笑っ - みる会図書館


検索対象: 子守唄の余韻
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1. 子守唄の余韻

姉が、自分で選んだ柄と、呉服屋がすすめる柄と二つを肩にかけ、決めかねて父を見や ると、両方とも包んでもらえと父は鷹揚にうなずいた。 喜んだ呉服屋は、父に下品なおべんちゃらをたたいた。 「お若い奥様で、おたのしみなことで」 ″話みは急転直下、こうなる。 「節子が、怒って、青くなって帰ってきてね、もうお父さんとは、一生涯、買物に行かな と一言うんだよ。よくよく聞いてみると、呉服屋がそう言ったとき、お父さんがにやに や笑ったままで、打ち消さなかったって」 私は、きゅうきゅう笑った。父らしいと思った。姉らしいと思った。 世の父親なら、慌てて打ち消すか、慌てないまでも、「いや、娘だ」ぐらいのことは言 うだろうに。母の話の中には、父が帰ってきてからどう言ったかは入っていない。力、不 には父の気持がわかる。父はたのしんで遊んでいたのだ。節子がどう見たって奥さんに見 うぶ えるわけはない。そうか、呉服屋は、そう思ったのか。すると、この初心な娘を俺がたらし こもうと、機嫌をとっているという図か。よく見れば、年齢も相当離れているし、芸者あ そびに飽きて素人かなんて、こいつけしからんことを考えているのだろう。 また、父は、生真面目で潔癖な姉が心中怒っているのだってよくわかっている。だが、 212

2. 子守唄の余韻

は昔のそばっゆが濃いから、ちょっとつけたのだのと、いやはや、うるさいこと、蘊蓄を 傾けた蕎麦談義。そう、昔と言えば、そば屋の酒は旨い、と一 = ロうじゃないの。そば屋は酒 の肴らしいものはないから、酒のごまかしが利かないからだと聞いている。芝居でも『天 にまごううえののはつはな 衣紛上野初花』入谷村蕎麦屋の場で直侍が、 「天か玉子の抜きで呑むのも、しみったれたはなしだからー という科白があるじゃないの、と言いかけて、はっと思い出した。そうか、抜きは天ぶ らそばからそばを抜いて、汁に天ぶらを浮かしたもの。天抜きは天ぶらそばから天ぶらを 抜いたものを言うことだと。抜きという言葉はあるが天抜きという言葉があるかどうか、 父の造語かも知れない。 やられたあと思ったら笑いがこみあげてきた。途中で笑い出した私の説明を聞いて、可 ん 笑しなお父さんだと、笑いが拡がった。 父は死んでいるのに、私の仲間に入って、みんなを笑わした。私は笑いながら続けて思ん や い出した。「そばやのふうりん」である。その場の仲間たちは知らぬと言う。これにも意ち 馬 味があるのだろうかと、家に帰ってから調べてみた。 親 守貞漫稿に、こうあった。 そば売江戸ではそばを主とし、うどんも売る。けだしこのかつぎ売りを京坂では夜

3. 子守唄の余韻

ってやろう」 憧れのお嫁さんが出てきたので真剣に聞いている私を抱きあげ、「お前がおしろいを塗 ったら、牛蒡の白和えだ」と笑い出した。 牛蒡の白和えとはよくぞ言ってくれた。人参やこんにやくの白和えは好きな食物でわか る。牛蒡の白和えがあるかどうかは知らないが、あの真黒な牛蒡を白和えにしたら、黒白 まだらまだらで汚らしいだろう。もう、限度で、泣き出した。 父をぶって、母に言い付けに走った。母は泪を拭いてくれると、私の手を引いて父のそ ばへゆき、少しばかり改まった顔をして父に、 「いくらお転婆で男の子みたいでも、順子は女の子ですから、顔かたちのことでからかわ ないで下さい。可哀相です」 父は真顔で言う母にいささかたじろいで、そうか、わるかった、あやまる、と言った。 今更あやまられても遅い。傷ついちゃったのである。 大人ばかりの家の中で、幼い私は可愛がられたが、おもちゃにもされ、よくからかわれ ていた。大人たちはさほどのことと思わずからかっていたに違いないが、幼いは幼いなり に傷ついていた。 父に、牛蒡の白和えとからかわれてから、何となく牛蒡が嬉しくなくなった。いつもく ′」ぼう 104

