一つ - みる会図書館


検索対象: 子守唄の余韻
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1. 子守唄の余韻

驚いた顔はしたが、反対はしなかった。 なんでそんなに我慢するのだろうと思うほど、忍耐強く、何事も父や子どもたちが先で、 母は自分というものが無いような生活をしていた。 日常の食物で言えば、食道楽の父の気に入るように食卓にのせる品々には苦労していた。 父が亡くなって年月がたった頃、父の思い出として好物だった食物の話になった。母は愚 痴を言わない人だったが、たった一つだけ辛かったことがあったと話し出した。 活きたなまこを料理するように言い付けられたが、見ただけで身震いするほど気味が悪 薄黒くてぼつばっ疣があって、ぬるぬるしていて、と言いながら首を振った。 なまこの二杯酢が好物、このわた大好きの私は、母がそんな思いで作っていたとは知ら ず、父といっしょになって、なまこのこりこりした歯ざわりをたのしんでいたのを思い出 した。母は、順子も子どものくせになまこの二杯酢が好きだったけど、私は食べるのはも ちろん、見るのも嫌ななまこを握んで料理をするときは、辛くて泣いたと、泣き笑いのよ うな顔をした。 秋田という米どころで育って、折々の祝い事には、米粉を蒸して砂糖を練り込み、型に 入れ、さまざまな形にした餅菓子のようなものが出て、子どもの頃それがほんとうに美味 しかったと言っていた。和菓子とも言えないそのあまり甘くないお菓子が懐かしいらしく、 184

2. 子守唄の余韻

家へ帰れば、外であった嫌なことは母には何も言わなかった。隠すというより心配させ るのが辛かったし、せつかく母と二人でいる楽しい時間に、嫌なことは入れたくなかった からである。そんな話をしなくとも、毎日、外で見たことや、話すことがたくさんあって 時間が足りないくらいだった。 微笑みながら聞いてくれる母に、一通り話すと、いつの間にか嫌なことは片隅の方へ縮 まって、どうでもゝ しいことのように思えてきた。 昔風の、と言えば、季節季節にかならず出てくる料理、行事の折は、しきたり通りの料 理が出るのも〃おふくろの味〃であろう。 我が家では誕生日にはお赤飯が決まりの一つだったが、三月生まれの私のときはそれが 五目ずしに変った。私がお赤飯より五目ずしが好きだったからである。 かんびようを刻む。しいたけを刻む。人参を刻む。たけのこ、油揚、蓮根、さやえんど う、紅しようが、薄焼き卵、全部こまかく、細く、刻む。それぞれ形に合わせて、煮方に 合わせて、とんとん、とんとん刻みに刻んだ。 そして、それを、ことことと煮た。しいたけは甘味を強くして味を濃く、たけのこはあ っさりと、午後から刻みはじめて煮あがるまでずいぶん時間がかかった。ご飯に酢をふり、 具を混ぜる。私は酢が効くようにうちわであおぐのを手伝った。

3. 子守唄の余韻

しいもの、ただそれだけのことで、楽しく、はじけるように笑い合う。 味もなにもなし ゝ、いわば歯ざわりと滑らかな舌ざわりだけのこんにやくに、とろりとか けた味噌だれ。柚子の酸味と香りの相性のよさ。美味。自然の味。 友が帰ってから、せつかくの贈りもの、贅沢にたつぶり受けとめて柚子湯にした。 風呂場中、柚子の香りが詰まった。ゆっくり身体を沈めて、湯に浮かぶ黄金色をたのし み、輪切りの柚子で顔や手をこすったりしながら柚子を愛用していた母を想い出していた。 母は化粧をしなかった。クリームの匂いさえめったにしない。 匂いといえばきちんと結いあげた髪につける椿油の匂いが、かすかにするくらいのもの であった。父が化粧品やクリームの匂いが食物に移るのを嫌ったせいでもある。だから母 は可哀相に、手の荒れをなおすのに、燗ざましの酒の中に柚子を漬け、漉した汁を瓶に詰 めたものをつねづね台所へおき、荒れ止めに使っていた。手とは反対に顔には染み一つな くきれいだった。もともと色白で肌理のこまかい人だったから、化粧の必要もなかったの だろうが、母自身も化粧が嫌いのようだった。 その母のことを、「薬指についた紅のあと」という題でこんな風に書いたことがある。 母は、いつも、何かしら″ご用〃をしていた。甘えたくて、背中合せに寄りかかっ 33 柚子湯

