幸田 - みる会図書館


検索対象: にんげんのおへそ
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1. にんげんのおへそ

私の到着後、五分ほどして、それでも約束の時間より十分ほど早く、幸田さん が姿を見せた。ラジオ局の人の紹介もそこそこに、幸田さんはススッと私に近づ からし いてきた。ドンピシャリ、辛子色に焦げ茶の格子柄の八丈だった。 「高峰さん、はじめまして、幸田文でございますー 私もあわてて頭を下げたものの、緊張のあまり挨拶の言葉も出ない。幸田さん へ从士十 , こ 0 お の 「今日は朝からつむじ風でしよう ? 風は人の心をザワつかせるので朝から気分 ん んが落ちつきませんでねえ : なんとなく出がけまでバタバタしていて、矢庭に 、ンドバッグをひつつかんで出ようとしたら、娘に叱られましたの。今日は高峰 さんと対談でしょ ? 初対面だというのにそんなバサけた気持ちで飛び出してい っていいの ? って。私、シュン ! としてしまいました。若いころは父に叱ら れ、年をとったら娘に叱られ、私って、いつまでたっても不器用なんですねえ 150

2. にんげんのおへそ

151 言葉とは反対に、口元には微笑が浮かび、くつきりとした目元が爽やかである。 のつけから、心遣いの溢れる優しい言葉に、カチカチになっていた私の両肩か らスッと力が抜けた。 アナウンサーにうながされて、幸田さんと私はマイクロフォンをはさんで向か いあった。対談のテーマは「和服について」だったが、何をどう喋ったかは一言 も記意にない。私はただ、目の前の、シャッキリと美しい幸田さんにみとれていた。 会 出その後も幸田さんは次ぎ次ぎと見事な作品を発表し、私も映画やテレビで、 の 「流れる」「黒い裾」「台所のおとーなどに出演した。その中のどれか一本でも幸 風 。あの いや、そんなことはどうでもいい 田さんは観てくださっただろうか ? ・ 対談の日以来、わが家のガラス窓がカタカタと音を立てるたびに、私はいつも、 「娘に叱られて、シュン ! としてしまいました」と、笑顔の首をかしげた幸田 さんを思い出す。小贈らしいつむじ風も、いまではなっかしい思い出のひとつ、 人間とは勝手なものである。

3. にんげんのおへそ

父・幸田露伴の死の模様を描いた「父」。父と 幸田文著、乂・一」んなこ A 」娘の日常を生き生きと伝える「こんなこと」。 偉大な父を偲ぶ著者の思いが伝わる記録文学。 大正期の東京・下町。あくまできものの着心 幸田文著去」 もの地にこだわる微妙な女ごころを、自らの軌跡 と重ね合わせて描いた著者最後の長編小説。 「かぜひきー「お節句」「吹きながし」。ちゅん 幸田文著雀の手帖ちゅんさえずる雀のおしゃべりのように、季 節の実感を思うまま書き留めた百日の随想。 貧困にあえぎながらも、向上心を失わず強く 林芙美子著放浪記生きる一人の女性ーー日記風に書きとめた雑 記帳をもとに構成した、著者の若き日の自伝。 外地から引き揚げてきたゆき子は、食べるた 林芙美子著 ) 仔 云めには街の女になるしかなか 0 た。恋に破れ、 ポロ布の如く捨てられ死んだ女の哀しみ : 雪の楢山へ老母を背板に乗せて捨てに行く孝 棄老伝説に基づ 深沢七郎著楢山 ~ 即亠行息子の胸つぶれる思い 中央公論新人賞受賞 いて悲しい因習の世界を捉えた表題作等 4 編。

4. にんげんのおへそ

とができた私は、やはり「しあわせな人間」だといえるだろう。 さて、つむじ風は相変らすザワザワと音を立てている。昭和二十三年といえば、 まだテレビは無くラジオの時代だったから、対談といっても何を着ようが関係は ない、とはいうものの、相手がなんせ幸田弁才天だからお行儀のいい服装でなけ れば失礼にあたる。当時、幸田さんは四十二、三歳、その文章から推しても、絶 つむぎ 対にゾロリとした絹物で現れるはずがない。私の勘によると、キリッとした紬か 会 、い、私は無難な黒のスーツで出かけることにした。 出八丈あたりでは ? と思 の 坦戸は銀座のビルの一室だったが、つむじ風のおかげで折角のヘャスタイルが 風 ハリネズミの如く逆立ってしまい、あわてて洗面所に駆けこんだ私は髪を整え、 ついでに深呼吸を二、三回して気持ちを整えた。約束の時間にはまだ十五分ある が、こちらは二十三歳のヘナチョコ女優、早く会場に着いて幸田さんをお迎えし なければ : : と、エレベーターに飛び乗った。「落ちついて : : : 落ちついて : 」と自分に言い聞かせても、胸の動季は早まるばかりである。 149