4. 子守唄の余韻

その後、いかがですか 朝夕の肌寒さに、母がよく口にした″陽気の変り目〃という昔 風な言葉が懐かしく想い出されます。病身の姉のエ合が思わしく ないと、陽気の変り目のせいにし、これが過ぎれば、と、カづけ ていました。母はそうあって欲しいと願っていたに違いありませ 第 ん。岩崎徹太氏の病気重しと伺ったのも秋でした。奥様ともども いつも優しくして下さるのが、家族のない私にとって、どんなに嬉しいことだったか。驚 き悲しんで駆けつけました。伺うたびに、病室にお見舞いのバラの花があふれていたのを 思い出し、何か別な花と考え、花屋さんにあった秋の花を全部まとめてもらいました。 われもこう、ほととぎす、ききよう、おみなえし、それからコスモスも赤まんまも。さ あ、何種類あったのでしようか。「秋の原つばを届けにきましたあ」原つばの出前ですと、せ よ お渡しすると、氏も奥様もその言い方が可笑しいと笑われ、秋草茂る原つばで遊んだ幼時 花 を懐かしそうに話されました。お疲れになってはと、じきにおいとまをしたのですが、そ のとき、お加減が悪いのは陽気の変り目のせいで、気候が定まればお元気になられると言〈 っている自分に気が付きました。母の言葉はいっか私に移って、私も母と同じように本当 それでは、また にそう願っていました。 グを

5. 子守唄の余韻

戦争が始まり、空襲が激しくなって、おとめさんの消息が絶えた。我が家も戦災で焼け た。父も亡くなり住居も転々とした。 戦後、やっと小さな家を買って落ち着いた頃、私がおとめ姉ちゃんはどうしているだろ うと言ったとき「あの子のことは、もう諦めている。おとめは身動きが鈍いから逃げ切れ ないで死んだかも知れない」と、母は寂しそうにそう一言うと話を打ち切った。 おとめさんの消息がわかったのは、母が亡くなる二週間位前だった。 諦めているとロでは言っていても、母がおとめさんのことを気にしているのはわかって いる。心残りのないようにと、知人が手分けで探してくれたのである。 おとめさんは元気でいた。 知人に連れられ、おどおどと母の枕元へ坐ると、「お母ちゃん、と頼りない声で言って、 ぐすりと泣いた。ゆっくり泪が流れている。 もう四十に近い年齢のはずだが、二十年前と変らず、小柄な身体は固太りで健康そうだり 残 った。狭い額に皺が目立ったが色黒でちんまりした目鼻立ちは相変らず子どもつばかった。 一応小ざっぱりとしていたが、どことなく貧しげで幸せそうには見えない。 今までどうしていたかと訊いたところで、筋道立てて話が出来る人ではない。母もよく

6. 子守唄の余韻

が多かった。 伊達の薄着ではないけれども、本質、粋でない人も、野暮と言われるのが嫌さに、我慢 の粋もあったらしいが、とにかく、下町風の粋は、なかなかの見ものであった。 そんな中で、母の野暮は目立った。 まず、身のこなし、これが全然駄目。 顎をあげて首すじをすっとのばし、行く先々に爽やかな風が吹く人とは正反対。いつも、 少しうつむき加減で静かで、騒々しい風も音も、母の周りでは吸い取られて消える。 ゝ。ほほえむか、につこり。声立て 母に冗談を言って笑わそうとしても、大声で笑わなし て可笑しそうに笑うのは、ほんとにまれなことだった。 母には相談ごとの方が似合っていた。 家で働いている者や、その家族からの相談ごとや頼みごと、打ちあけ話などをしんみり 聞いている母の姿をよくみたものである。 相手と同じように悲しそうな顔をして、一つ一つうなずきながら聞いている母の姿は、 どうみても、きりりと垢抜けた様子ではなかった。 家うちに何か行事があったりするときも、母の言い付け方は静かだったし、数多く言葉 を重ねなかった。言い付けてやらせるのは少し苦手のようで、使っている人たちを手伝わ ) 9 粋な

