チベット人 - みる会図書館


検索対象: ダライ・ラマ他者と共に生きる
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1. ダライ・ラマ他者と共に生きる

ています。また、心に銘記すべき議論もたくさん含まれています。それらは、私たち人間が敵意 や残酷さといった「悪しき心」を捨て去るのに役立ちます。 どんな苦境にあっても「チベット人の心」は チベットの文化遺産は、仏陀の教えによって大いに豊かになってきました。その結果として、 私たちチベット人は心に大きな平和を抱いています。多くのチベット人は、中国共産党のチベッ ト侵略によって国外に亡命し、難民となってしまいました。難民生活はさまざまな困難に満ちた ものです。 私は、世界の別な地区からきた難民に会ったことがあります。彼らの態度をチベット人のそれ しよ、つりよ と比較すると、たいへん違っていることに気づきました。彼らには、不安と焦慮がっきまとっ ているのです。反対に、幾人かのチベット人は、私にこのように語りました。「私たちは中国の 監獄にいるあいだも、いつものように自らの実践修行をすることができました」とか、「監獄で の日々は、心静かで、しかも精神的には実り多かった、とかいうことです。 仏陀は出家者の模範である このごろはチベットでも、多少の宗教的な自由があります。人々は再び出家して僧あるいは尼 僧になったり、中国共産党に破壊された僧院のいくつかは再建したりすることを許されています。 私は、最近チベットに行ってきた幾人かのチベット人から、こんな話を聞きました。僧と尼僧は

2. ダライ・ラマ他者と共に生きる

は、 " 思いやりのある〃 " 同情的な〃といった言葉でいいあらわすことができます。辺境の遊牧地 帯にあって、読み書きのできないチベット人でも、すべての命あるものを前世においては自分の 母親だったこともあると考えます。そして、彼女たちのために祈るのです。 私は、かってこれらの地域から来た数多くのチベット人に会ったことがあります。彼らは私 ( 一九五九年にインドへ亡命 ) に、「母なる一切の命あるもののために、すぐにチベットに戻ってく ださい」と頼んだのです。″母なる命あるもの〃というものは、チベットにしかおらず、他のど こにもいないと彼らが考えることは、ときに私に穏やかな笑みをもたらします。いずれにせよ、 重要なことは、彼らには憐れみのために命あるものを心配する「強い生来の善き性質」があると いうことなのです。 仏教はかって中国でも隆盛しました。そして、チベット人はかって中国の皇帝を、智慧の菩薩 マンジュシュリ ーの化身であると信じました。振り返ってみれば、私たちチベット人はあまりに も純真すぎて、対等に対応することに失敗したのだと、私は思っています。結果的に、私たちは 苦しまなければなりませんでした。中国共産党が政権を握ってからこのかた、大きな政治的動乱 が続いています。 彼らは、それがあたかも「毒」であるかのように、仏教を嫌っているように見えます。中国の 人たちはイデオロギ 1 教育のために、敵意、疑念、嫉妬、および他の悪しき思いをもって互いに 反発し合います。イデオロギー上の理由のために鳥や虫を駆除するキャンペーンのあいだは、子 供までも集められました。こうした状況のもとでは思いやりがあって、有徳であるはずの彼らの 8

