帰り - みる会図書館


検索対象: 野わけ
296件見つかりました。

1. 野わけ

えていた。 緑の植え込みのなかを職員がそろそろと去っていく。私服に戻った看護婦達のうしろを阿久 津の紺の背広が歩いていく。 それを見届けてから迪子は立ち上がり、ロッカーへ向かった。 迪子が〃花山〃へ着いたのは五時半を少し過ぎていた。阿久津は奥のポックスで新聞を読ん でいたが、迪子を認めると、安心したように新聞を折り畳んだ。 「遅かったな」 うつかりするとつい親しげな顔になる。迪子は急いでまた冷たい顔を装った。 「なにか食べよう」 「あたしは結構です」 「どうして」 「すぐ帰りますから」 ウェイトレスがきたので、迪子はコーヒーを注文した。 「なにか用事があるのか ? 」 阿久津は一旦迪子を見たが、すぐポケットから煙草をとり出した。 「まだ怒っているのか」 「ううん、怒ってなんかいないわ」 「じゃあどうしたのだ」

2. 野わけ

朝、迪子は七時に目覚めた。 起きて歯を磨き、顔を洗い、朝食をとり、化粧をしてセンターへ出かける。 しようごいん 迪子の家のある紫野から聖護院のセンターまではスで三十分かかる。それに停留所まで歩 く距離や、待っ時間をくわえると四十分はみなければならない。 センターは九時からだから、遅くとも八時一一十分には家を出なければならない。夏の間はと もかく、冬や春先にはつい寝坊して七時半ごろに目覚めることもあゑそんな時、迪子は食事 をとらずに家を出る。化粧は特別こるわけではない。裾にきて外へカールした髪に櫛をかけ、 顔は化粧水をぬり、軽く白粉を叩く。口紅はその時の気分にもよるが、大体、オレンジにして け わ九時にセンターに着くと迪子はます、検査室の奥にあるロッカーで着替えをして、白衣をつ えり 野ける。白衣は襟をつめ、ウストを軽く絞った、美容師の白衣に似た、スマートなものである。 一年前普通の白衣では野暮だというので、女子職員が集まって相談し、その結果、所長に申 し入れていまの型に変えてもらったのである。 たくらみ すそ

3. 野わけ

156 「奥さん、踊りを習っていらっしやるのですか」 「五十の手習いで、見られたものじゃないが、自分ではうまいつもりでいる」 所長は。ハイプを咥えたままかすかに笑った。迪子は西陽を受けた白髪が銀色に光るのを見て 「別に用事ではないんだが、ついでに少し話したいこともある」 「なんでしよう」 「まあ食事をしながらにしよう」 所長は時計を見た。迪子は立ち上がり、そこで一礼して部屋を出た。 検査室に戻って、三十分で仕事は終った。宮子達は四条河原町のほうへショッビングに出か けるといって帰り仕度をしている。 「有沢さんもどう、つきあわない ? 」 「折角だけど妹と約束があるから、またにするわ」 二人に悪いと思いながら、すらすらと嘘が出る。みなが帰ったあとロッカーで着替え、歩い て東山ホテルへ行った。 ロビーへ入ると、所長が右手のゴムの樹の横で、一人の男性と話していた。所長と同じくら かつぶく いの年齢の恰幅のいい紳士だが、迪子には見覚えがない。 そのまま柱の横の椅子にかけていると、相手と別れて所長が近づいてきた。 「府立病院の外科部長だ、今度、大阪に行くらしい」

4. 野わけ

「はしめましようか」 宮子の声でみなは立ち上がり、仕事につく。迪子は交差試験の実験台の前にきて、丸椅子に 坐った。 右手には恒温槽があり、前には試験管が林立している。この一角たけは迪子の領域で、ここ にいるかぎり宮子や伸代達とは完全に離れることができる。そこで迪子は今朝がた試験管に採 血されたばかりの赤い血を見ながら、阿久津のことを考えた。 土曜日、圭次がいっていたことはやはり本当であった。阿久津は妻が風邪気味なので、遠出 はせす、迪子の体だけを抱いて帰ったのだ。だがその甲斐もなく日曜日をはさんで、夫人の容 態はさらに悪化したらしい 風邪が悪化したとして、肺炎にでもなったのか、あるいは別の病気でも出たのか、阿久津が センターを休むところをみると、かなり重いのかもしれない。 長い。ヒペットで、〇・二 8 のところまで血を吸いながら、迪子は気味がいいと思う。夫人な どうんと熱がでて苦しめばいい。 あの美しい顔が、熱で赤くふくらんで醜くなるといし け だが次の瞬間、そんな夫人の横でじっと坐っている阿久津の姿が目に浮かぶ。 わ夫人は病気になったのを幸いとばかり、夫に甘えているかもしれない。琵琶湖に行った時か 野ら、夫人には必要以上に甘えてみせるところがあった。阿久津もそれを格別とがめだてしない。 おおげさ 今度も熱が出たのを幸い甘えるために、夫人は実際以上大袈裟にいっているのかもしれない。 考えれば考えるほど、夫人も阿久津もいい加減だと思う。あの二人は勝手に甘え、いたわり か まるいす

