円 - みる会図書館


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1. マネー敗戦

第四章日米再逆転 1990 ~ 1995 対外純資産の為替差損 ( 円ドル・レートは年平均 ) 円 / ドル 168.52 144.64 128.15 137.96 144.79 134.71 126.65 111.2 10221 94 ℃ 6 年 86 88 89 90 92 94 兆円 80 ( 95 ) 財政出動はなぜ効かなかったか 民間資産の実質減価は、バブル崩壊後の日本経済に とって大きなデフレ要因になったわけだが、意外にも 見逃されてきたのが、こうした為替レートの変動が景 気対策に対して及ばす影響である。 政府は円高の進行に対応して、以下のような大規模 な景気対策を次々と講じてきた。 ・九二年、総合経済対策一〇・七兆円 ・九三年、新総合経済対策一三・二兆円 緊急経済対策六兆円 ・三兆円 ・九四年、総合経済対策一六 ・九五年、緊急円高経済対策四・六兆円 経済対策一四・二兆円 これらは、合計すると六五兆円、の一割以上 にも達する。 しかし、こうした相次ぐ大規模な対策にもかかわら

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明を発表し、並行して日米欧の通貨当局がドル買いの協調介人を行う一方、アメリカは公定歩 合を引き上げることになった。 このように見てくると、クリントン政権の円高攻勢は、基軸通貨国の為替市場に対する特権 的な影響力を背景に、ドル自体の暴落を回避しつつ、慎重かつ大胆に進められたといえよう。 その結果はといえば、成功であったというほかはない。 円の動きをたどると、九四年七月中旬には、ナポリ・サミットで為替安定策が打ち出されな かったことから再び急騰し、一ドルⅡ九六円にまで突き進んだ。そして、九五年四月には、つ いに八〇円を割り込むことになる ( 本章扉図参照 ) 。 プラザ合意前の二五〇円から八〇円まで、十年に及ぶ円高の波に振り回されて、日本経済は 甚大な打撃を受けたわけだが、一ドルⅡ八〇円を待たず、バブル崩壊後の九〇年代に入ると、 円高によるダメージは一気に顕在化した。対米資産の大幅な減価に加え、円高によって生じた 生産コストの歴然たる格差がモノ作り部門を直撃するのである。これに対して、アメリカは、 円高によって失うものは何もなかった。為替市場を味方に、辛くもドル暴落の危機をすり抜け て、未曾有ともいえる長期の景気拡大を続けることになる。プレストウィッツ流に言えば、 「日米再逆転」である。 リ 0

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本調達コストが東京市場に比べて格段に低くなる。サムライ債市場はコストも高いうえ、慣行 ・規制でがんじがらめになっている。円建て債の起債を希望する海外の発行体は、雪崩を打っ ようにユーロ円の世界に殺到していった。ューロ円債がサムライ債の十倍もの発行額に達した のは当然のことである ( 九四年、サムライ債Ⅱ一兆 一一〇〇億円、ユーロ円債Ⅱ一〇兆八六〇〇億円 ) 。 するとここでさらに奇妙な現象が起こる。先の八四年の円ドル委員会で、大蔵省はサムライ 債の基準緩和に加え、ユーロ円債の基準緩和にも踏み切ったが、ユーロ円債を起債できる民間 海外起債体の枠が広げられると、今度は日本国内の大手企業も、ユーロ円債の起債を求めて大 蔵省を突き動かすことになった。これが受け人れられた当初は、それでも適債基準が厳しく、 わずかな企業が発行を許されただけであったが、その後は、なし崩し的に拡大され、ピ 1 ク時 の九一年には、居住者 ( 日本企業 ) の発行額が、非居住者 ( 海外の起債体 ) の発行額を凌駕する までに膨張した。 代本来は、サムライ債を補完するという建前で出発したユーロ円債の世界が、サムライ債の沈 国滞をよそに急拡大したばかりか、日本企業の通常の資本調達の窓口にもなってしまった。これ もまた当然の帰結というべきで、日本企業にとっても、ユ 1 ロ円市場の資金調達コストが、い 六かに安くついたかを物語っている。 サムライ債市場の発育不全、ユーロ円債市場の肥大化という不自然な資本輸出チャネルは、

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あった。市場は、当然のことながら、この政権が基本的に円高を望んでいるという認識を持っ ことになる。加えて「日本の黒字が世界の成長を阻害するーというべンツェン財務長官の発一言 がこれに拍車をかけた。これらの発一言を受け、円は九三年初めの一ドルⅡ一一一〇円程度から八 月には一 ( D 円すれすれにまで切り上げられた。 しかし、こうした新政権の円高攻勢は、アメリカにとっても、薄氷を踏むような危険な賭け であった。円高攻勢は、一歩誤れば円の独歩高からマルク高、つまりドルの全面安へと移行し かねない。九三年夏にかけてのこの動きは、ドル全面安に連鎖するのを懸念したアメリカの声 明および市場介人となって、ひとます収束した。 九四年一一月の日米包括協議が決裂すると、クリントン大統領は「貿易戦争」を宣言し、円は ふたたび揺さぶられる。しかし、揺さぶられたのは今度は円だけではなかった。いかにアメリ 力にとって自動車の貿易不均衡が重大であったにせよ、この「貿易戦争」宣言は、が二 逆月から長い金融緩和に終止符を打とうとしていたことを考えれば、あまりに素朴にすぎたとい 米えよう。円高誘導で日本を追いつめる目的のところが、金融市場も動揺の兆しを見せたからで 日 ある。 章 続く四月末に、カンター通商代表の強硬発言を引き金とする円高は、ついにドル全面安へと 転化した。長期金利が上昇し、資本市場の動揺を恐れた財務長官が「ドル安を望ます、との声 " 9

