口 - みる会図書館


検索対象: 子守唄の余韻
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1. 子守唄の余韻

言い返した。学校へあがったら、ちゃんとやる。 よそゆき 母は本気で怒った。びたと口を閉じ、着ていた普段着を他所行の着物に着替え、白足袋 も新しい足袋の封を切って履き替えた。着ていた普段着や帯、足袋をきちつきちっとたた み、それを風呂敷に包むと、玄関へ行き、鍵をかけた。そして風呂敷包みをかかえると、 立ったまま静かに、ゆっくりと説明するように話した。 「私は毎日毎日、一日中、順子が散らかしたものの後片付けや面倒を見て、もう疲れて、 つくづくこんな暮しが嫌になった。こんなことならよその家の女中になった方が、どんな に楽か知れない。私はこれから女中奉公に出るから、お父さんが帰ったらそう言いなさい。 お父さんには奉公先から手紙を出す」 そう言うやいなや、勝手口へ歩き出した。もうしませんからごめんなさい。順子が悪か ったからごめんなさい。行かないでちょうだい。声を限り、泣きわめいてあやまった。 母は冷たい目で私を見ると、一一 = ロ、「もうその言葉は聞き飽きた」 縋り付き、前へまわってしがみついた私を母は払い除けた。転がった私を見向きもせず に勝手口で下駄を履き出した。 大恐慌どころではない。半狂乱になって私は裸足で外へ飛び出した。歩き出した母の前 で止めようとしても駄目だと瞬間に判断。裏の家の戸を叩き、返事がないと駆けて隣家の

2. 子守唄の余韻

になり、母の愛情にすつばり包まれて、とりとめのない甘えに揺られて、やすらぐ。 今頃、親のありがたさが、愛の大きさや深さが、しみじみと感じられるのである。 以前、新聞の赤ちゃん相談に、こんなことが載っていた。 若いお母さんの問で、うちの子どもは、もう二歳近くなるのに、おしゃべりをしない。 食物を欲しがるときや、拒絶のときは、単語をぶつけるような話し方をするが、あれこれ のおはなしをしない。 どこか欠陥があるのではないでしようか。と一一一一口うのである。 それに対する医師の答に、このような質問がまだほかに何通かあり、少なくないことと、 一般的にとても増えていることをまず述べて、最近の若いお母さんたちが、赤ちゃんにあ まり話しかけないことも、原因の一つになっていると。 相談にくる若いお母さんに、あなたは赤ちゃんにいろいろ話しかけますかと訊くと、 「いいえ先生、だって赤ちゃんは話をしたって何もわからないじゃありませんか」 人語を解さないのであるから、話しかけても無駄であるという、まことにもっともな、 というかこれが合理的というのであろうか。 医師は続けて一一一一口う。赤ちゃんは確かにまだ人語を解してはいないが、お母さんの話しか ける声や、声の調子で話す力を育てているのです。とあった。 11 子守唄

3. 子守唄の余韻

また笑い一一一一口うのである。「俺は親馬鹿だ」。そして、カの入らない気の抜けた小声でつぶや いた。「親馬鹿ちゃんりん、そば屋の風鈴 : : : か」 親はわかる。馬鹿も使うと叱られる悪い言葉だから、よく知っているが、その二つがひ とつになるとわからない。おそば屋さんも風鈴も見知っている。だが、これらが続くと、 「言語明瞭・意味不明」 それは何だ、なんのことと、しつこく訊ねる私に、昔からそう一一一一口うのだと打ち切った。 覚えたばかりの呪文を得意になって「おやばかちゃんりんそばやのふうりん」と調子を つけて続けると、「こりゃあ、ほんとに親馬鹿だ」と苦笑した。 そのときは格別のことがなかったのと、節をつけて「おやばかちゃんりんそばやのふ うりん」と歌うように繰り返すと、なんとも調子がいいので鼻歌のようにふんふんと遊び ながらやっていた。呪文を覚えたときから、ずいぶん日が経った頃のことである。父がうつん むいて新聞を読んでいる後ろを、人形ぶらさげての通りすがりに、少しばかり癖になったん 例の「おやばかちゃんりんふんふんふん」をやった。意味なんぞない、人形の子守唄がわち 馬 りのふんふんふんである。 親 「なにツ」 父はふりむきざま強い声で言った。目が三角になり、本気で怒っている顔である。

4. 子守唄の余韻

母親が教えられないから、人前で恥をかくことのないよう、女一通りの躾をしようとし た母方の祖父の気持が痛いように伝わった。が、それは、やはり男親の感覚で、気立の優 しい恥しがりの母が、男の仕立職人ばかりの中に混っての習いごとを、どう受けとめてい ただろうか。 「それでもね、女手が入用なときや家が忙しかったりすると、すぐ休ませられてしまって ね、身頃を縫うのは半端で終ってしまったよほほえみながら一一一一口う母の顔に、恨みがまし いところは少しも見えなかったが、淋しそうな様子がなかったとはいえない。 そうは言ったが、縫物は上手で手早かった。私に縫物を教えるときは丁寧で優しかった。 根気よく何度でも直して教えてくれた。母が縫物をしているとき、私がそばで見ていると知 ると、独り一一一口を一一 = ロうように、 こうすると、ほら、こ一つなる。と、コツのようなことを小亠尸 で一一 = ロう。 仕立職人に、物差しで叩かれて教わった縫い方である。 母は、子どもの頃、自分の母親に、私が母にしてもらったような雛まつりも、誕生祝い もしてもらえなかったのだろう。そうしてもらったと、一度も聞いたことがないから、そ うなのであろう。 126

