言っ - みる会図書館


検索対象: にんげんのおへそ
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1. にんげんのおへそ

料水の入った木箱をひょいとかついで店内に運び入れている。若者たちの足はい ・ : あの ずれも汚れたスニーカーでガードされ、力強く大地を踏みしめている。 。今度、 少年も、いっかは車椅子の上で「青年」に成長していくのだろうか ? : いっかまた、あの母子に会うことがあったら、私はなにか余計なことを言ってし まいそうで、こわい気がした。 + 「車椅子に乗っている理由」を聞いてみても、それがいったい何の意味を持っ言 時葉だというのか、「おかあさんの代りには誰が車椅子を押してくださるの ? 」と 十 前たずねてみたところで余計なお世話だし、少年の年齢を知ったとしても、私にな にかしてあげられる筈もない。 他人への干渉はいらぬことなのだ。私は、もう、あの母子には会わないほうが いいのだ、とおもった。そうだ、そのほうかしし 車椅子があの道を通るのはいつも十時半ごろだった。それならば、私が十時す ぎに魚屋へ行くのをやめれば いい、やめれば、あの母子に会うこともないだろう。

2. にんげんのおへそ

ました」 「お前、そんな水くさい言いかたはやめろよ、もっと打ちとけろ : : : そういわれ 「打ちとけるのと、馴れあうのはちがいます。そういう人たちになんと言われよ 恩うと、陳さんは学校で勉強したきちんとした日本語を使ったほうがいいとおもい 郎ます。通訳は言葉を大切にしなくてはいけません。ダメな日本人に正しい日本語 原を教えてあげる、そんな毅然とした態度でいてください : そこまで言って、私はふっと口をとざした。 言葉に不自由な観光客にとって、通訳は必要だし、感謝をしながらっきあうべ き存在である。ダントツにイケル、マオタイ酒のせいかどうか知らないけれど、 大切な通訳をお前よばわりし、おせつかいにも下司でヤクザな言葉まで置きみや 幻げにしていく心ない人々に私は無性にハラが立ち、おもわず陳さんに当りちらし

3. にんげんのおへそ

家への到来物には、味噌漬、奈良漬、広島菜漬、野沢菜漬、名古屋名産守口漬、 京都の漬けもの詰めあわせ、山菜漬のセット、などが次から次へと現れる。が、 そのいずれも、夫は食さない。なにしろ新婚早々のころ、彼は大まじめな顔をし て、ヘンに切り口上で、私にこう言ったのだ。 ス 「お願いがあります。一生、タクワンだけは喰べないでください」 グ ン「タクワン」 デ 私たち夫婦は、知り合ってから一年も経たない内に結婚をしたから、夫となる 目男性がタクワン嫌いかどうかまでリサーチをする時間がなかった。私は、ヌカ漬 + であれ塩漬であれ、漬けものさえあれば他のおかずはいらないほどの漬けもの好 きだけれど、まあ、漬けものがなければ生きてゆけないというほどのことでもな し、タクワンよりも新婚ホャホヤの夫のほうが大切だから、私はとりあえず「ハ イ。わかりました」と、うなずいた。以来、何十年にも亘る私の「漬けもの抜き 弁当作りがはじまった、というわけである。

4. にんげんのおへそ

平成七年の十月号が連載第一回目となった。 本人は一年もやれば勘弁してもらえると思っていたらしい。だが最初の編集長 が異動して、次の編集長も、またその次の編集長も、勘弁しなかった。 こも 「もう書けません。私は家に籠りつきりで人にも会わなきや何の出来事もないか ら、書くテーマがないんです」 秀 連載を一年続けたあと、高峰は言ったが、了解してもらえなかった。 母 もちろん私も「せめてあと一年は」とお願いした。 亡 二代目の編集長など、遂に、「いつでも、何枚でも結構ですからーと、その温 厚だが真綿で絞めるような粘り強さで、書かせた。 の あク作家たらしクで聞こえた名編集長だった。 「いつでも何枚でもいいなんて : : : そんなこと言ってもらえるなんて、有難いね えーと、感じ入ったように高峰は私に言ったことがある。 死ぬまでに一度でいいからそんなこと言われてみたい、その時、私は内心で思 239

5. にんげんのおへそ

ないし、もし私が「子役はキライ、やめたい」とでも言ったら、養母自身の夢が ブツンと切れてしまうことを警戒したのかもしれない。私もまた「辛い」「イヤ だ」などと養母にダダをこねたり、甘えたりしたことがなかった。ダダをこねて みたところで母が困るだけだ、ということはわかっていたし、子供心にも自分が この家の働き手だということをウッスラと感じてもいた。 へ大人には「大人ーという名称があり、子供には「子供」という名称がある。 お の 私は昔から、子供は大人の小型だとおもっている。子供の言語は大人にくらべ ん んて少ない。子供は大人のようにヘ理屈をこねたり、ややこしい表現はできないけ れど、身体全体が一個の感受性のようなもので、鋭敏であり、残酷に近く怜悧で もある。子供には、鋭い感受性はあるけれど、大人の鈍感さはない。 鶯谷の家で、四歳だった私は、養母からしつこく「私がお前のホントのカアサ ンだよーと言われるたびにコクンとうなすいたけれど、もし、あのとき、自分の 気持ちを言葉で表現できたとしたらどうだったのか ?

