思う - みる会図書館


検索対象: 自分の構造
173件見つかりました。

1. 自分の構造

の人が体験している。 しかし、だからといって「眠れなければ眠れないでいいや」と思えば、それだけで眠りつけ るものでもない。もしこう思うことだけで眠りつけるならば、不眠症の人などいなくなってし まう。 たとえば、その日一日、神経をすりへらす仕事をして、神経が消耗しているが、また興奮も している。しかし、とにかくその日一日は神経をすりへらしながらも、仕事のほうは大きな成 果をあげたとする。二日分、三日分の仕事を一日ですませてしまったとする。 そんな日の夜、「あーあ、今日はこんなに仕事をしたのだから、神経が異常にたかぶってい る。一晩ぐらい眠れなくても、仕方がないや」と思ったとする。これは自分の意志で思ったの ではなく、本当にそう納得しているわけである。 る みこのような一日があってはじめて、「眠れなければ眠れなくていいや」と自然と思えるので 澆あり、そうすればまた眠りつけもするのである。 一それを一日、仕事も運動も何もしないで、ただ黙って自分の体の調子のことばかりに気をと 方られていて、周囲への関心を失って生きていて、夜になって、「眠れなければ眠れないでいし やや」と思おうとすることで眠ろうとすれば、それは無理であろう。 ま生活そのものを正していくことなくして、小手先でこねくりまわしても、いよいよ不自然に なってしまう。

2. 自分の構造

楽なように見せる行動をするのは、そのように見てもらいたいという動機があるからであろう。 そうすると、よそおうたびに、実は、そのよそおった動機を強めるのである。 よそおえばよそおうほど、他人から頭がいし 、と思われたい、とはげしく望むようになる。よ そおえばよそおうほど、生活が楽だと思われたくなる。よそおえばよそおうほど、自分の子供 は優秀だと思ってもらいたくなる。 これから豊かに生きようと思ったら、まず、よそおわないことである。よそおえばよそおう ほど、内心はつねにいらいらしてくる。 自信のないことが言いわけになる 第ニには、言いわけをしないことである。 る 切会うと、こちらが聞きもしないのに、 言いわけをはじめる人がいる。「うちの長男はほんと 断うは私立の〇〇小学校に入ったんですけれど、たまたま試験の日に風邪をひいてしまったもの ~ 」ですから」とか、「主人もほんとうはもう課長なんですけれど、上役がちょっとおかしな人で 根して : : : 」とか、つねに何か言いわけしている人がいる。しかし、言いわけすることは前項と 悪同様に、その人に自信を失わせる。 己つまり、言いわけすることの前提は何かといえば、今の自分の状態は価値がないと感じてい るからであろう。さきの言いわけは、まるで、課長でない主人は価値がないかのごとくに感じ

3. 自分の構造

死にたいほど恥ずかしいことでも 次に示すのは、僕が読者からもらった手紙である。 「僕が悩んでいたことは、裸で相撲をとるのが嫌だったことです ( 練習 ) 。それは、肩にかえ での葉くらいのあざがあり、そこだけに毛が黒々とはえています。そして土俵は、・ハレーコー トに接しており、女子の部員が数十人います。それに、十数メートル離れたところでテニスの 練習をしている女子がいて、僕は恥ずかしくてしようがなかった。彼女たちは、僕がいない所 で何をいっているのか、心配であった。また、雨の降った日などは、体育館で・ハスケットの女 子が見ています。その中に僕の好きな娘がいます。だから練習が嫌で嫌でしようがなかったの です。僕は一メートル七十五センチ、八十キロの体で部員の中では大きいほうです。だから人 目につきやすいので、皆がどう思うか心配でした。 でも先生の書いた本を読んでからは、人間が小さすぎたと思うほどです。僕はもう恥ずかし 焦りや不安はかりが先立っとき : その自分の心理状態を的確に知るために

4. 自分の構造

ったであろう。 おそらく第一志望に入れば入れたで、今度はその成功に頼って生きていこうとするであろう。ー こういう学生に限って成功すると、「俺は〇〇大学の学生だ」と、それに頼って生きていく。 自分が〇〇大学という大学の名前をいえば、女性は皆こちらを振りむくと思い、振りむかない 女性を、くだらない女性と思いはじめる。 そして、その結果、現実の世界からいよいよトンチンカンな一人よがりの世界に入っていっ てしまう。 現実の世界で現に生きている他の人は、その第一志望の大学と第一一志望の大学をそれほど、 たいへんな違いがあるとは思っていない。彼が一人で勝手にそう思い、その錯覚のうえで生活 しているのである。 なぜそう錯覚してしまったか、世間のいわば普通の人の感じ方と、なぜそれほどまでにズレ てしまったか、それはさきにもいった通り、長いことあるひとつの成功に感情的な投資を行っ てきたからである。 おそらく彼女のほうは、彼の第一志望の大学と第一一志望の大学の違いに無関心であったであ ろう。彼は勝手にその二つの大学の違いにこだわっているのである。そのうえで、他人を責め ているのである。 責められている彼女のほうこそいい迷惑である。実際の彼女と違った女性に勝手に彼の想像