3. ダライ・ラマ他者と共に生きる

ダライ・ラマ図世 / ゲシェー・ソナム・藤田省吾共訳 ダライ・ラマ生き方の探究 ダライ・ラマ世 / ゲシェー・ソナム監訳・鈴木樹代子訳 ダライ・ラマ瞑想入門 ダライ・ラマ世 / 三浦順子訳 愛と非暴力 クンチョック・シタル / ソナム・ギャルツェン・ゴンタ / 斎藤保高 実践・チベット仏教入門 ・スネルグローヴ & ・リチャードソン / 奥山直司訳 チベット文化史 ダライ・ラマが、菩薩行の精髄をまとめた「三十 七の菩薩の実践」に基づき、人間としての最もす ぐれた生き方とは何かを平易に説いた名説法。人 生に悩む人には最適の指南書。 ニ五〇〇円 チベット仏教の基本書「菩提道次第論」を密教的 立場から解説。教理の説明に必す瞑想の手ほどき を付し、坐法から観想するヴィジョンや存在の分 一一五〇〇円 析まで具体的・実践的に指南。 チベットのノーベル平和賞受賞者ダライ・ラマが、 国家を超えた地球規模の愛と平和思想や瞑想等の 実践法、その根底にあるチベット仏教の真髄を平 一七四ハ円 易に語った好評の講演集。 伝統的な修行を積んできた気鋭のチベット人ラマ が、直接日本人のために書き下ろした本格的入門 書。基本的な教えから瞑想の仕方まで、一人で修 行が始められるように工夫。 三ニ〇〇円 政治、宗教、芸術など、千三百年にわたるチベッ ト人の活動全般を、歴史的展開に沿って体系的に 概説した世界的名著の翻訳。貴重な百点余の写真 五五〇〇円 がチベット理解を助ける。 マ価格は本体価格。消費税分は含まれておりません。

4. ダライ・ラマ他者と共に生きる

し、私たちはいまはもう亡命していますので、私たちを隔てていたものもなくなり、現実と向か い合っています。 私たちは自分たちの国にいたとき、すべては順調であると装うことができました。なぜならば、 すべては虚飾と見せかけにおおわれ、その真相は覆い隠されていたからです。私はダライ・ラマ であるという態度をとりながら、高い玉座にすわらなければなりませんでした。幾人かの老官吏 さいわい はんさ は、ラサの政府官吏たちが、国民の福祉よりも、煩瑣な儀式と自分の豪華な衣装のほうを心配し ていたことを思い返しています。彼らは災難が差し迫ってきたときでも、すべてが良好であると 装っても大丈夫だと思っていました。私が偏狭になっていたかもしれないということは十分にあ り得ます。しかし、私は中国共産党の脅迫と屈辱を因として、″本当の人間みになりました。です から、チベットで起こったことは、″形を変えた仏陀の慈悲〃であると考えることができるのです。 どのように逆境を順境へ転化したか ( その二 ) 外部世界と私たちチベット人との接触は、もう一つの善き結果です。もし中国共産党の侵略が なかったならば、私たちは、 ) しまでも自分たちの古い制度のなかに陥っていたままだったかもし れません。古いチベットはたいへん保守的であり、新たな発展や改革の余地はほとんどありませ んでした。しかし、急激に変化する外の世界は、チベットになにがしかの影響を与えました。今 日、私たちの宗教と文化は、世界の価値ある遺産として認められています。チベット人は世界中 で知られるようになり、かなりの承認を得ています。 第 2 章「心の訓練」の歴史と特質

5. ダライ・ラマ他者と共に生きる

しようもんじようえんがくじよう ぼさつじよう ( 声聞乗、縁覚乗 ) と、仏陀という完全に目覚めた者の境地に至る方法 ( 菩薩乗 ) です。こうし スヴァルナドヴィーパ た伝統のすべてが、黄金の島 ( スマトラ島に比定される ) 出身の人、すなわちチベット語で「セ ルリンパ」と呼ばれる偉大な恩師によって保持されていました。アティーシャ ( 九八二ー一〇五 四 ) は、彼の多くの恩師のうち、特にこのセルリンパから菩提心の訓練法を授かったのでした。 心の訓練はアティーシャから弟子たちへ アティーシャはインド人の偉大な恩師ですが、彼にはインド、カシュミール、ネパール、そし てチベットに数え切れないほどの弟子がいました。その中でも最も優れていたのが、序章であげ たチベット人のドムトウンパ ( 一〇〇五ー一〇六四 ) です。彼は、アティーシャの系統の「本物 の保持者 , でした。彼は偉大な実践者で、通常の知覚までも菩提心に貫かれていました。カダム 派の伝統がチベットに存在するようになったのは、彼の思いやりとたいへんな努力のおかげなの です。ドムトウンパは、次々と傑出した弟子をもちました。特にポトワ ( 一〇三一 チェンガワ ( 一〇三八ー一一〇一一 l) 、プチュンワ ( 一〇三一 ー一一〇九 ) という三大弟子がいて、彼 らは「カダム派の三兄弟、として知られています。このなかの第一の弟子は、偉大な師ポトワで す。菩提心の系統を受け継いだことから、ポトワは仏教の教義を発展させるのにたいへん成功し、 主として「カダム派の六つの主要テキスト ( 六宗典 : ・『大乗荘厳経論』の詩頌、『瑜伽師地論』の菩 薩地、『大乗集菩薩学論』の詩頌、『人菩提行論』、『ジャータカ・マーラー』、『ウダーナ・ヴァルガ』 ) の徹底した実践に焦点を置きました。

