ノイローゼ - みる会図書館


検索対象: 自分の構造
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1. 自分の構造

″決めつけ思考″をやめよう ノイローゼになる人は現実をあるがままに受け入れられないで、自分にとって都合のよい現 実だけを望むから、 / イローゼになってしまうのである。 しも悪いもなく現実なのである。自分の友人の親が社長であるということは、い 現実は、、、 いとか悪いとかいう前に、とにかく現実なのである。その友人がまた、頭がよくて努力家であ るということも現実なら仕方ない。 / イローゼになるタイプは、この現実を受け入れられなくて妬む。妬んでいるだけで、自分 が変わることは拒否する。 生産的人間というのは、彼は頭がよくて努力家だ、でもそれは自分とは関係のないことだと 思える人である。そして、そう現実を素直に受け入れることで、その人のエネルギーは解放さ る みれて活動的になる。 て 非生産的人間はノイローゼになりやすい 度 ノイローゼになりやすい人間の第一の特徴は、変わることを拒否することであったが、それ 方が裏がえされて、何事でも決めてかかろうとする。 や「あいつはそういう人間だよーと決めてかかる。「世の中なんて不公平なものさ」と決めてか まかる。時には「俺はダメだーと決めてかかる。 自分も変わるし他人も変わる、世の中も変わる、彼はそのように世界を見られない。 ねた

2. 自分の構造

いわれても、なかなかロでいうはやさしく、実行は難しい 苦悶を苦悶として受け入れられないから、ノイローゼになっているのである。誰も好ぎこの んでノイローゼになっているわけではない。 それは、「決断ができない」からなのである。欲求の断念と新しい世界への決断とは、表裏 をなしていることを理解することは大切である。 つまり、欲求を断念しよう、断念しようとしながら ( ⅱ眠れなくてもいいやと思おうとしな がら ) 欲求を断念でぎないのは、決断でぎないでいるということなのである。欲求の断念は、 どうなるかわからない次の広がりへ自分を投げかけていく決断でもある。 また、ノイローゼの本などで″あるがまま″でいい とよくいわれる。ところが、あるがま までいし といわれても、あるがままでいられないから本人は苦しんでいるのであろう。 あるがままでいいといわれて、あるがままになろうとすることは、すでに、あるがままでは ない。そこには″はからい〃の心理が働いている、と本に書いてある。 " あるがまま。になろうとした時、それはすでに " あるがまま。ではない。そうなれば、ある がままでいいといわれても、どうしていいかわからない。 ある朗らかな O がノイローゼ気味になった。 この O»-Äの朗らかさにはもともと、どこか不自然なところがあ 0 た。それは、このが女 性は朗らかでなければならない、朗らかでなければ嫌われる、と思 0 ていたからである。朗ら 巧 4

3. 自分の構造

ど、毎日泣いてばかりいた。働いても食べることさえ満足にできず、毎日自殺を考えはじめる までになった。 ところが、ある日、何も食事を三度しなくたって人間は生きていけるのだ、一度だって生き ていけるのだ、と開き直りの気持ちが出てきて、元気になってしまった。 自殺を考えたり、メソメソしている人は、自分がさらされている困難を絶対的なものと感じ る。それは、ノイローゼになる人をみればはっきりする。失恋でノイローゼになる人間は、失 恋がこの世で最も苦しいものと思っているし、両親がいないでノイローゼになる人間は、両親 がそろってなければ生きていけないと思うし、大学受験に失敗して自殺する人間は、目的の大 学に入らなければ生きていけないと思う。 自分がさらされている困難をどうしても絶対視してしまう人は、ノイローゼになったり、自 殺を考えざるを得なくなるだろう。 さて、はじめの不眠症の人の例であるが、この人は不眠症を治そうとする、そして不眠症で あれば生きていけないように感じたのである。 ところが、一生不眠症のままで生きていこうと諦めて治ったという。つまり、不眠症という 自分がさらされている困難を絶対なものとして体験しなくなった、ということであろう。 そしてさらにこの不眠症の人は、どうせ飲んでも治らないのだからと睡眠薬をやめてしまっ た、という。それまでこの人をとりこにしていたのは、不眠症から治りたいという欲求である。 巧 2

