往生 - みる会図書館


検索対象: 本願寺と蓮如上人
7件見つかりました。

1. 本願寺と蓮如上人

悲しんでおられます。 蓮如上人の、六字のお名号を「われらが往生の定まりたる証據なり」 と仰せの通り、これを「弥陀をたのめ」と申されたのであります。あ らゆる衆生のいのちを生かしている如来にまかせなさい。そう如来さ まが喚んでくださっています。六字も十字のお名号も、如来のお名告 りです。必ず救う先手のお喚び声なればこそ、往生の定まりたる証據 です。聞法の道場に参集する門徒衆は「仏のかたより往生は治定せし一 めたまう」お名号に直接喚ばれている正に「念仏成仏是真宗」に生き る人達であります。 いのちは大事だとよくいいますが、この大事にしているいのちを、 守ってくださるにちがいないと、救いを要請するように解釈すると、 医 ) カんしようん、 「たすけたまへ」は祈願請求のそれになってしまい、蓮如上人のおい

2. 本願寺と蓮如上人

すが、やがて蓮如上人の時代になりますと、浄土真宗の法義を、この 平生業成に集約して、大きく本願寺の時代を築かれるのであります。 この平生業成は、すでに親鸞聖人が、法然上人の語録を編輯した ご、つしよ、つじゅ さいほ、つしなんしよ、つ 『西方指南抄』に「往生の業成就、臨終・平生にわたるべし」とあり ますところから、法然上人、親鸞聖人、覚如上人に伝承された教義で あることは明らかであります。 ぎよ、つぞ、つはんぞん 親鸞聖人は、伝統的な形像本尊を否定されたのではありませんが、 そんすう 特に名号本尊を尊崇されまして、帰命盡十方無碍光如来の十字名号、 乃至、南無阿弥陀仏の六字名号のうち、多く十字名号を用いられてい ます。親鸞聖人はどんな事情で、このような名号本尊を多く用いられ るようになったのでしよう。 学説に依りますと、 へんしゅう

3. 本願寺と蓮如上人

趣も異っていたわけですが、すでに本願寺を公称した以上、そこにご 本尊安置の問題が起ってきたのも、当然のことであります。 最初は御開山聖人の影像を傍にして、阿弥陀如来像を立てることに しましたが、それが実現したのは、覚如上人がご往生された後であり ます。 上人の後継者は、長子存覚上人であるはずでしたが、青蓮院とのし一 ぎせつ がらみや、再度に互る父子義絶の複雑な問題が続いたため、次男の従 カ / 、 ぜんによ 覚上人を越えて、その長子であった善如上人が継承されることになり ました。 先にのべましたように、覚如上人は、法然上人、親鸞聖人、如信上 人をもって三代伝持を主張し、法然上人の正しい教義の伝承は親鸞聖 人において実現し、さらに、聖人の孫であり、初期教団の高弟でもあ

4. 本願寺と蓮如上人

父存如上人は六十二歳でご往生されましたので、継職問題が起るの おうげん も無理はありません。如円尼の実子応玄は、蓮如上人より十九歳も年 下でしたが、継職となると、応玄の存在は軽視できませんでしたが、 」い ~ し - に ) み、つ ただ瑞泉寺の叔父如乘は強く蓮如上人を推して譲らず、ついに蓮如上 人の継職が実現したのであります。 上人は継職の翌年も『三帖和讃』をはじめ聖教を書写し、交附する一 ことを続けられました。御開山聖人からの名号本尊とする伝統を承け一 こんじきんでい て、十字名号を、紺地金泥に仕上げて、縁ある門徒に交附するなど、 精力的に展開され、特に近江方面は早くから門弟も多く、三河方面に も、蓮如上人は教線を拡げていかれました。 このように蓮如上人の活動によって、門徒衆も増していきましたが、 おおたにはきやく 継職八年にして「大谷破却」と称する事態に遭遇いたします。除々に

5. 本願寺と蓮如上人

カ避けるのに苦労しながら、その威儀を尊重していかざるをえなかっ た、本願寺苦難の時代は、もうしばらく続くのでありました。 綽如上人は四十四歳という若さでご往生されましたので、十八歳の 巧如上人が第六代を継承されたのであります。このころから、本願寺 ぞんによ は北陸方面の布教伝道に力を注ぎつつあったのです。殊に、第七代存如 上人は、北陸において教線を著しく伸展させた上人であります。 覚如上人以後、存覚、従覚、善如、綽如各上人の、いわゆる初期本 しよ、つぎよ、つー ) よー ) や 願寺のころは、聖教を書写して門末に授けられた様子は見当りません。 きようぎようー ) んしよう くでんしよう 次の巧如上人は『教行信証』や『ロ伝鈔』などを書写され、門弟にお 与えになるようになり、第七代存如上人になって、多くの聖教を書写 し、それを門末に交附するようになってまいりました。現在、存如上 ・か」わ、つ 人の花押のある「正信偈」が本願寺に伝えられております。 ぎよ、つこよ

6. 本願寺と蓮如上人

とうひ 蓮如上人の「後生の一大事」を、現実逃避の意味に解釈する人もい こんじようつい ますが、それは誤解です。後生は確かに今生と対句の表現ですが、今 生は迷の境界であり、後生は悟の境界ですから、迷を延長しても悟に は到達いたしません。 後生という表現は、菩提と連ねて後生菩提とも申します。その菩提 とは悟りの境地であり、煩を断じて、真理を明らかに得られる境地一 でありますから、「極楽はたのしむと聞いて参らんと願いのぞむ人は仏一 にならず、弥陀をたのむ人は仏になると仰られ候」と申される通りで あります。 最近、本願寺が「世界文化遺産」に登録されたとききました。遺産 といわれるかぎり、祖先からの七百年に亘る遺産であるわけです。 浄土真宗の祖先からの遺産としての本願寺が、「世界文化遺産」に登

7. 本願寺と蓮如上人

著者略歴 大阪府堺市に生る ( 1929 年 ) 関西大学中退、中央仏教学院研究科 卒業、竜谷大学大学院修士課程卒業、 本願寺輔教、得度教師教修所講師、 中央仏教学院講師、布教団連合顧問、 NHK 文化センター講師 著書 『念仏における問いと答え』 『蓮如さまのこころ』 『一日一話』 『蓮如上人と赤尾の道宗』 『親鸞聖人と私』 『生死を超える道』 『僧侶の道』 『人間の願いと如来の願い』 『蓮如の生涯』監修 『町角のことば』共著 『人生とことば』共著 『念仏春秋』共著その他 住所大阪府堺市南半町西 4 丁 1 ー 18 本願寺と蓮如上人 平成 10 年度用 豊島學由 著者 福田裕子 発行者 京都市下京区油小路通六条上ル 発行所百華苑 T E L 075 ー 371 ー 5760 F A X 075 ー 344 ー 0556 印刷所株式会社同月月舎