慣習法 - みる会図書館


検索対象: 法律的ものの考え方
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1. 法律的ものの考え方

国ももとより成文法の国となり、法典国となったことはいうまでもありません。 そこで、近世諸国は成文法主義を採り、法典国とな。たのですが、しかし、それ 法例第ニ条 と民法第九は不文法を全く排斥したわけではありません。そうして、不文法のうちで、特に 十ニ条 重要な慣習法のようなのは、やはり法律としての効力を持続しているのでありま す。こういうことをよく記意しておいていただきたいので、すなわち、わが法例第二条には、「公 の秩序善良の風俗に反せざる慣習は法令の規定に依りて認めたるもの及び法令に規定なき事項に 関するものに限り法律と同一の効力を有す』、こう規定してあります。なお、民法第九十二条に は『法令中の公の秩序に関せざる規定に異りたる慣習ある場合に於いて法律行為の当事者が之に 依る意思を有せるものと認むべきときは其慣習に従う』、こう規定している外に、商法第一条には 『商事に関し本法に規定なきものに付ては商慣習法を適用し商慣習法なきときは民法を適用す』、 こう規定しております。 事実たる慣そこで、慣習法というものは、社会の慣行として発生した社会生活の規範が成文 習から慣習にならない、すなわち不文のまま国家によって法律規範として承認され強行され 法へ るようになったものをいうので、まだ法として認められるまでに至っていない慣 習、すなわち事実たる慣習、わたくしどもが朝おはようございますとあいさつをかわすのも、こ れは事実たる慣習です。これを慣習法と区別しなければならないのです。実は、この置習法もそ のはじまりは事実たる慣習であったのでしようが、それが、水い年月を経るにしたがって、やがて 社会から規範として認められるようになり、それがさらにその規範に従うことが権利または義務 142

2. 法律的ものの考え方

この条理というものは他の法源である成文法・慣習法とはその性質がちがうので、 法源として 同一平面上でこれを考えることはできない、 とこういわれておるわけで、そうい の条理 う意味で、この条理は実質的意義の法源の面であらわれてくるものだ、こういう ふうに説かれるのであります。 それで、条理を、或いはこれを理法とも、 もいます。これは理想法、自然法をおもわせるもので すが、そこで、成文の規定も慣習法もない場合に、裁判所は、一体、何によって裁判をするのか、 ということが問題になります。これについては、明治八年の六月八日の太政官布告第百三号裁判 事務心得第三条というのがあります。それには、『民事の裁判に成文の法律なきものは習慣によ り、習慣なもきものは条理を推考して裁判すべし』、こう規定しております。別に、刑事について は、新律綱領というのが明治のはじまりにできておりましたが、その新律綱領の雑犯律の不応為 の条に『儿律令に正条なしと雖も情理において為すを得応からざるの事を為す者は笞三十理重き 者は杖七十』、こう規定されてあったのです。しかし、この不応為律といわれるものは、旧刑法の 第二条に規定されました罪刑法定主義の原則『法律に正条なきものは何等の所為と雖も之を罰す ることを得ず』という原則規定に反しているので、それによりまして、今日では、刑法上認めら れておりません。しかし、民事の関係では、前の明治八年の太政官布告第百三号第三条の規定は 広く認められているのでありますが、この太政官布告第百三号第三条の規定が今日もはや効力を 失った、と、こういうふうに説く学者もあります。これは争われているところで、太政官布告第 百三号の規定は民法施行の際に特に廃止されることがなかったところら争われているのであり 149

