友人 - みる会図書館


検索対象: 自分の構造
124件見つかりました。

1. 自分の構造

ひと テレビで「他人のカミさんよ 。いいなあ」といって他人の奥さんとダンスをする番組があった。 他人の奥さんには礼儀正しいのである。他人の奥さんには尊敬に満ちた態度で接する人がいる。 ところがアメリカで、そのような二組の夫婦が合意のもとに、相手方の異性と互いに再婚した。 ところが、再婚したとたんに、嫌気がさしたという。 新鮮な気持ちを、思いやりの気持ちにかえる以外に恋は長つづきしない。 それよりも、熱しやすく冷めやすいドンファンは、心の底で自分を嫌い、劣等感を持ってい るのだということを知る必要がある。 相手を軽く見る態度の裏には 相手を軽く見るような行動をしてはならないということは、何も恋人同士、夫婦の間ばかり とではない。友人同士であれ、先輩・後輩であれ、師弟であれ、同じことである。 っ 立友人関係などでも知りあいになりはじめたころは時間に正確だったのに、親しくなると、約 東の時間などに平気で遅れてくる人がいる。 いや、時間のことばかりでなく、相手に対する諸々の行為について尊敬の念がなくなってく 不る。未知の人であったころは、愛想もよく、きわめて親切であったのに、親しくなるにつれて、 や 急に不機嫌になりだしたりする。 あまり慣れていない人には〃いい顔をするのである。 1 21

2. 自分の構造

″決めつけ思考″をやめよう ノイローゼになる人は現実をあるがままに受け入れられないで、自分にとって都合のよい現 実だけを望むから、 / イローゼになってしまうのである。 しも悪いもなく現実なのである。自分の友人の親が社長であるということは、い 現実は、、、 いとか悪いとかいう前に、とにかく現実なのである。その友人がまた、頭がよくて努力家であ るということも現実なら仕方ない。 / イローゼになるタイプは、この現実を受け入れられなくて妬む。妬んでいるだけで、自分 が変わることは拒否する。 生産的人間というのは、彼は頭がよくて努力家だ、でもそれは自分とは関係のないことだと 思える人である。そして、そう現実を素直に受け入れることで、その人のエネルギーは解放さ る みれて活動的になる。 て 非生産的人間はノイローゼになりやすい 度 ノイローゼになりやすい人間の第一の特徴は、変わることを拒否することであったが、それ 方が裏がえされて、何事でも決めてかかろうとする。 や「あいつはそういう人間だよーと決めてかかる。「世の中なんて不公平なものさ」と決めてか まかる。時には「俺はダメだーと決めてかかる。 自分も変わるし他人も変わる、世の中も変わる、彼はそのように世界を見られない。 ねた

3. 自分の構造

とが余計彼の内心のみじめさを刺激していた。 そこで彼は自分を救う方法として、母親の過ちを探しだして、あざけることにしていたので ある。面接の結果、そのようなことがわかってきた。 さて、私たちが何だかわからずいらだっ時、それは実ははっきりした原因がある場合が多い。 ところが自分で自分に眼をふさいでいるのでそれがわからないだけである。 ことに、上役や友人や先生や有名人などをことさらに「あいつは馬鹿だよ」などといってあ ざける場合はそうである。自分の一番奥深いところでは、その自分の痛いところを知っている のである。しかしそれを意識するのが嫌で、自分から眼をそむけているのである。そして他人 の過ちばかりかき集めているのである。 かしかし、もし不愉快ないらだちから解放されたいなら、勇気を持って自己認識し、自分の人 切生に正面から挑戦していくしかないであろう。 他人を非難することは最もてっとりばやい自己救済の方法である。しかし、安易ではあって も、自分の傷を深くしていくだけである。それは自分が変わろうとしないで、他人の自分に対 根する扱いを変えてくれといっているだけだからである。 悪何事も本質的には自分自身が変わらなければ解決しない。 己他人をいたずらに非難することで何か自分にとって素晴らしいことがあったかどうか、ノー トとペンを持って考えてもらいたい。何かノートに書くことがあるだろうか。 179

