たのだが、やがて母の反対を押し切ってこの男性と結婚した。 既述のとおり、この結婚は破綻に終わったわけだが、 , 彼女にしてみれば、自分と母親との距離 を確保するために必要な結婚であったのだろう。こうして子の母親は、アルコール依存症者で ある父親の娘であると同時に、アルコール依存症者の妻であり、今は薬物依存症者の母親となっ ているわけである。 でんば アルコールや薬物への依存が、一つの家系中に世代を越えて伝播するかに見えることは珍しく 力し これは、一つにはアルコール依存症なり薬物依存症なりになりやすい素因が遺伝する ( ア ルコール依存症については近年、こうした素因の存在が明らかになりつつある ) ということであろう が、ここに挙げた例のように、アルコール依存症の父親の娘が配偶者選択を介して別のアルコー ル・薬物依存症者の妻になり、その娘がまたアルコール・薬物依存症者と結婚したり、自身が依 存症になったりするということもあるのである。 素因の世代間伝達は生物学的な問題だが、依存症者の娘が依存症者の妻になる傾向は遺伝の次 元ではとらえられない。むしろ夫婦間の人間関係のあり方、つまり夫として妻としての役割やル ールやコミュニケーションのパターンが、子どもの世代に学習され、繰り返されていると考える のが自然であろう。 こくじ ここに挙げたケースの場合、少女と母親との関係は、母親と祖母との関係に酷似しており、そ はたん 104
セス ( 過程 ) であって、共依存のように恒常性を持った状態ではない。親密性が制度や組織とい うものと相性が悪いのは、一つはそのためである。 自分の感情に一 = 実であるということ冫「寂しさ」という苦痛についても敏感であるというこ とでそのような人は常に親密な関係を求めている。求めているが、それによって相手や自分を 支配・拘束する尼、を感じ。 - てい・ないの、で、相手に退屈すれば離れるし、自分かられた相手を恨 むこともしない。 こうした人の根底にあるのは自己肯定の感覚で、これが彼らに「生き生きした感情生活」を与 え、「シラフの ( 物質や愛情に耽溺しない ) 生活」そのものを楽しむ能力をもたらす。 共依存と親密性の外見が似ているのは、共依存者が偽・親密性を装う名人だからである。共依 存者の利他主義は、実は既述のような自己中心性から発するという矛盾を抱えているのだが、わ れわれの文化は共依存的な権力使用を親密性の衣装のもとに覆い隠そうとする企みに満ちてい 勹 0 る。共依存者は親密でない人の前ではニコニコ仮面を被って、親密な関係を装う。そして真に自 分が関わりたいと思う人には抑うつ的な自己を表現し、深いため息をつく。 これを繰り返すことによって、相手を共依存的感情の中に巻き込み、もうひとりの共依存者を かぎ つくり上げる。そしてその人物との間で、鍵と鍵穴のように堅固な共依存関係を築く。 おお 200
父親のアルコール依存はどんどん進んで、昨年死んだ。 しばらくの間、放心したような毎日を送っていたさんだったが、ある事件をきっかけに感情 が爆発し、それから随分楽になった。 その事件というのは、夫の葬式の直後、生前の夫が愛人とともに過ごしたホテルから請求書が 送られてきたことだった。さんは夫の遺影に怒りをぶちまけ、床に叩きつけた。そばにいた息 子はそうした母親をニコニコと見ていたというが、どこからカノ ゝヾットを持ってきて「これで叩き なよ , と言った。 翌日、感情が落ち着いてからコナゴナに壊れた額縁を恥ずかしい思いで掃除したさんだった 罠が、昨日の息子の動きを思い返してハッと気がついた。 「そうか。息子は私が夫から責められる毎日を過ごしている間、私をかばおうとして学校へ行か と 」ないでいたんだわ」 家さんは、自分たちの夫婦関係が子どもの人生に与えた影響の深さを改めてかみしめた。 全先に男女の間の共依存という言葉を紹介したが、親子の間に見られる共依存的な関係をパラ依 存という別の用語で呼ばうという提案がある。 章 四確かに、選択が可能な配偶関係と相互に相手を選べない親子関係とを、同じ言葉で呼ぶには 理があるだろう。子どもには、たまたま生まれついた自分の巣を快適にしようとする天与の能 がくぶち
