吉崎 - みる会図書館


検索対象: 本願寺と蓮如上人
4件見つかりました。

1. 本願寺と蓮如上人

上人を敬慕する門徒衆の参集の増加につれて、遂に一大宗教都市の様 子を呈するほどの吉崎になっていくのであります。 蓮如上人は御開山聖人以来の十字名号を交附してこられたのを、大 谷破却以後、おやめになって、六字の名号を本尊として交附していか れました。このご本尊が変ったことは、教団にとって大変な出来事で ありました。 吉崎時代に執筆された『御文章』の数が、他の時代よりも群を抜い ていますのも、この六字名号に変えられた事情と無関係ではないので す。事実『御文章』に六字のいわれを讃嘆なさっていないのをさがす のに苦労する程、どの『御文章』を頂いても、六字のいわれがのべら れています。 蓮如上人にとりましては、六字名号のご本尊と『御文章』は一対の

2. 本願寺と蓮如上人

ダム建設のため、すでに水没した道場もありますが、道場を訪ねて、 印象に残っていますのは、蓮如上人筆の六字名号が、道場のご本尊と して安置されていることでした。この山村に蓮如上人直筆のご本尊が 現在しているのは、恐らく何百粁もの道を苦とせず、蓮如上人の吉崎 にお参りして、清書された六字のお名号を親しく授かって帰られたも のだと思います。そのお名号が、現に道場のご本尊として安置されて一 いる、このことに私達は感動しました。 蓮如上人直筆のお名号を宝物扱いにして、大切に保管するのも、尊 敬の念のしからしむるところでしようが、この山間地帯の道場に参集 ー ) よ、つかん する門徒衆にとっては、同じ宝物であっても、一人一人に直接して招喚 したもう南無阿弥陀仏さまなのです。水没で解体された道場のお名号 の行方を思いますと、万感胸に迫るものがございます。

3. 本願寺と蓮如上人

ご再興の意味 ごさいこ、つ 蓮如上人を本願寺中興の上人、御再興の祖師と仰ぎますその意味を たずねますと、誰もが『蓮如上人御一代記聞書』百八十八条の「雑行 をすてて後生をたすけたまへと一心に弥陀をたのめ」とあきらかにし らせられ候。しかれば御再興の上人にてましますものなり」のご文を一 もって「御再興の上人」と申しているわけであります。 父存如上人が別行された「正信偈」と「三帖和讃」を、一具として 刊行されたことは、仏教の伝道史において特筆すべき蓮如上人の発案 らいさん であります。存如上人までは、日常勤行は多く『礼讃』を用いておら れたのでありまして、蓮如上人が吉崎に赴かれて「正信偈」「三帖和讃」 ) 」んぎよ、つ ろ′ \ しゅびきちょうば を刊行し、それも和讃六首引を朝暮の勤行にお定めになったのであり ちゅ、つこ、つ

4. 本願寺と蓮如上人

まっトしと、つみようリよう 興隆してくる本願寺に対して、比叡山側は、末寺灯明料をだんだん増 おうだく 額してきています、もはや応諾しかねる額に達したのでしよう、蓮如 上人が比叡山へ、要求に応じないのを表面にとりあげての破却は、理 むげこ、つりゆ、つ 由にならないので、「本願寺は無碍光流の邪義を立てている」として破 却に及んだのであります。 山徒が、本願寺を無碍光流の邪宗ときめつけたのは、十字の名号を一 本尊としていることによるらしい。蓮如上人は、御開山聖人よりの十 字名号に工夫をほどこして授けておられましたが、理由にならない理 由を立てての破却に遭遇した上人は、大谷を退出してその後、転々と 居を移され、本願寺歴代の因縁の深い北陸へ向われたのであります。 ねんらいころう そして越前吉崎に赴かれるのですが、『御文章』に「年来虎狼のすみ なれしこの山中」といわれるほどの淋しい丘陵でありましたが、蓮如