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マネー敗戦の軌跡 1981 1985 1987 1988 1989 1990 1992 1993 1995 1997 1998 第五章マネー敗戦アジアへ し資 べカ し継 カ板 、続 挟こ 断国 す務 る長あそ がな経で 詳の 太な ネ谷 経カ 出力 ムれ 断メ構 、リ がせ 双た死日 利あ利 A 圭 S 関 A わ N 、 C たア 1995 ~ 生保等、米国債の大量購入を開始 プラザ合意 ( 九月 ) アメリカ、債務国に 日銀、公定歩合を 2.5 % に引き下げ ループル合意 ( 二月 ) BIS 規制導人決定 ( 七月 ) 日銀、超低金利をようやく修正 ( 五月 ) 日経平均 38900 円のピーク ( 十二月 ) 東京株式暴落始まる ( 一月 ) 日米構造協議本格化 日銀、公定歩合の引き上げ続行 不動産融資の総量規制 ( 四月 ) 円高・景気対策の財政出動 ( ~ 95 年、 六次にわたり総額 65 兆円 ) 始まる クリントン政権発足。ただちに 円高に言及 ( 四月 ) 日米自動車協議 ( 交渉期限六月 1 ドル = 80 円の超円高 ( 四月 ) 米ムーディーズ社、邦銀の財務格付け を発表 ( 八月 ) 。夏以降、ドル反転 日銀公定歩合を 0.5 % に下げる ( 九月 ) NY 株式、ダウ 8260 ドル アジア金融危機 ( 十一月 ) アジア三カ国が IMF の管理下に入る 日産生命、北拓、山一等の大型倒産 日経平均 15000 円割れ ( 一月 ) 政府、金融システム安定のための 30 兆円投人決定 ( 三月 ) 米ムーティーズ社、日本国債の格付け 見通しを変更 ( 四月 ) 。 1 ドル = 150 円 に接近する円安。日米協調介人 ( 六月 ) 橋本内閣退陣。小渕内閣誕生 ( 七月 ) は 太 洋 を 分 A P E ア ア 平 済 協 ヵ 閣 僚 議 そ 方 の 益 か な っ め C 首頓 に シ強た カ を か て を さ る E A E メ リ の み に っ 宮か過 澤でを 相挫述で し 円 圧経余 済 け創い は ア カ の の活本 で的カ る と は 本目 の のなれ 圏はわ る い て し の に か 投 を す る と が き た は な しゝ か と る

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円ベースだとどうなる ? ここで、八五年以来、波状的に続いた円高攻勢が、日米間の貿易構造にどのような変化をも たらしたのかをまとめて見ておこう。プラザ合意の直接的影響についてはすでに簡単にふれて おいたが、以後十年に及ぶ円高は、貿易構造に決定的な変化をもたらした。 まず第一に、日米間の貿易不均衡は、あきらかに縮小していた。 九〇年代に人って、貿易不均衡が、表面上、ふたたび拡大していたかに見えたが、これは貿 易統計が慣習的にドル・べースの数字を多く用いるためである。 日本の貿易黒字は、八九、九〇年に減少が目立ったが、九一年からは再び増加し、九二年に は一三 (I) 億ドルと、九〇年比倍増した。貿易黒字のうち最大の対米分は、九〇、九一年には やや減少していたが、九二年には四四〇億ドルと八九年の水準にほば戻ってしまった。 以上はすべて、ドル・べースによる記述であり、クリントン大統領が就任早々目にしたのも、 逆このドル・べースで記された貿易不均衡であった。ところが八五年以降、もはやドル・べース 米では、日米間貿易の実態が的確に示せなくなっていた。 日 円ベースではどうであったか。円ベースで黒字が最大だったのはプラザ合意時、八五年の九 章 四 ・一兆円で、その後は減少を続け、九一年には五・一兆円と、ピーク時より半減した。円ベー 第 スでは対米貿易黒字ははっきり減少しているのである。

