国 - みる会図書館


検索対象: マネー敗戦
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1. マネー敗戦

たい国に移動させるのが資本輸出国。この国は、現在よりは将来の、より大きな消費を期待す るため、資本を他国に移動させる。一方、資本を輸入する国では、それによって現在の消費を 増やすことができるが、将来は割り増しをつけて輸出国に返還しなくてはならない こうした考え方は、第一章で紹介した「国際収支発展段階説」を思い出させる。債権国は、 現在の債務国に対して、将来、経常黒字国になったあかっきには、その黒字のなかから元本と 一利子とを捻出してくれるだろうことを期待する。この説では、通常、資本輸人国のモデルは後 ノ発国で、先進国からの資本輸出で工業化を進展させるのである。 工 この二つの学説をつきあわせてみると、「異時点間の貿易」理論が成り立てば、「発展段階 説」の正しさが証明されるという関係にあることがわかる。 さて、ここで間題になるのは、今日の資本輸人国アメリカである。日本その他からの資本輸 ス人によって、この国は経済発展をとげ、これから経常赤字を圧縮し、その後黒字国に転じて、 お債務の返済を始めるのだろうか。よく考えてみると、アメリカは、すでに中心的債権国の時代 おを過ぎているようにも見え、「発展段階説、のモデルにはふさわしくないようである。また、 資本の移動を媒介するのは通貨であるが、「異時点間の貿易」を成立させるために必要な、ド わルの価値の安定度にも、大きな問題があることがわかった。アリの資本輸出国・日本はそこを 軽視したために破滅に導かれた。しかしここでは、そのいすれにも、ひとます目をつぶること 20 ー

2. マネー敗戦

戦後の高度成長時代には、日本経済は常に経常赤字、資本不足に悩まされ、資金をいかに国 内に配分するかが最大の問題で、そのために厳格な為替管理にもとづく円の国内封鎖体制がし かれていた。しかし、こうしたマネー経済の枠組みは、外資不足時代を過ぎ、高度成長を達成 した一九六〇年代をもって役割が終わった。経常収支が黒字化し、資本輸出を行うようになる ということは、日本が、いわば製造業の成長によって用意された新しい舞台のうえに立っこと を意味した。製造業に加え、新たにマネー部門が国際ビジネスに参人する段階にまで達したの である。 七〇年代に、経常収支の推移などを見て、これからは対外資本投資が本格化するであろうこ とを予想した国は日本だけではなかった。いかにして自国通貨の傘下で、影響力を保持しつつ 対外的に資本投下を行っていくかが、それら新興債権国の共通の課題であった。 一般に、資本輸人国の企業や政府 ( 資本輸出国にとっては「非居住者」 ) が、資本輸出国に おいて、その国の通貨建てで起債し、輸入国が発行した債券をその輸出国の貯蓄超過分 ( Ⅱ経 常黒字分 ) が吸収する ( 具体的には資本輸出国の機関投資家や個人が債券を取得する ) れがいわゆる資本輸出の基本である。こうした資本輸出は資本輸出国の国のマネー立ロ卩。 連業務を含めて多くのビジネス・チャンスをもたらし、結果としてその国に国際金融センター が育ってゆく。このように展望されるようになったとき、日本以外の各国はどんなことをした 182

3. マネー敗戦

外国資本の流入で工業化を推進していた経常赤字国は、経常収支の黒字化とともに債務の返 済を始め、いすれ返済し終えたあとは未成熟の債権国となる。やがて年を追うごとに増加する 経常黒字がそのまま資本輸出に結びつき、やがては成熟債権国の段階にいたる。しかし、成熟 期は永遠には続かず、ピークを過ぎると、その後は経常収支の赤字化などによって債権をとり くすすようになる。 債権がとりくずされ、成熟債権国の看板を降ろしたあとはどうなるのか。おそらくは債権小 国として生き残る道が想定されているのであろう。 イギリスこそは、この「発展段階説」のモデルというべきで、ビクトリア循環は成熟段階に いたった後、第一次世界大戦をきっかけに変調を来す。 イギリスは、新興工業国・ドイツと対決する連合国側の盟主として戦費を調達するために、 アメリカなどから借り人れを行う一方、自らの購人してきた米国債や連合国側の保有する大量 の債券類をニューヨーク市場などで売却した。さしもの対外資産も、相当の侵食を余儀なくさ れ、イギリスの大債権国としての基盤を揺るがしたが、これに拍車をかけたのが、一九二九年、 ウォール街の大暴落を契機とする世界恐慌であり、それに続く一九三〇年代の世界経済の混乱 であった。 イギリスの中心的債権国としての地位は後退し、資本輸出の中心はアメリカに移る。こうし

