など、子どもらしからぬ酒の肴で美味しそうにご飯を食べ、お新香の漬け工合、塩の加減 まで、母が呆れるほど父に似た。 そば好きもその中に入る。父も私も、もりそばが好き。父の仕込みで、おそばの半分く らいをお汁につけると、つるつる、つあーっとあまり噛まずにすすり込む。そばはロの中 でいつまでも噛むなと教えた、滑らかな喉越しもそばの旨味だと。生意気にもチビは一丁 こほどのいい音を立てて粋に食べ、そば屋の小父さんやお客を驚かした。 冬の夜更け、ちょっとお腹がすいたから、おそばでも取ろうというとき、家の者たちは、 カレーうどんだの、天ぶらそばだのと注文するのに、私はいつも、もりに決まっていた。 みんながふうふう言いながら、いい匂いをさせて熱いおそばを食べ、身体が温まった、舌 を焼いたと賑やかなとき、姉が高い声を出して言ったことがある。 ん 「やだわ、順子ったら、震えながらおそばを食べてる」 寒かろうが鳥肌立てようが、もりそばが一番好きなのだから、余計なお世話というものん や ち である。こんなとき、父がいっしよなら別だが、留守ででもあれば、おまけがつく。 鹿 馬 「ほんとにこの子は変ってる」 親 雪がちらちら飛び、冷え込みの強い日、寝る前にひとっ風呂浴びてくる、という父にく っゅ
のは難しくて、姉にねだって塗ってもらった。絵の上手な姉が水彩絵具で美しく仕上げて くれた〃おひめさま〃は私のたからもので、それを大事に持っていたが、おひめさまの 「ひ」が、うまく言えず、いつもオシメサマになったから、家の者に順子の好きなオシメ サマと年中からかわれた。 姉が塗ってくれた美しいおひめさまのほかに、もう一枚、″尻つばしよりのオシメサマ〃 のぬりえを持っている。 遠い昔、幼い頃に持って、今でも古びたまま持ちつづけている〃尻つばしより〃の奇妙 な姿をした″オシメサマ〃のぬりえは、現物があったわけでも、あるわけでもなく、私の 頭の中に鮮明な形で残っているものなのである。 〃尻つばしよりのオシメサマ〃は、父がくれた。 最近は排水の設備がよくなり、みな暗渠になってどぶは目立たないが、その頃は、むき だしになっている場所が多く、どぶを掃除する日も決まっていた。 え 水の流れをよくするためのどぶさらいの日は、どろどろした汚泥を道にあげたから、そり ぬ の臭気はひどいものだった。溝の底で働いている人たちはどぶ泥にまみれ、顔まではねを あげて仕事をしていた。少しやけ気味に、乱暴にスコップで放りあげたどぶ泥が、道端に
これを読んだとき、ほんとうに嬉しかった。医学的な理解はさておき、母親の愛の、染 み透り方がはっきりわかったような気がしたからである。 言葉もわからず、おむつをしたまま、ただ人形のように眠ったり起きたりしている赤児 に、優しく話しかけずにいられない、母親の気持と、その子をいとおしむ心の柔らかさを、 である。この優しい、柔らかい温かさは、母が亡くなってのち、何年たっても、子の胸の 中に、残っている。胸の中を寒風が吹き抜けて行くようなときも、砂がぎっちり詰まった ようなときも、そこだけは、いつも、柔らかく温かい 母が歌ったことがあった。 戦争の終りの年、まだ中学生だった兄が、予科練へ入隊する前夜、のことである。 父母は若く結婚したが、子は、生まれても次々と亡くし、まったく最後に兄と私の二人 だけ残った。私は子どもでそのときの父母の切ない気持はわからず、七つボタンは素敵だ と思っていた。父はたった一人の男の子を失う辛さで、少し荒れ気味であったし、母は夜 もよく眠ってないらしく、病気のようにやつれてしまっていた。兄は、親にかくれて印鑑 を盗み出し、志願をしたのである。 〃お祝い〃のための夕食にはご馳走が並べられ、父から順々にお酒がまわされてきた。お