4. 自分の構造

ある。その通りたが、正確にいえば、自分の中に何もないことを隠そうとする、ということで はないだろうか。 自分を実際以上に見せるというが、実際の自分とは実はカラッポで、空虚な自分でしかない のではないだろうか。 自然な温かい感情としての他人に対する思いやりがあるわけではない。動物に対する愛情が あるわけではない。学問への興味があるわけではない。仕事への情熱があるわけではない。自 然のふところに抱かれる時に味わう安らかさを持っているわけではない。見たい絵画があるわ けではない。読みたい小説があるわけではない。会って心温まる友人がいるわけではない。実 とは何もない。その何もなさを、他人と自分に隠そうとしているのが、ヒステリー性格といわれ くる者の第一の特徴ではなかろうか。 て自分を実際以上に見せようとするというよりも、自分には何もないということが明らかにな つることを避けようとする、ということであろう。 を事態に直面すること、自分に直面すること、現実に直面することを避けるのは、実際の自分 のがあらわれることを避けようとするのではなく、あらわすべき自分の内容が何もないというこ なとが、自分にも他人にも明らかになることを恐れているのである。 値 連命に直面し、自分に直面し、現実に直面していくことを避ける人間は、次のように考えね ばならないだろう。 223

5. 自分の構造

あろう。 ところが不幸なことに、時にこのような意味を失っている理屈をいう人間が妙にインテリと か秀才とかいわれている場合がある。逆にそのような理屈をいわないで張り切って生きている 人を馬鹿という風潮もある。 さきにも書いたように、ある有名大学の学生が、「張り切っている奴ってマンガだよな」と いって皮肉な冷笑をうかべた。たしかに張り切っている人間は今ではマンガの世界にしかいな くなったようであるが、よく世の中を見れば決してそうではない。素直に張り切っている人間 もいる。張り切っている人間をマンガと皮肉をいう人は、劣等感が強くて自信がないので、他 る 出者との交流がうまくいっていないだけである。彼にはただ顔見知り程度の知人はいても、親し 脱い友人はいよ、。 ら 地外に心を開かない自己防衛的な姿勢 の 受け身の人は他人に見せるための行為が多い。格好よさ、というのは他人を意識したもので さ 空あるから、受け身の人間が求めるものである。 ・よ 扣自分が受け身の人間であるか、能動的な人間であるかの、ひとつのメルクマールは、他人に う見られない、知られない、評価されないことにどれだけ情熱を持てるか、ということである。 しかも自閉症のように共同の世界から自分の心を閉じてしまうのではなく、常に共同の世界に ー 37

6. 自分の構造

若い女性の服を見て、「あの人、センスが悪いーなどと非難する年寄りの女性が時々いる。 そして自分の一緒にいる男性が、その若い女性としたしげに話でもしようものなら、「どう してあなたはそんなに浮気つぼいの」などとヒステリー気味になる。 こうして他人を非難している人は、その非難をしている時だけは、何か心の悩みから解放さ れたような気持ちになるものである。 しかし相手への非難が終わって一人になってみれば、非難する以前よりもっと深い無力感に、 自分の無価値感に苦しんでいるものである。 他人をどんなに非難してみたところで、実はその非難の本当の理山をさらに大きくしてしま うだけである。 カ 欲求不満から他人を非難する人は、一時的には不満が解消されても長期的には、より欲求不 る 切満になっている。非難の本当の理由が「本当は相手にもっと認めてもらいたい」のなら、非難 断のあと、もっと相手に認められたくなっている。他人を非難しても、心の苦しみは本質的には に解決しない。 根アメリカの例であるが、こんなのがある。僕の友人の精神分析医ジョージ・ウェイン・ハー 悪グが本のなかで書いていることであるが、一一十三歳の青年が電話してきた。 己彼は自分の母親を馬鹿だという。それは母親が彼の部屋の暖房器のうしろにマリファナを発 自 見して「おまえは堕落しているーとどなったからである。 ー 77

7. 自分の構造

飲まない 、学生時代の友人と旅行にもいかない等々、人間関係の薄い人というのは、会社の仕 事も本気で夢中になってやることも少ないようである。 社会人でいえば仕事に熱心な人は遊びにも熱心である。学生だって同じであろう。勉強に本 気な人は遊びも本気でなければなるまい。そうでなくて嫌々勉強しているような人間は、大学 に入ってから完全に無気力型の人間になり、社会に出てからも使いものにならない。 この原稿を書いている日の朝、僕は七時から八時まで仲間に誘われて、東京九段の日本武道 館で合気道の練習をしてきた。実は昨夜、友人たちと気勢をあげて飲んでいたら「お前も合気 道をやれ」ということで朝の練習となったわけである。朝八時に運動を終わって、気分爽快に 彼らのおかげで僕も爽快な朝が味わえた。 皆会社にむかった。 , 元気がない時には一人にならないことである。元気でない人とっきあわないことである。自 分の意欲が衰えた時こそ、やる気十分、意欲に満ち満ちている人と一緒にいなければいけない。 先日関西の大学に講演に行った。するとその大学祭の実行委員の半分は一年生の時、同じク ラスの人たちだった。つまりそのクラスはお互いに刺激しあって皆があらゆることに意欲的に なっているのである。一年生の時からクラスの皆でスポーツもやっていた。クラス内の人間関 係が濃密だから皆がやる気を持つようになる。 他のクラスは大学祭にも熱心に参加しないし、大学祭以外のことにも意欲がないという。聞 いという。人間の意欲は理屈で湧いてく けばクラスの人々はお互いに・ハラ・ハラでつながりが薄 126

