、おいて第一条に規定されたときいております。それで、わが民法も第一条にやはり権利能力の始 期について規定しただけのように思われるのであります。しかし、それは人の平権を予定して できていた規定だということになるわけでありましよう。そういう意味で、この規定は人の平等 権を規定したところに重い意味があるとされているのであります。それは、人の出生という事実 に因って、中世の封建社会におけるように、身分、階級、職業により私権の享有を区別するので はありません。また、宗教、性別、年齢、家の地位等に基づく差別を廃止して、無差別に かえると一律平等に人間を法的人格者として認め、自己目的者として意義づけたもので、これは 近代の個人主義・自由主義の思想に由来しているということになるわけです。それならば、私権 についての平等権の規定が一体なぜそんなに大きな意義を有っているのかというと、法律は権利 の主体をもって人といたしますが、しかし、人 ( 人格 ) persona と人間とは区別して考えるべき ものといわれております。ロ 1 マ法においても、権利能力取得の始期は、一般には、出生である とされていますが、しかし、その私権の享有にはいろいろの段階と差別があって、その最も著し い例をわたくしどもはロ 1 マ法における奴隷に見るのであります。すなわち、ロ 1 マ法において は、奴隷は人間ではあるが、法律上人ではない。したがって、人ではないのでこれは物とされて、 法的人格はほとんど奴隷には全面的に否定されていたのであります。歴史を遡りますと、奴隷制 度を有たない民族はほとんどなかったといわれますので、ロ 1 マ法の外にゲルマン法でも物とし ての奴隷が存在していたということになるわけです。わが国では、奴隷という制度があったかど うかはわたくしは知りませんが、しかし、わが国においても人間ではあるが法律上これを人格視
いて、現実的な法規法条だけを研究の対象として、法そのものを研究の対象とすることを忘れて しまった、いわゆる法律実証主義ということに陥ったのであります。それで、法律実証主義とい うのは、十九世紀に、ドイツにおいて、いま申しましたように、単に実定法の何であるかを知る ことだけに腐心したものをいうので、この学派は、主として成文法尊重主義すなわち法源として の法典だけを尊重し、現実に法律として定められたものだけを法律規範として認めて、法律の妥 当性というものをひたすら法律が現実に定められたということにだけ求めたのであります。その 結果として、そこに、成文法万能が信ぜられ、したが「て法の理念とか法の社会的関連性という ことは少しも考慮されないで、法律の安定性ということだけが重んぜられた結果、その法律が実 生活に応化することを忘れられて、法律学は萎微沈滞して法と社会との離遠が甚しくなったとい うのであります。そこで、この法律学の沈滞を防いで、法律と社会との矛盾、離反を調整するた めに、ドイツでは、『法律の自由なる発見』ということが高調され、これを重要視しなければなら なくなったわけで、この『法律の自由なる発見』というのは、いたずらに固定した法規法条だけ に囚われずに、成文法の欠陥を卒直に認めて、その欠陥を裁判官をして法律の自由なる発見をな もいかえると、成文法に対する伝統 さしめることによって補なおう、こういうわけであります。 的な解釈論の方法は、成文法について、その成文をもはや確定した事実として、単に形式論理を 操作することによって事を処理しようとするもので、これが概念法学ということになるわけです が、この伝統的な解釈方法論を批判して、これに囚われることなく、すなわちそれから自山に、 その成文に内在する価値すなわち法律に包蔵されている事物の合理性を実体的な論理を用いて展