4. 自分の構造

す。それは、偉大なる使命ほど、自分の存在感を高揚させてくれるものはないからである。 まず救われるべきなのは ? 劣等感でノイローゼになった者が、ある時「オレは世界の悩める者を救いたい」などという ことをいいだすのも同じである。自分が劣っているといってノイローゼになるほどの人間が 「世界の悩める者を救いたいーなどと大きなことをいうのはおかしいと感じる人もいるであろ しかしそれは逆で、自分が劣っているといってノイローゼになるほどの人だからこそ、その 苦しみを一挙に解決してくれるものとしての偉大なる使命が必要なのである。 劣等感は、その意味では使命感と結びつきやすいのである。ことにケタはずれの使命感とは 結びつきやすい カウンセラーについて、「まず救われるべき人は、自分なのか、他人なのか」と自問すべき であるといわれる。つまり自分が救われていないのに他人を救うということは難しいというこ とである。 これはカウンセラーばかりではなく親についても、いや親についてこそいわれるべきことの ように思われる。親自身が救われていないと、子供の人格を歪めてしまうことは間違いない 劣等感を持ったり優越感を持ったりしている人は、他人を「救いたがる」傾向が強い。これ

5. 自分の構造

睡眠薬をやめたということは、この欲求を断念したことである。欲求の断念とは、その欲求に とりこまれている自分を棄てるということである。その欲求を離れては考えられない自分を棄 ててしまうということである。その欲求を離れては考えられない自分を棄てるということは、 その先どうなるかわからない世界へ自分を投げ出したことである。 不眠症に苦しみつつも、不眠症を治そうとしている限り未知への恐怖はない。不眠症が治っ たら、その人生はどういう人生かその人にはわかる。しかし、それ以外の人生は、一体どんな 人生なのか見当もっかない。恐ろしいほどの困難と不快の人生かもしれない。未知の世界へむ るかって自分を投げかける決断が、つまり欲求の断念なのである。 出この不眠症の人が、睡眠薬を諦めてやめてしまったのは、欲求の断念でもあり、別の面から 脱いえば、未知の世界へむけての決断でもあったのである。 ら なぜ " あるがまま。に生きられないのか の ノイローゼでよくいわれる、森田療法というのがある。つまり、苦しいことは苦しいことと さ 空して怖いものは怖いものとして、そのまま受け入れていくより仕方がない、という方法である。 んそして、あるがままに人生を受け入れて、やるべきことをやっていくということが大切である、 うという療法である。 ただ、ノイローゼになりかかっている人間にしてみれば、苦悶は苦悶として受け入れる、と ー 53

6. 自分の構造

あげくの果てに、相手に対して自分をこのように愛してくれない、あのように愛してくれな いと不満を持つ。自分の恋人に対して、自分を愛する態度が悪いとケチをつけるような人間は ~ 救いがない。そのような人間にどう接してみても相手は不満を持つ。 愛される喜びは誰でもわかる。しかし愛する喜びは情緒的に成熟した人間だけがわかるもの である。 ノイローゼの人間は誰でも甘えているし、自己中心的であるし、他人依存である。甘える年 齢ではないのに甘えの気持ちを脱け切れず、自己中心的で他人依存でなくなる年齢であるにも かかわらず、自己中心的で他人依存であるからノイローゼになるのである。 自分の甘えや自己中心性に気がつくことは大切であるが、さらに大切なことは、それを行動 によってなくすことである。 自己中心的で甘えている人間は、他人の悪口ばかりいっている。要するに、他人とっきあえ ないのである。自分が冷たい人間なのに、他人を冷たいと非難する。自分の自己中心的なわが ままを相手が通さなければ、相手を″冷たい人間〃と責めるのである。 人間は誰でも、生まれた時からしばらくは甘えているし、自己中心的である。三歳の子供が 自己中心で甘えてなければお化けであるか、神様である。問題は二十歳、三十歳、人によって は六十歳になっても自己中心的な人間がいることである。ひどいのになると、自己中心的な人 間のままで死んでいく人がいる。

