蓮如上人のことば る、と一一一一口う意味です。「凡夫が仏になる道」、それはお念仏のはたらきであるとい うことを、才市さんは「ざんぎとかんぎ」の一つになった心境表明によって語っ ているのです。 ド ) よ、つレ」、つ、ん 十二月八日は釈尊がさとりを開いて、仏陀となったことを祝う成道会の日です。 さとりとは苦滅 ( 苦悩を惹起する我執の超克 ) の身となることでした。そして釈尊が説 かれた信心によるさとりの道を、さらにわかり易く「凡夫が仏になる道は念仏で ある」と示されたのが、蓮如上人でした。
ぶっしやりと、つねはんぞ、つ 今日、南方仏教の国々では、菩提樹と仏舎利塔と涅槃像の三者が、寺院構成の 要件となっていますが、このことは釈尊一仏の信仰に徹している証拠に他なりま じよ、つど、つ、え せん。そして、五月下旬のウェーサク祭に、涅槃会も成道会も誕生会も、みな一 緒にして釈尊をお祝いします。 みようたい 信者たちはお坊さんを釈尊のご名代と仰ぎ、敬虔な仏教徒として智慧と慈悲の 教えを身につけていく生活を営んでいます。 釈尊は人間に生まれた目的は、正法を聞くことであると説き、また三世十方の 諸仏も、等しくさとった正法の中に身をひたす生活に終始していると説き明かし ました。 このいわれを、蓮如上人も同様に告げております。あるとき、人が心中に思っ たことを上人に申し上げました。 「私の心は、籠の中に水を入れたようなもので、み教えを聴聞している間は有 ・け・いリん
蓮如上人のことば くらいなり 目出度さもち、つ位也おらが春 と詠んでいます。「ちう位」というのは、どっちつかずと一言う意味ではなく、釈尊 のさとりである「中道」のことです。なぜならば、一茶はこの句の前文に、世間 でおめでたいと一一一一〕う場合、鶴とか亀とかの言葉を使うけれども、仏法では「無常」 の道理をしつかり把えることが、本当のめでたいことであると書いているからで す。「無常」も「無我」と同様、「中道」を説明する語であります。 元旦に際して、粗末なわが家は、わが家らしく門松も立てずに正月を迎えたが、 たいとう 執われることなく、あるがままにお任せして念仏申しているから、春風駘蕩であ るという意味。執われを打ち砕く念仏だから、「念仏は無我である」と一一一一〕えましょ 0 一 8
七十年ほど前に亡くなった人ですが、浄土真宗本願寺派の門徒の家に生まれ、不 幸の連続の人生でしたが、彼の二万を越す俳句は念仏の深い味わいに溢れており ます。しかしながら、そうした境地は一朝一タに生まれたものではありません。 越後境の信州柏原は豪雪地であり、実り豊かな土地でもなく、十五歳に江戸へ働 きに出て、生涯を俳句道に過ごした一茶の家庭も、決して恵まれておりませんで した。 けれども、逆縁を順縁と頂き、何事も「おかげさま」と受けとめていった態度 は、すべて執われを離れ、我執を超える「無我」の発露でした。「無我」とは自我 がない、主体がないということではなく、執われの自己を超えたあり方を一一一一口うの です。真に主体的に生きる自由自在の自己と言ったらよいでしよう。釈尊が菩提 樹の下でさとった「中道」は、この「無我」のことでした。 さて、一茶は五十七歳の一カ年間における句文集『おらが春』の冒頭に、 とら
十一月二十八日を期して一週間にわたってっとまる報恩講の行事は、つまるとこ ろ、宗祖九十年のご生涯が求道者のそれであったことを知るにあります。蓮如上 人は一一百余年前に入滅した宗祖を、求道者と仰いでいたからこそ、この祖師聖人 の後ろ姿を仰いでいく報恩講を丁重に営んだのであります。 念仏が無碍の一道 ( さとりの道 ) であるわけは、信、いの行者によって知られる、 つまり念仏がさとりの道と知れるのは念仏者の後ろ姿によってである、と聖人は さいち 語っております ( 『歎異抄』第七条・同八三六頁 ) 。妙好人・浅原才市も、「お念仏一つだ よ」とよびかけてくださった聖人の後ろ姿を拝むことが、そのまま祖師聖人への ご恩報謝であるとして、次の詩を詠んでいます。 祖師のご恩はどうして知れる 祖師のご恩は姿で知れる 姿拝めよ南無阿弥陀仏