6. にんげんのおへそ

りないよゥーとため息をつくこともしばしばである。 いつだったか、司馬遼太郎先生に、「もう、生きてるのアキちゃった」と言っ たら、「そうかナア、世の中そんなにアキることもない。例えば一人の人間をじ いっと見ていたって結構面白いもの」というお返事がかえってきた。司馬先生の 言葉は本当だった。私は現在、七十歳を越えて、日一日と老いてゆく自分に出会 〈っている最中である。ポケ進行中の自分をじっと見ているのは結構面白い。次は の どんなポカをやらかすだろうと、スリルもあってワクワクする。 ん ん 「ただ今自分と出会い中ーというこの文章を雑誌に発表して以来、女優がポケる のがそんなに珍しいのだろうか、「もっとくわしく書け」の、「ポケ日記を発表し

7. にんげんのおへそ

皿は日に何回もシャワーを浴び、「おしゃれをしないとジジムサイーと、とってお きのイタリー製のシャツを着たのはいいけれど、うしろから見たらポケットが ついているではないか。「今日はまた変ったシャツですねえーと言ったらさすが にギョッとして、そそくさと着なおしていたけれど。それから、ひょいと台所へ 入ったと思ったら、私が煮物用にと作っておいたコプとカツオプシのだし汁を麦 ( 茶と間違えて飲んじゃったし、眼薬と間違えて薄荷入りのうがい薬を眼に注して お の 飛び上がったし、そうそう、外出どきには片時も離さない大事大事のセカンドバ ん ッグを中国料理店の椅子の上に置き忘れてきたときはさすがにショゲかえり、デ ートに走ってコーチのショルダーバッグを買いこんで、肩からはすかいに掛け た姿は、どうしたって白髪老眼鏡にはそぐわない幼稚園スタイルだったわねえ。 ま、この私だってマウイ島の火山のてつべんにハンドバッグを置き忘れてスタ コラ帰ってきちゃったこともありますから、あまりひとのことは言えないけど。 結婚以来四十年も一緒に暮していると、夫婦はなんとなく似てくるものらしい

8. にんげんのおへそ

に果物ナイフ一本という外食志向の若夫婦のシンプルライフもあるらしいが、そ れでも子供が生まれれば、ミルクを温めたりベビーフードを作るために台所に立 たなければならないし、一生外食とインスタント食品ですます、というわけには いかないだろう。 人間の嗜好は環境や、年齢とともに変ってくる。この私にしても、若いときに へは見向きもしなかったウドンや豆腐がいまは好物のひとつになっている。スープ お んか味噌汁に、クロワッサンがお茶づけに、チーズが漬けものに移行することもあ んるだろう。どんな生活を送ろうが、なにをどう食そうが、その人の勝手だけれど、 と夫に言われ ある日、突然、異変が起こって、「今夜は家庭料理が喰べたいー たときに、妻たるものは臨機応変、二、 三品の家庭料理くらいはサッと作れるだ けの才覚を持っていてほしい、と私はおもう。それすら「出来なーいーでは妻で も主婦でもなく、単なる同居人にしかすぎないじゃないの、と、古人間の私は考 えるのだ。 210

9. にんげんのおへそ

饒舌になり、あげくは折角手に入れたお宝の飾り皿やワイングラスなどを、気前 よくボン ! とくれるのがオジサンの唯一の道楽だった。 ある日、オジサンが呉服ならぬ四角い木箱を抱えてやって来た。箱から現れた のは豪華なバカラの大鉢だった。 「オジサン、こんな立派なものをくれちや商売あがったりだョ」 そ へ と、びつくりする私に、オジサンはニコリともせずにこう言った。 お の 「それとこれは別のことでさア。モノはねえ、ところを得てこそ生きるというも ん んんでしょ ? コイツがお宅へ来たいって顔をしたから持ってきただけ。ま、置い てやっておくんなさいよ」 つむぎ ヒスイのかんざしと紬の着物が似合った奥さんに先立たれたオジサンは、みる みる内にひとまわりほども小さくなって、アッサリとこの世から消えてしまった。 オジサンのような江戸ッ子には、もう出会うこともないだろ、つ : : と思ってい る内に早いもので十余年がすぎた。オジサンと別れてから私はだんだんと和服を

10. にんげんのおへそ

156 子供を生んだこともなく、子供とのつきあいもない私には年齢の見当もっかな いが、二、三歳というところだろうか、幼児と子供の間くらいで、もし、この世 に天使とか妖精が存在するならば、それはこの子ではないかしら ! とおもうほ ど愛らしかった。 私は眼鏡を外してベビーカーのそばにかがみこんだ。幼児は眼鏡を好かないら へしい、ということを知っていたからである。 お の 白いアンゴラのスエタアを着た男の子の頬はすき通るように白く、瞳はオニッ ん クスの黒、胸から下は、あわいプルーのモへヤの膝かけでおおわれていた。 「もう、一人歩きができる筈なのに、風邪でもひいているのかしら ? 」 つぶや 私は声に出さない言葉を呟き、眼鏡をかけて立ちあがった。私の手にあるサイ フに気がついたのか、「お買物ですか ? ーと、女の人が言った。 「ええ、そこの魚屋さんに」 「そうですの、いいお店ですものね。私もたまに使わせてもらっていますー