3. 法律的ものの考え方

として確信され強行されるにいたって、すなわち国民の法的確信 Rechtsüberzeugung を得るに いたって慣習法ということになったわけです。わたくしが先にいいました法例第二条に慣習とい うのは慣習法を意味するし、民法第九十二条に慣習というのは事実たる慣習をいうものだ、こう 一般にいわれております。したがって、慣習法は法令によって認められた場合または法令に規定 のない事項に関する場合に限って法律と同一の効力を与えられるのでありますが、これに反して、 事実たる慣習は法令に規定がある場合であって、その規定が公の秩序に関しないもの、すなわち、 任意法規であるために、もしもこれとちがった慣習があって、当事者がこの慣習によるという意 思を有っておったことを認めることができる場合には、この慣習に従わさせる、こういうわけで あります。一例を挙げますと、民法には家賃は毎月月末に支払われなければならないという第六 百十四条の規定があります。この規定は公の秩序に関しない任意法であります。家賃は何時払わ なければ公の秩序に反するというけのものでありませんので、そこで、前払または一年分とり まとめて歳末大晦日に支払う或いはお盆と歳末とに二度に取りまとめて払う、こういうような慣 習がありまして、当事者がこの慣習によるべき意思があると認められる場合には、この慣習に従 わせるのであります。このような慣習に従う意思が当事者間に認められないとき、或いはこうい うような慣習がない場合に民法第六百十四条の規定が適用される、こういうことになるわけで す。そうして「慣習法は法律であるので、当事者がこれによるべき意思があると否とにかかわら ず、また、それが存在するかしないかを知ると否とにかかわらず、裁判所はこれを適用しなけれ ばならないのでありますが、事実たる慣習は当事者がその存在を知ってそれに従おうという意思 14 う

4. 法律的ものの考え方

があると認められる場合に適用される、こういうことであります。 さて、法律の発達の沿革に遡りますと、不文法がはじめで、特に慣習法から発達 慣習法の効 したことが明らかた、ということをいいましたが、法典成立以前の法律生活では 力と成文法 慣習法が重きをなしていて、法律の全部或いは少なくともその大部分は慣習法で あった、成文法はむしろ慣習法に対する補充的な地位、慣習法のないところを補充するというこ とになっていたのであります℃それは、社会のあるところに慣習という社会生活の規範が発生す るのは、これはい、つまでもなく当然の現象であって、むかしは慣習法は人人の公私にわたる生活 に関して自然にその間に発生した行為の準則でありまして、法律たる効力を有っておって、各人 を覊東していた。特に、親子夫婦の関係、相続遺言の財産取引に関する事項はたいてい慣習法に よって定まっていたのであります。こういうような意味において、慣習法は最も民主的に形成さ れた法た、ということがいえると思います 9 ところが、国家生活が発達して文字の使用が普及す るにしたがって成文法ができたのですが、その後、国家の体制が整い法律生活が複雑化してきて、 法的安定性ということが要請されるようになり、ますます成文法の発達を見ることになったわけ です。そこで、成文法ははじめ刑法とか行政法とかいうような主として国家生活に関する法律か ら順次でき上ったのですが、国家生活でない社会生活に関する民法商法ではなお長い間慣習法が 行なわれていたのであります。ところが、十九世紀のはじめにフランスが成文法の国となり民法 典その他の五法典を編纂するに及んで、諸国はこれに倣っていろいろの法にわたって法典の編纂 を企てたわけです。それと、また、自然法の思想が成文法尊重の観念を助長して、慣習法は一切 144

5. 法律的ものの考え方

その永久的効力を主張するということはできないわけでしよう。そういう意味で、成文法は、将 来、他の法律によって必ず改廃される運命にあるということを考えておかなければならないわけ です。そうして、成文法が社会の変遷のため適切妥当なものでなくな「た場合、これと反対の内 容を有っ慣習法が発生するということは、これは考えられないことではありません。大いに考え られることです。そういうわけで、実際にもこれを見うけるところで、例えば、ここに例を挙げ ましたように、商法旧第百五十条の規定がありましたのに、これに反する白紙委任状附記名株式 の流通という商慣習法が発生したのであります。しかし、その後、そういう商慣習法を認めない わけにゆがないことになり、この規定は廃止されて、商法第一条の商慣習法を認める規定によ。 て、新たに、商法はさきの商慣習法上の効力を消極的ではありますが、すなわち、白紙委任状附起 名株式の流通の商慣習法の効力を消極的ではあるが認めることにな 0 たのであります。これは、 その間の消息を伝えているものだ、ということになりましよう。ただし、学説によっては、商法 第二百五条の規定によ「て、白紙委任状附記名株式の讓渡が認められたとするのもあります。そ れはとにかく、こういうような事実を法律の禁止規定をも「てしても、実際にそれを禁止すると いうことはとうてい不可能なことであります。しかも、こういうような場合に、それが慣習法で あるからとい「て、慣習法の変更的効力を否認するわけにはまいりますまい。それは、成文法と 同じく不文法もまた法律でありますので、成文法と慣習法との両者の間に、 理論上、その効力の ちがいを認めるわけにゆかないから、という理由によるのであります。 そこで、慣習法の外に条理ということがあります。

