金融政策 - みる会図書館


検索対象: マネー敗戦
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1. マネー敗戦

このようなことが起こったのか。日本の投資家が陥った誤りをふたたびくり返さないためにも、 その事情を解明しておく必要がある。 なぜ、プラザ合意後もジャパン・マネーの米国債購入が継続したのか。これまでに指摘され た要因は以下のようなものである。 協調利下け ? その一。表面的にますあげられるのは「国際政策協調」として金利調整が、アメリカと日・ ト独との間で行われるようになったことであろう。 米・日・独の三国が、同時に金利を引き下げた。この公定歩合の引き下げは、アメリカが深 病い関わりを持つ中南米の重累積債務国の負担軽減のためとされたが、米国経済自身の景気対策 調としての面もあった。いずれにせよ、その端緒は、まったくアメリカ側の事情である。 策アメリカにとっては、双子の赤字を補填するために、海外からの資金流人は必須であるが、 際対外純債務の累積とドル安の下では、対米資本投資の継続に不安がともなう。こうした条件下 においては、内外金利差の縮小などもってのほかである。そこで米国金利を相対的に高水準と 章 三するような協調利下げが、べーカー米財務長官 ( 当時 ) の主導の下に推進された。 国際経済研究所のランダル・ヘニングによると、八六年一一月、金融政策をめぐって内

2. マネー敗戦

また、い っそう重要なことは、公定歩合があまりに低いため、長期債の利回りが一・一 しかならず、金利裁定も働かないため、国内の資本が外国資産に向かわざるを得なかったとい う点である。そこで円が売られてドルが買われるーー・円安の背景には、低金利を嫌う国内資金 の対外流出があったのである。 その意味では、金利の正常化こそが、円安にも、また長期にわたる不況に対しても、もっと も有効な処方箋であった。 なぜ、この異常ともいえる低金利が、長期間、放置されてきたのか。目的が教科書にあるよ うな古典的な景気対策ではなく、不良債権に苦しむ銀行などの金融機関を救済すること、その 一点にあったことはすでに誰の目にも明らかであろう。そしてここでは同時に、次のような事 情にも目を向けておく必要があるように思われる。 先の日米の財政当局者の話し合いのなかで、日本の金利政策が話題に上った気配はまったく なかった。八〇年代後半に行われた「政策協調、の事実から察せられるように、アメリカ側に とって、日本の高金利への転換は歓迎すべからざる事態であったことに変わりはない。 しかし、八〇年代の日米間の内外金利差と、形は同じでも日本側の事情が違う。九五年以降、 アメリカ国債が、日本にとって、いわば売り手市場の商品となっていたことは、日米経済の再 逆転がここに定着してしまったことを、何よりも端的に象徴している。いつの間にか、不況下 ー 60

3. マネー敗戦

るか金融村を越え、一般企業にまで広がっていった。東京証券市場を持ち上げようという作戦 は、もちろんそれによって「基準」としてのウォール街へ波及効果を、という使命感の発露で あったろう。 プラック・マンデ 1 の事後処理において、わが大蔵当局が見せた獅子奮迅の働きは、日本の ドルに対する過剰な思い人れを世界に印象づけた。日本の金融政策の基本スタンスがあくまで も対米協調にあること、ドルを支え続ける以外に独自のマネー戦略を持たないことを進んで告 馴白したようなものである。 ここでドイツを例に引こう。ドイツはプラック・マンデーの引き金となったべーカー発言を 受けて、十二月にはわすかに金利を引き下げ、政策協調路線に配慮は見せたものの、八八年七 病月からは早くも金融政策を転換し、その後は相継いで金利を引き上げている。 調同じ第一一次世界大戦の敗戦国として、また冷戦下における、い わゆる「西側の一員ーとして、 策ドイツもまた、かっては米ドルの主要なサポーターであった。 際 たとえば、一九六〇年代の後半に、防衛肩代わりに対する見返りとして、ドイツは四点にわ 国 たる利益の供与をアメリカに約束している。第一 に、ドイツ連銀は、保有ドルの金への交換を 三停止する ( 当時はまだ金ドル本位制が健在であった ) 。第二に、アメリカの財務省証券を大量に買 う。第三は、米国製兵器の購入比率をあげること。第四としてドイツ国内の米軍の装備向上に