幼い頃、遊びに出掛けた先で、薄汚れた身なりの老人夫婦が手内職をしているのを見た ことがあった。兄妹のようによく似た小柄な老人二人が、背をまるめ、おばっかない手付 す きで仕事をしている。窓からのぞいた狭い薄暗い家の中は、湿って饐えたような臭いがし ていた。初めて見た〃貧しさみだった。貧ということは理解できなかったが、老人たちの のろのろした仕事ぶり、みすばらしい様子を哀れに思った。 家に帰って母に話すのに、おじいさんとおばあさん可哀相としか表現出来ず、ただそれ ばかり繰り返す私を、母はしつかり抱きしめてくれた。悲しいときや淋しいときも母は抱 きしめてくれたが、その何倍も長く、力をこめて抱きしめてくれたことが記憶に強く残っ ている。それは幼時の記憶の断片だが、貧というものから受ける哀しさ、もやもやと胸が 詰まるようなやり切れない私の気持を、母がしつかり受けとめてくれたことは、その抱き しめてくれた強さで確実に伝わってきた。 ″体話〃や〃態話〃で伝える母の言葉は控え目で、話すときと似ていて″小声〃だった。 娘時代、母と暮している頃、勤めの帰りに寄り道をすることはなかった。それは当時、 態 電話が不足していて、どこの家庭にも電話があるという状態ではないので、急の連絡がと りにくかったからである。帰宅時間が遅くなると告げて出勤した日は、ずいぶん遅くまで = 一口
つついて銭湯に行った。夜も更けて兄はとうに寝床に入っている。母は遅いからと私を出 したくないようだったが、いつもの気まぐれ我儘と諦めて、おそばは温かいのをと父に頼 んでいる。出掛けはごちやごちゃと滞ったが、お湯は湯船につかって百も数えたかどうか、 さっさと上って、向いのそば屋に入った。つまりは、父は、家の風呂でなく、銭湯の湯上 りに、お酒が飲みたかったのである。 「一本つけて。こいつには天抜き」 と、笑いながら注文する。そば屋の小父さんは心得顔で、 「へい、天抜きひとっー と、受ける。 運ばれてきたのは、かけそばであった。もりでないのがちょっと不服だったが、出掛け の母の言葉はこれなのだと承知した。それはそれとして、かけそばを「天抜き」と言う、 と覚えた。だが、それ以後、家の者も他の人も、かけそばはかけで、誰も天抜きとは言わ なかったから、その言葉はすっかり忘れてしまっていた。 年頃になって、仕事仲間とのおしゃべりで、落語の扇子を使ったおそばの食べ方から、 江戸っ子、通人が死ぬ間際に、そばの汁をたつぶりつけて食べたいという話。いや、あれ よそ 162
しいオシメサマが、尻つばしよりをしている姿を想像するのは難しかった。 父は、仕事に貴賤はないと教えようとしたのだろう。私もおばろげながら受け止めた。 からかうことが好きな父は、オシメサマがどぶさらいをするときの身支度を、事細かく 描写しはじめた。 まず、きんきらきんのピラピラかんざしを挿した頭は、手拭いで姉さんかぶり。裾をひ いた着物はたくしあげ、緋縮緬の長じゅばんまでまくりあげた、尻つばしより。 長い振袖は背中へまわして、ぶっちがいに結んじゃうという、きりきりとかいがいしい お姿と言うか、なまめかしいお姿と一一一一口うか : 思えば不謹慎な親もあったものである。 ともかく、そのとき、″尻つばしよりのオシメサマ〃のぬりえを父からもらった。 つい先日、知人の会社を訪ねた。 そこは選び抜かれた優秀な社員が揃っている有名な会社である。 五十人程机を並べて静かに仕事をしているその一室で、私は資料に目を通していた。 突然、脇のドアから、うわずった女の人の声がした。 「トイレを掃除していたら、はずして棚の上に置いてあった男物の時計がなくなっちゃっ たんです。どなたか知りませんか」 ) ) ぬりえ
姉が、自分で選んだ柄と、呉服屋がすすめる柄と二つを肩にかけ、決めかねて父を見や ると、両方とも包んでもらえと父は鷹揚にうなずいた。 喜んだ呉服屋は、父に下品なおべんちゃらをたたいた。 「お若い奥様で、おたのしみなことで」 ″話みは急転直下、こうなる。 「節子が、怒って、青くなって帰ってきてね、もうお父さんとは、一生涯、買物に行かな と一言うんだよ。よくよく聞いてみると、呉服屋がそう言ったとき、お父さんがにやに や笑ったままで、打ち消さなかったって」 私は、きゅうきゅう笑った。父らしいと思った。姉らしいと思った。 世の父親なら、慌てて打ち消すか、慌てないまでも、「いや、娘だ」ぐらいのことは言 うだろうに。母の話の中には、父が帰ってきてからどう言ったかは入っていない。力、不 には父の気持がわかる。父はたのしんで遊んでいたのだ。節子がどう見たって奥さんに見 うぶ えるわけはない。そうか、呉服屋は、そう思ったのか。すると、この初心な娘を俺がたらし こもうと、機嫌をとっているという図か。よく見れば、年齢も相当離れているし、芸者あ そびに飽きて素人かなんて、こいつけしからんことを考えているのだろう。 また、父は、生真面目で潔癖な姉が心中怒っているのだってよくわかっている。だが、 212