6. 法律的ものの考え方

際的な結論を組立てるにあた「ては、法律をしてその流動性を失わしめ、法律を凝固的なもの固 定的なものにしてしま「た、というわけで、要するに、成文法主義が重要視され、不文法主義か ら成文法主義に移「たのです。このことは法律の進化を示すもので、国家から制定されて強行さ れたものが成文法、国家から不文のまま承認されて強行されるものが慣習法だ、こういうことに なるわけで、一八九六年のドイツ民法は、歴史法学派の思想に影響されて、慣習法否認の規定を 設けなか 0 たのであります。そうして、学者もまた多く慣習法は成文法と同等の効力を有「てい ると説いているのであります。まことに、その通りで、成文法も慣習法もともに国家の法律であ こ、つい、つことになるわけ りますので、純粋に理論的にいうと、その間に優劣を認むべきでない、 であります。 しかし、実際においては、時代によって慣習法の効力にはいろいろ消長が考えられるので、そ の後、国家主義が盛んになるにしたが「て、法律の統一を図るために慣習法の効力を減殺しよう、 こういう動きがあ「たのです。そこで、一九〇七年のスイス民法第一条第一一項には、『成文法が 何等の規定をも為さない場合においては、裁判官は慣習法に依「て裁判をしなければならない』、 こう規定して、慣習法が成文法に対して補充的効力を有「ていることを明らかにしたのでありま す。そこで、なお、成文法自身がその規定とちが「た慣習法に従うことを規定している場合には、 慣習法に成文法を変更する効力が認められるわけで、また、先に挙げた法例第二条がこれであり ますし、さらに、商法第一条の規定は商慣習法の商法に対する補充的効力を認め、そうして、ま た、民法に対する変更的効力を有 0 ていることを明らかにしているのであります。 146

7. 法律的ものの考え方

前回にひきつづき、法の淵源ということについてお話をいたします。 慣習法の成文そこで、前回にいいましたように、成文法自身がその規定とちが 0 た慣習法に 法に対する変従うことを規定している場合には、慣習法に成文法を変更する効力が認められ 更的効力 るのですが、ここに問題となるのは、こういうように慣習法の変更的効力を認 めた成文の法規がない場合でも、成文法の規定の内容と反対の内容を有っところの慣習法、これ これによる成文法の廃止変更が を反対慣習法といいますが、この反対慣習法が発生した場合に、 できるであろうかどうか、とこういうことが間題であります。そこで、これについては、むかし から学説は一致していません。ドイツの歴史法学派の学者はそういうことを是認いたしますが、 まえにい「たようなところから、イギリスの分析法学派といわれるものに属する学者はこれを否 認するわけです。わが国では、法例第二条の規定の上から、これを否定する、すなわち廃止変更 ができないというのが通説にな「ております。しかし、歴史法学派のいうように、成文法は固定 的のものです。ところが、社会は日日に変遷を重ねて窮まるところがないわけでありますので、 第十講法の淵源 ( 2 ) 147