7. 子守唄の余韻

静かな人で、大声で物一一一一口うこともなく、大声あげて笑いもしなかった。ばんやり手を休 めていることはなく、忙しくくるくると家の用をしていても、物音をあまり立てなかった。 いつも、穏やかな人であった。 それでいて、決して陰気ではなく、 勝手元で洗いものなど手伝いながら、古い流行歌を歌って、この歌を知っているかと訊 けば、大方は知っていた。わざと節を忘れたふりをして、そこを歌ってと言っても、恥し そうに笑って首を振る。そんなときの母は、少女のようだった。 歌わない母をからかって、子どもを寝かしつけるときの子守唄も、歌わなかったのであ ろうと言ったとき、あのおとなしい母がむきになって、そんなことはないよ、毎晩、毎晩、 歌って寝かせたよ、それにお前は寝つきが悪くて、夜、いつまでもいつまでも大きな目を あけていたから、どの子より余計に歌って聞かせた。お前が一番たくさん私の子守唄を聞 いて育ったはずなのだと言うのである。 そして、可笑しそうに、順子は目をつむって眠ったなと思って、そおーっと歌をやめる と、パチッと目をあけるので、また繰り返す。果てはいっしょに子守唄を歌い出し、眠る どころではなく、静かにしなさいと叱らなければならなかったと言って、くすくす笑った。 日頃の母の話し方や、話す声の調子から、子守唄も、細い、しめりのある柔らかい声で、子 歌ってくれたであろうと想像したわけなのだが、しかし母のことであるから、背中をたた

8. 子守唄の余韻

「俺は親馬鹿だ」 自嘲気味に、父が言う。 抱かれた腕の中で、あぐらの中で、頭の上でつぶやく父の声を、よく聞いた。 そのとき、父は四十二、三歳、私は四、五歳。抱いた私の髪を、顎でごしごしこする。 髭が痛いと、きいきい声を出せば、面白がって、なお力を入れる。 時折、だっこかおんぶが目的で、お世辞半分、甘え半分、髭の痛いのを我慢して、 「だあいすき」と父の顔に頬をくつつけて、ほっぺをすると、もう、ばかばかしく喜んで、 目尻にいつばい皺を寄せて笑った。 目尻の皺を指でなぞって、段々になったと言えば、段々か、そうか段々になったかと、 親馬鹿ちゃんりん 1 ) 8

9. 子守唄の余韻

持っていったお金、全部か ? と父が確かめる。 「そうなの、全部」 子どもというものは気楽なものだと父が笑う。 包みを開けて、筆箱を取り出して見せると、また、みんな、ふうんと言って黙った。父 は、 , つん、これはいゝ しものだ、よく出来ている、お前は目がいい と褒めてくれ、母は、セ ルロイドの厚みが、普通の筆箱の五倍もあると驚き、姉は、唐草模様が素晴しいと眺めま わした。 見るばかりだった美しい筆箱は、私のものになった小学二年生のときから、八年間、戦 災で失うまで、私のそばにいこ。 一夜のうちに、何もかも、灰になった。 旧い家で、どうでも ) しいがらくたが多かったが、がらくたと共に必要な家も物もなくな った。戦争が激しくなって、どこでも疎開が始まったとき、疎開するにもどこから手をつ けたものか、使っていた人たちはみんな兵隊にゆき人手はなく、荷物をまとめるのも父が 頼りではかどらず、やっと貨車の手配が出来たときは間に合わず焼けてしまったから、何 もなくなった。 79 筆箱

10. 子守唄の余韻

間に私の行儀悪い話し方をたしなめながら聞いてくれた。 母が発する言葉は、声でなく、目元が優しくなったり、厳しくなったり、深くうなずく四 こと、悲しそうに首を振ること、ほほえみなどなどだった。 ほほえみがすっと消えて、はっきりと物を言うときは大抵決まっていて、「そんな風に 他人のことを悪し様に言うものではない」と言うときであった。手前勝手で我儘な私は、 他人に対して我慢が足りない。自分のことは棚にあげて、他人のことをあれこれとあげつ らって貶す。母はそれをとても嫌った。我が身を振り返ってみよと叱られた。そして人そ れぞれ事情があろうからと付け加える。 それでもなおおさまらず、腹立ちまぎれに言いつのると、母は目を伏せてしまう。 拒絶である。 強い言葉で「止めなさい と叱られるよりそれはこたえた。恥しさと後ろめたさを感じ ながら、ロをつぐむ。少しの間白けたようになるが、母が顔をあげるときは、もういつも の穏やかな顔付きになっていて、次の話をうながすように、目元が笑う。 思い出すと、母は何事によらず、言葉で表現することが少なかった。 母と私の間にあったものは、″対話〃ではなくて、″体話〃もしくは″態話〃と呼ぶ方が 当っている。