カホリックス・グループ ) 、 < O << ( 日本アダルト・チルドレン協会 ) 、母と子の関係を考える会 ( 児童虐待にはしる母たちのグループ ) 、 co co << ( サバイバーズ・オプ・セクシュアル・アビューズ【児 童期に性的虐待を受けた女性たちのグループ ) などのセルフヘルプ・グループが誕生した。 こだいもうそう 妻たちの誇大妄想 このへんで共依存者の特徴や共依存の内容について、まとめておくことにしよう。まず名称で あるが、既述のようにこれはアメリカでアルコール依存症の臨床に携わっていたケースワーカー たちによってつくられた英語、コ・デイベンデンスないしコ・デイベンデンシイの邦訳である。 共依存は八〇年代の半ばに私がとりあえず採用した訳であるので、不適切との指摘があれば改 めようと思っているうちに時間がたった。 共依存症と〃症〃の字を入れて使うことが多いのは、アルコール依存とアルコール依存症の関 係に同じである。依存 ( デイベンデンス ) はヨーロッパの一部やアメリカでは、それ自体病気な のかもしれないが、少なくとも日本ではそうではない。しかし、これが高じれば心身の不都合を 生じるので、その段階を症 ( シンドローム ) をつけて区分しようとしているわけである。 アルコール依存症の場合は、世界保健機構 (*=o) の国際疾患分類 (—OQ—九 ) がシンド ロームをつけた形の疾患名を採用しているので、日本の厚生省もそうしたという経緯がある。
九四一年、東京に生まれる慶応大学医学部を卒 業。現在は足都精神医学総合研究所研究員。アル コール依存、児童虐待、過食症、拒食症などに取り 組み、これらの依存症に悩む人たちのための自助グ ループなどを援助行動する精神科医として活躍 中雑誌「アルコール依存と乙アイクション」編集主幹 著書に「家族依存症」「子供の愛し方がわからない親 たち」、訳書に「買い物しすぎる女たち」などがある 〔著者略歴〕 「斎藤学
家族中心主義という依存症 リッチの訳者、大島かおり氏はヘテロセクシズムを強制的異性愛と訳した。適切な訳語だと思 う。イズムは〃強制〃の意を含む。このイズムはマルキシズムやクリスチャニズムと同じこと で、〇〇中心主義とか〇〇優先主義とも訳せるであろう。へテロセクシズムは、異性愛中心主義 である。 私の専門領域でイズムを伴う用語にはアルコホリズムがあり、アルコール依存症と訳されてい る。かってはアルコール中毒と訳されていたが、別に毒に中っている状態をいうわけではない。 めいてい ち 医学的に正確な意味のアルコール中毒とは、酩酊のことである。酩酊していないと生きていけな かつぼう 女い人が、酔うことに渇望しながら生きる、その生き方がアルコール依存症である。 る だからアルコホリック ( アルコール依存症者 ) とは、いつも酔っている人ではない。ある程度 す しつもはシラフで過ごしている。しかし頭の中はアルコール 族以上に進行したアルコホリックは、ゝ のこと、つまり飲むか、飲まないかのことでいつばいになっている。 一頭がそのことでいつばいになっていて、行動がそれに左右されるとき、その人は何らかの形の 依存症の状態にあるのである。 あた -4
ノーウッドの『愛しすぎる女たち』には、セックス嗜癖者も共依存症者も含まれるが、この二 つは同じものではない。セックス嗜癖は共依存から生じるが、共依存的な生き方のすべてがセッ たクス嗜癖と結びつくわけではない。共依存は女性がとりやすいパワー表現であり、女性のセック ス嗜癖はそうしたパワー支配に失敗を繰り返す女性が、空虚を埋めようとして繰り返す衝動的で る ぎ子ども返りした防衛である。 し もっとも共依存症者が。クスを支配の道具として用い、セックス者に似てくる場合もな いではない。既述のように共依存者は他者へのケアを武として世の中をわたっているのて愛 二する者とともにいて何もしない」ということカきない。相手が黙っていると、自分が嫌われ けんお あせ 第 ているかのように感じ、何もしてあげられない自分に嫌悪や焦りを感じてしまう。そして、この クスそのものは真の充足をもたらさず、かえって次のセックスへの欲求を昂進させてしまうこと んらん になる。こうしてニンフォマニア ( 女性乱症 ) 的な繰り返し行動が生まれる。あるいは、こう した行動の乱発を恐れて性的な関係からかたくなに身を引くことになる。 後者は、過食症者が過食をおそれて普段は拒食していることや、アルコホリックが普段は断酒 していることと同じ態度である。 「強迫」が「脅迫」へ