4. マネー敗戦

第一章マネー大国の興亡 中心的債権国の交代と通貨制度 に他 の輸し剰 の皮流出て分 。さ で八 も〇覧的 、は 、を な年表債 、た に権 でて述て も見 、カ のな つで る出的で 一本 し輸 でア 循ほ 考得 を各 は見 れ資 、て ば金 後ア 、の 明通 と軸対カ 者循 か制 急でな度 は本 カ他 債権国時代 基軸通貨 通貨制度 債権と通貨 イギリス 世紀半ば ~ 20 世紀初 ポンド 金本位制・ 固定相場制 間接投資中心 ポンド建て アメリカ 20 世紀物よ ~ N70 年代 ドル 日本 ドル ー 9 8 0 ~ 金ドル本位制・ 変動相場制 固定相場制 直接投資中心 ドル建て 間接投資中心 ドル建て に 散 イ巨 し て る か ら 日 米 を 国 と え ア リ は も っ と も ア リ は 日 か ら た を 国 イ ツ く メ本資た で本中 あ輸、 と て 〇 年 代 半 か ら 速 に 頭 角 を 現 し 日 代 、の 心、 。国資あれ 本 出 七国れ メ リ カ も ド し る も ら よ つ る 中 国 と さ た 々 と 日寺 期 の ー貨 そ の て は の : 表 を 参 考 に ん て み た い と が あ つ い て め 、げた つ ら っ ま も い だ ろ っ る 改先込 に べ ビ ク ト リ な環ん で あ る 。両国 の 相 に は肉れ国は を あ る 工 コ ノ ス ト 。は 帝 そ ら く は め イ寸 け て い た も 環 と い え て ま て しゝ た 国奇南 の循妙米ア の環な等メ 基 、通 お貨て ド と資海 、し本外 の ふ輸環 る入流 国 あ っ た 。がで の中る に し 資 ( ル本対 を に し て い た の リ は 日

5. マネー敗戦

える優良企業を取り込みたい証券会社、といったぐあいに、金融村内部の対立が顕在化してき ていた。そこにさらに円の国際化、つまり海外起債体による円建て債の間題が重なるように浮 上してきたのである。厳しい外国為替管理、マネーの国内閉鎖体制を解体することは、それが 長期的な国益につながるにしても、金融機関にとっては既得権益の、大蔵省にとっては金融業 界への影響力の、解体・消失を意味した。彳 皮らは、「円の小世界」の現出によって権益を失う よりは、「ドルの世界」を所与として受け人れることを選択した。そしてそのことが、円が正 当な国際的地位を獲得することの妨げとなったのである。 担保付き社債の呪縛 その間の事情をやや詳しく見てみよう。 資本輸人国の政府や企業が、複数の資本輸出国のなかから資金の調達先を選択する場合、ど の国の資本市場で起債すれば、価値の安定した通貨で、低コストの資金を手早く得られるか、 をます考えるであろう。低コストの資金が簡便な手続きで調達できる市場に、多くの資金需要 が集中する。また、多くの国の政府や企業が、ある資本輸出国の資本市場でその国の通貨建て の債券を発行していれば、その資本輸出国の投資家は、為替リスクのない安全有利な投資先を 選択することができるのである。

6. マネー敗戦

英国のビクトリア循環 歴史が近代の扉を開いて以後、世界には、工業化による豊富な経常収支の黒字を、対外投資 にふり向け、世界の資本移動の中心軸となった国々があった。時代順にあげれば、イギリス、 アメリカ、そして日本である。これら三国を歴史上の「中心的債権国」もしくは「中心的資本 輸出国」と呼んでおこう。 近代世界にはじめて大債権国として姿を現したのはイギリスで、とくに時の女王の名を冠し て呼ばれた「ビクトリア時代」 ( 在位一八三七—一九〇一年 ) は、「世界の工場」「世界の銀行」 の呼称とともに、イギリスの覇権時代として歴史に名をとどめている。 はじめに、「経常収支」についてひと一一一口。 私たちが新聞の経済面などでよく目にする「経常収支 . という言葉は、輸出と輸人の差額を 表す貿易収支にくらべて、ややわかりにくい。 経常収支は、「貯蓄Ⅱ投資バランス」と言われるように、一国の経済の民間部門と政府部門そ れぞれの、国内投資に対する貯蓄の過不足を合算した数字だと定義されることがある。 また、一面では対外取引関係の面から説明されることもあって、この場合は貿易収支が経常 収支を左右する主要な要因となるほか、他にも貿易外収支として海運などのサービス収支、投 資収益なども影響を与えたりする ( 最近では貿易収支とサービス収支を合算して貿易・サービ

