概括 - みる会図書館


検索対象: 法律的ものの考え方
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1. 法律的ものの考え方

とを決定すべきでしようか。これについては、形式的概念的な標準はありません。法律もそれに ついての形式的概念的な標準を示していませんし、そうして、それを規定してもおりません。 それは、これについて形式的概念的な標準を示すことが法律をもってしてもできないからであり ます。こういうような規定を概括的条項または一般的条項或いは一般条項 Genera1k1attse11 】と こういうふうに呼ぶのであります。要するに、事を概括的に規定しているのでこう呼ぶのであり ます。そこで、概括的条項は事物の価値判断に属するものでありまして、それは、その性質上、 法律の規定そのものからはわからないもので、したがって、法律を超えたもの、すなわち、超法 規的übergesetzlich なもの、形式的な法律の規定の形式にかかずらわることなく、拘泥するこ とをしないで、すなわち、形式的な法規の上に超越してされるべきところの価値判断を必要とす る概念に属するものだ、こういうことになるのであります。それは、概括的条項は概念的には明 確性を欠くものであるので、形式論理によって運用し得られるものではありません。それで、そ れは実体の論理ないし価値の論理によって運用されるべきものでありますが、その意味で、概括 的条項は概念法学を超えるものであります。概念法学で概括条項を運用しようとしてもどうにも ならないのです。概括的条項を実体の論理価値の論理で運用しようとするのは、事態を非合理的 なものに立ち戻らせようとするのではなくして、ただ新しく形式論理を超越し概念法学を超越し て、これによって事物の実体を洞察して変転窮りない社会に対応して具体的妥当に事を処理しょ うとするのであります。 例えば、公序良俗という概念はどういうことか、これについて形式的概念的な標準を示せとい

2. 法律的ものの考え方

ればならないということになるのであります。これについては、後に法律の解釈というところ或 いは法律の解釈をめぐる諸問題ということをお話しする時に詳しく説明しようと思いますが、要 するに、そのために、その法律の欠陥を適当に補充するために概括的条項を用いることが少なく ないということになるのであります。言葉を強めていいますならば、それはますます多くなる傾 ・向に在ることが否定できないのであります。それとは別に、概念法学の圧迫からわたくしどもの 実生活と法律そのものとを救い出すためには、どうしても価値的な原理によって伝統的な概念を 適当に按排することが必要になるということであります。かような次第で、概括的条項を立法は 必要とすることになるので、これは好むと好まざるとにかかわらず、やむを得ない現象と考える のであります。 しかし、価値的な原則を安易に適用して立法が『概括的条項へ逃避』するのでは、そこに法律 の危機がやって来るでありましよう。それで、伝統的な概念を打ち棄てて、すなわち概念法学に よることなく、われわれは自由法論によって二十世紀らしい新しい原理と概念とを構成して概括 的条項を活用しなければならないのです。 こういうような方面からしても、概括的条項というものがいよいよますます沢山流れ込んで来 る、こういうことになるのであります。そこで、こういうような現象を、学者、ドイツのヘーデ マン Wi1he1m Heduemann という学者ですが、ヘ 1 デマンはこれを法律の『概括的条項への逃 避』 die FIucht in die Genera1krause1n といいかような現象をもって法律が軟化するのだ、法 律の軟化現象であるといっております。そうして、法律が軟化することをもって法律学の危機を 108

3. 法律的ものの考え方

るのでしようが、法の運用は、法的安定性と具体的妥当性とが対立し、それが二律相背反するも のとされる両者がより高次の統一と調和とを得るところに求められなければなりません。それ で、法を適切に運用しようとしますには、法的安定性を考慮しながら、しかし、法的安定性とい うことの上に、それを超えて法の具体的妥当性を実現しなければなりません。そのためには概括 的条項を活用せざるをえないことになるのです。そうして、これがために、伝統的な概念を捨て 去りながら、われわれは、新しく二十世紀に妥当する原理と概念とを概括的条項において構成し なければならないということになりましよう。要するに、概括的条項は、実際には、裁判所が自 由な裁量によってこれを運用し判断するので、これからは、裁判官には深い教養と高い見識と重 い責任とが要求されるということになるわけであります。 10