6. ダライ・ラマ他者と共に生きる

ます。 チベットには、そうしたことをしている僧侶はいるでしようか。千年ほど前、チベット仏教の 偉大な師ドムトウンパ ( 一〇〇五ー一〇六四 ) は、第 2 章に登場する方ですが、実際にそのよう な偉業を行ない、自分の手足を失いました。ごく最近は、テホル・キヨルプン・リンポチも、 ( ンセン病に苦しむ人たちの世話をしました。ですから、互いに敵対するよりは、お互いから学 び合うほうがより賢明であり、しかもより意味のあることなのです。こうしたやり方で、宗教者 は、この世界に平和と協調を生みだす「善き役割」を果たすことができるのです。 巧序章

7. ダライ・ラマ他者と共に生きる

小林秀英、梅野泉訳地湧社、一九九一年 『チベット政治史』・・シャカッパ著 / 貞兼綾子監修 / 三浦順子訳亜細亜大学アジア研究所、一 九九三年 ハラー著 / 福田 『チベットの七年《新装板》ー・ーダライ・ラマの宮廷に仕えてーー』ハインリッヒ・ 宏年訳、白水社、一九八九年 『実践・チベット仏教入門』クンチョック・シタル、ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、斎藤保高著、 春秋社、一九九五年 ・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著、金花舎、一九九六年 『チベット密教の瞑想法』ゲシェー 『チベット文化史』・スネルグローヴ、・リチャードソン著 / 奥山直司訳、春秋社、一九九八年 『西蔵仏教研究』長尾雅人著、岩波書店、一九七四年 『大乗仏典〈中国・日本篇〉ツオンカバ』御牧克己、森山清徹、苫米地等流訳、中央公論社、一 『仏教瑜伽行思想の研究』ツルチイム・ケサン、小谷信千代共訳、文栄堂書店、一九九一年 『ツオンカバ中観哲学の研究—』ツルチイム・ケサン、高田順仁共訳、文栄堂書店、一九九六年 九九六年 3 付録

8. ダライ・ラマ他者と共に生きる

さいわい を超えて、他者の福祉のために生きつづけたいという願望をもっことさえも可能にするものでも あるのです。 ・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ チベット仏教普及協会《ボタラ・カレッジ》では、ゲシェー 師、クンチョック・シタル師より「心の訓練」の指導をはじめとして、チベット仏教に関する講 義や瞑想実修の指導を受けたりすることができます。訳出に際しては、お二人にさまざまな助一言 をいただきました。ここに記して心より感謝致します。なお、ボタラ・カレッジには、東 ~ 示セン ター、静岡センター ( チベット仏教・静岡教会 ) 、京都教室がありますので、受講されたい方は、 以下に連絡してください。 東京センターの連絡先〒一〇一ー〇〇四一東京都千代田区神田須田町一ー五須田町交又 点ビル電話〇三ー三二五一ー四〇九〇 最後になりましたが、本書が刊行されるに当たり、春秋社の神田明社長、鈴木龍太郎編集長、 そして私たち二人の遅れがちな仕事を慈愛と忍耐の心で見守ってくださった編集部の桑村正純氏 に心より感謝致します。 一九九九年五月一五日畑にトウモロコシの種を蒔いたあとで 田崎國彦 渡邉郁子 371 訳者あとがき