つき、当事者の互譲により、条理にかない実情に即した解決を図ることをは的とする』と規定し て、そこに『条理にかない』とこううたわれていることをひとっ御注意を願いたいと思います。 なお、これと関連して考えるべきは、今度の世界戦争の後に行われたニ「【ールン 国際人権規 ベルヒおよび東京での国際裁判で、その首席検事がいずれも、極東裁判において 約草案 はキーナン検事でありましたか、いずれも国際法廷における被告人たちに対して 文明が裁判をするのだ、二十世紀の文化が裁判をするのだ、こういうことを強調していわれたこ とであります。それは俘虜の虐待、非戦闘員の殺戮等の事件に対しては、国際条約或いは国際法 規が存在しておりますので、これを適用して戦争裁判をすることができるでありましようが、し かし、平和に対する罪すなわち侵略戦争または国際法違反の戦争についての共謀に関してはまだ 国際法が確立されておりませんので、侵略戦争の企画者ないし遂行者に対しては適用すべき法規 がないわけで、したがって、これに対して裁判をしなければならないといたしますと、それは、 また、必然的に条理によって裁判をしなければならないことになるのであります。これは、今な お生成発達の途上にある国際法の上からは、やむを得ないところであります。その文明が裁判し 文化が裁判するということは、これを要するに、わたくしから考えますと、実は、二十世紀の道 理すなわち条理に従「て裁判をする、ということに外ならないことになりましよう。その後、一 九五四年に発表されました国際連合の国際人権規約草案、これは一九四八年の世界入権宜言に基 づいてできたものですが、その第十条第二項に、『本条中、いかなる規定も、国際社会によって 認められた法の一般原則に従い、何人に対しても行為の時に犯罪とされた行為又は不作為につき、
この講では、、 もよいよ法律の解釈とうロ 、門題に人ってお話をいたします。 法は、社会生活の規範でありますので、わたくしどもの実生活の裡においてそれ 裁判と法の がよく守られることが必要で、国家は、それが守られることを保障し、法律が具 具体的実現 体的に存在しているということをわれわれに示すのであります。そうして、個人 個人の間に正義を具体的に実現するということになります。法を具体的に実現するということ は、具体的、個別的な社会事実について法律を適用し、抽象的な法律の意義を明かにすることで あります。すなわち、具体的な事実について法的価値判断をするということになるわけでありま す。これは、実際上は、裁判において最もよく行なわれるところであります。裁判においては、適 用されるべき法を大前提とし、規律される社会事実を小前提として、三段論法の形式において結 論を導いてくる、こういわれるのであります。しかし、それは単に形式論理の操作をもって足り るものではありません。実体論理または価値の論理を必要とすると、こういうことになるわけで あります。すなわち、悟性によって事物を形式的に観たり、また、形式的にだけに思惟するとい 第 + 一講法律の解釈 ( 1 )
るのでしようが、法の運用は、法的安定性と具体的妥当性とが対立し、それが二律相背反するも のとされる両者がより高次の統一と調和とを得るところに求められなければなりません。それ で、法を適切に運用しようとしますには、法的安定性を考慮しながら、しかし、法的安定性とい うことの上に、それを超えて法の具体的妥当性を実現しなければなりません。そのためには概括 的条項を活用せざるをえないことになるのです。そうして、これがために、伝統的な概念を捨て 去りながら、われわれは、新しく二十世紀に妥当する原理と概念とを概括的条項において構成し なければならないということになりましよう。要するに、概括的条項は、実際には、裁判所が自 由な裁量によってこれを運用し判断するので、これからは、裁判官には深い教養と高い見識と重 い責任とが要求されるということになるわけであります。 10
法律は安定性に膠着するところから免かれて、たえず法律の生命を新たにすることができるわけ で、そこに法律の進化があるもの、と、わたくしは考えております。わたくしは、法は常に生長 し、発展するということを前提として、これから皆さんにお話をしてゆこうと考えておりますの で、どうか法は生長し、発展するということをよく理解しておいていただきたいと思います。 十九世紀の法律思そこで、十九世紀から二十世紀 ~ わたての法律思想の発展のうちに、わ 想からニ十世紀のたくしどもは法律の進化を眺めとろう、こういうわけでございますが、そ それへの変遷 の法律の進化をわたくしどもは『法の社会化』と、こういっております。 