生活 - みる会図書館


検索対象: 自分の構造
36件見つかりました。

1. 自分の構造

えられなければならない。その感じを失うと不機嫌になるのである。 そのような弱い自我の持ち主と共に生活している子供は、たえず父親の不機嫌の脅威にさら されている。 いつ「旅行に連れていって下さい」といい出すべきか、そのタイミングを常にうかがってい なければならない。父親が家に帰ってきた時、どう行動したらよいのか、何をいったらよいの か、たえず準備をしていなければならない。 父親が家の仕事をはじめたら、何をおいてもすっとんでいって手伝わなければいけない。し かも「こんなことにも気がっかなくてスイマセン」とあやまらなければならない。仕事が終わ れば、「住みやすくなって、ありがとうございますーといわなければならない。 たえず父親に、自分は皆のために生きているという実感を持たせなければならない。その実 感こそが不機嫌が噴出してくるのをふせぐ感情だからである。 実は父親が生きる実感を持っために子供が犠牲になっているのであるが、それが表面にはま ったく逆になって表れていることが必要なのである。父親は家族のために自分が犠牲になって いると感じることで、自分の生存を確かめているのである。 生きることだけで疲れる人間 子供はこのように不機嫌な父親の犠牲になった時、自発性の欠如、自立性の欠如、自然性の

2. 自分の構造

今まで暇だった人は、とにかく家の中をぐるぐるまわったり、下宿の部屋をみわたして自分 のできることをひとつひとっノートに書き出してみるとよい 台所の戸のガタガタをなおすこと、電球のカサを洗うこと、窓ガラスを拭くこと、思い切っ て机を移動してみること、何でもよいからノートに書き出していくと、十やそこらは出てくる。 同じことを近所でも会社でもやってみて、とにかく自分を忙しくしておくことである。 神経質で悩んでいる人にとって最良の薬は忙しくしていることである。「ありのままでいし のだ」と自分にいいきかせている間に、近所の子供に野球を教えてやることが治療になろう。 休日は、とにかく家にいないで一日中歩きまわっているということに決めてもよい ところで、さきに述べたように、自分の生活を具体的に変えるためには自分を尊敬すること である。そして生活を具体的に変えることで自分を尊敬できるようにもなる。 生活を具体的に変える 自分を尊敬する 生活を具体的に変えることと自分を尊敬することは、相互に刺激しあい、好結果をもたらす。 自我防衛の強い人というのは生活を変える、自分を発展させる、目標にむかって進んでいく、 というよりも、どちらかといえば自分のいる場所を動かずにそこを守ることに必死になってい る。自分を信頼できないからである。 → ←

3. 自分の構造

ある。したがって彼らの生活は、一年の頃からの生活が反映されてくる。 意欲的な年度のゼミは教室に入っていくと、学生が「今日は〇〇君はかくかくしかじかの理 由で欠席しますーと欠席する学生のことを報告してくれる。そして仲間の学生が運動部のどこ に属しているか、文化部のどこに属しているかについてよく知っている。 誰それは今おふくろが田舎から出てきているとか、誰それは現在何のアル・ハイトをしている 、、仲間うちでよく知っている。 一口にいって仲間意識が強いのである。四年生になるまでにそれだけの交流があったという ることだろう。 出ところが無気力な学生の集まりの年度というのは、お互いがまったく知らない。教室に入っ 脱ていって、「今日は〇〇君はどうしたの ? 」と聞いても、「そんな人がいるの ? 」という顔をす かる。大学生活四年目に入っても、お互いにほとんど顔と名前も知らないし、いわんや仲間意識 地など全然ない。そういう年度のゼミは学生の研究発表もお粗末になる。 の さ つまり僕がいいたいのは、人間の意欲の源泉のひとつは仲間意識、所属感、連帯感、参加の 空実感等であろうということである。 ん空しさと孤独は背中あわせなのである。人間は自分の人生の意味を自分一人の上に築くこと うはできない。・ とんな成功もそれを共に喜んでくれる人がいない限り空しいものであろう。 他者との交流が個人に安心感と意欲を与える。勉強する気にならないのも、仕事をする気に 133