7. マネー敗戦

はあり得なかった。 日銀の発表によれば、日本が保有する対外純資産 ( 対外資産残高マイナス対外債務残高 ) の額 は、九七年末で一二四兆六〇〇〇億円 ( 約八九〇〇億ドル ) 。これは ( 国内総生産 ) のほば 一一割に相当する。七〇年代、巨額の貿易黒字を背景に債権国の仲間人りを果たした日本は、た ちまちその地位を高め、世界最大の債権国の座についた。 一方、アメリカは、一 兆三二〇〇億ドル ( 商務省発表、九七年末現在 ) という、これまた奇し くもの二割に相当する世界最大の対外純債務を抱えるにいたっている。さらにいえば、 日本はアメリカに対して他国よりひときわ多額の債権を有し、アメリカは日本に対してそれに 見合う債務を負っている関係にある。 世界最大の債権国が経済危機に陥り、その債権国に膨大な債務を負う世界最大の債務国が、 長期にわたる好景気を体験するーーこれは少なくともこれまでの国際経済の常識を逸脱した現 象である。そこには何か経済的合理性とは別個の要因が作用していたとみるしかない。 その要因とは何か。ひと言でいえば、わが国の経済活動にとって与件となっている国際通貨 システムの根本に横たわる矛盾である。つまり、ドルという通貨が、いまなお事実上の基軸通 貨でありながら、アメリカ一国の経済政策と分かちがたく連動し、その意向を反映した価値の 変動をほしいままにしているという現実がある。それが結果として日本に大きな災厄をもたら

8. マネー敗戦

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9. マネー敗戦

て第二次大戦後にはパクス・アメリカーナが確立することになるわけだが、それでも投資収益 等の寄与によるイギリスの経常収支の黒字は、驚くべきことに、一九八六年まで崩れなかった。 九〇年代に人って経常赤字国に転じることはあっても、債務の累積が長期にわたって資産残高 を越えるということはなく、イギリスは、日本、ドイツに次ぐ世界第三位の純資産国 ( 対外資 産残高が債務残高を上回っている国 ) として踏みとどまっている。いかに一九世紀からの対外投 資が手厚かったかを物語るものといえよう。 一方、鉄道建設などに、主としてイギリスから大量の資本を導人していたアメリカは、第一 次世界大戦前には世界最大の工業国の地位を固め、大戦を契機に債権国、資本輸出国に変貌を とげていた。第一次大戦の圏外にあったことが幸いして、工業力を無傷のまま維持できたため、 亡戦中から輸出を急増させ、ありあまる外貨で負債の償却や直接投資を行うことができた。その の結果、第一次大戦後の一九一八年には、の八 % 近い対外純資産を持つにいたっている。 大さらに一九三〇年には海外投資残高がイギリスとほば肩を並べ、その後はまたたくまに差を広 ネげて、「中心的資本輪出国ーの座についたのである。 マ イギリスのケースとは異なり、アメリカの民間対外資産の中では直接投資が半分以上と、そ 一の中心を占めていた。地域別にみると、第二次大戦までは、アメリカが軍事的、政治的影響下 においていた「内庭」の中南米諸国が主要な投資の対象であった。

10. マネー敗戦

かなり異なるものになっていたにちがいない が、ともあれ、アメリカの経常赤字は続いたし、ジャパン・マネーの補給も滞ることはなか った。八四年にはいっそう成長が加速するなかで、「アメリカの夜明け」を謳ったレーガン大 統領は楽々と再選を果たしたのだった。 八〇年代の前半という時期は、七〇年代以来、経常黒字基調となった日本が、突然、大債権 国として頭角を現し、アメリカは、逆に、経常赤字を累積させて債務国に転落するにいたる、 戦後の国際経済史に特筆されるべき五年間であった。前章で述べた歴史的見方に従うならば、 この現象はまぎれもない「中心的債権国の交代」である。この重大な現実の推移が、いまふり 返ると、きわめてスムーズに進行したように見えるのは、やはりアメリカにとって日本が対ソ 冷戦の「戦友」だったためだろうか。アメリカ人に豊かな消費生活を保証したあげく、冷戦が 終わると、日本は一転、「経済的脅威」とまで認識されるようになる。八〇年代前半、日米両 国はまことに奇妙な共同幻想にとらわれていたというほかはない。 金利ただ乗り論 もっとも、当時、突然のように現出した、二つの経済大国の一体化と貿易・資本の両面にわ たる非対照性は、国際経済の現実としてきわめて異様な事態ではあった。覇権国アメリカの経