4. 子守唄の余韻

前には仰向いて寝ると胸が苦しいと布団に寄りかかっていた。 もう母にしてあげられることは、背中を大きく静かになでおろすことしかなかった。 昼も夜も、ほとんど休みなく、なでおろしなでおろしした。掌はしびれて感覚がなくな った。夜中には疲れて、つい、居眠りをして手が止まる。 母は、遠慮しながら、私を起こす。 「もうじきだからね、可哀相だけど我慢しておくれ」 あれから以後、私は、お祈りをしない。 いつでも、寺や神社にお参りする折があればお世話になったお礼のご挨拶はする。けれ ども、お祈りはしない。母の病気のとき、一生一度のお願いと、無理なお祈りをしてしま ったのが申し訳なく、恥しくてならないからである。 母の手の感触は、生身のその手を受けたときよりも、年月が重なるにつれて、強く、想 い出される。肩から背、そして胸へとなでおろしなでおろしした手も、年月と共に切なさ を増してくる。 ″切ない手〃は好きな歌を一つ歌えなくした。 中国地方の子守唄はその優しい美しい旋律や歌詞が気に入り、無意識に口ずさむほど好 93 手

5. 子守唄の余韻

あ一とがき 嬉しいことがあったとき、親に見てもらいたかったと、心底、思う。その反対に、嫌な ことや悲しいことがあったときは、ああ、見せないでよかった、亡くなっていてよかった と思うだけである。両親と別れてから何十年も経つのに、 つも、そう思う。 正月や誕生日、一人で心祝いをするときは、自分のと別に盃を一つ置き、それに酒を満 たす。両親の分である。かげさかずきと勝手に名付け、共に祝ってもらうのである。 生きていれば互に時間を合わせなければ逢えないが、生身でなくなると、二十四時間 三百六十五日、いつでもそばにいてくれる。その上に幸せなことは、思い出すのはいつも愉 しかった父、優しかった母の面影ばかりで、その慈愛の余韻の中につつまれる。 これは『毎日ライフ』と『地域保健』に連載したものを中心にまとめたものである。連 載中には、宮沢康朗さんと高山美治さん、田中甲子さんに。刊行に当っては年来の友、中 島力さんと鎌倉書房の小島弘子さんに。お世話になった皆さまに、父母の笑顔とともに心 からお礼を申し上げます。ありがとうございました。 一九九一年四月三日 藤田順子 258

6. 子守唄の余韻

その後、いかがですか 雑事に追われてせかせかと暮してましたら、頭上に咲く花にも幻 気付かず歩いている、という気持まで貧しい暮しになってました。 通りすがりに、 小さな女の子が紅い椿の花を大切そうに手にの せて歩いてくるのに出会い、椿の季節だったと気付きました。情 けないこと : 。厚く重なる濃緑の葉蔭に牡丹刷毛を囲んだよう な椿の花を見付けたのは、近くの家の日当りの悪い庭先でした。 樹の下の、湿った黒い土の上に、ばとつ、と、そう、ばとっと重たい音をさせて落ちた であろうと思われる椿の花が転がっていました。どこにも傷みの見られない、盛りの姿の ままの花が、黒い湿った土の上に落ちているのは、美しいというより不気味な感じがしま す。若くして逝った人の、人生半ばで倒れた人の無念を見るような想いがあります。 花びらが散る。萎れる、枯れるということなく終った花の命を思うと、花供養をしたく なりました。〃花供養〃などという一一 = ロ葉があるかどうかわかりませんが、せめて花が萎れ るまで水を張った器に浮かべようと、一つ二つ拾いました。あの女の子も、落ちた椿を愛 しく思い、手に持ったのでしよう。無邪気な子どもの手に拾われたことこそ、何よりの〃供 養〃と思いながら帰ってきました。 それでは、また 0

7. 子守唄の余韻

先頃、ある料亭でタ食をご馳走になった。呼んで下さった co 氏は喜寿に近い、昔風に言 えば通人、とにかく粋人で名高い方である。私のほかに有名な料亭のおかみさんたち。な んで私が混っちゃったのか、雑魚のととまじり場違いもゝ しいところで、通人の遊びか、お かみさんたちのいたずらか、こなれの悪い、独り者を肴にしようと思ったに違いない。 人様の思惑も何のその、目の前の山海の珍味、美味、美味とお酒を合の手に入れて、板 前の腕の冴えを楽しんだ。 けれども、楽あれば苦ありで、楽しみは長くは続かなかった。余興である。 おかみさんたちは、日頃の芸を披露していた。重々しく能がかりで舞い出し、途中でが らりと変身して道化たり、渋い喉を聞かせたり、その粋で洒落ていること。面白がって喜 んでいる私に食べてばかりいないで何かやれと言う。大食も芸のうちでは通らず、さて、 酒の席で歌う歌は知らず、弱りに弱って苦しまぎれ、唯一、たった一つ知っている、あの の人々を包む。 父が生きていたら、二人でお酒を飲み飲み男の父の一一一一口う″いい女〃、女の私の言う〃 い女〃談義を、くだを巻きながら、やりたいものである。けれども、きっと父は言うだろ しい女〃は談義したってわかるものじゃあない、不粋なやつだ。