5. 自分の構造

思っていることと、だ、ぶ違っているかもしれない。自分は人間嫌いだと思っていても、ほん とうは他人と一緒にいることを楽しめる人間かもしれない。それは単に、そのような能力が開 発されていないから、「自分は人とっきあうのが下手だ」と決めこんでいるだけかもしれない。 何ごとについても、決めこむことは避けなければなるまい。自分についても、人生について たとえば、三十歳までいろいろ悲しい事件の連続だったり、不運の連続だったりすると、生 きることは悲しいことだと決めてしまい、なにか新しく挑戦することをやめてしまいがちであ 出三十歳までは不運であったが、四十代になったら急に好運に恵まれるかもしれない。不幸な 脱結婚生活をしている人は、「どうせ結婚なんて辛いばっかりだ」とか、「どうせ男なんて誰だっ かて同じだ」とか、諦めてしまう。しかし、諦めなければまた素晴らしい男性に会い、第二の幸 せな結婚生活ができるかもしれない。 人生や自分を諦めた人間は力がない。みずから進んで可能性を捨てたようなものである。 空人間はいくつになっても、自分について意外な発見があるものではなかろうか。「へエー 扣んなこといままで楽しいと思ったことなんかなかったのに」と思うことがあるに違いない。そ す の小さな感情を大切に育てることであろう。自分は内向的であると思っていたのが、ふとある 7 会に出席して、自分の意見を述べてみた。そのとき、自分の意見を持っということはこんなに

6. 自分の構造

ていくものである。自信を回復したいなら自慢話をやめるしかない。 第四に、他人が自分をどう思っているかを気にしないことである。 つまり他者のなかにある自己のイメージにとらわれないことである。 こういうことをいったら馬鹿にされるのではないか、こういうことをしたら軽薄と思われる のではないか、逆に、こんなことをしたら尊敬されるに違いないとか、こんなことをいったら ュニークな人と思われないだろうか、とか、たえず他人が自分をどう思うかということで行動 したり、主張したりすることを、やめることである。 僕の知人が以前離婚した。二人が結婚してしばらくして、子供ができないことがわかった。 かそこで奥さんは犬を飼いたいといった。するとご主人は反対した。なぜか ? 「子供がいない 切のに犬を飼えば、周囲の人は、子供がわりに犬を育てていると思う。そう思われるのが嫌だ」 嘶からである。 奥さんは頭にきた。それまでも、何をするにもまず、他人がどう思うかということで決めて ・と し、刀、ー 根きたご主人に、不満であった。しかし今度は、子供が生まれないという宿命を前にし、 悪生きるかということを真剣に考えているときに、他人がどう思うかということで、ことを決め 己ようとしたからである。 自

7. 自分の構造

く見えるにすぎない。 この手記を書いている女性は、今の男性に飽きて次の男性に会ったときのことを、次のよう に書きつけている。 「今思うと、彼はあの〃サタデー・ナイト・フィ の・トラボルタを思わせるほどの 踊りつぶりで、盛り上がるパーティではひときわ目立っ存在でした」 とにかく自分の恋人として定着する前は、たいへんなほれようである。それは、心の底で自 分の無価値感に悩んでいるからである。また虚栄心も強い 「彼はファッション関係に勤める二十三歳。青山のマンションの一人暮らし、ファッション、 スポーツ、ミュージックと三拍子そろってとびぬけた彼のセンス」なのだそうである。 こんなに好きであっても、この女性は次のように悩んでいる。 「私は一人の人を一生涯愛しつづけることができるだろうか : いくら神仏の前で誓いあっ て結ばれたとしても」 この女性は、おそらく自分のものになってしまえば、その人を大切に扱うことをやめてしま うであろう。その人を粗末に扱うことで、自分の相手に対する気持ちも荒廃してくる。相手を 大切に扱うから、大切に思う気持ちが湧いてくるのに。 この女性はいったん恋人として定着すれば、・ テートの時間にも遅れるかもしれない。そんな ことをするから、また相手はどうでもいいようにも思えてくる。 ー 20

