感じ - みる会図書館


検索対象: 子守唄の余韻
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1. 子守唄の余韻

ある。貧乏で肉が買えないから、まずい牛や豚のはらわたを買って食べるのだ」 その子は、まるで大人のように、悪意すら感じられる軽蔑した言い方で、身なりの汚い 貧乏人が、無料で臓物をもらうために、バケツを下げて、屠殺場へ行くと見てきたように 話した。 周りを囲んだちび連は、もうびつくりして、その子の話を聞いていた。 屠殺場は、どこか遠くにあるらしい。それは、焼場と同じくらい恐い感じがした。 さよならを言ってみんなと別れたが、私はハラワタとビンボウとトサッパで頭がいつば いになって家へ帰った。 夕食のとき、父に、、 ノラワタを食べる人たちがいて、その人たちはビンボウで、トサッ バへただでもらいに行くのだそうだと、前後少々あやしく話すと、父はうんうんとうなず きながら聞いてくれたが、その事は、あとでゆっくり話をしてやるから、食事を済ませろ 食後、父はきちっと居住いを正し、そこへ坐れと私に自分の膝前を指さした。 普段、こんな風に座敷の真中へかしこまって向き合ったときは、大変な小一一一一口、つまり、 最大の叱られ方の作法であった。 父の目をしつかり見て、 今日は叱るわけでもないのに、改まって、そこへ坐れと言い

2. 子守唄の余韻

正月の支度は、年毎に自分流になっていったが、それでもお節料理の決まりものだけは 少しずつ揃えた。好きでないお雑煮も止められなかった。 ひとりの身軽をいいことに、旅行に出た正月もあった。 念願の、具たくさんの美味しいお雑煮も食べることができた。確かに、何も入ってない 小松菜だけの我が家のお雑煮よりも美味しかったが、不思議に、″雑煮を祝った〃という 気がしない。あんなに具たくさんの、肉やかまばこの入っているお雑煮ならいいのにと思 っていたのに、可笑しなことだ。 旅先での正月は、その土地、土地の風習、習慣など、めずらしく興味深いことが多かっ たが、やはり、余所者が見物しているだけのことで、年の始め、節目としての正月の感じ は薄く、単に冬の休暇に過ぎなかった。周りの賑わいや華やかさ、家族連れの団欒の楽し そうな様子は、それを失って久しい身には、旅愁ともいえぬさみしさがあったし、何より 帰ってきたときに、清々しい新年の始まりの気分がなく、連休明けの月曜日みたいで、納 まりが亜かった。 この頃は、毎年、家にいて正月を迎える。 父母と暮していたときと同じように 「年の始め、元日、身を清め、衣服を改め、初日を拝み、父母に新年の挨拶をし、お屠蘇 112

3. 子守唄の余韻

母は着物の好みに出ているように、生真面目であった。父はそれには一目おいていて、 家の中のことは一切母に任せて、ロ出しをせずにいた。 性格も好みも反対だった父と母が、喧嘩をしたり、言い争ったりするのを一度も見たこ とがない。一度も争いを見せなかったのは、母が父の手前勝手を、言葉のなまりと同じに、 ぐっと胸の中へ押し込めて暮していたからだろうと思った。 夫婦喧嘩か、そういえば私は、父と母がどうして結婚することになったのか知らなかっ たことに気が付いた。小さな子どもではなし、改まって訊ねるのも何となくという感じが 斤と思い あって、訊ねたことがなかったのだ。いい ごくごくさりげなく訊いてみた。 「私を可愛がってくれたお年寄がいて、その方の世話で」と一一一一口う。私が聞きたかったのは、 そういうことではなかった。母が父のどこが好きで、どんなところが気に入って結婚しょ うと思ったのかが聞きたかったのだ。 つまり、母が結婚するときの基準になったものが知りたかったのだ。そう問い返すと、 毛 「評判の親孝行だったから . と答えた。 れ っ 今時の女の子なら、それを聞いただけで、ヤーメタのロである。私もいささか拍子抜け したが、母の説明を聞くといかにも母らしい物差しだった。親を大切にする子の本質的な ) 優しさ、そういう子に育てた親の優しさ、その優しさを信頼して、だそうだ。何だかわか