4. 法律的ものの考え方

この講では、前講でお話した自然法と実定法の中に出てきた概括的条項ということについてお 話をしたいとおもいます。 概括的条項概括的条項または一般的条項というようなことについては、わが国では、普通に または一般法学或いは法学概論といわれる教科書では、これを説いているのはほとんど見か 的条項 けないようです。少なくともこれを一つの項目として論ずるということは一般の 法学の教科書には見ないところとしてよろしいかとおもいます。しかし、わたくしは、これから の法学においては、この概括的条項ということについて論ずることは非常に重要なことと思って いるので、古くから、ずっと以前から、これを論ずるのを例としています。それで、ここでもこ れについての若干をお話しすることにしたのであります。しかし、概括的条項の問題はドイツで も特に法学でこれが重要視されるようになったのでありましようか、法学の教科書の中でもこれ を論ずるようになったのを見受けるのであります。それは、比較的最近といっても五年ほどまえ ですが、エンギッシ = Kar1Engisch というドイツ学者の『法律的思惟への手びき』 Einführung 第六講概括的条項 ( 一般的条項 )

5. 法律的ものの考え方

定を除いて、新たにその民法第一条だけについて見ても、『公共の福祉』とか『信義誠実』とか或 いはさらに『権利の濫用』というような概括的条項に属する概念が採り入れられるに至ったこと はすでにお話した通りであります。民法のみならず憲法においても 、いたるところに『公共の福 祉』というような言葉が出てきているのであります。そうして、さらに、民法についていうと、 『信義誠実』という概括的条項の適用された数において、ドイツのライヒ労働裁判所はレコ 1 ドを つくったほど沢山に信義誠実という用語を用いて裁判をした、と、こういわれているのでありま す。わが国においても、すでに大審院時代において示された判例には、しばしば、信義誠実の原 則が採用されていたわけであります。この信義誠実の原則は、すでにロ 1 マ法において認められ ていたところで、フランス民法でも、ドイツ民法でも、そうしてスイス民法 ( 一九〇七年 ) でも明 かに規定されていたのであります。そこで、スイス民法の規定が信義則に関する規定として最も 包括的な規定で、これについての最も模範的なものとされるので、わが民法第一条第二項は、こ れに倣ったということは前にお話した通りであります。スイス民法は、社会生活の取引における 全体の関係に通ずるものとしてこの原則を掲げたのでありますし、わが国においても、かって大 審院は、債権債務の関係を支配するものは信義誠実の原則だ、と揚言したのでありますが、しか し、信義誠実の原則は、単に債権債務の原則を規律するだけでなく、民法全体を通じての原則と して、今日では、重要な意義を有っことになってきて、この原則は、全法律を通じての原則たる ・ヘき意義を有っことになったのであります。学者によりましては、すなわち、わたくしの師匠牧 野博士は、法律は信義則にはじまり信義則に終る、こういわれているのであります。そういう意