9. ダライ・ラマ他者と共に生きる

彼こよチベットのあらゆる地方出 ポトワの実践の中心は、菩提心を起こすことにありました。 , 。ー 身の二千人を超える弟子がいて、彼らは輪廻的生存からの解放を得ようと決意していました。中 央チベット出身の卓越した弟子に、ランリタンパ・ドルジェ・センゲ ( 一〇五四ー一一一 シャラワ・ユンデン・ダク ( 一〇七〇ー一一四一 ) の二人がおり、彼らは太陽と月に比べられて いました。シャラワは、教示の全体 ( 書伝、ロ伝 ) を受け取って、二千八百人以上の弟子にその 系統を相承しました。シャラワには「四人の息子」として知られた弟子がいました。彼らにはそ れぞれ、シャラワの系統を相承する責任がありました。 1 ・ドレジェ 一一〇一ー一一七五 ) には、「心の訓練ーと 特にチェカワ ( チェカワ・イェシェ 「菩提心を起こすこと、に関する教えを相承する責任がありました。では、『七つの要点』の著者 これを学んだのでしようか。このこと であるチェカワがどのようにして「心の訓練」と出会い について話しましよう。 チェカワ、「心の訓練」の秘訣を求めて チェカワは、あるとき、ランリタンパ作の『心を訓練するための八つの詩頌』を 心の訓練と 聞きました。この詩頌は、「心の訓練、の教えに対する彼の強い関心を引き起こ の出会い しました。 , 。 彼よ心の訓練に関するもっと詳細な教えを求めて、中央チベットのラ サに赴いたのです。賢明な友人の何人かが、彼に、〃大乗の伝統に連なる恩師は尊敬に値すべき であるから、シャラワか、チャュルワ ( 一〇七五ー一一三八 ) のいずれかを捜し出して訪ねるべ 男第 2 章「心の訓練」の歴史と特質

10. ダライ・ラマ他者と共に生きる

正確な宗教教育を受けておらず、儀礼を行なっているにすぎないということです。別のチベット 人たちは、チベットの僧や尼僧は本当に宗教心があって、しかも身を挺してダルマの実践を探究 ブッダダルマ しているという違った印象をもっていました。神聖な仏法を再建することは、最大限の配慮と 注意をもってなされるべきです。 絶対に必要なのは、私たちチベット人が仏陀の教えを保持し、弘めることです。なぜならば、 仏陀の教えは、序章でも述べたように、世界の人々の平和の源泉として、一切の命あるものに利 益をもたらすものだからです。すべての仏教徒がこのことに関心をもつべきです。特に、戒律を 受けて出家した者、すなわち僧と尼僧には、特別な責任があります。私をはじめとする出家者は、 僧団の規律 ( 戒律 ) を守って、良心的に行動しなければなりません。受戒するときに起こした 「出家の誓い」は、軽々しく扱ってはならないものです。出家するつもりの人は誰でも、あらか じめ誓いについて十分に注意深く考えて、そして″家庭生活からの確固たる出離の心〃をもつべ きです。 僧あるいは尼僧になるのは、のんきに暮らす気ままな生活に入るということではありません。 反対に、出家の志願者は、道を求める過程において苦難を何度も経験された仏陀を、出家者の模 範と見なしてください。僧や尼僧のなかには、単に某かの儀礼を行なうことがすべてであって、 それが「洞察」を獲得することにつながるという考えをもつ人たちがいるかもしれません。彼ら は、実際に洞察を獲得するには、さまざまな犠牲や努力が必要とされることにはっきりと気づい ていないのです。 43 第 2 章「心の訓練」の歴史と特質