4. 子守唄の余韻

イ品が後のお手本として飾られてあった。 しっそ気楽だったが、気楽になれないおまけがあ こうまで差がつくと、あの人は別と、ゝ った。それは学校のことでなく、姉がとても母思いで、日常、こまごまと気を遣って母を かばい助けたことである。外でも内でも何かにつけて姉と比べられたが、比べられて一番 こたえたのはこのことだった。姉が私の年齢の頃、母に対してどんな風に優しかったか、 などと聞かされると、我儘ばかりしている私は一度にしゅんとしばんだ。 姉と母は似ていた。落ち着いた態度。上品な好みや、面ざしにも共通したものがあった。 母娘の関係というばかりでなく、姉と母は互いに理解し尊敬しあう女同士という感じであ った。性質の几帳面で努力をするところなどはそっくりで、そのどちらもが欠けている私 は、姉が恐かった。叱るときは、ここのところも母に似ていてくれたらよかったのだが、 これが大違いで、容赦なく手厳しい 私と同じように、父もまた、姉をいささか苦手としていたようだ。勝気で生真面目な優 等生が、我が娘ながら煙ったいらしく、姉には少々態度があらたまった。父は茶目気の多 い気の若い人で、いや、気ばかりでなく実際若々しく、年齢よりずっと若く見えた。それ に引き替え姉は落ち着いていて、年齢より上に見られる。結核を病んでいたから、その故 であったかも知れない。 おも 210

5. 子守唄の余韻

昼寝はともかく、母が寝ているところを見た覚えはあまりない。朝、私を起こすときに はきちんと身仕舞を済ませて、食事の支度が出来ていた。昼間は一日中こまごまとした用 事を片付けていた。夜は遅くまで食卓にお酒の用意をして父の帰りを待っていた。そんな 風だったから、母の昼寝姿を珍しいものでも見るように眺めていた。 言った通り、ほんの二十分くらいで起きてしまった。三十分とは寝ていなかったように 思う。髪に挿した櫛を抜き取り、ほっれ毛を手早くなでつけ、衿元を直すと、「昨夜、遅 かったし、今朝、早かったもので」と、子どもの私に言訳をした。 家族が昼寝をすると言えば、可愛らしい昼寝布団を出してくれるので、その小さい布団 を使って私たちはのんびり昼寝をしたから、同じように昼寝布団でゆっくり、もっとたく さん眠ればいいのにと思いながら、母の言葉を聞いていた。 何をあんなに気兼ねしていたのだろうか、小学生の頃に見た、母の窮屈そうに手足を縮 めた昼寝姿を、哀しい感じで想い出す。 母が使わなかった昼寝専用の布団は、大振りの座布団を二枚つなげたくらいの敷布団、 掛布団は夏掛けほどの大きさだった。夜具の模様と違って、小花模様などの可愛い柄だっ たから、ままごと遊びのときも引っぱり出して、人形といっしょに寝た。 178