5. 子守唄の余韻

その後、いかがですか すっかり夏らしくなって、先日上野の博物館へ行きましたとき など、日射しが強くて帽子が欲しいほどでした。 日蔭を選って裏道を歩いていましたら、古い建物をこわした跡 らしい空地があり、蕗やどくだみが生い茂り、丈高い雑草の間に 露草がのぞいていました。東京の街中では、もう、めったに見ら れなくなった露草の冴々とした璃瑠色を、目に移し、残しました。 博物館は静かでした。ひんやり冷たく、湿ったにおい。自分の足音だけがこっこっ響く。 薄暗い館内で、そこだけ灯がともったように見えたのは、華やかな友禅の小袖。 艶麗な友禅模様を見ながら、ふっと、思い出しました。友禅の下絵は、露草の花の絞り一 汁で描き、それからさまざまの染料で色さしをすること、そして、その下絵の青色は仕上せ よ げの過程で、痕跡を残さず消えてしまうことを : 花 はかな いかにも露草らしい儚さと一一一一口えば一一一一口える 役に立つだけ立って、すっと、消えてしまう。 ひと へ でしようが、私には、清々しく爽やかな女を見るようでした。〃人の生き方〃そんなこと 友 が、頭の隅を、ちらと掠めました。このところ " 目立ちたがる。人々の間で疲れたせいかお それでは、また も知れません。露草の青の下絵、見たいと思っています。

6. 子守唄の余韻

言ってはいけない。口に出してはいけない。 人の身体上の欠陥″その他〃である。 自分をその身に置き換えてみよ、と言われた。それがどんなに辛いことなのか。曲りな りにも不自由でない身を持っていることを有難いと思って、手助けの出来ることは、相手 を傷つけないように心くばりをした上で手伝えと言われていた。 それは子どもでもよく理解できることであったから、納得していた。 そして〃その他〃の中には容貌のことも含まれていたと思っていたのだが : ? 」 0 牛蒡の白和え と、きつく言い付けられていることがあっ 102

7. 子守唄の余韻

きちんと躾られて育ち、その躾が、しつくりと身についている人の落ち着きは、見てい ても気持のいいものだ。 取ってつけたような不自然さがなく、ゆったりと流れるような穏やかさで、こちらの気 持を和らげてくれる。 それは、相手に対しての心遣いがそうさせるものと思える。〃相手の身になって〃の心 くばりは、素早く、こまかく、表わし方は、さりげなく。 〃相手の身になって〃と一言で言うけれども、相手の身になるくらい難しいことはない。 何かにつけて、その言葉を聞いて育ったが、こちらの虫の居所が悪ければ、表立って口に 出しはしないけれども〃こちらの身にもなって〃と言い返したくなることは、たびたび。 嫁入り修業 134

8. 子守唄の余韻

癌研の先生から入院するように言われたのは、母が亡くなる一カ月ほど前だった。 母は、「家にいたい」と言った。 我儘や勝手を決して言わない人だから、入院させると言えば、嫌だと言うようなことは ない。が、母が、「そうしたい」と願いを口に出すのは、よくせきのことで、勝手気儘な 私が、ああしたい、 こうしたいと言うのとは訳が違う。 私はすぐに返事が出来なかった。緊急時のこと、また、もっと病状が悪化したときどん な状態になるのかわからず、その場合の苦しみが大きいのではないか、死の時期ではない のに死なすことになるのではないか、何の設備もない家での看護を恐ろしいと思った。 癌研へ通っていたが、合間に近所の外科病院へも栄養剤などの注射や薬をいただきに通 看病 2 わ看病

9. 子守唄の余韻

運ばれてきた肉料理の付け合わせは、マカロニだった。フォークで刺して口に入れる前 に手を止めてマカロニを見ていると、連れが気にして「何か ? 」と訊く。いえ、ちょっと、 と答えながら思い出し笑いをしていた。 マカロニがどうかしたのかと重ねて訊く相手に、マカロニの穴、どうやってあけるか知 ってる ? と言うと、「さあ、知らないなあ、そういえばどうやって作るのかなあ , と真 面目な顔で自分の皿のマカロニを眺めている。 私は可笑しかった。私もあんな顔をしてマカロニを眺めていたに違いない。 幼い頃、マカロニの穴はどうやってあけるんだろうと、不思議に思えて父に訊いた。父 は嬉々として教えた。マカロニとスパゲッティは同時に製造されるのだ。つまり、マカロ 蓮根の穴 191 蓮根の穴

10. 子守唄の余韻

初夏の風に吹かれながら、母と連れ立って浴衣を買いに出掛けるのは、季節の愉しみの 一つであった。 呉服屋で本藍染の反物をまず取り分け、その中から気に入ったものを探すのだが、控え 目な母が、野暮と言えるほど地味な柄を選ぶ手元へ、これはどう ? と私が差し出した反 物を母は肩へかけてみて、派手ではないかしらと恥しそうに言う。 六十を過ぎた母が、日頃は生々しい感じなど気振りにも出さないでいる母が、突然見せ と田 5 , つ。 た女つほい仕草に驚いたが、浴衣ですもの、あまり地味なものよりこの方がいい それに、この柄はよく似合うとすすめると、なんとなく納まり悪そうにしていたが、それ でも娘が選んでくれたものでと、言訳のようなことを店の主人に一一一一口うとそれに決めた。 浴衣 140