仏法には無我と仰せられ候ふ。われと思ふことはいささかあるまじきことなり。 ( 『蓮如上人御一代記聞書』八〇・註釈版聖典一一一五七頁 ) ( 「仏法においては無我を根本とする」と蓮如上人は仰せられた。「われ」とか 「わがもの」という自我の執着 ( 我執 ) は、少しもあってはならないと誡しめら れた ) 。 念なは一てある
人はあがりあがりておちばをしらぬなり。ただつつしみて不断そらおそろしき こころ ことと、事ごとにつけて心をもつべきのよし仰せられ候ふ。 ( 『聞書』一七〇・註釈版聖典一一一八四頁 ) ( 「人は登ることばかりに気を取られ、落ちるところもあるとい、つことを知ら ない。ただ廩み深くし、常に何となく恐れ多いことと、万事につけて用心す べきである、と仰せになった」と ) 。 こと ら昜れ ふだん
かんけ わが妻子ほど不便なることなし、それを勧化せぬはあさましきことなり。宿善 なくはちからなし。わが身をひとっ勧化せぬものがあるべきか ( 『聞書』六五・同一二五一一頁 ) この愛しい妻子を導いて信、い得る ( 「人は誰でも妻子ほど愛しい者はいない。 身とさせないなら、実に嘆かわしいことである。だが、教え導こうとしても 宿善がなかったら、不可能である。およそ、他人を導くことは容易ではない 六月 ネ込りたる変
仏法には、万かなしきにも、かなはぬにつけても、なにごとにつけても、後生 のたすかるべきことを思へば、よろこびおほきは仏因 5 なり。 ( 『聞書』二九八・同一三二九頁 ) ( 「仏法のお育てを蒙っている者にとって、世間の万事について、悲しいこと につけ、また望みかなわぬことにつけ、すべて何事も、この思うままになら ないという苦悩を通して、後生の助かるべき道は念仏であると思い知れば、 九月 よろす い多、もの
これその人のたふときにあらず、仏智をえらるるがゆゑなれば、弥陀仏智のあ ( 『聞書』二一〇・同一二九九頁 ) りがたきほどを存ずべきことなり。 ( 「念仏を信じ喜ぶ人を見ると、何となしに尊く感じられる。だがそれはその 人が尊いというのではなくて、阿弥陀仏の智慧である信心を頂いているから 尊いのである。だから信心の智慧を頂いている身を有り難く尊いと思い知る べきである」と ) 。 三月 その人の蓴さに非ず
しんけ・つじよ、つ 信決定の人をみて、あのごとくならではと思へばなるぞと仰せられ候ふ。あの ごとくになりてこそと思ひすつること、あさましきことなり。仏法には身をす ててのぞみもとむる心より、信をば得ることなり。 ( 『聞書』一九四・同一二九二頁 ) ( 「蓮如上人は " 信心の決定した人を見て、自分もあのような人にならなくて はと聞法に精進すれば、必ずなるものである ~ と仰せられた。ところで、私菊 十一月 こころ み
その籠を水につけよ、わが身をば法にひてておく ( 浸しておく ) べきよし仰せられ ( 『聞書』八八・同一二」ハ〇頁 ) 候ふ。 ( 「籠を水の中にひたして置きなさい。籠に水を入れれば洩れてしまうからで ある。それと同様に、自分自身をみ教えの中にひたして置けば、み教えは身 や心にしみ入ることであろう」と仰せになった ) 。 ニ月 礼につけよ
ひま イ、冫し ( 世間のひまを闕きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきゃうに あす 思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよしの 仰せに候ふ。 ( 『聞書』一五五・同一二八〇頁 ) ( 仏法を聞くにあたっては、世事に費やす時間を割いて聞くべきである。世事 ちょ、つもん を片づけてから聞法しようと思うのは、浅ましいことである。仏法聴聞にお いて、これを明日に延ばすことはあってはならない」と ) 。 五月 さとさ嗜め ・カ
蓮如上人のことば 念仏生活とは、このように仏智に照らされていく人生の営みではないでしよう か。『聞書』の言葉は、なぜ念仏者が尊く見えるのか、その理由を述べたものであ ります。 お念仏の人を見ると、何となしに尊く感じられるけれど、実はその人が尊いの ではなくて、その人の信心が尊いからである。如来の智慧である信心を頂いてい るのだから、それが有り難く尊いのだと知るべきであるという。 仏智そのものが南無阿弥陀仏の称名となり、信、いとなって、私どもにはたらい てくださっていることを田 5 うにつけ、いよいよ、粗末なそして至らないわか身と 恥じ入るばかりであります。
信なければ、我になりて詞もあらく、諍ひもかならず出でくるものなり。 ( 『聞書』二九一・同一三二七頁 ) そ / 、こ、つにゆ、つなん ( 「信心を得た人は触光柔軟といって、如来の智慧光に照らされているから、 身も心もやさしく和らいでいる」という一言葉に続いて、蓮如上人が述べたも のです。すなわち、「信心がないならば、『われこそは』という自我の執着 ( 我 執 ) が全面に出てきて、一一一〕葉遣いも荒くなり、人々とも対立して争いが必ず起 四月 軌の自己と知る あらそ