7. 自分の構造

神経質な人は物事を深刻に考えすぎている 神経質な人、ノイローゼ気味の人というのは、えてして人生を難しく難しくしてしまう。 よく〃ありのままで、 ということは、 しし〃ということがいわれる。その〃ありのままでい それほど生きることを難しくしてしまうな、ということであろう。生きることを〃こねくりま わしてしまう 4 人がいるが、〃ありのままでい 〃ということは、生きることを無理してこね くりまわして難しくしないで、やさしくしろ、ということであろう。 生きにくい人というのは、生きることを難しく難しくしてしまう。生きやすい人というのは、 生きることをやさしくやさしくしようとする。 ありのままでいい 、無理をするな、というと、それでは人間努力する必要はないのか、とか いう疑問も出てこよう。あるいは、人生はいずれ困難とも出会うし、忍耐も必要ではないのか、 と反論もあろう。 いまのやり方を一度変えてみる 何もしないところから生産的な生き方は生まれない

8. 自分の構造

次 目 - どんな人とっきあえばよいか マイナスになる人間関係・。フラスになる人間関係 空しさと背中あわせの孤独 他人との関係の中ではじめて″自己″がある 外に心を開かない自己防衛的な姿勢 失敗を恐れるから空しくなる 希望を捨ててはならない 小さな発見を一つずつ育てていく 他人にすがるのはやめよう 直面する困難を絶対視するからノイローゼになる な・せ″あるがまま″に生きられないのか 新しい世界へ自分を投げ出す決断 ″自分の願望の実現なしに人生はあり得ない【 青年は野望を持つべきだ、ただし : ・ 大切なのは″自分は正常だ″と思うこと 自己嫌悪の根をどこで断ち切るか ″自分が自分を嫌いになる″原因を追究する 自分をよそおうからいらいらする 自信のないことが言いわけになる ″どうせ結果はわかっているのだから″という言いわけ

9. 自分の構造

汗を出すためには、汗が出るような行動をしなければならないように、神経質を治すには神 経質を治すように行動しなければならないのである。 リラックスできない人の心理 最近、僕は『自己発見の行動』という本を訳した。その本の著者は若い頃大変神経質であっ たという。つまりすぐに緊張してしまう子供であったというのである。 「おとなたちがリラックスしなさいと私にいうと、私は途端にかちかちになり、震えだす始末 でした」とその本の著者は書いている。 神経質な子に、「リラックスしなさいーといえば、リラックスしようとしてよけい緊張する んものである。 . し . し ち普通の子なら、「リラックスしなさいーといわれれば、ああここはリラックスしていて . し、カ《子 / 」し のか、と思 0 てリラツ・クスできる。しかし神経質な子はそうま、 る ノイローゼ治療の本などにも、よく〃あるがまま″でいい、と書いてある。しかし神経質な す 識人は、 " あるがまま 4 でいし といわれると、〃あるがまま〃になろうとして努力してしまう。 プところが〃あるがまま″と″あるがままになろうとすること″は全然異なる。〃あるがまま ラという状態は、〃あるがままになろうとすることではない。 ス つまり当人がリラ リラックスする、ということは、リラックスしようとすることではない。

10. 自分の構造

ところがある朝、また駄目だろうと期待不安を持ち、重い気持ちでトイレに入っていたら、 隣のトイレに別の学生が入ってきた。 隣のトイレなので様子がわかる。すると、彼はロ笛を吹きながらトイレに入ってきて、あっ という間に用をすませて、またカラコロとゲタの音をたてて口笛吹いて出ていったという。 そこでこの神経質な学生は、用を足すというのは、こんなに、なんでもないことなのか、と 愕然としたという。 この神経質な学生にしてみれば、それまでは実は用を足すということは、もう重く苦しい大 変な難事業だったのである。 生きることをこねくりまわして難しくしてしまうというのは、このようなことである。もと もと大変なことではないのに、自分が一人で大変なことにしてしまっていることが、われわれ の人生にはたくさんある。 生活の仕方を具体的に変えてみる 神経質でノイローゼ気味の人というのは、えてして基本的な生きる態度を変えようとしない で、理屈だけで病を治そうとする。 たとえば不眠症の人も、「眠れなくてもいいやーと考えることで、気を楽にして眠ろうとし たりする。たしかに眠れない時、眠ろうと焦れば焦るほどよけい眠れないということは、多く