4. マネー敗戦

レをともなうバブル経済を生み出した。 長期低金利が大きな政策的失敗であったことは、政府といえども公然と認めざるを得なくな って久しい ( たとえば大蔵省の財政研究所による「報告書」。あるいは九八年、第百四十三臨 時国会における宮澤蔵相の「陳謝」 ) 。しかし、その長期低金利政策が対米協調の産物であっ た点については、決して公然と語られることはなかったのである。 さて、ここで検討したいのは、このバブル経済が、いかに対米債券投資の継続に大きく「貢 献」したかという問題である。 ト八〇年代半ば、とくに八七年以降の金融政策のもとで発生した日本のバブルは、深刻な後遺 症を日本経済に残すことになったが、アメリカにとっては逆に、大きなメリットをもたらした。 病通常であればあり得なかったであろう民間の米国国債購入が、バブルを背景にしてはじめて継 調続されたのである。 策皮肉なことに、この低金利政策は、本来は、対米資本投資を継続させるための「内外金利 際差」を維持することが目的だった。そして日本の機関投資家が膨大な為替差損を被りつつ米国 国 債購入を続けた事実は、一見、こうした「国際政策協調」が功を奏したことを示すかにみえた。 三しかし、購人継続をもたらしたのはじつは金利差そのものより、低金利政策がもたらした株価 ・地価の急騰、それによる膨大な含み益であった。これが、機関投資家にとって為替差損への

5. マネー敗戦

アメリカは、経常赤字を続け、常に海外から資本の流人を必要としていた。流入が必ずしも保 証されたものでない以上、プラック・マンデーも、結局はこうしたアメリカの金融・証券市場 が内包する不安定性の一部と見るべきであった。ドルが不安定であるからこそ、なるべくその 影響を受けないように、と各国政府は知恵を絞る。 しかし、日本の金融政策当局は、そうは考えなかった。不安定性があるからこそ、ウォール 街を安定させることは、国際政策協調の精神に沿った「債権国・日本の責務」でもあるという ぐあいに考えた。こと経済にかぎらず、こうした思考法は、現在まで強く根を張っている。 トプラック・マンデーは、表面上はプラザ合意に始まる国際政策協調のほころびを示していた が、その修復の役割はもつばら日本に割り当てられた。 理 ここで、政策協調のほころびとは、次のような事実をさす。 病 の 調八七年に人り、ではポール・ポルカーに代わりアラン・グリーンスパンが議長となっ 策たが、九月には新議長のもとで公定歩合の引上げ ( 五・五 % ↓六 % ) が行われた。 際先のランダル・ヘニングによると、その際、べーカー財務長官はグリーンスパン議長に、あ らかじめ日銀とドイツ連銀に対して追随利上げをしないことを確約させるべきだ、とアドバイ 章 三スしたという。が、議長は聞き入れなかった。そこで、べーカーはドイツが若干の金利引上げ に動いた際、これを国際政策協調にもとるものとして厳しく批判し、これでは ( ループルで合

6. マネー敗戦

はしめヨーロッパ諸国は、「ドルからの自由」を求めてユーロを創設したのである。 日本はそのことを厳しく認識することがなかった。なぜ日本はアメリカ国債を買い続け、ド ルの世界に住み続けたのか。日本の金融政策当局がとった不可解な選択の背景を解明すること は、じつは、私たちが休止した思考を再開し、バブル経済の生みの親である長期低金利政策の 謎を解くことでもある。そうしてはしめて日本の金融市場の改革も、国際通貨システムの不合 理と正面から向き合うことができるのではないだろうか。 第二章から第五章にかけて、本書の主要なテーマはそこにおかれる。章だてが五年きざみに なっているのは便宜的な区分ではない。日米のマネー関係の変質する節目が、ちょうど五年ご とに訪れたという不思議な偶然の結果である。続く第六章では、当然、日本の政策当局の過ち の根本にある問題が摘出されなければならないだろう。 しかし、以上のすべてを理解していただく前提として、問題を歴史的に認識する姿勢が不可 欠である。八〇年代に蒔かれた日本経済の禍根を正しく受けとめるには、日本の政策選択が、 大債権国として、どのような点で軌道をはすれていたのかが、歴史的に明らかにされなければ ならない。そのために、ひとまず、近代の国際経済をマネー循環の視点から見直してみるのが、 迂遠なように見えて近道だと思う。

7. マネー敗戦

一時的に資金の環流も滞ったが、ここにふたたび日本側の銀行救済のための低金利が、クリン トン政権のドル高政策への転換を背景に対米資金供給を加速させていた。 為替リスクに曝される老後資金 九六年、わが国全体としての資本収支の帳尻を見ると、邦銀の規制への対応にともな う海外資産の圧縮などから、流出超三兆三五〇〇億円と、対外マネー純供給額の減少 ( 円ベー ス ) がさらに進んだことを示している。しかし、そのなかで、対外証券投資だけは、債券を主 体に、純増分・四兆五一 C)O 億円というレベルに達している。九八年には一—三月分だけで三 兆五七〇〇億円。これは、日本の経常黒字にほば見合う数字で、超低金利政策のため、国内に ア合理的な投資対象を見出せなくなった生保などの機関投資家などが、やむをえす米国債投資を ア再開した事情を物語っていよう。 賺機関投資家ばかりではない。超低金利のもとで、個人マネーも、外債投資に向かった。銀行 ネは不良債権を抱えたまま、空前の低金利による高収益を確保している。年金生活者などの立場 マ から見れば、本来、国内で得られるはずの利子所得を金融機関に移転させられたうえ、生活防 五衛のため、乏しい金融資産を為替リスクにさらしていることになる。デュアル ( 二重通貨 ) 債 のような「新商品」がプ 1 ムになっているのは、本来の円建てによる対外資金供給チャネルの