それで、この法の社会化を最も端的に示している一つの事例として、フランス民法からドイツ 民法へわたる法律思想の変遷のあとをたどってお話をしてみたいとおもいます。 フランス民フランス民法は、ナポレオンが制定したものとして有名です。永い間の準備期間 法の特色を経て一八〇四年にできたものですが、このフランス民法がひとたび世に出る や、世界の人人から嘆美の声を放たれたことほどさように、それは世界的に模範的な法律とされ たものです。そうして、フランス民法すなわちコード・シヴィル code civil は、十九世紀はじめ の世界における法律文化を徴表するものといわれております。そのフランス民法は、近世の文芸 復興以来、自我の自覚によってはじまった個人主義自由主義の華やかであった十九世紀当初の思 想によって、所有権の絶対、契約の自由、それから過失責任 ( 自己責任 ) の原理の上に組立てら れていたわけで、中世の封建制度は崩壊され、その階級中心身分本位の生活から民衆は解放され、 新しい民法によ「て、このフランス民法という新しい民法によって、新たに自由競争の社会が展
だその両足を市民的・自由主義、ローマ的・個入主義的な法律の考え方の地盤の上にふまえてい るが、しかし、ためらいつつも、ときおり、それは新たな社会主義的な法律の考え方の上に手を トイツ民法は、まだそ さしのべているのだ』、こうラードブルッフはいっています。そのように、・ の両足を市民的・自由主義、ローマ的・個人主義的な法律のものの考え方の上に両足をふまえて おったのですが、そういう意味でドイツ民法はフランス民法的な市民法的な思想を抛ってはおり ません。しかし、ためらいつつも、ときおり、おずおずと、ドイツ民法は、新たな社会主義的な 法律思想の上にも手をさしのべたという意味において、ドイツ民法をもって社会法というには、 社会主義的な法律というにはまだほど遠いものがありましようが、しかし、その裡には社会法の 芽生えを孕んでおった、こう申しても必ずしも言い過ぎではないと考えるのです。要するに、ド ィッ民法は、フランス民法が個人本位で法律上物事を考えたのに対して、団体本位の立場、社会 こ、つい、つこと力いえるでしよ、つ。 本位で法律を考えるにいたった魁をなしたの子、 ワイマールその社会法の芽生えを孕んでお「たドイツ民法の精神を承け継いで、二十世紀の 憲法と社会憲法として世界に模範を示し、特に終戦後の諸国、そうしてわが国の憲法にも大 化諸規定 きな影響を及ばしたドイツのワイマール憲法は完全に十九世紀から二十世紀へわ たっての法の社会化の礎を築いた、といわれます。このワイマール憲法は一九一九年にできたも のですが、それは、ちょうど、フランス民法がフランス人権宜言 ( 一七八九年 ) の個人主義・自 由主義の精神を承け継いで、それを発展したところに、フランス民法は市民法を完成したといわ れるのですが、それと同じように、ワイマ 1 ル憲法は社会法的な憲法としてドイツ民法の団体主
あります。かような思想を承け継いで、シ = タムラ 1 RudoIf Stamm1er が自然法論を発展させ たのであります。すなわち、彼は、十九世紀の終りに、『内容において変化する自然法』 Natur- recht mit wechselndem lnhalt とい、つことを説いたのであります。それによると、自然法とさ れるものも、その内容は時代に応じて変化しつつあるものということになったのであります。例 を挙げていうと、所有権という思想、これは自然法的な思想ということになりましよう。その所 有権の思想はナポレオンがフランス民法をこしらえた時分には所有権は絶対無制限な権利だ、義 務を伴わない権利だと、こう考えられたのであります。ところが、ワイマール憲法によって所有 権は義務を伴うということになったということはすでに御承知の通りでございましよう。これを フランス民法を制定した人人がききましたならば、義務を伴うような所有権はもはや所有権では こういうでもありましようが、しかし、二十世紀の所有権は義務を伴う、ということにな ったのであります。