8. 子守唄の余韻

い飲むと、あとからどかっとまわるぞ。みつともなく酔っぱらうから気をつけろ」 酒道家元は、さまざまの失敗例をあげて教えた。手ほどきを受けた娘は、長じて師範級。 姉は酔った父を嫌った。いつでも学年一の成績で、右、総代のお免状を授かった姉は、 生真面目で、酔態は下品この上ないものと思い、酒の上のくだらない話を軽蔑していたか ら、父は、そんな姉を少々煙ったく感じていたようである。それにひきかえ私は、酔って 朗らかになった父が特に好きで、べったりくつついて、姉の言うくだらない話を聞いては、 泪が出るほど笑った。 父の酔態を見ることで、父に対する敬愛の念が損なわれることはなかったし、正確に言 えば、そのとき、いささか〃敬みに対する部分に減少のきざしがあったとしても、それは 微々たるもので、それを補って余りあるほど父の酔いっ振りは楽しかった。 だが、それは、年齢の離れた末娘の私が見た父で、若い頃の父はそうでもないらしく、 ひと 他人ごとのように、澄まし顔で私に教えた失敗例は、どうも自分のことであったようだ。 具体的にこれこれと、母も姉も口にすることはなかったが、″あのとき〃で通じる話が 出ると、父が、目くばせ、苦笑い、照れ笑い、時によっては不機嫌と、いろいろやって話 を止めさせた。〃 あのとき〃の数の多さと多様さを、そのさまざまな表情の変化で知るこ とができた。 166

9. 子守唄の余韻

が多かった。 伊達の薄着ではないけれども、本質、粋でない人も、野暮と言われるのが嫌さに、我慢 の粋もあったらしいが、とにかく、下町風の粋は、なかなかの見ものであった。 そんな中で、母の野暮は目立った。 まず、身のこなし、これが全然駄目。 顎をあげて首すじをすっとのばし、行く先々に爽やかな風が吹く人とは正反対。いつも、 少しうつむき加減で静かで、騒々しい風も音も、母の周りでは吸い取られて消える。 ゝ。ほほえむか、につこり。声立て 母に冗談を言って笑わそうとしても、大声で笑わなし て可笑しそうに笑うのは、ほんとにまれなことだった。 母には相談ごとの方が似合っていた。 家で働いている者や、その家族からの相談ごとや頼みごと、打ちあけ話などをしんみり 聞いている母の姿をよくみたものである。 相手と同じように悲しそうな顔をして、一つ一つうなずきながら聞いている母の姿は、 どうみても、きりりと垢抜けた様子ではなかった。 家うちに何か行事があったりするときも、母の言い付け方は静かだったし、数多く言葉 を重ねなかった。言い付けてやらせるのは少し苦手のようで、使っている人たちを手伝わ ) 9 粋な

10. 子守唄の余韻

で、正月三カ日の朝、お雑煮を祝わなければならないのは、″我慢初めみのようなものだ っ一」 0 お客が多かった我が家では、正月、特に賑やかで、お節料理のほか食道楽の父の注文で お勝手は小さな料理屋ほどの支度がしてあった。い ささか贅沢と思えるほどなのに、何故 かお雑煮だけが素気なく、小松菜少々。 東京風でもあるし、また父が育ってきた先祖伝来の〃武家みの習慣でもあったらしい ほかのご馳走に比べて、お雑煮だけが質素なのはうなずけない話で、何故かと父に訊ねて その由来を聞いたことがあったが、忘れてしまった。何だか、徳川家康が江戸入府のとき にど一つのこ一つのと : お雑煮はともかく、幼い頃お正月は嬉しかった。暮から待遠しい思いで迎えたお正月。 お正月になったらと我慢させられていた身の周りの物が、新しい物に変って現われた。普 段着まで新調でしつけ糸がかけてあった。 折目をきちんとつけ、馴染ませるため、白い糸でしつけがかけてあるわけだが、そのしつ煮 雑 け糸を、つうー つう 1 と引き抜いて、仕立おろしの着物を着るのは気分のいいものだっ お た。引き抜いたとき、取り切れなかったしつけ糸が袂の下の方に少しばかり残ってついて いるのも、新調の感がして嬉しかったものだ。