立てる小鍋を みると、いつものビールをやめて、イソイソと貴和皓山作の愛用の徳利を持ちだ し、好みの盃を物色して日本酒となる。 鍋料理とくれば、例によってダラダラノロノロと二時間を越す長丁場だ。食事 ひとこと多い