止め。いかにも小学一年生が喜びそうな派手な赤で、カペカペ光っていた。その上、蓋の 上に絵が描いてある。小鳥が二、三羽、枝に止まってチイチイバッパと歌っている。音符 がその大きく開けた黄色いくちばしから、飛んで出てるという、何ともはやの : 生意気にも、渋好みの女学生だった私は慌てた。どう考えても、この趣味の悪い、粗雑 な出来の筆箱を、父が選んで買ってきたとは思われない。何もなくなってしまった娘にと、 焼け残った店を探し歩いて買ってきてくれたに違いない。 どぎまぎして、父にお礼を言った。 父は、無表情に、「む。とうなずくと、黙って二階へ上っていってしまった。 母に、真赤なチイチイバッパの筆箱を見せた。母は手の上の筆箱を見つめながら、「お 父さんがね、ほんとに、お父さんがね」と、途切れ、途切れに、つぶやいた。 その年の暮、父は亡くなった。 81 筆箱
なるかも知れない。好き嫌いがあれば、苦労するのはお前だ。お前が可愛いから、好き嫌 いを言わせないのだと言う。その上、理不尽なことには、おまけがついていた。男の兄はわ 嫁をもらうのだから、少々好き嫌いがあっても、まあ、よろしい。と、言うのだ。 嬉しくない春菊を食べさせられるときは、父の言う通り、なんで生まれてくるとき忘れ てきちゃったのかなあ、と思ったものだ。 父の = 一口う " 嫁になるため〃の修業は、少々片寄っていた、としか言いようがない。私の オムコサンになる人は、どうもお酒飲みと決めていたようで、訓練は、いつも、お酒飲み にどう対応するかに限られていた。 父のお酒の相手は楽しかった。膝に乗ったり、あぐらの中に入ったりして、酒の肴をち よっぴりくすねながら、面白い話を聞かせてもらったが、父はこの期を逃さず、お酌の手 ほどきをした。 「徳利をわしづかみにするな、親指を下にして、上の四本の指は揃えて、手首をひねって 注げ。肘をあげるな」 「いつばい入っている徳利から酒を注ぐときは、徳利の底をひょいとあげろ、ひょいとだ。 こばすまいと恐がって、のろのろ注ぐから、酒がうらにまわってこばれるのだ」 「大体、燗をすれば酒は増えるのだから、始めにロまで酒を入れるのが間違っている」
母や私の、早く早くと頼む願いを聞かず、まだまだと痩せ我慢を張り、バタバタ東京を 逃げ出すなんてと意気がっているうちに全部焼けてしまったのである。 山の手の小さな二階建の家を見付けて移って、生活が一変した。道具も何もない空家の ような家の中を、かいがいしく雑巾掛けをし、空襲の合間に手早く食事の支度、終ればい つでも持ち出せるように荷物をまとめる。父は清けなさそうに、そんな母の様子を見てい た。我儘勝手な父が、少し母に遠慮している風にも見えた。 まあ、父らしくないといったら、あのときほど、父が、父らしくなかったことはない。 家の用など、まず、しなかった父が、街で見つけたといっては食物や布地を買ってくる。 布団をしよって帰ってくる。 ひとことも、焼けて物を失ったことについて愚痴を言わず、相変らず穏やかな母に、負 い目を感じていたのかも知れない。母はまた、焼けなかったら、と、ロにすることは、父 を責めることになる。そう思っていたようだった。 父がばつほっ集めてくる生活の品を、母は、ご苦労さまでした、ありがとうございます と受け取っていた。 ある日、父が細長いポール箱を黙って私に渡した。開けてみると真赤な筆箱が出てきた。 一目で安物とわかるその筆箱は、紙の芯に合成の皮革まがいのものが張ってあるボタン