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六カ国・地域 ) 企業の買収は、九八年上期に一二〇億ドルと、前期比三・五倍のペースである ( 米調査会社「セキュリティーズ・データ、による ) 。 アジア経済の破綻は、円高攻勢を逃れて形成された日本経済のフロンティアの崩壊を意味す る。先の『 : ・ : レビュ 1 』誌に掲載された写真が示唆するところは、日本もまた、アジア諸国 と同様、アメリカの実質的コントロール下で経済の再建をはからねばならない、少なくともア メリカはそう認識しているということである。 なぜ、このような現実を迎えなければならなかったのか。円高対応という守りの選択ではあ ったが、対アジアの直接投資は、本来は円圏成立のための基礎的条件を醸成するはすであった。 ところが、アジアが実質ドル圏であるために、日本の投資はかえって日本経済をドル圏に深く 組み人れる結果となっている。 ここで想起されるのが、八〇年代、マレーシアのマハティール首相が提唱した 0 (East Asian Economic caucus) 構想である。この「東アジア経済協力体、構想は、当時、アジ アにおける円経済圏への展望を示したものとして注目された。こうした動きが実を結んでいれ ば、の域内では、九七年のような危機は回避され、円基軸の安定した投融資の恩恵を 日本も域内国も、ともに享受できたはすである。また、そうした円経済圏を背景としてはじめ て、日本は円の対ドル・レートを相対的に安定させ、世界最大の債権国としての本来的な対外 ワ 4

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政策の結果であることはこれまでに見てきたとおりだが、ここで強調しなければならないのは、 アメリカの円高誘導策が平成不況に及ばした直接的な影響についてである。 まず、これをモノ作り部門について見てみよう。バブル崩壊のもとでの円高の進行は、アメ リカの好況のちょうど裏返しの影響を日本経済に与えたといえる。その中心的経路は、製造業 との関連では次のように整理される。 円高↓輸出減・輸入増↓鉱工業生産の低下↓労働生産性の停滞↓単位労働コストの底上げ さらに実効レ 1 トによる円高の程度がドル安のそれより大きかったことが、その影響をはる かに強烈なものとした。先にアメリカのドルについて見た為替の実効レートは、円の場合、九 五年には九〇年に対し約四割も上昇している。これは、主要貿易相手国としてアメリカの占め る割合がきわめて高く、また、九〇年以降は、ドル安というより円の独歩高が続いたためであ ろう。 これらの指標のうち単位労働コストについて見てみよう。 単位労働コストは、九一—九五年の間、自国通貨 ( 円 ) べースの上昇率 ( Ⅱべース・アップな どによる通常の上昇率 ) は六—七 % でアメリカとあまり差がないのに、これを実効為替レートで はじくと五年間の上昇はきわめて大幅である。 このように単位労働コストが対外的には大幅に上昇したことが、「産業空洞化を過度に進

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そのうえで、円とユーロの変動幅を、望ましくは独・仏の合意のもとで、一定範囲 ( たとえ ば三 % ) に抑えるべく、独自の市場介入を行う。ューロとの乖離幅によっては、独・仏を含め た協調介人が行われる体制をつくっておく。こうしたわが国の対応は、ユーロそれ自体の安定、 利益にかなうものでもある。 ここまでは円の安定化のための戦略である。これにさらに、アジアにおける円の世界の創出 という究極の目標が加わる。通貨・経済危機に見舞われた東アジア諸国にとって、安定した通 貨システムを作り上げることは、今後の痛切な課題である。これら諸国は通貨危機に際してド ル連動を放棄し、変動相場制に移行しているが、いずれドルまたはドルの代替通貨に自国通貨 を結びつけて安定化をはかろうとするであろう。その際、価値の安定した通貨「ユーロⅡ円」 は最有力候補となるだろう。円という通貨を新たな基盤のもとに現出させることによって、こ れまでは構想倒れになっていた「円経済圏」をさりげなく実現することもできるはずである。 代そこにはじめて、二十年に及ぶ日本経済の混乱を乗り切る、かすかな展望が開けるのではな の 国いたろ一つか 鎖 章 第 9

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一枚の写真 アメリカの雑誌『ファー・イ 1 スタン・エコノミック・レビュー』の九八年六月号に、日本 の経済問題を話し合う各国蔵相代理会議の模様を伝える記事が載っていた。 円・ドル関係は、九五年を境に円安・ドル高に転じ、九八年の春からは円が一ドルⅡ一三〇 円から一五〇円を窺うまでに急落、為替相場への三年ぶりの協調介入が行われることになった。 この介人については、過度の円安が中国人民元の切り下げを招き、再度のアジア通貨の混乱か ら世界恐荒にも波及しかねない 、といった大義名分が掲げられていたが、多くの日本国民が承 知しているように、実態は、日本政府の要請に、日本・アジアの株安のウォール街への波及を 恐れたアメリカが、日本の恒久減税など、さまざまな条件を付けて応じたという性格の会議で あった。 特集記事でさっそくこの会議を報じた同誌の誌面はすこぶる刺激的で、太平洋戦争の終戦時、 昭和天皇がマッカーサー将軍を訪問した折の、あの並立写真が掲げられている。しかも記事に は、日本は通貨危機に見舞われたアジア諸国と同じように、現在、経済的には占領状態に置か れており、サマーズこそはマッカーサー、これからはアメリカ財務省がよろしく日本の 金行を監督する、といった状況が解説されていた。 クリントン政権の仮借のない円高攻勢から、三年も経ないうちに、日米間のマネー関係は急 巧 4