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検索対象: 子守唄の余韻
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1. 子守唄の余韻

細やかに、手間暇惜しまず、子どもの誕生日のご馳走をつくりながら、雛まつりの支度 をしながら、病身だった母親のことを想っていたのではなかったかと、思うのである。 毎年、きちんと誕生日を祝ってくれる母に、お母さんの誕生祝いをしたいと、そう言っ たとき、誕生祝いは子どもの成長を祝ってするのだから、大人になった親はいいのだと笑 っていたが、とても嬉しそうではあった。 そして、私の〃還暦〃の日には、みんな元気で、一家揃ってしたいものだと言った。 してもらいたい、 と、望んでいた″還暦〃の頃には、父も姉も亡くなっていて、みんな 丈夫で一家揃ってはいなかった。頼りない、みそっかすの末娘が残っていただけだった。 〃還暦〃の祝いの年に、母は、乳癌の手術をした。″ 還暦祝い〃は、祝い延ばしに延ばし たまま、亡くなってしまった。 母の誕生日は、四月三日。 旧の桃の節句である。 127 三月三日

2. 子守唄の余韻

「順はふくろうみたいだ。夜中になると、目が大きくなる」 と、笑って抱いてくれた。その後のことは覚えていない。後に母が一言うには、ほんの一、 二杯お酒を飲むこともあれば、そのまま寝てしまうこともある。どちらにしても、お酒の 支度をして待っていないと機嫌が悪い。そのことを私は、父の我儘勝手と思い、母が可哀 相だと思っていた。そして私は母のようには絶対ならないと、心に決めていた。 だが、母の血の上った耳たぶを見ているうちに、遠い足音を聞きつけて、さっと立ち上 り、髪のほっれを気にして、手でなでつけながら玄関へ急いだ母の姿が、なんとなく、な まめかしく想い出されてきた。 あのとき、私は、四、五歳。父と一つ年上の母は、四十二、三歳。 夜更けてもなかなか眠らず、ふくろうみたいに大きな目を開けていた私は、父と母の邪 と、田 ( いオし 魔をしていたのかも知れない。 208

3. 子守唄の余韻

前には仰向いて寝ると胸が苦しいと布団に寄りかかっていた。 もう母にしてあげられることは、背中を大きく静かになでおろすことしかなかった。 昼も夜も、ほとんど休みなく、なでおろしなでおろしした。掌はしびれて感覚がなくな った。夜中には疲れて、つい、居眠りをして手が止まる。 母は、遠慮しながら、私を起こす。 「もうじきだからね、可哀相だけど我慢しておくれ」 あれから以後、私は、お祈りをしない。 いつでも、寺や神社にお参りする折があればお世話になったお礼のご挨拶はする。けれ ども、お祈りはしない。母の病気のとき、一生一度のお願いと、無理なお祈りをしてしま ったのが申し訳なく、恥しくてならないからである。 母の手の感触は、生身のその手を受けたときよりも、年月が重なるにつれて、強く、想 い出される。肩から背、そして胸へとなでおろしなでおろしした手も、年月と共に切なさ を増してくる。 ″切ない手〃は好きな歌を一つ歌えなくした。 中国地方の子守唄はその優しい美しい旋律や歌詞が気に入り、無意識に口ずさむほど好 93 手

4. 子守唄の余韻

ったし、歌詞も一向にわからなかったが、子守唄と共通する、何か、があった。 低く、ゆったり、気持よさそうに歌う声がそんな風に感じさせたのかも知れない。 歌い出しの「行こうか、参らんしようか」ぐらいが子どもに聞き分けられる限界で、あ とはやたら、おお ーーーとか、ああ 1 ーとかが続いて、ちんぶんかんぶん。 それでも慣れとは恐ろしいもので、切れ切れに頭の上で歌う節まわしを覚えてしまって、 ところどころ、父に合わせた。 ばかばかしく父は喜んで、私に歌詞の説明をしながら教えた。 行こうか参らんしようか米山の薬師 ひとっ身のためササ主のため 第一節は、そのまま、米山のお薬師さんへ行こうか、お参りしましようかというのだが、 第二節目の説明はこうだった。 お参りするのは、本当は相手のため、主のために行くのに、そうとは言わず、まず先に、 ひとつは身のため、自分のためと言いながらササ、主のためと、後から主のためと一言うと ころが、まことに実のある情の深さが感じられる。控え目で、一途な女心が滲んで出てい