8. 法律的ものの考え方

廃止されることになったわけで、そうして、慣習法はもはや成文法があるので必要のないものだ とこ、つ とされたばかりでなく、将来ももはや慣習法は成文法が完備すれば発生する余地がない 考えられたのであります。このような次第で、一八〇四年のフランス民法、一八一一年のオース 下リヤの民法等は慣習法の効力を否認する旨規定したわけであります。 しかしながら、社会の事情はいろいろさまざまに変転窮りないものでありますので、成文法を もってすべてのことを定めるということはとうていできないことであります。そういう意味で、 慣習法が法律の一部として永く存在するということは疑を容れないということになりましよう。 そればかりでありません。十九世紀に起ったドイツの歴史法学派は、ドイツにおける慣習法を歴 史的に研究した結果、このまえいいましたように、法律をもって国民精神の発現だとして慣習法 を重要視し、慣習法が法律であるのは国民の法的確信に基づくものであるので、敢えて国家の承 認を必要としないのだ、とこう主張して、ドイツに法典争議というのがあカましたが、その民法 典の編纂論に強く反対したわけであカます。しかし、歴史法学派は過去に対しては法律の進化を 高調したわけであります。このまえいいましたように、自然法が万古不易だ、こう主張したのに 対して批判を投げかけたのは歴史怯学派で . あカます。すなわち、法律は歴史的に発達するものだ と主張したわけですが、それにもかかわらず、法律の将来に対して峡歴史法学派は、全く、無 為主義に陥。たので、その結果、怯律を固定化せしめることにな「たのです。自然法論が法律理 念の普遍妥当性というものを主張したのに対して、これを非実証的だとし、そうして、万古不易 だと説いたのに対して、非進化論的だとい。て政撃したのですが、しかし、みずからの法律の実 、 14

9. 法律的ものの考え方

このようなわけで、法律は成文法と慣習法と条理、この三つから成立しているも 法源の三元 のということができましよう。すなわち、法律は右の三つの法源から成立するもリ 説 のということができるのであります。自然法論者は、条理が法律なのであ「て、 裁判にこれを適用しうる、というのでありますが、しかし、法律は条理よりかも狭隘なものであ りますので、条理は法律ではなく、したが 0 て、裁判に適用しえないものだ、と説く学者もあり ます。しかし、今日では、法律の淵源に関しては、まえに述べました三元説すなわち法律は成文 法と慣習法と条理の三つから成るものとする考えが通説とい「ていいでありましよう。それで、 その順位は、第一に成文法、第二に慣習法、第三に条理ということになります。ただ商法におい ては、前講でいいましたように、商慣習法は民法に先んずるものであるという特別の規定があり ます。成文法に対して、慣習法および条理を合わせて、これを不文法といいます。 そこで、なお、法律の淵源といたしまして、判例および学説というものがどんな価値を有つも のか、ということを考えておく必要がありましよう。 まず、学説の方から先に考えますと、古くは、ロ 1 マのアウグスッス Augustus 学説は法源と してどんな価帝が当時の法律家を選んで法律解釈権を与え、その解釈上の意見はこれを『法 値を有つか学者の回答』 Responsa Prudentium とい 0 て直ちに法律としての効力がある ローマのテオドシウス Theodosius 第二世はいわゆる引用法 lex citation ものとした。さらに、 において当時の法学の頂学であ「た。 ( ビニア 1 ヌス papinianus 以下パウルス pauls ・ウルピア 1 ヌス U ぎ一 a ゴ餝・ガイウス Ga ・モデスティ 1 ヌス M0d04 tl , の四人の法学者の著書をも

10. 法律的ものの考え方

第九講法の淵源 ( 1 ) ・ 法源についての二種の意義 ( 一一宅 ) 法典と単行法 ( 一一宅 ) 不文法から成文法へ ( 一三九 ) フランスと成文法主義 ( 一四 0 ) 法例第二条と民法第九十二条 ( 一四一 I) 事実たる 慣習から慣習法へ (一四 (l) 慣習法の効力と成文法 ( 一四四 ) 第十講法の淵源 ( 2 ) 慣習法の成文法に対する変更的効力 ( 一四七 ) 法源とし ての条理 ( 一四九 ) 国際人権規約草案 ( 一五一 I) 法源の三元 説 (l 五四 ) 学説は法源としてどんな価値を有つか ( 一五四 ) 判例は法源としていかなる価値を有っているか ( 一五六 ) 第十一講法律の解釈 (—)• 裁判と法の共体的実現 ( 一五 0 事実の確定或いは事実 法労働法から社会法としてのそれへ ( 三 0 企業法の 社会性 ( 一三 0 ) 所有権の公法化 ( 一三 0 ) 所有権について 個人と国家とは協力関係に立っ ( 一三一 D 社会的制度と しての所有権 ( 一三五 ) 社会法における広狭二つの意義 ( 一三五 )