4. 自分の構造

対して心を閉ざしてしまう。そして閉ざしたことで自己が形成されたと勘違いする。 他人を拒否することで自己を形成しようとする者は、心と肉体の不快な緊張をまぬがれるこ とはできない。そして高度に緊張した生活の結果、胃を悪くしたり、頭痛がしたり、いつも疲 れていたりする。 そういう人は、自分のエネルギーを使う焦点を変えることである。自分の欠点を知られまい とすることにあっていた焦点を、他人はどんな気持ちで生活しているのか、ということに移す ことである。 失敗を恐れるから空しくなる 今の若者が虚無感を持っているとすれば、それは自分が虚無感を味わうように生きているか ら虚無感を味わっているにすぎない。行動の選択の仕方を変えれば、空しさよりも理屈ぬきの 喜びが自分の人生にもあったことを知ることだろう。 失敗したらどうしようと、それを考えてパットを振らないタイプの人間がいる。逆に失敗し たらなどと考えるより、とにかく打っことに集中するタイプの人間がいる。そして空しさを味 わうのは、失敗したらどうしようと不安になるタイプである。しかし空振りを恐れたら・ハット は振れない。 そして失敗を恐れている人間は、実は失敗したら他人は自分をどう思うか、ということを恐 140

5. 自分の構造

大学でする学問は、感動できる自分を回復するための学問であるにもかかわらず、より無感 動な人間になるために大学に来ているような大学生がいる。 感動、それは行為の目的というより結果なのである。 新鮮な生活を望むなら 高校生が大学に入って、もし今までと何らかの点で違った新しい生活を望むならば、次のこ とは守ってもらわねばならない気がする。 まず、勉強をする動機が高校時代とは違うということである。もし高校時代に勉強していた 動機と、同じ動機で大学でも勉強するなら、大学で学ぶことは決して新鮮なものにはなり得な よく大学が高校の延長だといってガッカリする新入生がいる。しかしその人は気づいていな いのである。大学に入って授業を受けて、それが高校の延長だと感じるのは、授業そのものの 性質に原困があるのではなく、授業に望む自分の態度や動機に原因があるということに。つま り、高校の延長だと感じさせているのは、大学よりも、自分自身なのである。 もちろん百 % そうだとはいわない。しかし新入生は大学の授業の内容と同時に、な・せ自分は その授業を聞くのか、という自分の動機を反省してみなければならないであろう。 高校の時、自分はな・せ勉強したのか、な・せ受験勉強したのか。たとえば今、大学に落ちるの

6. 自分の構造

て、もうどうしても家の中に入らない。 元気な子供にとって寒さはない。その寒いなかで雪たるまをつくる子供は、家に入ってポカ ポカしてやはり爽快な気分になるだろう。それは夏の冷房の室にいて、なんとなく不快な暑さ とはまったく異なるさわやかなポカボカである。 暑い夏は暑い夏たからこそさわやかになり、寒くなれば寒い冬たからこそ爽快になれるよう な生き方、それが人間の解放でもあろう。夏暑いから冷房、寒いから暖房、これのみが人間の 解放の場ではない。 悪い環境からよい環境を与えて人間を解放するというが、それでは一体よい環境とはどうい う環境か、ということについてはそう簡単な問題ではない。 る みまず自分を尊敬すること 澆生活の仕方を具体的に変えるためには自分を尊敬することである。 一生活の仕方を具体的に変えるということは、考えているほどやさしいことではない。今まで 方図書館を使わずに自分の本を買っていた人は、図書館を使うようにしてみるとか、今まで会社 やが終わってまっすぐ家に帰っていた人は映画を見てみるとか、友達をさそって一杯やって帰る まとか、逆にいつも寄り路していった人は、まっすぐ帰ってステレオを一人で聞いてみるとか、 することであろう。

7. 自分の構造

自然でいようとすることは、すでに自然ではない。考え方だけによって悩みを根本的に解消 することはできない。 ある自分の考え方の不自然さに気がっき、より生きやすい考え方に変更し、それを現実の行 動に移していくなかで、はじめて悩みも根本的に解消されるのであろう。 たとえば、神経質の人はよくこぼす。皆が自分のことを理解してくれないとか、友達は冷た いとか、次から次へとこぼす。他人からの理解は求めても、他人への理解は示さないのが自己 中心的な人、神経質な人、情緒的未成熟の人の常である。 これらの人は、こばしながら、こぼすことで悩みが解決するとでも感じているのであろうか。 それとも、とにかく、こばさずにいられなくてこばしているのだろうか。おそらく両方であろ 具体的な生活の変更、具体的な行動の変化なしに、悩みを解消しようとするから、さきにい ったように人生をこねくりまわして難しくしてしまうのである。 朝ジョギングをはじめるのもよし、囲碁をならいはじめるのもよいだろう。そして碁の仲間 をつくっていくことのなかで、悩みが解消していくものであろう。 生活を具体的に変更すれば、一体自分は、かって何であんなにグチをこぼしていたのだろう と不思議になるに違いない そして、実は客観的にみれば、そんなにグチをこ・ほす理由などなかったのだ、と気づくであ