6. 子守唄の余韻

記憶はそこで途切れて、次は裸電球がずらりとぶらさがって眩しい花道を、お相撲さんが 派手派手しい化粧まわしをして入場してきた。ぐるりと輪になると、みんないっしょに化 粧まわしをちょいと上げる。その所作をしつかりと見た。家に帰ってしばらくの間、風呂 敷や座布団を腰にしばりつけ、化粧まわしのつもりでちょいと上げる土俵入りの真似をし ていたから、印象的だったのだろう。 次は、周り一面、大人の背中の壁、私はその中に埋没して、土俵はほとんど見えない。 同じ桟敷には綺麗な着物を着てお化粧をしたおねえさんが二人いて「お嬢ちゃん、玉錦を 応援してエ」と疳高い声で一一一一口う。立って土俵を見ても、どちらがタマニシキかわからない が、周りの声につられて、精一杯、声を張りあげて応援した。取り組みが終っても応援し ていたらしい。「ありがとう、もういいのよ」と言われて、なんとなく間違ったような気 恥しい感じがしたのも覚えている。 あまり大声で叫んだので喉が渇いて、手元の湯呑みに入っているお茶を飲もうとすると、 父が慌てて、それはおちやけ、おちやけ、と言い、綺麗なおねえさんが別の湯呑みにお茶見 を注いでくれた。父もおねえさんたちも、よく笑い、愉しそうだった。 相 桟敷の周囲は、三寸角か五寸角ぐらいの黒塗りの枠がまわしてあり、他の桟敷と区切ら 3 れている。その枠の上を、たつつけをはいた男衆が、たったったっと軽々渡って歩き、各

7. 子守唄の余韻

がら、母が好きだ、こんなに素直な母が好きだと思っていた。 古風でいつも静かに家に居るのが母と思っていた。 そうしていることが普通で何の疑問も感じなかった。ひどいことには、そうしているの が好きなのだ、とさえ思っていた。 と言った私は、父と同じように我儘勝手を通し、 「順子はお母さんのようにはならない 母に我慢を強いていたのに思い至った。 もっと早く気付けばとの想いを引きずったまま、今も悔いが残る。 190

8. 子守唄の余韻

小料理屋の品書きに、″煮込み〃と書いてあるのを見付けた。 店の人に、その煮込みと書いてあるのは、モッと大根とこんにやくをお味噌で煮たのか と訊くと、まさしく、その通りだと言う。 それを一つと注文した。 しゃれた小鉢に盛られて″煮込みは運ばれてきた。目の前のその″煮込み〃は、どう これが煮込みか も違う感じがする。なんだか違う。私の思っていた″煮込み〃ではない。 と確かめた。 「はい、そうでございます いぶかしげな様子で返事をするのを聞きながら、一口、味わってみる。 煮込み

9. 子守唄の余韻

初夏の風に吹かれながら、母と連れ立って浴衣を買いに出掛けるのは、季節の愉しみの 一つであった。 呉服屋で本藍染の反物をまず取り分け、その中から気に入ったものを探すのだが、控え 目な母が、野暮と言えるほど地味な柄を選ぶ手元へ、これはどう ? と私が差し出した反 物を母は肩へかけてみて、派手ではないかしらと恥しそうに言う。 六十を過ぎた母が、日頃は生々しい感じなど気振りにも出さないでいる母が、突然見せ と田 5 , つ。 た女つほい仕草に驚いたが、浴衣ですもの、あまり地味なものよりこの方がいい それに、この柄はよく似合うとすすめると、なんとなく納まり悪そうにしていたが、それ でも娘が選んでくれたものでと、言訳のようなことを店の主人に一一一一口うとそれに決めた。 浴衣 140

10. 子守唄の余韻

鳴きうどんといい、江戸では夜鷹そばという。夜鷹は、土妓の名でかれらがもつばら これを食べるからである。 また、夜そば売りの屋台には必ず風鈴をつるす。京坂でも天保以来つるす者が出て きた。 おやまかちゃんりんの語呂に合わせて、親馬鹿ちゃんりんだと別の本にあった。出所出 典はどうであれ、幼いときに覚えた呪文、 「親馬鹿ちゃんりんそば屋の風鈴」 そうつぶやくと、目尻に皺をいつばい寄せた父の笑顔と、髪にこすりつけられた、髭の ざりざりした感じをいっしょに思い出す。 謹厳な、鹿爪らしい格言でなく、夜鷹そば屋の風鈴で、というところが、まこと父に似 合っている。 夜鷹そばの、天秤棒にぶらさがって鳴っていたという風鈴の音色を知らないが、耳の奥 で鳴るそば屋の風鈴は、懐かしく、少し淋しい音色で鳴る。 ちりんちりんちりちりちりりり 164