8. 自分の構造

焦りや不安ばかりが先立っとき・・・ 校にいる自分は駄目な人間に思えてくる。 全共闘全盛期の先生や親は、この点について決定的に誤っていた。あれほど軽蔑的な行動を 許したからこそ、その行動によって親や先生への軽蔑を深めてしまったのである。先生のこと を「てめえ」と呼んでいれば、その呼び方を通して軽蔑の感情が湧いてきてしまうのである。 友人にしろ、恋人にしろ、親にしろ、同僚にしろ、上役にしろ、先生にしろ、軽く扱うこと はやめたほうがいし どこの会社や学校にも次から次へと友人を変えていく人がいる。親しくなると急にその友人 に魅力を感じなくなるようである。そして新しい友人を求めて、古い友人の悪口をいっている。 自分が周囲に慣れ親しむということはよいことである。しかし、そのことと、周囲にそんざ いな態度をとるということは別である。 ー 2 3

9. 自分の構造

友人に悪口をいわれて口惜しいといって、その友人の悪口を他所でいいふらせれば、よけい その友人が口惜しくなるだけである。友人に悪口をいわれて口惜しければ、口惜しいと思えば - しも 。しかし、他の友人と野球をやって汗を流せばいいのだし、好きな本を読めばいいのだし、 毎日の予定の行動は会社であれ学校であれ、サポらずに通えばいいのである。 よいよその恨みの 黙って座って、その恨みそのものを取り去ろう、忘れ去ろうとすれば、い とりこになる。いよいよ思考の視野は狭くなり、恨みにとらわれる。 失恋したらおいしいものを腹いつばい食べろ 行動を通して感情をコントロールしようというのが、アメリカの心理学者、ウ = イン・ ( ーグ の主張であるが、これは日本の森田理論と同じであろう。 、よいよ恨みがましくなる。 実際は恨んでいるのに、恨んでないようなふりをしていると、し つまり、恨んでいるという自分の感情から逃げているからである。恨みは恨みとして恨んでい 。しかし、他の領域での行動は辛くてもつづけることである。 ればいし る メたとえば、主婦なら辛くても平常通り夕方には買物に行き、夕食の準備をすることである。 分それを「今日はもうロ惜しくて駄目だ、というので、いつも出かけている買物にも行かず、 自 あっちこっちに電話して口惜しい内容をしゃべりまくって、あげくの果てが、夕食は外から注 強 文してしまう、などということをすれば、よけい腹が立ってくる。電話をかけてペラベラしゃ

10. 自分の構造

そうした誇張をつづけていると長い間にその信念を再生し、強化しつづけることになる。 そしてさらに恐ろしいことは、そのように誇張し、そのように信念を再生強化しつづけると、 次第に自分の周囲の人間が、自分が遊んでいても成績がよくない限り、相手にしてくれないの ではないかと感じはじめることである。もちろん、周囲の人間の中にはそのような人もいるか も知れない。女の子などで軽薄なのは、たいして勉強もしないのに成績のいい男子としてあな たに憧れるかも知れない。 しかし、いつも誇張しているといつの間にか自分の周囲にいる人間は、先生も、上役も、友 人も、ガールフレンドも、隣人も、皆そんなことで自分を大切にしてくれると錯覚する。彼は 誇張している限り、どの友人が、彼の本当のありのままの姿を知っても、これまで通りつきあ かってくれるかを知る機会をなくしてしまう。やがて彼は、ひとつの特性、この場合でいえば、 る 切勉強しなくてもよい成績であるということに頼って生きるようになる。 浙どう考えてもさして立派ではないこの特性に頼って生きれば生きるほど、、 よいよこの特性 こなしには人間づきあいができないような気がしてくる。 を サラリーマンになってノイローゼになる人もいる。健康を害してまで立派な車を買おうとす 根 悪る人もいる。これらの人々もある日突然こうなったのではなく、中学・高校からのひとつひと 己つの行動の選択の結果としてそうなったのである。