この冊子を読むまで、オフィス内で自席以外の電話が鳴って いたら、それを取って応対するのがあたり前だと自分は思って いた。が、それがあたり前でない国や組織があることを知って 愕然とした。個人主義の能力社会、あるいは階層化が進んだ社 会には、「他人の仕事を侵害してはいけない」「人の仕事を奪っ てはいけないという考え方もある。 冊子を通じて、自分が当たり前に思っていた働き方が、あく まで日本のローカルな常識でしかないことに気づかされ、目が 覚める思いだった。もっとも強く頭を叩かれたのは、同じ頃、 イタリア帰りの友人が聞かせてくれた体験談だ。 イタリア人の友人の家を訪ね、楽しい一時をすごしていたと いう。帰る時間がせまって、また来てくれるかなといった話に なった時、彼は「そうだな、今度休みをもらえるのは : : : 」と 話し始めた。するとイタリアの友人は間髪を入れす、「休みを もらうって、誰から ? , と、真顔で聞き返したという。 休みは誰のものだろう。当然会社のものではない、自分のも 2 6 5 私たちは「仕事」を買いに会社へ通っている
1 サ 1 著作集にも、マルセル・プロイヤーのワシリ 1 チェアに も、イ 1 ムズの 0 ( 椅子 ) にも、クライアントは存在しな これらの仕事において、デザインとは極めて個人的なアイデ アを、具体的な形で世の中に提案する仕事だった。企業の依頼 をうけてその経済活動を美的側面から支援するというデザイナ 1 の仕事は、おもに大戦以降、資本主義経済が発展してゆく過 程で形成された、わずか約半世紀間のデザイナ 1 像に過ぎない。 そのスタイルが最も極端化した国が日本。そして同じく近代 デザインを発展させながら、日本の対角線上に位置しているの が、僕の知る限りイタリアという国である。 企業社会のあり方をめぐる日本とイタリアの違いは実に好対 照で、デザイン・プロダクトをめぐる差異の多くも、間違いな くそこに起因している。 イタリアは、無数の中小企業で構成された社会だ。もともと が共和国制で、ひとつひとつの市場規模が小さく保たれていた 2 3 4 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
ことがその背景にある。この国の企業の大半は家族経営だ。国 営企業のよ、つに大きいフィアットやオリべッティなどを例外に、 社員数が三〇〇人を越える企業はめずらしく、ほとんどの会社 は社員五名とか、多くても数十名の中小企業。世界的に有名な 照明器具メーカ 1 が、わずか一五名で運営されていたりする。 社長以下、セ 1 ルスプロモーションと在庫管理、そして小規模 な製造ないしアッセンプル部門で構成されるイタリアのメ 1 カ 1 は、ほば例外なく社内にデザイン部門を持っていない。商品 計画は、契約を交わした外部のアートディレクターを中心に進 められ、デザイナーは各企業とプロジェクト単位で仕事をする。 このような背景もあって、イタリアのデザイナ 1 の大半は、 大学を卒業した瞬間からフリ 1 ランスとなる。ほとんどの企業 は専属のデザイナーを雇わないし、有名なデザイン事務所の席 にも限りがあるからだ。従って彼らは常に、自分のデザイン提 案を企業あるいはア 1 トディレクタ 1 に持ち込んで、仕事のチ ャンスを自らっくり出す。 建築を頂点とするイタリアのデザインの伝統もあって、提案 2 3 5 頼まれもしないのにする仕事
の内容はグラフィックから家具、あるいはプロダクトや自動車 まで、カテゴリーの枠を越えて生活の多岐におよぶ。こういう モノが足りないのではないか、まだ存在しないんじゃないか、 人々が待ち望んでいるに違いない : イタリアではデザイナ 1 という言葉の代わりに、「プロジェ ッティスタ」という言葉がよく使われる。全体を計画し前へ進 めていく人、という意味だ。つまり、イタリアにおけるデザイ ナーの仕事は、依頼されたモノに美しい色や形を与えることで も、特定分野に限られた専門職でもない。『何をつくるか』を 提示し、現実化に向けたリ 1 ダーシップを取ることがその仕事 の本随なのだ。仕事の起点は、それぞれのイマジネーション ( 想像力 ) にある。 日本はどうだろう。この国のデザインの最も大きな特徴は、 デザイナーの大半が企業勤めのインハウス・デザイナーである マンであるという点にある。グラ こと、平たく一一一口、つとサラリ 1 2 3 6 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
あとがき 大学時代にデザインを学んでいた頃、イタリアのデザイナー 達が口を揃えて語る「デザインとは愛である」という言葉が、 気になって仕方がなかった。 言葉の意味はわかる。しかし、その中に含まれている様々な ェッセンスが、まだ具体的にわからなかったのだ。 象設計集団を訪れた際、取材に応じてくれた町山氏が、荒俣 宏氏による昔の名建築の定義を教えてくれた。それは、 「驚きを与える」 「英知を結集している」 「なにがしかへの愛を表現している」 という三つの項目で構成されていたという。この定義には強く 共感した。今頃になってようやく、この「愛」の意味するとこ ろが、わかってきた気がする。 2 7 3 あとがき