5. 野わけ

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6. 野わけ

きやせ 普段から着痩してみえる迪子には、この白衣はよく似合った。昼休みなど、白衣を着たまま 近くの店へ出歩く時、道を行く人が振り返ることがある。清潔な白衣でつつんだ、子供つ。ほい だれ 顔の迪子が、その白衣姿で手術に使う血を調べているとは、誰もわからない。 ロッカーで着替えて検査室へ戻ると、迪子はクロスの検査用机の前に立ち、まず、なにから はじめたらよいかを考える。クロスとは、クロスマッチングテストの略で、血液の交差適合試 験のことである。 普通血液型の判定には、載せガラスの上に抗 << 、抗の血清を数滴ずっとり、ここに患者さ みみたぶ んの耳朶からとった血をくわえて、混ぜ、その時のかたまり具合を見て判定する。たとえば、 抗 < 血清にたけ凝集すれば型、抗血清にだけ凝集すれば型、ももともにかたまれば 型、どちらもかたまらなければ O 型というようになる。一般に、血液型を調べるだけなら、 これでいいのだが、輸血をする時には、この判定を誤りなく確認し、因子による偶発事故を 防ぐために、さらに精密な検査をしなければならない。 このためにおこなわれるのが、交差適 合試験である。 輸血センターの仕事は、一言でいえば、健康な人々から血液を集め、それを各地の病院へ供 給することである。 医学が発達するにつれ、血液はますます必要になってきた。以前は出血がひどくてできなか った心臓や肺の手術も、大量の輸血ができるようになって可能になった。 普通、人間の全血液量は体重の十三分の一だといわれている。たとえば五十キロある人だと

7. 野わけ

ッチという、難しく緊急を要するテストを担当している以上、仕方がない勤めである。それよ りこのテストを責任もってできるのは、阿久津を含めて二、三人しかいない。そのなかの一人 であることにむしろ誇りを持っている。 だが、そうはいっても、皆が食事のとき、一人でやっているのは楽しいことではない。昼休 みは他人より遅れて休めばいいのだが、帰る時間が来ても帰れないのは辛い。血液はいつ、ど この病院で必要とするかしれない。緊急手術は朝でも夜でもあるし、そういうのにかぎって輸 血を必要とする。帰ろうと仕度をしている時、突然、血液の供給を依頼され、クロスマッチを しなければならなくなる時もある。 もちろん供給部の当直の人も、クロスマッチを一応できるように教えられてはいるが、判定 の微妙なケースになると、やはり専門の迪子にききにくる。その意味では迪子はセンターにと って重要な存在である。 一人で残って仕事をしている時、時々手伝ってくれるのは阿久津であった。阿久津ならなん でもできるし、部の責任者だから残るのは当然でもあった。阿久津と二人でやるのなら、いく ら遅くなっても迪子は辛くはない。。ヒペットで血清をとり、生理食塩水で稀釈していきながら、 け わ迪子はむしろ楽しい 野 廊下ごしに女性の笑い声がきこえる。向かいの採血室で看護婦達が雑談しているのであろう。 迪子一人の検査室はがらんとしている。

8. 野わけ

126 「でも、とにかく送ります」 迪子はもうそれ以上逆らわず、先になってゆるやかな坂道を下った。 「近々に、東京にでてくることはありませんか 「さあ・・ : : 」 迪子は東京に去っていった秋野のことを思った。最後に逢ってから、もう二年ちかい月日が 経っている。 「もし来るようなことがあれば連絡して下さい 圭次は街灯の下で立ち止まると、背広のポケットから名刺をとり出した。 「電話はこれです」 「明日お帰りですか」 「九時の新幹線で帰ります」 いちべっ 光の下で名刺を一暼すると、迪子はそれをハンド。ハッグのなかにおさめた。 「今度、また来たら連絡してもいいですか」 「お待ちしています」 二人は無言のまま坂を下った。八坂神社の鳥居を下り、明るい道に出た時、迪子はようやく あんど 二人の間になにもなかったことに、かすかな安堵を覚えた。

9. 野わけ

180 「今日はこれから大学に行かねばならん」 「でも五時までには帰ってくるでしよう」 「戻るが、梅雨が終ってからのほうがいいだろう」 「そんなに長く入院なさるの」 「どうかわからないが : : : 」 「あたしを連れていきたくないのね」 阿久津はなにも答えず、伝票を持って立ち上がった。 いったん その日、梅雨は午後に一旦、上がったが、夕方近くまた降りはじめた。迪子が洗っていたコ ルべンで、左の人差指を切ったのは、その雨が降りはじめて一時間ほど経ってからだった。蛇 ロの下の使用済の籠のなかで、コルべンはすでにヒビが入っていたらしい。迪子はそれを知ら ず、手にもって強く布で拭いていた。割れたのはそれを数回くり返した時である。どこにぶつ けたわけでもない。手に持っている時、突然砕けるように割れてしまった。 一瞬痛みが走り、慌てて手を見ると、人差指の先から細く赤い筋が走り、そこからたちまち 血が噴き出てきた。向かい側にいた宮子が気がついて駈け寄ってきたが、その時は人差指のほ とんどが血でおおわれていた。 きずぐち 「大変よ、創口にガラスが入っているわ」 「動かしたら駄目、根元をしつかり縛るのよ」 かご

10. 野わけ

「変なこといわないで」 「だって、所長はすいぶんぎみの創を心配してくれたそうしゃないかー 「ガーゼを交換してくれたたけよ」 「親切なことた」 阿久津はそこで小さく笑った。 この人はあたしがどれほど思い続けていたか、少しも知らない。 毎日、仕事が終ると早々に病院にかけつけていく姿を窓から見送っていたことも、奥さんと 同じに優しくしてもらいたくて、肝炎の血清を創口につけたことも。阿久津を思っていたこと からみれば、所長への好意など、とるに足らないのに、それがわからない。なにごとも自分中 心でしか考えていない。 ししたいことが山程ありながら、どれからいい出していいかわからない。 「なにか食べないか」 「あたし帰りますー け迪子はハンド。ハッグを持っと立ち上がった。 わ 「おい、どうしたのた」 野阿久津が会計をすませて追いかけてくる。迪子はかまわす店の扉を押して外に出た。初夏の 暑さがまだ夕暮れの街に残っている。 「折角落ちついて、久しぶりだっていうのに」