共依存の場合、日本の〃普通の〃母や妻に期待される振る舞いがすでに共依存なのであるか ら、治療の対象とする場合には、これの高じた状態であることを明確にする必要がある、という ことで、私は共依存〃症〃という用語を用いることが多い。 さて、その共依存症者の特徴であるが、まず強調したいことは、彼女たちが「アル中の妻」と みじ か「被虐待女性ーとかの言葉から連想されるような、うらびれた、惨めな様子をしていないとい 一つことである。 言葉による連想が、誤診を招くということは精神医学ではよく起こる。立派な紳士たちや若く さっそう 健康そうな女性たちの中にもアルコール依存症者がいるように、目の前にいる女性が颯爽とした キャリア・ウ 1 マンのように見えるからといって、共依存症者でないとは限らない。 ち むしろ、彼女たちの多くはスキのない身なりをして颯爽としている。学歴なども普通より高 女 」く、教師、看護婦、薬剤師、理髪師などのきちんとした仕事を経験していたり、今もそうした職 る ぎについているという人が多い。そして、自分では世間より一歩進んだ「自立した女性」のように し感じている。一人の男を抱っこしたり、おんぶしたりしているわけだから、並の女性よりも能力 は高いことが多いのである。ただ、以下に述べるように感情鈍麻をきたしているから、表情の乏 章 しい、能面のような顔をしている。 第 自分の欲求や感情を認識することができず、したがって表現しようともしないから、自分自身
たろう。つまり、一徹の親は、孫の飛雄馬の人生を決めているのである。 そういうわけで、 <<0 は何も親子関係の中だけで生まれるものではない。祖父母の代からの問 題が伝わるから、これを強調したいときには 0 ( アダルト・グランドチルドレン ) などという 長い呼び方が必要になる。 サバイバル ( 生き残り ) という一一一一口葉は、 < O ( アダルト・チルドレン ) にとっては特別な意味を 持っている。子どもを虐待するような親のもとで育てられた <<O にとっては、これは文字どおり 生き残ることを意味しているわけだが、アルコール依存症の親を持った子の場合だと、自分自身 が親のようにアルコール依存症にならなかったり、アルコール依存症者と結婚しないですむよう 罠になることも「生き残りーと表現される。 これが結構むずかしいことであるのは、アルコール依存症という診断で入院している男の患者 の二人に一人、その妻の四人に一人がアルコール依存症の父親を持っているのを見ればわかる。 族 家入院患者たちだって、小さいときから「アル中」になろうと思っていたわけではない。「親の 全ようになるまい」と思いながら生きているうちに気がついてみたら、親父と同じ生活パタ 1 ンに はまってしまっていたのである。 四その妻たちにすればもっと不本意なことで、彼女たちはたいてい「あんな母にはなるまい」と 9 第 いう決意のもとに育っている。そうしながら、いつの間にか母親と寸分ちがわない人生の軌跡を
それには、アルコール依存症のこと、衝動的で習慣的な暴力 ( 暴力嗜癖 ) のこと、男の性のこ とをしつかり勉強しておかなければならないので、私は彼女たちのグループを相手に、そうした 話をする。別に離婚をすすめているわけではない。 , 彼女たちは人生の選択肢を増やす必要があ る、と考えているためである。 さば この仕事は一人ではとても捌ききれないので、最近ではこうした経験を自ら味わい、そこから 立ち直った女性たち自身に「道案内」の役割を引き受けてもらっている。 の前に紹介したというセルフヘルプ・グループが、それである。ここのメンバーが、電話 、も る相談や月例のミーティングなどを通して被害者に対応している。 て << という略称は、今は「アディクション問題を考える会」のことだが、一九九二年までは め 求「アルコール問題を考える会」だった。こうした夫の多くが、アルコール依存症者だったからで ちある。 男しかし、問題はアルコール飲料という物質にあるのではない。確かにアルコールは暴力の程度 るをひどくするが、嗜癖的暴力は薬物依存症、ギャンプル依存症などの他の嗜癖とも結びつくし、 きんげん それ自体で独自に生じることもある。アルコ 1 ルなど一切口にしないという謹厳な人物によっ 三て、心理的虐待が強迫的に繰り返されることもある。 私のところに相談にくる妻たちの多くは、夫が飲酒者である場合、すべての「悪」をアルコー