6. 法律的ものの考え方

式的概念的に示せ、といわれても困るということになるので、具体的な事実について価値判断を するより仕方がないということになるわけです。そうして、『相当の期間』というのについては、 商法第五百八条に規定があります。そこには『隔地者間に於て承諾期間の定なくして契約の申込 を受けたる者が相当の期間内に承諾の通知を発せざるときは申込は共効力を失ふ」とあります。 また、民法第五百二十四条にも『承諾の期間を定めずして隔地者に為したる申込は申込者が承諾 の通知を受くるに相当なる期間之を取消すことを得ず』と規定してあります。これらの規定に 『相当の期間』または『相当なる期間』というのについても、どの位の期間が相当の期間なのか、 あらかじめ形式的概念的にその標準を定めるわけにゆきません。隔地者間の取引の具体的なそれ ぞれの場合場合に照応してどの位の期間が相当の期間といえるか社会の通常に照らして価値判断 をするより外ないとい、つことになりましよ、つ。 また、民法第一条第二項は、まえにお話ししたように、信義誠実の原則を規定しております。 『権利の行使及び義務の履行は信義に従ひ誠実に之を為すことを要す』というのであります。こ の信義誠実の原則を規定した規定も、もとより、概括的条項に属するものであります。 刑法においても、まず、刑の量定に関して裁判官にひろい範囲の裁量を認めると 刑法と概括 いうことが概括的条項の著しいあらわれであるといえましよう。刑法において 的条項 は、概括的条項は、その形式上、罪刑法定主義に反するものとされることになり ましよう。現に罪刑法定主義を厳格に守ろうとしたフランスの一七九二年の刑法は裁判官に量刑 の範囲を認めなかたというのであります。しかし、一八一〇年のナポレオンの刑法は各犯罪に ー 0 2

7. 法律的ものの考え方

ついて刑の最高限と最下限とを示すことにした。そこに刑政における正義を完うするには少なく ともこの点について罪刑法定主義を緩和すべきであるとされたわけで、量刑について裁判官に一 定の範囲において裁量の自由を認めたことはその点で概括的条項を設けたことになるのでありま す。酌量減軽例もその一つですが、刑法第六十六条に『犯罪の情状憫諒す可きものは酌量して共 刑を減軽することを得』という規定におきまして、『犯罪の情状憫諒すべきもの』というのも概 括的な概念であります。 要するに、刑法の新しい趨勢として罪刑法定主義の展開ということを考え、また、これと相関 連して、刑法上、量刑について裁判官にひろい権能を認めようとすることが一般の傾向とされる のであることに鑑みますと、概括的条項が刑事立法の中に占める地位がだんだんとひろくなり、 立法論においてのみならず、解釈論においてさえ概括的条項が時を追って大いに用いられること は、それが構成要件の軟化として非難されるにかかわらず、後にお話しする『概括的条項への逃 避』または構成要件の簡単化の現象として力強く押し進められている現状なのであります。これ をわが国の立法事業において見ましても、刑法改正仮案 ( 総則昭和六年、各則昭和十五年 ) には『正 当なる行為』 ( 第十七条 ) 、『相当の理由』 ( 第十一条 ) 、『相当の時期』 ( 第二十条 ) 、『相当なるとき』 ( 第十八条、第十九条 ) というような言葉によって概括的条項が見出されるのでありますが、最近 の刑法改正準備草案でも概括的条項が著しく進出しているようにおもわれます。例えば、上に挙 げたようなのの外に、『重要な任務』 ( 第百二十九条 ) 、『重大な機密』 ( 第百三十六条 ) 、『重大な過失』 ( 第百九十九条、第二百八十四条 ) 、『重要な部分』 ( 第三百七十一条 ) 、『取引上重要な記号』 ( 第二百五十

8. 法律的ものの考え方

味で、商法においてはもとよりのこととして、特に行政法とそうして刑法の領域においてその発 この信義則の原則は訴訟法の分野においてもこれを見るに 展を見るに至ったのですが、さらに、 至ったのであります。刑事訴訟規則第一条第二項を見ますと、『訴訟上の権利は、誠実にこれを行 使し、濫用してはならない』、こういっているのは、これは要するに、訴訟も信義誠実の原則に連 ってやれ、こういうことでありましよう。なお、少年審判規則第一条第二項にも同様な趣旨の規 定、信義則を規定したものがあります。要するに、これは、先ほどいった概括的条項の蔓延性或 いは蚕食性を示している好い例だ、ということができると考えます。 法律の概括的条そこで、こういうふうに概括的条項が蔓延性を示し、法律の中にそれがます 項への逃避と法ます沢山に採り入れられることになったのですが、これは一体なぜでしよう 律学の危機 か。それは、法律というものは権利義務の関係を明白にすることを趣旨とし ておりますので、法律の規定はおのずから形式的概念的なものであることを本来の主旨としてい るのです。しかし、法律というものも、実生活の変遷に対してそれに順応して法律の機能を果た してゆかなければならないのです。しかも、成文法は、その性質上、常に不完全であるを免れな いというのであります。成文法は過去の事実に基づいて作られるので、それを今日の社会、未来 ますと、そこに社会との間にその法律が の社会に適用しようということになるので、極端にい、 できた瞬間からすでに溝を生じます。そういうわけで、成文法は、その性質上、常に不完全であ こういうことになるのであります。そういう意味で、法律はその規定をしてし 7 るのを免れない、 かし常に適切に実生活に法律を順応させてゆき、法律の欠陥を適当に補充する途を明かにしなけ