8. 自分の構造

られているからであろう。 そして、隣の奥さんやの知人に、自分の主人はほんとうは課長になれた人間と思って もらいたいということである。ところが、このような言いわけをするたびに、自分の主人は課 という感情を強め、またいっそう、主人は課長になる実力があっ 長でないから価値がない、 たと他人から思ってもらいたくなる。 もちろん男性でも同じである。「この職業についたのは、たまたま〇〇新聞に入るつもりで、 どこの会社も受けなかったんですよ。ところが新聞社の試験の当日風邪ひいちゃって、それで そのときには、もう大企業の試験は終わってるしねえ」などという男性がいる。この人もそう いうことをいうたびに、自分のいまの職業はくだらないのだという感情を強めてしまう。 ・ : とつねに言いわけしていると、自尊の感情がなくなってしまう。 自分がこうなったのは : これから豊かに生きるために、第二に、言いわけをしないことである。 ご主人が帰ってきたとぎ、「晩ご飯の用意しているとき〇〇さんから長電話がかかってき て : : : 」というような、なんでもない言いわけが、人生の根本的な態度になっていく。 ご主人に「今日のおかずの作り方失敗しちゃってごめんなさい。明日はもっとおいしく作る わ」といえるかいえないかが、より大きな、人生の基本的な生き方にもかかわってこよう。 失敗を失敗として認めること 1 フ 0

9. 自分の構造

私の尊敬する先生から聞いた話であるが、第二次世界大戦で日本軍の占領している中国・上 海地区に空襲をかけてきた一機のサンダーヴォルト型米軍戦闘機が日本の対空砲火によって が見つか 撃墜された。ところがそのパイロットの操縦席から数枚のクラシック音楽のレコード ったという。決死の戦場にレコードをつんでくる兵士の生き方と、今の日本の無力感にうちひ しがれた若者と比べて、人々はどちらが生きることを大切にしていたと思うだろうか。 えびら 源義家は箙に桜の枝をさして戦ったという。それなのに「ポトルの底にちょっとウイスキー が残っている、それだけの人生ですよ」といった若者がいる。そのちょっと残っているウイス キーを明日飲もう、という、そのかすかなことをアテにしながら生きているという。 る 出僕は何も、戦時中のほうがいいなどといっているのではない。平和な時代の中で「結果がわ 脱かっていますよ」と自分の怠惰を弁護している若者に、死がわかってなおこのように生きた人 ら かもいるのだといいたいのである。 そしてそのように生きた人から見れば、今のような平和な時代は決して結果はわか 0 ていな のいと見えるのではなかろうか。やってみなければ結果はわからないのである。 空今述べたように、若い人たちはよく「やったってしようがない、結果はわかっているじゃな 扣いですか」という現実に対する無力感を表明する。しかし、この悲観論は決して現実に挑戦し うた結果として出てくる悲観論ではない。現実を自分の側から眺めて、現実はこうだと決めたこラ とで出てきた悲観論である。現代は現実ととりくむまえに、現実についての情報が与えられる。

10. 自分の構造

悩んでペッドに眠っていても、悩みは大きくなるだけだが、走っていれば気が晴れる。いっ も将来の不安ばかり話している人と一緒にいれば、その不安は自分にも伝染する。あなたがそ れまではそれほど将来について不安を抱いていなくても、そのような人とばかり接していると 次第次第に悲観的に将来を考える習慣がっき、いつの間にか将来のことで悩むようになる。 空しさと背中あわせの孤独 僕は現在早稲田大学の文学部で加藤ゼミというのを持っている。ところが、このゼミをとる 学生の勉強への意欲というのが、必ずしも毎年同じようなものではない。同じようなものでは ないというより、年度によってかなりの違いがある。ある年度のゼミの学生が大変に意欲的か と思うと、次の年度のゼミの学生はまったく無気力だったりする。 ゼミの指導教授をはじめとして彼らをとりまく勉学の環境が同じなのに、一年違うとどうし てこうも意欲が違うかと思うくらいである。年齢とても一年度違いぐらいでは、浪人だ留年だ ということを考えるとたいして違わない。時代背景も同じである。 ところが意欲に違いがある。それはおおかた僕の見るところ学生同士のつながりの強弱によ るようである。つまり、ゼミをとった学生同士が、どのくらいっきあっているか、どのくらい 仲間意識を持っているか、どのくらい理解しあっているか、ということである。 意欲的な年度の学生というのは、実によくお互いを知っている。僕のゼミは四年生において ー 32