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検索対象: 歴史と戦争
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1. 歴史と戦争

106 その火の中をつぎからつぎへと低空飛行の四が突っきっていくのが見えました。 あれよあれよという間に、まわりは火の海です。焼夷弾は恐れるに足らずなんてウソ しいところです。それで逃げ遅れた 火と煙とが束になり火流となって、渦巻きながら地面を走っています。 右往左往しながら、逃げ道を自分で選択しなければなりません。火と黒煙が轟々と音 をたてて追ってきます。いつの間にか近所の仲間ともはぐれて、たったひとりとなって 逃げているわたくしは、自分の判断で西の大きな隅田川を避けて、東のずっと幅の狭い 中川への道をとることにしました。 『歳の東京大空襲』 中川の河岸で見た修羅場 中川の河岸に辿りつくと、平井橋畔のちいさな広場はすでに避難の老若男女で埋まっ ている。とにかく人か大勢いることは力強いことで、助かったとホッと息をつく思いを

2. 歴史と戦争

一兀首相東条英機の自決未遂 ・」 - つかっ 戦争に敗北することによって、日本人の無知、卑劣、無責任、狡猾、醜悪、抜け目な さ、愚劣という悪徳がつぎつぎにぶちまけられる。だれもが自分以外のだれかを罵倒し わいしょ - っ つづけた。日本人が自分たちを矮小化し、みじめなくらい自己卑下し、そして相互に浅 薄な悪口をぶつつけあったのは、おそらく歴史はじまっていらい、敗戦後の初秋ごろほ て どすさまじいときはなかったであろう。 生 を 代 そして人間不信、日本人であることの屈辱、嫌悪、情けなさ、それを決定づけたのは、 時 の 静九月十一日の元首相東条英機大将の自決未遂ではなかったか。敗戦いらい失望すること 章 のみが多かったが、 翌日の新聞で、ビストル自殺に失敗、の報道を読んだときほど、心 第 底からがっかりしたことはない。 『日本国憲法の二〇〇日』 『日本参謀論』 ( 秦郁彦氏との対談で )

3. 歴史と戦争

21 第一章幕末・維新・明治をながめて るし、宙吊りの孤独に堪えねばならないのである。そのことにたいして説明のしようも ない。要すれば、自分の行動自体で自分の哲学や歴史観やらを証明してみせるよりほか はなかった というが、方針を定めてどうするのだ。およそ天下のことは、あらかじ 「人はよく方針 め測り知ることができないものだ。網を張って鳥を待っていても、鳥がその上を飛んだ らどうするか。われに四角の箱を造って置いて、天下の物をことごとくこれに人れよう としても、天下には円いものもあり、三角のものもある。円いものや、三角のものを捕 らえて、四角な箱に人れようというのは、さてさてご苦労千万なことだ」 「鴨の足は短く、鶴のすねは長いけれども、皆それぞれ用があるのだ。反対者には、ど しどし反対させて置くがよい。わが行うところは是であるから、彼らはいっか悟るとき きゅうくつひっそく があるだろう。窮屈逼塞は、天地の常道ではないよ」 いずれも『氷川清話』にある海舟の談話である。原理主義的で窮屈な人の多かった当 時、この哲学はとても理解されることはなかったことであろう。 『それからの海舟』

4. 歴史と戦争

166 美空ひばりのデビュー 「その時思わぬ幸運が小さな私の家に訪れたのです。小唄勝太郎先生のご希望で自分の 歌の前に小さな女の子を出してほしい、 ということになったそうです。そこで横浜国際 劇場の支配人の福島道人さんが、そういう女の子を探していらっしやる時、父の知りあ いの関さんという方が私を推薦して下さったのです」 自身が書くデビューのときの思い出である。一九四八 ( 昭和 ) 年五月一日、こうし て天才的な流行歌手美空ひばりが誕生した。 小唄勝太郎に手をひかれて、大舞台の中央に立ったひばりは、フットライトをあびて せることはもう金輪際できなくなったのである そして新憲法の根本理念が象徴天皇と戦争放棄と基本的人権にあることは、多くの人 のうべなうところであろう 『マッカーサーと日本占領』

5. 歴史と戦争

164 銀座四丁目交差点の「生命売ります」 東京は銀座の真ん中、四丁目交差点には、が交通整理に立ち、服部時計店は占領 軍 =>< になり、白人・黒人兵士が集まった。占領下の日本はあわれをきわめた。 そんな混乱がおさまりかけた 一九四八 ( 昭和 ) 年一月二一日、「生命売ります」と 残骸を薪にでもするつもりで、ある男が竿で突いたら、下から土左衛門がぼかんと孚、 てきた。 「姿かたちをとどめないその臭い死体のなかに、お前様、うなぎの野郎がいくつもいく つも首突っこんで、腐肉喰らっていたっていうで : : : 」 と、語るおばあさんに出会ったことがある。その臭い死体にわたくしがならなかった 保証はどこにもない、あのときもしも : : とわたくしは嫌でも溺れかけた自分を思い出 さないわけによ、 ) よかっこ。 『日本国憲法の二〇〇日』 ↓まき、 さお