8. マネー敗戦

さまざまな経済力の国 ( 地域 ) で流通する広域通貨のユーロが、為替レートの水準でマルク に及ばないのは当然のことである。しかし、アメリカと違って、大経済圏ヨーロッパには対外 赤字が根を張っているわけではない。ューロは、これをドルと比較して見るとき、基本的には 強含みないし安定した通貨となることが予想される。このことがもっとも重要である。 円の安定化ーーー他国の経済的思惑から、一方的に円が切り上げられることのない仕組みを作 るためにはどうしたらよいのか。一つの選択肢として提示したいのが、円が自ら進んでユーロ の傘に人るというプランである。奇抜に思われるかもしれないが、根拠のないことではない。 まず、自ら小世界を創ることのできなかった円は、今後、ドルとユーロに挟撃されて、さら にローカル化することは避けられない 第二に、国内経済政策にユーロの影響が及ぶことも当然のなりゆきとなるだろう。九七年十 月、ドイツは五年間にわたる低金利政策を修正、フランスもこれに追随して、ヨーロッパでは 償 ューロの施行に向けて金利政策の足並みをそろえた。ューロはこれによって合理的金利水準を 国備えたものになるであろう。九八年の外為法改正後、投資家はユーロ圏内の金融機関店舗から 自由にユーロ建て資産を手にすることができるようになった。ドル安リスクを負担している日 ューロ建て / 六本の投資家にとって、これは朗報といえる。しかし、影響はそれにとどまらない。 資産へのマネー流出が一時的であれ大幅な円安につながるとすれば、日本も超低金利をいつま

9. マネー敗戦

た。金利調整は、日本に巨大なバブルを発生させ、その破砕によって、日本経済は未曾有の不 況へと突き進むことになった。 もっとも単純な表現を用いるならば、日本の手にした輸出代金がそのままドルに代わってし まったことが問題であった。シンポル経済下の為替相場という危険な領域、あるいは基軸通貨 国の為替市場への影響力をじゅうぶん視野に人れす、日本が日米両国の巨大な経済を直接、ド ルで連結してしまったことは取り返しのつかない失策であった。 資本輸出国・日本が為替リスクを負担しなければならないという奇妙な構造が、日米二国間 トに常識のように居すわっていた。これが莫大な為替差損を生み、いたずらに日本経済の体力を 疲弊させたのである。日本は貯蓄の超過分を貯蓄の足りないアメリカに移動させたが、その際、 ドルを介在させることによって、国民の汗の結晶を本来あるべき姿では残せなくなってしまっ 調た。こうしたドル建ての資本環流を、中心的債権国である日本が行ってきた背景には、冷戦構 策造下の日米関係の強い、しかし特殊な紐帯もあったであろう。あるいはそれ以前に、世界の政 際治的リーダーと自負するアメリカに、のようなグループの後ろ盾もなく、日本が単独で向 国 き合うという国際政治の構造があったことは否定できない。 一一一だが、そのことによって、日本の金融政策当局は免罪されるのだろうか。 ーダーシップを発揮できていない通貨もめすらしい 「円」ほど、強く切上げられながら、リ

10. マネー敗戦

を英国内より高く設定していた。国際間のマネー移動を成立させるためには、このように資本 の輸入側が輸出側に対応して調整するというのが基本であろう。しかし、約百年後のこのケー スでは、なぜか輸人側のアメリカの金利引き下げが優先した。そうなれば、日・独が超低金利 政策をとるしか道はない。 日本側として、利下げの名分には、アメリカに促された政策協調のほかに、プラザ合意がも たらした急激な円高に対する国内的な景気対策があった、ともいえるかもしれない。しかし、 景気対策としての利下げがたまたまアメリカの要請に合致した、にしてはいささか期間が長す ぎた。景気実勢をみると、円高による落ち込みがあったのは八六年のみで、八七年には日本経 済は早くもプラザ合意以前の五 % 成長を取り戻しており、とうてい八九年五月まで二・五 % も 病の超低金利を続ける理由にはなり得ないのである。 の 調 策反騰への期待 ? 際その二。それでは、日・独がアメリカより金利を低く設定したことによって、プラザ合意後 もドル債投資が続行された、と断定できるであろうか。一歩立ち止まって考える必要がある。 章 こうした「国際政策協調」によって日米間の長期金利に三 % 程度の差があった場合、米国債 第 は日本の機関投資家にとって十分魅力的であり、投資継続は経済的合理性に基づいて行われる