8. 自分の構造

彼によれば、マリファナは癖にはならない。したがって他のドラッグとは違う。ところが母 親はマリファナと他の癖になるドラッグと混同している、というのである。 彼はその精神分析医に「あんな愚かな人間 ( 母 ) と暮らすのは耐えられない」といった。 精神分析医が、「あなたはそれをいいたいために電話してきたのですか ? ーと聞くと、それ ? と、つこ。 には答えずに彼は「あなたもお袋が愚かだとは思いませんか そこで精神分析医が「お母さんはマリファナに潜在する危険を大袈裟に考えているんだ」と いったのだが、彼は再び「お袋のそばにいるのは耐え難い」といった。 それからしばらくして僕の友人のこの精神分析医は彼と会うことになり、いろいろ話しあっ ていくうち、だんだんとわかってきたことがある。 彼は母親の経済的援助に頼って生活していたのである。彼は生まれてこのかた自分の部屋代 も払ったことがない。アメリカの場合、日本の青年よりはるかに独立への傾向は強い。大学生 でもなんとか奨学金をもらって自分でやろうとしている。 それに彼の子供の頃の夢の中には一家の長となって生計を立てていくということが含まれて 彼は、自分では気にすまいと思いながら、内心このように母の経済的援助に頼って生活して いることがやりきれなかったのである。そこで彼はなぜかわからずいらだっていた。 そしてさらに彼は母親同様自分には生計を立てていく能力があることを知っていた。このこ 178

9. 自分の構造

思っていることと、だ、ぶ違っているかもしれない。自分は人間嫌いだと思っていても、ほん とうは他人と一緒にいることを楽しめる人間かもしれない。それは単に、そのような能力が開 発されていないから、「自分は人とっきあうのが下手だ」と決めこんでいるだけかもしれない。 何ごとについても、決めこむことは避けなければなるまい。自分についても、人生について たとえば、三十歳までいろいろ悲しい事件の連続だったり、不運の連続だったりすると、生 きることは悲しいことだと決めてしまい、なにか新しく挑戦することをやめてしまいがちであ 出三十歳までは不運であったが、四十代になったら急に好運に恵まれるかもしれない。不幸な 脱結婚生活をしている人は、「どうせ結婚なんて辛いばっかりだ」とか、「どうせ男なんて誰だっ かて同じだ」とか、諦めてしまう。しかし、諦めなければまた素晴らしい男性に会い、第二の幸 せな結婚生活ができるかもしれない。 人生や自分を諦めた人間は力がない。みずから進んで可能性を捨てたようなものである。 空人間はいくつになっても、自分について意外な発見があるものではなかろうか。「へエー 扣んなこといままで楽しいと思ったことなんかなかったのに」と思うことがあるに違いない。そ す の小さな感情を大切に育てることであろう。自分は内向的であると思っていたのが、ふとある 7 会に出席して、自分の意見を述べてみた。そのとき、自分の意見を持っということはこんなに

10. 自分の構造

次 まず自分を尊敬すること 生産的な生き方・非生産的な生き方 ″決めつけ思考″をやめよう 強い自分をつくるには ″嫌な感情〃を抑えようとするからますます嫌になる いかに行動するかーある不愉快な体験から マイナスの感情を抑える必要はない 失恋したらおいしいものを腹いつばい食べろ 大切なのは自分で自分に責任を持っ姿勢 劣等感は弱い自我から生まれる スランプを意識するほど落ちこんでいく どうすれば新しい活路が開けていくのか 何のために勉強するのか 新鮮な生活を望むなら 自らの″動機″を見つめなおす なぜスランプにおちいるのか ? 与えられた最低条件でも スランプは意志のカでは脱出できない リラックスできない人の心理 9