5. 子守唄の余韻

になり、母の愛情にすつばり包まれて、とりとめのない甘えに揺られて、やすらぐ。 今頃、親のありがたさが、愛の大きさや深さが、しみじみと感じられるのである。 以前、新聞の赤ちゃん相談に、こんなことが載っていた。 若いお母さんの問で、うちの子どもは、もう二歳近くなるのに、おしゃべりをしない。 食物を欲しがるときや、拒絶のときは、単語をぶつけるような話し方をするが、あれこれ のおはなしをしない。 どこか欠陥があるのではないでしようか。と一一一一口うのである。 それに対する医師の答に、このような質問がまだほかに何通かあり、少なくないことと、 一般的にとても増えていることをまず述べて、最近の若いお母さんたちが、赤ちゃんにあ まり話しかけないことも、原因の一つになっていると。 相談にくる若いお母さんに、あなたは赤ちゃんにいろいろ話しかけますかと訊くと、 「いいえ先生、だって赤ちゃんは話をしたって何もわからないじゃありませんか」 人語を解さないのであるから、話しかけても無駄であるという、まことにもっともな、 というかこれが合理的というのであろうか。 医師は続けて一一一一口う。赤ちゃんは確かにまだ人語を解してはいないが、お母さんの話しか ける声や、声の調子で話す力を育てているのです。とあった。 11 子守唄

6. 子守唄の余韻

ことなどなかったからである。 「お父さんがいたときは、決して出なかったし、忘れていたくらいだったのに」 母は、照れ笑いとも違う、曖昧な笑い方をした。 「年齢をとると、子どもに還ると言うから、言葉も、昔に戻るのかも知れないわ」 くぶん動揺しているように見える 無意識のうちに出てしまった東北なまりのことで、 母に、私はそんなことはちっとも気にならないという様子をして言った。 「そう、そう言うね。私も六十一になるのだものね」 母は自分に言い聞かすようにつぶやいた。 年齢のせいと母には言ったけれども、私は、そう思っていなかった。 母は父が亡くなって、十年経って、やっと、気がゆるんだのだ。言い替えれば、父との 結婚生活の緊張が、十年も経たなければほぐれなかったのだ。 田舎から出てきて、父と結婚した。野暮ったいことを嫌う父と生活して、なまりは随分 気を付けて直したらしい。なまりは直したが着物の好みは変えなかったようだ。母の好み は少々地味ですっきりと上品だった。父の洒落気や粋好みをこなせる人ではない。父も母 に対して自分の好みを押しつけることはなかったようである。父と母とで共通していたの は、洗濯好き、綺麗好きなことだった。 204

7. 子守唄の余韻

も仕立直し、くり廻しをして着ていた。表に針目を見せず、裏打ちをし、まるで二枚の布 を合わせて縫ったようになっている場所すらあったが、よく見なければ、裏につぎが当っ ているとは、とても見えない技術を持っていた。 技術を持っていた、と言うより、丹精で、丹念な性質だったのだと思う。惜しげなく新 しい着物や反物を人にあげていたから、けちではなく、馴染んだ着物をいとおしんで、つ ぎをしていたのだ。 いよいよ駄目になった箇所は切り取り、着物の丈をつめて、おはしよりなしのついたけ にしたり、それも駄目になると、半てんや、羽織下、最後は前掛けと、着物は形をだんだ ん小さく変えて、母の身の周りに付いていた。それだってきっと裏を返してみれば、つぎ が当っていたに相違ない。 それでいて、肌着にはつぎをしなかった。下着はいつもきちんとしたのを着ているもの と、決めていたようだった。 「つぎと言えば」と母が笑いながら話をしてくれたことがある。まだ父も母も若い頃、父 の普段着の膝あたりが弱ってきたのを、いつもの通り布を当てて、芸術的と言えるほど目 立たないような針目で裏打ちをした。お洒落な父がそれを嫌がって、これなら諦めるかと、 大きく破ってしまったそうな。