6. 歴史と戦争

必要がなくなり、 いまや生きるための欲望に憑かれてしまった人びとの関心のなかには、 天皇も憲法もこれからの日本も、いや隣人も他人もなくなる。生きぬくために、自分の ことだけしか考えられなくなる。 『日本国憲法の一一〇〇日』 リンゴの唄を歌った女性歌手 並木路子は浅草生まれ、昭和十三年に松竹歌劇団に人る。東京空襲でみずからは九死 に一生を得たが、 一緒に隅田川へ飛びこんだ母親は遺体となって浮かんだ。父親も南方 で殉職死、次兄は千島列島で戦死。 たたみかける戦争の傷みを抑えて、彼女は懸命に歌 ったのだという。そんな悲しみがあったことも知らす、人々は明るい声に耳を傾けたが、 よく聞くと、徹頭徹尾悲しい歌であると思えてくる 『隅田川の向う側ーー私の昭和史』

7. 歴史と戦争

133 第三章戦争の時代を生きて すね。たた、 陸軍の悪口ばかりは言えない。新聞社もみんな日比谷公園に集まって、資 料から写真まで燃やした。 本当に日本人は歴史に対するしつかりとした責任というものを持たない民族なんです ね。軍部だけではない、みんなが燃やしちゃったんですから。 『「東京裁判」を読む』 ( 保阪正康氏・井上亮氏との鼎談で ) 国家の大事な仕事とは ポッダム宣言の実施でわれわれは裁かれる。軍事裁判がおこなわれる、それが怖いか ら都合の悪い資料は残さない、燃やしてしまえというのは、明らかに自分の時代しか考 えていない、 「おれの仕事」しか考えない、後世の者への信義に欠けている。 国家には「資料の整理保存、それがおまえの仕事だろう」と言いたいですね。 『「昭和」を点検する』 ( 保阪正康氏との対談で )

8. 歴史と戦争

124 人神として一君万民の結合をとげる これが日本の国体の精華であると、彼らは確 信しているのである。 その考え方からすれば、無条件降伏の根本理由などは、自分の生命が惜しいからとい う売国奴の論理であるか、早ければ早いほどあらゆる面での損害が少ないからという唯 物的戦争観でしかない、 との結論に到着するのである。彼らの考えるところでは、戦争 はひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで、 遂行せねばならないはずのものであった。国民の生命を助けるなどという理由で無条件 降伏するとい , フことは、 かえって国体を破壊することであり、すなわち革命的行為とな ると結論し、これを阻止することこそ、国体にもっとも忠なのである、と信じた。 『日本のいちばん長い日』 ひとがみ 玉音放送のそのときまでも 十五日正午の天皇放送を聞くまで、日本人は最後の一人になるまで戦い抜くつもりで

9. 歴史と戦争

117 第三章戦争の時代を生きて 爆弾は敵にたいし使用するためにつくる。威力や大小を問わない。敵を殲滅するため に使う、それ以外のどんな意味があるというのか。たしかに巨大な工場の建設のために 十二万五千人の労働者が必要であった。この工場を稼働させるためにはさらに六万五千 人。あるだけの頭脳と技術と汗とを投人しこ。 オこうして、二十億ドル以上の巨費を食っ た「怪物」がいまできようとしている。 ヒューマニズムとかモラルとか、ましてや人の盾とかかそこに人りこむ余地はない。 人類はじまっていらい、およそ戦争というものはそういう凶暴なもの非情なものである と、だれもがそう思うことで軍人たちは自分の心を納得させていたのである。 日本人はそれを、まったく、 知らないでいた。 かくて原子爆弾は落とされた 戦争という " 熱狂 ~ は、人間をやみくもに残忍、愚劣にして無責任へとかりたてるも せんめつ 『面昭和史』

10. 歴史と戦争

104 かりに反戦思想をもった人がいたとしても 戦争の見通しについて、和平派にも主戦派にも大きな懸隔がなくなったときでありな がら、なおかっ戦争を終結にもっていく具体的な政策は発見されなかった。国家的熱狂 がそれを許さなかったと結論してしまえば、まことに簡明であろう。たしかに戦争は一 つの狂気の時代であった。日本国民はかならずしも盲目でなかった。大本営発表から戦 、こ。しかし、それでいて、あらんかぎりの力を 場の真相をさぐりあてる眼力をもってしオ つくして戦い、自分と家族の生命を守ろうとしたのである。 かりに反戦思想をもったひとがいたとしても、無惨に死んでいく仲間に対して、特攻 共通の危難を背 隊の若ものに対して、なんらかの負い目をもたずにはいられなかった。 負った国家という共同体があるとき、共同体と個人のどちらに真実があるのか、それを る堕落があるだけである。 『面昭和史』