5. にんげんのおへそ

まず第一に聡明である。第二に真摯な生きかたである。第三に和服姿がバッグ ンで、第四に : : と、数えあげればキリがない。 テレビの画面に杉村さんが現れると、私はたとえ酔っぱらっていてもキチンと 正坐して杉村さんの至芸を拝見する。 幸田さんの文章の一行一行に溢れる品格と清冽さもさることながら、その文章 ~ の中から、生活の小さな智恵を私はどれほど教えられたか知れない。例えば、雑 お の 巾はバケツの水の中でしほってから上へあげるとまわりに水が散らない。襖をち ん んよっと持ち上げれば敷居の掃除が簡単にできる。 ・ : などなどである。幸田さん は十四歳から十八歳までの四年間に、作家である父上、幸田露伴に、作法、料理、 掃除のしかたまで徹底的に教育された、というが、教える側の一片の妥協もない 厳しさにも、全身で立ち向かってゆく教わる側の根性の強さにも、父と娘の羨ま しいような愛情が溢れていて実に感動的である。 こういう優れた女生と同時代に生まれ、間接的にでもその生きかたに触れるこ

6. にんげんのおへそ

ばされ、自動車が舞い上がった」というニュースが出ていた。どういう気象の変 イでそ、つい、つことになるのか知らないか、とにかく恐ろしいことである。日本国 では、たまに竜巻が起きても「猛烈な旋風」程度の小規模なもので、それよりチ ビなのは俗に「つむじ風」と呼ばれるものだろう。 このお話はいまから四十余年も前、昭和二十三年、秋のことである。その日は 朝から家中の窓ガラスがカタカタと鳴り続け、庭木の枝が身をもむようにゆれ動 会 出き、落葉がくるくると輪を画きながら地面を這っていた。 の 風というものは妙に人の心をさわがせるが、とくに今日のつむじ風は「大事な 風 ことーの前だけに神経が落ちつかなかった。大事なこと : : : それは、私の日頃敬 愛する幸田文さんとラジオで対談することになっていたからである。 私は当時、二人の女性にぞっこん惚れていた ( 今もそうだが ) 。一人は名女優、 杉村春子さんであり、一人は作家、幸田文さんである。このお二人、それぞれに 仕事もちがい、歩く道もちがうが、優れた人間だけが持っ共通点がたくさんある。 147

7. にんげんのおへそ

オッパイ讃歌 私は「ありがとうございました。私にこんな幸せをくださって」と、叫びたいお もいだった。 人間、現金なもので、三日間のビデオ撮りの間、私は幸せいつばいでタコ踊り でもしたい心境だったが、 おさまらないのは夫人で、婦長さんに手術と病室の キャンセルを電話したついでに、 < 医師の誤診をきびしく訴えたらしく、年が明 けて早々に「 < 医師はもうこの病院にはおりませんーという報告を、私は受けた。 < 先生 : ・。ほんの二、三十分ほどのおっきあい ( ? ) ではあったけれど、彼 は彼なりに「寸時も早く患者の乳ガンを退治するのだ」という意欲と使命感にか られての日々であったろう、と私は思う。 患者にとって、誤診は許せないことだが、私がピンポン玉の経験で教えられた とい、つことだった。 ことは、医師もまた生身の人間であって、全能の神ではない、 ピンポン玉の一件は、いまから二十年も昔の話で、テレビドラマは幸田文先生 原作の「台所のおとーだった。

8. にんげんのおへそ

秋 尾 子 丸谷才一著完本日本語のために ワシントンハイツ終戦直後、が東京の真ん中に作った巨 大な米軍家族住宅エリア。日本の「アメリカ ーが東京に刻んた戦後ー イ」の原点を探る傑作ノンフィクション。 日本エッセイスト・クラブ賞受賞 にぎやかだった茶の間。あの「家族」たちは どこへいったのか。向田邦子、吉野源一二郎、 関川夏央著家族の昭和 幸田文からみる、もうひとつの「昭和」の姿。 身代りの少女ミサオは、後の造船王・光次郎 と船上で出会い、数奇な運命の扉が開く。日 玉岡かおる著天産の船 ( 上・下 ) 欧の近代史を駆け抜けた空前絶後の恋愛小説。 42 ( 豕」′ル日本近代の黎明期、日本一の巨大商社とな 0 た鈴木商店。そのトップに君臨し、男たちを ( 上・下 ) 織田作之助賞受賞支えた伝説の女がいたーーー感動大河小説。 徴兵を忌避して逃避の旅を続ける男の戦時中 丸谷才一著世まらの内面と、二十年後の表面的安定の裏のよる べない日常にさす暗影ーー戦争の意味を問う。 子供に詩を作らせるな。読書感想文は書かせ るな。ローマ字よりも漢字を。古典を読ませ よ、つ いまこそ読みたい決定版日本語論 / 玉岡かおる著