8. 子守唄の余韻

言ったのも、今日、よその家の前まで掃除してはいけないと言ったのも、同じことなのだ と一 = ロう。 隣との境をきっちり分けて掃除するのはいかにも心が狭く、自分のことしか考えないや り方だし、隣の家の前まで掃除するのは余計なことだ。何日も家をあけて、留守がわかっ ているのでなければ、よその家の前まで掃いたりするものでない。良いことをしたつもり の私は、ますます脹れた。 母は続けた。 つまり、自分の家の前を隣の人が掃除をしたら、掃除をしてないからされたと思えば、 掃除が行き届かないからかと、嫌味にとられることもあるし、お節介なことにもなる。ま た、してくれたと思えば、ささいなことなのに相手はお礼を言わなければならない。 お互いに仲良く気持よく暮すのには、ほどほどのところでと。私の少し一途な性質を心 配したのかも知れない母は、これは掃除だけではないと言いついだ。 よその人に、何かしてあげたいと思ったら、相手がわざわざお礼を言わなければならな いようなやり方でするものではない。相手の気持の負担にならないように、さりげなく、 するものだ。だから、掃除でいえば、よその家の前まで掃くことは「わざわざお礼を言わ なければならない」やり方で、昨日の、二、三歩分隣の敷地をばかして掃くのが、その手

9. 子守唄の余韻

人形の手を引いたまま息をのんで棒立ちになった。あまりの音声の烈しさと顔の恐さに、 べそもかけず、泣くこともできず、怯えた。母が気がついて駆け寄ると、手をついて父に % あやまった。私にも「もうしませんから、ごめんなさい」とあやまるように言う。取りな してくれている母の言う通り父に手をついてあやまったが、なんでそんなに父が怒ったの かわからなかった。そのあとは母にしがみついて泣いた。泣き止みなさいと叱られて泣き 止もうとしても、泣きじゃっくりが止まらず、身体まで震えていた。 あれほど父が恐ろしかったことはない。母までおろおろしてあやまっている様子を見れ ば、よほどのことをしたのだと思うが、それがどんなことなのかわからないのだから、私 にとっては、天災に遭ったようなものだ。今考えてみても、あれは理不尽な父の癇癪以外、 田 ( いようかない 自分に顔かたちがよく似ていて、お茶目でいたずらで、からかい甲斐のある末娘は、父 のいいおもちゃだった。、ゝ、 カ茶目気も、いたずら好きも、陽気なのも父ゆずりだから、責 任は父にある。 父ゆずりは、食べものの好みにも出ていた。幼い子どものことだから、大人の父とはも ちろん異なっているが、それでも、このわた、からすみ、鰹の塩辛、いかの黒づくりなど

10. 子守唄の余韻

また笑い一一一一口うのである。「俺は親馬鹿だ」。そして、カの入らない気の抜けた小声でつぶや いた。「親馬鹿ちゃんりん、そば屋の風鈴 : : : か」 親はわかる。馬鹿も使うと叱られる悪い言葉だから、よく知っているが、その二つがひ とつになるとわからない。おそば屋さんも風鈴も見知っている。だが、これらが続くと、 「言語明瞭・意味不明」 それは何だ、なんのことと、しつこく訊ねる私に、昔からそう一一一一口うのだと打ち切った。 覚えたばかりの呪文を得意になって「おやばかちゃんりんそばやのふうりん」と調子を つけて続けると、「こりゃあ、ほんとに親馬鹿だ」と苦笑した。 そのときは格別のことがなかったのと、節をつけて「おやばかちゃんりんそばやのふ うりん」と歌うように繰り返すと、なんとも調子がいいので鼻歌のようにふんふんと遊び ながらやっていた。呪文を覚えたときから、ずいぶん日が経った頃のことである。父がうつん むいて新聞を読んでいる後ろを、人形ぶらさげての通りすがりに、少しばかり癖になったん 例の「おやばかちゃんりんふんふんふん」をやった。意味なんぞない、人形の子守唄がわち 馬 りのふんふんふんである。 親 「なにツ」 父はふりむきざま強い声で言った。目が三角になり、本気で怒っている顔である。