9. 法律的ものの考え方

招くものではないか、こういって憂えているのであります。最近でも、特に刑法においては、法 治主義ということから、また、個人の尊厳ということから概括的条項を刑法に取り込むことは厳 に避けるべきだと論ずる学者もあります。例えばイ = シ = ック Hans-HeinrichJescheck とい、フ 学者がそうです。 たしかに、概括的条項というものはどうでも意味のとれるものであります。考え方によっては 広くも浅くも、両岐的 zweispältig に意味のとれるものだということになりましよう。その長 りにおいて必ずしも法律が概括的条項の中へ逃避するということは法律学の危機を招く危険がな いとは断言できないのであります。そこで、価値的な原則を安易に適用して『概括的条項への逃 避』を招くことは、これは固く禁物としなければなりません。しかし、社会が複雑にな「てきて、 しかも社会が絶えず変遷してゆく関係上、今後も、また、概括的条項がますます多くなるであろ うということは、これはわたくしどもが考えますと、好むと好まないとにかかわらず、避け得な い現象だとしなければならないのです。しかも、わたくしの考えはあまりに楽天的であるとの批 判を免かれないかも知れませんが、概括的条項の運用いかんによっては、すなわち概括的条項を 充分に活用しうるならば、法律学の危機ではなくして、むしろそこにこそ法律学の進展を招来す るのではなかろうか、こう考えるのはあまりに楽天的に過ぎるものでありましようか。それは、 これによって、すなわち概括的条項を有用に用いることによって、事件を真に具体的に、形式的 だけでなしに、形式的妥当を超えて具体的に妥当に解決することができるからであります。 そもそも、概括的条項への逃避は法的安定性が害されるとされるところに憂慮されるものがあ 10 ワ

10. 法律的ものの考え方

第六講概括的条項 ( 一般的条項 ) ・ 概括約条項または一般的条項 ( 九三 ) 概括的条項または 一般的条項と超法規性 ( 九四 ) 法学の法廷に立たされた シ = ークスピャ ( 卆 ) ヴェニスの商人と民法第九十条 ( 究 ) 民法商法と概括的条項 ( 一 (I) 刑法と概括的条 項 ( 一 OII) 概括的条項の蔓延性 ( 一 0 四 ) 法律の概括的条 項への逃避と法律学の危機 ( 一 0 七 ) 第セ講法律における具体的衡平の原則 概括的条項と具体的衡平の原則 ( 一一 I) 実体的正義の 思想 ( 一一三 ) 刑法と実体的正義 ( 一一四 ) 具体的衡平の原 則と経済的民主主義 ( 一一五 ) 具体的衡平の原則と損害 賠償 ( 一一七 ) 具体的衡平の原則と刑法 ( 一一九 ) 具体的衡 平の原則と調停制度 ( 三 0 ) 第 ^ 講市民法と社会法 自我の自覚と近代法の誕生 ( 三四 ) 十九世紀の法律と 二十世紀の法律の理念 ( 三六 ) 市民法および社会法と ローマ法およびゲルマン法 ( 三 0 市民法としての民