要するに、そういうふうに所有権というものも自然の流れ歴史の流れにした がってやはりその内容は変化して行くものだ、というのであって、ギールケ Otto von Gierke のいったように、所有権というものも、論理的範疇に属するものでなく、やはり歴史的カテゴリ 1 のものである、ということになるのでありましよう。考え方によりましては、所有権というも のがこういうふうに内容を変えたところに、そこに所有権が今日までまだその観念を持続し得っ つあるとすることができるのだということがいわれるのではないか、こう考えるのであります。 なお例を挙げると、刑罰という思想、これも自然法による思想ということになりましようが、刑 罰ははじめは応報であり、害悪であり、苦痛を与えるものだ、と考えられていたのが、今日では、
あります。われわれは木木の稍の木の葉がすべて散ってしまったのを見て、はじめて、ああ秋が きたとして、天下に秋の来たのを知るのではありません。桐のひと葉のすでに落ちて行くのを見 てわたくしどもは天下に秋が来たのを知るのです。それと同じように、民法においてかように法 律的な考え方が個入本位から社会本位に変ったということは、一葉落ちて天下の秋を知るわけ で、全法律の思想が同じように個人本位から社会本位に変ったという現象を示していると考えて よいのではなかろうかと考えるのであります。従来、民法のような私法の領域では、平等対等な 個人間の関係を規定したものでありまして、国家の権力を排して、所有権の不可侵と契約の自山 と過失責任の原則とから成る私的自治の原則が支配していたのでありますが、公共の福祉、信義 誠実の原則によってこういうものが統制され、憲法は所有権は正当の補償の下に公共の福祉のた めに使用できるように規定し ( 憲法第二十九条第三項 ) 、そうして、民法第一条が私権は公共の福祉 のために行使することを規定したということは、元来私法として国家権力を排除した私法に見ら れなかったところで、法の社会化をあらわに示しているということになるわけでありましよう。 この法の社会化という現象は世界を通じてのもので、こういう趨向はこれからも続くものと考 えられます。それで、わたくしどもは、法律を解釈し運用するにあたって、このことを充分に理 解しておかなければならないと考えるのであります。かような次第で、法の社会化ということを はじめにお話したわけであります。
」い、つのが まえに述べたこの文理解釈と論理解釈とを合わせて、これを学理解釈 学理解釈と 一般でありますが、学理解釈は、理論によって法律の内容を確定いたしますので、 有権解釈 固有の意義における法律の解釈であります。したがって、学理解釈よ、ゝ ーも力に権威 、ある解釈でも絶対の拘東カを有っているものではありません。しかし、実際上絶対の拘東カを有 ってはおりませんが、実際上は道理にかなうものとして、非常に強い勢力を有っているわけです。 これに対して、有権解釈というのは、名前は解釈ということがついておりますが、しかし、こ れは新しい法律すなわち解釈法或いは解釈規定を創り出すことで、実際には固有の意味における 法律の解釈ではないのであります。すなわち、有権解釈というのは、法規範の意義が国家の権限 のある機関によって確定され、或いは、明らかにされることをいうのであります。したがって、 これを公権解釈とも、 います。通常は特定の法規の内容が他の法規で明らかにされる場合が多い ので、法規の疑義を解釈する権限を有する機関によって行なわれますので、有権解釈または立法 解釈という名をもって呼ばれるわけです。それで、これは、実質的には法律の解釈ではなく、 つの立法であります。それ自体法であって、当然に拘東カを有っているものでありますので、ま 、た、これを法規解釈または強制解釈とも、 います。そうして、これは、その解釈の対象である法 の内容を示すものとして遡及効を有つものですが、こうした有権解釈の規定そのものが、また、 さらに、解釈を必要とされることになるということもあるのです。 それで、有権解釈は、その方法によって、次のように分類されます。 曰有権解釈は、解釈される法規と同一の法令の中に解釈規定を設けるのが普通です。例え 177