それを解く力を育もうとする教育の違いが、ここにもある。 佐藤氏はこうも語っていた。 「世の中でいちばん難しいのは、問題をつくることです。 万有引力の法則におけるニュ 1 トンの林檎のように、問題の 凄いところは、出来た瞬間その先に答えがあること。それをつ くり出すのは、本当に難しいことです。その力が大学生にある 力といえば、残念ながらまだでしよ、つ。 それでもク問題をつくるという段階に入ろうと思います。 『それはいい問題だ』『それは誰も考えなかった問題だね』と僕 が思えるものを、彼らに持ってきてほしい」 心臓のチャックをひらく イタリアのメ 1 カー「アレッシー」は、一九九〇年から世界 各地でデザインワ 1 クショップを開催している。プロジェクト の中心人物はラウラ・ボウリノ。チェントロ・ステュディオ・ アレッシーのデザイン・ディレクタ 1 だ。彼女は同社の商品群 1 : 働き方がちがうから結果もちがう
、つことを、学生たちにハッキリと伝えている点が素晴らしいと 、つ。 僕もいくつかの大学で教えているが、学生たちと話している と、「好きなことをやっても食べていけるんですか ? ー「必要と されるんですか ? 」という具合に、社会的価値をめぐる約東を あらかじめ取り付けたいような、そんな不安がにじみ出た質問 。ゞ、、ツキリ言って、あらかじめ意味や を受けることがあるカノ 価値を約東されている仕事など、どこにもない。 建築家になればいいわけでも、医者になればいいわけでもな 。肩書きは同じでも、意味のある仕事をしている人もいれば、 まるで意味の感じられない仕事をしている人もいる。「これを やれば大丈夫 ! 」というお墨付きを求める心性は、年齢差に関 係なく分布しているようで、これらに出会うと本当に途方に暮 れる。 イタリアのモダンデザインを代表するつくり手の一人、プル 1 ノ・ムナ 1 リは、ミラノを拠点とするダネ 1 ゼとい、つプラン 1 : 働き方がちがうから結果もちがう
れない。職業に就くために、若い時間のほとんどを費やして学 ぶなんて信じられない。「職業ーというのは、どうやら彼らの 楽しみを食いつぶしているようだ。そんな労働なら、しない方 がマシじゃないのか ? 村落のような共同体社会と、西洋の都市型社会では、仕事の あり方は異なる。しかし、イタリアでの友人の体験談やパパラ ギと出会いながら、あたり前と思っていた自分たちの仕事、自 分たちの働き方を見直してゆく中で、ひとつの疑問が浮かび上 がってきた。 ク私たちは本当に会社に能力を売ることで対価を得ているの か ? ッという疑問である。 人は能力を売るというより「仕事を手に入れる」ために、会 社へ通っている。そんな側面はないだろうか。 首都圏のワ 1 カーは、片道平均八〇分の時間をかけて満員電 車に乗り、会社へ通う。決して楽とは言い難いその行為を毎日 くり返す理由は、自分の求める「仕事ーが会社にあり、近所で 2 6 7 私たちは「仕事」を買いに会社へ通っている
心得ている人は、人を心地よくもてなし、力を引き出すことも 出来る。また時には権力者として、操作的にもなれる。 イタリアのムッソリーニの執務室は巨大な立方体空間で、そ のいちばん奥の隅に机が置かれていたという。そのほかの家具 は一切置かれず、壁面には天井までそそり立っ列柱が描かれ、 床面は磨き上げられた大理石。部屋に入る扉は机のちょうど対 角にあった。ムッソリ 1 ニとの面会でこの部屋に入る人々は、 彼の机の前へ歩いてゆく間に、その空間の緊張感や自分の無防 備さ、室内に響く自分自身の足音に打ちのめされてしまったそ 見えない仕事場】マネージメント オフィス・プランニングが俄然面白くなってきた二〇代後半、 フィンランドで開催されたフレックスワ 1 クに関する国際会議 に参加する機会を得た。 フレックスタイムは、就労時間を固定化しないことで各人の 2 4 9 見えない仕事場 : マネージメント
く本腰を入れて関係を持ちたいと思えた場所なんです。僕には この場所でやりたいことがいつばいある。ここの素材でです。 今僕が着ている服は一五年くらい前からインドでつくらせて いるものです。でも、どうも違うんですよ ( 笑 ) 。やつばりね え、あっちの方から持ってくるっていうのはちょっと違うんだ な。ここで新しい食の提案もしていくけれど、やつばりそれは フランス料理やイタリア料理じゃないと思うんですよ。身体に とっても、それはあまりいいことじゃないと思、つ。 ここでも綿花栽培はできますから、農家にも働きかけてみよ うと思う。絶対にやりたい人がいるはすです。みやげ物じゃな くて、もっと生活で使うものをね。日本はこれから外貨も不足 していくだろうし、経済力も低迷していく。その時に、足下か ら生活をつくり上げる力はすごく重要になるはずです。今から 準備しておかないと、なくなっちゃいますよ。農業と工芸って いうのは、生きるために最低限必要なものですよねー インタビュ 1 を終えて外へ出ると、黄昏時の空に、まっ白な 馬場浩史さんの場づくりを訪ねる