としても、まずもって自分自身を教え導かないでいてよかろうか」と ) 。 じしんきようにんしん 浄土真宗の眼目は「自信教人信」 ( 自ら信じ、人を教えて信ぜしむ ) にあるとされま す。もちろん、信仰は個人の問題であり、真実の自己をいかに実現するかを探求 するにありますが、その目指すところは「生かされて生きる」の自覚を得、「世の ため人のために尽くす」自己の完成であります。 く、んいっしょ 親鸞聖人夫妻が「倶会一処」 ( ともに一処に会、つ ) という、お浄土での再会を願わ れたのも、家庭における念仏生活の充実を大切にして、つねに仏智に抱かれてお かげさまと喜ぶ日暮らしに生き抜かれたからです。 信心を得、念仏申す身となることも、またそれ以後の念仏生活も、すべて仏智 ののはたらきによるものであります。とりわけ、人間に生まれて、自分で本願念仏 上 の教えを聞いて信心を得たと思いがちであるけれども、実はそうではなく、過去
ーレよ、つ 2 リ 我執があっても我執が障碍とならず、したがって思うままにしようという我執 がはたらかなくなるのも、仏智にお任せしていく念仏生活のおかげだからであり ます。このことを、蓮如上人は「よろこびおほきは仏恩なり」とおっしやるので 釈尊は苦悩の克服を目指して出家し、苦悩の超克たる「苦滅」のさとりを開き、 」いド ) よ、つぶつ一よ、つ 紀元前後に興った大乗仏教は、信、いによるさと そしてそれを説法し続けました。 ~ さんごく こ、っそ、つ り・ゅ、つじゅばさっ りの道を回復し、とりわけ、龍樹菩薩を始め三国の七高僧の方々は、念仏が信心 によるさとりの道であることを明らかにしました。「仏教は念仏である」と親鸞聖 人が述べたのは、このことであります。 ひがんえ 秋の彼岸会が巡って参りました。「彼岸」は「さとりの岸」で、「迷いの岸」で しがん ある「此岸」とは正反対の語です。私たちは迷いからさとりへの道ゆきを求めて、 念仏生活を営んでおります。彼岸の行事が季節や風土などの自然環境に育まれ、
ごうたんえ 五月一一十一日は、宗祖親鸞聖人の降誕会であります。聖人のお誕生を祝うこと とくど の意味は、九十歳のご生涯を偲ぶことであり、とりわけ九歳で出家得度し、二十 えいざん せんじゅねんぶつ 年間の叡山勉学の末、法然上人の専修念仏の門に入るに至った、青年時代の求 道・聞法の跡を尋ねることだと思います。換一言すれば、親鸞聖人は仏法を若いと きから嗜まれてこられた方でした。 ところで、聞法を強調する蓮如上人が、生活全般に関しても、「嗜み」の語を使っ て、念仏者のあり方を教えております。国語辞典には、「嗜む」の項に、「好む、 心がける、たえず用意する、慎む、気をつける」等の意味が載っております。と りわけ、仏法聴聞は若いときから、心がけていくべきだという蓮如上人の「嗜み」 の意味には、繰り返して身につけた状態、すなわち仏智のお計らいによってお育 て頂いているという、仏恩を有り難く思って営む念仏生活が示されております。 みよ、つ・カ 上人が目に見えない加護「冥加」を恐れかしこめよとか、「冥加にかなう」という幻
その籠を水につけよ、わが身をば法にひてておく ( 浸しておく ) べきよし仰せられ ( 『聞書』八八・同一二」ハ〇頁 ) 候ふ。 ( 「籠を水の中にひたして置きなさい。籠に水を入れれば洩れてしまうからで ある。それと同様に、自分自身をみ教えの中にひたして置けば、み教えは身 や心にしみ入ることであろう」と仰せになった ) 。 ニ月 礼につけよ
新春を迎えますと、何ともいえない新鮮でさわやかな気分にひたります。「おめ でとう」軽やかにご挨拶ができます。 めいおう 本願寺八代目の蓮如上人 ( 一四一五—一四九九 ) が明応一一年、七十九歳の正月元旦 ど、つとど、 の折、ご挨拶に伺ったお弟子の道徳に、 ( 「聞書』一・同一二三一頁 ) 道徳はいくつになるぞ、道徳念仏申さるべし。 と仰せになりました。元旦から念仏の申される生活であるべきだというのです。 「一年の計は元旦にあり」と言われますように、私たちの念仏生活も、上人の仰せ の通りだと思います。お念仏は私の日常生活の一部ではなく、私の生活全体がお 念仏だからであります。 これから一カ年間、蓮如上人の語録を味わいながら、念仏の人生を歩む指針を 2 頂いて参りましよう。 上 蓮 最近、私は江戸時代の俳人、小 林一茶について勉強する機会を持ちました。百